天国も地獄も表裏一体? KIKIと行く禅の宇宙『白隠展』

かつてジョン・レノンがその絵画を自宅に飾ったとされ、また村上隆は同じ表現者としての賛嘆・共感から模写にも挑んだという画家が、江戸時代にいました。正確には、画家ではなく禅僧。白隠慧鶴(はくいん・えかく)は禅の教えを広く世に伝えるため、型破りな書画をいくつも残した奇才です。その作品群は、人生の処方箋として大名や庶民にまで広く描き与えられたものでもありました。時代も国境も超えて人の心を惹き付けるその魅力とは?

そこで今回は、モデル・女優のKIKIさんと一緒に、白隠の傑作が全国から一堂に会する、Bunkamuraザ・ミュージアムにて2月24日まで開催中の『白隠展 HAKUIN 禅画に込めたメッセージ』を訪ねてみました。旺盛な行動力と好奇心でアートの世界を楽しむ彼女の心に、白隠禅師のメッセージはどう響いたのでしょう? KIKIさんと一緒に、時空を超えた禅画の旅へと出かけます。

孤高の「自由すぎる画業」に秘められた奥深さ

白隠慧鶴(1685〜1768)は江戸中期を生きた禅僧。臨済宗を広く流布した高僧であった彼は、禅の教えに基づいた書画をゆうに1万点以上残しました。その作品は、型破りの迫力や微笑ましいユーモアで観る者を惹き付け、禅のメッセージを届けます。今回の展覧会は、そんな白隠の世界を全国45か所から厳選した約100点で体感できる、史上初の試みです。

KIKI
KIKI

会場入口をくぐると、いきなり高さ約2メートル、目つきの険しい迫力の達磨(だるま)像『隻履達磨』が。その強烈な画風の洗礼を受ける出会いです。手がけた人物画の多くに自画像的要素もあるとされる白隠。死後に現れた達磨の亡霊を描いたこの絵は、さながら21世紀の観衆を白隠さん自らお出迎えする形? 白隠について「名前は聞いたことがあったけれど……」と語るKIKIさんも、その迫力に導かれるように、凛として歩みを進めます。

『隻履達磨』龍獄寺(長野県)
『隻履達磨』龍獄寺(長野県)

最初のセクションでは、禅=難解な問答を繰り広げる仏教の一派、という先入観を覆すような、伝統や因習にとらわれない自由闊達な画業を目の当たりにできます。

KIKI:描かれているお釈迦さまも観音さまも、どこか人間っぽくて、かつ絵に動きがありますね。

『観音十六羅漢』寳林寺(山梨県)
『観音十六羅漢』寳林寺(山梨県)

確かに、威厳ある仏教開祖・お釈迦さまを荒行直後の髭ぼうぼうの姿で描いたり、世を救うはずの観音さまが蓮池でまったり休憩していたり。KIKIさんは興味深げにその様子を見つめます。

観音さまにも苦言を辞さない、常識にとらわれない批評精神

多くの絵の端には、短い詩文「賛(さん)」も綴られています。たとえば釈迦像の賛にはお釈迦さまが苦行の後に下山する情景描写が。ところが前述の観音様の絵には「こんなところで骨休めしているとは……」的なことが書いてあるそう! 白隠にかかっては観音さまもうっかり仕事をさぼれません。KIKIさんも思わずクスリと苦笑い――。確かに人間っぽい親しみがわいてきます。ちなみに白隠の描く観音様には自らの母親像も重ね合わされているとか。

『蓮池観音』個人蔵
『蓮池観音』個人蔵

善・悪などの対立項を表裏一体ととらえる禅の世界観も、白隠は大胆に描いています。『地獄極楽変相図』には、裕福・高貴な身に生まれた者も、贅沢三昧で民衆を苦しめると必ず地獄に落ちる、というメッセージが込められています。

『地獄極楽変相図』清梵寺蔵(静岡県)
『地獄極楽変相図』清梵寺蔵(静岡県)

ここでKIKIさんがあることに気付きました。様々な地獄の情景の横には解説用か短冊形の空白がありますが「文字が入っているのは1か所だけ?」。地獄で大蛇に責め苦を受けている男を説明するその文言は「世間メカケモチ(妾持ち)」。ある意味未完の大作と言えそうですが、まずは愛人を囲う者を戒めた白隠さん、男女関係については時代に先んじたモラリストだったのかもしれません。

KIKI

KIKI:こう言っていいかわからないですけど、何だか極楽より地獄のほうが賑やかで楽しそうに見えたりもして……不思議な絵ですね。

その大胆な感想も、実は見当違いではなさそうです。すぐ側に掲げられた大型の書には「南無地獄大菩薩」。ふつう「南無〜」に続くのは「阿弥陀仏」のようにありがたい存在のはずが「地獄大菩薩」とは一体? ここでも、一見対極的な存在も皆全て、実は人の心に映ったもので、表裏一体だと示唆しているようです。

『南無地獄大菩薩』個人蔵
『南無地獄大菩薩』個人蔵

なお、この展覧会の監修者である美術史家の山下裕二先生によれば、「Imagine there's no heaven……」と始まるジョン・レノンの名曲“IMAGINE”も、何とこうした白隠思想に影響を受けたはずとのこと。実際、映画『IMAGINE』ではジョンの自宅に白隠の達磨絵が飾ってあるシーンも見られるそうです。

「悩みの時代」と「晩年の境地」を反映した達磨像

先ほどのジョン・レノンの逸話も示す通り、白隠ワールドにおいて達磨像は欠かせない存在。6角形の展示空間に足を踏み入れると、それぞれの壁面に掛けられたいずれ劣らぬ個性派の達磨たちに囲まれるような気分です。KIKIさんが吸い寄せられるようにその前に立ったのは、中でもひときわ異彩を放つ1点。漆黒の背景から朱色の衣をまとい屹立する、通称「朱達磨」です。大分県・萬壽寺所蔵のこの『半身達磨』は、白隠の代表作とも言われます。

『半身達磨』萬壽寺蔵(大分県)
『半身達磨』萬壽寺蔵(大分県)

KIKI:筆使いも色彩も、何もかも大胆で……すごい絵ですね。こうした絵が当時しっかり受け入れられたことや、それが守り継がれてきたことにも驚きます。萬壽寺の方々は、どんな思いでこの絵を見つめてきたんでしょう。それにしても、これを最晩年に描ける白隠さんもすごいです。

そう、この絵は何と80歳を超えてから描いたものなのです(ちなみに没年は84歳)。よく見ると頭部の描線は下描きを大きくはみ出すなど、技巧を超越した白隠の筆使いが伝わってきます。添えた賛に書いてあるのは「まっすぐに自分の心を見つめて、仏になろうとするのではなく、すでに仏であることに気付きなさい」という禅の核心的な教えだそうです。答は己の中にある、ということでしょうか。

右:『半身達磨』永明寺蔵(静岡県)
右:『半身達磨』永明寺蔵(静岡県)

いっぽう、その右隣にある達磨さんはかなり対照的。精緻なタッチで暗く影のある思い詰めた表情を描いたこちらは、白隠40代の作品です。現代美術家の村上隆さんは、先日テレビ番組でこの達磨像を自ら模写したことを明かしていました。この絵に見られる表現者・求道者としての白隠の姿勢に感じるところがあったのでしょうか。15歳で出家して以来、厳しい修行を各地で積みながら悟りを得ていった白隠。2つの達磨像の対比はそのまま、苦悩の最中にあったころの白隠と、大きな悟りを得た晩年の境地を表しており、そんな変化が見比べられるのも魅力です。KIKIさんはこんな風につぶやきました。

『半身達磨』永明寺蔵(静岡県)
『半身達磨』永明寺蔵(静岡県)

KIKI:もともと私たちが想像する達磨のイメージって、悩み多い眼でこちらを睨んでいる感じですよね。いっぽう『朱達磨』は、そこから一歩先の世界に行ってしまったような凄みを感じます。そう考えると、禅の世界を詳しく知らない私たちでも先入観を持ってしまっているんだな、と改めて気付かされもします。

『半身達磨』永明寺蔵(静岡県)
『半身達磨』永明寺蔵(静岡県)

庶民にも禅を広めたプロデューサー的手腕

展示はさらに、禅の祖師たちを個性豊かに描き分けたものや、修行後に京都で乞食暮らしをしたという強烈キャラの先達・大燈国師を描いたものなど、独創性溢れる白隠の禅ワールドへと続きます。しかし、彼の書画は過去の歴史や偉人の姿を語り継ぐだけのものではありません。

KIKI

KIKIさんを惹き付けた2枚の掛け軸は、白隠の自画像。片方は弟子に与えたもので、フォーマルな僧衣をまとった彼がギロリと眼をむいています。弟子たちからは「虎視牛歩」(虎のような鋭い眼つきで、牛のようにのそのそ歩く)とも称された姿がリアルに想像でき、身が引き締まる思いです。確かに彼の描く達磨像にも似ていますね。

いっぽう、その隣にある作品は、一見すると限りなくゆる〜い自画像。もろ肌を脱いだ白隠さんが、大好きだった囲碁を打っています。しかしこれにも実は深い意味が。見れば碁盤にあるはずのマス目がなく、掲げた右手は碁石を持っていません。白隠が見つめる先にいる相手は、自分自身でしょうか? KIKIさんも、小学生のころ数年間、囲碁を習った経験を思い出したそうです。

『白隠囲碁』花園大学
『白隠囲碁』花園大学

KIKI:子供心にも、碁盤に向かう時間は特別な気持ちになりました。今思うと、同じ試合運びは2つとないところや、碁盤に打たれた9つの点を「星」 と呼んだり、碁ってどこか宇宙的でもあったように感じます。この白隠さんは何を、誰を見つめているんでしょうね。

白と黒で織りなす景色が、一転して入れ替わる小宇宙。それを現実世界にたとえ、さらに先の風景を見据える自画像とも言えるでしょうか。

KIKI

白隠のメッセージは僧侶たちだけに向けたものではありません。彼は自作を大名から庶民まで幅広く描き与えました。頭でっかちな学究肌ではなく、民衆に禅の教えをわかりやすく説くプロデューサー気質もあったようです。それがよくわかるのが、庶民にも親しみ深い七福神やお多福、動物などをモチーフにしたユーモラスな墨絵の数々。福寿を願ったり、悪癖を戒めたり、絵を通して禅を日常に活かすことこそ大切だと考えたのかもしれません。

『布袋解開』龍雲寺蔵(東京都)
『布袋解開』龍雲寺蔵(東京都)

こうした背景を知るとますます面白くなる白隠作品ですが、それを知らなくてもご安心を。会場の各所には、前述・山下先生による、わかりやすい解説文が添えられています。しめ縄一丁でトコトコ歩いてくるトボケたお坊さんを描いた『すたすた坊主』の解説には、KIKIさんも注目。

KIKI:お金持ちにお代をもらって代理で寺社にお参りする、こんなお坊さんが本当にいたんですね。しかもキャプションには、「白隠がつくりだしたキャラクターのなかで、これが断然、いちばんかわいい」とか、普通の解説にはありえない個人的な想いも加えられていて面白い(笑)。自分の見方で楽しめばいいんだなっていう気持ちになります。

『すたすた坊主』早稲田大学會津八一記念博物館蔵
『すたすた坊主』早稲田大学會津八一記念博物館蔵

ユーモアのみならず、しばしば辛辣な批評精神も顔を出します。時のお偉方にも容赦しなかった白隠は、大名の浪費的な暮らしぶりを戒める書物を記して発禁処分を受けたり、先人の文壇スター、『徒然草』の吉田兼好(よしだけんこう)を揶揄して、彼を猿猴(えんこう=猿)に仕立てた絵を描くなどもしています。現場主義の白隠さんは、机の前で「つれづれなるままに」思索を巡らせる隠者文学はお気に召さなかったのでしょうか。500年に一人との誉れも高い名僧の、そんな人間臭さが垣間見えて興味深いですね。

『鍾馗鬼味噌』海禅寺蔵(島根県)
『鍾馗鬼味噌』海禅寺蔵(島根県)

「動きながら考える」白隠の書が教えてくれるもの

最後のセクションには、白隠の力強い書が並びます。紙を一杯に使い、太字で一気呵成に書かれたような大書の数々。勢い余ってか、最後はスペースが足りずに字が小さくなってしまったものもあります。一瞬、小学生のとき誰もが陥るあのミス? とびっくりもしますが、実際には、若い時代にはすこぶる端正な字も書いています。技術を超えた境地に達した上での筆さばきなのでしょう。さらに、一見豪快なようで、実は輪郭を重ね書きしてあるものなど、やはり既成概念にとらわれない表現が並びます。

『暫時不在如同死人』
『暫時不在如同死人』

KIKI:私も先に資料で見たときは「こういうバランスでいいの?」と戸惑いましたが、本物を前にすると不思議と違和感がなく、むしろグッと迫ってくる力がありますね。

『動中工夫』
『動中工夫』

さらに白隠流のタイポグラフィともとれる『動中工夫』の一幅の前では、「ただ坐りながらよりも、動中になす工夫のほうが百千億倍も勝っている」というメッセージにKIKIさんも大賛成。「私自身が、動きながらしか考えられないタイプなので(笑)」。画面を縦いっぱいに貫く「中」の一字には、時空を超えて生き続けるアクティブな想いが息づいています。

KIKI

時代を超えて―「理解」ではなく「伝わる」何か

展覧会を見終えたKIKIさんに、改めて白隠の書画に感じた魅力を伺いました。

KIKI:これだけの作品を初めて一度に観ることができて、とても有意義だし、何より楽しかったです。最初は、自分が日本人なのにまだまだ日本のことを知らない、それは恥ずかしいという想いもありました。でも実際に体験すると、時代や文化を超えて伝わってくるものがある。それは理解できる / できないという話ではなく、何を感じとれるかだと思います。受け取る側に意思があれば気付くし、なければただの絵かもしれない。だからなのか、白隠さんの作品は深い思想が詰まっているのに、押し付けがましくないのも格好いいですよね。

『百寿福禄寿』普賢寺(山口県)
『百寿福禄寿』普賢寺(山口県)

白隠の絵にある、広く人々を引き込む工夫も、KIKIさんの心に強い印象を残したそうです。

KIKI:こちらの先入観を裏切ったり、「これって何?」とまず観る側を立ち止まらせ、考えさせる。そういう術もすごく巧みだなと感じました。きっと、そうやって庶民も禅の世界に入っていけるようにしたのでしょうね。さらに自身が考案したという「隻手の声」(「両手を叩けば音がするが、片手ではどのような音がするか。それを聞いて来い」という禅問答)のように、唯一解があるわけじゃないもの、高尚なテーマも絵を通して心に響くから、自らに当てはめて考えられる。親しみやすいけれど、深い世界でもあるのが素敵だと思いました。

『隻手』久松真一記念館
『隻手』久松真一記念館

なお、白隠の研究では今後さらに解き明かされていくべき分野もあるようです。例えば、我流かつ孤高の画業を成した白隠が、曾我蕭白や伊藤若冲など後の名画家たちに与えた影響も少なからずあるのではというのが山下先生のお考え。KIKIさんも「自画像や彫像から見ても白隠はちょっと斜視気味だったようで、それが迫力ある描写にも関係しているのでは、という山下先生のご意見もすごく興味深いです」と話してくれました。

最後に改めて、KIKIさんのとらえた「白隠さん」のイメージを聞くと、こんな答えが返ってきました。

KIKI

KIKI:最初は何かこう、のらりくらりした人かなという勝手な印象もあったんです(笑)。実際は技術もあって、厳しい修行を経た後にあの表現に辿り着いている。絵を盛んに描いたのも60代以降だそうですね。でも、必ずしもそうした事を観る側が知らなくてもいいと思うんです。積み重ねてきたものによって描いた絵だから、人の心を自然とつかむ。晩年もすごく素敵な人だったのでしょうね。一見すごく頑張ってる風には見えないんだけど、そういう次元を突き抜けたのだろうなって。だからやっぱり、私にとっての白隠さんは「そうあってほしい」「自分もそうなりたい」との気持ちも込めて、格好いい「のらりくらり」ですかね(笑)。

 

1日200万人以上が乗降する渋谷駅近くで、自らの書画が21世紀の人々に楽しまれている光景。白隠がこれを知ったらどんな事を思うのでしょうか。KIKIさんはこれから観に行く人に向け「予習したりするのもいいですが、それよりまずは山下先生の言葉のように『連れて帰りたいな』と思えるくらい好きな作品を自分の感性で探してみるとよいのでは」とメッセージをくれました。暗闇から浮かび上がるギョロ目の達磨さん、またはユーモラスなすたすた坊主に引き寄せられて白隠世界の扉を叩いたら、明日の指針になる1枚の絵が見つかるかもしれません。

イベント情報
白隠展 HAKUIN 禅画に込めたメッセージ

2012年12月22日(土)〜2013年2月24日(日)
※2013年1月22日(火)から、一部作品の展示替えを予定
会場:東京都 渋谷 Bunkamuraザ・ミュージアム
時間:10:00〜19:00(入館は18:30まで)、毎週金、土曜日21:00まで(入館は20:30まで)
休館日:なし
料金:
当日 一般1,400円 大学・高校生1,000円 中学・小学生700円
団体 一般1,200円 大学・高校生800円 中学・小学生500円

プロフィール
KIKI

1978年東京生まれ。モデル、女優。武蔵野美術大学建築学科在学中からモデル活動を開始。雑誌やTVCM、連載などの執筆、ラジオのパーソナリティやアートイベントの審査員など多方面で活動中。2004年、塚本晋也監督作品『ヴィタール』で女優としての活動をスタート。MBS系連続ドラマ『漂流ネットカフェ』でのヒロイン役として出演。現在は『NHK高校講座芸術-美術』の司会、日テレ系『ゆっくり私時間-my weekend house-』に出演中。近著に『山スタイル手帖』(講談社)、『美しい教会を旅して』(マーブルトロン)、『山・音・色』(山と渓谷社)など。雑誌『OZmagazine』(スターツ出版)の表紙と巻頭モデルを2009年より務めている。



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