レビュー

放り出されてしまった世界で、歌を

九龍ジョー
2011/12/21
放り出されてしまった世界で、歌を

震災について、原発について、もしくは3・11と呼ばれるような事態について、どう考えていいのか、確たるものを持てないまま、すでに「なにごともない日常」みたいな、でも「なにごともない」とはなにごとだ、なにごとはあそこで起きている、ここではどうだ——なんて戸惑いと自己暗示を繰り返しながら2011年が過ぎ去ろうとしている。
東京に住んでいる。この暮れにきて、杉並区の小学校で、芝生の霜よけシートから1キログラムあたり9万600ベクレルの放射性セシウムが検出されたという。やっぱり移住とか考えたほうがいいのだろうか。
真実は一つではない。そんなことは前からわかっていたはずだ。でも命だけはなによりも守られるべきもの。そう思っていたけど、どうもこの国ではそれすら一つの見方にすぎないらしい。正義の味方はいないらしい。自分の頭で考えるしかない。でも揺れ動くフォーカスのように、頭の中の像はなかなか焦点を結ばない。

2011年4月の終わり頃、『トーキョードリフター』の撮影に誘われた。
震災の当日に日本にいなかった松江哲明監督は帰国当初、「こんなときにドキュメンタリーなんて撮っていられない」というようなことを言っていたはずだ。たしかに、これまで松江のつくってきた「セルフ・ドキュメンタリー」の圏内からすれば、起こっている問題は大きすぎる。もっともなことだと思った。
それがどう心変わりしたのか。
「いまの、この、東京の姿を記録しておきたい」
松江もまた揺れていた。節電のために暗く、見えない放射線の影に怯え、ピリピリとした空気に包まれた東京。松江の生まれ育った街。この東京の姿を残しておきたい。そう思ったのだという。
前野健太を主演に、『ライブテープ』と同じスタッフで撮影するという。早い。まだ2年しか経っていない。
それでも僕はぜひ撮影に参加させてほしいと言った。東京は僕の育った街でもある。また、『ライブテープ』の現場も体験した人間として、前回とはまったく違う映画になるという予感があった。おそらく松江哲明による、初の社会派ドキュメンタリーになるのではないかと。
しかし、映画の完成したいま、その浅はかさを恥じる。
ここに映っているのは、答えの定まらない世界に放り出されてしまった、松江自身の揺れだった。
答えはない。正解はない。なにも映らない。しかし、その事実を前に戸惑う自身の姿をできるだけ精度高く切り取ることが目指されていた。つまり、『トーキョードリフター』もまた、東京を媒介としたセルフ・ドキュメンタリーであった。

そこには東京の風景とともに、前野健太の歌があった。
古来、この国では言葉にできない気持ちを歌に託したものだ。惚れた腫れたや権力への不平不満、家族への愛情まで、そこでは歌こそが「ホントの気持ち」なのだ。
映画の撮影前、いやもっと言えば震災の余波のまっ只中で、常に松江の念頭にあったのは、前野の持ち歌の一つである「新しい朝」だったはずだ。そこに託せる気持ちがあったと聞いている。
しかし、前野はその気持ちを受け止めながらも、それだけでよしとしなかった。松江の歌も聴かせてほしいと願った。映像だけではダメだ。『トーキョードリフター』には松江自身の歌が必要だと前野は考えたのだ。
だから松江は歌をつくった。この映画の主題歌である。

コトバをなくした街で
コトバを知らない私を
コトバを吐きながら抱くあなた

膝を抱えてテレビを見て
欲しい答えを探してる
(”トーキョードリフター”)

『トーキョードリフター』をスタッフ試写で見た僕は、プレス用のイントロダクションを依頼され、3・11とこの映画の関係について書いた。
でもしばらくして再び劇場で試写を見て、3・11については触れる必要がなかったかもしれないと考えた。それがなくとも、作家の心情や、街の表情が、映像表現として自立していると思ったからだ。
しかし、その後、何本か震災関連のドキュメンタリーをまとめて見る機会があり、さらに考えを改めた。被災地や福島を被写体にしても、俄には何も映らないことがわかったからだ。避難所で取材をしても、たった一度のインタビューでは被災者の方たちの生活の重さは映らないし、いくらガイガーカウンターの数値を映しても放射線の姿を捉えることはできない。
映らないから「なにごともない」ではない。なにごとは目に見えないかたちでそこかしこで起きていると思った。
だからプレスにはこう書いた。
「あえて言おう。東京もまた被災地なのだと」
とはいえ、本当にそう言っていいのだろうか。東北や福島の方たちとどう繋がることができるのだろうか。僕自身、まだ揺れている。

つい先日、劇場で3回目の『トーキョードリフター』を見た。
時間の経過とともに、映画はまた違う表情をしていた。寓話のようだと思った。
『ライブテープ』の、あの人生にも似た一度きりしかないワンカット。統合された幸福。それらが、『トーキョードリフター』では分断されている。そのカケラを集めながら、ドリフターは移動を続け、恢復を試みようとする。
あのドリフター、いったいどこから来たのだろう?
未来、なんてことを思う。もしかしたらあのドリフターは、”あたらしい朝”で歌われている、「百年後か千年後か一万年後かの僕のこどものこどものそのこどものこどものこどものこどものこどものこどものこどものこども」なんじゃないか。
——ん? ターミネーター!?
そう思えば、鬼才写真家・梅川良満撮影による『トーキョードリフター』のCDジャケットも納得である。

前野健太『トーキョードリフター』ジャケット
前野健太『トーキョードリフター』ジャケット

でも、まだ揺れている。考えも変わっていく。
すっかり放り出されてしまった世界で、僕もまたドリフターだ。

作品情報

『トーキョードリフター』

2011年12月10日からユーロスペースほか全国順次公開
監督:松江哲明
主演・音楽:前野健太
配給:東風

松江哲明

1977年生まれ。東京都出身。99年日本映画学校卒業制作として『あんにょんキムチ』を監督。国内外の映画祭に参加し、山形国際ドキュメンタリー映画祭アジア千波万波特別賞、NETPAC特別賞、平成12年度文化庁優秀映画賞などを受賞。 その後、OV『ほんとにあった! 呪いのビデオ』シリーズ、『カレーライスの女たち』、『セキ☆ララ』などを制作。2007年に発表の『童貞。をプロデュース』、2009年に入って発表の『あんにょん由美香』が相次いで大ヒットを記録。著書に『童貞の教室(よりみちパン!セ)』等があり、「映画秘宝」「映画芸術」では映画評を発表している。

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