会社と小説は似ている?直木賞作家・小川哲が『オルロージュ』 で描く、現実を動かすフィクショナルな要素

いまの時代の風が吹き抜ける小説だ。直木賞作家・小川哲が新たに送り出すのは、あるスタートアップの誕生とその後を描く長編小説『オルロージュ』(講談社)。

10年後に世界一の投資家になることを夢見るキャピタリストの卵・桐田奈南と、研究者である倉敷秀斗のふたりは、「光合成をするコンクリート」を武器に、フランス語で「時間」を意味する「オルロージュ」という会社を起業する。苦難を乗り越え、やがて急成長を遂げていくのだが、なぜか桐田以外の初期社員の姿が消えていき──。

情熱的な青春小説であり、サスペンスでもある。ページを繰る手をとめさせない魅力的な筆致は、ベストセラー『言語化するための小説思考』(同上)の著者ならでは。目標から逆算し、そのうえで未知の領域を探索していく小川のクリエイティビティもまた、非常に現代的である。

起業の世界に、自らが生業としている小説の世界を重ねて語るインタビューから浮かび上がるのは、私たちの社会にとって「会社」とは何かという大きな問いだ。

新聞連載のフォーマットから生まれた、動き続ける物語

─「光合成するコンクリート」を開発・販売しようとするスタートアップをめぐり、多種多様な人々が交錯し、思わぬ展開を見せる魅力的なストーリーです。どのように構想していったのですか。

小川 哲(以下、小川):この物語が生み出された背景や要因はいろいろとあるのですが、まずひとつお伝えするとすれば、もとは新聞連載小説ということが大きかったんです。

ある程度まとめて書いて原稿を渡すにせよ──実際に『オルロージュ』は10日分ぐらいをまとめて渡していったのですが──日々〆切があって、細切れの原稿が掲載されていくというフォーマットであり、それはまとめて一冊の本になったときの書籍というフォーマットとはすこし異なるところがある。連載形式に最適化しすぎると最終的にうまくかみ合わない一方で、紙面で読む人にも楽しんでもらいたい。

どうすれば上手くいくだろう、と連載開始前にすごく考えたんです。成功例として近年最も有名なのは、映画の原作にもなった吉田修一さんの『国宝』(朝日新聞出版)ですよね。

─2017年から2018年にかけて新聞連載された小説ですね。

小川:実は『悪人』(同上)も新聞連載された小説で、同じくベストセラーとなり、李相日監督によって映画化されました。吉田修一さんは新聞連載で代表作を書いている、意外と珍しいタイプの作家の方だと思うんです。

吉田さんはなぜ新聞連載が上手なのかを自分なりに考えてみたところ、『国宝』も『悪人』も、ずっと話が動きつづける小説だということに気づいたんですね。『国宝』は主人公の歌舞伎役者の一代記というかたちでどんどんストーリーが進んでいくし、『悪人』は殺人容疑がかかった男性と、彼と出会った女性ふたりによる警察からの逃避行です。その動きつづける物語が、新聞連載と相性がいいのだな、と。

─ジャーナルと書籍でそれぞれ成立する物語が求められる、と。

小川:起業をめぐる小説になったという要因のひとつが、そこにあるんです。会社を興し、その会社がどうなっていくのかという一年間の物語を細かく割って、視点人物も次々に転じていき、季節が移り変わっていくように、かつ一貫したストーリーの面白さは伝わるように書ければいいのではないかな、と思ったんですね。新聞の一日分の原稿は千字弱ぐらいの字数なのですが、その一回のなかでもきちんと展開が動くようにしていく。起業はそうした「動きつづける小説」にピッタリのテーマでした。

会社のことがわからない。だから小説を書くことで考えたい

─フォーマットからの逆算によって選択されたテーマだったんですね。

小川:もちろん、起業というテーマ自体への強い関心もありました。私の周りにも起業している友人や、ベンチャー企業に参加した友人がいっぱいいます。

ただ実は私自身、会社をつくるとか大きくしていくというのはどういうことなのか、なぜそこに情熱を傾けることができるのか、そもそもその情熱はどんな思いや精神にもとづいていて、時期によってどのような変化があるのかといったことが、よくわからなかった。わからないのならば、小説に書くことで考えてみたいと思ったんですね。

─そうした未知のテーマとしての起業を小説のかたちにすることや、小川さん同様に起業について詳しくないかもしれない読者に伝えるうえで、いろいろと工夫をなされているように思います。ご自身のベストセラー『言語化するための小説思考』(講談社)でも、提示する情報の順序などが論じられていましたが、今回はいかがでしたか。

小川:「起業について何も知らない人物」を序盤で出す、ということでしょうか。小説の中心人物のひとりである研究者・倉敷秀斗は、ある日突然、中学の同級生である桐田奈南に呼び出される。桐田は研究開発型スタートアップを支援するVC(ベンチャー・キャピタル)である「バニシング・ポイント」という企業に勤めているが、倉敷が研究している「カドゥケウス」という光合成をする細菌に興味を抱き、ふたりで「オルロージュ」という会社を立ち上げることになる……という出だしですね。

書きながら物語を動かす。最初に構成を決めない執筆過程

─VCとは「未上場の企業に投資して株式を得て、上場後に売却することで利益を上げる投資ファンド」であることも含め、読者は倉敷と一緒に、桐田が生きるスタートアップの世界に自然と引き入れられていきますね。

小川:その後も倉敷や桐田のみならず、出資者や、「オルロージュ」の中枢に参加する新規メンバーたち、経済雑誌の記者など、いろんなレベルで「オルロージュ」に関わる人たちを登場させ、章ごとに視点人物を変えていくことで、常に物語を動かしています。とはいえ、ほとんど最初は何も決めずに書きはじめたのも事実なんです。

詳細は伏せますが、冒頭の場面と終盤のある場面を描くということ、そして「オルロージュ」が企業として大きくなった中盤の段階で何百人もの規模で行われる社員旅行を書く、ということだけは決めていました。普段から小説を書くときは、それぐらいの構想ではじめることが多いんですよ。そのほうが自分で書いていて楽しいし、面白いので。

─屋台骨だけが準備してあり、詳細なプロットもないというのは驚きです。

小川:ですから、倉敷と桐田が立ち上げた「オルロージュ」という企業にどういう人物たちが参加し、新たな構成メンバーとなっていくのかということは、書きながら考えていったんです。というより、「オルロージュ」という会社がカドゥケウスによる光合成を起点にして新たなビジネスを立ち上げ、広めていくにあたってどのような人材が必要になるのか、倉敷や桐田がそうであったように作者である私にも当初はよくわかっていなかった。

広報から経理まで、こういう人がネクストステップには不可欠そうだ、こんな人がいたら面白そうだ、逆にこのような人物がやってきたら組織に歪みが生まれるんじゃないか、などと考えながら書き進めたんですね。

─だからこそ読者へ提示するものの取捨選択が、都度判断されているようにも感じます。

小川:のちに「オルロージュ」に出資することになるVC「バニシング・ポイント」の共同経営者・上原真那が、ビジネス学校で教鞭をとっているという設定も、スタートアップ界隈の用語などを説明していくうえで授業風景をナチュラルに使うことができる、という意味での選択でした。というのも実は、私がもともと、ビジネス用語がかなり苦手ということがありまして……(笑)。

業界用語はキモい?どの界隈にも独特の言語運用が存在する意味

─起業の世界を小説で描きたいとは思いつつ、ビジネス用語は苦手なんですね(笑)。

小川:そうなんですよ。「リスケ」とか「フィックス」というぐらいでも、個人的にはかなりキビしいんですが……。でもすでに市民権を得ているというか、一般的にはなってきていますよね。

日常的に使われがちということでいえば、ビジネス用語とは異なりますがビジネスパーソンの方が使いがちな「ほぼほぼ」は、はっきりいって嫌いです。「ほぼ」でいいじゃないか、と(笑)。でもたしかに、「ほぼほぼ」でしか表現できないような、どこか責任の所在をあいまいにするようなニュアンスが存在する意義自体は理解できる。加えて、ビジネスの世界に限らず、そうした独特の言語運用があるということの意味も、よくわかる気がするんです。

─いろいろな界隈で、それぞれに独特の言語運用があるだろう、と。

小川:たとえば出版界では「ゲラ」という専門用語をさも当然のように使いますよね。他にも「表1」「表4」ですとか、数えきれないほどいろんな用語がありますし、私も小説家になってから一つひとつ知っていく言葉が数多くありました。そうした用語は業界でのコミュニケーションに必要であるがゆえに使われてきたのだと思いますが、業界の外にいる人が聞いたら「なんだそれ」というものかもしれない。

私は大学で哲学を学んだ人間ですが、たとえばカントが論じた「悟性」という概念も、傍から見れば「ほぼほぼ」と同じようにキモいかもしれません(笑)。そうした専門用語、いわゆるジャーゴンは、どの世界にも存在するし、そのように言葉にされることでしか表現されないニュアンスがあるから用いられてきている。

会社という組織も、実はそういう共有された言葉や目標によって成立していますよね。だったら今回は、エンジェル投資家からディープテックまで、読者の方も一緒にスタートアップの世界の言葉を学べるような構成にしよう、と思ったんです。

「会社とは何か」という問いに「小説とは何か」 を通して向き合う

─そのようにして小川さんが『オルロージュ』を書いていくプロセス自体が、起業をめぐる何かとシンクロしているように感じます。

小川:これはよく話すことなんですが、小説を専門的に書いている私がかろうじて理解できているのは「小説とは何か」、ほぼこれのみなんです。たとえば「会社とは何か」ということについては、実際に会社員として勤めている方々に比べて、深い知識や洞察をもっているわけではない。

だからこそ『オルロージュ』という小説は、私が「そもそも会社って何だろうか」「誰のためにあるのだろうか」ということを考える「器」でもありました。「会社とは何か」という問いが、「小説とは何か」ということに私のなかで重なる部分があると感じたから書くことができた、ということでもあるんです。

─会社とは何か、誰のものかという問いに関しては、創業者たちだけの所有物ではなく、従業員や出資者、商品・サービスの受け手、取引先など、多様な主体が複雑に関係していくものになっていくことが今作で語られますね。それが小説という表現自体にも関係している、と?

小川:「小説は誰のものなのか」と問いを立ててみれば、書き手である私だけのものではないことは一目瞭然ですよね。読者のものなのか、出版社のものなのか、なかなか明確には答えられませんし、だとすれば誰に向けて書くべきなのかも、一概には答えられない。私の本を買ってくれる読者に気に入られるべきだといわれるかもしれませんが、実はその前に、私に仕事をくれる編集者に気に入られるべきかもしれない。本という商品を直接読者に売ってくださるのは書店さんですし、このようにさまざまなアクターがかかわるのが小説です。

小説家という職業は会社という組織から非常に遠いように見えますが、ひとつの商品を売るという意味では近い関係にありますし、会社をめぐる構造からも逃れることはできません。会社が株主のものだと言いきれないように、小説は著者のものだと言いきれない。それが面白いところですし、普段から考えていることでもあります。こういった思考を『オルロージュ』という作品にも乗せていければ、小説として面白くなっていくんじゃないか、と感じていました。

現実を動かすフィクショナルな要素

─想起するのは、自分たちが立ち上げた会社を延命させる=外部から資金調達をしていくために、オルロージュの面々が、ある危険な「賭け」に出るくだりです。ひとつの商品のイメージをうまく操作する……と表現するのみにここでは留めますが、私たちが生きる現実が非常にフィクショナルなものであることを痛感させられます。

小川:現実というのは理想通りに進むことはないですし、そこにはやはりフィクショナルな要素が常についてまわる、ということなのだと思います。小説というフィクションにしたって同じなんです。これが小川哲の美学だ、私はこれが一番面白いと思うんだという小説をただ追求したとしても、その本が売れるわけではない。だから誰もが悪戦苦闘するんですよね。

─フィクションの執筆過程だってフィクショナルだ、と。

小川:どの業界の、どの立場の人でも、そうしたフィクショナルな瞬間は身に覚えがあるものだと思いますし、そのフィクションに消費者や取引相手を巻き込んでいくこともある。それは決して単に、騙す /  騙されるという話ではない。フィクションにお互いが乗っかっていくようにして現実が回っている、という場面は往々にしてあると思うんです。

─他人同士が相乗りできる土台として、フィクショナルな領域があるということですね。

小川:そういうことですね。さらにいえば、自らに対しても虚構的な暗示をかけているとしかいいようのない一歩を踏み出すことは、珍しくない。「これはもっと大きな目標を達成するために避けられないことなんだ」と自分にいいきかせながら、必要悪とさえいえる道を選択する経験は、多くの人がしてきたのではないでしょうか。

その選択を繰り返していくうちに、価値観自体が変容し、内面化されて、何とも思わなくなっていくことだってあるでしょう。大きな理想のために、目の前の小さな瑕疵(かし)が見逃されていくということは、私が小説を書くうえでずっと興味を抱いていることかもしれません。

フィクションといえば、『オルロージュ』を書いていて、お金というものは本当にフィクショナルな存在だという思いを強くしました。いや、より正確にいえば、お金がない人にとっては生活を追い立てるという意味でとことんリアルで、お金を余分にもった人にとっては使いきれないほどに現実味がない、といったほうがいいかもしれません。「通貨」という言葉はまるで「共通言語」のようなニュアンスを感じさせますが、その実、人によ ってまったく別のものを私たちは取引しているのだ、と思わせられますね。

会社を大きくすることは誰かの人生を背負うこと。執筆を通して感じた起業家の逞しさ

─すこし議論を飛躍させますが、社会が会社化しているかのような現代について、どうお感じになりますか。たとえば暗黒啓蒙の急先鋒といえるカーティス・ヤーヴィン(※)は、「CEOが強力な権限をもつ民間企業のような『責任ある君主制』」にアメリカ社会は移行すべきだと論じ(『ネオ君主論 民主主義の敗北とテック右派の時代』大野和基訳、PHP研究所)、一定の支持を集めています。ボトムアップの民主主義社会ではなく、意思決定プロセスがスムーズな企業モデルに移行せよ、という議論ですね。

小川:これからお伝えすることは、いまお話しいただいた内容からパッと思いついたに過ぎないものですし、すで に議論されていることなのかもしれませんが……。企業のメタファーで社会をとらえるならば、その外部に、商品やサービスへお金を出してくれる人がいないといけません。想定される新たな「君主(=CEO)」による「国家(=会社)」は、外部の誰を相手にするつもりなのでしょう。そもそも先ほどから話題に出ているように、会社は誰のものかという問題がある。仮に国民=社員だと想定するのだとしても、外部のさまざまな主体が複雑に入り乱れ、誰のものなのか断定できなくなるのが会社です。

※アメリカの思想家・実業家。既存の民主主義に異を唱え、CEOのような強力な指導者による統治を提唱する政治思想運動「暗黒啓蒙」の代表的な論客。

小川:さらに『オルロージュ』を書いて実感したことでいえば、命令系統が一貫していることによって会社組織が成り立っている、とはあまり思えないんですよね。共通のコアになる目標を共有していることが組織にとっては重要で、ガバナンスはそのあと。スタートアップの社史において初期のガバナンスがグチャグチャだったなんていうのは、よくある話です。では非常に大きな共同体である国家において、ひとつのコアになる共通目標だなんて設定できるのか? そういったことがいま、つらつら頭に浮かびました。

─なるほど……とても示唆深いお話だと思います。最後に、『オルロージュ』を執筆されたうえで、小川さんご自身がスタートアップを立ち上げることはありえると感じられましたか。

小川:いやあ、どうなんでしょう……会社が大きくなっていくということは、誰かの人生を背負うということですが、私には難しい気がします。私が私だけの仕事をするわけにはいかず、私の力量の範疇を超えた仕事をする必要が出てくる。もちろんこのインタビューで話したように、小説は私だけのものでなく、さらには現状でも仕事は手一杯で、いろんな方の手助けをいただきながら書いている。

しかし企業を大きくしていくということは、他人の人生を背負いながら、自分の実力を圧倒的に凌駕した仕事をしていくことを意味しますよね。私には無理でしょう(笑)。でも『オルロージュ』で書いた人々は、そして実際に起業する方々は、そうした逞しさ、ある種の図太さをもった人たちだと思います。

書籍情報
『オルロージュ』

著:小川哲
発売日:2026年9月30日
発行:講談社
価格:2,585円(税込)
プロフィール
小川哲

1986年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年に『ユートロニカのこちら側』で第3回ハヤカワSFコンテストの大賞を受賞しデビュー。2018年に『ゲームの王国』で第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞を、2022年に『地図と拳』で第13回山田風太郎賞を、2023年に同作で第168回直木三十五賞を、『君のクイズ』で第76回日本推理作家協会賞「長編および連作短編集部門」を受賞。他の著作に『嘘と正典』『君が手にするはずだった黄金について』『スメラミシング』『火星の女王』『言語化するための小説思考』などがある。



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