自分のお店を持つ。その夢が叶うまで

プロフィール
中村 裕子

1983年生まれ。多摩美術大学生産デザイン学科テキスタイル専攻卒業後、株式会社イッセイミヤケを経て、2006年有限会社giraffeにデザイナーとして入社。「giraffe」の立ち上げから参加する。現在もgiraffeの全商品のデザインを担当するかたわら、2012年、新ファッションブランド「my panda」を立ち上げて、デザイナーとして活動。

幼い頃から「自分の作った洋服のお店を持ちたい」という夢を抱いてきた中村さん。美大を卒業後、イッセイミヤケに入社し、順風満帆なデザイナー人生がスタートしたかのように見えたが……。思うように仕事のできない葛藤、失われた自信、退職後の工場勤務ーー20代前半はもがいた時期だったという。やがて訪れたスマイルズへの入社という転機から、洋服作りという夢に向かい大きく前進する。ネクタイブランド「giraffe」の立ち上げに明け暮れた日から6年、自身のファッションブランド「my panda」を立ち上げ、夢のスタート台に立った彼女の仕事観を探る。

税理士の家庭で生まれた、純真。

―現在、中村さんはファッションブランドのデザイナーをされていますが、昔からそのような素養があったんですか?

中村:小さい頃からよく絵を描いていましたね。一番最初に洋服をデザインした記憶は幼稚園児の頃で、祖母にお願いして、私が絵に描いたネズミをニットにどーんと入れてもらったんです。自分のデザインが服になったことが、すごく嬉しかったのを覚えています。モノづくりは全般的に好きだったので、中学生になってからは自分で洋服を作るようになりました。生地を染めてスカートを作ったり、シャツを作ったりと。

—そんな小さな頃から、よく作れますね。

中村 裕子

中村:それこそ『Olive』や『Zipper』の影響で、そこに登場する洋服を参考にして作ってましたね(笑)。そしたら親からも友達からも褒められたりして、それもまた嬉しくって。それで中2の時にミシンを買ってもらってからは、さらにたくさんの洋服を作るようになりましたね。その頃から「ファッションデザイナーになりたい」っていう夢を抱いていたと思います。

―なるほど。では、高校卒業後も服飾系の専門学校とか?

中村:いえ、美大に進学しました。本当は専門学校で服作りを勉強したかったんですけど、結構厳しい家庭だったので「せめて大学は出なさい」と親からキツく言われちゃって。私の家族、みんな税理士なんです。それもあって、何か違ったことをやりたかったのかも(笑)。ただ、せっかく大学に行くなら、自分が興味を持てることを勉強したいと思って、服の生地について4年間みっちり勉強できる、テキスタイル専攻のある多摩美術大学へ進むことにしたんです。

―大学では、どんな学生生活を送っていたんでしょう?

中村:私はテキスタイル科の「織コース」を選んだので、1年生のうちは色彩の勉強など基礎的なことを学ぶのですが、2年生になると1人1台、自分専用の織り機が使えるようになるんです。それこそ、「鶴の恩返し」のような機械です(笑)。その織り機を自由に使えるようになって、さらに服を作ることの楽しさが増していって。今考えれば、当時からいわゆるアーティスティックな服ではなく、普段から着るリアルクローズよりの服を作っていました。

―大学卒業後はイッセイミヤケへ、ということですが、それはどういった経緯で?

中村:大学4年時は卒業制作に夢中で、就職活動はまったくしていなかったんです。卒業する3月になってから、「私、4月から仕事とかどうするんだろう……?」って。その頃、あるパタンナーさんの下でバイトは続けていたんです。その方が進路の決まっていない私を心配して、イッセイミヤケでデザイナーを募集していることを教えてくれて、テストを受けに行きました。ご縁ですよね。

社会人一年目からの紆余曲折。

―イッセイミヤケに入社後は、どんなお仕事をしていたんですか?

中村:中学のときから抱いていた「自分で作った洋服を売るお店を持ちたい」という願望を持ったまま入社してしまったので、いま振り返れば本当に青かったなと思います(笑)。もちろん最初から好きなように、洋服を作れるはずなんてないのに。企業に入るというスタンスが、全然わかっていなかったんだと思います。

―では、オフィスでデザイン業務を?

中村:いえ、オフィス勤務と言っても、必ずしもデザインをするわけではないんです。1年目ということもあり、先輩方がスムーズに仕事をできるよう、サポート業務をしていました。それを繰り返しているうちに、「私だって本当はできるのに!」、という想いや葛藤が強くなってきて。その後、小物などのデザインができるようになって目の当たりにしたのが、やっぱり服飾系の学校出身の方は、レベルが高くて追いつけないということ。中にはパリコレを経験している人もいましたし。その人たちと比べて、私は圧倒的にできなかったんです。それが毎日、とにかく悔しくって……。

―その大変な時期をどう乗り越えようとしたんですか?

中村 裕子

中村:頑張っているところを人に見られたくなかったから、誰よりも朝早く会社に行って、ミシン掛けの練習をしていました。負けず嫌いなのでしょうね(笑)。それで、仕事が終わってからは、パターンの勉強に行ったり。毎日、それはもう一生懸命になって勉強して。だけど、世の中の厳しさというか、現実というか、自信という自信をすべてポキポキと折り曲げられた時期でした。

―その結果、およそ1年で退職した、と。

中村:そうですね。それで、自分でできる道を探そうと思ったんです。企業の中で活躍するデザイナーもいるかもしれないけど、私には何か別の方法がきっとあるはずだと。

―なるほど。退職後は、どう過ごしていたんですか?

中村:1ヶ月ほど実家にいて、何もせずに過ごしていました(笑)。あんなにがむしゃらだった私がずっと家にいる姿を見て、母もさすがに心配したのか、埼玉の縫製工場のバイトを勧めてきたんです。縫うのは好きだし、服に関われる仕事ではあるし、とりあえずはそこで働こうって。工場では「この子がどうして?」って思われてたみたいですが、私は職人さん達のレベルの高さに圧倒されて。みんなとにかく作業が速いんですよ。皆さんほんとにいい人達で、どんなときもやさしく接してくれて……。デザインの仕事はもう出来ないかもしれない、「ここで一生働こう」って、思うほどでした。このときは、結構心が折れてた時期だったんでしょうね、今思えば(笑)。

―工場では長く働かれていたんですか?

中村:いや、それが実は全然(笑)。ここでまた転機が訪れて。私がイッセイミヤケを退職したことを心配して、当時の上司が気にかけて連絡をくれたんです。それでいま工場で働いていること話すと、「そんなことしている場合じゃない!」って(笑)。それでネクタイのブランドを立ち上げようとしている人がいるんだけど、会ってみない? と誘われて、その紹介された人が今の代表の遠山でした。

―また、ご縁ですね。

中村:何年かに1回のペースで、こういったご縁があるんです。指定された代官山のオフィスへ行くと、あまりキレイとは言えない、縫われたネクタイがたくさんあって、「これがやりたいんだ!」ってアツく語られて。それで、ネクタイという未知の世界へのワクワクする気持ちだとか、またデザインをやりたいという想いだとか、いろんな気持ちが湧いてきちゃって。それで工場を泣く泣くやめて、「もう一回、デザインでがんばるか!」と思い、giraffeに入りました。

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着る人が喜んでくれることで、初めて完結できる

着る人が喜んでくれることで、初めて完結できる

—giraffeの立ち上げはどんなかたちで進んでいったのですか?

中村:まだモノができていないのに、表参道ヒルズにワゴンショップで店を出すということだけが、すでに決まっていて。つまり、とにかくモノを作らないといけない。当時giraffeには私ともう一人しかいなくて、デザインだけをやっていればいいというわけにもいかず、数字を見たり工場探しまで、ありとあらゆることをやっていましたね。あとは、工場を探すのは本当に大変だったけれど、私自身の工場勤務時代の経験が生きて、結構スムーズに話を進められたり。経験して無駄になることってないんだなぁ……と改めて感じたりして。

—全てが地続きで繋がっているんですね。

中村:それは実感しましたね。それで、一時期この業界から離れていたものの、またデザインを仕事にできるようになった満足感が凄く大きくて。店頭に自分の作ったネクタイが棚に並ぶというのは、昔から「お店をやりたい」と夢みていた私には本当に嬉しい光景でした。だからgiraffe設立当時は、どんなに忙しくても毎日が楽しくてたまらなかったです。

—だけど、そもそもネクタイって男性が使うものですよね。そういった点で苦労はなかったですか?

中村 裕子

中村:デザイン面では苦労しましたね。もともと私は淡い色が好きなんです。だけど、ネクタイって締めるものなので、濃い色合いにしないと、つけた時に全体が引き締まらない。あとは配色の面で、女性向けのデザインをするのとはまったく違っています。だから私は、男性デザイナーには出せないような色合いのネクタイを作っていました。

—たとえばどんなネクタイを?

中村:パステルカラーのネクタイとか(笑)。はじめのころは、自分が作りたいからという理由で作っていました。好きなものをつくれるが嬉しくて、ただひたすら作っていたというか。でも、売り上げの数字を見ていると、売れるものと売れないものとがハッキリ分かってきて。自分が作りたいものが、必ずしも売れるものに直結するわけではない、と自覚したきっかけでしたね。そういった現実と向き合っていると、徐々にどうしなくてはいけないかが、見えてくる。売れるということは、つまり人が喜んで買ってくれるということ。だったら人が喜んでくれるネクタイを作ろう、と気持ちも徐々に変化していきました。

—それは中村さんにとって、大きな変化だったんでしょうか?

中村:そうですね。自分がアーティストだったらそれでいいんですけど、私は違う。その頃から、使ってくれる相手を想像しながら、モノづくりができるようになりました。私の場合、服作りは使う人が喜んでくれたところで、ようやく完結する仕事なんだって。

—giraffeは、立ち上がって何年くらいになるんですか?

中村:2006年からなので、今はもう7年くらいになりますね。これまで何千本のネクタイを作ってきたことか(笑)。だけど、ずっと心に「30歳までに自分のブランドを作りたい」という思いがあって。だから、だんだんネクタイを作る「ネクタイ屋だけで終わっちゃうなんて絶対にいやだ!」っていう気持ちも芽生えてきたんです。とはいえ、giraffeのことは大好きなので、愛着があるから手放せない。でも新しいこともしたい……。凄い葛藤でしたね。そんな焦りから、代表に相談して泣いたこともありましたし(笑)。それもあって、一昨年夏に代表が「1回やってみたら?」と、新ブランド立ち上げに乗り気な様子を見せてくれたことがありました。

—そこからmy pandaの誕生へと結びつくんでしょうか?

中村:いえ、まだです(笑)。当時、2種類の生地を使って作るタイプのネクタイが増えて。代表とそんなネクタイに名前を付けようという話していたら、「2色で可愛いものといえば、パンダじゃない?」ということになって。それでネクタイだけではなく、2色の生地を使ったファッションアイテムを展開するブランドがあったら面白いかも、とか、話がどんどん盛り上がっていたんです。その願望を実現させるため、「FIGHT FASHION FUND by PARCO」という企画に参加しました。資金やビジネスパートナーなどのないファッションデザイナーを応援するマイクロファンドで、「1口3万円で、服ではなく、才能を買う。」という夢のような企画にエントリーしたんです。

いまは夢のスタートに立ったばかり

—それで見事ファンドを勝ち取ったそうですが、今は会社でも事業化されていますよね。

中村:そうですね。最終的にファンドで支援をいただくことになり、多くの方から出資をいただきました。それと同時に会社でも事業として立ち上げることになったんです。スタート当初はこんなに大きなことになるとは、正直想像してませんでしたね。パルコにプレゼンをしてからオープンまで、ありえないくらいの速さで進めて。その間にも大きなプレッシャーを感じて、だんだん怖くなったり。私の頭の中で思い描いているものが、他の人にとっても「いいもの」なのかわからないという不安でいっぱいだったんです。

—オープンするまで、その不安はずっと続いていたんですか?

中村 裕子

中村:とはいえ、洋服ができあがってきてからは、徐々に消えていきましたね。実際に形になって、周りの反応をみることができるようになったのが大きかったかもしれません。店舗の内装や備品なども揃って、自分の想像に近いお店が徐々にできてくるにつれて、もう嬉しくてたまらなくて。だからお店がオープンしたときは、ただただ嬉しくて、本当に幸せでした。

—そんな洋服をつくる上で、どんなことにやりがいを感じますか?

中村:やっぱり街で自分の洋服を着ている人を見かけたときですね。声をかけにいきたくなっちゃいます(笑)。自分の洋服がお客さんの手に渡って、喜んで着てくれているのを見ると嬉しい。やっぱり人をびっくりさせたり、楽しませたり、喜ばせたりすることがやりたいし、それが私の「目的」なんだなって。だから最近は、洋服を作るのもその「手段」のひとつだと思うようになりましたね。

—では、ものづくりの上で、心掛けているルールはありますか?

中村:ルールはたくさんありますね。たとえば、基本的に着る人に前向きになってほしいので、マイナスなイメージを持たれるものは作らないとか。あとは、着てくれる相手を想像しながら作ることも意識しています。なんというか、相手を想像できないものは、作りませんね。基本的にはひとりでデザインをしていますが、自分ひとりの“好き”じゃなくて、いろんな人が着られるようにと広い範囲で考えるようにしています。長く着てもらえるような、いい服を作れるように。

—なるほど。それでは、今後の展望などを聞かせていただけますか。

中村:将来的には幅広い年代の人たちが楽しめる、ファッションショーを開きたいなと思っています。ショーという形はまだ実現していませんが、結局私の根底には、服で人を幸せにしたいという想いがあるんでしょうね。my pandaもスタートしたばかりで、今はまだまだ途中段階にすぎないから、これからももっと沢山の人に愛されるようなブランドにしていきたいですね。



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