この春、鳥取県立美術館がオープンした。全国47都道府県のうち「ほぼ」最後の県立美術館として(※)、ついに開館を果たした。
「ほとんど全ての都道府県に美術館がある」という状況をあらためて考えてみると、文化的に恵まれているのは間違いないはずだが、ふだん美術館に足を運ぶ習慣のない人からは、「美術館ってそんなに必要?」「そもそも美術館ってなんのためにあるの?」といった疑問の声も聞こえてきそうだ。
「OPENNESS!(オープンネス)」を理念に掲げる鳥取県立美術館のオープンを記念して、美術家、森村泰昌とやなぎみわがスペシャルトークセッションを行った。テーマは「ほんとに美術館って必要なの?—ミュゼオロジー再考」。世界的に活躍している二人が、美術館という存在が果たす役割や、両者にとって美術館がどんな存在であったかを、オープンなマインドで語り合った。
今回は前後編に分けて、鳥取県立美術館オープニングの様子を紹介。前編ではシンポジウムに焦点を当て、後編ではインタビューを掲載する。
※山形県や鹿児島県などにも県立美術館はない。ただ、県、市、民間が共同運営する美術館があったり、博物館と併設されるかたちで美術部門があったりなど、かたちがさまざまであり、一概に定義することが難しい。鹿児島県では、県立美術館建設に向けた市民運動(鹿児島県立美術館設立を考える会)が行われている。
県立美術館がなかった場所で、待望のオープン
日本でもっとも人口が少ない県である鳥取県には、これまで県立の美術館がなく、この3月30日に県民待望のオープンを迎えた。

同館は、1972年開館の鳥取県立博物館から美術分野を独立させたもの。「鳥取県立美術館整備基本構想」がまとめられたのが2017年で、長い時間をかけて開館へと準備が進められてきた。

掲げる理念は「OPENNESS!(オープンネス)」。槇総合計画事務所と竹中工務店のジョイントベンチャーによって設計された建築は、南向きの大きなガラス窓、ゆったりとしたフリースペースが各所に設けられ、明るく開かれた空間が特徴だ。理念は建築の特性のみならず、「さまざまな価値観に対して開かれ、新しい価値を創り出すことを恐れない」という美術館の精神を象徴しているものだという。

中央が尾﨑信一郎館長
館長は、鳥取県出身の尾﨑信一郎。兵庫県立近代美術館学芸員、国立国際美術館研究員、京都国立近代美術館主任研究員を経て、鳥取県立博物館に勤務していた。鳥取県立美術館の収蔵品について「鳥取県出身の前田寛治や辻晉堂の作品を中心としながら、それをひとつの文脈ととらえられるようなコレクションを、長い時間をかけてつくっていきたい」と語った。
こけら落としの展覧会のキーワードは「リアル」
そんな鳥取県立美術館の開幕を飾った企画展は『ART OF THE REAL アート・オブ・ザ・リアル 時代を超える美術-若冲からウォーホル、リヒターへ-』。

「迫真と本質」「写実を超える」「日常と生活 」「物質と物体」「事件と記憶 」「身体という現実」という6つの章とエピローグの全7章から展開され、収蔵作品を含む約180点の作品を「リアル」をキーワードとして読み解いていく展示だ。
近世鳥取画壇の作品はもちろん、例えばパブロ・ピカソ、マルセル・デュシャン、フランシス・ベーコン、ルーチョ・フォンタナ、イヴ・クライン、伊藤若冲、舟越桂、藤田嗣治ら、美術の教科書で見たような錚々たる著名な作家の作品も並ぶ。同館が約3億円で購入し話題となったアンディ・ウォーホルの『ブリロ・ボックス』も展示されていた。


尾﨑館長は企画展について、「1点の作品を『見どころ』とするのではなく、作品の文脈やストーリーを見せていく展覧会であること」「女性作家や鳥取県の作家、若い作家、第三世界の作家の作品を含めることを考えながら作品を選んだ」と話していた。
世界的に活躍する森村泰昌、やなぎみわが「美術館」を考える
オープン前日の3月29日には、県内の食や雑貨がマルシェのように並ぶ「鳥取アート&クラフトマーケット」をはじめ、パレードや音楽イベントなどの催しに多くの人が集まり、同館の広い野外スペースはお祭りのような雰囲気に包まれた。

同館内では、美術家の森村泰昌、美術家で舞台演出家のやなぎみわをゲストに迎え開館記念のトークセッションが開かれた。「ほんとに美術館って必要なの?—ミュゼオロジー再考」と題して、尾﨑館長をモデレーターとして語り合った。
まず話題は、企画展『ART OF THE REAL』を見た感想から。同展でも、森村、やなぎそれぞれの作品が展示されている。それぞれの展示作品については、後編の記事で詳報する。

まず森村は、「素晴らしい展覧会でした。何をリアルと感じるか——つまり、生活実感は時代によって、あるいは社会状況によって、あるいは一人ひとりにとって違うと思います。それぞれのなかで自分がリアルと感じたことを、画家や彫刻家は表現する。そのさまざまな様子がいろんなかたちで展示され、それらがつながっていくと、じつは美術の歴史になっていく。この人はこういうところに切実な想いを持っていたんだな、というイメージを通して、美術の歴史を感じる、そういう展覧会になっていたと感じました」と評した。

森村泰昌(もりむら やすまさ)
美術家。1951年大阪生まれ。京都市立芸術大学卒。1985年の『肖像(ゴッホ)』を皮切りに、写真によるセルフポートレイト作品を次々に発表。「美術史シリーズ」や「女優シリーズ」で知られる。1988年、ベネチア・ビエンナーレのアペルト部門に出品、国際的な注目を集める。芸術選奨文部科学大臣賞(2007年)、紫綬褒章、毎日芸術賞(いずれも2011年)などが授与される。主な個展に「美に至る病/女優になった私」(横浜美術館、1996年)、「空装館/絵画になった私」(東京都現代美術館ほか、1998年)、「私の中のフリーダ」(原美術館ほか、2001年)、「なにものかへのレクイエム」(東京都写真美術館ほか、2010年)、「Theater of Self」(アンディ・ウォーホル美術館、2013年)、「自画像の美術史」(プーシキン美術館、2018年)、「M式海の幸—ワタシガタリの神話」(アーティゾン美術館、2021〜2022年)、「ワタシの迷宮劇場」(京都市京セラ美術館、2023年)など。今年2025年には、香港のM+でシンディ・シャーマンとの二人展「Msaquerades」が開催される。近著に『美術応答せよ!』(筑摩書房)、『自画像のゆくえ』『生き延びるために芸術は必要か』(ともに光文社新書)など。2018年、大阪北加賀屋に「モリムラ@ミュージアム」が開設される。
やなぎも「森村さんがおっしゃるように、素晴らしい展覧会だと思います。作品同士の関係性が味わえる。いろんな時代の流れとキュレーションの意図が感じられるのが味わい深くて、趣きがあるので好きですね。何度も足を運んで味わっていただけたら楽しいかと思います」とした。

やなぎみわ
1967年兵庫県神戸市生まれ。91年京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。複数の案内嬢が商業施設内で横たわり、たたずむ様子を撮影した写真シリーズ『エレベーター・ガール』(1994年-98年)でデビュー。代表作に、若い女性たちが思い浮かべる50年後の姿を視覚化した『マイ・グランドマザーズ』シリーズ(2000年)、アンデルセン作品やグリム童話に登場する老婆を少女が演じる「フェアリーテール」シリーズ(2004年-06年)など。2009年に、第53回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館代表に選出。日本館を芝居小屋に見立て、「フェアリーテール」シリーズから派生した、高さ4メートルにおよぶ女性の肖像写真『ウィンドスウェプト・ウィメン:老少女劇団』や映像作品を出展した。11年より演劇プロジェクトを本格的に始動した。
「ほんとに美術館って必要なの?」——実験室、「お墓」、次世代へつなげる場所
テーマである「ほんとに美術館って必要なの?—ミュゼオロジー再考」に沿って、話題は美術館という存在を考える文脈へ。尾﨑館長はまず、大阪・北加賀屋で私設美術館「モリムラ@ミュージアム(M@M=エム・アット・エム)」を運営している森村に、その詳細を問いかけた。

鳥取県立美術館に足を踏み入れると、まず目に入るのが森村泰昌『モリロ・ボックス』
森村:私設美術館なので、県立美術館とは位置付けが違うと思いますが……「モリムラ@ミュージアム」では、わりと私が好きに並べていますね。ともかく私はモノを並べるのが好きなんですよ。子どもの頃から絵を描いて終わりではなくて、並べるところまでやらないとやった気がしない。今回(の企画展)もそうですけど、美術館って、並べることに特化した空間ですよね。「モリムラ@ミュージアム」は、いわば、美術館の「実験室」。実験していくなかで、こういうことも美術館でできるんじゃないかって、可能性の提案もできるようになるんです。
それを受けて、尾﨑館長は舞台演出家としても活躍しているやなぎに、美術館がなす空間と、演劇がつくる空間の違いについて問いかける。

『ART OF THE REAL -』でもやなぎみわの『My Grond Mothers』シリーズの作品が展示されている
やなぎ:私の作品『マイ・グランドマザーズ』シリーズは、非常に物語性が強いんですね。映画のワンシーンみたいな作品で、その物語の部分から演劇に行ってしまった……といいますか。はじめは劇場公演で、200〜300人くらいの箱のなかでやってたんですけど、次第に野外劇がしたくなった。箱があればある程度の規模感がわかるのですが、野外は全然予測が立たないんですね。たとえば天候の変化が大きく影響するし、それによって俳優の表現も変わってきますから、すべてが流動するもので、終われば何も残らない。そんな、美術館とはまったく反対のことをやったからこそ、美術館の価値もわかる気がします。
尾﨑:美術館っていうのは、森村さんもおっしゃったように並べること、もうひとつは収蔵して、流動的なものにかたちを与えるということが重要な役割としてありますね。

『ART OF THE REAL アート・オブ・ザ・リアル 時代を超える美術-若冲からウォーホル、リヒターへ-』会場風景より
森村:先ほどのやなぎさんのお話にも関係するんですが、美術館は「作品の墓場である」ってよく言われますよね。そこに収まってしまっているので、お墨付きがついた立派なコレクション。つまり、評価がある程度定着した作品だということ。
お茶碗に例えてみると、日常のなかにしつらえがあって、そこでお茶碗が生き生きとした意味を持ってくる。お茶碗だけを「これは素晴らしいお茶碗だ」ということで美術館に入れてしまうと、それって生き生きした日常とは切り離された、まさに「お墓」であるっていうふうに言われることも多々あるかと思いますけど。それが好きって人もいるんですよ。たとえば有名な話、マルセル・ブリヨン(※)、あの人はどちらかというと「お墓派」。一方で、生き生きした場所で鑑賞するのが一番いいという考え方もあり、それってちょっと演劇的な考えかたかもしれませんね。
※美術評論家、小説家。1895年、マルセーユ出身。イタリア・ルネサンス、ドイツ・ロマン派を中心に、歴史、考古学、文学、美術の広い分野に多彩な活躍を示す。著書に『シシリアの芸術』、『絵画における手、ジオットからゴヤまで』、『抽象芸術』『幻想芸術』(邦訳、紀伊國屋書店)など。

やなぎ:私は「お墓」も好きなので……(笑)。もちろん両方あったほうがいい。ただ、私たち作り手はつねに「お墓」と一緒にいるわけではないんですよね。これは民藝の創始者、柳宗悦の言葉なんですけど——「未生」。美しい/醜いがわかれていない、まだ生まれていない、柳はその世界をすごく愛していたんですけど、わりとつくり手はそっちの世界に住んでいて。「美しい」とされて美術館に収蔵されたらうれしかったりもするんですが、それはすでに「美しい」にわかれたものである。そういう「美」を保管し、次の世代の芸術家につなげていくということが、美術館の役割としてはひとつ、とても大事なことだと思います。
さっき森村さんがお墓っておっしゃいましたけど、でも死んだ人——すでに亡くなっている作家って、あんまり黙ってないんですよね(笑)。亡くなった人は、作品にちゃんと声を残している。美術館にはいまも生きている作家の収蔵品もありますから、生死も混ざりあっていますよね。私は、それがすごく、好きですね。
「聖域」と「集う場所」の矛盾にどう折り合いを付けていくか

『ART OF THE REAL アート・オブ・ザ・リアル 時代を超える美術-若冲からウォーホル、リヒターへ-』会場風景より。中央は森村の『Brothers(A Late Autumn Prayer)』(1991年)
最後に尾﨑は、「鳥取県立美術館が、この2025年という、世界で戦争が起こり、数年前には疫病が蔓延したこの時代に生まれたということを忘れてはいけないと考えている」と語ったうえで、美術館の「理想の未来」として、場のありかたを問うた。
森村:美術館って、みなさんは何を求めてるのかな? 考えると、大きく二つあるんじゃないかと思ったんです。まず、美術館に行くと癒されるという、ある種のサンクチュアリ(聖域)のようなもの。日々の暮らしを少し忘れて別のところに行けるということですね。作品を見ながらじっくり考える、それが好きな人。一方で、美術館って、美術のことを詳しく知るだけじゃなくて、子どもをはじめ、いろんな人が集まれる場としての機能も求められている。この二つは矛盾するんじゃないか、と。
静かに作品を見たい、日常を忘れたい人にとっては、そこにみんながわーっと集まると、「サンクチュアリ」の空気が乱れはするわけで。これは例えば、お寺なんかでもそうですね。京都の金閣寺にも、かつてそんなに人がいないというところに感じられる異空間があったと思うんですけど、いまはものすごい人がいますから。たくさんの人が集まれる場、それから聖なる場所としてその空気感をどうキープするか。しかし両方とも必要な機能であり、美術館っていうのは、その矛盾にどう折り合いをつけていくのかと、考えさせられますね。

『ART OF THE REAL アート・オブ・ザ・リアル 時代を超える美術-若冲からウォーホル、リヒターへ-』会場風景より。中央左はやなぎの『Windswept Women2』(2009年)
やなぎ:ほんとうにそうですね。私も今回の企画展で作品を見ましたが、時間をかけてじっくり見ると新しい発見がある作品もありました。それは、人がぎゅうぎゅうになって、押し出されるようにしながら見ているのではわからないもの。最近はぎゅうぎゅう詰めの展覧会も多いから、さっき森村さんがおっしゃったようなサンクチュアリのような空間のほうが珍しくて、そういう場所が貴重になってると思うんです。
ですから、有名な絵が来たから一瞬だけでも見たぞ、うれしい、そういう見方もあるかもしれないけど、さっきも言ったような、亡くなった人の声を聞くということにはちょっとだけ時間がかかるものなんですよね。声が聞こえてくるというか、その文脈がわかるようになってくると、その趣深さや、学芸員のキュレーションの意図もわかってきたり、とにかく時間がかかる。贅沢ですよね、時間がかかるってことは。その時間は、本当に豊かなものをもたらすと思うんです。

- 美術館情報
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鳥取県立美術館
所在地:鳥取県倉吉市駄経寺町2-3-12
開館時間:9:00 ~ 17:00(入館は16:30まで)
休館日:月曜日、年末年始(12月29日~翌年1月3日)ほか
※月曜日が祝日の場合は翌平日が休館日。
※休館日は変更となる場合があります。
- イベント情報
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『ART OF THE REAL アート・オブ・ザ・リアル時代を超える美術-若冲からウォーホル、リヒターへ-』
会期:2025年3月30日(日)~6月15日(日)
開館時間:9:00 ~ 17:00(入館は16:30まで)
※夜間開館日(6月14日(土))は21:00まで
休館日:月曜日
- プロフィール
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- 森村泰昌 (もりむら やすまさ)
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美術家。1951年大阪生まれ。京都市立芸術大学卒。1985年の『肖像(ゴッホ)』を皮切りに、写真によるセルフポートレイト作品を次々に発表。「美術史シリーズ」や「女優シリーズ」で知られる。1988年、ベネチア・ビエンナーレのアペルト部門に出品、国際的な注目を集める。芸術選奨文部科学大臣賞(2007年)、紫綬褒章、毎日芸術賞(いずれも2011年)などが授与される。主な個展に「美に至る病/女優になった私」(横浜美術館、1996年)、「空装館/絵画になった私」(東京都現代美術館ほか、1998年)、「私の中のフリーダ」(原美術館ほか、2001年)、「なにものかへのレクイエム」(東京都写真美術館ほか、2010年)、「Theater of Self」(アンディ・ウォーホル美術館、2013年)、「自画像の美術史」(プーシキン美術館、2018年)、「M式海の幸—ワタシガタリの神話」(アーティゾン美術館、2021〜2022年)、「ワタシの迷宮劇場」(京都市京セラ美術館、2023年)など。今年2025年には、香港のM+でシンディ・シャーマンとの二人展「Msaquerades」が開催される。近著に『美術応答せよ!』(筑摩書房)、『自画像のゆくえ』『生き延びるために芸術は必要か』(ともに光文社新書)など。2018年、大阪北加賀屋に「モリムラ@ミュージアム」が開設される。
- やなぎみわ
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1967年兵庫県神戸市生まれ。91年京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。複数の案内嬢が商業施設内で横たわり、たたずむ様子を撮影した写真シリーズ『エレベーター・ガール』(1994年-98年)でデビュー。代表作に、若い女性たちが思い浮かべる50年後の姿を視覚化した『マイ・グランドマザーズ』シリーズ(2000年)、アンデルセン作品やグリム童話に登場する老婆を少女が演じる「フェアリーテール」シリーズ(2004年-06年)など。2009年に、第53回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館代表に選出。日本館を芝居小屋に見立て、「フェアリーテール」シリーズから派生した、高さ4メートルにおよぶ女性の肖像写真『ウィンドスウェプト・ウィメン:老少女劇団』や映像作品を出展した。11年より演劇プロジェクトを本格的に始動した。
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