メイン画像:©2025 映画『みんな、 おしゃべり!』製作委員会
言葉が通じない同士は、ともに生きることができるのか?
『みんな、おしゃべり!』は、日本手話、日本語、クルド語、トルコ語、自作言語など、さまざまな「言語」をめぐる言葉の壁をテーマしたコメディ作品だ。ある事件をきっかけにろう者とクルド人が対立し、ろう者、クルド人、その家族を巻き込んだ、「誇り高き小競り合い」に発展する。
映画『みんな、おしゃべり!』予告映像
©2025 映画『みんな、 おしゃべり!』製作委員会
2025年5月にクラウドファンディングを始めると、わずか2週間で目標の300万円に到達。最終的には目標の185%を達成するなど多くの支持を集めた。
また、本作は聴者とろう者に向けた字幕付き上映がすべての劇場で実施されるが、日本手話や日本語の字幕が付いていないシーンがあるなど、限定的であることが特徴の一つ。それぞれの当事者にしかわからない「隙間」をあえて作る試みがなされている。
立場が異なる人同士は完全にわかりあうことはできない。だからこそ、ともに生きるためには何が必要なのか? ろう者を親にもつCODAである河合健監督、ろう文化・表現の観点から作品をサポートしたドラマトゥルク、ろう者への演技指導をつとめた牧原依里、クルド表現を監修したワッカス・チョーラクに聞いた。
当事者を傷つけてしまうかもしれない。覚悟をもって向き合ったコメディ作品
—河合監督は、従来のろう者やCODAを扱った作品に対して、つねに違和感を抱いていたそうですね。どういった違和感があったのでしょうか。
河合健(以下、河合):まず、ろう者の家族が「孤独である」という前提で描かれてきたということ。もちろん構造として社会で孤立する場面はあるのですが、「友達すらいない」といった描かれかたは現実とは全然違うんです。
CODAに対しても、ろう者の親の背中に向かって声をかけることで寂しさを演出するような描写があったり。当事者として、そんなわけないと思うんですよ。
そういった、現実とはかけ離れたドラマチックな描かれ方がいつも気になっていました。これは作り手が意図せずに当事者を傷つけている演出、つまり、表現でなく「ミス」だと思うんですね。
なので、今作ではろう者の方々などを傷つけないように寄り添うというより、傷つけてしまうかもしれない表現を入れる場合には、意図を明確にして取り込むという覚悟をもって向き合いました。
河合健
1989年生まれ、大阪出身。日本映画学校(現・日本映画大学)卒業後、助監督として瀧本智行、熊切和嘉、入江悠などの監督作品に携わる。また、その傍ら制作した自主映画『極私的ランナウェイ』(2012)が『ぴあフィルムフェスティバル2012』、『ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2013』に入選、『ひつじものがたり』(2015)が『ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2016』、『ニッポンコネクション2016』、『カメラジャパン2016』に出品される。『なんのちゃんの第二次世界大戦』(2020)で劇場公開デビューを果たす。ろうの親をもつCODAである。
—傷つける表現とは、具体的にどういった部分でしょうか?
河合:表現ってそもそも人を傷つける行為だと思ってるんですよ。例えば、恋愛映画の主人公が失恋した時に胸が痛くなったり、映画の中のセリフが深く刺さったりすることありませんか? それも傷つける行為ですよね。
じゃあ、意図せずに傷つけることの違いは何かと言うと、観ている「あなた」に向かって表現したものなのか、誰かの感動を生むために自分が利用されたと思わせる表現なのかの違いだと思います。
世の中の映画はマジョリティに向けられた作品ばかりです。当事者を扱う作品があっても、多くは当事者を紹介する映画になっていますよね。それって面白いのはマジョリティであって、当事者の方も「よくぞ言ってくれた!」と喜ばしい部分もあるとは思うんですけど、それは「喜び」であって「面白さ」ではないんじゃないかと疑問に思うときがあったりして。そうじゃなくて、聴者とろう者のどちらにも楽しんでもらえる作品にしたかったんです。
ろう者にとっても、ろう学校のシーンや障害者年金で生きるか否かを話し合っているシーンなど、切迫したリアルな部分を描いています。
だからこそ、実際に悩み苦しむ「あなた」に向けて作ろうと意識しました。ただ楽しいだけでは届かない、「苦しみ」を映画を通して共有することで解放される心の領域ってあると思うんです。
それができているかは観客の受け取り方次第ではありますが、少なくとも本作でいえば、「CODA」「ろう者」「クルド人」を登場させるうえで、そこだけは意識し続けています。
—傷つけてしまうかもしれないという自覚をもちながらも、コメディにしたことで多くの人に届くように思います。なぜコメディという手法を選んだのでしょうか?
河合:暗い話にしたくないというのは一貫してありました。友達がいないような描かれかたをするけど友達はいるし、友達がいれば会話が生まれて明るくなっていくし。あとこれは僕の主観ですが、ろう者の方っておしゃべりな人が多くて、冗談も多い印象なんですよ。そういうリアルなことを盛り込んでいったら、明るくなっていきました。
だから、僕自身は別に「コメディ」を意識したわけではなかったんです。言語はすれ違いを生んだり、直訳すると不自然だったりするから、言語それ自体に喜劇的な要素があるんだと思います。
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ろう者とクルド人の経験は似ている。異なる立場の当事者がいたからこそできた、リアルさと問題提起
—牧原さんはこの映画にろうドラマトゥルク(作品を深化させるためのリサーチや分析をおこなう役割)、演技コーチングとして参加されています。実際にはどのようなことをされたのでしょうか?
牧原依里(以下、牧原):ドラマトゥルクとして、この作品に出てくるろう者や手話、背景に関する部分に矛盾や違和感がないかどうか脚本を精査したり、当日の手話演技のチェックの他、現場の進め方などを助言したりしていました。演技コーチングとしては、演技の基本を叩き込んだ上で、どう演技していくか、脚本や監督の意図を本人たちに丁寧に伝えていくなど、コーチングしていきました。
聴者にとってその手話の演技が自然なのか棒読みなのか判断できないので、それを判断する目が必要。ろう者が見ると下手くそだなと思う手話でも、聴者がみたら「いまのシーンよかった!」と進められてしまうこともあるんです。
牧原依里
1986年生まれ。映画作家・演出家。一般社団法人日本ろう芸術協会代表。視覚と言語としての手話を軸に、身体感覚に根ざした視点から作品を制作。映像やパフォーマンスなど多様な形式を用いながら、作品を通じて現れる「現象」を可視化する装置としての表現に取り組んでいる。
—牧原さんはこの映画のオファーがあったとき、どう思われましたか?
牧原:最初にオファーをいただいたときのタイトルが『私の通訳者』だったんです。CODAは、「通訳者」として描かれる作品が多くていつも違和感を覚えていたので、この作品もそうなのかなと思っていましたが、脚本を読んでいったらそうではないとわかって。とにかく内容とタイトルが一致していないなというのが第一印象でした(笑)。
冒頭で、ろう学校での問題が出てくるんですね。ろう者の母語である日本手話で学びたいのに、学校の先生は日本語対応手話(手指日本語)(※1)で意思疎通を取ろうとする。これは全国のろう学校でも普通にあちこち起こっている現象なんです。実際に、日本手話と日本語対応手話を巡る札幌のろう学校の裁判(※2)も起こっています。その問題を子どもに演じさせることには不安もあったものの、そういうことを描き、社会に問題提起する作品なんだなと感じました。
※1 日本語対応手話:日本語と手話をほぼ一対一に対応させた手話。一方で、「日本手話」はろう者同士の会話で生まれたもので、日本語とは異なる文法をもつ。
※2 札幌ろう学校で起きている裁判。幼い頃から「日本手話」を使用してきた生徒2人が、日本手話で授業をうけられず憲法で保証されている「等しく教育を受ける権利」を侵害されたとして損害賠償を訴えた。2025年9月11日の控訴審判決で札幌高裁は、一審に続き原告の訴えを棄却した。
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牧原:さらに、作中ではろうコミュニティやクルド人の状況について、きちんとリサーチしたうえで描いている。今まで聴者が作ってきたろう者に関する映画って、ろう者一人だけが主役で、そのろう者の友達などが打ち出されることはなかったんですけど、この作品はそれをきちんとやっている。あらゆる面で画期的で、これは私も加わりたいと思って、参加することにしました。
クルド人はろうの世界と似ていると思うことがあるんです。聴者の方は想像することが難しいと思うのですが、ろう者は障害者というより、言語抑圧を受けてきた、国を持たない民族のようなもの。どの国でも同じような抑圧を受けてきた、ろう者の歴史がある。さらに国がないが故に第一言語が日本手話、日本語とバラバラだったり、同じろう者であってもそれぞれの背景が異なる。それもクルドコミュニティが抱えている問題と共通しているなと思います。
—チョーラクさんは今回、クルド表現監修をされています。映画についてどう思われましたか?
ワッカス・チョーラク(以下、チョーラク):すごく良い話だと思いました。言語学者という立場もありながら、自分の母語で教育を受けることができなかった「クルド人」(※)というマイノリティでもあるから、すごく身近に感じたんです。
「7歳から学校に通って、自分が親しんできた言語で指導される」という普通の経験ができなかったという意味ではろう者と同じで、周囲が何を言っているのか全然わからないことも共通していたのではないかと思っています。そういった問題を、寂しさや悲しさというかたちではなく、楽しく見せたのもいいですよね。
※クルド人:トルコ、イラク、イラン、シリア、アルメニア、アゼルバイジャンなど、複数の国をまたぐ「国をもたない少数民族」と呼ばれている。かれらが使用するクルド語はかつてトルコ政府により公的な場で使用することを禁じられていた。
ワッカス・チョーラク
1981年生まれ、トルコ出身。2006年、同国ディヤルバクルにあるディジュレ大学よりトルコ語・トルコ文学学士号および教育学修士号を取得。2009年より日本で暮らす。日本クルド文化協会・事務局長、東京外国語大学クルド語講師。映画『東京クルド』(2021)のクルド語翻訳や映画『マイスモールランド』(2022)のクルド監修も務めた。
チョーラク:以前も日本の入国管理法の問題を描いた映画『東京クルド』(2021)や、難民申請が不認定となった家族の物語『マイスモールランド』(2022)にも携わりましたが、言語の壁やコミュニケーションの難しさを実感しながらも、みんなで仲良くなってコミュニケーションを取れるようになったことが印象的でした。
2022年に公開された映画『マイスモールランド』。日本で普通の高校生活を送っていた主人公が、あるきっかけで在留資格を失い、当たり前の生活が奪われてしまう。
—本作は16年にわたる構想だったそうですね。16年前と比べて、国内でのクルド人へのヘイトは悪化しているように感じます。制作や宣伝において気をつけたことはありますか?
河合:16年と言っても、クルド人家族の設定が生まれたのは、今から5年くらい前だと思います。ただ、その間も急速に悪化している印象はありました。なので、予告編やSNSに関しては気を遣いました。本作に出てくるクルド人の役柄は善人というわけではないので、一部だけ切り取って引用されたりすると嫌だなと思って。本当は使いたかったけれど使用しなかったシーンもあります。
チョーラク:いまはヘイトスピーチが溢れる社会になってしまっていますが、差別をする人たちは当事者と話さないまま発信しているんですよね。でもきちんと話し合えばわかる。
この映画のクラウドファンディングもすぐに目標を達成したし、じつは大きく見えるヘイトの声のほうが、私たちよりマイノリティなんじゃないかと思うことすらあります。
「わからない」「理解できない」は当たり前。拒絶せず、違いを受け入れるために必要なこととは?
—撮影現場では、都合の悪い情報を割愛して翻訳してしまうことで現場が混乱した場面もあったそうですね。
河合:プロのクルド語通訳が現場にいなかったので、クルド人キャストの撮影はワッカスさんや日本語がわかる出演者に間に入ってもらうなどして進めました。セリフを言い間違えても日本人はわからないから、自己申告制で。撮影に慣れた手話通訳の体制と違い、クルドチームは指示ややりとりが要約されて伝わって齟齬が生まれたりして、とにかく四苦八苦しましたね。
多言語の現場で指示をすべて翻訳していくと、通常の映画より3倍くらい時間がかかる現場になってしまうんです。なので、撮影のスピードとしてはかなりゆっくりで、説明の時間に多くを費やしました。
牧原:以前携わった作品でも、時間の都合で正式な手話通訳ではなく、制作スタッフであるCODAの当事者がその場で要約して通訳を始めてしまったことがありました。
私自身、親がろう者で、現場が混乱したときに難聴の姉がその場を収めるために通訳めいたことをしてきた姿を見てきた経験もあって。「事を大きくしたくない」という気持ちから、聴者の発言を補足したり、逆に省いたりしたくなるのだろうなと感じています。
しかし、その行為は結果的に、ろう者と聴者の間に分断を生みかねません。もちろんその行為によって良い結果につながる場合もあるのでケースバイケースですが。
作中でも、主人公の夏海が場を荒立てないために要約して伝えてしまうシーンがあります。当事者が実際に抱える葛藤や問題をリアルに描いているので、観客の皆さんにもその現実を知ってもらうきっかけになればと思っています。
©2025 映画『みんな、 おしゃべり!』製作委員会
—『みんな、 おしゃべり!』の特徴として、基本的に登場人物と同じ第一言語をもつ当事者が出演していたことが挙げられます。制作面でも、牧原さん、チョーラクさんが携わるなど、さまざまなバックグラウンドをもった人が現場にいたと思いますが、だからこそ気づけたことはありますか?
河合:牧原さんも言っていたように、この映画のタイトルは、はじめは『私の通訳者』でしたが、「CODAはつねに親の通訳者である」という価値観の植え付けにつながることから変更しました。次に候補に上がったのが『マザータング / Mother Tongue』。これも、「母という価値観の押し付けにつながる」「口話が語源でありろう者を排除している」との意見から、最終的に『みんな、おしゃべり!』になりました。タイトルだけではなく、撮影のなかでもろう者やクルド人の表現に対して違和感を覚えるところは指摘してもらって。
僕は基本的に、明確に意図とズレないのであれば受け入れるスタンスです。なぜなら、僕はクルド人のことはわからないし、ろう者のこともわからないから。同時に、お2人もCODAである僕のことはわからないんです。
この「わからない」「理解できない」を自覚して違いを受け入れることが重要だと思っていて。でもいまの社会では、相手を理解しようとして、理解できなかったら拒絶する、みたいな動きがあるじゃないですか。わからないことを自覚できないって、すごく危険だと思います。
牧原:わからないけど、「わからない」で終わるんじゃなくて、どうやって違いを受け入れるかということを考えることが必要だと思うんですよね。
本作も、字幕がつかない手話やクルド語での会話がある。そして音は聴者にしか聞こえないですよね。つまり、それぞれの見方が違うという仕組みを作っている。だから映画を観た人は、コミュニケーションを取ったら通じ合えるんだという経験と、でも結局わかりあえないよねという経験、2つを実感してもらえるんじゃないかなと思います。
—「言語の壁があってもわかりあえる」という希望を感じたのですが、わかりあえないことを示したのはどのような部分だったのでしょうか?
牧原:手話のすべてに字幕がついていたわけではないので、手話がわからない聴者の方は何を言っているのかわからなかったシーンがあると思います。
この映画を観て「わかった」と思ったとしたら、わからなかった部分があることに気づいていない。マイノリティが話している内容をスルーしてしまっている。それこそがマジョリティーの特権なんですよね。
この映画を観た人は、ぜひろう者、クルド人とも感想を言い合ってほしいです。自分がわからなかった部分や3者の視点を共有してはじめて、本作の本質がわかると思うんです。
河合:本作で登場するろう学校の生徒は人工内耳をつけている子どもは音声言語、つけていない子どもは手話言語を使っています。聞こえない子もいるのに、先生は黒板のほうを向いて少し話す。大事なことは話していないにしても、聞こえる子はくすくす笑うことができて、聞こえない子は何で笑っているのか理解できない。そういう小さなことでろう者の子どもは孤立してしまうんですね。これは映画の中だけの設定ではなく、現実に起きていることなんです。
©2025 映画『みんな、 おしゃべり!』製作委員会
河合:夏海の父も、人工内耳が増えていくことに泣きながら感情を吐露しています。人工内耳については一言では片付けられない複雑な問題があり、その問題は聴者優位の社会が起因となっていると思っているのですが、夏海の父の感情や学校で起きる問題は、聴者にはたぶんわからない人が多いんですよね。
でも、この映画はそういう作りなので、わからなくていいと思うんです。ただ、自分にはわからない領域があることに気づいてほしいなとは思っています。そういう意味では、ろう者は自分がわからない部分に自覚的ですが、聴者は無自覚な人が多い。頑張れば全部理解できると考えている聴者が多い気がします。それが牧原さんのいうマジョリティの特権なんだと思います。
あと僕は、「わかってもらいたい」より「わかられてたまるか」っていう思いが強くて。本作の主人公である夏海もそうなのですが、理解された気になりたくない。それが字幕の演出にも出たのかもしれないです。
—わからないまま進めてしまうという意味では、マイノリティと共存するまちづくりを目指すなかで、ろう者にもクルド人にも納得されないままプロジェクトを進めてしまう民間企業の存在も印象的でした。
河合:多様性が世間で注目されてきていて、もちろんプラスの面もいっぱいあるんですけど、本質じゃなくて上辺だけで進んでいってしまっている感覚があって。でもそういった人たちも「向き合いたい」「なんとかしたい」っていう強い想いはもっているんですね。
そういった、悪意のない差別が起こってしまう現代社会を見ていて、自然とこのエピソードが浮かびました。
©2025 映画『みんな、 おしゃべり!』製作委員会
—終盤のシーンでは、大人たちが自力でコミュニケーションを取っていく姿が印象的でした。夏海とヒワがいないところでの共存を描いたのはなぜでしょう?
河合:夏海とヒワを子どもでいさせたかったからですかね。
僕自身も、小さいころから「将来はお医者さんだね」とか、大阪から東京に来たときは「お母さんを置いていくなんてひどい」と周囲から言われてきて。「なんで勝手に決めつけられるんだろう」とずっと思っていたんです。自由に見られたかったから、2人にも大人にならずにわがままでいてほしいと思っていました。
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河合:あと、ろう者やCODAを題材にしたときによくある、CODAが通訳者になって解決するといった展開にしたくなかったんです。マイノリティ同士には物事を解決できないという発想になってほしくなかったし。
しんどすぎて「二度とやりたくない」と思ったが、本当に平和的だった
—「仲直り」したように見えたろう者とクルド人も、完全にわかりあえたわけではありませんよね。先ほども他者は「わからない」ものだと話していましたが、それでも、立場の違う人と共存していくことは必要だと思います。そのためには何が必要なのでしょうか?
河合:目の前に人がいても、その人の「情報」を優先するような世の中だと感じていて。情報ではなくまず「目の前の人と向き合ってみる」ことの重要性に1回立ち返った方がいいんじゃないかとずっと思っています。
向き合わないほうが楽なんです。実際本作の現場は多言語が飛び交っていたのでみんな本当に疲弊していて。しんどすぎて「もう二度とやりたくない」と思ったくらいですから。でも、1年後にメイキングを見たら本当に平和的だったんですよ。
物事は簡単には変わらないし、向き合うことには努力や根性が要ります。みんな簡単にゴールを目指そうとするけれど、多分ゴールなんてないんです。だからこそ、わからないからと拒絶するのではなく、向き合い続けることが必要なのではないでしょうか。
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チョーラク:ネット社会はまさに、意見の違う人たちがぶつかる場ですよね。いままで発言ができなかった人も意見を発信できるようになったという面ではいいのかもしれない。でも、そのなかには、自分の顔と名前を出さず、匿名で誰かを傷つけるような発信をしている人もいる。自分の苦しさを誰かのせいにしている部分もあるのではないかと思います。
そういう人たちは、コミュニケーションをとる姿勢があるようには見えないんですよね。でもコミュニケーションをとれば、実際は自分の想像と違っていたことに気づけると思います。
実際に、ネットの情報だけを見てクルド人に差別的な意見を持っている人と一緒に現場を見に行ったことがありました。その方は、現場を見て、間違った認識をしていたことを認め、謝ってくれたんです。
本音をぶつけてはじめて「対話」が始まる。目の前の人と向き合うことと「優しい言い方」への疑問
牧原:いまの日本は、何も言わない人が多すぎるなって思っていて。伝え方に関しても「優しいほうがいいよね」という考えが多いですよね。正しいことを言うんじゃなくて、優しく言うことが正しいとされているから、SNSでも言い方ひとつで簡単に炎上してしまう。
それはある意味、抑圧なのではないかなって。優しく言いたい人は優しくすればいいし、怒って伝える人がいてもいいと思うんですよね。 怒っている人がいたとしたら、その人が怒っている言動に目を向けるよりも、「何で怒っているのか」という部分にもっと想像力を働かせなければならないと思うんですよ。
優しく言うことですべてが解決できるなら、戦争や虐殺は起こっていない。
牧原:本作では、物語のなかでもそうですが、実際の現場でも、すぐ怒ってしまう人、仲介となる人などいろいろな人が出てきて。でもそうやって相手に感情をぶつけられるのはある意味恵まれた環境なんじゃないかと思いました。
SNS上じゃなくて、目の前の相手に怒ることができる。それは相手を信用しているからだし、本音をぶつけ合った先に、また笑って関係を続けていける、その積み重ねが、「対話」にもつながっていくんだと思うんです。
- 『みんな、おしゃべり!』
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2025年11月29日(土)からユーロスペース、シネマ・チュプキ・タバタほか全国順次公開
監督:河合健
脚本:河合健、乙黒恭平、竹浪春花
プロデューサー:小澤秀平
ろうドラマトゥルク・演技コーチング:牧原依里
クルド表現監修:Vakkas Colak
手話指導:江副悟史
ろう俳優コーディネート:廣川麻子
出演:長澤樹
毛塚和義
那須英彰
今井彰人
板橋駿谷
小野花梨
Murat Çiçek
ユードゥルム・フラット ほか
企画・配給・製作プロダクション:GUM 株式会社
配給協力:Mou Pro.
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(日本映画製作支援事業)|独立行政法人日本芸術文化振興会
主に聴覚に障害のある方を対象に、会話や環境音をリアルタイムに文字起こしし、雰囲気までオノマトペやアイコンで表現するアプリケーション「YYSystem」をYYレセプションとしてユーロスペース、シネマ・チュプキ・タバタのチケット窓口にて導入予定。(期間未定)映画本編でも使用されており、聴者がスマホやiPadにダウンロードしておけば、音声が即座に「文字化」される。
- プロフィール
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- 河合健 (かわい けん)
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1989年生まれ、大阪出身。日本映画学校(現・日本映画大学)卒業後、助監督として瀧本智行、熊切和嘉、入江悠などの監督作品に携わる。また、その傍ら制作した自主映画『極私的ランナウェイ』(2012)が『ぴあフィルムフェスティバル2012』、『ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2013』に入選、『ひつじものがたり』(2015)が『ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2016』、『ニッポンコネクション2016』、『カメラジャパン2016』に出品される。『なんのちゃんの第二次世界大戦』(2020)で劇場公開デビューを果たす。ろうの親をもつCODAである。
- 牧原依里 (まきはら えり)
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1986年生まれ。映画作家・演出家。一般社団法人日本ろう芸術協会代表。視覚と言語としての手話を軸に、身体感覚に根ざした視点から作品を制作。映像やパフォーマンスなど多様な形式を用いながら、作品を通じて現れる「現象」を可視化する装置としての表現に取り組んでいる。
- ワッカス・チョーラク
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1981年生まれ、トルコ出身。2006年、同国ディヤルバクルにあるディジュレ大学よりトルコ語・トルコ文学学士号および教育学修士号を取得。2009年より日本で暮らす。日本クルド文化協会・事務局長、東京外国語大学クルド語講師。映画『東京クルド』(2021)のクルド語翻訳や映画『マイスモールランド』(2022)のクルド監修も務めた。
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