台風クラブが語る、シンプルだからこそ奥深いロックと日本語の話

「日本語ロックの西日」と自ら称する京都の新鋭・台風クラブの1stアルバム『初期の台風クラブ』が素晴らしい。関西のライブハウス界隈を中心に徐々に注目を集め、最近ではクリープハイプの尾崎世界観やスカートの澤部渡も賛辞を贈るなど、知名度を広げつつあったが、本作をきっかけにより多くの人がこの才能を知ることになるだろう。

彼らの音楽には、特別なギミックがあるわけではない。「3コードのロックンロール」という制約から解き放たれた結果生まれた、芳醇なロックの歴史の川下に位置する「2017年の日本語ロック」、シンプルにただそれだけ。しかし、ソングライティング、リリック、アレンジメントの三拍子がこれだけ揃った作品というのは滅多にお目にかかれるものではない。

なかでも今回注目したのは、リリックの部分。石塚淳(Vo,Gt)の生活に根差した言葉の数々は、リアルとポエティックの中間を行き、市井の人の心情を繊細に描き出しつつ、消えない倦怠感を笑い飛ばしてみせる。はっぴいえんど、村八分、Theピーズ、サニーデイ・サービス……日本語ロックの歴史を振り返りながら、石塚の作家性に迫った。

自分らの街の言葉で、西洋のロックをねじ伏せてる感じがめちゃくちゃいいなって思ったんです。

—石塚さんの日本語ロックの原体験について話してもらえますか?

石塚:中学校のときに大流行した、THE HIGH-LOWSとTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTが原体験です。「言いたいことを歌ってるの、めっちゃええな」って思ったんですよね。それで自分でもバンドをやるようになって、同じ時期に流行っていたメロコアの人たちは英語で歌うのが普通だったけど、自分は特に疑いもなく日本語でした。

石塚淳
石塚淳

—日本語で歌うことの何が魅力的だったのでしょうか?

石塚:もともと英語で歌われていたロックンロールが日本に入ってきて、日本語を乗っけたことで「ズレ」が生じるじゃないですか? 「そこでそれ言う?」みたいな。それがめちゃめちゃ快感だったんですよね。

で、中学校を出たあとガレージパンクを見つけてしまって、最初は海外のバンドの再発盤を買いまくってたんです。でも、そのうちTHE NEATBEATSや、ちぇるしぃを知って、「日本語で海外のガレージと同じ熱量出してる人おるやん!」と。そこからは、より明確に「やっぱり日本語やな」って思うようになりました。

—Green Dayの“Basket Case”(1994年)などの日本語カバーも、ときどきライブでやっているそうですね。

石塚:カバーポップスの頃とか、GS(グループサウンズ)の人らがやっていたことって、欧米のロックを日本語で歌ったことで生じる「ズレ」の最たる例だと思うんです。アメリカのロックンロールに、いなたい日本語が乗ってる感じがめっちゃ好きなんですよ。“Basket Case”とか、実際何を歌っているのか全然知らないんですけど…悪びれた様子もなくって感じです。そういう軽いノリもバンドの一環やと思っているんで。

—大阪から京都の大学に進学したのは、先ほど名前の挙がった、ちぇるしぃや、その祖先というべき村八分への憧れが大きかったそうですね。

石塚:日本語のロックンロールのなかでも、京都は革ジャンや女の子の歌じゃないロックを鳴らしてる人らがいっぱいおるイメージだったんです。「ローラー族」(ロカビリースタイルで踊る、1980年代の若者たちの呼称)の人らもめちゃくちゃ好きなんですけど、僕がやっても決まらないですからね。実家住まいやったし、フォーク的な、「自分の暮らしに嘘をつかない」みたいな気持ちは最初からあったかもしれないです。

—たしかに、「日本語のロックンロール」と一言で言ってもいろいろな形がありますよね。そのなかでも石塚さんが求めたのは、それこそフォーク的な、華やかというよりは実直さのあるものだったと。

石塚:そうですね。その一方で、自分のなかに「東京」のイメージというのも漠然とあって。東京の街に対する憧れもあります。サニーデイ・サービスの『東京』(1996年)のジャケットとかモロだし、西東京のビートバンドにある切なさも昔からめっちゃ好きなんですよ。The Beforesというバンドの(諸岡)賢二さんがやってるThe Blouseってバンドとかめちゃめちゃよくて。

僕は生まれも育ちも大阪やし、イモっぽいんですけど、賢二さんのあの感じがめっちゃかっこいいなって常に思ってて。「そんなかっこつけてるわけじゃないのに、でもシュッと決まってんなあ」みたいな。

—「東京」ということでいうと、台風クラブの歌詞は季節や風景描写もポイントになっているので、はっぴいえんどを連想させました。

石塚:もちろん、はっぴいえんどは好きです。でも僕らが、いきなり明治とか大正の仮名遣いにしてもサブいじゃないですか(笑)。だから、明らかな形では出てないと思うんですけど、影響は100%受けています。松本隆さんの『風のくわるてつと』(1972年)という本で、麻布らへんの三角地帯を歩く描写があるんですけど、そこはしょっちゅう読み返すくらい好きですね。

—なぜ松本隆さんの日本語に惹かれるのでしょうか?

石塚:適度に湿っぽい感じとかですかね。あと、自分らの街の言葉で、西洋のロックをねじ伏せてる感じがめちゃくちゃいいなって思ったんですよね。

強烈なロックンロールバンドばっかり好き過ぎて、もう自分たちのやれることが残ってない気がした。

—台風クラブの結成は2013年とのことですが、当時バンドとしての青写真はどの程度ありましたか?

石塚:それまでは「3コードのロックンロールに日本語を乗せる」みたいなことにこだわってゴチャゴチャ言ってたんです。でも、もうそれはやめて、「とにかく作りたいものをロックバンド然とした形態で出す」っていうことを最初に決めたのは覚えています。

—シンプルなロックンロールを追求することに限界を感じた?

石塚:なんか上手いこといかなかったんですよね。強烈なロックンロールバンドばっかり好き過ぎて、もう自分たちのやれることが残ってない気がしたんです。実際はそんなこともないと思うんですけど、「3コードのロックンロール」っていう制約に引っ張られて、言葉が縛られていく感じもあって。

石塚淳

石塚:自分たちの理想をすでに具現化しているバンドがいっぱいいたので、打ちのめされていたんだと思います。まあ、未だに“Johnny B.Goode”(1958年に発表されたチャック・ベリーの楽曲)のイントロを使った曲とか死ぬまでに作りたいとは思うんですけどね(笑)。

—それで定型にこだわることなく、自由に曲作りをしようと思ったと。

石塚:でも、ゼロから生み出しているとは思ってないんですよ。これまで聴いてきたもので培われた「気持ちよさ」みたいなものが、作っているときにふと身体とつながるみたいなことをやっている。意識としてはそんな感じなんです。

—ギターワークの多彩さも特徴のひとつだと思うんですけど、好きなギタリストとかってパッと名前が出ますか?

石塚:僕、20歳からずっとSGしか使ってなくて、「ピート・タウンゼント(The Whoのギタリスト)好きなん?」とか、「坂本慎太郎好きなん?」とかよく言われて。実際二人とも好きなんですけど、崇めているからSGをずっと使ってるってわけでもないんです。あの薄っぺらいボディーがすごく好きだっていう、ただそれだけ。

石塚:好きなギタリストは……絶対に手は届かないですけど、NipletsってバンドのZinさんは、なんであんなチャーミングで狂ったギター弾けるんやろうって思いますね。今はもうおっちゃんですけど、たまに見るとキメキメのギター弾いてて、めちゃめちゃかっこいいんですよ。

「ちゃんとしてないように見せるのがかっこいい」みたいな時期もとっくに過ぎてるんですけど、ホンマにそうなんで。

—では改めて、「台風クラブの歌詞」ということに関しては、何か自分のなかにテーマのようなものはありますか?

石塚:このバンドに関しては、本当に何も課さずに始めたんで、曲にしても歌詞にしても、決めごとは一切ないんです。なので、今後英語の曲をやっても全然いいと思ってるんですよ。

昔、騒音寺のなべさんが、あれだけ日本語のロックを突き詰めている人なのに、どっかのインタビューで「英語の曲があってもいいと思う」って言ってはって。で、実際に2ndアルバムは『Big Ship Comin'』(2002年)というタイトルで、めちゃめちゃかっこいい英詞のブルースが入ってるんです。そういう揺り返しもアリやと思ってて。

—今回の作品はタイトル通り「初期の台風クラブ」であって、ここから先はまた変わっていくかもしれないと。

石塚:英語で歌ってるかっこいい日本のバンドもたくさんいて、そういう人らは、下手な日本語を使うことで言葉が耳について失速するくらいなら、英語で、全部ひとまとまりの音として聴いてくれ、という意図なんかなって思うんですよ。でも現段階では、僕らはわざわざ英語でやるよさを見出せてなくて。

石塚淳

石塚:昔、はっぴいえんどと内田裕也さんの間で「日本語ロック論争」ってあったじゃないですか? 僕はもちろん、はっぴいえんど派だったんですけど、裕也さんが「英語でワオワオとロックンロールやってても、アティチュード自体が反権力だったら伝わる」みたいなことを言ってたんですよ。直接言葉で言わなくても、全体から漂うトーンからキャッチできるんやったら、「そのほうがイケてんちゃうかな?」っていうのは思ったりもしますね。

—歌詞に大きなテーマはないということでしたが、途中で話に出たように、やはり「革ジャン」や「女の子」の歌詞ではなくて、石塚さん自身の生活が反映されていて、それはどこか内省的で倦怠感があるように思います。Theピーズもお好きだと聞いたのですが、そのあたりの影響はいかがですか?

石塚:Theピーズは初期の感じとかが大好きで、20歳くらいのときにやられました。ちょっとメロウやったり、3コードの「ザ・パブロック」みたいな曲があるのも好きやし、大木温之さんの言葉の当て方もめちゃくちゃいい。倦怠感とかも似てるっちゃ似てるかもしれないですけど……。

石塚:僕、全然ちゃんとしてないんですよ(笑)。「ちゃんとしてないように見せるのがかっこいい」みたいな時期もとっくに過ぎてるんですけど、ホンマにそうなんで。「そのまま言うしかないわ」って開き直ってるところはあります。

—別のインタビューで、「8年かかって大学を卒業した」と言っていたのを見ました(笑)。

石塚:休学とか思いつかないってヤバくないですか? いろんな機能が停止してたんだと思いますね……。

—台風クラブの歌詞を客観的に読み解くと、Theピーズのはるさん的な感覚を、松本隆さん的な筆致で書いてるような印象も受けたんですよね。

石塚:そういうコンセプトに沿ってやってたら、1~2曲作って恥ずかしくなってそうですけどね(笑)。

—では、季節感を大事にしているのは意図的ですか?

石塚:あんまり意識してなかったんですけど、夏は多いですよね……夏を特別視してるところはあるかもしれないです。強烈な出来事が夏に多くあったような気がしますし。中学校のときに、みんなでTHE HIGH-LOWSを観に行ったり、野外でTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTを観たり、京都の街を歩いてるときに西部講堂に偶然行き着いたのもめっちゃ真夏で……夏嫌いなんですけどね。

歌って「予言の自己実現」みたいなところがあって。

—夏は嫌いだけど、歌詞のモチーフにはなりやすい?

石塚:夜中にウロウロしてるシーンとかも、冬だと寒くてできないから、夏の感じがあると思うんです。昔、ひとりで夜中に録音したラジオを聴きながらチャリで出ていって、日が出てから帰ってきたりしてたんですけど、そういう時間がめちゃめちゃ好きで……って自分で言いながら、そんなことが趣味って怖いですね(笑)。

—逃避願望みたいなものがあったのでしょうか?

石塚:逃避するようなところを走ってたわけでもないんですよね……京都の南のほうって、工場があったりしてクサクサしてるんですけど、そういうところを夜中に走るのがめっちゃ楽しかったんですよ。

—さっきTheピーズの話もしましたけど、石塚さんにはどこかルーザーのような感覚があって、それが台風クラブの楽曲にもつながっていたりしますか?

石塚:僕は底辺っちゃ底辺だと思うんですけど、それを売りにするのもみっともないし……適切に言葉を置いていこうとは思ってます。ルーザーであることを押しにするバンドってたくさんいましたけど、「紋切り型のルーザー像」に則っているだけだと、「それは全然ちゃうな」って思うんですよね。

石塚淳

石塚:歌って「予言の自己実現」みたいなところがあって、歌ってるうちに、どんどん再帰的に強化されていくんですよね。昔、“2013年のピンボール”という歌を作ったんですけど、歌ってると、マジで貧乏とかへっちゃらになってきて、「ブルースマンが歌ってた効能ってこれか?」って自分で思いました。どんどん笑い飛ばせていくんですよ。

—決して明るい内容じゃないんだけど、それを明るく歌って笑い飛ばすっていうのはポイントですよね。

石塚:浅川マキさんとかも歌詞はすごく寂しい感じですけど、聴いてて全然そうは思わないですからね。それが歌の不思議なところかなって思います。

—今の文脈で、自分を表す「この1曲」みたいなのを挙げることってできますか?

石塚:難しいですね……頭のなかでルーレットが回って、たまたま止まったやつですけど、ブルースビンボーズの“バビロンのぬくもり”という曲はいつ聴いてもほんま最高ですね。「人の忘れっぽさとかも肯定してるんちゃうん?」って思って、いつ聴いても考えさせられます。

今後は何も考えてない。「バンド編成で音楽をやりたい」っていうくらいです。

—台風クラブというバンド名に関しては、相米慎二監督の映画のタイトル(1985年公開の『台風クラブ』)にちなんでいるわけですよね?

石塚:そうなんですけど、失礼な話、相米さんや映画自体にものすごく心酔してるわけではないんです。バンド名を決めるときに、思想とかを反映した名前じゃなくて、サクッと、でもイカした単語にしたいと考えていて。「昔、夜中に変な映画見たな」ってモヤッとしたものが残る感じと一緒に、この映画が記憶のなかに残っていたんですね。なんというか、「いい匂いがする」みたいな印象もあって、この名前をつけたところはあります。

—夜中に見たというのも相まって、映画にあったモヤッとした感じに惹かれたと(笑)。

石塚:バンド名を決めたあとに入った、山さん(山本啓太 / ベース)がバリバリ映画畑で働いてて、一番好きな監督が相米慎二やったっていうオチなんですけどね。ただ、バンドを結成してからも見返してはないです。

台風クラブ
台風クラブ

—では、歌詞における小説の影響はいかがでしょうか?

石塚:本は好きで、高校の頃は古本屋で100円のをよく買ってましたけど、体系的には読んでないです。ただ、江戸川乱歩だけはホンマに好きで集めていました。

—印象に残っている作品などはありますか?

石塚:佐藤春夫(近代日本の詩人・作家)の『都会の憂鬱』(1923年)っていう作品ですね。有名な『田園の憂鬱』(1919年)の後日譚で、作家を目指してる主人公の話なんですけど、めちゃめちゃ身につまされるんですよ。何もできないまま歳を取った江森渚山って登場人物がいて、「俺かあいつか」みたいな、めちゃめちゃ面白いけど怖いっていう。

—音楽家としての今後についてはどう考えているのでしょうか?

石塚:いや、何も考えてないです。1stアルバム出すことになったのも、「曲たまってきたし、今年出したいな」と思って、レーベルの人に連絡しただけで。長期目線で何かを目指すという意識は全然ない。「バンド編成で音楽をやりたい」っていうくらいですね。

好きなレコードを買って、「こんなんやりたい」って無意識に蓄積されたものを、やっと集まったこの三人で出す。それをやるだけです。ちゃんとしたプレスCDで出てますけど、こういうことになってるのも「すごいなあ」って、自分でも変な感じっすね。

石塚淳

台風クラブ『初期の台風クラブ』ジャケット
台風クラブ『初期の台風クラブ』ジャケット(Amazonで見る

—アルバム以降の新曲に関してはどうでしょう? 何かモードに変化はありますか?

石塚:しばらくアルバムのレコーディングばっかりだったんで、新曲はまったく作ってないんです。やっぱり、働きながら、暮らしながら音楽やるってなると、そうなっちゃうんですよね。ギターを持つ時間がなかなか作れないから、そこは「戦ってかななあ」って感じなんですけど。

年に1回アルバムをリリースして、そのあとあちこちツアーを回るとか、そういう普通のロックバンドらしい活動はできないですから。かといって何も気にはしてないですけど。とにかく音楽ができる状況に自分を持っていく、そして音楽をやるっていうのが一番大事なんです。

石塚淳

リリース情報
台風クラブ
『初期の台風クラブ』(CD)

2017年8月23日(水)発売
価格:2,052円(税込)
LNCM-1211

1. 台風銀座
2. ついのすみか
3. ずる休み
4. ダンスフロアのならず者
5. 相棒
6. 春は昔
7. 42号線
8. 処暑
9. 飛・び・た・い
10. まつりのあと

プロフィール
台風クラブ
台風クラブ (たいふうくらぶ)

山本啓太(Ba)、石塚淳(Vo,Gt)、伊奈昌宏(Dr)によるスリーピースバンド。京都を拠点に活動を行う。2016年11月、本秀康主宰の「雷音レコード」から7インチアナログ『ずる休み/まつりのあと』をリリース。2017年4月22日、7インチアナログ『相棒 / 飛・び・た・い』を、同年8月23日、初の全国流通盤フルアルバムとなる『初期の台風クラブ』を発表した。



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