完璧主義者ジャコメッティはどんな人?辛酸なめ子らが語る

あなたは天才と呼ばれる芸術家にモデルを頼まれたら、二つ返事で引き受けるだろうか? 2~3時間で終わると言われたにもかかわらず、18日間も延々と拘束されることになるとしても――?

人を見えるままに描くことを目指したポートレイト、細長い独特の彫刻で人気のアルベルト・ジャコメッティ。彼が生涯最後に描いた肖像画の制作期間を、モデルとなった美術評論家の視点から描いた劇映画『ジャコメッティ 最後の肖像』が公開される。

今回は、自身も人間を観察する文章やイラストを発表しつづける辛酸なめ子と、2017年夏に盛況を博した『ジャコメッティ展』を担当した国立新美術館学芸員の横山由季子に、映画から見えてくる「人間、ジャコメッティ」の魅力を語ってもらった。

一人の人と正面から、真剣に対峙するジャコメッティの姿には、本当に学ぶことが多かったです。(辛酸)

—まずは映画をご覧になった率直な感想から伺えますでしょうか?

辛酸:映画の冒頭だけを拝見した段階で、偶然会った配給会社の方に「あれってドキュメンタリーなんですよね?」と聞いたら「えっ?」と言われて。

—それは、そういう反応になりますよね(笑)。

辛酸:いや、それくらい俳優さんがジャコメッティそっくりですし、アトリエの様子も本物感がすごかったので。「過去の映像を編集したのかな」と思ってしまいました。

横山:ジャコメッティ自身も、アトリエの様子も、写真や映像が多く残っているので、それを研究して丁寧に作られたのだと思います。主演のジェフリー・ラッシュも、元から似ているところに特殊メイクをして、本当にそっくりでしたね。

ジャコメッティの猫背なところや、交通事故の後遺症で足を引きずっているところもきちんと表現されていて、すごいと思いました。

左から辛酸なめ子、横山由季子(国立新美術館学芸員)
左から辛酸なめ子、横山由季子(国立新美術館学芸員)

—そんなジャコメッティに絵のモデルを頼まれた美術評論家が、いつまで経っても終わらないジャコメッティの制作に付き合い、「天才」の人となりに触れていきました。

辛酸:この美術評論家のジェイムズ・ロードは実在する人なんですか?

横山:はい、アメリカの美術評論家で、作家としても活躍しました。映画の元になったのは、彼がジャコメッティのモデルを務めたときの体験について書いた『ジャコメッティの肖像』という本ですね。映画でも描かれているように、彼はジャコメッティに声をかけられ、最初は数時間のつもりでポーズをとったら、どんどん延びて18日間に……(笑)。

毎日毎日、不動の姿勢を強いられて、大変だった様子が伝わってきますよね。ちょっとでも動くと「あーっ!」なんて言われて。

辛酸:しかもじっと座っているロードに、「君の顔はまるで変質者だ」とか、「犯罪者みたいに見える」とか、すごい台詞が出てきますよね。

横山:それは実際にロードの本の中に綴られている会話です。ジャコメッティとしてはジョークというか、親近感の表れなんでしょうけど。

横山由季子
横山由季子

『ジャコメッティ 最後の肖像』ポスター © Final Portrait Commissioning Limited 2016
『ジャコメッティ 最後の肖像』ポスター © Final Portrait Commissioning Limited 2016(詳細はこちら

—描きたくなる顔じゃないとモデルは頼まないでしょうからね。

横山:あと、不動の姿勢で座っていても、ロードとジャコメッティはたくさん会話をして、作品について議論していましたよね。ロードと同じくジャコメッティのモデルを務めた哲学者の矢内原伊作は、ロードよりさらに長く、計230日ものあいだ、モデルとして座り続けたようで。

彼らとの会話のやりとりは、きっとジャコメッティの制作に影響を及ぼしていたんじゃないかなと思います。何気ない冗談であっても、会話のキャッチボールができて、なおかつじっと座っていることができる人でないと、務まらない役目ですから。

辛酸:私は、ああやって一人の人に長期間のモデルを頼んだり、濃い関係を深めたりできるのが羨ましいなと感じました。私はほとんど、人に頼むことができない性格なので……。

—そうなんですか?

辛酸:正面から頼んだら面倒くさそうじゃないですか。この映画のジャコメッティみたいに、「パリでの滞在期間を延長してくれ」とさらにお願いするとか……。

私は文章やイラストのためにリサーチする際、たとえば万引きしたことのある人について調べているときは、こういう日常の会話の中でさりげなく会話を誘導して、万引きしたことがあるかどうかを聞いてメモして、みたいなことをしているんです。

辛酸なめ子
辛酸なめ子

横山:頼まないで、さりげなく聞き出すんですね(笑)。

辛酸:たとえば飲み会の席で延々と人脈自慢を繰り広げる人とかいますよね。「どこどこの社長にかわいがられてる」とか「サウジアラビアなら船を出せる」とか。そういう会話を自分に向けてメールを打ってメモしたり。バレたときは気まずいですが……。

横山:(困惑気味に)ええっ……!?

辛酸:だから、一人の人と正面から、真剣に対峙するジャコメッティの姿には、本当に学ぶことが多かったですね(笑)。でも、そうしたストイックなイメージがある一方で、娼婦のカロリーヌが出てくるように、女をはべらせているジャコメッティを見て、衝撃を受けました……。

ジャコメッティは、娼婦からねだられたらすぐに車を買ってあげる優しい人だったんですね。(辛酸)

—妻のアネットとの生活の中に、普通に娼婦のカロリーヌが出入りする、という衝撃的な人間関係ですよね。やっぱりちょっとショックでしたか?

辛酸:そうですね、でもフランスに住んでいたなら仕方ないのでしょうか……勝手なフランスのイメージですけど(笑)。妻のアネットと矢内原が関係をもっている描写もありましたし、なんだかすごいですよね。

横山:矢内原がアネットと関係をもったときには、「アネットのためにはむしろそのほうがいい」という趣旨のことも言っています。娼婦の話もふくめて、現代の私たちからすると不貞行為のように映るかもしれません。

でも、1人の男性と1人の女性が恋愛をして結婚をして添い遂げる、というのは近代に生まれた価値観ですし、ジャコメッティはおそらくそうではない、もっと自由な男女関係の中に生きていたのかもしれません。だから、アネットが矢内原と恋仲になっても、まったく意に介さないばかりか、むしろ歓迎する態度をとったのかな、と。

『ジャコメッティ 最後の肖像』の一場面 © Final Portrait Commissioning Limited 2016
『ジャコメッティ 最後の肖像』の一場面 © Final Portrait Commissioning Limited 2016

辛酸:そういう意味では、優しい人だったんでしょうか。カロリーヌが車を買いたいと言ったら、すぐに買ってあげていましたし……。札束をばらまくシーンもありました。お金には執着のない人だったんですかね。

—「優しさ」の基準がお金なんですね(笑)。

横山:生前から美術界に評価されていて、かなり売れっ子だったんです。ただ、映画にもあったように、画商からかなりの大金をもらっても適当に部屋に隠して終わり、というくらい、無頓着ではあったようですね。

普通の人だったら、もっと広いアトリエにしたいとか、もっと美味しいご飯を食べたいとか、奥さんにお洒落な服を買ってあげようとか思うはずなんですが……。

辛酸:アネットは、冬物のコートは「この一着しか持ってない」と映画の中でも文句を言っていましたね。

横山:狭いアトリエにはキッチンすらなくて、コンロがかろうじて1台あるくらいだったようですね。

辛酸:それで休憩や食事のときは、カフェに行っていたんですね。

横山:そうですね。でもカフェでもだいたい、卵とハムみたいな食事だったようですよ。

辛酸:ええっ! ジャコメッティ、野菜を全然摂れていないじゃないですか……。すごく偏った食生活ですね。

横山:ははは、たしかに(笑)。食事も睡眠もめちゃくちゃで、かなり偏った生活だったと思います。でも彼自身は、何かを犠牲にしているような感覚はなかったと思うんです。

花の都パリで普及していた、着飾ったり、旅行に行って余暇を楽しんだりといった近代的なライフスタイルに興味がなかったんでしょうね。おそらく、スイスのスタンパという山間の村に生まれ育った頃の、田舎暮らし的な感覚も持ち続けた人なのだと感じます。

横山由季子
横山由季子

プライベートを何とかしたほうがいいと言われる私にとって、ジャコメッティの人生は考えさせられるものがあります。(辛酸)

辛酸:ジャコメッティは私生活もふくめてアーティストそのものですよね。何でもやたらと充実している人ってちょっと嘘くさいですけど、それとは違う。ピュアに、不器用に道を究めて、ちょっと破綻しているのに、いい人生を送った人という印象があります。

どんな占い師や霊能者に見てもらっても、「プライベートを何とかしたほうがいい」と言われる私にとっては、ちょっと考えさせられるものがあります。

横山:そ、そうなんですね……(笑)。仕事と趣味が分かれていないジャコメッティの生き方は、オンオフをきっちり分けようとするいまの人からすると特殊かもしれません。カフェでもデッサンしているし、彼としては作品を作り続けることが、生きることの実感につながっていたのでしょう。

—本人にとっては通常営業なんでしょうね。制作に関しても理想を追い求めるがゆえに終わりが見えず、ロードもあと少し、あと少しと付き合わされて、どんどん滞在時間が延びていって困り果てていきます。

辛酸:私は締め切りがなかったら、絶対に自分からは仕事をしないと思います……(笑)。何よりも、普通だったら「完成」を意識すると思うのですが、ジャコメッティはそうじゃない。

映画の中でも、ロードがジャコメッティの弟で制作を手伝っているディエゴから、「デッドラインを決めたほうがいい」とアドバイスされますよね。

辛酸なめ子
辛酸なめ子

横山:この映画で一番強調されていたのが、とにかく制作が終わらない、そしてジャコメッティの「完成させたくない」という思いでした。「寿命がなければ1000年でも同じ人をモデルに作品を作り続けることができる」という発言も残っていますが、その言葉は嘘ではないと思うんです。つまり、いま残っているジャコメッティの作品も、「完成したもの」はひとつもないんですよ。

ジャコメッティは、人間の頭部がもつ普遍的な構造と、個性の両方を突き詰めていたのかな。(横山)

—完成していない「生々しさ」こそ、2017年のジャコメッティ展の会場に多くの人たちが足を運んだ、隠れた理由かもしれませんね。

横山:ジャコメッティの作品は、制作途中の、ある段階が抽出されたものなんですよね。そこから変化するかもしれない余地があって、作品がまだ生きている感じがある。だから皆さん、実際に展覧会場に足を運んで、その作品の置かれた時間と空間を体験してくださったのかな、と。

辛酸:「悩んでいる状態や、絶望していることが好きだ」というような台詞も、映画にありましたよね。そこに人間臭さを感じました。「イライラしても、それさえ楽しい」みたいな……もしかして、ジャコメッティはMだったんじゃないですかね。

—辛酸さんもイラストで他人を描き続けることを仕事にしていますが、どこか共感する部分はありますか?

辛酸:私は人間が抱える「業」や「カルマ」に興味があるからなんですけれど……でもジャコメッティも、相手の顔を表面的に見るだけではなくて、顔の奥からビジョンを得ているようなところはありますよね。

辛酸なめ子
辛酸なめ子

横山:骨格までも徹底して理解しようとしたと思います。人間の顔はもちろん各自違うんですが、でも頭蓋骨に筋肉がついているという構造は同じなので。人間の頭部がもつ普遍的な構造と、モデルそれぞれの個性の両方を突き詰めていたのかな。

辛酸:若い頃、一緒に旅行をしていた友人が死んでしまって、それを観察したという有名な話がありますよね。

横山:そうですね、旅先で友人が急逝してしまって。その姿を見たときのショック――ついさっきまで動き、喋っていた人間が急に動かなくなったところを見た経験は、大きな影響を与えたのでしょう。

2017年夏の展覧会のとき、矢内原のお弟子さんだった武田昭彦さんに講演をしていただいたんですが、「ジャコメッティが描いた40歳前後の矢内原は、彼の亡くなる直前の顔にもよく似ていた」とおっしゃっていました。

—ジャコメッティの作品はプロセスでありながら、同時にその人の最期も映していたというのは面白いですね。

辛酸:悩みながら制作を続けたジャコメッティは、単に幸せでも、不幸でもないですよね。人生の中で、全く諦めをもたず、何かに突き動かされて作品を作り続けている。自分の使命を見つけられたという点で、とてもいい人生だったんじゃないでしょうか。

横山:人生って、決して綺麗な形で完成されるものではないと思うんです。そういう意味では、ジャコメッティの、描いては消し、作っては壊し、という制作のプロセスも、人生そのものだったのかもしれません。

横山由季子
横山由季子

ジャコメッティほどの大物なら、知り合っておくといいことがあるかもしれません。(辛酸)

横山:ジャコメッティは、亡くなる直前まで制作をしていました。粘土で胸像を作っていたんですが、スイスの病院に入院することになり、粘土が乾かないよう水で濡らした布を巻いたまま、パリを離れてそのまま体調を崩して亡くなってしまったという。すごくジャコメッティらしい最期なんですね。

—まさにプロセスの途中で亡くなっているんですね。

横山:そうですね。兄の最期を看取った後のディエゴのエピソードは感動的です。お葬式の直前、亡くなったその日にディエゴは夜行列車に飛び乗り、一度パリに戻るんです。

なぜかというと、制作途中の粘土を真冬のパリのアトリエで放置していたらダメになってしまうから。彼は急いで巻いていた布をはがし、石膏で型をとって作品を後世に残せるようにしてから、またスイスに舞い戻りお葬式に参列しました。

辛酸:亡くなってからも助けてくれたんですか。周りの人の理解が本当に深かったんですね。

横山:映画でもジャコメッティがデッサンを衝動的にビリビリと破いてしまうシーンがありましたが、おそらく彫刻も同様のことをしていたのでしょう。だからか、どうやらディエゴはジャコメッティがいない間にアトリエに忍び込んで、こっそりと型をとったりもしていたらしいんです。

辛酸:本人は悩みが多いと言っても、やっぱり究極的には幸せな人生だったんでしょうね。

『ジャコメッティ 最後の肖像』 © Final Portrait Commissioning Limited 2016
『ジャコメッティ 最後の肖像』 © Final Portrait Commissioning Limited 2016

—最後にこれだけ聞かせてください。もしお二人がジャコメッティにモデルを頼まれたら、引き受けますか?

辛酸:どうでしょう、モデルを引き受けるかどうかまでは……。あれだけの大物ですから、知り合っておくといいことがあるかもしれません。展覧会のオープニングパーティーなどで、軽く挨拶をするくらいの関係にはなっておきたいですねえ。

—それは、損得勘定ですよね(笑)。

横山:一緒に暮らすアネットの描写を見ていると、ジャコメッティの周りの人は本当に大変なんだろうなと分かりますもんね……(笑)。それでも私は、ポーズをとれるものならとってみたいです。ロードや矢内原のように、いろんな現実を放棄してでもジャコメッティとあのアトリエの中で過ごす時間に、どんな意味があって、そこで何が起こっているのか感じられたら……その体験はしてみたいです。

辛酸:たしかに。まさに「生きた証」が残りますもんね。やっぱり私も、やってみてもいいかもしれないです!

左から辛酸なめ子、横山由季子

リリース情報
『ジャコメッティ 最後の肖像』

2018年1月5日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
監督:スタンリー・トゥッチ
出演:
ジェフリー・ラッシュ
アーミー・ハマー
トニー・シャルーブ
シルビー・テステュー
クレマンス・ポエジー
上映時間:90分
配給:キノフィルムズ/木下グループ

プロフィール
辛酸なめ子 (しんさん なめこ)

漫画家、コラムニスト。1974年東京都生まれ、埼玉県育ち。興味対象はセレブ、芸能人、精神世界、開運、風変わりなイベントなど。鋭い観察眼と妄想力で女の煩悩を全方位に網羅する画文で人気を博す。著書に『辛酸なめ子の現代社会学』『ヨコモレ通信』『女子校育ち』『サバイバル女道』『絶対霊度』など多数。

横山由季子 (よこやま ゆきこ)

国立新美術館アソシエイトフェロー。東京大学大学院博士課程(表象文化論)満期退学。世田谷美術館学芸員、パリ西大学ナンテール・ラ・デファンス校(美術史)留学を経て現職。専門はフランスを中心とした近現代美術。これまでの主な担当展に、『ザ・コレクション・ヴィンタートゥール展』(2010年)、『オルセー美術館展 印象派の誕生―描くことの自由―』(2014年)、『オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵 ルノワール展』(2016年)、『ジャコメッティ展』(2017年)など。首都大学東京で非常勤講師も務める(2014年~)。



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