こだまが燃え殻に寄せて 2つの私小説をめぐる書き下ろしエッセイ

メイン画像:Photo by 秋本翼

「思い出さないでいるつもりだったことを思い出した。あの人も、私も、きっと。またあの頃と同じような恋をするんだ」――これはシンガーソングライターのあいみょんが、会社員の作家・燃え殻による初小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』の文庫版の帯に寄せた一節。主人公である「ボク」が、昔フラれた彼女に誤ってFacebookの「友達申請」を送ってしまうところからはじまるこの物語には、読み手に、自分の経験、感情を重ねさせてしまう不思議な魅力がある。

2017年6月に書籍化されて以来、多くの読者の想いを揺さぶった同書の文庫化にあたり、『夫のちんぽが入らない』の著者・こだまからの書き下ろしの書評が到着した。同じ時代に生きた著者による痛切な私小説に通底した何かを感じた読者は、きっと少なくないはずだ。前置きはここまでに、こだまによる一編のショートエッセイをお楽しみいただきたい。

同じ時代の「中心」と「果て」で

私は燃え殻さんと同世代の40代だけれど、触れてきた文化も、見てきた世界も随分と違う。青春時代はラジオの電波もろくに拾わないような地方の山奥で過ごした。映画を観ない(映画館がない)、音楽もほぼ聴かない(レンタル店もない)。岡崎京子、フリッパーズ・ギター、『エヴァンゲリオン』、ノストラダムスの1999年地球滅亡論。『ボクたちはみんな大人になれなかった』の「ボク」と彼女の日常を彩る90年代のサブカルチャーからは程遠い生活を送っていた。

同じ時代に生きながら、文化の「中心」と「果て」だった。沼の鯉に餌を撒くことくらいしか娯楽のなかった人間に、この小説の滋味を掬い取ることができるのか。私にしか書けないことってあるだろうか。書評エッセイを、と声を掛けていただいてから、そんなことをずっと考えていた。

私は2017年1月に私小説『夫のちんぽが入らない』でデビューした。タイトルそのものの問題から、母子関係、教師としての挫折といった「人とうまく交われない半生」を綴った。一方、燃え殻さんは、その5か月後に『ボクたちはみんな大人になれなかった』を上梓。私たちは主にインターネット上で作品が話題になり、同じ年にハンドルネームのまま書籍化されたという共通点がある。

燃え殻さんの存在を知ったのは、私の本の感想をTwitterに書いて下さったのがきっかけだったと思う。なんで芸能人並にフォロワーが多いのだろう。いったい何をしている人なのか。謎だらけだった。興味を抱き、彼の日々の呟きを遡ってみた。140文字いっぱいを使った静かな独り言だった。数行の中に、東京で働く人の夜更けがあり、明け方があり、雨があり、酒があり、音楽やラジオがあった。仕事仲間らと交わした言葉、それによってざらついた感情が、誰に宛てるでもなく、放るように綴られていた。有名無名たくさんの人に囲まれているのに、どこか居心地悪そうにも見えた。

燃え殻(インタビュー:「燃え殻インタビュー。もしSNSがなかったとしても、僕らは出会う」より / 撮影:豊島望)
燃え殻(インタビュー:「燃え殻インタビュー。もしSNSがなかったとしても、僕らは出会う」より / 撮影:豊島望)

それは出版後も同じだった。いちばん浮かれ、充実しているであろう時期に、彼は胸のうちを吐き出していた。99人に褒められても、たった1人の悪意に満ちた言葉に気持ちを引き摺られる。そんな風に見えた。

その姿に覚えがあった。つい数か月前の自分である。私のデビュー作はわかりやすいくらいに賛否両論だったから、多くの正義感あふれる人たちから「正しさ」をぶつけられた。そんなことは充分わかった上で書いていたけれど、実際に直面すると打ちのめされた。私は燃え殻さんに対して、本の感想と共にこんなことを書き込んでいる。

「全方向からうるさいことを言われても2ヶ月くらいでうるささのパターンが終了するので、きっと大丈夫です」

先輩ぶってしまった。なんて厚かましいんだ。白状すると、私は当時それほど割り切れていなかった。ぜんぜん大丈夫ではなかった。うるせえ、おまえに何がわかる、と毎日のように顔の見えない人たちに毒付いていた。燃え殻さんを励ます形を取りながら、自分に言い聞かせていたのだ。

燃え殻さんの本は発売されてすぐに読んだ。文通で始まる「ボク」と彼女の恋の行方に目がいきがちだけれど、というかそういう物語なのだが、私は本筋ではないところで涙が込み上げてきた。

それはテレビ番組のテロップを作る仕事に転職したころ。クリスマスイブの特番に間に合わせるために雪の中をバイクで走り、転倒する場面だ。大怪我を負っていることに意識が向かないくらい、路上に散乱したテロップを必死でかき集める。その焦り。華やかな夜に、世界から見放されたような孤独感。手を貸してくれた人の存在。すべてを投げ出して泣いてしまいたくなるような夜が、そこにあった。ラブストーリーだけれど、その前にひとりの人生の話なのだ。

彼女のことを「最愛のブス」と呼ぼうが、素性のわからぬ女性に心をかき乱されようが、それが作品の本質を損ねるだろうか。小説として描かれたものの中にまで潔癖さや正義を求めるなんて窮屈だ。駄目で、情けなくて、筋が通ってなくて、揺れ動いている。私はそんな「ボク」をとても人間らしいと思う。

先日この作品について同い年の友人と話す機会があった。私と同じように地方で暮らすその人は、「この感じ、俺たち同年代が20代のときに通り過ぎた空気感そのものだ」と言った。行間から、SNSのなかった時代にやたら眩しく見えた「東京」を感じるのだと。

「ボク」と彼女の目を通して知る「東京」。触発されて誰かに語りたくなる。書いてみたくなる。まだ何者にもなっていない自分の、どうしようもない日々を。生まれ育った場所も、馴れ親しんできた文化も違うのに、雨のにおいを嗅いだ瞬間ふいに押し寄せる記憶みたいに、過去へと立ち返らせてくれる力がこの作品にはある。

書籍情報
『ボクたちはみんな大人になれなかった』(新潮文庫)

2018年11月28日(水)発売
著者:燃え殻
価格:464円(税込)
発行:新潮社

『夫のちんぽが入らない』(講談社文庫)

2018年9月14日(金)発売
著者:こだま
価格:648円(税込)
発行:講談社

プロフィール
燃え殻
燃え殻 (もえがら)

神奈川県在住。テレビ美術制作会社で企画・人事担当として勤務。会社員でありながら、コラムニスト、小説家としても活躍。週刊SPA!にて『すべて忘れてしまうから』、Numero Tokyoにて『こう生きるしか、なかった。』連載中。

こだま

主婦。'14年、同人誌即売会「文学フリマ」に参加し、『なし水』に寄稿した短編「夫のちんぽが入らない」が大きな話題となる。'17年、短編を大幅加筆した私小説『夫のちんぽが入らない』でデビュー。単行本と文庫本は累計22万部に。2作目『ここは、おしまいの地』で第34回講談社エッセイ賞を受賞。現在、『クイック・ジャパン』『キノノキ』で連載中。



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