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民謡が歌い継がれる本当の理由 大工哲弘インタビュー

民謡が歌い継がれる本当の理由 大工哲弘インタビュー

インタビュー・テキスト
金子厚武
撮影:田中一人
2013/06/03
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2012年は、沖縄が日本に復帰してから40周年という区切りの年となった。しかし、今も沖縄をめぐってはさまざまな問題が山積し、各所で抗議集会などが行われている。そして、そんな中で頻繁に歌われているのが、大工哲弘の“沖縄を返せ”だ。昨年デビュー45周年を迎えた八重山民謡の第一人者である大工は、長い間那覇市職員として働きながら音楽活動を続け、伝統を重んじながらも新たな沖縄音楽を提唱、その活動は海外にまで広がっている。“沖縄を返せ”は、もともと1956年に作られた曲だが、大工が1994年に発表した『ウチナージンタ』で取り上げたことによって、今も歌い継がれることとなった1曲。そう、心から湧き出る想いを込めた歌というのは、いつだって再生して、蘇生させることができるのだ。

久保田麻琴をプロデューサーに迎えた新作『BLUE YAIMA』にも、八重山民謡はもちろん、高田渡のカバーや、他地域の民謡など、時代を超えて今を生きる現在進行形の音楽が詰まっている。ラストに収録されたザ・フォーク・クルセダーズの“悲しくてやりきれない”が、2013年の今、改めて胸に迫る。

民謡の原点は共同体なんですね。お互い貧しいから、歌で支えあって、励まして、明日に夢を持って生きる。それが生きる知恵だったんだと思いますね。

―僕が大工さんのお名前をちゃんと認識したのは、くるり主催の『京都音楽博覧会』に出演されたときだったんです。現地には行けなかったのですが、豪雨で大変だったそうですね。

大工:そうそう、それまで座ってたお客さんが、雨のせいで僕のときだけスタンディングになって、不思議な雰囲気でしたね(笑)。次の年に出たときには(高田)蓮くんも出てくれて、「お父さん(高田渡)の曲歌うよ」って言ったら、すごく喜んでくれて。

―くるりだったり、沖縄に関してはTHE BOOMだったり、僕は彼らの活動からいろんな地域に固有の音楽があり、文化や特色と結びついていることを知ったんです。それをさらにさかのぼっていくと、大工さんであり、久保田さんがずっと以前からそういう活動をやっていらっしゃったんだと思うんですね。

大工:まさに、そういうことだと思いますね。ちょっとでもこのおじさんが、久保田さんとかの力を借りて、音でそういう導きができたら嬉しい。今回の作品は、そういうコンセプトがあったのかなっていう気がしますね。

大工哲弘
大工哲弘

―昨年デビュー45周年を迎えられて、今は本当に世代も国境も越えた活動をしていらっしゃいますが、そういった広い視点を最初から持っていらっしゃったのですか? それとも、活動を通じて徐々に身についたものなのでしょうか?

大工:これは積み重ねですね。沖縄の音楽が本格的に東京に上陸したのは、1974年に日比谷野音でやった『琉球フェスティバル』がきっかけだったんですけど、そのころはまだ一般的には沖縄の音楽っていうのがわかってもらえてなかった。三線とかも「これ、どこの楽器? 沖縄の人だけの楽しみでしょ?」みたいな、振り向いてくれないどころか、卑下されてる時代もあってね。そういう時代を経て、今みたいな時代になったっていうのがすごく嬉しいですね。まあ、我々のさらに先達が積み重ねたものもあるんで、僕はそのしっかりした土台のもとに、耐震構造の建物を作り上げてきたというかね。「大工さん」だから(笑)。

―本当ですね(笑)。20歳前後の若者が三線片手に民謡を歌ってデビューっていうのは、当時としてもかなり珍しかったわけですよね?

大工:他には全くいなかったですよ。僕は18歳のときに高校で初めて「三線部」を作ったんですけど、そのときはホントに怒られたんです。「学校は勉強するところなのに、なんで三線なんか!」ってね。ましてやみんな農家の生まれですから、学校が終わったら田畑で手伝いをしていた時代で、「三線弾く時間があったら、田んぼで鋤を引け」って、冷たい目で見られましたね。世の中の風潮としても、芸事をする人は怠け者だっていうレッテルを貼られて、ましてや高校生となれば、「お前はアシバ―(遊び人)になるのか?」って言われたりね。

―それでも、大工さんが民謡にこだわったのはなぜだったのでしょうか?

大工:沖縄本島の若い歌手の人たちは華があったんですよ。いろんなユニットがいて、石垣にも公演をしにたくさん来たんで、「なんで沖縄の歌はこんなに若い人が歌ってるのに、八重山の若い人は歌わないんだ?」っていう、そういう抵抗はありましたね。

―「八重山の民謡らしさ」っていうのは、どういった部分なのですか?

大工:朗々と歌うところですね。沖縄本島の歌と違って、屋外の歌なんです。田や畑で仕事をしながら歌ってる、そういうバックグラウンドがあるわけですから、みんなすごい声を出して歌うんですよ。沖縄本島の人はちょっと裏声で、言うならば「四畳半歌」だったんですけど、八重山はそうじゃなくて屋外で歌う。農作業をしながら延々歌ってるわけだから、八重山風だっていうのは声量ですぐわかりますね。

―いわゆる労働歌である「ゆんた」とよばれる形式は、八重山ならではのものなんですね。

大工:コール&レスポンスというか、かけ歌ですね。波が打っては返すように、歌も来たらまた返す。風と波のリズムが、八重山の歌だと僕は解釈してるんです。そもそも、民謡の原点は共同体なんですね。だから、みんなかけ合わないと不安だったんです。お互い貧しいから、歌で支えあって、励まして、明日に夢を持って生きる。畑仕事も、歌いながらすると本当に疲れが半減するんです。それが生きる知恵だったんだと思いますね。

―コール&レスポンスって今ではコンサートのひとつの様式ですけど、そこにはちゃんと意味があると。

大工:横文字にするとよそのもののような気がしますけど、違うんですよ。ちゃんと沖縄に、日本に、古来からあったんです。例えば、年末の『紅白歌合戦』で“ヨイトマケ(の唄)”が歌われたじゃないですか? あれあの日で一番光ってたと思うんですけど、あれはゆんた形式なんですよ。作業をしながら、「母ちゃんのためなら エンヤコラ」って、共同体で支えあってきた。その古い形が、八重山には残ってるんですよね。

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リリース情報

大工哲弘<br>『BLUE YAIMA』(CD)
大工哲弘
『BLUE YAIMA』(CD)

2013年5月8日発売
価格:2,800円(税込)
Tuff Beats / UBCA-1032

1. 黒島口節
2. 弥勒節
3. 望郷哀歌
4. 星影のワルツ
5. 猫ゆんた
6. おやどのために
7. 月出ぬはなむぬ
8. 鮪に鰯
9. 安里屋ゆんた
10. 八重山乙女の数え歌
11. 生活の柄
12. 六調節
13. 悲しくてやりきれない

プロフィール

大工哲弘

沖縄県八重山郡石垣市字新川出身。八重山地方に伝承される多彩な島唄をこなし、八重山民謡の第一人者として地位を築いている。その島唄に愛情を込めて歌う姿勢には共感者が多い。1999年には沖縄県無形文化財(八重山古典民謡)保持者に指定される。2011年・琉球民謡音楽協会会長に就任。県内外及び海外コンサートにも多く出演、中・東・北欧、米国、中米などで公演行い、96年には南西アフリカ5カ国巡回コンサート。98年・東南アジア諸国。99年・環太平洋4カ国、2011年は南米4カ国巡回コンサートを実現し世界せましと活動を続けている。さらに世界の民族音楽家、ジャズやロックのミュージシャンなどとの共演活動も意欲的に行っている。また八重山民謡教室の支部を全国に持ち、沖縄・八重山民謡の普及・育成にも力をそそぐ。現在、沖縄でもっとも幅広い活動をしているミュージシャンである。

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