日本に魅せられた音楽家アート・リンゼイの交友関係の秘密を探る

アート・リンゼイがソロ名義では実に13年ぶりとなる新作『Cuidado Madame』を完成させた。DNA時代に通じるノイズギター、The Lounge Lizards譲りのジャズ風味、そして、近年のメインだったブラジル音楽の要素が融合し、非常に実験的でありながら、同時に優れたポップレコードでもある。2016年はMETAFIVEのアルバムが年明けを飾ったが、それにも通じる衝撃度の作品だと言っても大げさではないように思う。

このインタビューはアートが昨年8月に来日し、代官山・晴れたら空に豆まいてを舞台に、青葉市子、山木秀夫、Buffalo Daughter、ジム・オルークと共に5デイズのライブを行った際に収録されたもの。坂本龍一との交流がよく知られ、近年は頻繁に来日も果たしているアートだが、そもそも彼がどのように数多くの日本のミュージシャンと交流を深めていったのかは、あまり語られる機会がなかったように思う。そこで今回は、改めてアートと日本とのつながりをテーマに取材を行い、貴重なエピソードの数々を聞かせてもらった。

静けさと、その裏側にある激しさというような、日本文化の複雑な二面性にすっかり惚れ込んでしまいました。

―今回の5日間のライブは、アートさんにとってどのようなものでしたか?

アート:大変だったけど、とても楽しかった。靴を脱いでパフォーマンスするっていうのが日本的な感じで面白かったし、ホントに家にいるみたいな、アットホームな感じでしたね。カエターノ・ヴェローゾ(アートがプロデュースを務めたこともあるブラジルの作曲家・歌手)の妹のマリア・ベターニアもステージで靴を履かないことで有名なのだけど、彼女はいつもこんな感じなのかな(笑)。

アート・リンゼイ
アート・リンゼイ

―共演者が毎日違ったわけですが、特に印象に残っている日はありますか?

アート:みんな好きな人ばかりだから、毎日楽しかったんだけど……初日の青葉市子さんで今回のツアーのトーンが決まったように思う。あと、今回は長年の友人であるzAkさんがPAを担当してくれて、クラブと自宅の中間くらいのとてもいいバランスの音響でできたと思います。

―今回の来日公演自体、アートさんと日本とのつながりの深さを改めて示すものだったと思うのですが、そもそもアートさんが初めて日本に来たのはいつで、どんなきっかけだったのでしょうか?

アート:初めて来たのは1985年です。近藤等則さん(トランペット奏者。映画音楽作曲家としても知られる)の招待でジョン・ゾーン(アメリカのサックス奏者)と一緒に来日して、FRICTIONのレックさん、今回も共演した山木秀夫さんと、ファイブハンドレッドスタチューズというバンドとして、1か月くらいツアーをしたんです。

来日するまでは、日本に特別興味があったというわけではなかったんですけど、静けさと、その裏側にある激しさというような、日本文化の複雑な二面性にすっかり惚れ込んでしまいました。

アート・リンゼイ

―さらにさかのぼると、アートさんはDNA(1978年にニューヨークで結成。ノーウェーブと呼ばれるムーブメントを代表するロックバンド)で日本人のイクエ・モリさんと共に活動をしていたわけですが、彼女との接点から日本に興味を持ったというわけではない?

アート:彼女を通じて雅楽のような日本の伝統音楽に興味を持って、少し勉強をしたことはありました。でも、日本そのものに対する興味にまでは至っていなくて、大きな意味での日本文化に対する興味を持ったのは、実際に来てみてからですね。

―具体的には、最初にどんな日本の文化に惹かれたのでしょうか?

アート:ホントにいろいろあるんですけど……文学に関しては、太宰治の作品が好きで、英訳されているものをいくつか購入しました。音楽に関しては、最初は全然知識がなかったので、いろいろジャケ買いをしてましたね。

例えば、BOREDOMSのことも当時は知らなかったんですけど、アートワークに惹かれて買ってみたら内容もすごくよくて。あと、暴力温泉芸者(中原昌也によるノイズユニット)は名前が面白いと思って(笑)、実際に買って聴いてみたらすごくよかったんですよね。

アート・リンゼイ

―アートさんと日本人アーティストの交流の中でも、坂本龍一さんとの交流はよく知られるところかと思います。坂本さんとはいつどのように出会ったのでしょうか?

アート:坂本さんとは、ニューヨークでセッティングされたYMO(Yellow Magic Orchestra)とDNAの対談で初めてお会いしました。その後、さっきも言ったように1985年に初めて日本に来て、ツアー後にジョン・ゾーンは先にニューヨークに帰ったんですけど、僕は数週間日本に残ることにしたんです。

そのとき、当時の坂本さんのマネージャーだった生田朗さんにソロのギグをブッキングしてもらったり、初めて坂本さんとレコーディングもして。具体的な交流はそこからスタートしました。

僕は気になった人には自分から会いに行くということを大切にしているんです。

―アートさんと坂本さんが共有していたのは、どんな部分だったのでしょうか?

アート:まずは単純に、友人として仲よくなったんです。坂本さんは好奇心旺盛で、ユーモアもあって、そこにすごく惹かれました。彼は音楽的な興味もすごく広いので、僕と共通するところがあったと思います。

そもそもの話で言うと、音楽はいろんなものが混ざり合って、変化し、発展することが重要だと思っているんですが、1980年代という時代は多くのミュージシャンがその意識を共有していたんです。もちろん、僕も彼もそこに意識的だった。だからクロスオーバーする部分があったんじゃないかな。

アート・リンゼイ

―「混ざり合うことが重要」という意識を共有していたと。

アート:80年代は世界中のミュージシャンがそういう意識を持って活動していた。それが90年代に入るとDJ文化が出てきて、今度はレコードを通じて音楽が混ざり合っていったんですよね。そして、今はその役目をインターネットが担っている。そういう流れになるかなと思います。

―90年代の日本では、今回のライブでも共演しているBuffalo Daughterや、同じくアートさんとの交流が深いCORNELIUS(小山田圭吾のソロプロジェクト)らが世に出てきました。彼らは80年代の音楽を聴いて育ち、自分たちのやり方でいろんな音楽をミックスさせたわけですよね。

アート:小山田さんやBuffalo DaughterはDJ文化の時代のロックンローラーだよね(笑)。

―小山田さんは今回の来日公演もお客さんとしていらしていたそうですが、小山田さんとはいつどのように知り合ったのでしょうか?

アート:日本に滞在していたときに、渋谷のタワーレコードの前を通ったら、『FANTASMA』(1997年)の大きなポスターが貼ってあるのを見かけて。彼が自分と同じダンエレクトロのギターを持っていたこともあって、「この人は誰なんだろう?」と気になったのが最初です。それでレコードを買ってみたら、日本語と英語とポルトガル語で歌詞が載っていて、内容もすごくよかったので、僕の方から彼にアプローチをしました。交流が始まったのはそこからですね。

アート・リンゼイ

―ギターがつないだ縁だったと。それこそ『FANTASMA』は「混ざり合う」ということを体現しているレコードですよね。

アート:小山田さんの音楽は、リファレンスとしていろんな音楽の要素があるという意味で混ざり合っていますよね。でも僕としては、『FANTASMA』はシンプルにとても優れたポップスのレコードだと思っているんです。

例えば、僕が参加した坂本さんの『Beauty』(1989年)は、アフリカのドラマーや沖縄のシンガーを起用することで、混ざり合うということのひとつの形を提示しているのですが、それとはまたちょっと別ものだと思う。坂本さんは、さまざまなエッセンスをひとつの曲に消化するのに、非常に長けた人だと思いますね。

―ではもう1人、今回共演している青葉市子さんとはどのように知り合ったのでしょうか?

アート:2015年、日本に来たときに、原宿のVACANTでたまたまライブを観る機会があったんです。そこで思わず聴き入ってしまい、終演後に楽屋で話をして、そこから交流が始まりました。その公演の直後に、僕は東京のブルーノートでライブがあったんですけど、そこに今度は彼女が観に来てくれて、差し入れで生のトマトを持ってきてくれたのをよく覚えています(笑)。

2015年に小山田圭吾をゲストに迎え行われた東京・ブルーノート公演の模様

―小山田さんにしろ、青葉さんにしろ、まるで普段から日本にいるかのように、偶然の出会いから交流が広がっているんですね。

アート・リンゼイ

アート:日本はホントに居心地がいいんですよね。もう何回も来ているということもありますし、ミュージシャンという立場上、出会いが多いのかなとも思います。ただ、僕は気になった人には自分から会いに行くということを大切にしているんです。アーティストは自分が興味を持って、追求したいものを選べる立場にいるとも思っているので、そこは常に意識的で。日本にいるときは特にそういう出会いを大切にしてきたので、それが今につながっていると思います。

今は、多くの人がすごくチープなハードウェアで音楽を聴くことが普通になっている。だからこそ生の音楽がより刺激的に聴こえるというのもあるんじゃないかと。

―では、新作『Cuidado Madame』について聞かせてください。ソロ名義の新作としては実に13年ぶりの作品となるわけですが、何か制作のきっかけがあったのでしょうか?

アート・リンゼイ『Cuidado Madame』ジャケット
アート・リンゼイ『Cuidado Madame』ジャケット(Amazonで見る

アート:2004年に『Salt』を出して以降は、息子が生まれたり、引っ越しをしたり、個人的な理由でなかなか作品を作る時間がなかったんです。あとは「アルバムを作る」っていうコンセプトから離れて、他にどんな表現ができるのかを模索していたのも大きいですね。

具体的には、ソロでのライブのやり方を考えたり、ブラジルのカーニバルのパレードをパフォーミングアートとして表現するプロジェクトをやったりしていました。でも最近になって、アルバムを作ることにまた興味が出てきたので、このタイミングで作ることにしたんです。

―「アルバムを作ることに興味が出てきた」というのは「作りたい音楽的な方向性が見えた」ということ?

アート・リンゼイ

アート:いや、もはや最初にどんなことを考えていたかはあまり覚えていないくらいで。いいスタジオにいいバンドと一緒に入って、とにかくアルバムを制作する楽しさに身を委ねていたので、方向性はその都度変化していきました。

―バンドメンバーにはニューヨークの新世代のジャズシーンで活躍する若手のプレイヤーが多数迎えられているので、「ジャズ」はひとつのキーワードだったのかなと思うのですが。

アート:もちろんジャズにも興味はあるんだけど、それが中心だったというわけではないですね。最近はむしろヒップホップに興味があって。近年、ヒップホップとジャズは密接な関係にあるので、ヒップホップを経由して今のジャズも発見したという感じかな。歴史的に見ても、ブラジル音楽とジャズはもともと密接な関係にあるので、僕にとっては常に身近な音楽ですし。

―昨年トベタ・バジュンさんと対談していただいた際も(トベタ・バジュン×アート・リンゼイによるポップカルチャー談義)、「ヒップホップの自由度の高さに惹かれる」という話をされていましたね。

アート:ヒップホップは音楽的な構造がすごく自由で、好きなように作れるのが面白いと思います。ただ、ヒップホップのすべてを網羅して聴いているわけではもちろんなくて、興味が湧いたものをチェックしている感じで。ケンドリック・ラマーは好きだけど、カマシ・ワシントン(サックス奏者。ケンドリック・ラマーの作品にも参加している)のレコードも聴いているかっていうと、そうじゃないっていうね(笑)。

アート・リンゼイ

―生演奏とプログラミングの融合による不思議な音像も現代的で、非常にパッションを感じる作品でもあると思いました。

アート:音響的なバランスに関しては、着地点をどこに置くのかということを、それこそAmbitious Lovers(1980年代から90年代にかけて活動した、アートとピーター・シェラーによる音楽ユニット)の頃からすごく意識しています。プログラミングは音圧的にパワフルなので、要素として使いたいけど、使いすぎるとリズムの面での楽しみが失われてしまうので、そのバランスは上手く調節するようにしていますね。

ヒップホップの場合、ビートはプログラミングが多いけど、そこに乗るラップは必ずしも正確なリズムではなかったりしますよね。自由さやラフさが面白いバランスを生み出している。そこが音楽的な魅力だと思うんです。

―今は生身の人間の持つリズムの揺らぎが注目されていますもんね。

アート:そうですね。特にドラマーに関しては、ドラムマシン以降の音楽がルーツで、そのうえで自分たちのプレイを追求している面白い若手がいっぱいいますよね。今は、多くの人が携帯と付属のイヤフォンで音楽を聴いているじゃないですか。つまり、ものすごくチープなハードウェアで音楽を聴くことが普通になっている。だからこそ、生の音楽がより刺激的に聴こえるところもあるんじゃないかと思いますね。

日本人もブラジル人もどちらも自分が他の人からどう見られるかをとても気にする人種で、そこから垣間見える人間性に惹かれるんです。

―資料によると、アルバムには「ブラジルの民間信仰カンドンブレの音楽とアメリカのゴスペルの融合」という裏テーマもあるそうですね。

アート:最初はそうだったんですけど、そこを出発点に発展していったことで完成した作品だと思います。カンドンブレは長年携わってじっくり勉強してきた音楽のひとつで、それをようやくアルバムとしてじっくり取り組めたのはよかったですね。

アート・リンゼイ

アート:途中で雅楽の話をしましたが、僕は日本の伝統音楽をアヴァンギャルドなものとして捉えていて。日本のアーティストたちが、そういうアヴァンギャルドなものを根源に持ったうえで、今の音楽を作っていることに興味があるんです。そしてそれはもちろん、ブラジルの伝統音楽にも通じる部分で、今作で挑戦したことのひとつでもあると思っています。

―やはり、アートさんが日本に惹かれる理由のひとつとして、どこかブラジルと似ている部分があるというのも大きいのでしょうか?

アート:そうですね。これは僕の持論なんですけど、日本人もブラジル人も、どちらも自分が他の人からどう見られるかをとても気にする人種だと思うんです。他人の視線を意識しながら生きる姿から垣間見える人間性というのは、共通している部分だと思いますし、そこに惹かれるんですよね。

例えば、アメリカ人のテクノロジーに対する付き合い方は、ストレートに品質の追求で、何か新製品が出たら、広告でそのプロダクトのよさをそのまま表現する。でも、日本の広告を見ると、すごくクオリティーの高いプロダクトを作ったうえで、その性能のよさをストレートに押し出すよりも、コンセプチュアルな形で表現していていますよね。そこは面白いところだなと感じます。

―日本とブラジルの「人からどう見られているかを気にする」という資質は、どのように育まれたものだとお考えですか?

アート:ブラジルに関して言えば、かつて植民地化されていたというのが大きいと思います。ブラジル人には、ヨーロッパ人のものの見方や考え方というフィルターを通して物事を見ているような感覚があるんですが、そこに西洋志向のある日本人との共通点があるのではないかと。

とはいえ、ブラジルは島国でもないし、日本に比べて広いので、むしろ日本はジャマイカとかキューバに近いのかなとも思いますね。日本の音楽と同じくらい、キューバ音楽もコンプレックスだし、ジャマイカ音楽はストロングなんですよね。それはその国の置かれた環境の中でカルチャーが変化し、洗練されてきたからで、日本の音楽の面白さも、きっとそういう部分から生まれているんじゃないかと思います。

アート・リンゼイ

リリース情報
アート・リンゼイ
『Cuidado Madame』(CD)

2017年1月6日(金)発売
価格:2,700円(税込)
PCD-25212

1. GRAIN BY GRAIN
2. EACH TO EACH
3. ILHA DOS PRAZERES
4. TANGLES
5. DECK
6. VAO QUEIMAR OU BOTANDO PRA DANCAR
7. SEU PAI
8. ARTO VS ARTO
9. UNCROSSED
10. UNPAIR
11. PELE DE PERTO
12. NOBODY STANDING IN THAT DOOR

プロフィール
アート・リンゼイ
アート・リンゼイ

アメリカ生まれの音楽家。3歳から17歳までブラジルで過ごす。1977年、ニューヨークにてバンド「DNA」を結成。ノーウェーブと呼ばれるムーブメントを代表するバンドとなるが、1982年に解散。その後は、The Lounge Lizards、Ambitious Loversなどで活動する一方、ソロミュージシャンとして数多くのアーティストの作品に参加している。



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