コラム

『ジョーカー』はなぜ無視できない作品なのか?賛否の議論を考察

『ジョーカー』はなぜ無視できない作品なのか?賛否の議論を考察

テキスト
小野寺系
編集:後藤美波(CINRA.NET編集部)

『ジョーカー』は不謹慎すぎて笑えないコメディー? 「現実の社会問題の反映になっていない」という指摘も

いままで『ハングオーバー!』シリーズなどの不謹慎なコメディー映画を手がけてきたフィリップス監督は、インタビューのなかで「ウォークカルチャー(差別など社会問題に対して意識的であろうという風潮)」が活発になっている状況下でコメディーを作ることの容易でなさを述べ、『ジョーカー』ではコメディーであることを放棄したと語っている。裏を返すと、それはコメディーの代替的な表現であったといえないだろうか。つまり、あらゆる危険な要素や、リアルな社会情勢を盛り込みながら、不謹慎過ぎて笑えないコメディーを作ったということだ。

もちろん、そういった不謹慎さをストレートに批判する声もある。さらにもっと踏み込んだ批判として、本作が「現実の社会問題の反映になっていない」という指摘もある。近年報道されている無差別的な銃乱射事件の犯人は白人男性ばかりであり、一連の事件は「白人テロ」とも呼ばれている。その思想的背景には、ナショナリズムや白人至上主義による人種差別があるケースも多く、このような思想を煽ったとされるドナルド・トランプ大統領の差別的発言が批判されることも少なくない。現状に不満を持つ白人が、その原因を他者に求め、差別意識を強めることによって暴力行為に及ぶという流れだ。そして、このような犯人像には、アーサーや彼に影響を受けた暴徒たちは、あてはまらないのだ。

『ジョーカー』 © 2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved   TM & ©DC Comics
『ジョーカー』 © 2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & ©DC Comics

「脚光を浴びる存在になりたい」と願う主人公。自己実現は思い込みや狂気の中にしか存在し得ず、「暴力」によって社会と関係を持つ

では、本作が描こうとしているのは何なのか。

それは、何の実績もないアーサーが、テレビのコメディー番組で脚光を浴びるという、甘い夢想に溺れる癖があるところから分かってくる。特別な人物になりたい、何かを成し遂げて脚光を浴びる存在になりたい……そしていつか、自分を理解してくれる理想の伴侶とめぐり逢いたい。そのような願望こそが、過酷な日常を耐えるアーサーの精神的な最後の砦となっていたのだ。

翻って、アメリカという国が、万人が憧れる夢を叶えてくれるかというと、もちろんそんなことはない。メディアにはきらびやかな人物たちが次々に登場するが、人より圧倒的に優れた何かを持った人物でない限り、その門戸は針の穴よりも小さいのだ。ならば、テレビドラマや映画が提供するような「普通の幸せ」やイメージを手に入れられるかというと、貧富の差が拡大する社会のなかで、まともな医療にもかかれない貧困層には、それすらも縁遠い。ただ生き抜くことですら、ほとんど苦行に近いものになっているのが現状だ。自己実現は、思い込みや狂気の中にしか存在しない。

くわえて、持病によって周囲に気味悪がられ、対人関係にも大きな問題を抱えているアーサーは、他人に親切にしてもらうことが極度に少ない。だから、他人を幸福にすることで生き甲斐を感じる生き方を選ぶことすら困難になっているのだ。その先にあるのが、「暴力」によって社会と関係を持つという、倒錯した考えである。

『ジョーカー』 © 2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved   TM & ©DC Comics
『ジョーカー』 © 2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & ©DC Comics

「自分の存在は世界にとって何の意味もないのではないか」という絶望的な問い

これは、ある種の人々にとって、カリカチュアライズされた現実そのものだともいえる。だから、ホアキン・フェニックスが役のパーソナリティそのものになりきってリアルに演じる、どうにもならない現実の象徴であるアーサーが狂気に陥り、悪事に快感を見出す様子を、本能的に「やばい」と感じるのではないだろうか。つまり、凶悪な犯罪を行うまでに至る彼の狂気と、観客の感情が部分的に接続されてしまうのである。

『タクシードライバー』の主人公トラヴィスもまた、彼にとって不本意なタクシードライバーとしての自分に、苛立ちや焦燥感を覚え、何か大きなことを成し遂げたいという使命感のようなものに突き動かされ、銃を持ち出し、不穏な行動を始める。ポール・シュレイダーによる『タクシードライバー』の脚本は、フランスの哲学者サルトルによる小説『嘔吐』からインスピレーションを受けていたといわれる。これは、自分という存在そのものに「吐き気」をもよおす嫌悪感を抱き、狂気のなかで苦悩する、ある研究者の物語だった。

マーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演『タクシードライバー』

社会のなかで何も成し遂げられなかったアーサーは、自分の隠されていたルーツを追うことで、自分という存在に価値があるはずだという一点に望みをつなぐようになる。その裏にあるのは、「自分の存在は世界にとって何の意味もないのではないか」という、絶望的な問いだ。これは、哲学の分野では「実存的恐怖」と呼ばれる。社会の状態が悪化し、何の幸せも生き甲斐も得られず、居場所のない人々が困窮とともに襲われるのは、このような人間としての根源的な恐怖ではないのか。そして、旧弊な価値観と同化することに救いを見出した過激なナショナリストや差別主義者も、大きな意味では、同じ恐怖から逃れようとしているのではないかと思える。

個人の抱える問題と、殺伐とした社会が共鳴し合い、狂気が肥大化する

本作は、そのような人々が暴動を起こし悪事を働くようになる事態を、ヒーローによって解決しようとはしない。そして、その地獄のような情景を作ったのは、そのように人々を追い込んだ、一つひとつの現実の裏切りが要因にあるということを、一連の描写によって説明していたのである。

アーサーは、「自分が狂っているのか、世界が狂っているのか」とつぶやくが、それはおそらく相互的なものなのだろう。アーサー個人の問題と、問題のある社会環境が共鳴し合うことで、狂気が肥大化していったのだ。それは、狂気にわざわざ突っ込んでいったように見える本作もまた同様なのではないだろうか。

先日、日本が台風の被害に見舞われたとき、ある自治体が避難所にたどり着いたホームレスの受け入れを拒否するという出来事があり、問題になった。のみならず、それを追認するような言葉も、メディアやSNSで飛び出したということで、さらに物議が醸されている。『ジョーカー』という映画は、例えばこのような殺伐として険悪になっていく、アメリカにも共通する、近年の社会に帯びた狂気の反映なのではないか。本作『ジョーカー』をこのような作品にしたのは、この社会を形成しているわれわれ自身の狂気だったのかもしれないのである。

Page 2
前へ

作品情報

『ジョーカー』
『ジョーカー』

2019年10月4日(金)から全国公開
監督:トッド・フィリップス
脚本:トッド・フィリップス、スコット・シルバー
出演:
ホアキン・フェニックス
ロバート・デ・ニーロ
ほか
配給:ワーナー・ブラザース映画

SPECIAL PR 特集

もっと見る

BACKNUMBER PR 注目のバックナンバー

もっと見る

PICKUP VIDEO 動画これだけは

あらかじめ決められた恋人たちへ“日々feat.アフロ”

何かを我慢することに慣れすぎて忘れてしまいそうになっている「感情」を、たった10分でこじ開けてしまう魔法のようなミュージックビデオ。現在地を確かめながらも、徐々に感情を回転させていくアフロの言葉とあら恋の音。人を傷つけるのではなく、慈しみ輝かせるためのエモーションが天井知らずの勢いで駆け上がっていった先に待ち構えている景色が、普段とは違ったものに見える。これが芸術の力だと言わんばかりに、潔く堂々と振り切っていて気持ちがいい。柴田剛監督のもと、タイコウクニヨシの写真と佐伯龍蔵の映像にも注目。(柏井)

  1. 星野源、ドラマ『着飾る恋には理由があって』主題歌“不思議”ジャケ公開 1

    星野源、ドラマ『着飾る恋には理由があって』主題歌“不思議”ジャケ公開

  2. くるり・岸田繁と君島大空の共鳴するところ 歌と言葉とギターの話 2

    くるり・岸田繁と君島大空の共鳴するところ 歌と言葉とギターの話

  3. Honda新型VEZELのCMに井浦新、玉城ティナ、Licaxxxら 楽曲は藤井 風が担当 3

    Honda新型VEZELのCMに井浦新、玉城ティナ、Licaxxxら 楽曲は藤井 風が担当

  4. Puzzle Projectとは?YOASOBIの仕掛け人と3人の10代が語る 4

    Puzzle Projectとは?YOASOBIの仕掛け人と3人の10代が語る

  5. 君島大空が照らす、生の暗がり 明日を繋ぐよう裸の音で語りかける 5

    君島大空が照らす、生の暗がり 明日を繋ぐよう裸の音で語りかける

  6. 今泉力哉と根本宗子が決めたこと ちゃんと「面倒くさい人」になる 6

    今泉力哉と根本宗子が決めたこと ちゃんと「面倒くさい人」になる

  7. パソコン音楽クラブが語る「生活」の音 非日常下で見つめた自然 7

    パソコン音楽クラブが語る「生活」の音 非日常下で見つめた自然

  8. サブスク以降のバンド活動 97年生まれ、Subway Daydreamの場合 8

    サブスク以降のバンド活動 97年生まれ、Subway Daydreamの場合

  9. Huluの映像クリエイター発掘&育成企画『HU35』発足の理由とは? Pが語る 9

    Huluの映像クリエイター発掘&育成企画『HU35』発足の理由とは? Pが語る

  10. 「日本が滅びても残る芸術を作りたい」平田オリザ×金森穣対談 10

    「日本が滅びても残る芸術を作りたい」平田オリザ×金森穣対談