日本版『KINFOLK』編集長に聞く、10年先の未来よりも今を大切にする理由

プロフィール
圓角航太

1982年、東京都渋谷区生まれ。多摩美術大学卒。大学在学中よりネコ・パブリッシングにて学生アルバイトを始める。大学卒業後、同社に新卒社員として入社。『カー・マガジン』編集部に在籍後、スケートボードカルチャーマガジン『SLIDER』、ヴィンテージモーターサイクルマガジン『ROLLER』、ポートランド発のライフスタイルマガジン『KINFOLK JAPAN』など、数多くの雑誌を立ち上げる。

食や暮らしの美しい風景、愛する人たちと集う時間を題材にしたライフスタイルマガジン『KINFOLK』。2011年にアメリカ・ポートランドで創刊され、瞬く間に国境を越えて広がり、世界中の読者から共感を集めている。そんな雑誌の日本版となる『KINFOLK JAPAN』の編集長を務めているのが圓角航太さんだ。ネコ・パブリッシングでアルバイトをしていた学生時代から、編集長に就任するまでの背景には一体何があったのだろうか?圓角さんの雑誌づくりへ懸ける想いを伺った。

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NBA、ヒップホップ、ダンス。人生を変えたブラックカルチャー

—圓角さんは、どのような少年だったのでしょうか?

圓角:剣道、野球、バスケ、水泳、それからピアノなど、いろんな習い事をしてましたね。でも、どれも長続きしなかったんですよ。唯一、高校まで続けたのはバスケで。1992年にバルセロナオリンピックが開催されて、「ドリームチーム」と呼ばれていたアメリカ代表チームがめちゃくちゃカッコよかったんです。「ダンクすげえ!」みたいな(笑)。それからNBAに夢中になり、その延長線上で、ブラックカルチャーに触れ始めました。周りと比べ、だいぶませていたと思います。

—当時、どのように情報収集をしていたのですか?

圓角:中高時代は学校の先輩に教えてもらってました。学校帰りは、渋谷のレコードショップ『シスコ』とか『マンハッタン』で一緒にレコードを漁ったり。Nasのデビューアルバム『illmatic』は死ぬほど聴いていましたね。他にもダンサーユニット「エリートフォース」の映像を見て、踊りの研究をしたりと、音楽、ダンス、ファッションなど、先輩の真似ばかりしていたと思います。

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—そこまでブラックカルチャーに傾倒した理由は何だと思いますか?

圓角:海外への憧れが強くあったのだと思います。もしかすると行ったことのない場所を想像することが楽しかったのかもしれませんね。MVのセットやアーティストのファッション、登場する乗り物などをヒントに、想像していたんですよ。ブラックカルチャーには「知らないことを知る」ための要素が詰まっていた気がします。

—では、圓角さんが雑誌に興味を持ちはじめたのはいつ頃ですか?

圓角:美大時代にフリーペーパーをつくっていたので、その頃からです。タイトルは『Notorious』っていうんですけど、これもThe Notorious B.I.G.というアメリカのラッパーにちなんでいます(笑)。バイク屋さんを取材したり、好きなエッセイを書いたり、一緒につくっていたカメラマンのポートレートを載せたり、好き勝手やっていましたね。昔も今もそうですが、誰かに求められてつくるというよりも、自分が好きな人やものを周囲に伝えて、リアクションをもらうことに面白みを感じていたんだと思います。

車好きが功を奏して、出版社に就職

―ネコ・パブリッシングに入社したきっかけを教えてください。

圓角:友人のお兄さんがネコ・パブリッシングで働いていて、その紹介でアルバイトできることになったんです。業界に入るきっかけをつくってくれたので、とても感謝しています。出版社で働けることも嬉しかったのですが、偶然にも担当の部署が『カー・マガジン』編集部だったんですよ。

―圓角さんがお好きだったブラックカルチャーとは縁遠い雑誌のようにも思います。

圓角:いや、実は小さい頃から車が大好きだったんです。実家の前にディーラーがあって、フォルクスワーゲンとか、アウディなどの外車を眺めては憧れていました。だから車好きとしては最高の環境でしたね。その頃は読者プレゼントやニュースページの情報をひたすらまとめていました。地味な作業に思えるかもしれませんが、周りには「車オタク」の方々ばかりだったので、日々新しい情報や知識に触れられることが刺激的でしたね。

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―アルバイト後は、そのままネコ・パブリッシングに就職を?

圓角:はい。新卒の就職試験を受けて、『カー・マガジン』編集部に配属されました。アルバイト期間も含めて6年経った頃、「好きな雑誌をつくっていいよ」と言われ、新しい編集部を与えてもらえることになって。編集部といっても最初は僕一人ですけどね。雑誌自体の方向性を考える経験は初めてでしたが、考えるうちにやりたいことのイメージがどんどん明確になっていって。そうして創刊したのが、スケートボードカルチャーマガジン『SLIDER』とヴィンテージモーターサイクルマガジン『ROLLER』でした。

―雑誌をゼロからつくりあげることって、私たちが想像する以上に大変なことだと思います。たとえば、コンセプトやビジョンはどのように考えていくのでしょうか?

圓角:正直、大して考えていませんよ(笑)。何かを好きなファンがいて、そこに向けた雑誌がないからつくる、という非常にシンプルな話で。たとえば、よく「この雑誌の10年後はどうなっていますか?」という質問をされるのですが、まったく考えていません。一号一号というか、目の前の号しか考えてなくて。だって、いくら未来のことを考えても、実際どうなるかわからないじゃないですか。そうであれば、目先の企画をどう面白いものに仕上げていくか、売り上げをどう伸ばしていくかということの方が大切。その視点さえブレなければ、未来は自然に良い方向性へ進むと思うんです。

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本国『KINFOLK』編集長、ネイサン・ウィリアムスとの出会い

本国『KINFOLK』編集長、ネイサン・ウィリアムスとの出会い

―雑誌『KINFOLK』の日本版を創刊した経緯を教えてください。

圓角:ネコ・パブリッシングのグループ会社が運営する代官山蔦屋書店から、「雑誌の『KINFOLK』から日本版をつくらないかと連絡がきているから対応してくれないか」と相談を受けたんです。2011年当時、『KINFOLK』は洋雑誌として異例の売り上げを記録していて、日本との親和性を感じた本国の編集長であるネイサン・ウィリアムスから直々に依頼があって。すぐにネイサンにメールをしました。「なんか出版したいってことだけど、どうなの?」と伝えたら「うん、そうだよー」みたいな(笑)。ちょうど、そのメールを送った翌週に時間があったので、雑誌の取材を兼ねて、ネイサンに会いにポートランドへ行ったんですよ。

―すごい行動力ですね。

圓角:メールを送った一週間後には、ネイサンとポートランドで食事を囲んでいました(笑)。特に雑誌の話をするというよりも、お互いの趣味や家族の話をしていましたね。食事の終盤に差し掛かったときに、「条件が合えば日本でやろうよ」みたいになっただけで。もちろん、『KINFOLK』の存在は知っていましたが、まさか自分の編集部で日本版を出すなんて思ってもみませんでした。僕が強く共感したのは、雑誌のテーマである「スモールギャザリング」という考え方で。翻訳すると「小さな集い」という意味なのですが、イベントや居酒屋で盛り上がるような集いではなく、恋人や家族規模の小さな集い。親しい人とのつながりを大切にする考え方って素敵だなと思って。

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―たとえば、どういうことでしょうか?

圓角:家で恋人と食事をとろうと考えたとき、ベランダにテーブルと椅子を出してみたり、その季節に合わせた料理を考えてみたり、お気に入りの服を着てみる。それは別に華美とか派手とか、大金を使うということではなくて、ちょっとした工夫を凝らせばできることなんですよね。特別な時間を過ごしたいという想いさえあれば、ライフスタイルそのものを意識するようになり、上質な生き方ができる気がしていて。僕自身、『KINFOLK』やネイサンの考え方から学んだことでもあるので、大切にしたい価値観ですね。

―『KINFOLK』には独特の世界観が明確にありますよね。

圓角:周囲に『KINFOLK』のイメージを聞くと「写真がきれい」と言ってくれるのですが、写真と同じくらい言葉や文章にもこだわっているんですよ。英語を単に翻訳しているだけだと勘違いされがちですが、それはまったく違って、言葉というよりも価値観を翻訳しているんです。それは日本に裁量を与えられているページも同様。たとえば、ファッションブランドの広告を入れる際も、あえて商品を説明せずに、ブランドと生活と紐付けたエッセイを写真に添えています。それは洋服よりも、着る人の意志や生活を伝えることで、結果的に洋服の魅力を伝えられると信じているからです。

—時代やトレンドに流されない価値観を維持するのは、とても難しそうです。

圓角:もちろん時代の変化に伴い、雑誌も変化していくと思います。実際、『KINFOLK』もナチュラルでほっこりしたポートランドの雰囲気から、コンテンポラリーで現代的な内容に変わっていて。読者に共感を求めるより、こちらから提案するスタンスの雑誌へと突き進んでいます。創刊当時から愛読していただいている方々からのご批判は当然あるかと思いますが、それも踏まえて『KINFOLK』なんです。僕らの仕事は雑誌をアレンジするだけではなく、フィロソフィーを伝え、より広げていくこと。変わってはいけない部分と、変わらなければならない部分を慎重に見極めることが、雑誌をつくる僕たちの使命のような気がしますね。

目指すは「雑誌」から「ブランド」へ

—今後、『KINFOLK』として力を入れていきたいことを教えてください。

圓角:実は、『KINFOLK』編集部では雑誌以外にクライアントワークもやっているんですよ。最近だと、ファッションブランドや自動車メーカーなどのカタログ・冊子制作を担当しました。編集部が持つクリエイティブを評価していただいていると思うと、とても嬉しいですね。最近は『KINFOLK』を見ての依頼も増えてきました。自社の雑誌とクライアントワークの手法はまったく違いますが、「伝え、広げる」という目的は一緒。今後も力を入れてやっていきたいですね。

—圓角さんの中で、ロールモデルとして意識している方はいるのでしょうか?

圓角:雑誌『MONOCLE』の創設者であるタイラー・ブリュレですかね。雑誌だけではなく、資金を集めてクライアントと一緒に大きなイベントを開催したり、ショップやラジオスタジオを運営したり、ビジネスマンとしても成功していますよね。周囲を巻き込んで、『MONOCLE』というメディアをブランドにしているのはすごいなと。彼の考え方には毎回ハッとさせられます。

—なるほど。

圓角:そういう意味では、『KINFOLK』というブランドをつくりあげていきたいのかもしれませんね。本国では『Ouur』というファッションブランドを立ち上げたり、イベントを開催したりして、徐々にではありますが、雑誌の枠を越えた世界観をつくりあげようとしています。そういったことに日本も取り組んでいきたいですね。たとえば『KINFOLK』が提案する宿泊施設とか、『KINFOLK』が提案するレストランも良さそう。出版社なのに、出版社じゃないことをするなんて楽しそうじゃないですか。

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—確かに、とても盛り上がりそうです。では、最後に圓角さんの個人的な展望を聞かせてください。

圓角:本気でラジオ番組をつくってみたいと思っています。あの独特の生っぽさというか、ライブ感がめちゃくちゃ好きで。今はラジオを録音できる時代になってしまいましたが、形に残らない「今この一瞬」を大切にするメディアって素敵だなって思うんです。「この後、お聴き逃しなく!」とか、そういうセンテンスもラジオらしくて好きで(笑)。いつか実現したい個人的な目標です。



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