ヨルシカインタビュー 自分を滅却し、芸術に人生を捧げた2人の決断

ボカロPとしても活動するコンポーザーのn-buna(ナブナ)が、女性シンガーのsuis(スイ)と共に結成したバンド「ヨルシカ」。彼らが8月28日にリリースした『エルマ』は、今年4月にリリースされた『だから僕は音楽を辞めた』の続編となるコンセプトアルバムだ。

約半年というスパンで2枚のフルアルバムをリリースする活動濃度にまず驚かされるが、さらに特筆すべきは、両作品に通底する、重層的に作られた世界観だろう。この2作は「対」になるような構造を持ちながら、ふたりの登場人物を巡る物語を紡いでいく。ここから立ちあがってくるのは、強烈なほどの「文学」の香り。両作ともに初回生産盤にはそれぞれ「手紙」と「日記」という体裁をとったブックレットが付属しているのだが、そこに綴られる言葉の羅列が、この2作品の背景にある「物語」の存在を知らせている。

『エルマ』において、彼らはオスカー・ワイルドの「人生は芸術を模倣する」という言葉を根底に置きながら、井伏鱒二『山椒魚』やジュール・ヴェルヌ『海底二万里』などの文学作品を参照し、さらに与謝蕪村やヘンリー・ダーガーの名前も挙げながら、「不在」を背負い生きる主人公「エルマ」の物語を紡いでいく。

今、飛ぶ鳥を落とす勢いでその認知を広げているヨルシカだが、彼らは何故、それほどまでに言葉を、物語を、音楽の中に必要としたのか。そして今、彼らとリスナーをつなぐ精神的なリンクは、なにによってもたらされているのか。ヨルシカでの活動を「余生」と語るシンガーのsuis、そして「自分」を語りたがらない芸術至上主義者n-buna。ふたりに話を聞くことで、今、ヨルシカがまとう秘密にさわってみた。

言ってしまえば、今の僕はオスカー・ワイルドを「模倣」している。(n-buna)

―『エルマ』は、前作『だから僕は音楽を辞めた』の続編となる作品ですよね。2枚のフルアルバムを通してひとつの物語が描かれているという、濃密で重層的な構造を持った作品たちですけど、この2作の構想はどこから生まれたものだったのでしょうか?

n-buna:まず、自分の過去や経験をもとに、音楽を辞めた青年の話を描きたいと思ったんです。そこには、オスカー・ワイルド(19世紀に活躍したアイルランド出身の詩人、作家)が戯曲の中で書いた「人生は芸術を模倣する」という言葉を、現代的に表したものにしたいっていう気持ちもあった。そして、それを表現するためには2枚のコンセプトアルバムが必要だったんですよね。

音楽を残して去った「エイミー」という青年と、その青年を模倣して音楽を始める「エルマ」という女の子の物語を作る。そうして1枚目で「模倣される側」を、2枚目で「模倣する側」を描くことで、オスカー・ワイルドの言葉を表現しようと思ったっていうところが、根底にはあります。

―オスカー・ワイルドは「芸術至上主義」的な価値観で知られる人ですけど、「人生は芸術を模倣する」というのは、ワイルドの考えをとても象徴的に表しています。この言葉は、n-bunaさんにとって大きなものなんですね。

n-buna:僕は本を読むのが好きなんですけど、中高生の頃に近代文学を読み漁っていた時期があったんです。そのなかで共鳴した存在のひとりがオスカー・ワイルドだったんですよね。だから今、こういう作品を作っているんだと思います。言ってしまえば、今の僕はオスカー・ワイルドを「模倣」している。

彼だけじゃなくても、今回の作品には井伏鱒二や与謝蕪村、正岡子規、あるいはジュール・ヴェルヌ(19世紀から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの小説家。代表作に『海底二万海里』(1870年)がある)のような様々な人たちの存在が影響していますけど、僕は彼らをある種、「模倣」しているんだと思います。

ヨルシカ(よるしか)
ボカロPであり、コンポーザーとしても活動中のn-buna(ナブナ)が、女性シンガーsuis(スイ)を迎えて結成したバンド。2017年より活動を開始。2019年4月に発売した1stフルアルバム『だから僕は音楽を辞めた』はオリコン初登場5位を記録し、各方面から注目を浴びる。文学的な歌詞とギターを主軸としたサウンド、suisの透明感ある歌声が若い世代を中心に支持されている。

―n-bunaさんはヨルシカ結成前から、ソロ名義でも活動されていますよね。ご自身の音楽家の歴史の中で、2019年にこの2枚の作品が産み落とされたことに、必然性はあったと思いますか?

n-buna:そうですね、僕は15歳の頃から音楽を作り始めましたけど、音楽を始めたての頃には作れなかった作品だと思います。19歳から20歳のときに、とても悩んだ時期があって。その頃に“だから僕は音楽を辞めた”という曲が部分的にできていたんですね。それを膨らませて作ったのが、この2枚の作品なんです。

―だとすると、物語と作者の距離感という点で、今作はn-bunaさんご自身とかなり距離が近いと言えそうですね。実際、この2作品の背景にある物語はスウェーデンを舞台にしています。n-bunaさんがかつて暮らしていた土地でもあるそうですね。

n-buna:『だから僕は音楽を辞めた』は、自分自身にかなり近いと思います。僕の体験や思想がそのまま物語に入れ込んである。そっちの方が、リアルな質感を持った物語になると思うんですよね。だからこそ、僕と思想が似ている人は共鳴してくれるかもしれない。

スウェーデンの風景。撮影:n-buna
『だから僕は音楽を辞めた』『エルマ』制作のため、n-bunaはスウェーデンに渡った。
ヨルシカ『だから僕は音楽を辞めた』(Apple Musicはこちら

僕が曲を作るのは、完全に自分のためです。(n-buna)

―ヨルシカの音楽は、「誰かのため」に作られているといえますか?

n-buna:いや、そういうことではないですね。僕が曲を作るのは、完全に自分のためです。「作りたい物語があるから作る」っていう、そこに尽きます。

嫌な言い方になってしまうかもしれないですけど、リスナーのことを考えて、「その人たちのことを元気づけよう」っていうモチベーションで曲は作れないんです。あくまで自分のために、自分の人生を書いた曲しか書けない。だからこそ、今回のようなアルバムが生まれたんだと思うんですけど。

―suisさんはどうですか?

suis:私はヨルシカを始める前から、n-bunaくんの作る歌詞や曲がずっと好きで、彼が書く曲に共鳴してきた立場だったんです。それが今、こうやってn-bunaくんが作った曲を歌う立場になっていて。それはなんというか、普段言えないような強い言葉を言うような感覚というか……。

n-buna:抑圧された気持ち?

suis:そう、暗い気持ちだったり、怒りだったり、悲しみだったり。そういうものって、大人になると口に出さなくなるじゃないですか。特に私は、ヨルシカをやるにあたって、それまでの自分を捨てて「suisになった」という感覚が強くて。

やっぱり私生活のなかでは、抑圧された感情は抑圧されたままというか……だからこそいまの私には、その感情を出す場所がn-bunaくんの作る歌詞にしかなくなったんですよね。「自分を失くした」ぶん、彼の歌詞を歌うことで、「失くなる」前に自分のなかにあったであろう感情を口に出せる。合法的に強い言葉を吐ける、というか。

n-buna:合法的に、人を傷つけられる?(笑)

suis:うん(笑)。「こんなこと普段は絶対に言えない」っていうことを自分が歌うことで、自分自身が救われている感覚があります。だから、私もn-bunaくんと同じように完全に自分のために、自分を救うためにn-bunaくんの作る歌を歌わせてもらっているのかなって思いますね。

“心に穴が空いた”ミュージックビデオより

―今、suisさんがおっしゃった「救われる」という感覚は、n-bunaさんの音楽制作にも当てはまる言葉だと思いますか?

n-buna:いや、僕にはそういう感覚はないですね。僕にあるのは、「もっといい曲を書きたい」「自分が納得するような曲を書きたい」っていう気持ちだけなので。もし「これが作れたんだから、もう音楽を辞めていいな」って思えるくらいの曲が作れたら、僕も救われるのかもしれないですね。

ヨルシカを始めたきっかけは、僕が音楽で食べていかなきゃいけない人間だった、という部分が大きいんです。(n-buna)

―今回の『だから僕は音楽を辞めた』と『エルマ』はどうですか。完成させてみて、救われないまでも、なにかを吐き出せたような感覚があったりするものではないですか?

n-buna:いや、今はとにかく新しい曲が作りたいです。今回の2作に関しては、純粋に「クオリティが高い作品に仕上がっていたらいいな」って思いますけど、僕はまだ全然満たされていないので。早く自分が救われるような、人生の1曲が書きたい。そういう気持ちは、最近になって強くなっているような気はします。……ただ、そうは言っても最近は、ヨルシカで音楽を作ること自体が楽しくなってきたんですよ。

―最初は違ったんですか?

n-buna:最初は、ビジネスとしてヨルシカを始めたので(笑)。

suis:ビジネスパートナーっていう感じだったもんね(笑)。

n-buna:うん。ヨルシカを始めたきっかけは、それまでボーカロイドを使っていたところから「人間の声で表現したい」っていう欲求が出てきたこともあったんですけど、それ以上に、僕が音楽で食べていかなきゃいけない人間だった、という部分が大きいんです。……ちょっと不純ですけどね。

―いや、不純ということはないと思いますが。ちゃんと作品の中に、ご自身の一番ピュアな部分が込められていると思います。

n-buna:それこそ、今回の物語にも名前を出したヘンリー・ダーガー(15000ページ以上のテキストと300枚の挿絵から構成される『非現実の王国で』という物語を、約60年間、誰にも見せずに書き続けたアメリカの作家)のように、閉ざされた自分の世界の中で作品を作り続けて、そのまま生涯を終えるという在り方にも憧れるんですよ。でも、部屋の中で自分の好きなことをやっているだけでは、人は生きていけない。

だから僕は、「人間の声を使った表現」をやりつつ、その作品を使って音楽家として食べていけるようになりたかったし、そういう方向に向かっている自分に20歳の頃に気づいたんですよね。「生活」のために音楽を作っていることに気づいた瞬間があった。そのときの自己矛盾と葛藤が“だから僕は音楽を辞めた”という曲や、そこから発展していくアルバムにもつながっていったんです。

―なるほど。

n-buna:でも今は、かなり意識が変わってきました。今は、ヨルシカで生み出す「人間的な表現」に執着し始めている感じがあります。そうなったのも、suisさんが僕が作った歌にちゃんと感情移入して歌ってくれるから。そういう意味でも、今、suisさんはビジネスパートナーではなく僕の相棒ですね。

suis:最近、相棒感出てきたよね(笑)。私も、最初の2枚のミニアルバム(『夏草が邪魔をする』(2017年)、『負け犬にアンコールはいらない』(2018年))の頃は、自分の歌声を外に出すこと自体初めてだったので、「上手に歌わなきゃいけない」とか「聴いた人にとって心地いい歌じゃなきゃいけない」っていう、エゴや羞恥心を持ちながら作品に向き合っている感覚があったんです。でも、徐々に「自分」よりも「ヨルシカ」の作品であることに気持ちが向いていって。

ヨルシカ『夏草が邪魔をする』(2017年)収録

ヨルシカ『負け犬にアンコールはいらない』(2018年)収録

suis:今年の2枚のアルバムでは、自分の歌に変なプライドを持つことをやめて、声が裏返ったり、泣いていたりする部分を恥ずかしいと思わずに出せるようになった……いわば、解き放たれたような感覚はあるんですよね。それが、私が「ヨルシカになる」っていうことだったのかなと思います。

―n-bunaさんは、ヨルシカを始める前からソロ名義での活動があるわけですよね。そのうえで、『だから僕は音楽を辞めた』と『エルマ』の2作は、suisさんと共にある「ヨルシカ」というユニットだからこそ表現することができた物語だと思いますか?

n-buna:そうですね。こういう人間的なユニットでないと、できないことだったと思います。

エイミーという青年が残した手紙と詩と音楽があって、それに多大なる影響を受けたエルマという女性がエイミーを模倣して旅をし、曲を書くようになる。そしてエルマは初めて自分の意志で「音楽を作りたい」と思ったときに、「エイミーが残したもので音楽を書こう」と思うわけです。

なので『だから僕は音楽を辞めた』というアルバムは、エイミーが作ったアルバムではなくて、エルマが作ったアルバムなんですよね。だから、エルマという「女性」の声で収録されている。もし、男性ボーカルとユニットを組んでいたら、また別の物語を書いていたと思うんですよ。そういう意味でも、この物語はsuisさんがいたからできたものだと思います。

“心に穴が空いた”ミュージックビデオより

想像が追い付かなくなるくらいの難産の果てに出てきたものが、n-bunaくんの望む美しい歌なんだと思う。(suis)

―2枚のアルバムの構想に関しては、n-bunaさんからsuisさんにどのくらいの事前説明があったのでしょうか?

n-buna:今回に限らずですけど、基本的に説明はほとんどしないです。大枠は説明しますけど、細かい歌詞の背景は一切説明しない。suisさんには真っさらな状態で歌ってほしいんですよね。そうすることで、僕が思いもつかないような表現をもらうことが楽しいんです。彼女なりの解釈で詞を読んでほしいし、そこから出てくるものが見たい。

―suisさん的にも、そういった作り方はしっくりきていますか?

suis:たしかに、細かいディレクションがないほうが自由に表現できるっていう発想もあると思うんです。でも、さっきn-bunaくんが言っていたように、『だから僕は音楽を辞めた』ではエイミーという男性の気持ちが歌われているけど、歌っているのはエルマという女性……みたいな感じで、今回の2作品は複雑な関係性で成り立っているじゃないですか。

そこにはいろいろ重要な設定があると思うんですけど、それを私はあまりにも知らされないので……。

―え、そうなんですか(笑)。

suis:だからn-bunaくんの知らないところでは、かなり難産にはなっています(笑)。

n-buna:そうだったんだ(笑)。

suis:その難産っぷりがいいんだと思いますけどね。考えたり想像したりすることが追い付かなくなるくらいの難産の果てに出てきたものが、n-bunaくんが望む美しい歌なんだろうと思うので。なので、このやり方でいいんだろうとは思います。

“雨とカプチーノ”ミュージックビデオより

今、ヨルシカをやっているのは、思いがけずやってきた楽しい余生、みたいな感覚なんですよね。(suis)

―先ほどからsuisさんの口から出てきている、「ヨルシカのsuisになる」とか、「それまでの自分を殺した」というような表現も、少し気になっているのですが。

suis:なんなんでしょうね?(笑)……きっと私には、「0か100か」しかないんですよね。自分の思想を抱えながら「ヨルシカのsuis」にはなれなかったし、「suis」になるには、それまでの自分の人格を殺して、新しい人生を送るしかなかった。私がヨルシカのお話をいただいたのは20歳くらいの頃だったんですけど、その頃には、もう人生はエンディングでいいかなって思っていたんです。10代の頃はとにかく生き急いでいたし、そのままゆるやかな死を待っている最中だった。

それはそれで、それなりに幸せだし、死ぬまでこのままでいいや、みたいな……すごく平坦で幸せなお花畑の中でウフフって笑っているような時期だったんです。

そういう時期にヨルシカのお話をもらい、お花畑で緩やかな死を待つか、人生のエンディングに新しいことをやってみるかっていう選択の中で、ヨルシカを選んだっていう感じだったんですよね。

―なんだか、すごいお話ですね……。ヨルシカを始める前、10代の頃のsuisさんというのは、どんな感じだったのですか。

suis:10代の頃は、自分が楽しんでいるその瞬間より、いずれその瞬間を思い返す未来がきたときに、それが「思い出」として美しくあることの方が重要だと思っていて。

だから若いうちに「思い出」になりうることをやっておかなきゃいけないと思って、生き急いでいたんです。そうしたら20歳になった頃にはやりたいことがなくなっていて、「人生終わったな」って思ったんですよね。

だから、今、ヨルシカをやっているのは、思いがけずやってきた楽しい余生、みたいな感覚なんですよね。ゲートボールよりはヨルシカだった、みたいな(笑)。

n-buna:なるほどね。僕も同じような頃には、「隠居したい」ってずっと思ってたな。湖のそばに家を建てて、そこで隠居しながら緩やかに死を待ちたいって(笑)。

suis:綺麗なところでね(笑)。でも、それをやるには経済的な面で無理があるし、それなら今回の人生はもう終わりでいいというか……ボロアパートで死んでいくのも美しいのかなって思ってた。それも幸せなのかなって。

“雨とカプチーノ”ミュージックビデオより

―今のお話にもつながるような気がするのですが、この2作の物語には、その根底に「不在」や「喪失」というものが横たわっていますよね。この感覚は、ご自分たちが作品を作るうえで、あるいは生きるうえで、重要なものだと思いますか?

n-buna:僕は昔からそういうものばかり作っていて。過去や思い出を掘り返しながら作品を作っているような感覚があります。自分のことを人よりも「欠けた部分」の多い人間だと思っているから、その欠けの部分を過去や思い出で埋めていくところがあるというか。だからこそ、人間の「死」にはすごく敏感な方だと思うんですよね。

スウェーデンの風景。 撮影:n-buna

もし大切な人が亡くなった知らせを受けても、その3秒後には「死は必然だから」って笑っているんじゃないかと思う。(suis)

―「不在」や「喪失」という点において、suisさんはいかがですか?

suis:作品の物語のなかで、エルマがエイミーを失くしたような、そういう経験は私にはないですけど。でも、さっきも言ったように私はヨルシカを始めるときに、それまでの人生を生きてきた自分を殺して、新しい自分になるっていう手段をとったので。それは、人ひとり殺した感覚にも近いというか……もうひとりの自分に「じゃあね」って言って、自分で自分を殺した感覚があって。

「ヨルシカのsuis」になることでそれまでの自分を失った感覚、そこにある喪失感っていうのは、人生で初めてくらいの大きななにかを失くした体験だと思います。でも、それはヨルシカのために失くしたものなので、今はその喪失感を使って、上手いこと生きているなっていう感じですね。

―なんだろう……suisさんは非常に穏やかに、冷静に、すごいことを言いますよね(笑)。

suis:本当になんなんでしょうね?(笑)……でも、私は悲しみに弱すぎるような気もしていて。n-bunaくんが人の「死」を敏感に感じ取るのとは真逆で、もし大切な人が亡くなった知らせを受けても、その3秒後には「死は必然だから」って笑っているんじゃないかと思うんです。自分でも気持ち悪いなって思いますけどね(苦笑)。

でも、悲しみに弱すぎて、「仕方がない」と思わなきゃ生きていけないような……そんな性格だなって自分では思います。

視聴者の皆さんは僕のバックグラウンドなんか気にせず、作品だけを楽しんでくれたらなって、いつも思う。(n-buna)

―n-bunaさんが「自分のことは話したくない」と思う、そこにはワイルドの「人生は芸術を模倣する」という言葉にも通じる意志があるように思うのですが、どうでしょう。

n-buna:「作品のために作品を作らなきゃいけないんだ」って、あるとき思ったんですよ。

―その「あるとき」というのは?

n-buna:それもご想像にお任せします。視聴者の皆さんは僕のバックグラウンドなんか気にせず、作品だけを楽しんでくれたらなって、いつも思うんですよね。

―でも、往々にして受け手は作品の向こう側にある作者の表情を覗こうとするものですよね。それに、今回の2枚のアルバムで描かれた物語の、フィクションの濃度を色濃くしているのは、その前提にあるn-bunaさんの実感や実体験だと思います。

n-buna:そうですね。それこそ、僕は種田山頭火という俳人が大好きなんですけど、彼の俳句には彼自身の生活がそのまま芸術に昇華されている。あるいは太宰治が『走れメロス』を書いたのも、彼自身の経験がもとになっていたわけですよね。そうやって作家自身の人生から名作が生まれるわけだし、それも含めてみんなその作家たちを評価しているんだと思います。

でも、僕は小説でもなるべく作者情報を見ないようにするんですよ。できるだけ「作品だけ」に感動したいし、自分が作る作品にも、そういうものを一貫して求め続けているんです。

だから、僕の作品にどれだけ自分の人生が反映されていたとしても、僕は「僕」という存在が介在するのではない形で作品を見てほしいし、作品だけを見たうえで評価を受けたい。作者の背景を知って、それに受け手が自己を投影して感動するというよりは……例えば、ライブでふと流れてきた音楽に心を奪われたり、美術館で偶然見た、名前も知らない人の絵に感動したりする瞬間ってあるじゃないですか。

―ありますね。

n-buna:それになりたいんですよ。だから、今のヨルシカはこういう形になっているんですよね。作品以上に僕たちが前に出ないように、僕たち自身の顔や情報もほとんど出さないんです。

どのビジュアルも、顔が消されている

―なるほど。最後に、今のヨルシカはどんどんと認知を広げているし、特に、ヨルシカの作品のなかに、自分の気持ちの置きどころを見つけている若者たちも多いんじゃないかと思うんです。そういった状況に対して、ご自分たちでは思いますか?

n-buna:suisさんはどう思いますか? 僕は、自分の作品を作っているだけで、そういうことはまったくわかないから。

suis:若いって、それだけで辛いじゃないですか。私がn-bunaくんの作る歌を歌っているときと同じように、そこにある強い言葉によって気持ちが解放されたり、自分が抱いている感情が許されたり……そういう体験が、その人にとっての救いになることもあるのかなって思います。

それに、リスナーさんがどれだけ作者に興味があるかわからないんですけど、私のように中身が空っぽのボーカルと、自分を表に出さないn-bunaくんっていう音楽家によってヨルシカはできているから。だからこそ、聴いている人は「これは自分の歌だ」と思いやすいのかもしれないですよね。

n-buna:なるほどなぁ……。今、suisさんの話を聞きながら「そうだったんだ」って思いました(笑)。

そこに僕がひとつ加えるなら、僕らの音楽を聴いてなにかを感じてくれた人が、そこから音楽を作り始めてくれたら嬉しいですね。音楽だけじゃなくても、なにかを表現し始めてくれたら嬉しい。僕がオスカー・ワイルドを模倣したように、ヨルシカを模倣して作品を作り始めてくれたら、それは僕の信念にも叶っている。嬉しいことだなって思います。

ヨルシカ『エルマ』を聴く(Apple Musicはこちら

リリース情報
ヨルシカ
『エルマ』初回限定盤「エルマが書いた日記帳仕様」(CD+写真+日記帳)

2019年8月28日(水)発売
価格:4,860円(税込)
UPCH-7511

1. 車窓
2. 憂一乗
3. 夕凪、某、花惑い
4. 雨とカプチーノ
5. 湖の街
6. 神様のダンス
7. 雨晴るる
8. 歩く
9. 心に穴が空いた
10. 森の教会
11. 声
12. エイミー
13. 海底、月明かり
14. ノーチラス

ヨルシカ
『エルマ』通常盤(CD)

2019年8月28日(水)発売
価格:3,240円(税込)
UPCH-2191

1. 車窓
2. 憂一乗
3. 夕凪、某、花惑い
4. 雨とカプチーノ
5. 湖の街
6. 神様のダンス
7. 雨晴るる
8. 歩く
9. 心に穴が空いた
10. 森の教会
11. 声
12. エイミー
13. 海底、月明かり
14. ノーチラス

サイト情報
ヨルシカ 2ndフルアルバム『エルマ』特設サイト
イベント情報
ヨルシカ Live Tour 2019『月光』

2019年10月17日(木)
会場:東京都 TSUTAYA O-EAST

2019年10月21日(月)
会場:大阪府 BIG CAT

2019年10月22日(火・祝)
会場:愛知県 ボトムライン

プロフィール
ヨルシカ
ヨルシカ (よるしか)

ボカロPであり、コンポーザーとしても活動中のn-buna(ナブナ)が、女性シンガーsuis(スイ)を迎えて結成したバンド。2017年より活動を開始。2019年4月に発売した1stフルアルバム『だから僕は音楽を辞めた』はオリコン初登場5位を記録し、各方面から注目を浴びる。文学的な歌詞とギターを主軸としたサウンド、suisの透明感ある歌声が若い世代を中心に支持されている。



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