コラム

機材で聴くヒップホップ。90年代の音を支えたSP-1200

機材で聴くヒップホップ。90年代の音を支えたSP-1200

テキスト
大島純
編集:久野剛士(CINRA.NET編集部)

ダーティーな音で受け入れられた名機SP-1200

そして1987年にはE-MUから「SP-1200」が発表され、ヒップホップのビートメイキングはある到達点に達することになる。この機材は、SP12からのシンプルで直感的な操作性と、無骨な「ブーンバップ」と形容されるヒップホップにはなくてはならない低音のキックやアタックの強いスネアが織りなすパンチの効いた音質を引き継いでいた。その一方で、これまで1.2秒だったサンプリングタイムを、10.5秒へと大幅に向上させ、それを安価な3.5インチ・フロッピードライブに保存できるという大きな変更があった。

これはAKAIのMPCにも共通して言えることなのだが、開発者たちには10.2秒といえば、SP1200はあくまで楽曲のドラム部分のみを作るためのものというコンセプトだったようだ。しかしながらヒップホップのアーティストたちはドラム以外の多彩なサンプルを組み合わせてどうにか1台で全ての製作プロセスを完結させようとした。10.2秒だとバラバラのドラム素材をサンプリングすると、あとは1、2小節ほどしかその他の楽器をサンプリングすることができない。彼らはそれを解消するために、33回転のレコードを45回転で早回してサンプリングし、それをSP-1200のピッチシフターで低いピッチに落としてサンプルを遅く戻して秒数を稼いだ。

ピート・ロックがSP-1200でビートを作る様子

ピッチシフトで発声を遅くするとサンプルの劣化が起こる。こうすることによって、特に1990年代のニューヨークのヒップホップ特有のダーティーさが定着した。私がブルックリンの自宅スタジオでインタビューしたBlack MoonとDa Beatminerzのメンバーで、プロデューサーのDJ Evil Deeは、彼の音作りの真髄は「音をできるだけ汚すことだ」と私に語った。それはヒップホップがニューヨークという猥雑な場所で産まれたストリートミュージックだからだという持論に基づいていると熱弁してくれた。

Black Moon『Enta Da Stage』を聴く(Apple Musicはこちら

それでも秒数が足りない場合は同じ12ビットのAKAIのラック型サンプラー「S950」と合わせて使われていたようだ。この組み合わせは1994年にサンプリングの秒数が大幅に向上した「MPC3000」が発売するまでたいへん人気のあったセットアップで、Easy Mo BeeやLarge Professor、ロード・フィネス、DJ Evil Deeもこのような組み合わせで1990年代のニューヨークヒップホップのルネッサンス期とも言える時代にたくさんの名曲を送り出している。

ロード・フィネス“Hip 2 Da Game”を聴く(Apple Musicはこちら

私は、ヒップホップにはサンプリングネタのレコードノイズやそれが録音されたスタジオの空気感、サンプラーに取り込んだ後のローファイな歪みやノイズといった、譜面には記すことができないような大量の情報のレイヤーが組み込まれていると思う。そして、それこそが1990年代のサンプリング全盛期のヒップホップの魅力だと考える。

A Tribe Called QuestのSP-1200で作られた『The Low End Theory』(1991年)と、J Dillaが天才的なMPC3000捌きで手掛けたクリーンな質感の『Beats, Rhymes and Life』(1996年)を聴き比べればその違いは一目瞭然だ。『The Low End Theory』は「ヒップホップの『サージェント・ペッパー』」と言える歴史的名盤だが、その次のアルバム『Midnight Marauders』(1993年)はさらにノイズを複雑に組み合わせて、廃材や錆びた鉄を組み合わせて作ったようなビンテージ家具のような美しいテクスチャーを生み出している。

A Tribe Called Quest『The Low End Theory』を聴く(Apple Musicはこちら

A Tribe Called Quest『Beats, Rhymes and Life』を聴く(Apple Musicはこちら

SP-1200の音質を堪能するための音楽として、『Soul Survivor』までのピート・ロックのアルバム、そして彼が“World Is Yours”で参加したNasのデビューアルバム『Illmatic』(1994年)が最初に頭に浮かぶ。当時のニューヨークの最高のプロデューサーたちが集まって作ったストリートの宝石が散りばめられた「史上最高のヒップホップアルバム」とも称される1枚だ。「MPC60II」を使用したDJ Premier以外は皆、SP-1200でプロデュースしたとされている。

Nas『Illmatic』を聴く(Apple Musicはこちら

ピート・ロックは16ビットになった「MPC2000XL」でようやくSP-1200から移行したのだが、彼は音質の違いをこう表す。

「音はクリアーになったのではなくて細くなった。SPをMPCと比べてということだ。MPCの音はややSPの音よりは細い。だからEQでMPCの音をできるだけ太くして、SPを使っていたときと同じような効果を与えるんだ」

実際にSP-1200で作り上げたアルバム『Soul Survivor』(1999年)と、MPC2000XLで作られた『Petestrumentals』(2001年)を聴けば、明らかにテクスチャーの違いがわかるはずだ。

ピート・ロック『Soul Survivor』を聴く(Apple Musicはこちら

ピート・ロック『Petestrumentals』を聴く(Apple Musicはこちら
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書籍情報

『MPC IMPACT!-テクノロジーから読み解くヒップホップ』
『MPC IMPACT!-テクノロジーから読み解くヒップホップ』

2020年1月23日(木)発売
著者:大島純
価格:1,980円(税込)
出版:リットーミュージック

プロフィール

大島純
大島純(おおしま じゅん)

映像作家・教育者。東京アドバタイジング、JWTでの6年間の広告代理店勤務を経て渡米。NEW SCHOOL大学院修士課程で映画制作を学ぶ。現在NYと東京に半々在住。撮影監督として参加した短編Surfaceが2010米アカデミー賞(学生部門)金賞を受賞。Google、Facebook、LVMH、Sony、NHKなどのプロジェクトを手がける。2016年NHK長編ドキュメンタリー「秋吉敏子:スウィングする日本の魂」にディレクター兼カメラマンとして携わる。その他音楽関係ではキース・リチャーズ、坂本龍一、マンデー満ちるを撮影する。2013年よりNEW SCHOOL大学院およびPARSONS美術大学教員として映像・メディアの制作を教える。2019年よりデジタルハリウッド大学特任准教授。2020年、大学院からの10年の研究をまとめた「MPC IMPACT!-テクロノジーより読み解くヒップホップ」をリットーミュージックより刊行。

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