Sano ibukiが自分を主人公にしない理由。意志を物語に託して

2018年、突如『EMBLEM』で登場したシンガーソングライター、Sano ibuki。ファンクやR&Bを軸にしつつ、2000年代のギターロックを振り回して疾走したり、エグみのある低音の上で歌をバーストさせたり、異国感ある音色に乗せて祈りのようなコーラスを昇らせたりーー1曲1曲の中で旅をしているように、ここではないどこかを求めて音に飛び込んでいくように、自在に彩りを変えていく様が面白い。今世の中に出ている情報・写真を見ても、そのパーソナリティがはっきりと浮かび上がるものはない。個人としての表現であること以上に、その起点を見せないことで音楽が音楽として人へと届くことを望んでいるアーティストなのだと、温かくもどこか幻想的な音楽自体がそれを物語っている。

『STORY TELLER』と名付けられたデビューアルバム。そのタイトル通り、Sano ibukiが12人の主人公を細やかに描き、その物語の主題歌を作るようにして完成させた作品だ。美しいメロディをさらに飛ばし、自由に場面を変化させていくアレンジの妙。ソングライティングの幅広さと同時に感動するのは、異様な執念を感じるほどの細かな音の配置と選び方だ。物語の奥に潜む、主人公になれなかった人間たちの声。その代弁というよりも、日々を生きること自体を物語に転化させたいという執念がダダ漏れる。その歌はどう生まれたのか? ひとりの若者が自分の存在を立証するために物語を欲したのはなぜなのか? Sano ibukiとは何者でどこから来たストーリーテラーなのか、徹底的に解き明かすインタビューになった。

自分を消していくというか……僕自身を描くより、物語と主人公を作るほうが誰もが共感できるものになると思うんですよ。

―実質的なデビュー作だった『EMBLEM』の頃から、音色の使い方もメロディのバリエーションも曲ごとにバラバラで、すごくいい意味で変わった音楽家だなあという印象を持っていたんですけど。

Sano ibuki『EMBLEM』(2018)を聴く(Apple Musicはこちら

Sano:はい。

―それがこの『STORY TELLER』を聴いて腑に落ちたんですね。1曲1曲が物語であり、その都度異なる主人公を歌で描いているから、音楽のパレットにたくさんの色が必要な方なんだなと。

Sano:基本的に、「自分の音楽」を限定していないところがあって。メロディが浮かんだ時に、そのメロディにどんな音が合うか、どんな物語が生まれるか。それが大事なので、音楽っていう枠での縛りがないんですよね。たとえば“決戦前夜”という曲なら、<晴れた空の青さすらもう>っていう言葉とメロディが浮かんで、それをいつか使えないかなと思って取っておくんです。それが自分の書こうとした物語に合うと思ったらガチャンと合体させる感じなんです。

Sano ibuki(さの いぶき) 撮影:山﨑泰治
2017年、本格的なライブ活動を開始。自主制作音源『魔法』がTOWER RECORDS 新宿店バイヤーの耳に留まり同年12月に同店限定シングルとしてCD化(現在は販売終了)。2018年7月4日、初の全国流通盤となる1st Mini Album 『EMBLEM』を発売。2019年11月6日、構想約2年をかけてSanoが紡いだ空想の物語の主題歌たちを収録したデビューアルバム『STORY TELLER』をEMI Recordsより発売する。

―資料では「原稿用紙に物語を書いてから、その物語の主題歌を作るようにして曲ができていく」と説明されているんですが。言葉が浮かんだところから物語を書いていくのは、音楽以前に好きなことだったんですか。

Sano:そうですね。地元は岐阜なんですけど、特に山奥の大田舎というわけでもなくて。生まれてからずっと生活の中に物語がある環境だったんです。それを自分でも作ってみたいと思ったのが最初だったと思います。映画、テレビゲーム、漫画、小説……なんでもあったんですよ。生まれ年に『ポケモン』が出て、『エヴァンゲリオン』が一世風靡しているのも見ていた世代で。日本ならではの物語が一気に生まれた時代に僕も多感な時期を過ごしたのは大きい気がします。

―いろんな物語がある中で、ご自身が感情移入するのはどういうポイントだったんですか。

Sano:特にディズニーの作品が好きで、たとえば『ピーターパン』だったら、「子供のまま大人になれない世界」っていう設定が面白かったし、よく考えたらその設定には怖さもあるじゃないですか。そういう興味が無限に湧いて、想像を広げるのが好きだったんです。何をするにもひとりなことが多かったというのも大きかったと思うんですけど。

撮影:山﨑泰治

―音楽にも、ひとりで楽しめるものとして出会ったんですか。

Sano:父親がマイケル・ジャクソンのファンで、家で流れている音楽として僕もマイケルが好きになったんです。それと同時に、スティーヴィー・ワンダーとかEarth, Wind & Fireも好きになって。そこから音楽にのめり込んだというよりは、小説を読むことや絵を描くことと並行して、親が聴いているブラックミュージックを聴くのが楽しかったんですね。それこそマイケルのMVは一つひとつが物語になっているのが面白くて。今思えば、そこで聴いていたファンクやR&Bが自分の音楽的な原風景になった気がします。

―実際、Sanoさんの楽曲もR&B、ファンク色が濃いものが多いですよね。それをギターロックや歌謡的なメロディに溶かして、自由な音色で鳴らされているところが面白いんですけど。ただ、「物語を書きたい」という話でいけば、ゲームクリエイターでも小説家でも漫画家でもよかったかもしれない。だけど今音楽をやっているのは、どうしてなんだと思います?

Sano:これは自分が最終的に何を届けたいかっていう話になるんですけど、僕は、自分の中の大事な「情景」を届けたいんです。それを届けるために、一番適してるのが音楽だと思っていて。

―大事な情景とはどういうもので、その中にはどんな成分があるんですか。

Sano:たとえば……地元の岐阜は空気が澄んでいて星が綺麗な場所だったんですね。それを見て自然と涙が出たこととか、田んぼ風景の綺麗さに鳥肌が立ったとか。ごく普通にあるようでも奇跡みたいに思える情景が身の回りにたくさんあったんです。そういう情景や綺麗さを余すことなく伝えられれば、「僕の中の情景」によって人の根源的な感情を震わせることができるんじゃないかと思って。そうやって考えると、音楽の中には、情景も歌も言葉も、全部があると思ったんですよね。

Sano ibuki
11月8日『Sano ibuki Premium Live “翠玉の街”』より

―聴き手ごとに無限の想像を広げられるのは、音楽の素晴らしさのひとつですよね。その上で面白いのは、自分の感動した情景を人に届けたいと思うのに、それを自分の歌としてではなく物語にされる部分なんですよ。そこにはどういう気持ちがあるんだと思います?

Sano:たとえば友達に「最近こんなことに感動した」って話すならいいですけど、世界中の人に届けたいと思ったら、自分の話をするだけじゃ何も面白くないものになる気がして。だから、その情景に心震えた瞬間を抽出して、自分を消していくというか……僕自身を描くより、物語と主人公を作るほうが誰もが共感できるものになると思うんです。

伝えたい気持ちが純粋に伝わってほしいと思えば思うほど、人と話すのが怖くなっていったんです。だからこそ、今身の回りにある綺麗な景色が自分にとってすごく大事だった。

―自分のパーソナリティーから切り離すことで、ごく個人的なものがたくさんの人の感受移入を生んでいくということですよね。

Sano:そうですね。欲張りなのか、とにかくたくさんの人に届けたいって思ってしまうんです。サウンド面で言っても、いろんなアレンジャーさんとご一緒しているように、自分ひとりで完結したくないっていう気持ちが強烈にあるんです。

―それはどうして?

Sano:小さい頃から、ひとりで何かをするっていうのが常だったので。音楽をやるにも、バンドだと上手くいかなかったんです。だから、ひとりぼっちのままでいたくないっていう気持ちが、Sano ibukiの根本のような気がします。

―ひとりで没頭できる物語の世界に惹かれたのも、ひとりぼっちを感じていたことが大きかったんですか。

Sano:今思えば……僕自身が「友達なんて必要ない」と思っちゃってたのかもしれないです。だからこそ小説や物語っていう、ひとりで想像できるものを求めていたんだとも思いますし。

―自分はひとりでいいと思うようになった、その背景には何があるんだと思います?

Sano:わかりやすい例で言うと、僕の周囲の人が当たり前のようにスマホを使っていても、僕はそれを使うのが怖くて、自分の意志で携帯電話をずっと持ってなかったんですよ。言葉をポンポンと送ったり受け取ったりすると、その奥にある気持ちが安くなっていく感じがして。その頃から、「自分は人と違っていいんだ」って考えるようになっていたし、もっと言えば、それは人が人に想いを伝えることの形骸化への違和感でもあった気がするんですよ。

―Sanoさんは、ごく自然に言葉のスピードが増していくのを見られていた世代だと思うんですね。だからこそ、気持ちを伝えること、言葉の重みに対しての慎重さや怖さを覚えていたということですか。

Sano:臆病さ……そうかもしれないです。言葉は想いから生まれてくるものなのに、その背景が薄くなって形骸化した言葉だけが飛び交うと、言葉の器自体がどんどん小さくなっていく気がして。たとえば「ありがとう」や「好きだよ」みたいな言葉を伝える時って、それ以上の言葉がないからこそ、その言葉の重みを100%伝えるのがとても難しいじゃないですか。そういう、言葉を伝えることに対して考え込んじゃうところは昔からあって。

―先ほども、自分の周りにあった景色に涙を流したり、その時の心の震えを大事にして伝えたいとお話いただきましたけど、言葉と想いの話も含めて考えると、今あるものを当たり前と思いたくないし、それを大事にするからこそ伝えることに慎重になって臆病になるところもあったということですか。

Sano:100ある想いが50でしか伝わらなかった時って自分が傷ついてしまうし、そうやって誤解されるのが怖かったですし。何度も何度もその言葉を繰り返せばいいっていうわけじゃなくて、伝えたい気持ちが純粋に伝わってほしいっていう話なんですけど……そう思えば思うほど、人と話すのが怖くなっていったんですよね。

だからこそ、今身の回りにある綺麗な景色が自分にとってすごく大事だと思って、それに涙を流していたと思うんです。「全部が伝わらないならいいじゃん」って諦めて周囲のものだけに美しさを感じて大事にすることで、傷つかないように殻に閉じこもっていたというか。そのうちに、教室でも居場所がないように感じるようになってしまって。先生は「仲よくするんだよ」って言うけど、自分みたいな臆病な人間にとって、人と仲よくすることが正しいことなのかどうかもわからなかったんです。ルールは大事けど、なんのためかわからない「正しさ」っていうものを提示されることにはずっと違和感があったんですね。それは本当に当たり前なのかなって、ずっと考えてました。

だけど気持ちをちゃんと伝えたい、誤解なく人と繋がりたいって思った時に、どうしたらいいのか……それが、自分とは別の主人公を作るっていう手段だったのかもしれないんですけど。

『EMBLEM』収録

―正しさとか答えがない中で生きていくことこそ物語になりますし、逆に言えば、エンディングや答えだけを先に見せられても、いろんな想いを持って過程を歩んでいく意味がなくなりますからね。今の世の中に目を向けてみても、「正解はこれですよ」と思い込まされる仕組みや論説に満ちていて。だけど、個々の物語は、そういうものとは別のところにあるのが当然で。

Sano:そうそう。自分が嫌いだと感じてしまった人にとっても好きなものを作りたいし、嫌いだった人も好きになりたい。そういう願いがあるのに上手く伝えられなかった過去があるから、自分から切り離した主人公を作って、物語にすることで共感を求めるのかもしれないです。

嫌いな人にも好きなところを見つけたい。だから、こんな自分でも人を感動させられるものはなんなのかを探してたんです。

―想像を委ねることで広がる世界は確実にありますからね。

Sano:今って、世界があり過ぎて、むしろ「何もない」ように見えてくるんですよ。SNSみたいな世界ができたことで、人それぞれの世界があるっていうことが可視化されるようになったじゃないですか。それがデカすぎるが故に、極端な声しか人にキャッチされない。しかも、物事を善悪で分けていこうとする向きばかりが見えるようになって。それによって、どんどん人が縮こまっていくようにも見えるんです。もっと自由に、人それぞれの物語を描いていけたらいいのにっていう気持ちが強いんです。

―一方、歌う行為自体は、これまでも自分の何かを発散したり昇華したりすることに繋がっていたんですか。

Sano:いや、歌うことはそんなに好きじゃなかったんですよ(笑)。マイケルをはじめとして音楽を聴くのは好きでしたけど、歌ってみたら家族から「音痴だね」って言われて歌に苦手意識を持ったんです。遊びで弾き語りっぽいことをしたことはありましたけど、数少ない友達と組んだバンドでもベースを弾いてましたし……だけど大学に行くために上京してひとりになった時に、ひとりでベースを弾いていても面白くなくて、人に何かを伝えたいと思うなら歌わざるを得ないと思ったんです。だから、ちゃんと歌い始めたのも20歳くらいになってからなんですよ。

Sano:だから、その当時はまだ「自分の一番の表現は音楽だ」って気づけていない状態だったんです。自分を届ける手段はなんなのか、探している中に歌もあったというか。絵の勉強も映像の勉強もして、小説も書いていろんな表現の手段を探してる中で、気づいたら曲も書いていたっていう感じなんですよね。

―孤立した時期があったからこそ、自分を証明できる表現を探し続けたところもあったと。

Sano:そうなんだと思います。上京して本当に孤独になった時から、人に何かを伝えたいと思っている自分に気づけて。『EMBLEM』をリリースした辺りから、自分は目に見えないからこそ広く届く情景を届けたいんだってことに自覚的になってきたというか。だから、ずっと「探してた」っていう感覚でしたね。絵なのか、小説なのか、映像なのか、音楽なのか……音楽も修行のように聴きまくって理論も勉強したし。なんなら、めちゃくちゃ資格も取ってましたからね。

―はははははは!

Sano:それくらい、こんな自分でも人を感動させられるものはなんなのかを探してたんです。好きじゃなくても資格の勉強してたし……それも、さっき言われた通り、自分の好きなものを探し続けることで自分を伝える手段を得て、それによって自分をわかってほしいっていう気持ちだと思うんです。ひとりぼっちだったからこそ、たとえ嫌いな人にも好きなところを見つけたいと思っていたし、そのために、自分の大事なものを遠くまで届けたかった。自分がわからなかったし、自分を見つけたいし。だからこそ自分の意志を何かに託さないと届けられないんじゃないかなって。

―たとえば“決戦前夜”で言っても、別に大それた決闘でなかろうと、その日その日が当たり前じゃなく一回きりの大切なものなんだと歌われてますよね。しかもそれを物語の形にすることで、より一層、ありふれた1日がドラマティックに描き出されている。ここに、今日話していただいたSanoさんという人間と、歌を物語にしていく美学の合致を感じたんです。

Sano:それはまさに『STORY TELLER』全体として考えたことで、当たり前の1日1日を大事に生きる人を主人公にすることで、誰もにあるありふれた生活をなんとかドラマにしたかったんです。だからこそ1曲ごとに主人公像を練りに練って、血液型、好きな食べ物、住んでいる場所まで考えていったんですね。ただ、“決戦前夜”の主人公はその中でも特に弱いんですよ。『ぼくらの7日間戦争』の主題歌ということもあって、この作品の中でも特に「弱くて平凡でも主人公になれる」っていう部分を歌にしたいと思ったんです。

―そうですね。どんな日も強さで乗り越えていくような、赤レンジャー的な主人公ではない。

Sano:そうなんですよ(笑)。そう考えると、僕の書く物語って、そもそも赤レンジャーが出てこないですよね。でも、強くはないからこそ周囲のものに感謝できるし、いろんなものとの出会いを大事にできる主人公たちだと思うんです。すべてが1回しかない、常に決戦前夜にいられる人の歌なんですよね。

人はそれぞれ違うし出発点も違う。でもそれぞれを掘り続けたら、コアに辿り着けるんじゃないかなって。そこに本当の感動があるはずだって信じてるんです。

―一つひとつ、目の前のものを大事にしたいという気持ちをエスカレートさせたのが「決戦」という言葉になっているという話ですよね。それはご自身の人生観がそのまま映っている部分だと思うし、物語であると同時に、自分の願いの一種の極端化とも言えると思うんですが。そう言われてみて、ご自身ではどう思いますか。

Sano:おっしゃった通りで、物語とは言っても、やっぱり僕の大事にしていることを伝えるための「意志」を持たせてるんでしょうね。主人公を作っていくと、まさに自分の友達が増えていくような感覚があるんですよ。「これだけは持って行ってね」って、僕にとっての大事なものを主人公たちに託すような。

<ポケットに忍び込ませた / 伝えられない想いの / ひとつを守るためなら / 幾つでも僕は / 失えるんだ>とは歌ってますけど、僕個人は大事なもののために全部を失うのは怖い人間なんですよ。だけど、物語として歌えば、本当はそういう人間になりたいっていう願いを描くことができるんです。

Sano:さっきの言葉の話もそうですけど……人って、ここにいるから存在してるんじゃなくて、意志を持っているから存在しているんだと思う。だから、主人公たちに渡していった意志の中に自分は存在していると思うし、誰かを救う主人公は、僕じゃなくていいんです。僕はアンパンマンになれなくていいし、むしろ、バイキンマンにもドキンちゃんっていう大事な人がいるじゃんっていうことに目を向けたいというか。

―一見嫌われている人にも大事な人がいるし、大切にしているものがある。それも含めて愛したいっていう話ですよね。

Sano:そうそう、ひとりぼっちにならないために、人を愛するための部分を見つけていきたいというか。もっと寛容にいろんなものが混ざっていけば、きっと寂しくはならないから。

―音楽的に言っても、“マリアロード”だったら賛美歌の成分が強いし、“梟”は爽快なファンクに歌謡から連なるJ-POPのメロディが合致している曲で。ブラックミュージックの素養とグルーヴを軸にしながら、だけどサウンドはどこから持ってきたものなのかわからないっていうミクスチャー性が面白いと思うんですね。この混ざり具合も、今おっしゃったことの表れなんですか。

SpotifyでSano ibuki“梟”を聴く(Apple Musicはこちら

Sano:ああ、そうかもしれないです。Sano ibukiを聴けば完結するっていうものを目指してるというか。だから、目に見えないものまで感じさせる音楽を選んだんだと思いますし。それに、さっき話した「自分探し」の時期、曲を書くために、自分の嗜好性になかった音楽まで山ほど聴いたんです。そこで最終的に、「この音楽を全部まとめて聴けるアーティストがいたらいいのにな」っていう発想になっちゃったんですよ(笑)。先ほどの携帯電話の話とも繋がってくる気がするんですけど、とにかく全部を使いこなせるまで勉強してみて、それを消化してから自分に一番合うものを探したいっていう。その上で、自然といろんな色が混ざってくることを美しいと思っている気がしますね。

―もう少し視点を広げてみると、それくらいいろんなものを網羅したいって思うのは、人間そのものの心や世界を探求したいっていう気持ちでもあるんですか。たとえば「いつかどこかで出会いたい」っていう旨の言葉が何度も歌に出てくることからもそういうことを感じたんですけど。

Sano:ああ……自分が感動した情景を届けたいっていうのも、自分が感動できるものでわかり合える人を探求してるのかもしれないですね。たとえば僕、音楽を山ほど聴いていた時に、世界各所の都市の音を集めたCDとかも集めてたんですよ(笑)。エジプトだったら、砂のサーッっていう音の中にも車の音とかが聴こえるんですね。行ったことがないからこそピラミッドとかだけを想像しがちですけど、その情景の中にも人が住んでるんだなってことに感動して。そういう、「情景の中にも人がいる」っていうのが自分の琴線に触れたというか。それだけで音楽じゃんって感じたんですよね。

―情景とは言えど、そこに人の営みは常に映ってきますよね。その温かさを残しているのがSanoさんの音楽のいいところだと思うし、物語だとしても100%自分と切り離せない、その割り切れなさが音楽になっているのかもしれないですね。

Sano:そうですね……そこに人がいる、生活があるっていうことの全部を描きたい。だから文字で限定的な意味にするんじゃなくて、絵じゃなくて、一気に広がる情景っていう意味で音楽を選び続けているのかもしれないです。で、そこで自分の心が震えるものを掘り続けられれば、どこか深いところで人と繋がれるんじゃないかなって気がしていて。

人はそれぞれ違うし、出発点も違うんだけど、掘り続けたらちゃんとコアに辿り着けるんじゃないかなって。そこに本当の感動があるはずだって信じてるんです。だから、その人それぞれの物語として受け取って、自分が主人公だと思ってもらえたら。そうやって、それぞれがそれぞれの物語を生きた先で出会えたらいいなって思うんです。今日話してみて、そういう部分に気づけた気もしてます。

SpotifyでSano ibuki『STORY TELLER』を聴く(Apple Musicはこちら

撮影:山﨑泰治
リリース情報
Sano ibuki
『STORY TELLER』

2019年11月6日(水)発売
価格:2,970円(税込)
UPCH-20533

1. WORLD PARADE
2. 決戦前夜
3. いつか
4. 革命的閃光弾
5. Kompas
6. 沙旅商(キャラバン)
7. いとし仔のワルツ
8. Letter
9. 滅亡と砂時計
10. Argonaut
11. マリアロード
12. 梟

プロフィール
Sano ibuki
Sano ibuki (さの いぶき)

2017年、本格的なライブ活動を開始。自主制作音源『魔法』がTOWER RECORDS 新宿店バイヤーの耳に留まり同年12月に同店限定シングルとしてCD化(現在は販売終了)。2018年7月4日、初の全国流通盤となる1st Mini Album『EMBLEM』を発売。2019年11月6日、構想約2年をかけてSanoが紡いだ空想の物語の主題歌たちを収録したデビューアルバム『STORY TELLER』をEMI Recordsより発売する。



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