レッスン3 社会に自分をつなぐ

プロフィール
山田ズーニー
山田ズーニー

文章表現教育者・作家。 Benesse小論文編集長を経て独立。フリーランスとして大学や企業で文章表現力・コミュニケーション力の教育を展開。 表現力ワークショップには定評があり、悩める就活生も見違えるような文章が書けるようになることから、「言葉の産婆」と呼ばれ、教育関係者を驚かせている。 慶應大学非常勤講師。著書『伝わる・揺さぶる!文章を書く』『あなたの話はなぜ「通じない」のか』など。ほぼ日刊イトイ新聞で 「おとなの小論文教室。」連載中。

志望理由や自己アピールなど、何かと「自分を表現すること」が求められる就職活動。「一体何を話せば……」と悩んだ経験をお持ちの方も多いのでは? 山田ズーニーさんは、高校・大学生からビジネスマン、プロライターまで幅広い方を対象に「文章表現」の教育に携わるプロフェッショナル。就活で苦戦している学生さんはもちろん、「書類審査で通らないことが多い」、「面接でなかなかうまく自分を表現できない」などなど、就活に悩めるすべての人にこの連載をお送りします!

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就活がツライのは

就活が苦しいのは、
学生から社会に出るにあたり、
アイデンティティを組み換えなければならないからだ。

多くの就活生が、
「今まで生きてきた自分」と、
「新しい職業人としての自分」に、
つながりを見い出せなくて、苦しむ。

自分の過去→現在→未来の「連続性」が見えない。

これがアイデンティティの危機だ。

「きのうの私は、きょうの私ではない。
あしたの私は、きょうの私ではない」

では、自分はどうなってしまうのかグラグラする。
当然、就活で話す・書く「表現」にも一貫性がない。

そこをブレイク・スルーして
つながりある文章にする視点を、今回はつかんでいこう。

アイデンティティがピンと来ない人は、
「自分の居場所を組み換える」
と捉えるとわかりやすい。
どこで・だれと・どんな役割で生きるかが、
その人が何者かを形作る。

自分の居場所に2つある

せっかく就職したもののリストラにあい、
再び大学に来る道を選んだ学生がいた。

彼は、リストラされたことを家族に言えず、
朝、出勤するふりをして、漫画喫茶などで時間をつぶし、
夜、家に帰る生活を、なんと一ヵ月も続けたそうだ。
彼は、本の引用からこう言った。

「人には“行く場所”と“帰る場所”が必要だ。」

人間は社会的な生き物だ。

血や愛情でつながった
「家族のような人間関係=帰る場所」
は、かけがえないが、それだけでは満たされない。

身内の外の、たくさんの他者と
貢献したり、支援されたり、協力し合ったり、
複雑に、ダイナミックに、働き合う

「行く場所=社会的居場所」が必要だ。

私自身、それがわかったのは、
38歳のとき、

志あって会社を辞めた。

……つもりが、
社会の外へ出てしまっていた。

「就職」ではなく「就社」を選んでいたのだ、私は。

会社という「箱」を経由して、社会とつながっていたから、
箱と切れたら、社会とのつながりまで切れた。

どこにいても自分は自分と思ってきたけど違った。

社会の中でこそ私は「私」として生かされていた。

会社があって、小論文編集長の役割があって、
読者がいて、月刊の教材があって、
上司や部下やスタッフがいて、はじめて私。
その全てを失うと、

「自分は何者?」

とグラグラする。
グラグラは予想以上に消耗する。
就活の躓きに折れそうになる人がいるのもわかる。

「存在が傷ついている」からだ。

就活は、社会と「へその緒」をつなぐ行為でもある。
あなたは、次の行く場所をどう切り拓きたいか?

1.「就社」、つまり、会社や組織に所属することで、
 組織を経由して、社会とつながっていきたい。

2.「就職」、例えば、医師・弁護士・作家など
 職を通じて、社会とつながっていきたい。

3.専業主婦・主夫として、
 「家族の後方支援」にまわることで、
 間接的に、社会とつながっていきたい。

4.専業主婦・主夫などをめざすが、
 何かボランティアや地域活動などをやって
 自分でも直接、社会とつながっていきたい。

才能はどこにある?

社会とつながれなかった時期に出逢った、
養老孟司(解剖学者)の言葉がある。

「天才は、どこにあると思います?
“脳の中”にあると思うでしょう。でも違います。
“社会の中”にあります。」

8ケタの暗算ができる人を昔は「天才」と呼んだ。
しかし電卓が普及した今、誰も天才とは呼ばない。
どんな能力も社会が認めなければ天才ではない、と。

仕事の才能=職能も同じだ、と私は思った。

「職能は社会にある。」

仕事は他者貢献・社会貢献。
自分にどんな技能や経験があろうと、
それを人や社会が欲しがらなければ、
仕事の才能とは呼ばない。

当時、それまで「職能は個人の中にある、
自分には16年間の編集経験で培った能力がある」
と思い込んでしまっていた私は、
「それに見合ったことしかやりたくない」と、

「閉じて」いた。

でも、仕事の才能は自分だけで決めつけることはできない。
社会とのやりとりの中で見つけていこうと変化していった。
つまり、

「ひらく」ようになった。

自分では気づけない職能も、
社会の方から引き出されたり導かれたりする。
そこに自分をひらくかどうか。

「できること」と「やりたいこと」

「できること≠やりたいこと」

だったりするから就活は難しい。
エントリーシートの文章がつながらないのもそこだ。

例をあげると、

「今まで生きてきた私は、国際関係学部で
異文化理解をやってきた。」  (過去・自分)
        ↓
「私は、広告業界に行きたい。」 (未来・仕事)

きのうの私と、あすの私が、つながってない。
「この人は、この先もコロコロ変わって辞めるかも」、
と採用する側は、信頼を置けない。

過去→現在→未来に一貫性がある人を人は信頼する。

でも、就活生の気持ちもわかる。

「やったことがないからこそ、やりたいのだ。」

仕事として求められるのは、
「CAN=できること」であり、
それはたいてい「過去」だ。

過去の経験・蓄積があるからこそ「できる」のだ。

だが、ずっとやってきたことは本人にとって
さほど新鮮ではない。

「WANT=やりたいこと」は、
たいてい「未来」にある。

やったことがない未知に人は好奇心をかきたてられる。

でも未知には、当然、経験もなく蓄積もなく、
就活でアピールできる強みもない。

つまり、「やりたいこと」と言われてすぐ思いつくことは、
たいてい「できないこと」だったりする。

ここをどうブレイク・スルーするか?

「社会」を見ると、つながりが出る

エントリーシート模試の仕事をしたとき
そこをうまくブレイク・スルーした学生がいたので、
今回の例に置き換え、改変を加えて紹介しよう。

「情報の伝達をめぐる今の社会を見ると、人々は
インターネットで、それぞれに、見たい情報だけ見て、
見たくない情報は排除する。そのため人と人との
情報の共有部分が少なくなってきている。」
                (社会・現在)
      ↓
「国際関係学部で異文化理解を研究してきた私は、
理解の前提となる情報が共有されないせいで、
民族間にすれ違いや差別、ひいては紛争まで
生じている事実を知った。」         
                (自分・過去)
      ↓
「コミュニケーションの王道である広告の仕事を通じて、
私は、人々の情報共有の仕方やコミュニケーションのあり方を
刷新したい。将来、海外に発信する広告にも携わりたい。」
                (仕事・未来)

今まで生きてきた自分(過去)と、仕事(未来)が
つながらないとき、

「社会」(現在)を見ることでつながりが出る。

現実に、私がエントリーシートの文章実習をした
たくさんの学生たちも、

「業界をめぐる社会背景」を見て、

そこで切実に自分にひっかかってくる問題を
文章に組み入れることで、
ぐっとつながりある文章が書けている。

なぜ、つながりが出るかというと、

単にやったことがないからやりたいという
好奇心に見えていたものが、
仕事をめぐる社会を見ることで、

「使命」を帯びてくるから

ではないかと思う。
いきたい業界をめぐる社会背景に目を向けると、
人々が必要としていることや、苦しんでいることが
たくさん見えてくる。

あまりに問題がたくさんありすぎ、
その多くは自分で見過ごさざるをえない。
だが、その中で、

どうしても自分として見過ごせないものがある。

それが自分の「やるべきこと=MUST」だ。

切実にひっかかってくる問題は、
自分の過去の経験に照らして根が深い問題だ。

自分が専門に学んできたことや、
人生の中で苦労したり、努力したり、
なんらかの蓄積=CANがあるからこそ、
琴線に触れてくる。

「何とかしたい=WANT」が突き上げてきて、
できることと、やりたいことがつながってくる。

あなたの志望する業界をめぐる社会背景はどんな状況か?
人々は何に困り、何を求めているか?

1.業界をめぐる社会背景
2.そこで自分に切実にひっかかってくる問題
3.自分はなぜ、どのような経験からそこがひっかかるのか

を自分の言葉で言えるようにしておくといい。

あなたの出番

「その苦労、私が引き受けよう。」

と覚悟した瞬間が私にはあった。
会社を辞めて1年くらいのときで、
初めての本の依頼を受けた出版社からの帰り道だった。

それまでの私は、
どこか夢のようなやりたいこと、
「会社では教材の編集をやっていたから、
こんどは映像の編集をやってみたい」
というようなことを思っていた。

でも、私が会社を辞めた2000年は、メール社会になって、
文章で表現しなくてはならなくなって
おとなもこどもも、書くことに困っていた。

就活生への文章実習で大学に出かけると、
頭がよく内面も豊かな学生たちが、
私が思うよりずっと文章が書けなくて躓いていた。

「ちょっとトレーニングすれば、見違えるように、
書ける・伝わるようになるのに、
なぜ、その機会を与えずに放っておくのか。」

日本の教育水準は高いけれど、
自分の想いや考えを表現する、アウトプットの教育は
ほとんど手つかずだった。

憤りを覚えた。
看過できなかった。

私の出番だ。(MUST)

世に文章がうまい人はたくさんいても、
私のように文章教育を専門にやってきた人は少ない。(CAN)

もっとたくさんの人々に、自分の想いを自分の言葉で
表現できる歓びを味わってもらいたい。(WANT)

表現教育への苦労は、私が引き受けよう、
と覚悟したとき、
自分の過去→現在→未来がピタッとつながった。

会社を辞めて、編集者の自分が解体して、
グラグラと何者かわからなかった私だが、
2年目の秋、初めての本の最後に、
私は読者に向けてこう書いた。

「あなたには書く力がある。」

向かう一人の人間の表現力を伸ばす。
これが私だ。今も、これまでも、これからも。

社会にあまたある苦労のうちのどこかを、
自分で分け持つ、それが社会に出るということだ。

分け持った苦労のぶんだけ、そこが
その人の居場所になる。

あなたはどの苦労なら
責任を持って、継続して、引き受けられるだろうか。

「その苦労、私が引き受けよう。」

思えたところ、そこが、
あなたの出番だ。

(イラスト:なかおみちお



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