細田守監督の代表作『時をかける少女』公開から今年でちょうど20年。「細田守の原点/展」と銘打たれた展覧会がスタートした。
『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』という監督作品初期3作で構成される本展。300点以上の原画や映像、さらには美大時代の作品までをとおして、細田監督がこれまで生み出してきた作品たちの「原点」を知ることができる。
今回は展示を巡りながら細田監督にインタビューを実施。家族、青春、女性の描き方、そして最新作『果てしなきスカーレット』で正面から描かれた「生と死」や戦争まで。20年の歳月のなかで細田守監督が変わらず見つめ続けてきたものと、変化してきたものについて、じっくりと話を聞いた。
若い人たちの生命力を描きたい。初期から変わらない作品テーマ
ー今回の展覧会では『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』で構成されていますが、この3作品が細田さんにとって「原点」と位置づけられているということでしょうか?
細田守(以下、細田):いままで自分の原点について考えたことがなくて。新しい作品を作るのに忙しくて振り返っている暇がなかった。むしろ作り終えたらすぐに忘れるようにしていたくらいなんです。
でも、「原点」というテーマで展覧会をやりましょうとお声がけをいただいたとき、やっぱりそれは『時をかける少女』からの3作品になるなと思いました。
ー今回、ご自身の振り返ってみて3作品に共通する、もしくはそれ以降の作品においても持ち続けているテーマや軸はあると感じましたか?
細田:あるかもしれませんね。展示を機に振り返ってみたら、意外と一貫してるなぁと。自分で言うのも変なんですけど。
共通することの一つは、学生とか子どもとか、若い人たちを応援したいなと思って描いているというところです。『時をかける少女』も、公開当時は「監督はタイムリープに興味があるんだ」とか「胸キュンの恋愛ものに興味があるんだ」なんて言われちゃいましたけど、そういうことではなく、青春時代のみずみずしい魂を描けたらという思いがありました。
細田:あと、よく言われるのは「家族」ですよね。いまだとわりと普通ですけど、昔はあんまりアニメーション映画で家族を描くことってなかった。特に『サマーウォーズ』のときなんか、家族を描いたオリジナル映画作品はほとんどなくて、「変わった映画を作っているなぁ」と自分で思っていたくらいですから(笑)。
たとえば宮崎(駿)さんの映画にも家族ってほぼでてこないですよね。家族を描いているのはどちらかと言えば高畑(勲)さんのほうで。高畑さんが描いてきたものの延長線上に、ひょっとしたら自分の作品もあるのかもしれないですね。
世界で起こっている戦争を、対岸の火事だと思いたくない
ーこれまでもインタビューで「家族」についてお話されていらっしゃいますよね。たとえば『未来のミライ』は娘さんの誕生がきっかけで描かれた物語とのことですが、ご自身の身近な出来事から物語のテーマや種を探すことが多いのですか?
細田:それはすごくあると思います。『サマーウォーズ』は、自分が結婚したのがきっかけです。結婚したら急に親戚が2倍以上になるという不思議さ、奇妙さが面白いなと思ったところからスタートしています。
『おおかみこどもの雨と雪』は、母が亡くなったことがきっかけで作ろうと思った作品なんです。母が危篤だと連絡を受けたとき、『サマーウォーズ』の仕上げ作業中で一睡もできないギリギリの状況だったので「とてもじゃないけど、こんな進行状況では(富山に)帰れない」と言ったら、叔父に「帰れないじゃないだろ、バカヤロー!」って怒られて。4日間だけ休みをもらって、喪主を務めるために富山に戻ってお葬式を出しました。そのときの気持ちや体験が、母についての映画を作るきっかけになったんです。
まさか自分の母についての映画を作るとは思ってもいなかった。でも、母が亡くなってしまうと、自分は母の幸せにどれだけ貢献できたかのか、何もできてないんじゃないか、とすごく後悔して。そういう思いから描きはじめました。
ー「家族」や「成長」といった身近なテーマを描いてこられたなかで、『果てしなきスカーレット』では戦争や生と死という、より大きなテーマに踏み込まれています。なぜこのタイミングでそうしたテーマに向き合われたのでしょうか?
細田:多分、戦争が多い時代だから、僕自身が反応したのかなと思います。
いま世界のいたるところで戦争が起きていますが、戦争って家族や友人など身近な人がいきなり亡くなってしまうことが当たり前に起きますよね。だから、「家族」や「青春」を描いてきた僕の作品と、いま世界で起きていることは全然無関係じゃない。ほかの国で起こっている戦争を、対岸の火事だとか、よその世界の話だというふうには思いたくなかった。
漫画やアニメってどうしてもエンターテインメント的に現実逃避な側面があって、現実の難しい問題から距離を置くべきだ、という考え方ももちろんあるのですが、だとしても距離を置きすぎなところもあって。
社会とのつながりをちゃんと持ったアニメーション映画があってほしいと思っているんです。現実逃避のための作品が別にあってもいいのだけど、それだけじゃなくて、「僕たちはこんな世界のなかで生きているんだ」という話を、アニメーションとしてどう表現するかということも大事なんじゃないかと思うんです。
テーマは変わっていますが、そういった思いは『時をかける少女』からずっと一貫しているかもしれませんね。
『時かけ』真琴は『ハウル』ソフィーから生まれた
ー細田監督が以前、インタビューで「『時をかける少女』は『ハウルの動く城』のリベンジマッチだった」(※)とお話されていました。細田監督がやりたかったことが、ジブリのスタッフにははまらなかったという記述もありましたが、どういったことをやりたかったのでしょうか? 『時をかける少女』でどう実現されたのですか?
細田:今回の展覧会のキャプションにも書いてあるんですけど、東映動画時代に演出を担当した『おジャ魔女どれみドッカ~ン!』第40話『どれみと魔女をやめた魔女』という作品を経て、『時をかける少女』ができたんです。
『どれみと魔女をやめた魔女』には『ハウルの動く城』でできなかったことが流れ込んでいるんですよね。『ハウル』のソフィーは、少女でありながら同時に老婆でもあるという二重性を持った人物です。それを面白く、興味深く描こうとしたけどできなかった。その後悔や不完全燃焼な思いが『どれみ』に流れ込んでいて。
※『ハウルの動く城』は宮崎駿が企画を立て、東映アニメーション所属だった細田守を監督に招聘し、東映からジブリへ出向というかたちで制作がスタート。しかし完成には至らず、最終的に監督・脚本は宮崎駿に交代し、2004年に公開された。
細田:その第40話というのは、魔女見習いの少女・どれみが、佐倉未来という「魔女をやめた魔女」と出会うという物語なんです。少女で魔女見習いのどれみと、長い時間を生きた魔女の未来、この2人のキャラクターが対話することによって、ソフィー1人で表現しようとしたことが、すごくうまく表現できたんです。
肉体と気持ちのずれ、少女であると同時に老婆であること、年をとること / とらないことの意味ーーそういったことの一部が、思っていたとおりに表現できた。この成功体験があってできたのが、『時をかける少女』です。
まわりの人からは、「細田は『時をかける少女』が作りたくてこの『どれみ』を作ったんじゃないの?」なんて言われましたし、実際『どれみ』があったから『時をかける少女』も生まれたのだけど、どちらの作品も『ハウルの動く城』のリベンジマッチをしたような気分だったんですよね。
ーということは、ソフィーと(『時をかける少女』の)真琴は地続きということですよね。細田監督の作品は女性主人公がいきいきと活躍しているのが印象的ですが、女性の描き方で大切にしていることはありますか?
細田:女性だからというよりは、僕自身がどう生きたいか、を結構反映していると思います。昔からアニメでよくある男性目線で描いている女性像が苦手だったんです。女性を差別的な目で見ているような気がして。僕自身、性別を問わず社会的な差別、無意識の差別っていうのが好きじゃないんですよね。
だから女性を描くときも、「女性として描く」というよりは、1人の人間として描きたいっていう思いがすごくあります。「自分がもしも女性だったら」と考えたときに、女性の生き方って想像した以上の抑圧を受けていると思ったし、自分だったらそういうものから解放されたいと思うだろう、という考えを映画のなかで表現しているのだと思います。
細田:これまで女性の描き方に関して、「表現が足りない」「艶が不足している」みたいなことを言われたりもしましたが心外でした。男性目線の表現にならないように丁寧に描いているのに。ある意味、アニメ界とか男性社会に対しての、「よくあるもので商売しよう」みたいなものへの反発があったんだと思いますね。
娘が生まれてから作った『未来のミライ』では、「男性社会に負けずに生きてほしい」「できるだけ抑圧されるようなことなく生きてほしい」という祈りみたいなものが加わりました。
描くべきことを描く。これまでも、これからも変わらないアニメーションとの向き合い方
ー最後になりますが、今回「原点」というテーマで20年を振り返ってみて、ご自身にとってアニメーションとは何だと思いますか。
細田:繰り返しになりますが、振り返ってみると描いてきたものは意外に一貫していて、その一つは若い人たちのみずみずしさとかバイタリティーを映画で表現したいなということですね。(『おおかみこどもの雨と雪』の展示を指差しながら)例えばこうやって、雪山を走っているだけのシーンでも、そこに一種の「生きることの喜び」が表現できたらいいなと思って描いているんです。
ただ、それを「生きることは喜びである」と言葉で言ってもつまらないわけです。映画のなかで、言葉を使わずにどう表現するか。この作品は僕の母への思いが出発点になっているわけだけど、母が「生きるのは喜びだ」なんて言っていたわけじゃない。言葉じゃないところで母から受け取った何かを、映画として伝えようとしたんじゃないかという気がします。
細田:今回、映像と一緒に原画も展示されていますけど、どのシーンも「生きてる、生きてる」って絵で言ってますよね。それがわかる展示になっているのが嬉しいです。アニメーションの画面だけだと伝わらないことも、こうやって原画と一緒に見ることで、いかにアニメーションが生命力や生命について描くことに向いているかがわかる。アニメーションの特性と、生きる力やみずみずしさを描くということは、すごく親和性があるんですね。
だから自分の描きたいものを描ける場所が、アニメーションなんだろうと思います。
これまでは、新作にとりかかるたびに、なるべく「違うことをやろう」「いままでに描いていないことを描こう」と気負っていましたけど、結局、同じところに繰り返し立ち戻っていますよね。孫悟空がどれだけ暴れ回っても、結局お釈迦様の手のひらの上だった、みたいな話で。なのでこれからも自分の描くべきことを描く、ということかなと思います。
- プロフィール
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- 細田守 (ほそだ・まもる)
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1967年生まれ、富山県出身。91年に東映動画(現・東映アニメーション)へ入社。アニメーターおよび演出家として活躍。『時をかける少女』(06)、『サマーウォーズ』(09) を監督し、国内外で注目を集める。監督・脚本・原作を務めた『おおかみこどもの雨と雪』(12) 、『バケモノの子』(15)は大ヒットとなり、『未来のミライ』(18)ではアニー賞を受賞、米国アカデミー賞長編アニメーション作品賞にもノミネートされた。『竜とそばかすの姫』(21)では、カンヌ国際映画祭のオフィシャル・セレクション「カンヌ・プルミエール」部門に選出。『果てしなきスカーレット』(25) では第53回アニー賞長編アニメーション部門において、インディペンデント作品賞・監督賞・脚本賞の3部門に選出され、世界中で注目を集めている。
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