物質と動物と人間をつなぐもの 勅使川原三郎インタビュー

10月から始まっている日本最大の舞台フェスティバル『フェスティバル/トーキョー12』のクロージングを飾るのは、ダンサー、振付、演出だけでなく、舞台美術、照明を含め空間全体を構成する勅使川原三郎。80年代から先鋭的な活動を通してファンを増やしてきた勅使川原が、1991年に初演した代表作『DAH-DAH-SKO-DAH-DAH』を、2012年の現在進行形に改めて再演する。宮沢賢治の『春と修羅 第一集』に収められた心象スケッチ『原体剣舞連(はらたいけんばいれん)』に触発された同作は、国内外を移りながら再演されるたびに成長してきた。オペラ演出や映像制作にも取り組み、「現代芸術の鬼才」と称される勅使川原は、どんな道を歩んで国際的アーティストに成長したのだろう? 少年時代から今に至る話を伺うなかで、彼は率直に、緊張感溢れる舞台姿からは想像できないエピソードを語ってくれた。バレエの先生との偶然の出会い、サーカスの道化師を経験した青春時代……。型にはまらない人生は、私たちに勇気をくれる。

動くものと光るものに惹かれた少年時代

―勅使川原さんが子どもの頃は、クラシックバレエを始める男性は少なかったと思うのですが、ずっと幼いときからダンスを習っていたのでしょうか?

勅使川原:いいえ、バレエを始めたのが20歳で、それまでに踊った経験はありませんでした。少年時代は映画に夢中で、絵や彫刻も好きでした。人形劇や影絵にもよく行きましたね。動く人形に興味があって、操り人形、バリ島の影絵みたいな人形、ハンス・ベルメールみたいな球体関節人形……。キリストの像、天使の像、仏像にも惹かれ、円空の木像にはずいぶん感動させられました。

勅使川原三郎
勅使川原三郎

―人間による演劇、お芝居や舞踊というものは観ていなかったのでしょうか?

勅使川原:そうですね。あと光るものにも関心があったんです。子どものとき、ローラースケートを履いては地面を擦って、擦れた地面が光ってくるのを何日も何日もじっと見ていました。地面と物が擦れると、ただの茶色の土じゃなくなって、暗くなると光ってくる。錬金術のように金属質の土になるって実験していたんですね(笑)。

―光るものに惹かれるというのは、勅使川原さんの表現にも呼応する傾向ですね。

勅使川原:小学校のとき、夕方に友達と遊んだ後で、ひとり「儀式」のように行っていましたね。暗くなりかかった時間帯、いわゆる薄暮。そんな時間がとても好きで……。暗くなってくるときこそ、明るくなっていく、空よりも地面が光っているとき。葉っぱの色もそう、緑色が光り始める。日没どきのそういう色や光の変化が大好きでした。

―観察力の鋭い、繊細な少年でしたね。

勅使川原:寒さとか、身体の変化が面白かった。半ズボンの中の股間のあたりが乾いちゃって寒いとか、ちょっと足が擦れると肌が白いすりむけになるとか、そういう身体的なことが僕にとっては大事でしたね。新宿と渋谷の真ん中へんで育ったんですけれど、あのあたりでも半世紀前はたくさん草木が生えていました。

―その後、ダンスと出会ったのは友人の影響ですか。

勅使川原:いえ、とにかく学校というところが大嫌いで、もう高校でとてもじゃないけど……という感じで、大学には行きたくなかったんです。それで高校を卒業してからは何もせず、映画ばっかり観ていました。

勅使川原三郎 ©今野裕一
勅使川原三郎 ©今野裕一

―意外ですね、初めて伺いました。勅使川原さんは彗星のように現れたイメージでしたから。

勅使川原:僕もこんな話をしたのは初めてかもしれない(笑)。物と触れるのはずっと好きだったので、美術教室のアトリエに出入りして、粘土をこねたり、デッサンをしたりしていたのですが、ある日突然それも嫌になっちゃたんです。人形とかも、なにか自分から遠いものに感じられて、自分の手には届かない感じがしてきたんですね。それでもっと近く感じられるものはないかと思って、自分の身体に気がついた。自分の身体を造形したい、形作りたいと。で、音楽も好きで、特にクラシックとロックが好きだったので、バレエかなと思いました。それまでダンスのことは全く知らなかったので、電話帳でバレエ教室を探したんです。それがダンスの先生、雑賀淑子さんとの出会いでした。

―バレエ教室では、どんな生徒でしたか?

勅使川原:なぜか、その先生が僕のことを「良い」って言ってくださって。一応ダンスが好きだから通ってたんだけど、あるとき「もう辞めたい」と言うと、「いや、稽古だけは続けなさい、いまソロ作品を考えてるから」と言ってくれて。「そんなに言うんだったら、って……」みたいな、生意気なヤツでしたよ(笑)。

―先生からはどんなことを教わりましたか?

勅使川原:先生は寺山修司さんが演出した、美輪明宏さん主演の舞台『毛皮のマリー』初演の振付で協力していたり、落語家の古今亭志ん生師にご出演いただき、『七夕』というバレエ作品を作ったりしていました。いろんなダンサーのビデオを見せてもらいましたよ。ロシア出身のバレエダンサー、ルドルフ・ヌレエフについて教えてくれた言葉「ヌレエフは一番(つま先を外側に向けて立つ基本ポジション)だけで、もう踊りになっている」は忘れられません。当時は何を言ってるか全然わからなかった。でもその意味はその後、最高のバレリーナの森下洋子さんが『ペトルーシカ』を踊っているのを、同じ舞台に立たせていただいたときに直に見てわかった気がしました。その立ち姿に込められた気合いというか精神と正確な技術、そういうものが、もうすでにダンスになっているんだって。

―バレエ教室のレッスンはずっと続けていけたんですね。

勅使川原:だんだん踊りが面白くなってきたのかな。僕は筋肉があるほうじゃないから、バレエダンサーには向いていないんです。その頃、現代音楽のクセナキスの曲で、僕のソロ作品を作っていただきました。踊り方は好きにやらせてくれました。だから常にレッスンが終わったあと、一人で稽古場で練習していました。毎日他の生徒さんたちが帰った後、一人で好き勝手に踊るのが日課でした。

サーカスで働いた経験が、独創的な発想の源

―勅使川原さんの舞台では様々な実験が行われます。特に動物たちを舞台に上げて一緒に踊った『green(raj packet)ラジ・パケ』(2002初演、新国立劇場)には驚きました。宮澤賢治の「あらゆる動物、植物、鉱物、人類は同じなんだ」という言葉を思い出しました。また今回『F/T12』で上演される『DAH-DAH-SKO-DAH-DAH』も賢治の作品から触発されていますよね。ひょっとして「三郎」という名前も、賢治の童話『風の又三郎』から来ているのですか?

勅使川原:宮澤賢治を初めて知ったのは、幼い日にラジオで聴いた、童話『注文の多い料理店』でした。とても怖かったのをおぼえています。でも実は「三郎」は、昔サーカスでアルバイトをしていたときにつけてもらった呼び名なんです。

『DAH-DAH-SKO-DAH-DAH』 ©小川峻毅 ©Shunki Ogawa
『DAH-DAH-SKO-DAH-DAH』 ©小川峻毅 ©Shunki Ogawa

―サーカスで? サーカス芸人だったんですか?

勅使川原:芸人というか、道化師。バレエを始める直前かな、20歳の冬に1か月半ほど、道化師のアルバイトをしました。イタリアの伝統的な仮面劇であるコメディア・デラルテや、フェデリコ・フェリーニ監督の映画『道化師』に興味をもっていた頃です。大きなテントを張って、団員たちは共同生活。僕は実家から通っていましたが、自分が育った環境とは全く違う価値観で暮らす人たちに圧倒されました。

―サーカスって、まったくの異世界ではないでしょうか?

勅使川原:そうです。親の立場が子どもに影響するし、世間の建前が通用しない。たとえば、芸ができなくて掃除しか出来ない18歳の母親の乳児が亡くなったときより、象使いの妻の女性の芸を支えていたアシカが死んだときのほうが、団員のみんなが悲しむ。アシカはセレモニーで送られ、乳児には特に何もなし。そこでは動物は単なるペットじゃないし、人の下とも限らない、逆に人の子が静かに亡くなっていく。独特の社会制度が根づいている。一座で最高のスターは70歳近いおばあちゃん。華やかな若い芸人より人気があって、公演の最後に空中ブランコに乗って和装で足袋を履いて登場するんです。

勅使川原三郎

―そのサーカスの経験は、勅使川原さんにとって、大きな影響を与えているのではありませんか?

勅使川原:20歳前後の多感な時期に、ダンスのようなアート的なものだけでなく、人間の生(なま)の姿に触れたショックは貴重な経験だった。どんな綺麗な姿をしていても、人間の皮膚の下にはドロドロした内臓や血液があって、神経が狂ってしまったら変な行動に走るし、ウイルスに伝染したら病気になってしまう。そんなギリギリで保たれている人間という生き物の本性を思いきり実感できたおかげで、自分の作品ではそんな現実からあえて跳躍して物質と関わったり、次元を変えていくことに積極的になったのかもしれません。

―80年代後半に拝見した勅使川原さんの舞台は、ガラスの破片を身体中にまとって、ガラス片を敷き詰めた舞台の上で踊っていました。髪も真っ白で、歩く彫刻のような、生身の人間と物質の間に立つ不思議な感覚……。詩のような、でも生き人形のような、不気味で怖い、でも美しいという、言葉では形容のできない存在で、どうしてこんなふうになれたのかなと思っていたら、今サーカスでの日々を伺い少し納得しました。

勅使川原:舞台での表現行為に向かうとき、本音剥き出しの人間との距離感をどこかで測っている。いわゆるモダンダンスの型や流行にはまらないで、ガラスに触れたり、鳥や動物と舞台を共有するのも、サーカスの影響があるのかもしれません。人の生き方には幅広い可能性があると知ったから、周囲に合わせず自分が求める道を探求できたともいえますね。

―勅使川原さんの作品の特徴として、感情未満の「何か」を喚起する力と同時に、物語性の排除がありますよね。大きくいえば感情や情緒はあるんだろうけど、あえてそこには訴えない。それはストーリーで笑わせたり、泣かせたりというのは、「よし」としていらっしゃらないからですか?

勅使川原:そうです。ダンスと物語性は離したほうがいいと思っています。ダンスという身体表現に一番適しているのは何かという、生意気ですけど自分なりの説ですね。そこに焦点を合わせるところから始めようと思っているので、これがダンスなんだ、そのものこそがダンスなんだ、ということを示せたらと思っています。僕がまず今やるべきことはそれだろうと。それ以上のことはまだできないです。

勅使川原三郎

―先鋭的でスタイリッシュなイメージのあるコンテンポラリーの空間に、匂いのするような動物が存在する作品を提示するのも勇敢な挑戦だと思うんです。批判を恐れないで、常に新しい表現を発明しようとする、そのモチベーションは、どこから湧いてくるのでしょうか。

勅使川原:難しい質問ですね……。たとえば誰でも、あきらめたこと、捨てなければならなかったこと、あるいはどうしてもこれは逃せないんだ、手放せないんだっていうこと、いろいろな思いがあると思うんです。戦争で傷ついた方々、災難にあった方々。変な言い方ですけど、生きていたばかりに、そこで笑顔を見せなきゃいけない人たち……。自分を律してある態度をとって、前に踏み出さなければいけない精神というか、ダンスに接するとき、僕はそういう先人たちの思いや営みが、走馬灯のようにばばーっと頭に浮かぶんです。そしてそれは何かから、あるいは誰かからいつの間にか受け継いだものなのかもしれない。もし、そうであれば、ダンスというのは、実は自分がやろうとしているものではない。つまり自己表現ではないんじゃないだろうか。という疑問に行き着くんです。

―自分を超えた、大きな力……?

勅使川原:ええ。たとえば赤ちゃんが、「うえーん」って泣きながら動くのって、自分で動いているのかなって。胎内で動くのはお母さんと繋がっているから動いているんじゃないか。きっと生まれてからも、繋がれて動いている、あるいは何かと繋がろうとしているんじゃないだろうかと思うんです。

自分の欠点を知ることが、成長するチャンス

―1985年に結成した勅使川原さんのグループ「KARAS」の活動についてもお伺いしたいのですが、結成後、勅使川原さんはダンス以外の分野にも刺激を与えてきましたね。

勅使川原:80年代には、まだコンテンポラリーダンスという分野は、日本ではそれほど知られていませんでした。バレエ以外には「モダンダンス」と「舞踏」しかなかった。感じたことを身体で表現するためには、いずれかの組織に属して、登竜門を通らなくてはならない時代だったんです。またモダンダンスの公演には、モダンダンスに関わる人しか観に来ないといった、狭い範囲でダンスが捉えられていました。ところが、KARASの最初の公演には、美術や音楽などに興味を持っているお客さんがたくさん来てくれました。従来のダンスのお客さんじゃない人が喜んでくださった。その全てが、初めて勅使川原三郎を観る人たちで、ダンスを観るのも初めてという人も多かった。それからファッション関係者や、映像やメディア関係者を含め、幅広い観客が公演に集まるようになりました。まもなくKARASは海外公演に招かれるようになり、国際フェスティバルに参加する機会が増えました。

―コンテンポラリーダンスの枠を拡げる、ユニークな活動を展開した背景には、何か事情があったのでしょうか?

勅使川原:90年代から2000年にかけて、コンテンポラリーダンスのあり方に危惧を感じるようになりました。80年代以降、芸術の各ジャンルの垣根を越えた交流が盛んになってきたのに、コンテンポラリーダンス界は閉鎖的で、かつてのモダンダンスの状況を見るようでした。新しいダンスのお客さんを作り出さないと、これから先に繋がっていけない。そして表現者は表現する楽しむ気分の先に、苦しみや混乱を乗り越えるだけの強さを持たなきゃいけないと思います。「もうコンテンポラリーダンスはダメですね」なんて言う人がいるけれど、もともとダメだったんです。一過性のブームはすぐ衰退して観客も去ってしまいます。僕は表現者として作品を作り続けることが、自分のメッセージだと思っています。

勅使川原三郎 ©今野裕一
勅使川原三郎 ©今野裕一

―今回『F/T』に参加するのは3回目(2回目は朗読)ですが、『F/T』というエッジのきいた、アートの可能性をひらくようなフェスティバルについてどう見ていますか?

勅使川原:世界各地の舞台フェスティバルには多様な形態があるから、それぞれどういうコンセプトで運営しているかということは気になります。そんな中で、観客に過剰なサービスをせず、新しい表現を共有しようとする『F/T』の姿勢には希望があるように感じています。観客は作品に積極的に関わろうとすれば、その価値を自分たちで作ることができる。僕らがヨーロッパで仕事を続けているのは、作品に対して芸術としての価値を自分で見定めたいという観客が大勢いるからです。何を自分が良いと思っているか、それを知り、考えることは自己表現でもあるんです。

―確かに作品を鑑賞し、考えることも創造に近いかもしれません。『F/T12』で上演する『DAH-DAH-SKO-DAH-DAH』について紹介していただけますか。

勅使川原:「DAH-DAH-SKO-DAH-DAH」とは、宮澤賢治の詩『原体剣舞連(はらたいけんばいれん)』からの引用ですが、この剣舞は岩手県江刺地方に伝わる民俗芸能で、亡くなった人に捧げる鎮魂の踊りです。「ダーダースコダーダー」という擬音は、舞とともに打つ太鼓のリズム以外にも、いろいろなものを表しています。たとえば、風、足を踏み鳴らす音、心臓の鼓動……。死んだ人には、もはや上下も、年齢差もない。生きている者は、ギッタギッタして血だらけで騒ぐ。死者と生者が交感する剣舞をめぐる描写の先に「打つも果てるもひとつのいのち」と生命について賢治は記しています。すると、詩の最後に置かれた「DAH-DAH-SKO-DAH-DAH」からは、死んだ人があの世に行って仏さんになるだけじゃない気配が伝わってくるんです。足を踏みならす音や、激しくこすれる音が想起されるでしょう。言語の世界としての言葉より、空間でぶつかりあってる音としての言葉、まさにダンスそのものなんです。

―最近は、大学やワークショップでダンスを伝える機会も増えました。若い世代にダンスを通して教えたい大切なことはありますか?

勅使川原:教えるというよりは、違う世代の知らない人と出会って、僕が伝えられるのはこういうことなんだな、と自分が見つけるつもりでやっています。よく言っているのは、本当の自分の中の欠点から目を離すな、ということです。「苦手だな、避けたいな」と思うときこそがチャンスなんです。たとえば、身体が硬いから駄目だと感じるときがチャンス。そのおかげで身体を柔らかくしようと工夫をするから、それがその人の特徴になる。身体が硬いとか柔らかいとかは単なるその人の特徴のほんの一部です。得意不得意、好き嫌いを超える視野や興味が大事だと思います。劣っていると感じる部分も隠さないで、無防備になればいいんです。自分が上手に見えるように構えていると、決して本当の自分とは出会えませんから。

イベント情報
『DAH-DAH-SKO-DAH-DAH』

2012年11月23日(金・祝)17:00
2012年11月24日(土)17:00
2012年11月25日(日)15:00
会場:東京都 池袋 東京芸術劇場 プレイハウス(中ホール)
演出・振付・美術・照明:勅使川原三郎
出演:
勅使川原三郎
佐東利穂子
ジイフ
鰐川枝里
加見理一
山本奈々
林誠太郎
加藤梨花
料金:
一般 前売4,500円 当日5,000円
学生 3,000円 高校生以下1,000円(前売・当日共通、当日受付にて要学生証提示)
※11月24日はポストパフォーマンストーク有り

イベント情報
『フェスティバル/トーキョー12(F/T12)』

2012年10月27日(土)〜11月25日(日)
会場:
東京都 池袋 東京芸術劇場
東京都 東池袋 あうるすぽっと
東京都 東池袋 シアターグリーン
東京都 西巣鴨 にしすがも創造舎
東京都 池袋 池袋西口公園
東京都 目黒 The 8th Gallery(CLASKA 8F)
※実施プログラムはオフィシャルサイト参照

プロフィール
勅使川原三郎

クラシックバレエを学んだ後、1981年より独自の創作活動を開始。1985年、宮田佳と共にKARASを結成し、既存のダンスの枠組みではとらえられない新しい表現を追及。類まれな造形感覚を持って舞台美術、照明デザイン、衣装、音楽構成も自ら手掛ける。光・音・空気・身体によって空間を質的に変化させ創造される、かつてない独創的な舞台作品は、ダンス界にとどまらず、あらゆるアートシーンに衝撃を与えるとともに高く評価され、国内のみならず欧米他、諸外国の主要なフェスティバルおよび劇場の招きにより多数の公演を行う。またダンス教育に関しても独自の理念をもち、KARAS創設以前より常に継続してワークショップを行い、現在に至るまで国内外で若手ダンサーの育成に力を注いでいる。



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