江沼郁弥が明かす、plenty解散後に歌から逃げた自分自身との戦い

plentyの解散はあまりにも突然だった。デビューから紆余曲折あったものの、2014年に新体制を整えてからは充実期を迎え、素晴らしい作品を立て続けに発表し、ライブ会場も大きくなり続けていただけに、まさに青天の霹靂。しかし、解散発表に伴う「僕はすごく前向きな決断をしたと思っています」という江沼郁弥のコメントからは、彼がplentyというバンドをやり切ったのだという清々しさが感じられた。2017年9月16日に日比谷野外音楽堂で行われたラストライブもまた、非常に潔いステージだったことをよく覚えている。

あれから1年、江沼郁弥が初のソロアルバム『#1』を完成させた。完全セルフプロデュースで、作詞・作曲、楽器演奏、打ち込み、エンジニアリングまでをほぼ1人で完結させた、現在の江沼の等身大がそのまま刻まれた記念碑的な作品である。トラックメイキングを主体としたサウンドはR&Bやヒップホップにもリーチするもので、バンド時代とは一線を画すものの、記名性の強い歌と言葉の存在が紛れもなく江沼の作品であることを伝えている。

しかし、インタビューで江沼は解散後の一時期「歌から逃げていた」と語っている。plenty時代も含め、CINRA.NETとしては初となる取材。決して生きることに器用ではないけれど、どこまでも真摯に表現に向き合う江沼の人間性に改めて迫るとともに、彼がいかにして歌を取り戻し、新たな一歩を踏み出したのかを訊いた。

やりたいことをやるためには、自分が最も苦手なことがつきまとう。そういう矛盾が自分のもの作りには常に含まれている気がします。

—江沼さんは9月で30歳になったんですよね。なにか意識の変化はありますか?

江沼:まだ自分のなかで特に変わった感じはないですけど、事務所に入ったのが19歳とか20歳とかだったんで、周りから「え、もう30歳なの?」って驚かれることは多いです。自分自身はあんまり……どちらかというと、来たる30歳に向けて、いろんなことを考えてきたところもあったので、「これから」って感じですかね。

江沼郁弥

—ソロ活動の開始がちょうど30歳になったのは偶然だろうけど……。

江沼:でも、自分の師匠と言える人に、「あなたは30歳からだよ」って言われていたんです。なにか理由があったのかはわからないけど、ずっと言われていたので、こういうタイミングになったのは不思議だなって。

—その師匠はなにをやっている方なんですか?

江沼:今はもう通ってはいないんですけど、ボイトレの先生です。竹を割ったような性格の、すごく面白い人で。

—「歌う」とはどういうことかをその方に教わったんですか?

江沼:そうですね。テクニックというよりも、心の持ちようを。「ステージに立つというのはどういうことか」っていうメンタル的なことを教えてもらいました。

—特にどんな教えが印象に残っていますか?

江沼:「ステージに立つ人は灯台なんだ」っていうことですね。たとえば漁師さんにとっては、その光があるから無事に港に帰って来れるわけじゃないですか。だからこそ、灯台というものをありがたがる。でも、アーティストは、そういうことを意識するのではなく、遠くを見つめて、自分の光を絶やさずにいることが重要なんだって。お客さんとの距離感をそう喩えたんだと思うんですけど、「まずは自分が大事だ」って話してくれたことはよく覚えていますね。

—30歳を迎えたことにちなんでですけど、小さいころはどんな大人になっていると想像してましたか?

江沼:自分が人前に立って歌を歌っているっていうのは、小さいころは全く想像してなかったかもしれないです。今でも直ってないですけど、シャイなので、人前で話すとかとんでもないことなんですよね。今、自分が人前に立つ仕事をしているのが不思議というか……もちろん、音楽をやりたいからやっている気持ちもあるので、そこは自分のなかの矛盾なんです。やりたいことをやるためには、自分が最も苦手なことがつきまとう。そういう矛盾が自分のもの作りには常に含まれている気がします。

結局、歌が一番重要で、だからこそ逃げたくなる。

—Instagramの「活動・制作にあたってのコメント」には「plentyを解散して音楽に携わる予定は全くなかったのですが、僕が思っていたよりも音楽を作るという行為は僕の身体と生活に染み込んでいたらしく、解散ライブの翌日から曲を作り出していました」と書かれていましたね。

江沼:作曲するしかなかったんでしょうね。もちろん、音楽はやるつもりだったので、遅かれ早かれなにかしらの行動には出ていたと思うんですけど……フラットな状態で、自分が楽しめるマインドになったときに、「また人前に立ちたいな」っていう気持ちはあったかもしれないです。

江沼:最初は、歌のないインストの曲ばかり作っていたんですよ。でも、「自分だけ満足すればいいや」っていうのはすごく退屈だったんです。

—「退屈だった」というのは?

江沼:どこかで社会に接しているというか、社会と戦っている、人と戦っている――そういう「摩擦」が自分のなかでエネルギーを生んで、そのおかげでもの作りができているんだなって気づいたというか。バンドでCDをリリースする前から、もともとそうだったのかもしれないとも思うし、結局そういうなかに身を置いて生きていくほうが楽しいというか……だから、この1年で発見したのは「退屈はヤバい」っていうこと(笑)。

—ははは(笑)。そもそも、なぜ最初はインストだったんですか?

江沼:それまで自分がやっていたことを考えだすと、堅苦しくなってくるから、解散してすぐは歌うことに抵抗があったというか……避けていたんだと思います。自分にとっては、plentyのときと同じスピード感で音楽を続けてるというよりも、もうちょっと……「自分自身にとって重要な作品」を作っている感覚なんです。パーソナルとも言えるし……うまく伝わればいいんですけど。

—大事な作品だからこそ、無理に作るようなことはしたくなかった。だからこそ、自分のなかから自然に歌が出てくるまで待ったと。

江沼:インストを作っているときも没頭しているんですけど、ふと「これ、誰に聴かせるんだろう?」とか「これ、誰が喜ぶんだろう?」とか、自分がやっていることが無意味かもしれないって考えがよぎって。そうなると、めちゃくちゃ不安じゃないですか? そこに陥りかけたというか……でも、気づいたら自然に歌っていたんです。

江沼:インストの音楽も大好きなんですけど、でも歌って、音楽で一番すごいなって思うんです。結局、歌が一番重要で、だからこそ逃げたくなるというか、ビビってしまうんです。

「歌が重要」って、そんなことはわかってるつもりだったけど、改めて、自分がそう思ってることに気づかされたというか。歌から逃げて、インストを作ったところで、結局どこにも到達しないなって思ったんです。

ソロになって、疑問を一つひとつ潰していきたいとも思ったんです。

—単純に「自分の今の音楽的な興味を突き詰めたい」という想いもあったわけですよね?

江沼:これまでは「ロックバンド」をやっていたけど、ロックだけが好きってわけじゃないし、自分のなかにはテクノ、ヒップホップ、ファンク、R&B、ダブとか、いろいろな音楽がごちゃ混ぜになってるから、それが自然に出てきたらいいなって考えていました。

そういう音楽が自分から出てくるのを待って作った感じもします。もちろん、もっといろんなことにチャレンジしたいんですけど、すごくナチュラルな状態ではありますね。あとはソロになって、疑問を一つひとつ潰していきたいとも思ったんです。

—「疑問」というと?

江沼:さっき「摩擦があったほうがいい」って言いましたけど、摩擦とか抵抗がないほうがいい場合もあるんです。たとえば、今回ほとんど自分1人で作っていて、エンジニアみたいなこともやったんですけど、バンドのときはもっと関わる人が多かったんですよね。もちろん、みんな力になってくれていたんだけど、お客さんに届くのがゴールだとしたら、エフェクターをいっぱい繋いでいる感じというか。

—ちょっとずつ音が痩せていっちゃうという感覚ですか?

江沼:それもあるし、逆に無理やり増幅されていたり、ディレイがかかったり……もちろん比喩ですけど(笑)。そこに関しては抵抗が少ないほうが、純粋な音が届くんじゃないかっていうのはずっと思っていたので、そういうところも含め、基本的に1人でやらせてもらいました。

バンドで10年近くも活動していると、テンプレートみたいなものができてくるんですよね。リリースの仕方、ライブの仕方、その前の過ごし方……そういうものを一つひとつ疑ってやれたらいいなって。今回、ミュージックビデオも作ってないんですよ。

—それも「疑い」の1つだと。

江沼:そう。別にミュージックビデオが嫌だってことじゃなくて、「なぜ必要なのか?」を理解したくて、「このタイミングでこういう映像が撮れるから出そう」みたいにしたかった。そういうふうにできる環境でもあったし、「自分のセオリーを作り上げたい」っていう考えがあったんですよね。

「意味深なことをあまり歌ってしまいたくない」っていう気持ちもあった。

—歌詞はどうやって書きはじめたんですか?

江沼:どうだったかな……今回はトラックと一緒に歌詞が出てきた曲が何曲かあったんですよね。“として”“neoromantic”、あと“flash back”もそうかな。このあたりは主要な部分の歌詞が最初からくっついていて、それはplentyのときはなかったことです。

江沼:ただ、ソロの1作目ってこともあって、歌詞は一番考えてしまったかもしれない。「こういう言い回しだと、plentyを連想させてしまうんじゃないか?」みたいに考えてしまうと、手が止まっちゃうんです。

—できるだけ自分から自然に出てくるものを大事にしようとしたけど、どうしても頭で考えてしまう瞬間があったと。

江沼:まあ、それでもあまり意識せず、自分にとって嘘か本当かよりも、曲としてあるべき形になればいいなって思いながら、言葉を紡いでいったところはあるかもしれないです。1曲目の“soul”とか最後の“光源”とかは、意思表明みたいな側面もあるんですけど。

—全体的な作品のイメージとして、あまりいい言い回しではないかもしれないけど、「夢遊病患者の日記」みたいにも感じて。1曲ごとに曲のカラーが変わる感じが夢っぽいし、シンセは浮遊感があるし、この1年でぼんやり考えていたことがトラックの雰囲気と合致したときに、歌詞として出てきてるというか。

江沼:抽象的なイメージですけど、「オバケみたいになりたい」って思っていたところはあるかもしれないです。『#1』っていうタイトルも、意味を込めてないんですよ。「意味深なことをあまり歌ってしまいたくない」っていう気持ちもあったというか。

江沼:もちろん、今後も音楽をやっていきたいと思っているからこそ、この1枚目が重要なのはわかっている。でも、やっぱり楽しんで続けていきたいんです。

だからこそ、縛りつけたくなかったというか、フワフワと漂っているようなイメージがあって、それは大切にしたかもしれない。今後また変わるかもしれないけど、その変化も楽しめるような作品を最初に残さないと、自分でやりたくなくなっちゃうんじゃないかとも思ったんですよね。

「ノリでそうする」みたいなのはナシ。一つひとつ熟考したい。

—“soul”は意思表明だという話がありましたが、<だから うたうよ 気のすむまで>という歌詞のとおり、まさに「歌う」ということへの意思表明のような曲になっていますね。

江沼:この曲はアルバムの1曲目に収録するっていうのを念頭に作っていたところもあるかもしれないですね。それもあって、自然と意思表明になっていったのかなあ。

—<スロウダウン>という歌詞も、「一つひとつ疑って、たしかめたい」という話に繋がるなと。

江沼:そうですね。それは30歳になった自分のテーマなのかもしれないです。「ノリでそうする」みたいなのはナシで、一つひとつ熟考したいっていう。それを口に出して説明するかどうかは別として、自分で理解したうえでやっていきたい。自分で責任をとるというか、「2~3年後にこうなっていたいから、こうしよう」っていう歩み方をしたいですね。

—“soul”を聴いて、イモージェン・ヒープの“Hide and Seek”(plentyのライブのSEとしてファンにはお馴染みの曲)を江沼くんなりに作ったような印象も受けました。

江沼:なるほど……意識はしてないですけど、言わんとしていることはわかる気もしますね。「1曲目として作る」というところで、無意識的に引っ張られたというか、荘厳な感じとか……たしかに、そう言えるかもしれないですね。

—“soul”の祈りのようでもあり懺悔のようでもある感覚とか、2曲目の“karma”で歌っている「はじまりと終わり」とか、常に相反する要素が同居している感じも江沼さんっぽい。

江沼:そういうのが見えるといいなとは思っていました。ソロになって、もちろんplentyとは違うんだけど、「やっぱり江沼なんだ」ってものになるといいなと思っていたんです。それも技術的に調整したわけではなくて。内側から湧いてくるものが自分ではあるけど、自然と、矛盾とか、相反するもののなかで……今も苦しんでる、みたいな(笑)。

—その「やっぱり江沼なんだ」の象徴が、自然と歌いたくなって出てきた「歌」なんだと思うんですよね。

江沼:自分でコントロールしちゃうと……いずれはコントロールできるようになったほうがいいのかもしれないけど、マインドに関しては、今の時点でコントロールしようとすると、おかしなことになる気がしたんです。

「plentyを聴いていたお客さんを喜ばせようと思う」って発想はヤバいじゃないですか? 今までそういうふうにやってきたわけじゃないけど、ソロになると、怯えみたいなところから、楽なほうに流されやすいんじゃないかとか……憶測ですけどね。あと、起こってもいないことを考えてイライラするっていう自分の癖があるんですけど、その影響もありました。自然でフラットな形じゃないと、自分も聴いた人も悩ませてしまうんじゃないかって。

死ぬときは納得して死にたいし、そのためには「ただ毎日が楽しい」じゃなくて、どこかに到達する必要がある。

—ラストに収録されている“光源”についても聞かせてください。<灯しつづけていたいんだ 照らしつづけていたいんだ>という歌詞は、最初のに話されたボイトレの先生とのエピソードともリンクするように思うのですが、やはり灯台が曲のモチーフになっているのでしょうか?

江沼:それもあるし、すごいものを見たときに感じる、いい意味で突き放された感覚についての曲でもあります。自分の遥か遠くにあるものを目の前で見せられているような感じというか、ライブもそうだし、絵でも写真でも映画でも。

自分がクリエイティブなものに感動するときって、「親近感」を覚えるというよりも、「なんじゃこりゃ?」っていう感覚で。それが心地いいし、燃えるというか、エネルギーになる。「自分もそうありたい」っていう気持ちがあって、それが先生の話とも繋がって、それで書いた曲ですね。

—<とおいよ>という歌詞は、その突き放される感覚の表れですか?

江沼:「突き放される」っていうとネガティブな感じになっちゃうかもしれないけど……ステージ上でなにかをやるってことは、聴いている人より高いところにいて、前に進んでいることを示さなきゃいけないなって思うんです。

たとえば、渋谷のスクランブル交差点でなにかやっても、みんなと同じ立ち位置だったら、見えないじゃないですか。でも、表現の高みというか、もの作りの高みを目指せば、渋谷にいるギャルにだってきっと届くはずだし……ギャルに届けたいかどうかは別として(笑)、子どもにも大人にも届くような、そういう高みを目指したいなって思うんです。

—その「高さ」っていう意味でも、この曲は灯台だと言えるし、あとは「出発する場所でもあり、帰ってくる場所でもある」という意味では、このアルバム自体が江沼さんにとっての灯台のような存在なんじゃないかと思います。

江沼:自分にとって大事な1枚目になったっていう意味では、まさにそのとおりで。フラットな気持ちで、純粋にいいと思える曲を作って、でもそれを作っていく過程では、やっぱり苦しむ。そうやってもの作りをしていくことが自分の基準というか。ただ楽しく、なにも考えずにやりたいわけじゃないけど、純粋にワクワクできるような活動をしていきたい。

江沼:価値観は人それぞれだと思うけど、やっぱり死んだら終わりじゃないですか? 死ぬときは納得して死にたいし、そのためには「ただ毎日が楽しい」じゃなくて、どこかに到達する必要があるというか……到達できないかもしれないけど、そこを目指して四苦八苦するのが楽しいし、そうやってずっとチャレンジしていきたいなって思ったんですよね。

「これはやりたくないから、こっちをやる」っていうやり方は、なにも生まない。

—アルバムが完成するまでの期間は、江沼さんにとって苦しい期間でしたか? それとも、新しいことへのチャレンジにワクワクしていましたか? もちろん、両方あったとは思うんですけど、割合的にはどうだったのかなって。

江沼:いつもそうなんですけど、サウンドを形作っているときはめちゃめちゃ楽しいんです。でも、歌詞を書いているときはきつくて死にたくなる(苦笑)。これは自分の性格だと思うんですけど、誰にもそんなこと言われてないのに、「こう言われたらどうしよう?」とか、そういうふうに思っちゃうんです。

そこも真逆のものが同居していて、曲を作ってるときはすごく自信満々なのに、作詞をしていると自分と向き合うことになるから臆病になるというか。「これは正しいんだろうか?」「この言葉の繋ぎ方はダサいんじゃないか?」って、自信がなくなって自分と戦うことになる。でも、それは毎回一緒かな。

—それでもこれまで音楽を作り続けてきて、今も作り続けているのは、なにが原動力になっているのでしょうか?

江沼:自分がもの作りをするときは、不安、不満、怒りっていう負の感情を原動力にして書くことが多いですね。ただ、“クオリア”っていう曲で歌っているように、自分のなかの「あの感覚」みたいなものって、口にした瞬間に遠ざかってしまうんです。じゃあ、なぜそれでも詞を書くのかというと、これもまた矛盾なんですけど、きっとそこで書くのをやめたら、自分が音楽をやる必要がなくなってしまうからで。

—常に矛盾が存在しているけど、でもそれ自体が原動力にもなっている?

江沼:「音楽をやりたいけど、人前は嫌い」って話と全部同じなんですよね。「歌詞を書くのがきつい」って言って、ずっとインストをやったところで、それは結局逃げているだけで。

「これはやりたくないから、こっちをやる」っていうやり方は、なにも生まないんですよね。自分が音楽と関わるときは、大きな摩擦がないといけない。きっとそれが、自分なりの社会とのふれあい方なんだと思うんですよね。

リリース情報
江沼郁弥
『♯1』

2018年11月7日(水)発売
価格:3,024円(税込)
NNF-1001

1. soul
2. karma
3. として
4. parade
5. flash back
6. クオリア
7. neoromantic
8. black swan theory
9. take my hands
10. freesia
11. どちらでもおなじこと
12. 光源

イベント情報
『LIVE ♯1』

2019年1月15日(火)
会場:愛知県 名古屋クラブクアトロ

2019年1月16日(水)
会場:大阪府 梅田クラブクアトロ

2019年1月23日(水)
会場:東京都 渋谷WWW X

2019年1月24日(木)
会場:東京都 渋谷WWW X

プロフィール
江沼郁弥
江沼郁弥 (えぬま ふみや)

1988年9月24日生まれ。2017年9月、plentyを解散し、2018年9月にソロ活動を開始。2018年11月、1stアルバム『♯1』をリリース。



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