佐藤卓が考える身体的デザイン論。よいデザインは気づかれない?

ふわふわ、ぐるぐる、ぷりぷり、ぼこぼこ……。日本語に豊富だとされる、擬態語や擬音語などの「オノマトペ」をもとに発想された8種類の遊具が置かれる屋上庭園『オノマトペの屋上』が、今年4月29日に、富山県美術館に開園する。

この屋上のデザイン監修と遊具をデザインしたのは、グラフィックデザイナーの佐藤卓。これまでに数々の人気商品のパッケージデザインや広告はもちろん、教育番組や自身がディレクターを務めるデザイン専門施設「21_21 DESIGN SIGHT」(以下、21_21)での展覧会企画などを通して、「デザインとは何か?」を問い直し、人々の視野を広げるような活動を行なってきた。

今回、手がけた『オノマトペの屋上』の実例と合わせて、彼の考えるデザインの役割や領域について語ってもらった。「デザインは机の上ではなく環境の中で考える」「デザインに関わりがない物事なんてない」「デザインとは気を遣うこと」などなど。その話は、世界の見方を少し変えるかもしれない視座に満ちていた。

デザインのためのデザインではなく、環境のためのデザインを考えたいんです。

―これまでに子供向けの教育番組も手がけられてきた佐藤さんですが、今回の屋上庭園『オノマトペの屋上』の遊具はどのよう制作されたのでしょうか?

佐藤:いろんなプロセスで仕事をしますが、このプロジェクトに関してはかなり感覚的に進めたんです。というのも、子供は理屈ではなくて、全身で感覚的に捉えて反応しますよね。

本来は大人にもその力はありますが、だんだん理屈に置き換えたり、すでにある概念にあてはめたりして、感覚が優先できなくなってくる。大人の場合、かなり意識しないとその状態に戻れないわけです。だから、このプロジェクトを考えるときは、できるだけ理屈を介在させないことを試みました。

佐藤卓
佐藤卓

―そうしないと、子供が反応してくれるものにはならない。

佐藤:何かを感じるときというのは、まだ言葉化はされていないわけですね。「美しい」という言葉が生まれるのは、美しさを感じたあと。最初にあるのは「あ」という小さな気づきで、言葉はあとから付いてくる。

言葉になる前の状態で何が起きているのか、僕はずっと興味を持っているんですが、社会では時代とともに、その感覚が大切にされなくなっている気がして。それが生かされる社会になるといいと思うんですけどね。

―子供の感性に近いような、理屈や論理の反対にある感覚の重要性に気づいたきっかけは何だったのでしょうか?

佐藤:デザインを身体で考えるとはどういうことか、仕事を始めたころから気になっていました。たとえば以前、ガムのパッケージをデザインしたことがありますが、机の上で、「この長方形に必要な要素をどうレイアウトしようか」と考えるのは、脳でデザインすることですよね。

でも人はそれを、コンビニやキオスクなど、さまざまな状況で見るわけです。歩きながらも見るし、遠くで見たり、近くで見たりもするでしょう。大量に商品がある中で、現象としてそのものがどう見えるのか。それは、身体的に考えないとわからないことなんですよね。

佐藤卓

ロッテ キシリトールガム
ロッテ キシリトールガム

―ある環境の中での見え方から、デザインを考えるんですね。

佐藤:僕はデザインのためのデザインではなく、人も含めた環境のためのデザインを考えたいんです。

子供にとっては勉強も遊びも境界なく、身体の感覚で学ぶことが自然にできているんです。

―『オノマトペの屋上』は、美術館の屋上に遊具を置くというユニークな試みですね。美術館が建つ場所には、もともと「ふわふわドーム」という遊具があったそうですが、そこから「ふわふわ」という言葉に着目されたのですか?

佐藤:そうですね。NHKのEテレで『にほんごであそぼ』という番組に企画の段階から関わっているので、日本語には世界のほかの言語に比べ、擬態語や擬音語、つまりオノマトペが圧倒的に多いと知っていました。

それで、「ふわふわ」はオノマトペだなとあらためて気づき、テーマとしては面白いんじゃないかと。遊具を作ってから、そこにオノマトペの名前を当てはめるのではなく、アプローチを逆にして、オノマトペから遊具を考えてみるという発想にたどり着いたわけです。

富山県美術館の屋上庭園『オノマトペの屋上』イメージ図
富山県美術館の屋上庭園『オノマトペの屋上』イメージ図

佐藤卓

―言語と遊具。一見すると、少し距離があるようにも感じますね。

佐藤:ただ、オノマトペは子供も日常的に使いますよね。それに、子供にとっては勉強も遊びも、美味しいものを食べることも、すべて「生きる」ということ。それを無理やり大人が分けているだけで、そもそも境界はないんですね。

『オノマトペの屋上』に設置される遊具たち
『オノマトペの屋上』に設置される遊具たち

―遊びの中にも、学びがあるような。

佐藤:子供のころは砂遊びをしながら、乾いているときと濡れたときの砂の質感は違うと、身体で感じたりしましたよね。そういう身体の感覚で学ぶことが、子供には自然に起きているんですよね。

僕のデザインは「やりたいこと」ではなくて、「やるべきこと」をやっているんです。

―身体感覚といえば、佐藤さんはサーフィンもやられるそうですね。

佐藤:最近は寒い時期にはやっていませんが、大好きでね(笑)。サーフィンなんて、身体と環境の関係そのもの。波が来たときに何かを考えていたら乗れません。経験を積むと意識しないでボードに立てる。スポーツはそういうものですよね。

それと、昔はバンドもやっていて、レコードジャケットからグラフィックデザインの世界に入ったようなものですが、音楽も理屈抜きで感動する。スポーツや音楽から考えさせられることは多いです。

佐藤卓

―サーフィンも、波という環境とボード、そして自分が、ある一点でうまく作用したときに乗れるわけですよね。それはさきほどの、ガムのパッケージの話とも通じていると感じます。

佐藤:そうですね。環境というものを人はどんな風に感じるのか、できるだけ体験的にシミュレーションするんです。サーフィンで言えば、自分にどれだけ力がないかを自覚しないと、波に巻かれてしまって死んでしまうこともあるんです。

だから自分の状態や、刻々と変化する波の状態を見極めることが大事で、自分を客観的に判断しないと、適切な対処ができない。だからすごく集中します。それはあらゆるデザインに活かせることだと思う。

佐藤卓

―ただ、キャリアが長くなるほど、感覚だけになるのは難しそうです。

佐藤:感覚だけになろうと考えること自体が、脳で考えていることだからね。そこからは逃れられない。でも、この年齢になると、逆にそんな状態になれるところはあるかもしれないけど(笑)。

僕のデザインは「やりたいこと」ではなくて、「やるべきこと」をやっているだけです。デザイナーの仕事の主体は、自分ではなく、デザインを施す対象にある。だから、僕のこれまでの仕事からは、あまりスタイルは感じられないと思います。スタイルを作るつもりも、さらさらないんです。

デザインの目的は人と中身をつなぐことで、そこにデザインがあるなんて意識は必要ない。

―とはいえ、いまおっしゃった「適切」や、「やるべきこと」という言葉は、ある意味で佐藤さんのさまざまなデザインに通底している感覚でもあると思います。

佐藤:考えるのはつねに自分だから、そこにはどうしても何かの個性は出てしまう。だから僕は、個性は出すものではなくて、出てしまうものだと思うんです。

よく、「自分の個性が何かを考えなさい」と教育の現場で言われているけど、あれは完全に間違っていると思います。個性がない人なんて、いないんですよ。なのに「考えろ」と言うから、「自分とは何か」をずっと問うことになってしまう。本来、心配する必要は何もないんです。

佐藤卓

―実際、個性的であるより、「適切」であることの方がずっと難しいかもしれませんね。牛乳のパッケージでは、フォントの非常に細かな調整や混合によって、牛乳にふさわしい見た目を実現したことが知られています。

佐藤:細かく文字配置を調整すると、「デザインが消える場所」があるんです。それを見つけるのが面白くて。パッケージデザインの目的は人と中身をつなぐことで、多くの人にとって、そこにデザインがあるなんて意識は必要ない。牛乳のパッケージにエンターテイメント性を求める人はいませんよね。牛乳だとシンプルにわかればいいわけです。

明治おいしい牛乳
明治おいしい牛乳

佐藤卓

デザインに関わりがない物事なんてない。すべてにデザイン的な人の手が入っています。

―生活の中のそんなデザインの存在を、佐藤さんは先ほどの教育番組や21_21での展覧会企画を通しても、提示されていますね。デザインと社会の接点を作るようなこうした領域に、足を踏み出されたのはなぜだったんですか?

佐藤:そもそも、社会と接点がないデザインというものはないんですよね。メディアでよく使われる「デザイン家電」とか、「デザイナーズマンション」とか、何か特別なものにだけにデザインが施されているような表現は、間違った使い方です。

たとえば、右側通行と決めることによって、多くの人がぶつからずに心地よく生活できる。このルールもデザインの領域です。そう考えると、デザインに関わりがない物事なんてない。政治、経済、医療、福祉、教育、都市……。すべてにデザイン的な人の手が入っています。

佐藤卓

―確かにそうですね。

佐藤:だけど、僕が若かった1980年代に「グラフィックアート」というジャンルが流行しましたが、ときに人はアートとデザインを無闇に混同してしまう。僕はそれが疑問でした。安易に混ぜるのではなく、デザインの領域をしっかり認識しようよと。

「デザイン=特別なもの」という視点ではなく、身の回りを眺めると、生活のあちこちに山ほどデザインは存在している。そうしたことを考えるきっかけを作りたいと思って、あらゆるものをデザインの視点から見る『デザインの解剖』プロジェクトが始まり、それが21_21での『デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法』や教育番組にもつながった。見えないものを見えるようにすることも、デザインの役割であり機能だと思います。

デザインが持つ問題意識は、すべての活動につながっていると思います。

―『デザインの解剖』プロジェクトに見られるような、「見えないものを見えるようにする」こと。なぜ、それが重要なのでしょうか?

佐藤:たとえば、このコーヒカップの素材は何か、この一杯を作るために、コーヒー豆を育てるところから始まって、全部でどれだけの水が使われているか、知りませんよね。見えていることの裏側にどれだけ見えないものがあるか、ということなんです。

いまの社会はいろんなことがブラックボックス化していて、以前、中国製の冷凍餃子が問題になったとき、いきなり汚い工場という裏側が見えて驚いたわけですよね。逆に言うと、普段はそんなことは意識しないでも生きられるということ。でも、「既知の未知化」と言いますが、これからはそれをどれだけ意識できるかが、大事になると思うんです。

21_21 DESIGN SIGHT企画展『デザインの解剖展:身近なものから世界を見る方法』(2016年10月14日~2017年1月22日 / Photo:Satoshi Asakawa)
21_21 DESIGN SIGHT企画展『デザインの解剖展:身近なものから世界を見る方法』(2016年10月14日~2017年1月22日 / Photo:Satoshi Asakawa)

佐藤卓

―こうして見ても、佐藤さんの活動領域はとても広いのですが、その中で肩書きをあえて「グラフィックデザイナー」のままにしているのは、なぜでしょうか?

佐藤:「グラフィックデザイナー」という肩書きは、本籍みたいなものなんです。自分のデザインのテクニックは、広告も含めて、グラフィックデザインで身につけたもの。だけど、グラフィックデザインのスキルを、何に生かしても構わないはずですよね。

国によっては、それで仕事の幅が狭まるかもしれませんが、日本はその意味では、あまり肩書きで仕事の幅が左右されない。この肩書きを使うことで、グラフィックデザインのスキルを使って何をやってもいいと、若い人にも伝わればと思っているんですね。

―今、若いデザイナーにとって、大切にすべきことは何ですか?

佐藤:自分の若いころを考えたら、偉そうなことは何も言えないけど(笑)。でも、僕も含めてすべてのデザイナーにとって大事なのは、「気を遣う」こと。気を遣うというのは、第三者のために将来をシミュレーションし、何をやるべきかを察して、今のうちに施すということですよね。それが、まさにデザインなんです。

よく例に出すのは、歩道に大きな石が落ちていて、そのままにすれば誰かが転ぶかもしれない、という状況。誰に言われずとも、石を脇にどけておけば、その事態を避けられるかもしれない。しかも、「誰かがどけてくれた」ことすらも気づかれないのが、行為としてのデザインのあるべき姿だと思うんです。

佐藤卓

―デザインは、目的のための方法だと。

佐藤:そうですね。でも、デザインを目的化してしまう人もいる。昔、先輩から「佐藤くんらしさをもっと出した方がいいんじゃない?」と言われて、「え? デザインで僕らしさを出すってどういうことだろう?」とわからなかった。だって、コップを作ったデザイナーの個性は、コップを使う人には必要ないことだから。

もちろん、個性を押し出すデザイナーもいていいし、それを楽しむ人がいてもいいと思う。だけど、方法としてのデザインのあり方が、もっと認識されてもいい。その問題意識は、すべての活動につながっていると思います。自分を押し出す人は、時代が変わってもスタイルが変わらないけど、僕は自分を殺しているので、つねに変わって当然だと思っているんです。

―みんながバラバラな時代に、「適切」で当たり前のものを作るという佐藤さんのスタイルは、じつはすごく強いデザインなのではないか、とも思いました。最後に、富山県美術館に寄せる期待を聞かせてください。

佐藤:何と言っても、「アート&デザイン」という言葉をつけたこと。日本の美術館としては初めてですね。デザインというキーワードを掲げたのは、素晴らしいと思う。でも逆に言うと、覚悟をしてもらわないといけないということでもある(笑)。富山県美術館がデザインをどう捉えているのか、世界から問われるわけですから。だけど、掲げることによって、考えなくちゃいけない状態が生まれることは大事だと思うんです。

佐藤卓

―そんな富山県美術館で、どんな試みがあったらいいなと思いますか?

佐藤:たとえば日本美術の代表的な作品に尾形光琳の『紅白梅図屏風』がありますが、あれはグラフィックとしてはアートの領域で捉えられるけど、空間を間仕切るプロダクトでもあるわけですよね。当時は明確にデザインという概念はなかったけど、かなりその要素が強い。

そう考えると、すべてのアートをデザイン的な視点から見ることもできると思うんです。絵画は絵の具を使っていますが、絵の具だってプロダクトのひとつですよね。絵一枚を、デザインの側面から解剖するような取り組みがあっても、いいんじゃないかと思います。

―それは面白そうですね。

佐藤:同じ作品を、アートとデザインの側面から分析できる。富山県美術館はその二つの視点を持っているわけで、これはとても意味があることだと思います。それをぜひ、深めてほしいですね。従来のアートとデザインという概念が、一回壊れることによって、それらがどういうものなのか、あらためて考えるきっかけも生まれると思います。

美術館情報
富山県美術館

3月25日(土)よりアトリエ、レストラン、カフェなどが一部開館した。4月29日(土)には屋上庭園「オノマトペの屋上」が開園。8月26日(土)には全面開館し、開館記念展『LIFE-楽園をもとめて』(~11月5日)がスタートする。

美術館
時間:9:30~18:00(入館は17:30まで)
休館日:毎週水曜日(祝日除く)、祝日の翌日、年末年始

オノマトペの屋上
時間:8:00~22:00
休園:12月1日~3月15日

プロフィール
佐藤卓 (さとう たく)

1979年東京藝術大学デザイン科卒業。81年同大学院修了。株式会社電通を経て、84年佐藤卓デザイン事務所設立。「ロッテ キシリトールガム」「明治おいしい牛乳」などの商品デザイン、「ISSEY MIYAKE PLEATS PLEASE」グラフィックデザイン、「金沢21世紀美術館」、「国立科学博物館」、「全国高校野球選手権大会」などのシンボルマークを手掛ける。またNHK教育テレビ『にほんごであそぼ』企画およびアートディレクー・『デザインあ』総合指導、21_21 DESIGN SIGHTディレクターを務める。著書に『デザインの解剖』シリーズ(美術出版社)、『クジラは潮を吹いていた。』(DNPアートコミュニケーションズ)。



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