東宝の特撮映画『ガス人間第一号』を現代に蘇らせたNetflixのオリジナルシリーズ『ガス人間』が配信された。『ゴジラ』の本多猪四郎監督、円谷英二特技監督が1960年に送り出した東宝特撮の伝説的な一作だ。
日韓のクリエイターが共同制作し、脚本・プロデューサーは『新感染 ファイナル・エクスプレス』などで知られるヨン・サンホ、監督は『ガンニバル』などを手がけた片山慎三が務めた。
蒼井優が演じるのは、鋭い正義感と深い秘密を同時に抱える記者・甲野京子。1960年に生まれたSFスリラー作品を現代へどう再解釈したのか。日韓共作だからこそ生まれた創作の裏側や、作品に込めた思いとは? 脚本段階から蒼井へのオファーを決めていたというヨン・サンホと、「今後の俳優人生でもう一度あんな経験ができるのかわからない」と振り返る蒼井に聞いた。
印象に残った『スパイの妻』。蒼井優起用の背景
—ヨン・サンホさんが本作の脚本を書きながら、最初に思い浮かんだ俳優が蒼井優さんだったそうですね。
ヨン・サンホ(以下、ヨン):まず、私自身が蒼井優さんの大ファンなんです。韓国でも、映画制作者のあいだではとても有名な俳優ですし、蒼井さんの映画は『リリイ・シュシュのすべて』(2001)からはじまって、ほとんど観ていると思います。その中でも強く印象に残っているのが、『スパイの妻』(2020)でした。韓国ではそれほど大規模に公開されたわけではないのですが、なんとか観たくて妻と一緒に劇場に行ったら、蒼井さんがとても心に残る演技をされていて。
そういった個人的な思い入れもあって、甲野京子という複雑な人物を描くとき、最初から蒼井さんを想像していたところがありました。それで片山慎三監督に相談したところ喜んでくれて、とても嬉しかった記憶があります。
ちなみに今、韓国では公開20周年を記念して『フラガール』(2006)がリバイバル上映されているんですよ。当時から『フラガール』は、『Love Letter』(※)とも並んでとても人気の日本映画でした。
蒼井優(以下、蒼井):嬉しいですね。
(※)1995年に公開された岩井俊二監督の長編デビュー作。中山美穂、豊川悦司出演。1999年に韓国で公開され大ヒットを記録した。
ヨン・サンホ
—蒼井さんは今回ご一緒する前に、ヨンさんの作品や作家性にどのようなイメージを持っていましたか?
蒼井:やはり一番に思い浮かぶのは『新感染 ファイナル・エクスプレス』(2016)でした。ただああいうVFXを多用するような大きい作品は、私はあまり経験したことがなくて。いつも目の前にある小さなニュアンスを拾って拾って……というお芝居をやってきたので、今回は実際に見えないものを想像しながらお芝居するという点で挑戦だろうなと感じていました。
—実際に、ヨンさんが書かれた脚本を読まれた印象はいかがでしたか?
蒼井:私が触れたことのないようなダイナミックな飛躍があるけれども、その奥にはものすごく繊細な揺らぎも感じる台本でした。VFXを想像しながらやらなくてはいけないということに関してはやはり新たな難しさはありましたが、甲野京子という人物を演じるにあたってはいつもと変わらず、人間というものと向き合う作業だったと思います。
マイノリティや個人の物語をSFジャンルで描く
—原作である『ガス人間第一号』(1960)について、ヨンさんはその本質を、SFやスリラーでありながら人間の感情を描くヒューマンストーリーにあると話されていたかと思います。今回Netflixシリーズとしてリブートするにあたって、その「原作の核」をどのように受け継ぎ、現代の物語へ置き換えようと考えたのでしょうか?
ヨン:『ガス人間第一号』でまず面白いと感じたのは、ある種のメロドラマであるという点でした。片山監督と話すなかでも、その「メロドラマとしての感受性」は失わないようにしたいと考えていました。原作におけるガス人間は、愛のためならすべてを捧げることができる、非常にロマンティックな人物です。今回のリブートでは、物語そのものは原作から大きく変わっていますが、そうした情緒やロマンティシズムはきちんと受け継ぎたいという思いがありました。
一方で、今回は全8話のシリーズでもあるので、物語全体にはさまざまなスリラー的要素も入っています。その中心にどんなテーマを置こうかと考えたとき、奥田英朗さんの小説『オリンピックの身代金』(※)に描かれているテーマ性をベースに、物語を組み立ててみようと思いました。
(※)『オリンピックの身代金』……2008年11月に角川書店より単行本として発売された奥田英朗による作品。兄の死をきっかけに社会の底辺というべき過酷な労働現場を知った東大生が東京五輪に憤りを抱き、テロリストとなっていく。
—ヨンさんはこれまでも、ジャンル作品のなかで社会の不安や集団心理、権力のあり方を描いてきた映像作家だと思います。今回『ガス人間』では、日本社会を舞台に「権力に覆い隠される搾取」や「恐怖や不安が政治的に利用されていく構図」なども描かれていますが、韓国の作り手として外側から日本社会を見たときに、どのような部分をこの作品に反映したいと考えましたか?
ヨン:『オリンピックの身代金』をベースにしたと言いましたが、韓国にもよく似たテーマの作品として、『上渓洞オリンピック』(1988)というドキュメンタリー映画があります。1988年ソウル五輪を前にした都市再開発のもとで、生活の場を奪われた上渓洞の住民たちの抵抗を記録した作品で、大義の陰で貧しい人々の生活が切り捨てられていく構造が映し出されているんです。そういった作品を観て、どんな社会であっても似た部分があるという感覚を持っているのですが、それは『ガス人間』の物語や設定にも反映したいと思いました。
そのうえで、今回はマイノリティや個人の物語を『ガス人間』というSFジャンルを通してどう描くのかという葛藤がありました。蒼井優さんが演じる甲野京子という人物を通じて、それをどう劇的に展開していくのかということも。その葛藤を脚本の中でうまくかたちにしたいと思いました。
—今回は初めて日本を舞台に脚本を書かれたわけですが、自分と異なる文化圏を舞台に物語を書く面白さや難しさをどのように感じましたか?
ヨン:私はもともと日本映画や日本のドラマが大好きで、日本のジャンル小説にも親しんできました。なので基本的な情緒という意味では、韓国と日本にそれほど大きな違いはないだろうと思いながら脚本を書き始めました。ただ、やはり私は日本人ではないので、細かなディテールまではわからない部分もあります。そうした点については、日本側のプロデューサー陣がとても丁寧に意見を伝えてくれました。
また演出を担当された片山監督とも、かなり長い時間をかけて脚本について話し合いました。最近、韓国語字幕のついた完成版を観たのですが、自分が書いた脚本が日本の作品として非常にうまくローカライズされていると感じたのを覚えています。自分では想定していなかったニュアンスの台詞もたくさん加わっていましたし、おそらく片山監督が現場で俳優の皆さんと話し合いながら、細かな部分を埋めていってくださったのでしょう。その点については、とても感謝しています。
以下、物語後半の展開について触れています。
「特別な撮影だった」ガス人間と対峙する終盤のシーンについて
—甲野京子という人物は非常に複雑な役ですよね。正義感が強く、真実に切り込んでいく記者ですが、同時に大きな過去と秘密も抱えている。蒼井さんは彼女の役をどのようにとらえて挑んだのでしょうか?
蒼井:難しかったのは作品を初見の方にはもちろん、2回、3回と観ていただいたときにも、無理がないと感じられるように演じることでした。彼女の過去に触れた状態で観るのと、何も知らない状態で観るのとでは、見え方が変わってくるじゃないですか。それをどの程度踏まえるのか、というのが普段のお芝居と違った部分でした。
もともと私は甲野京子のように、何かを突き詰めていくような役を演じることはあまりなかったんです。むしろ何かに巻き込まれていく役を演じることが多くて。だから能動的に動いていく人物に最初はあまり慣れない感覚もありましたが、お芝居を設計するうえで本当にいろんな要素に助けられたと思います。たとえば“いとしのエリー”は最初こそ意外な選曲に思ったのですが、撮影が進むなかでどんどん深く琴線に触れるようになっていって。曲とともに自分に甲野京子が馴染んでいく感覚があったんです。そうやっていろんなものが合わさった結果、今回のお芝居が生まれたんだと思います。
—じつはガス人間の正体を知っている甲野京子の背景を知ったうえで演じるのは、かなり繊細なバランス感覚が必要だったのではないでしょうか。
蒼井:そうですね。甲野京子が世間のみんなに見せる顔と、自分にしか見せない顔。あるいは物語の構造のなかでお客さんに見せる部分と、制作陣だけが知っている部分。それを「どう嘘なくぼかすのか」はとても難しかった部分でした。そこは、感情をあまり表に出さない国民性のようなものに頼りつつ、日本人ならではのぼかしかたができれば、と思って挑戦していきました。それが上手くいったかはわかりませんが(笑)。
ヨン:蒼井さんがおっしゃったように、物語の中盤以降、甲野京子の背景が明かされたあとにもう一度最初から観るのと、それを知らずに観るのとでは、見え方が本当に違うと私自身も感じました。
それと、先ほど蒼井さんが「VFXで見えないものを想像しながら演技をする経験があまりなかった」と話されていたのを聞いて、とても驚きました。というのも、終盤に蒼井さんが「どんと来い!ガス人間!」と叫ぶ場面がありますが、私はあのシーンにとても感動したんです。その場面は目の前に何もない状態で演じていたはずなのに、そうした経験があまりなかったとは思えないほど、強い説得力がありました。
そしてあの台詞には、甲野京子が幼い頃から抱えてきたさまざまな感情——相手への愛情や怒り、そして世界に対する思いのようなものが一気に噴出しているように感じられました。私にとっても、とても大きなインパクトのある台詞でした。
蒼井:その現場にいたみんなには、もうガス人間が見えていたと思います。みんな同じものを見ていて、「ガス人間がそこにいるんだ」という感覚を共有している空間でした。それは演じる側としてもとても幸せなことでした。
ヨンさんがおっしゃった「どんと来い!ガス人間!」という台詞については、本当にこの言葉のチョイスでいいのか、監督とクランクイン前からずっと話していたんです。良い意味で違和感があるといいますか、一般的な言葉のチョイスではないじゃないですか。撮影時にはもっと違和感のない台詞も含めて何度も何度も試したんですが、上手くいかないというか、あの言葉以上にしっくり来るものがほかに見つからなくて。
完成した作品を観たときに感じたのは、撮影していた瞬間、みんながあの空間の中に入り込んでいたということ。現場全体がそこまで引き上げられていたんです。だから台詞を含めて何度やっても苦しくなかったし、疲れなかった。その経験は、私のなかで本当に格別なものでした。今後の俳優人生のなかで、もう一度あんな経験ができるのかわからないくらい、自分が知らない高い場所を経験できた、特別な撮影でした。
—役者冥利に尽きる瞬間ですね。最後に、今回ヨンさんが日本の俳優やスタッフと作品をつくられたなかで、日本の映像業界の強みをどのように感じられましたか。
ヨン:日本の映像業界には、すでに海外に対しても多くの強みがあると思っています。たとえば黒沢清監督や塚本晋也監督のような世界的な映像作家がいますし、『殺し屋1』(2001)のように北米で高い認知度を持つ作品もあります。そしてもちろん、日本のアニメーションは世界的に非常に大きな存在感を持っている。
今回『ガス人間』を作るうえで、日本以外の観客というより、まず日本の観客に向けてつくる意識を持っていました。そのうえで、これまで日本の実写映画や実写シリーズがあまり到達してこなかった領域に挑戦したいという思いがあったんです。たとえば、日本のアニメーションが持っているような表現の強さやスケール感を、実写でつくってみる。日本のアニメーションの強みと、日本の実写映画の強み。『ガス人間』は、その両方が溶け込んだシリーズを目指しました。
- 作品情報
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『ガス人間』
Netflixで配信中
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