amazarashiによる、アプリや武道館を使った真新しい表現の全貌

スマホアプリが公開されたときから、amazarashiのライブ作品はスタートしていた

こんなライブ体験は初めてだった。11月16日に行われたamazarashiの日本武道館ワンマン公演、題して『朗読演奏実験空間“新言語秩序”』。それは、音楽家が提示する「ライブ」の在り方が、目の前で刷新されていくような刺激的な体験だった。

amazarashiが、キャリア初となる日本武道館ワンマン公演を実施することが発表されたのが、今年の5月。それがとても特別な、新しいライブ体験になるであろうことを筆者に予感させたのは、6月22日に中野サンプラザで開催された、アルバム『地方都市のメメント・モリ』のリリースツアーの追加公演だった。あの日、ライブが終わったあと、「武道館公演へのシミュレーション」と称した実験が行われたのだ。それは、残った観客たち(強制ではない)が手持ちのスマホで専用のアプリをダウンロードし、場内に流れた楽曲と連動させる、というもの。「武道館で、amazarashiは一体なにをするつもりなのか……?」――それから約4か月後の10月23日、武道館公演に向けたオリジナルスマホアプリ「新言語秩序」が公開された。ここからは極力、時系列に沿いながら、この武道館公演に向けたamazarashiの動きを記していきたい。

『amazarashi 武道館公演「朗読演奏実験空間“新言語秩序”」』キービジュアル

「言葉」が規制された世界を、アプリ内の小説で描く

アプリ「新言語秩序」では、amazarashiの秋田ひろむが自ら手掛けた同名小説『新言語秩序』を読むことができた。当初公開されたのは、第3章まで。

『新言語秩序』は、ディストピア世界の物語だった。この物語で描かれる社会では、「言葉」が極端に規制されている。過激な言葉や人を傷つけそうな言葉、政府を貶すような言葉、その他、一般的に「汚い言葉」と言われるような言葉の使用は規制され、他者を傷つけないよう、様々な状況に応じて作られた会話のテンプレート、通称「テンプレート言語」の使用がほとんど義務化されている。もし、この「テンプレート言語」以外での自由な発言や会話を行った場合は「テンプレート逸脱」と見なされ、警察の取り調べ対象となり、「テンプレート言語」を正しく使うことができる人間になるよう、拷問に近い「再教育」が行われる。

この物語の中で、警察と共に「テンプレート逸脱者」を監視・取り調べする組織の名称が「新言語秩序」であり、それに対して、自由な言葉を取り戻そうと、路上の落書きやゲリラライブ、地下出版など、様々な形態で活動している人々が「言葉ゾンビ」と呼ばれている。

物語は、過去に親や同級生から様々な暴力を受け、「言葉」を憎みながら生きる「新言語秩序」の一員・実多(みた)と、「言葉ゾンビ」の中でもカリスマティックな存在感で支持を集めている活動家・希明(きあ)という2人の人物を中心に描かれる。「言葉は人を堕落させる」「言葉を殺さなければならない」と強い使命感を持つ実多と、「人を殺す言葉もあるが、人を生かす言葉もある」と言葉に希望を見出す希明。両者は、「言葉が人間に与える影響の大きさを実感している」という点では共通しているが、その思考の発露は真逆だ。

左から:希明、実多

秋田は、この物語について、こんなコメントを残している。

「新言語秩序」は言葉のディストピアの物語です。ディストピア物語では、権力や大きな企業が支配する監視社会がよく描かれますが、今回問いかけたいのは一般市民同士が発言を見張りあう監視社会です。そしてそれは、現在のSNS上のコミュニケーションでよく見る言葉狩りや表現に対する狭量さをモチーフにしています。昨今感じる、表現をする上での息苦しさから今回のプロジェクトを立ち上げました。
(『新言語秩序』ホームページ「COMMENT」より抜粋)

秋田が言う「権力や大きな企業が支配する監視社会」を描く物語の代表格として挙げられるのは、イギリスの小説家・ジョージ・オーウェルによるディストピア世界を描いたSF小説の名作『1984年』(1949年刊行)だろう。思想や言論、性愛が厳しく規制され、歴史や情報の改ざんが当たり前のように行われる強固な監視社会の在り様と、それに抗う主人公の姿を描いた『1984年』。

理由は後述するが、『新言語秩序』は、秋田が『1984年』から多大なインスピレーションを受けて創造された物語であることは明らか。オーウェルの作品は近年、右傾化著しい世相を反映して、世界的にも改めて注目を集めているが、約70年前に書かれたこの小説が、今もなお批評性を持ちうるということを秋田も実感したのだろう。彼は2018年を生きる表現者として、『1984年』の意志を引き継ぎながら、「炎上」「ポリティカルコレクトネス」「ポストトゥルース」といった事象の先に生きる私たちの物語『新言語秩序』を紡いでみせた。

ノイズまみれ、典型的な歌詞だらけの、ミュージックビデオがYouTubeにて公開

アプリ上で公開された小説『新言語秩序』のテキストは、ファイルを開いた段階では、テキストの様々な部分が虫食い状態になった、いわゆる「黒塗り文書」として表示される。テキスト全文を表示させるには、スマホの画面右下に表示される「解」というボタンを長押しして、私たち自身の手で検閲を解除しなければならない。アプリの無料配布という手法を含め、プロジェクトに対する私たちの能動的な参加を促そうとする秋田の考えがここに見える。

アプリは順次更新されていき、10月30日には新曲“リビングデッド”のミュージックビデオが公開された。YouTubeの公式チャンネルに公開されたバージョンは「検閲済み」となっており、サウンドはノイズまみれの歪なもので、歌詞は<こぼれた涙の数だけ><抱えきれないほどの愛>などJ-POPの典型的なフレーズだらけとなっていた。実はこの歌詞、「典型的歌詞フレーズ生成技術」を用いて、20万もの実在する曲の歌詞を解析して自動生成されたものなのだそう。このビデオも小説同様、アプリ内で検閲を解除することによって、その本来の形で見ることができた。現在では「検閲済み」と「検閲解除済み」、両バージョンをオフィシャルYouTubeチャンネルで見ることができる。

ポップアップショップの開店、小説第4章の公開、そしてシングルリリース

11月2日には、武道館公演に向けたポップアップショップが1日限定で開店することも発表された。開店日は11月10日で、そのショップが開店する場所はアプリを通してのみ告知された。このショップで販売されたグッズで特筆すべきは、これまでのamazarashiの歌詞の中から秋田本人がセレクトしたフレーズがデザインされた、全101種類、各1点もののTシャツシリーズ「101 Wearable Lyrics」。

なぜ、「全101種類」なのか?――その理由が、実はジョージ・オーウェル『1984年』の中にあるのだ。秋田が「101」という数字にこだわった理由、それは、『1984年』の中に登場する洗脳部屋が「101号室」と称されていたことに由来しているのだと、公式に発表された。その後、武道館公演中にも、『1984年』からの直接的な引用が登場することになる。

「新言語秩序」プロジェクトシークレットゲリラショップ
Tシャツシリーズ「101 Wearable Lyrics」

そして11月6日には、小説『新言語秩序』の完結編となる第4章が公開された。端的に言って、それはかなり悲痛な終わり方だった。バッドエンド、と言っていい。「これでは実多も、希明も救われないのではないか?」――そんな終幕。無論、この物語が本当の意味で、ひとつの決着を見るのは武道館公演の会場なのだということはわかっていたが、それでも胸の内にモヤモヤが残る――そんな物語の結末を、秋田はここで提示した。

11月7日、シングル『リビングデッド』がリリースされる。件の表題曲“リビングデッド”に加え、優し気なメロディに乗せて秋田が「言葉」に対する真っ直ぐな想いを綴る“月が綺麗”、そして“独白”という3曲がそのシングルには収録されていたが、ここでもまた「検閲」が発生する。3曲目の“独白”が、ミュージックビデオ公開時の“リビングデッド”同様、「検閲済み」バージョンで収録されたのだ。リリカルなメロディはノイズの隙間から聴き取れるものの、歌詞は全く聴き取れない。この曲は、この時点でアプリ内でも「検閲解除」する方法はなく、小説と同様、モヤモヤとした状態を残したままで、武道館公演を迎えることとなった。

amazarashi『リビングデッド』(Apple Musicはこちら

今の社会そのままのよう。武道館で表現された「新言語秩序」の世界

そして、11月16日、武道館公演の当日。武道館の中央に据えられた、四方をLEDスクリーンで囲まれたステージ。開演30分前になると、アプリを表示していた手元のスマホが「待機モード」へ。ライブ中はこの「待機モード」を常に表示しておくよう、アナウンスが出る。一体、なにが始まるのか……?

『amazarashi 武道館公演「朗読演奏実験空間“新言語秩序”」』開場中の様子 / 撮影:Victor Nomoto

「待機モード」の意味を理解したのは、冒頭の“ワードプロセッサー”に続く2曲目の“リビングデッド”が始まったとき。曲が始まるやいなや手元のスマホが震え出し、事前に指示されていた通りにスクリーンに向けて掲げてみると、自動的にバックライトが点灯したのだ。公演の数日前にアプリが更新され、武道館で自身が座る座席番号を入力するよう求められたのだが、ライトは武道館の客席のブロック毎に点滅し、凄まじく美しい光景を生み出している。バンドの演奏を浴びながらその光を眺め、自分もスマホを掲げていると、スマホというとても個人的な所有物が、一気に、なにか巨大な物語に接続される感覚を覚えた。

撮影:Victor Nomoto

演奏中、スクリーンには『新言語秩序』の物語とリンクした映像が次々と映し出される。TwitterやInstagram、YouTubeのコメント欄、さらに新聞、思想書や哲学書、雑誌、街の看板やポスターに至るまで、映し出されるのは普段の私たちの生活でも頻繁に目にするモチーフ。しかし、この物語では、そこに記される言葉の多くが「テンプレート逸脱」として厳しい規制の対象となっている。Instagramのハッシュタグですら検閲対象だ。

さらにamazarashiも、この物語の世界の登場人物として現れるのだが、彼らもまた検閲対象。彼らの楽曲のYouTubeコメント欄には、「この音楽は害悪だ!」というような、否定的な言葉が数多く書きこまれている。Twitterでは「新言語秩序」と「言葉ゾンビ」双方の意見が飛び交い、そこには実多と希明の名前もある。二極化した思想と、それ故に暴走するお互いの正義感。言葉の多くは黒塗りにされていく……おぞましい光景である。しかしながら、荒れるYouTubeのコメント欄や、双方が一方的な意見を書き込むだけで対話に発展しないTwitterの議論など、この2018年を生きる自分が目にする日常と、スクリーンに映し出される『新言語秩序』の世界には、ほとんど違いがないようにも思えてくる。

撮影:Victor Nomoto

ちなみに、映像に映し出された物語の中で希明はバンド活動も行っており、そのバンドの名前が「ゴールドスタイン」。そして、希明やamazarashiのインタビュー記事が掲載されている雑誌の名前は『Old Speak』だった。「ゴールドスタイン」は、『1984年』にその名が登場する「エマニュエル・ゴールドスタイン」に、「Old Speak」は、『1984年』内で政府が使用を奨励する簡略化された言語「ニュースピーク」に由来するものだろう。『1984年』の存在が、いかに秋田に影響を与えたかをもの語っている。

撮影:Victor Nomoto

第4章の結末は、小説と別のものが用意されていた。そして“独白”の内容も明らかに

この日は『朗読演奏実験空間』と名付けられていた通り、数曲演奏される毎に、秋田による朗読が挟まれた。朗読されるのはもちろん、『新言語秩序』。第1章から順番に朗読されていく物語。やはり、気になったのは第4章だ。事前に公開された、あの悲痛な形で終わっていくのだろうか……?

最後の曲が演奏される前、秋田が朗読した第4章の結末は、やはりアプリで公開されたものとは別のものだった。第4章は、一度は警察に捕まったものの、「再教育」にも屈せず、再び「言葉ゾンビ」としての活動に戻ったことで、半ばその存在が神格化された希明を中心に、首相官邸前で大規模なデモが巻き起こる様子が描かれている。そのデモの喧騒の中で対峙する、実多と希明。その先の結末が、アプリで公開されたものと、この日秋田自身の口から語られたものでは全く違っていたのだ。秋田は、ふたつの結末を用意することによって、物語の行方すらも、私たち自身の能動的な思考に委ねようとしたのかもしれない。

結果として、この日、この武道館の場で語られた結末には、希望があった。そこで実多は、言葉を発する。ずっと憎み続け、「殺したい」と思い続けてきた言葉が、実多の中から溢れ出してくる。その溢れ出した言葉が、最後の曲“独白”となる。

この日、聴くことができた“独白”の検閲解除バージョンは、凄まじい曲だった。祈るように、叫ぶように、言葉が溢れ出してくる1曲。この曲が演奏されている間、スクリーンに向けてスマホをかざすと、スマホの画面は「言葉を取り戻せ」という言葉に埋め尽くされた。それはまるで、実多の、希明の、そして秋田の思念が、そのままスマホに流れ込んでいるかのようだった。そして、目の前の秋田も繰り返し、何度も何度も叫ぶ――「言葉を取り戻せ!」。

秋田ひろむ / 撮影:Victor Nomoto

秋田ひろむ自身が、「希明」であり「実多」でもあった

ライブが終了した後日、アプリが更新され、“独白”の検閲解除バージョンと歌詞も公開されたのだが、この曲を改めて聴いて思うのは、「実多もまた、秋田ひろむなのだ」ということ。『新言語秩序』において、音楽活動などを行い、「言葉を取り戻せ!」というスローガンを掲げる「言葉ゾンビ」の活動家・希明こそが、秋田のドッペルガンガーなのだと思っていたし、そこに間違いはないだろうが、同時に、言葉に傷つき、言葉に怯え、言葉にならない言葉を抱えて生きてきた実多もまた、amazarashiであり、秋田ひろむのひとつの表情なのだ。

「言葉にならない」気持ちは言葉にするべきだ
「例えようのない」その状況こそ例えるべきだ
「言葉もない」という言葉が何を伝えてんのか 君自身の言葉で自身を定義するんだ
(amazarashi“独白”)

こんな言葉を歌えるのは、秋田自身が、実多同様、自分の言葉を飲み込まなければいけない苦しみを知っているからだろう。実際、この“独白”は、<歌うなと言われた歌を歌う 話すなと言われた言葉を叫ぶ>――そう歌われる、このライブのオープニングを飾った曲“ワードプロセッサー”に、どこか似ている感触があった。

amazarashi“ワードプロセッサー”(Apple Musicはこちら

2010年代も終わろうとしているが、amazarashiは間違いなく、この時代を代表する日本のロックバンドのひとつだ。なぜ、そうなり得たのか?――その理由は、彼らの中にある強烈なほどの「伝えたい!」という欲求、そして、その根底にあり続けた「伝わらない」という絶望感にもあったのだろう。インターネットがあり、SNSがある時代。誰もが自分の言いたいことを言い、伝えたいことが伝えらえる……そんな、かりそめの希望が囁かれた時代。でも、本当にそうだろうか? 今、私たちの目の前に広がっている世界は、「新言語秩序」によって言葉を奪われた世界と、どのくらい違っているだろうか? インターネットは「言葉」が主役となる場でもあった。それ故に、不器用な人間が生み出した「言葉」というツールの不器用な性格も、露わにすることになった。

そんな中、この10年間、amazarashiは、秋田ひろむは、「このぐらいやらないと、本当に伝わらねえんだよ!」――そんな怒声が聞こえてきそうなほどに、音楽の中で言葉を積み重ねた。「自分の気持ちを言葉にする」ということ、そして「その言葉が人に伝わる」ということの重み、難しさを、彼は他の誰よりも知っているようだった。彼は、青森という地方都市から空を見上げ、叫んでいた。痛みを、悔しさを、孤独を、悲しみを、叫んでいた。その姿はいつだって泥臭く、青臭く、衝動的で、そこには、1度、自らの声をかき消された経験のある人間にしか使えない声の出し方のようなものがあった。でも、彼の歌は、ただ暗いだけではなかった。その言葉が、傷らだけの姿で、この世界にいる「誰か」に届く……その瞬間に産まれる希望をたしかに信じているようだった。

撮影:Victor Nomoto

武道館公演『朗読演奏実験空間“新言語秩序”』は、スマホアプリを通して、今まで以上によりダイレクトにamazarashiと聴き手が共犯関係を結んだという点、また、ジョージ・オーウェル『1984年』を下敷きに、社会的な問題意識を表現の中に落とし込んだという点で、amazarashiの新たな表現の方向性を占うものとなった。何万語、何十万語と、これから先も言葉は綴られてゆくだろう。

イベント情報
『amazarashi 武道館公演「朗読演奏実験空間“新言語秩序”」』

2018年11月16日(金)
会場:東京都 日本武道館

『amazarashi Live「朗読演奏実験空間“新言語秩序”」 DELAY VIEWING』

2018年11月25日(日)
2018年11月26日(月)

リリース情報
amazarashi 『リビングデッド』(CD)

2018年11月7日(水)発売
価格:1,280円(税込)
AICL-3592

1. リビングデッド
2. 月が綺麗
3. 独白(検閲済み)

プロフィール
amazarashi
amazarashi (あまざらし)

青森県在住の秋田ひろむを中心としたバンド。日常に降りかかる悲しみや苦しみを雨に例え、僕らは雨曝だが「それでも」というところから名づけられたこのバンドは、「アンチニヒリズム」をコンセプトに掲げ、絶望の中から希望を見出す辛辣な詩世界を持ち、ライブではステージ前にスクリーンが張られタイポグラフィーや映像が映し出される独自のスタイルを展開する。



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