国府達矢の苦闘の歴史。空白の15年を埋めるべく七尾旅人と語る

国府達矢が、15年ぶりのアルバム『ロックブッダ』を3月21日にリリースした。1990年代末に小林武史プロデュースのもと、「MANGAHEAD」というユニットでデビュー。その後、幾度かの浮上と長い沈黙を繰り返してきた国府にとって、2018年はキャリア史上もっとも重要な年となるかもしれない。去年以降、国府はライブ活動を活発化させ、この『ロックブッダ』を皮切りに、既に完成している計3枚のアルバムのリリースが、年内に予定されている。

その国府達矢からの直接的な影響を公言し、長きに渡って彼を支え続けた音楽家がいる。それが、七尾旅人だ。2007年の3枚組アルバム『911FANTASIA』では作中においても国府の名に触れ、そして、この十数年間、インタビューなどでも常に、自身を突き動かした存在として、七尾はその名前を挙げ続けた。きっと、七尾の存在を通して「国府達矢」の名前に接してきた人も多いはずだ。

今回、『ロックブッダ』のリリースを祝し、国府と七尾の対談が実現した。こうしてメディアの上で2人が相見えるのは初めてだという。結果、この記事は2人の20年間をまとめる長大なクロニクルとなった。これは、巨大な才能を持って生まれた2人の音楽家の魂の交流記であり、偶然にも同じ時代、同じ場所に生み落とされた兄弟の、悪戦苦闘・波乱万丈の物語である。

国府さんは、いまに至るまで、僕にとってはすごく重要な人で……だから、今日は普段の対談みたいに喋れないよ(笑)。(七尾)

—まず、国府さんと七尾さんの直接的な関係性は、どのようにしてはじまったのでしょうか?

国府:1990年代の後半だよね。当時、僕らは同じテープオーディションを受けていて。

七尾:そう。そもそもは同じディレクターに発掘された新人として出会ったんです。なので、結びつきが強いんですよね。

左から:七尾旅人、国府達矢
左から:七尾旅人、国府達矢

七尾:僕らが出会った1998年頃は、CD売上がピークの時代で、会社もイケイケドンドンだったから、僕らみたいな売れるんだかよくわからない変わった新人とお試し的に契約が結ばれるケースも多かったんでしょうね。その翌年くらいから急坂を転がり落ちるように景気は冷え込んでいくんですが、そういう時代の最後に、不思議な縁で出会って、深く共感しあったという。最初に話したのって、電話でしたよね?

国府:そうだっけ? 僕のタビィ(国府による七尾旅人の愛称)との最初の記憶は、レーベルの打ち上げで隣に座って、『ジョジョの奇妙な冒険』(荒木飛呂彦による漫画)の話をしたとき。あのとき、タビィが「人と『ジョジョ』の話をしたの、久しぶりだなぁ」って言っていたのは、すごく覚えている。

七尾:それは初めて直接会ったときですね。実は、人と『ジョジョ』の話をしたの、初めてだったんだよ。話し相手がいなかったので。ちょっとイキがっちゃったんですね(笑)。なんか小中学生みたいで甘酸っぱいな。

国府:イキがってたんや(笑)。いまでも覚えているのは、当時、1週間くらい籠って曲作りをしていたときに、最初に言ったディレクターの人がタビィの音楽を聴かせてくれて。そこで初めて聴いたんだけど……明らかに天才じゃないですか。いわゆる神童というか。

七尾:いやいや……。その合宿先から電話をくれて、初めて話したのだと思います。すごく嬉しかったのを覚えてる。

国府:当時のタビィは、本当に透き通るような少年っていう感じだった。いまにも崩れてしまいそうで、透明感があって、繊細で……感性だけが実在化しているような感じだったね。

左から:七尾旅人、国府達矢

七尾:まぁ、10代だったし、センシティブではありましたね。僕は、国府さんには最初から親戚の兄ちゃんみたいな距離の近さを感じていて。国府さんは奈良から、僕も高知の田舎から高校を辞めて飛び出してきたっていうバックボーンも似ていたから。

国府:お互い「中卒」っていう(笑)。

七尾:そうそう(笑)。当時、国府さんにはすごく励まされたんですよ。僕は、まだ18~9歳で、国府さんは20代前半。あの頃、僕に対して子どもみたいな親密な言葉をかけてくれるのは国府さんくらいだった。

当時、国府さんはときどき僕の家にゲーム機を持って遊びに来たんですよ。気兼ねなく「遊ぼうや」って接してくれる人も初めてだったし、本当に兄弟みたいな感じだったんです。そこからいろんなことがあったけど、いまに至るまで、僕にとってはすごく重要な人で……だから、今日は普段の対談みたいに喋れないよ(笑)。

国府:なんか三者面談みたいな感じやな(笑)。

左から:国府達矢、七尾旅人

1990年代って、抽象的な言葉で言ってしまうと、すごく差別的な時代ではあったと思う。(国府)

—国府さんのMANGAHEAD名義での1stアルバム『THE PLANET OF MANGAHEAD』と、七尾さんの1stアルバム『雨に撃たえば...!disc 2』は、ともに1999年のリリースなんですよね。この2作はいま聴いても素晴らしいと思える普遍性を持っていると同時に、「1990年代」という時代感が、とても深いところで通底している作品だと思うんです。この時期、おふたりの間にあった表現者としての共振というのは、どういった部分によるものなのでしょうか?

七尾:それはまず、お互いの「ミュータント性」への共感だと思う。たとえば、僕の1stアルバムにはいろんなアレンジのいろんな曲があったけど、当時は、その「いろいろある」っていうことすら批判の対象になったんです。

いまの子って、「いろいろある」のが当たり前でしょ? いろんな価値とか空間、時間軸が並列に聴かれているし、YouTubeでも地方都市から紛争地帯に至るまで、あらゆる土地のあらゆる立場の人が作品をアップロードしている。なので、その表現を成り立たせている根幹の部分を聴き取っていくのがいいんだけど、当時はまだ難しかったのかも。歌い方や、歌詞の面での試行錯誤も理解されづらかった。

右:七尾旅人

七尾:取材では、「なにがやりたいの? なにが言いたいの? まったくわからない」「ポストロックがやりたいんなら◯◯みたいにセンスよくやりなよ」なんてことを平然と言われた時代だったんですよ。それに当時はネットも一般的でないし、「メジャーで売れなかったら先はない」っていう風潮がまだあった。会社内も100万枚単位のヒットを追い求める空気でしたし。そういう状況のなかで、僕自身は1990年代の音楽シーンに歓迎されなかったっていう感覚が強かった。

あ、そういえば、「名前がだめだ。消えるね」って言われたこともあった(笑)。当時、男性ソロは横文字のかっこいい名前が流行っていたから、僕の親がつけたこのダサい名前を心配してくれたみたいで。その方は最近見かけなくなってしまいましたが……改名のアイデアとか聞いておけばよかったな。

七尾旅人

国府:1990年代って、抽象的な言葉で言ってしまうと、すごく差別的な時代ではあったと思う。「そういう認識しかできなかった」っていう、認識の幅の問題だから仕方ないし、その幅は、時代とともに広がっていったとは思うんだけど。ただ、当時の時代の許容量に明らかに自分はハマれていない実感は、僕も持っていた。だから、タビィの言う「ミュータント性」っていうのは、すごく明快な言葉だなって思う。

七尾:僕に「お前はミュータントだよな」って言ったのは、(石野)卓球さんなんだよね。当時、僕らのような存在を受け入れてくれたのは、卓球さんや、タナソウさん(田中宗一郎。当時、雑誌『snoozer』の編集長だった)とか、同じようにどこかミュータント的な匂いがする、数少ない大人たちだった。

国府:うん、タナソウさんもそうやね。あの人は、メディアのなかで僕にフォーカスをあて続けてくれた唯一の人だと思う。

七尾:あと、こないだ『ロックブッダ』についても書いてくださっていた松山晋也さん(音楽評論家)とか、他にも、あの頃の僕の作品に対して冷笑的な態度を取らずにシリアスに向き合おうとしてくれた人のことはよく覚えてるし、いま自分が若い子に向き合うときの基準になっていますね。

左から:七尾旅人、国府達矢

当時の僕にリアリティーを感じさせてくれたものを一時的に「魂音楽」と呼ぶことにしていたんだけど、そういう意味で国府達矢の音楽は常に一級品だった。(七尾)

—「1990年代」という時代の音楽シーンに歓迎されなかった感覚、というのをもう少し具体的にお話しいただけますか?

七尾:1990年代までは、ある文脈を共有してみんなで楽しみ合うっていう、その文脈のサイズが大きかったんです。雑誌とかで、大きなコンテクストを継続的に紡いでいくというサイクルが健在で、海外で音楽的なトレンドが生まれるたびに、それを日本人も競い合って輸入したし、メディアもミュージシャンも、そういう外来の新しい価値観を日本国内向けに翻案することを重視していました。

—「渋谷系」と呼ばれる文化が顕著ですよね。それは「翻訳」や「引用」がとても重要なファクターの音楽でもあった。

七尾:もちろん、そういう流れは当然の摂理なんだけどね。戦前からずっとそうやって舶来物のポップカルチャーを学習、吸収しながら日本の音楽市場は成長してきて、僕たち自身もその恩恵のなかでたくさんの音楽に触れていったんですから。ただ、1990年代末の、とりわけ僕や国府さんの音楽は、バブル崩壊や、阪神大震災やオウム事件を経て、自分の内心でくすぶっているものや、日本固有の状況みたいなものを、より正確に表象していきたいという欲望を抱えていたと思う。

行き詰まっている既存の言葉を乗り越えるために、なんとかして、自分の言葉で話す。詞の面でも、音の面でも、新しい文体を形作らなくては、という感覚があったんです。そしてあの頃のような、社会的にも音楽的にも時代が一巡して飽和状態になっている磁場で、そこを描ききるために、あえて逸脱しなくてはならないという切迫感があったと思う。だから僕たちの音楽は、混交的で、剥き出しで、奇妙な形をしていた。でも、そういったミュータント的なものの居場所っていうのは、当時は限りなく小さかったんですよ。そういう経験がのちの『百人組手』(七尾が全出演者とそれぞれ即興演奏を繰り広げるライブイベント)のような異種格闘技セッションにもつながっていきました。

左から:国府達矢、七尾旅人

—「自分の言葉を話す」というのは、1990年代から国府さんと七尾さんの作品に通底する一貫したテーマのようにも思えますね。おふたりの存在は、「渋谷系」的な「他者の言葉」を翻訳することによって成り立つ文化に対するカウンターだったと言うこともできるのかなと。

七尾:「渋谷系」と呼ばれていた方がそれを自称していたわけではないし、個々に優れた表現者たちだったわけで、そこに対して特に反発心はなかったです。僕は少しあとの世代だったので、リアルタイムでは聴いてなかったですし。だから、そこへのカウンターっていうよりも、自分にとってのリアリティーを求めて試行錯誤しているうちに、1990年代の文脈から一人で勝手にこぼれおちてしまったという感じですね。漫画とか特に好きだったし、1990年代のカルチャーから大きな影響受けてますからね、自分は。あの瞬間にしかないような、素晴らしい部分のたくさんある時代だったと思いますよ。

左から:国府達矢、七尾旅人

七尾:ただ、音楽業界に入った頃は、バブル期の名残だったのか、すごく浮ついて冷ややかな感じがして。そういうのが苦手で、あえて「魂」っていう言葉にこだわって、「魂音楽」というテーマで文章を書いてみたりしていたんです。それは、黒人音楽としてのソウルミュージックでもなければ、いわゆる尾崎豊的なものでもなくて、新しいニュアンスを含ませていて。

ジャンルにかかわらず、たとえばエルメート・パスコアールとかフェラ・クティとか(ジョン・)コルトレーンや(スティーヴ・)ライヒみたいに、自分と社会の間に生じたものを真摯に研ぎ澄ませようとした結果、その発露として音楽が新しいフォルムに変化していく……キリンの首やゾウの鼻みたいに、生存のための強い必要に迫られて、ぎりぎりのところで身体が進化、変容していくっていうスリリングな、当時の僕にリアリティーを感じさせてくれたものを一時的に「魂音楽」と呼ぶことにしていたんだけど、そういう意味で国府達矢の音楽は常に一級品だったんです。

国府達矢『ロックブッダ』収録曲

僕自身、MANGAHEADでデビューしたときは、もちろん売れる気でいました(笑)。(国府)

—デビュー時、おふたりは少なからず近しい磁場にいたと思うんですけど、2000年代に入ってからの活動は、かなり様子が違うものになっていきますよね。濃密な作品をいくつも発表しながら活動を活発化させた七尾さんに対して、国府さんが2000年代を通してリリースしたアルバムは、2003年の『ロック転生』1枚のみ。この時期のお互いについても、語っていただけたらと思うのですが。

七尾:結局、僕たちはそれぞれアルバム1枚だけ残して、メジャーレーベルから離れていくんです。僕自身は、当時のポップシーンからも、アンダーグラウンドやサブカル界隈からも外れて、どこにも居場所がない感覚があったし、2000年代に入ってインディペンデントな活動に移行してからの10年間も、悪戦苦闘ではありました。

左から:国府達矢、七尾旅人

七尾:ただ、国府さんは、そもそも小林武史さんのもとで将来を嘱望された新人でもあったから、抱えていた感覚は僕と違うかもしれないね。僕は会社でまったく重視されてなかったので、シングル1枚ごとにスタッフが変わったり、部署をたらい回しにされていて(笑)。きつかったですが、誰も俺が売れると思っていなかったから、国府さんほどヒットへの重圧はなかった。当時、Mr.ChildrenとMy Little Loverを手がけた小林さんの、次の一手が国府達矢だったわけだから。

国府:そうね。僕自身、MANGAHEADでデビューしたときは、もちろん売れる気でいました(笑)。それだけお金もかけてもらっていたし、僕のなかには、当時の日本のメジャーでやることに対してのマーケティング的な考え方も、少なからずあったし。

ただ、いろんなことが空回ってしまって、自分が望む結果、ないし数字的な部分で最低限の結果にも辿り着くことができなかった。そこで覚えた挫折感が、本当の意味で、僕が人生で味わった初めての挫折だったんですよね。自分のなかの文脈が断たれる、というか……自分が考えてきたこと、想像力、その全てが否定されるような感覚があって。

国府達矢

国府:そこから気持ちを立て直していく上で、本当に自分が「楽しい」と思えるものを作ろうと思って。そこで出てきたのが、『ロック転生』につながっていく音楽なんです。それが2000年、27歳の頃。

もちろん、その頃はまだメジャーにいたし、武史さんと次の作品に向けて動き出してもいたんだけど、その時点で、もうMANGAHEADを続けていくモチベーションが全く持てなくなってしまっていて。そのくらい純粋な音楽が、自分のなかに生まれてきてしまったんですよね。(胸を押さえながら)ここにできた「なにか」は、僕が形作っていかなければ生まれてこない。なら、やるしかない。そう思って、僕はメジャーから離れて「自分は自分の音楽を作っていくぞ」っていう方向に振り切ったんです。

左から:七尾旅人、国府達矢

国府さんは、僕の知り合いで一番浮世離れしている。(七尾)

—国府さんがMANGAHEADで挫折を味わった2000年から、『ロック転生』が世に出るまで、ライブだけをやっていた2~3年間があったんですよね? 当時の国府さんのライブは、一体どのようなものだったんですか?

七尾:本当にすごかった。あの頃、僕はできる限り国府さんのライブに応援に行っていて。目覚ましい勢いで音楽が発展して、明らかに、同時代のものと違う形に変化してく……そんな感じ。最初はUS / UK経由のオルタナティブロックからの影響が強かったはずの音楽性が、9.11の同時多発テロからイラク戦争へと進んでいく泥沼の時代背景のなか、どんどんと形を変えていった。

ロックっていうキリスト教圏の鬼っ子みたいな音楽を、脱構築して仏教化していく、というか。もちろん「仏教」というキーワードだけでは言い表せないぐらいのものが『ロック転生』にはあったんですけどね。世間の流行の最先端に基づいてではなく、アジア的な、もっと言えば関西人的な感性とか、本人の真摯な倫理観に基づいて音楽のフォルムが異形化していってることに、強いシンパシーを感じたし、僕からしてみれば、本当の意味での普遍性をたたえたものだった。

七尾旅人

七尾:で、『ロック転生』の頃、国府さんには、まだ手伝ってくれるバンドメンバーがいて、僕はそれを羨ましく思っていて。素晴らしい人たちだったし、たしかに音楽はすごくなっていったけど、それをバンドとして経営して、維持して、軌道に乗せていくプロセスが、傍から見て全く見えなかったから気がかりでもあったんだよね。このディープな音楽を、伝えて、売るということを、国府さんは上手くやっていけるのだろうか? って。

国府:そうなんだよね。「伝える方法」っていうことの具体性が、当時の自分からは完全に抜け落ちていた。音楽の純粋性だけを信じれば、なんとかなるんじゃないか? という状態だったから。

七尾:国府さんは、僕の知り合いで一番浮世離れしているんだよ。

国府:まぁ、アホなんですよ(笑)。小学生みたいな感覚でここまできている、みたいな。

七尾:ほんと、国府さんはアホなんですよ(笑)。

左から:国府達矢、七尾旅人

—『ロック転生』もそうですし、新作の『ロックブッダ』もそうですけど、「ロック」という言葉と「転生」や「ブッダ」という仏教的、東洋的なイメージを喚起する言葉が結びつけられている。こうしたモチーフが当時の国府さんから生まれてきたのは、どうしてだったのでしょうか?

国府:すごく抽象的な話になってしまうんだけど、MANGAHEADでの挫折を経て、27歳の頃、精神的な死というか、精神が飛び散る、みたいな感覚があったんですよ。でも、そのときに僕が感じたのは、「体は残っていた」ということで。

体に刻まれていたフェティシズムや癖というものが、精神のバイアスが全て飛び散ることで、逆に立ち現れてきた。それが東洋思想的なものであり、仏教的なものにつながっていったんですよね。そして、それは結果として、いままで流れてきた西洋的な文脈の文化に対するカウンターであり、それを脱構築して、違った足場からそれを包み返すようなものになりえるんじゃないか? という自覚も生まれてきた。「ロック」っていう言葉の意味なんて、もうあまりに分散されていてよくわからないけど、この言葉が生まれてからも、たかだか数十年でしょ?

—そうですね。

国府:ただ、その「ロック」という言葉も、その奥を紐解いていけば何千年という歴史に至るわけですよね。「西洋」や「一神教」という概念も含めて。その「ロック」というものがいま、変わっていくんだ、転生していくんだっていう意味合いを込めて、僕は自分の作品に『ロック転生』と名づけた。それは、自分のなかでは、すごく意識的なことだったんですよね。

国府達矢

『ロック転生』が出た頃、タビィがなんとか世間に伝えるための言葉を紡いでくれていて。あれには、すごく助けられたなぁ。(国府)

—『ロック転生』がリリースされた2003年、七尾さんはアルバム『ひきがたり・ものがたりvol. 1 蜂雀(ハミングバード)』を発表されます。

七尾:あの頃、僕の家に遅めの「ネット元年」がやってきて。自分のサイトを作って、日記的な雑文を公開したりしているうちに、昔のファンが戻ってきてくれたりして、そこで少しずつ手応えを得ていった時期です。

これからは自分の言葉で作品についての思いを語ったり、聴き手と直接やりとりしながら、考えを深めていくことができるんだって。CDよりも遥かにすばやく音源を公開したりできるのも楽しくて、いろいろ実験してました。その過程で、「歌は最古のメディアである」「どんなテーマでも歌にできる」ことなんかも強く実感して、のちのち『911FANTASIA』や『兵士A』(2016年)につながる、僕の基本スタンスにもなったし。

国府:『ロック転生』が出た頃、タビィがなんとか世間に伝えるための言葉を紡いでくれていて。あれには、すごく助けられたなぁ。

七尾:当時の日記を読むと、「魂音楽の異常進化」みたいなタイトルで、パスコアールとかと並べて、国府さんのことが書いてあるんだよね。やっぱり、評価を得やすい業界の輪のなかを外れて、独自のやり方で作っていこうとしたら、自分自身の言葉で世の中と対峙して、入り口をこじ開けていくしかない。だから『ロック転生』が出たときも、「僕が国府さんのための言葉のひとつになれないだろうか?」っていうことは思っていたんですよ。

国府達矢

国府:一方、僕はアホなので(笑)、『ロック転生』が鳴かず飛ばずで、評価も得られなかったということに対して、「じゃあ、もっと伝わるようにしよう」って、またグーッと、自分一人の世界を突き詰めるモードに入っていくんですよね。

七尾:国府さんは、画家でいうとゴッホなんですよ。同じ天才でもダリやピカソとは真逆で、世情に対して器用に立ち回ったりできるようなタイプではないんだよね。僕はゴッホの弟のテオだと思ってて。ゴッホって、あれだけの男なのに、生前は2枚くらいしか絵が売れなかったんだよね。そんなゴッホを、テオは、手紙書いたり送金したりして、健気に支えていたらしくて。僕はテオの気持ちで、ずっと国府さんに接していた(笑)。

国府:……タビィって、すごく尽くしてくれるんですよ。だからぶっちゃけ、僕もタビィのこと、「テオっぽいな」って思ったことある(笑)。

七尾:あるのかよっ! 自分で思うのはいいけど、思われるのはイヤかも(笑)。

—ははははは(笑)。

国府:あ、でも、自分のことをゴッホだとは思ってないからね! これだけは言わせて(笑)。

左から:七尾旅人、国府達矢

国府さんの音楽には、宮沢賢治やスティーヴィー・ワンダーのように、剥き身の透明な魂で世界に応答していくような感覚がある。(七尾)

—七尾さんの2007年のアルバム『911FANTASIA』では、歌詞のなかに国府さんの名前が出てきたり、『ロック転生』の曲がサンプリングされていたりと、明確に国府さんからの影響が作品に表れていますよね。

七尾:うん。影響というよりも、国府達矢の音楽を意識的に対象化して、位置づけて、書き残しておく、メディアの機能を持たせたいと思っていたんですよね。あのアルバムでは、カーティス・メイフィールドのような音楽史上の偉人たちと、国府達矢の名前を並べて語っている。『911FANTASIA』を作っていた頃、国府さんの存在について書いたり考えたりすることで、自分の考えをまとめていた部分もあった。国府達矢について理解できれば、いずれ自分についても理解が深まる。そしたら、僕らの音楽に追い風が吹かなくても、いつか自分の言葉で活路を切り拓いていけるんじゃないか? そう思っていた。

ちなみに、『911FANTASIA』を作る前に作ろうとしていた『さいはて』っていう2枚組のアルバムがあって。そのアルバムは、登場人物である案山子(かかし)をキリストとか一神教世界のメタファーに据えて、シーンによっては天草四郎時貞も出てきたり、古代から現代までいろんな時空間を漂流していくんだけど、完全に国府さんをテーマにしていた。でも、精神的に深入りしすぎて、本当にヤバくなってしまって、結局完成させることができなくて。その悔しさから「じゃあ、もっと伝わりやすいアングルで、3枚組を作ってやろう」って、『911FANTASIA』を作るんです。

国府:僕は『911FANTASIA』を聴いたとき、すごく「優しさ」を感じたんだよね。まるで妹を思う兄のような、小さい子に対して愛おしみや優しさを投げかけるようなところがタビィにはあって。タビィは、その優しさのなかで、創造力や言葉を獲得していった人だと思うんですよ。

左:国府達矢

国府:それは、3.11以降の動きにも顕著で。あの頃のタビィは、現場に向き合うことで、いろんなものを背負っていく感じがあった。タビィには、時代の大きなうねりを言語化したり、それを具体的に引き寄せる力があるんだよね。それに比べて僕はまだまだ観念的で。肉体化できない部分も全然あるし。

—『911FATNASIA』以降の七尾さんの表現は、社会との密接なリンクがありますよね。それは、現時点での最新作である『兵士A』においても顕著だと思うのですが、国府さんのアウトプットは、ある側面においては七尾さんの真逆というか。『ロック転生』も『ロックブッダ』も、祝祭感に満ちていて、とにかく聴き手に圧倒的な光を与えようとする、そんな印象があります。

七尾:それは、祝祭感の発露の仕方の違いじゃないかな。国府さんの音楽には、宮沢賢治やスティービー・ワンダーのように、剥き身の透明な魂で世界に応答していくような感覚があるんだよね。僕の音楽にも祝祭的な部分はあると思うんだけど、たとえば、僕は『兵士A』で、「このセリフを吐けば正義のポジションだ」みたいなものを一切排除して、リアリズムに徹した。

七尾:社会を描くということは、その泥沼のなかに首まで浸かって、このいびつな社会を形成している当事者の一人として、苦悶のなかで表現を探り出していくことだと思うんです。その結果、僕が登場人物の「兵士A」や、リスナーに対して与えた祝祭の感覚は、もしかしたら、とてもわかりづらいものになったかもしれないけれど、それでも僕は、なんらかの確かな希望を、あの作品のなかに刻み込むことができたと思っています。

“圏内の歌”(2011年)のときもそう。3.11震災直後に福島で、避難区域の方や、原発に勤める方など、葛藤に満ちた当事者の声を聞かせていただいたことから、作品を立ち上げていきました。

国府:それがタビィの優しさだと思う。僕もタビィのように誰かに求められるような環境で音楽を構築していく時期があれば、もっと人に近い距離で、温かいものを作っていけたと思うんだけど、僕のキャリアには、そういうものが恐ろしいくらい抜け落ちているから。

でも、僕のなかにはずっと、「このまっさらな場所に一手を打ってください」と問いかけられているような感覚があったし、打つなら、ハッピーなもの、よい方向に向かっていくものを打ちたいっていう気持ちがすごくあって。そこに自分は希望を持っていたし、自分の欲望のなかにある祝祭を打ち立てたいっていう気持ちは、この『ロックブッダ』に凝縮されていると思う。

3.11のときに思ったのは、自分の人生が時代に「同調」しているということ。(国府)

—『ロックブッダ』は15年ぶりにリリースされる国府さんのアルバムですが、実際のところ、2011年頃には一度、このアルバムは完成しているんですよね? 『+1Dイん庶民』(読み:プラスワンディーインショミン)という、本作の収録曲も収めたシングルも、2011年にはリリースされている。この時期から現在に至るまでの流れは、どのようなものだったのでしょうか?

国府:2005~6年頃に『ロックブッダ』につながる音楽は生まれはじめたんだけど、それを、当時一緒にやってくれていたバンドと形にしようと思っても、全く様にならなくて。それで数年間、封印せざるをえなくなったんです。

2009年ぐらいに、今回のファーストミックスを手伝ってくれたシンタロウ(SHINTARO TSURUDA)っていう男の子と出会ったことで、また話が具体化していき、2010年にはアルバムが一度完成した……んだけど、マスタリングに納得ができなかったことから、ミックスを見直す必要に迫られ、制作が泥沼化していった。で、結局、2013年の中頃にもう一度フィニッシュしたんだけど、そこでまた精神の崩壊があって、出すことができなかったんです。

国府達矢『ロックブッダ』を聴く(Spotifyを開く

七尾:震災後(東日本大震災)くらいまで、僕と国府さんはしばらく疎遠の時期があって。震災後、また年に1回くらい会う機会ができてくるんだけど、正直、震災後の国府さんは、見ていてキツそうだった。

—それは、震災という出来事が、国府さんになにかしらの影響を与えたということでしょうか?

国府:いや、直接的な影響はないんだよね。そもそも僕は、「時代がこうだから」っていう理由で動くタイプではないし、僕はタビィのように、被災地に行ったりしたわけでもないし。

ただ、3.11のときに思ったのは、自分の人生が時代に「同調」しているということ。とても個人的な、半径5メートルの範囲の問題ではあったんだけど、確実に、人生が時代に同調してグチャグチャになっていく感覚がすごくあった。そして、その廃人状態から起き上がっていくなかで、もう2枚のアルバムの構想ができてくるんです。その2枚のアルバムを、2016年頃から作りはじめました。

—今年は、『ロックブッダ』を皮切りに計3枚のアルバムのリリースが既にアナウンスされていますけど、その3枚が揃うということに意味があったということでしょうか?

国府:うん。自分のなかのバランスとして、『ロックブッダ』だけでは足りない、という感覚があって。「3つ揃ったら外に出よう」って思っていたんです。ただ言っておくと、この先に出る作品は、本当に暗い。さっき僕の音楽を「光」と言ってくれたけど、この先に出てくるものは、完全に影と闇に向かっていく。次と、その次のアルバムは、それぞれ「シンパシー」と「エンパシー」がテーマになっていて、「エンパシー」っていうのは、つまり「同調」っていうことなんだよね。

七尾:時代に対するエンパシーか……。すごくわかる。たぶん、それはみんな少なからず感じているものなんだよね。僕は、それに対する嫌悪感で生きてきたのかもしれない。時代から完全に逃れられる人間はいないでしょう。世の中のうねりと同調しかねない自分にも嫌悪感があって、泥沼のなかで足をとられながら、カウンターを打ち続けてきたような感じ。たぶん初期作品からずっと。

七尾旅人『リトルメロディ』収録曲

七尾:でも、いま作っているアルバムは、ちょっと違うんだよね。去年、大事な人が亡くなってさ。それもあって、一度、時代とは関係のない、すごくパーソナルなアルバムを作ろうと思っているんです。最初すごくつらかったんだけど、自宅スタジオに骨壷を置いて、ちょっとずつ録音しているうちに、感謝がこみ上げてきたりして、なんだか肩の荷が下りるというか、いままでの自分から、解き放たれていってるような感覚もあるんですよね。

国府:ええ話やと思う。僕も、この先に出るアルバムを作っていくなかで、歌とギターだけ、みたいな形で自分自身が肉体化されていったとき、「こんなにも暗いものだったのか!」って気づいたんだよ(笑)。それをそのまま表現するということは、これまでの自分にとっては禁じ手だったんだけど、いまの自分はそれを認めざるをえなかったし、認めてしまうことで、なんとか楽になれた。そのアルバムの曲だったら僕は、ギター1本担いで、日本全国いろんな場所を回って、人前で歌えるんです。

僕とタビィが特殊だと思うのは、単に人間的な仲のよさだけではなくて、表現としても刺激し合える関係であったこと。(国府)

—お話を聞いて思うのは、20年のときを経て、お二人の表現が、再び近しい場所に着地しようとしている、ということで。そしてそこには、「自分の言葉で話す」という、1990年代からお二人をミュータントたらしめていた本質が刻まれているのかな、と思います。

国府:僕とタビィが特殊だと思うのは、単に人間的な仲のよさだけではなくて、表現者としても刺激し合える関係であったこと。それは、すごく恵まれていたし、奇跡的なことだと思う。「タビィに応えたい」と思ったからこそ、倒れずにいることができたしね。

七尾:僕も、「国府さんが帰ってくるまでは踏ん張っていよう」ってずっと思っていたから。

左から:七尾旅人、国府達矢

七尾:実は、この次に出るアルバム『スラップスティックメロディ』が、国府さんの全作品のなかで一番好きなんです。『ロックブッダ』は彼の思想が結晶化したような凄まじい傑作だけど、その次の作品では、国府達矢の人間味、パーソナルな部分が前面に出ている。思想もなにもなくって、空っぽのなかに、ただ素のままの彼が浮かんでいるような、そんなアルバム。この3枚を並べて聴くと、15年ぶりに、欠けていたパーツがすべて埋まっていくような感覚があるんだよね。

—最後に国府さんに伺いたいのですが、『ロックブッダ』の5曲目に収録された“アイのしるし”は、MANGAHEAD時代の曲“Lines”を思わせる部分がありますよね?

国府:そうですね。“アイのしるし”では具体的に、“Lines”のサビを移植していて。恥ずかしい話をすると、この曲はタビィのことを歌っている曲なんですよ。

七尾:あぁ、そうなんだ……。

国府:この歌の奥には、MANGAHEADから自分のことを見てくれていた人たちを包み返したい、という気持ちもあって。ここでいう「アイ」っていうのは、「愛」っていう意味もあるんだけど、それ以外にも「目印」とか、「I(私)」とか、いろんな意味を込めているんですよね。あの頃から見てくれていた人たちも文脈的につなげて、救済できるような曲になればいいなと思ったんです。

左から:国府達矢、七尾旅人

国府達矢『ロックブッダ』ジャケット
国府達矢『ロックブッダ』ジャケット(Amazonで見る

リリース情報
国府達矢
『ロックブッダ』(CD)

2018年3月21日(水)発売
価格:2,808円(税込)
PECF-1149

1. 薔薇
2. 感電ス
3. いま
4. 祭りの準備
5. アイのしるし
6. weTunes
7. 続・黄金体験
8. 朝が湧く
9. 蓮華
10. Everybody's @ buddha nature

イベント情報
『国府達矢「ロックブッダ」リリース記念ライブ』

2018年4月20日(金)
会場:東京都 新代田 FEVER
出演:
国府達矢(ROCK BUDDHA FORM)
七尾旅人
skillkills

『skillkills / 国府達矢 (ROCK BUDDHA FORM) 九州ツアー』

2018年5月24日(木)
会場:熊本県 NAVARO
skillkills
国府達矢(ROCK BUDDHA FORM)
Mulletcut!

『UTERO 8th Anniversary Live』

2018年5月25日(金)
会場:福岡県 UTERO
skillkills
国府達矢(ROCK BUDDHA FORM)
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プロフィール
国府達矢
国府達矢 (こくふ たつや)

1998年、MANGAHEADとしてデビュー。2001年、国府達矢としてライブ活動を開始。2003年、国府達矢『ロック転生』をリリース。2007年、salyuに楽曲提供開始。2011年、salyu×salyu『s(o)un(d)beams』に2曲作詞で参加。2011年、ロックブッダシングル『+1Dイん庶民』をリリース。2017年7月より自主企画弾き語りイベント『onzou』を開始。すでに完成している3枚のオリジナル・アルバムのリリースを控え本格的に活動を再開。

七尾旅人 (ななお たびと)

シンガーソングライター。これまで『911FANTASIA』『リトルメロディ』『兵士A』などの作品をリリースし、『Rollin' Rollin'』『サーカスナイト』などがスマッシュヒット。唯一無二のライブパフォーマンスで長く思い出に残るステージを生み出し続けている。即興演奏家としても、全共演者と立て続けに即興対決を行う「百人組手」など特異なオーガナイズを行いアンダーグラウンド即興シーンに地殻変動を与え続ける。その他、ビートボクサー、聖歌隊、動物や昆虫を含むボーカリストのみのプロジェクトなど、独創的なアプローチで歌を追求する。開発に携わって来た配信システムDIY STARSを使って「DIY HEARTS東日本大震災義援金募集プロジェクト」や、世界中の貧困地域、紛争地域から作品を募り流通回路を開く「DIY WORLD」も開設。年内にニューアルバム発売予定。

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