ジョン・レノンが時代に残す闘いの爪痕、ヨーコがもたらしたもの

「若い頃の写真を見ると、僕はマーロン・ブランドのようになりたい自分と、繊細な詩人、つまりオスカー・ワイルドのようにしなやかで女性的な自分とに引き裂かれていた。その二つの間で常に揺れ動いていて、大抵は男らしい方を選んでいたんだ。もう片方の自分を見せるなんて、死も同然だったから」

ジョン・レノン生誕80年目を迎えた10月9日から行われている展覧会『DOUBLE FANTASY - John & Yoko』の会場の一角に、こんなテキストが記されていた。これは『Rolling Stone』誌によるジョン・レノン生前最後のインタビューで語られた言葉として知られている。ジョンが女性的な面(feminine side)と男性的な面(macho side)の間で苦しんでいたことは、『女性上位万歳』で女性解放運動を歌ったオノ・ヨーコとの数々の活動も踏まえて、極めて現代的な意味を持っていると考えていいはずだ。「Toxic masculinity(有害な男らしさ)」なんて言葉がなかったであろう時代から、ジョン・ウィンストン・オノ・レノンという男は孤独に闘っていた。その足跡は、一人の男性が自らの魂に植え付けられた「有害な男らしさ」という毒を取り除こうとする解毒の歴史でもあったのではないか。2020年の今なら、そんなふうに捉えられるように思う。

本稿の目的は、そもそも札付きの不良で、愛と平和の大使、永遠のロックアイコンなど様々な顔を持つジョン・レノンを、2020年的な感性とリアリティを通じて見つめること。書き手に村尾泰郎と野中モモを招き、ジョンという一人の男が時代に残した闘いの爪痕に触れることを試みた。展覧会のみならず、新たなベスト盤『Gimme Some Truth.』のリリース、そしてジョン&ヨーコの生きた時間を鮮烈に捉えた映画『IMAGINE<イマジン>』の国内初の劇場公開と、2020年はジョン・レノンという人に触れるよい機会かもしれない。この記事を通じて、あなたのなかにジョン・レノンに向ける新たな視点が生まれることを願って。

左から:ジョン・レノン、オノ・ヨーコ / ©2018 YOKO ONO LENNON
ジョン・レノン
1940年10月9日、英リバプール生まれ。1960年代はThe Beatlesのメンバーとして活躍。1966年、オノ・ヨーコと出会い、1969年3月結婚。二人は共作したコンセプチュアルアート『Acorn Peace(平和のどんぐり)』『Bed In(ベッド・イン)』『WAR IS OVER! (if you want it)』などの平和運動とともに、『Give Peace A Chance(平和を我等に)』発表後、Plastic Ono Bandとして活動。The Beatles解散後の1970年『John Lennon/Plastic Ono Band(ジョンの魂)』を発表しソロキャリアをスタート。1975年、息子ショーンが生まれた事を機に主夫として生活、しばらく音楽活動を離れる。1980年、5年の沈黙を破りジョン&ヨーコ名義での『Double Fantasy』で音楽シーンに再登場。しかし、リリース直後の12月8日、凶弾に倒れ悲劇的な死を迎える。享年40歳。

オノ・ヨーコ
1933年2月18日、東京都生まれ。1950年代後半よりNYで芸術活動を開始。コンセプチュアル・アートの先駆者、前衛芸術家、音楽家として60年以上にわたり全世界へ向けてメッセージを発信し続ける。1964年『Grapefruit(グレープフルーツ)』を出版。1966年、ロンドンのインディカ・ギャラリーで開催した個展でジョン・レノンと出会い、その後共に音楽・芸術活動を行なう。ジョンは生前“Imagine”は『グレープフルーツ』から着想を得ていたと語っており、1971年のリリースから46年後の2017年にジョンの希望通り、ヨーコの名前が共作者として正式にクレジットされるに至った。一貫してアートと日常生活の境界を崩すことを試み、彼女ならではの前衛的な方法で愛と平和を訴え続けている。
ジョン・レノン『Gimme Some Truth.』を聴く(Apple Musicはこちら

「ジョン・レノンが探し求め続けた魂の居場所。ポールから『The Beatles』という居場所をもらったように、ヨーコによってもたらされたもの」テキスト:村尾泰郎

ジョン・レノンが凶弾に倒れた日、その直前に行われたラジオのインタビューで、ジョンは「人生のうちで2回、素晴らしい選択をした。ポールとヨーコだ」とコメントした。ジョンの運命を変えたポール・マッカートニーとオノ・ヨーコ。二人はジョンにとってどんな存在だったのだろう。

ジョンがポールと知り合ったのは17歳の頃。ジョンがリーダーを務めたバンド・The Quarry Menにポールが加入する。実母のジュリアを事故で亡くしたジョンは、すでに病気で母を亡くしていたポールと絆を深め、ジョンにとってポールは曲作りに欠かせないパートナーになった。

『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』(2010年に)予告編。若き日のジョン・レノンの姿が描かれる

一方、ヨーコと出会ったのは、The Beatlesが人気絶頂だった26歳の頃。アートスクールに通っていた頃から東洋の文化に興味を持っていたジョンは、日本人アーティストのヨーコに興味を持ち、個展に出かけて感銘を受ける。そして、二人の交際が始まり、1969年に結婚した二人は早速『ベッド・イン』という平和を訴えるパフォーマンスを行った。ジョンにとってヨーコはポール同様、創造性を触発する存在であり、同時に自分を受け止めてくれる母性的な存在でもあった。ヨーコの個展に展示してあった作品をジョンが見ていたとき、虫眼鏡で天井に書いてある小さな文字を覗くと、そこに「YES」と書いてあった、というエピソードが二人の関係を象徴しているようだ(『天井の絵(Ceiling Painting)』と題されたその作品は、『DOUBLE FANTASY - John & Yoko』でも再現されている)。「『NO』だったら会場を出ていたと思う」と後にジョンは振り返っているが、反抗的な思春期を送ってきたジョンが、「YES」という言葉に心動かされたというのが興味深い。

1969年3月25日、ベトナム戦争が泥沼化するなかジョンとヨーコはオランダ・アムステルダムのヒルトンホテルで『ベッド・イン』を行なった

ポールとヨーコに共通するのは、二人とも実験的な精神を持ち合わせていたことだ。ポールはメロディメイカーのイメージが強いが、 The Beatlesの頃からクラシックや現代音楽、電子音楽の要素を積極的にロックに取り入れようとしていて、“Yesterday”の弦楽四重奏を電子楽器に置き換えようかと考えたこともあった。軸足をロックにおいて実験をしていたポールに対して、前衛芸術集団、フルクサス出身のヨーコは実験精神の塊。ジョンはそんな二人の先鋭的な感性を受け入れる柔軟性と、彼らと渡り合い、それを作品として昇華できるだけの個性と才能を持っていた。

とはいえ、世界的なロックスターが音楽的には素人の妻を同じ表現の場に立たせて音楽を共作するというのは、あまりにも大胆な行為だった。ポールもソロになってから妻のリンダと共同作業をしていたが、あくまでリンダはバンドメンバーの一人として。

たとえばジョンを敬愛するリアム・ギャラガー(ex.Oasis)が再婚した妻と一緒にバンドを結成したとしたら、と考えてみてほしい。しかし、ジョンは愛に目が眩んだのではなく、ヨーコのミュージシャンとしてのユニークさ、可能性を見抜いたうえでのコラボレーションだったことは、ヨーコの作品がパンク / ニューウェイブ以降のアーティストに影響を与えたことからもわかる。 

ジョン・レノン&オノ・ヨーコ『Double Fantasy』収録曲(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

The Beatles~ソロ活動と、パートナーとの関係性を通じて作品を作り上げていくこと。それがジョンの才能のひとつであり、とりわけヨーコとのコラボレーションはロック史上類を見ないものだった。ジョンがヨーコとPlastic Ono Bandを結成したのは二人が結婚した1969年。当時、女性がフロントに立つロックバンドは珍しかった。ジョンはヨーコの女性性や、彼女が持っているロックとは全く異なる感覚を大胆に取り入れることでロックの可能性を広げた。その際に「ヨーコをプロデュースする」という関係ではなく、あくまで対等の関係でコラボレートしたのが重要なところ。電子楽器を取り入れたりジャンルをミックスさせたりする以上に、ヨーコとのコラボレーションは大胆な「実験」だった。そして、そんなジョンの期待に応えて、ヨーコは常にジョンに刺激を与え続けた。彼女の活躍は数年後に世界を席巻するパンクシーンで、パティ・スミス、The Slits、The Raincoatsなど、さまざまな女性ミュージシャンがロックシーンで才能を発揮することを予言しているようでもある。

ジョンはThe Beatlesを通じて得た名声やキャリアを捨てて、新しい可能性に飛び込んだ。それは愛や平和を謳うこと以上に勇気がいることだ。結婚した頃、ジョンは新聞は妻が玄関から持ってきて夫が読むものだと思っていた。しかし、ヨーコに「それなら、別々に新聞を取りましょう」と言われて、男性社会の勝手な思い込みに気付いたという。

世界を変えることと同じくらい、自分を変えることは難しい。その試行錯誤の様子をジョンは作品として発表し続けた。ジョンが権力に立ち向かう姿に影響を受けたミュージシャンは多いが、そうした男性的な英雄像はジョンには似合わないような気がする。

愛と平和という大きなテーマを訴える前に、ジョンは必死で自分の居場所を探し、そして、ポールは「The Beatles」、ヨーコは「家庭」という居場所をジョンに与えた。物心ついたときから叔母夫婦に育てられ、実の両親に見捨てられたように感じていたジョンにとって、家庭は探し求めていた大切な場所。ヨーコはジョンに精神的な安定とクリエイティビティという二つの大切なものを与えてくれる稀有な存在だった。安心して自分を委ね、ときには甘えられて、迷ったときには力強く「YES」と言ってくれるパートナーがいればこそ、ジョンは自信を持って大きな力に立ち向かうことができた。

ジョンが書く曲のタイプを大きく分けると、ロックンロール色が強い曲と繊細で美しいメロディを持つ曲があるが、後者のほうがジョンの本質に近い気がするのは、その独特の歌声のせいかもしれない。

聴く者に直接語りかけるような親密さと剥き出しの感情を感じさせる声は、まるで静かな叫び。ジョンは自分の弱さや迷いを、ロックで表現することができるミュージシャンでもあった。ロックスターが「人間宣言」をした名盤『ジョンの魂(原題:Plastic Ono Band)』が、<Mother(母さん)>というシャウトで始まるのが衝撃的だ。

ジョン・レノン『Plastic Ono Band』収録曲(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

このアルバムの制作に入る前、ジョンは「原初(プライマルスクリーム)療法」という精神療法を受けて子どもの頃から抱いていたトラウマと向き合ったが、ジョンにとってロックはセラピーの役割も果たしていたのだろう。そこでポールとヨーコは、セラピスト的な役割も果たしていたのかもしれない。

そんななかで、ジョンとヨーコが監督・主演を務めた映画『IMAGINE<イマジン>』は、二人の関係性を知るうえで重要な作品だ。アルバム『Imagine』(1971年)の曲に合わせて様々なイメージが綴られていくが、一つひとつのエピソードはシンプル。

冒頭でジョンがピアノを弾きながら “Imagine”を歌うシーンは有名だが、そのほかのシーンでは、パーティーやビリヤード、公園の散歩など日常的な風景を切り取りながら、見せ方や演出にアート作品のようなヒネりが加えられている。プライベートフィルムのようなパーソナルな雰囲気が漂っているのがジョンとヨーコらしいところだが、最後まで飽きさせないのは、そこで流れる音楽とジョンとヨーコの間に流れる強力な磁場のようなものに惹きつけられるからだ。

ジョン・レノン『Imagine』収録曲(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

映画『IMAGINE<イマジン>』より / ©2018 YOKO ONO LENNON

なかでも印象的なのが、映画のいたるところで見られるジョンとヨーコのキスだ。キスをするときの感情の高鳴り、相手を求める気持ちが、二人の視線やアクションから生々しく伝わってくる。まるで真剣勝負の即興セッションだ。ヨーコが常に胸の谷間を露出した服を着て女性性を挑発的にアピールしているのに対して、ジョンは常に紳士的な態度で接しているのも面白い。ヨーコの胸の谷間はセックスアピールと同時に強烈な母性を発しているようでもあり、ジョンがヨーコの脱いだハイヒールの匂いを嗅ぐ姿にも驚かされる。まさに女性上位フィルム。ラストでお互いの名前を連呼する声が続くのは、それだけで音楽作品のように思える。二人にとって愛はセレブの夢物語ではなく、人生を賭けたアートであったことが映画から伝わってくる。

ジョン・レノン生誕80年を機に初めて国内劇場公開となった『IMAGINE<イマジン>』。今回はドルビーアトモスの良質な環境で鑑賞できる唯一の機会(ドルビーアトモス/7.1/5.1化のリミックスを手がけたのはポール・ヒックス)。なお、2018年にイギリス・アメリカで劇場公開されたものと異なり、ジョンとヨーコが過ごしたティッテンハースト・パーク(1969年の夏から1973年5月までジョンとヨーコが所有し、同年9月10日にリンゴ・スターに売却される)の貴重な未発表映像が追加されている(サイトで見る

21世紀に入って、ヨーコを中心にショーン・レノン、本田ゆか、小山田圭吾らがPlastic Ono Bandを再始動させるが、性別も国境もジャンルも超えた彼らの音楽を聴いて、そこにジョンが目指したものが、しっかりと受け継がれ表現されていると感じた。一人の力ではなく関係性の中から作品を生み出し、新しいものを生み出すためには無用な偏見や余計なプライドをすぐに捨て去ることができる。オルタナティブで同時にユニバーサルな感性を持ったジョン・レノンは、この分断化された時代のなかで、さらに輝きを増すミュージシャンであり、ヨーコは創作活動や作品のリイシューなど様々な形で今もジョンの魂とコラボレートし続けているのだ。

「ジョン・レノンの問いは、今なお世界に響き続ける。自らを変革させ続けた男の強さと優しさ」テキスト:野中モモ

なんて大胆不敵で、頭が冴えて、皮肉屋かつ率直で、甘えん坊でロマンチストなんだろう。ジョン・レノンという人物の作品と生涯は、現在でも新鮮な驚きをもたらすメッセージとアイデアに溢れている。1980年12月8日、ジョンがダコタ・ハウスの前で凶弾に倒れてから早くも40年の時が過ぎようとしているけれど、英米のロックとポップミュージックに親しんできた自分のような人間は、これまで彼が発した音とメッセージの残響のなかで生きてきたのだな、と思ってしまう。

The Beatlesがロックバンドという表現形態の可能性を切り拓いた革新的な存在だということは、大抵の人が認めるところだろう。ジョンとポールとジョージとリンゴ、素敵な4人組の大冒険は、魔法がかかった時間という感じだ。あれだけ濃い経験をしたら燃え尽きてしまってもおかしくないのに、ジョンはヨーコというパートナーと共に、さらなる挑戦的な発信を続けた。

映画『IMAGINE<イマジン>』より / ©2018 YOKO ONO LENNON

彼ら二人の公私に渡る、というか公私の境目を壊すような表現の先進性は、#MeToo、#BlackLivesMatter、#FridaysForFutureといった草の根の社会運動が大きく広がり、社会正義のために声をあげようという機運が高まっている現在、10年前、20年前よりも広く深く理解されるのではないだろうか。その私生活と芸術表現が一体となったアーティスティックなアクティビズムは、誰もがネットを利用して発信できる今の時代を先取りしていたとも言えそうだ。

今回、日本初上映される『IMAGINE<イマジン>』のイメージ映像集は、同タイトルのアルバムがリリースされた翌年、1972年に制作されたものだという。あまりにラブラブいちゃいちゃしていて思わず笑ってしまうほどだが、この時代、異人種間カップルへの風当たりも、「男子たるもの硬派たれ」という抑圧も現在とは比べものにならないほど厳しかったであろうことを思うと、しあわせそうな二人の笑顔が尊いものに見えてくる。最近はカップルYouTuberなるものも人気だと聞くけれど、そこは既にジョンとヨーコが半世紀近く前に通過していたのだ! なんて。

二人が結婚した際、ヨーコはイギリスのメディアから「ビートルズを壊す女」と見なされ、猛烈なバッシングを受けた。『空に書く―ジョン・レノン自伝&作品集』(森田義信訳 / 2002年、筑摩書房より刊行)収録のエッセイで、ジョンはこう綴っている。

そしてイングランドのマスコミは一斉射撃のごとく、それまでたまりにたまっていた外国人への憎しみをヨーコに向かって吐き出しはじめた。(略)ヨーコには理解しがたかったはずだ。それまでずっと、日本では、最も美しくて知的な女性だと思われてきたんだから。あまりにあからさまな人種差別であり、性差別だった。ぼくはイギリスを恥じた。そういうぼくだって、実は、人種や女性に対する偏見でいっぱいだったけれど(心の奥深いところに植えつけられてたわけだ)、それでも以前は、人種差別をするのはヤンキーのほうだというイングランド流のおとぎ話を信じていた。

『空に書く―ジョン・レノン自伝&作品集』より(森田義信訳 筑摩書房)

The Beatlesが1966年にアメリカをツアーした際、南部の一部の会場が非白人の観客を排除しようとしているのを知り、それならば演奏しないと毅然とした態度を示して公民権運動の前進に寄与したことは、2016年のドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK - The Touring Years』に詳しい。そんな経験のあとに7歳年上の日本人女性アーティストと結婚したジョンは、自らの祖国にもまた潜んでいた激しい人種差別、そして女性蔑視の手強さと向き合うことになったのだ。

アメリカに渡ったジョンとヨーコは、共にコンセプチュアルな反戦パフォーマンスを展開した。当時さかんに活動していた政治・社会運動家たちとも親交を深め、FBIにマークされるようになった。1972年にリリースされたジョン・レノン&オノ・ヨーコ名義の『Sometime in New York City』では、当時まさに彼らの目の前に喫緊の問題として浮上していた事件や争点を取り上げている。ジョンが歌う“女は世界の奴隷か!(原題:Woman Is the N****r of the World)”は、放送禁止をくらった。現在なら非当事者によるNワードの使用は、放送局だけでなく黒人コミュニティからも批判の対象となるだろう。しかし1972年当時、そこには性差別と人種差別の両方への切実な怒りと、まだ誰も開けていない扉を開ける勇気があったはずだ。

マイルス・デイヴィスとジョン&ヨーコ / ©2018 YOKO ONO LENNON
ジョン・レノン&オノ・ヨーコ『Sometime in New York City』を聴く(Apple Musicはこちら

その後、ジョンとヨーコは1年半ほど別居生活を送ることになったが、1970年代半ばには関係を修復。ショーンが生まれ、ジョンは「主夫」として子育てに専念するために数年にわたって音楽活動を休止した。ちなみに日本では、2019年の調べで男性の育児休業取得率は7.48%。過去最高といえど1割にも満たず、女性の83%と大きな開きがあると報じられている(厚生労働省「雇用均等基本調査」より)。女性を家庭に押し込め、不公平な条件で家事・育児・介護を担わせようとする社会構造は21世紀になってもまだまだ揺るがないし、為政者や財界の大物たちは隙あらば武器を製造・売買・使用しようとしている。こうした社会の変わらなさを目の当たりにするたび、半世紀近く前のジョンの選択がどれだけ勇敢で先進的だったのか、よく理解できてしまう。

『Double Fantasy』収録曲。ビデオ内で抱っこ紐をつけて息子・ショーンをあやす、主夫としてのジョン・レノンを垣間見ることができる

筆者はそんなジョンとヨーコの活動をリアルタイムで追うことは叶わなかった世代だが、おそらく彼らの影響下にあるアーティストたちの表現を通して、その精神を浴びてきたのだと思う。たとえばデヴィッド・ボウイもそんな「チーム・ジョン」の一員だ。彼は女性から学ぶことを厭わない。1970年代初頭、なかなか売れずにくすぶっていた彼が、架空の異星人ロックスター「ジギー・スターダスト」のキャラクターを確立して大成功を収めるにあたっては、最初の妻アンジーのアイデアとセンスが大いに貢献していた。一時期ドイツ表現主義に傾倒したのも、ガールフレンドのアマンダ・リアにフリッツ・ラングを教えてもらったのがきっかけだったそうだ。

「おもしろければ男も女も関係ない」なんて、至極当たり前の話ではある。とはいえ、現在もなお女性に教えを請うことができない男性は多い。男性が女性は無知なものと思い込み、すぐに偉そうな態度で何かを説明したりアドバイスしたりする行為が「マンスプレイニング」と名付けられ、2008年のレベッカ・ソルニットのエッセイ『説教したがる男たち』(2018年、左右社刊 / 訳者:ハーン小路恭子)をきっかけに世界的な流行語になったのも、それを示している。そんな男尊女卑が蔓延するこの世の中で、ボウイがわりと早いうちから「おもしれー女」と信頼関係を築き、彼女たちの提案を素直に受け入れることができたのは、あこがれのレノン先輩がそうしている背中を見ていたからというのも大きかったのではないかと思うのだ。

ボウイが1980年9月にリリースしたアルバム『Scary Monsters』の1曲目“It’s No Game (Part 1)”には、女優ミチ・ヒロタによる日本語のナレーションが入っている。これは、当時のニューヨークでのジョンとヨーコとの親交、そして二人の作品からヒントを得たものに違いない。実際、ボウイはこれに関して、「性差別的な態度を風刺したかった」と語っているのだ。日本人女性というとみんなかわいらしくて控えめなゲイシャ・ガールを思い浮かべるような態度が差別の典型だと思うから、逆に女性による日本語の「力強い、サムライみたいな」語りを入れた、と。人をステレオタイプで括ることは誤りであると、彼は日本の情熱的なファンや仕事相手の女性たち、そしてヨーコとじかに接するうちに身をもって知ったのだろう。「ジョン・レノンならどうする?」という発想は、世界中のビートルマニアの頭を少しずつ柔らかくしてきたはずで、ボウイはその代表なのだ。

ジョンは時に調子に乗ってわざと人を傷つけるような問題行動に走ることもあったというのも、今ではよく知られている。あの最高にチャーミングなジョンでさえ、と失望してしまうが、少なくとも彼は自分の誤りを認め、変わろうとしたのだということに希望を見出したい。

現在のリスナーに求められているのは、ジョン・レノンの安易な神格化を避け、彼が遺した作品と向き合ってその本気のメッセージを受け取ることだろう。あまねく人々の平等と世界平和への願いはもちろんのこと、The Beatles解散後のジョンの曲は、「かっこつけずに自分をさらけ出すことこそがラディカルなのだ」という発想を私たちに授けてくれる。ジョン・レノンは「ぼくはこうした、君はどうする?」と問いかけてくるアーティストの系譜に、なかなか敵わない先輩として立ち続けているのだ。

ジョン・レノン『Plastic Ono Band』収録曲(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

作品情報
『IMAGINE<イマジン>』

2020年10月9日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国順次公開

監督:ジョン・レノン、オノ・ヨーコ
出演:
ジョン・レノン
オノ・ヨーコ
ジョージ・ハリスン
アンディ・ウォーホル
フィル・スペクター

リリース情報
ジョン・レノン
『Gimme Some Truth.』(2CD+1Blu-ray)輸入国内盤仕様・完全生産盤

2020年10月9日(金)発売
価格:9,350円(税込)
UICY-79255

[CD1]
1. Instant Karma!(We All Shine On)
2. Cold Turkey
3. Working Class Hero
4. Isolation
5. Love
6. God
7. Power To The People
8. Imagine
9. Jealous Guy
10. Gimme Some Truth
11. Oh My Love
12. How Do You Sleep?
13. Oh Yoko!
14. Angela
15. Come Together(live)
16. Mind Games
17. Out The Blue
18. I Know(I Know)

[CD2]
1. Whatever Gets You Thru The Night(w Elton John)
2. Bless You
3. #9 Dream
4. Steel And Glass
5. Stand By Me
6. Angel Baby
7. (Just Like)Starting Over
8. I'm Losing You
9. Beautiful Boy(Darling Boy)
10. Watching the Wheels
11. Woman
12. Dear Yoko
13. Every Man Has A Woman Who Loves Him
14. Nobody Told Me
15. I'm Stepping Out
16. Grow Old with Me
17. Give Peace a Chance
18. Happy Xmas(War Is Over)

[Blu-ray Audio]
1. HDステレオ・オーディオ・ミックス(24bit/96kHz)
2. HD5.1サラウンド・サウンド・ミックス(24bit/96kHxz)
3. HDドルビー・アトモス・ミックス
※36曲(CD1&CD2)のHDオーディオを収録

ジョン・レノン
『Gimme Some Truth.』(2CD)

2020年10月9日(金)発売
価格:3,960円(税込)
UICY-15941/2

[CD1]
1. Instant Karma!(We All Shine On)
2. Cold Turkey
3. Working Class Hero
4. Isolation
5. Love
6. God
7. Power To The People
8. Imagine
9. Jealous Guy
10. Gimme Some Truth
11. Oh My Love
12. How Do You Sleep?
13. Oh Yoko!
14. Angela
15. Come Together(live)
16. Mind Games
17. Out The Blue
18. I Know(I Know)

[CD2]
1. Whatever Gets You Thru The Night(w Elton John)
2. Bless You
3. #9 Dream
4. Steel And Glass
5. Stand By Me
6. Angel Baby
7. (Just Like)Starting Over
8. I'm Losing You
9. Beautiful Boy(Darling Boy)
10. Watching the Wheels
11. Woman
12. Dear Yoko
13. Every Man Has A Woman Who Loves Him
14. Nobody Told Me
15. I'm Stepping Out
16. Grow Old with Me
17. Give Peace a Chance
18. Happy Xmas(War Is Over)

ジョン・レノン
『Gimme Some Truth.』(CD)

2020年10月9日(金)発売
価格:2,750円(税込)
UICY-15940

1. Instant Karma!(We All Shine On)
2. Cold Turkey
3. Isolation
4. Power To The People
5. Imagine
6. Jealous Guy
7. Gimme Some Truth
8. Come Together(live)
9. #9 Dream
10. Mind Games
11. Whatever Gets You Thru The Night(w Elton John)
12. Stand By Me
13. (Just Like)Starting Over
14. Beautiful Boy(Darling Boy)
15. Watching the Wheels
16. Woman
17. Grow Old with MeO
18. Give Peace a Chance
19. Happy Xmas(War Is Over)

イベント情報
『DOUBLE FANTASY – John & Yoko』

2020年10月9日(金)~2021年1月11日(月・祝)予定
会場:東京都 ソニーミュージック六本木ミュージアム

プロフィール
ジョン・レノン

1940年10月9日、英リバプール生まれ。1960年代はThe Beatlesのメンバーとして活躍、史上最高のロックンローラー。1966年、オノ・ヨーコと出会い、1969年3月結婚。二人は共作したコンセプチュアルアート『Acorn Peace(平和のどんぐり)』『Bed In(ベッド・イン)』『WAR IS OVER!(if you want it)』などの平和運動とともに、『Give Peace A Chance(平和を我等に)』発表後プラスティック・オノ・バンドとして活動。The Beatles解散後の1970年『John Lennon/Plastic Ono Band(ジョンの魂)』を発表しソロキャリアをスタート。1971年、ヨーコとともに拠点をニューヨークへ移し、同年『Imagine』を発表、英米日で1位を獲得。1972年にはヨーコと共に『Some Time in New York City』を発表。その後も1973年『Mind Games』、1974年『Walls and Bridges(心の壁、愛の橋)』、1975年『Rock’N’Roll』とコンスタントにアルバムを発表する。1975年、息子ショーンが生まれた事を機に主夫として生活、しばらく音楽活動を離れる。1980年、5年の沈黙を破りジョン&ヨーコ名義での『Double Fantasy』で音楽シーンに再登場。しかし、リリース直後の12月8日、凶弾に倒れ悲劇的な死を迎える。享年40歳。ジョンが遺した作品、メッセージは今もなお人々の心に寄り添い、時代を超えて生き続ける。

オノ・ヨーコ

1933年2月18日、東京都生まれ。1950年代後半よりNYで芸術活動を開始。コンセプチュアル・アートの先駆者、前衛芸術家、音楽家として60年以上にわたり全世界へ向けてメッセージを発信し続ける。1964年『Grapefruit(グレープフルーツ)』を出版。1966年、ロンドンのインディカ・ギャラリーで開催した個展でジョン・レノンと出会い、その後共に音楽・芸術活動を行なう。ジョンは生前“Imagine”は『グレープフルーツ』から着想を得ていたと語っており、1971年のリリースから46年後の2017年にジョンの希望通り、ヨーコの名前が共作者として正式にクレジットされるに至った。一貫してアートと日常生活の境界を崩すことを試み、彼女ならではの前衛的な方法で愛と平和を訴え続けている。



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