
映画『空気人形』是枝裕和監督インタビュー
- インタビュー・テキスト
- 杉浦太一(CINRA, Inc. 代表取締役)
- 撮影:小林宏彰
街中を歩くと、無数の人とすれ違う。その中で、その人にはその人の幸せや悩みがあって・・・なんていちいち考えてたら、その途方もない情報量の多さに、たちまち都会から逃げ出したくなってしまう……。それでも、孤独な一人ひとりが実は誰かと深くつながっていて、そのつながりで自分の命が生かされているという実感ができたら、なんて幸せなことだろう。
『誰も知らない』でカンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を受賞し、名実ともに国民的映画監督となった是枝裕和監督が挑んだ新作『空気人形』。同映画祭の「ある視点」部門に出品された本作は、ある男の性欲の対象として使われていた「人形」に生命が宿った時に生まれた物語だ。甘く切ないファンタジーでありながらも、今を生きるぼくたちに深い問いを投げかける名作となっている。劇場公開を直前に控えた是枝監督に、作品についての想いを伺った。
※一部ネタバレが含まれますのでご注意ください
息を吹き込むっていうところが一番コミュニケーションになっていて、だからエロいんです。
―『空気人形』、素晴らしい作品でした。この作品は監督の中でも長年あたためていらしたそうですが、制作に至った経緯を教えてください。
是枝監督(以下、是枝):この作品の原作となった20ページほどの短篇マンガがあって、それを読んだ時に、いつか映画にしたいな、って思ったんです。空気でふくらませたビニールの人形に生命が宿って、その女性がビデオ屋で働いている途中、釘に身体をひっかけて人形の「皮」に穴が空いてしまうんですね。それを店員の男の子が見つけて、空気人形であったことに驚きながらも「大変だ!」と空気を吹き込んでいく。そのシーンがものすごくエロティックで、これは面白い作品がつくれるんじゃないかと思いました。
―たしかにあのシーンは、実際に行為をしているわけではないのに、他のどのセックスシーンよりも、エロティックでした。他人の息を吹き込まれて生きる、というところに表面的なエロさではなく、もっと深いエロさがあったというか……。
是枝:あそこが一番エロくないとダメな映画なんです。それまでのヒデオ(板尾創路)とのセックスシーンは、ヒデオだけのもので、自己完結している。息を吹き込むっていうところが一番コミュニケーションになっていて、だからエロいんです。
―なるほど。その「コミュニケーション」というキーワードが、この映画の中でも大きなものとして描かれていたように思います。
是枝:空気人形の彼女が人間になっていく過程で、他人の息で生きていくようになる。それまでは自分でポンプを使って空気を入れていたのに、他人に息を吹き込まれることで満たされていくっていうのが、とても大きな体験だったわけです。他人によって満たされる人形と、他者を必要としなくなっている人間(空気人形と暮らす男性・ヒデオ)を、対比的に描けるといいなと思いました。
―その延命するため(空気を入れるため)のポンプを自分で捨てた後の彼女の表情が、とても豊かだったのも印象的でした。
是枝:彼女にしてみれば、ポンプを捨てないということは、永遠が保証されてしまって、同じことが何度も繰り返されるということなんですよね。ポンプを捨てたことで全てのことが1回限りの体験になるから、実はそのことがすごく楽しいわけですよ。全てのものは初めてであり、最後である。それって素敵なことだと思うんです。
イベント情報
- 『空気人形』
-
9月26日(土)よりシネマライズ、新宿バルト9,他、全国順次ロードショー
出演:
ペ・ドゥナ
ARATA
板尾創路
オダギリジョー
ほか
プロフィール
- 是枝裕和
-
1962年、東京生まれ。87年に早稲田大学第一文学部文芸学科卒業後、テレビマンユニオンに参加。主にドキュメンタリー番組を演出し、現在に至る。95年、初監督した映画『幻の光』が第52回ヴェネツィア国際映画祭で金のオゼッラ賞等を受賞。2作目の『ワンダフルライフ』(98)は、各国で高い評価を受け、世界30ヶ国、全米200館での公開と、日本のインディペンデント映画としては異例のヒットとなった。04年、監督4作目の『誰も知らない』がカンヌ国際映画祭にて映画祭史上最年少の最優秀男優賞(柳楽優弥)を受賞し、話題を呼ぶ。その他、時代劇に挑戦した『花よりもなほ』(06)、自身の実体験を反映させたホームドラマ『歩いても 歩いても』(08)、初のドキュメンタリー映画『大丈夫であるように−Cocco終らない旅』(08)など、精力的に活動を行なっている。