坂口恭平の権力への抵抗。音楽は記憶を思い出させ人を治療する

——もしもし? 今から取材だから2時間後にかけ直してくれる?

インタビュー取材を終えて一服しているほんの数分の間にも、坂口恭平のもとには電話がかかってくる。Twitterでの洪水のような発信はもとより、文筆家として小説、思想書、画集、料理書など多岐にわたる書籍を次々に発表。自殺者ゼロを目指し、自らの電話番号(090-8106-4666)を公表して「死にたい」思いを抱える人のために、命のセーフティネットをたった一人で続けて約10年になる。

当初「建てない建築家」として活動をスタートした坂口恭平は、近年ではパステル画でもその才能を遺憾なく発揮。9月9日には音楽家として2枚目のスタジオアルバム『永遠に頭上に』をリリースした。

今回、CINRA.NETでは坂口と旧知の仲であるライター・編集者の九龍ジョーを聞き手に迎え、前後編に分けた2つの記事を展開する。本稿は坂口恭平の様々な活動の奥にある感覚を捉えながら、特に音楽にフォーカスしたものだ。縦横無尽に繰り広げられた対話の一部をお届けしたい。

電話の声を聞いただけで、相手の悩みがわかる

九龍:最近、ラジオにも出てるでしょう。毎回、電話番号を言ってるけど、「いのっちの電話」にすごいかかってきてるんじゃない?

坂口:やばいよ、1日50件はオーバーするもん。

九龍:それ、キャパはどうなってるの?(笑)

坂口:いやそれがね、1日100件が1週間続いたのよ。結果的にこなせるようになってた。

坂口恭平(さかぐち きょうへい)
1978年、熊本県生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。2004年に路上生活者の住居を撮影した写真集『0円ハウス』(リトルモア)を刊行。以降、ルポルタージュ、小説、思想書、画集、料理書など多岐にわたるジャンルの書籍、そして音楽などを発表している。現在は熊本を拠点に活動。2023年に熊本市現代美術館にて個展を開催予定。近刊に『苦しい時は電話して』(講談社現代新書)、『自分の薬をつくる』『cook』(晶文社)、『まとまらない人』(リトルモア)など。

九龍:人の悩みはいくつかのパターンに収まるって言ってたけど、そこから外れるような相談はない?

坂口:逆に俺の中では統計がさらに定まってきていて、もう声を聞いただけでわかる。「両親の問題ですよね?」って一発目から俺が聞くから、向こうも「え、なんでわかるんですか?」って。最近そういう感じだね。

九龍:人間AIだ(笑)。単純に疲れないんですか?

坂口:これがね、疲れがゼロで。昨日も整体の人に「筋肉、どうしてこんなに柔らかいんですか?」って言われて、筋肉は柔らかいんだけど背中は凝ってて武術の達人みたいって。たぶん俺、「いのっちの電話」を武術としてやってるんだよ。

九龍:合気道みたいな感じかもね。相手の力を上手く受け流したりしながら、自分を傷つけず、相手も傷つけない。坂口恭平にとっても「薬」となっている日課というか。

坂口:そうね。だって全ての人の悩みは国家が作った悩みなんよね。俺の考えでは、そういう結論になる。集団生活を設計しようとした僕たちの無意識が国家であるとするならば、家族関係の悩みもその延長線上にある。だからそれも俺の中ではずっと同じ戦いではあるんよね。

九龍:ずっと一貫してるよね。国家の問題にしろ、土地の問題にしろ、仕事の問題も。

坂口:路上生活者の問題にしてもそう。お年寄りの問題もそう。今、畑やってるのも同じことだから。結局、政治的に俺はあえてやってるんだよ。畑はレジスタンス(権力に対する抵抗)として、やる必要がある。音楽も俺の中ではレジスタンスのつもりなわけですよ。

九龍:まあ別に、坂口恭平は評価やセールスを求めて音楽をやってきたわけじゃないですしね。

坂口:ないない。だって、これは人を治療するためにやってるんだから。もうこれは明確に。

おばあちゃんから「いのっちの電話」がかかってきて“北国の春”を歌って聴かせたのよ。で、「どう?」って聴いたら「今は楽しいです」って言うんだけど、鳴り止んだら「きついです」って。だから「また電話して」って言ったんだけど。

音楽は俺にとって新しい武器なのよ。楽器を弾くっていうのは、日常の時間軸を抜けられる可能性がある手段。

世の会社員は、みんな毎日12時間練習みたいな超厳しい野球部の特待生になってる

九龍:図画工作の授業で絵を描いたり、音楽の授業で楽器を触ったり、子供のときのそういう活動って、多くの人は大人になると遠ざかるじゃないですか。歌だって、カラオケのときくらいしか歌わなくなったり。

でも同時に、多くの人が子供のときはもっとラクだったとか、あまり悩みはなかったって言いますよね。それって子供のときのほうが実は小刻みにいろいろな日課があって、案外それがよかったんじゃないかという説を坂口恭平は提唱していますね。

坂口:大人になるとずっと同じことをするでしょ? みんな毎日12時間練習みたいな超厳しい野球部の特待生になっちゃってんの。もう会社って半端ねぇ部活みたいなもんで。

九龍:子供の頃、ずっと野球してても怒られないのは野球エリートだもんね(笑)。

坂口:そうそう。だから全然日課がこなせない。しかも会社員でいえば、好きでもない部活をやり続けてるわけじゃん。

特待生の中にもコースがいっぱいあるのに、自分が野球部なのか、ボクシング部なのかもわかってない状態で、「特待コース」っていうのだけで一応入ってきました、みたいな人がかなりいる。俺、下手な少年野球の、しかもリトルリーグ系じゃなくて学校の教員がコーチやってる部活だから。

九龍:あまり期待されてないんだ(笑)。でもその「期待されてなさ」はすごく坂口恭平にとって重要というか。

坂口:そうそう、俺にはそこが大事だから。

九龍:そもそも、誰かから頼まれた仕事じゃないのも大きい。勝手に原稿や絵を描いてるだけ。

今回の音楽アルバムだって、別に「アルバム出しましょうよ」って言われたから曲を作ったり、録音したわけじゃないんでしょ?

坂口:「俺がやりたいからやらせてください」ってだけだからさ。そもそも録ったのも2年前だしね。俺の場合、常に原稿5000枚くらい用意しとけばどんな依頼でも返せるっていう、サバイバルテクニックがベースになってる。

九龍:結果として、そのほうが坂口経済圏も回るという。

坂口:やばいのが歌も原稿と同じなんよね。詩と旋律を先に決めておくっていうのはそういうことで。

たとえば<♪夕焼け小焼け~>って歌ったときに思い浮かべる山は全員違ったとしても、薄紫と桃色が混ざった空とか、ちょっと深緑と黒が混ざり合った山の絵はだいたい一緒だって俺は確信してて。最近はパステル画を描いてるから色の感覚がすごくて、その思い浮かべる絵の精度も半端ないものになってる。

何かやり始めるとき、道具は絶対に先人から借りなきゃいけない

九龍:やってることはずっと一貫してるんだけど、ここ最近、理解者の幅がぐっと広がってきたでしょ? 以前はさ、坂口のビジョンを共有してもらうのが、もっと難しかったと思うんだよ。

坂口:難しかった。でもそれが可能になったのは歌のおかげで。

俺、「いのっちの電話」で、その人の悩みを聞く前にその人たちが住んでるところを歌にしちゃうんだけど、「なんで私の住んでるところの葉桜が咲く川沿いを知ってるんですか!?」「この空をなんで知ってるんですか!?」みたいになっちゃって。で、俺は「いや、それ2020年のうちの家の近くの空なんですけど」って言うんだけど。

九龍:それが実際の記憶であれ、身体の記憶であれ、集団の記憶であれ、「みんな忘れてるだけだ、思い出せ」っていうことを坂口恭平はずっとやってきた。土地や住まいや、それこそ国家への問題意識もそのことと関係していたと思うんだけど、最近のパステル画によって、ようやく「あ、わかる」って体験として伝わるようになったというか。

坂口:逆に考えると、いかに人間の記憶っていうものが変容するかってこと。俺はその記憶の可塑性に興奮してるわけよ。つまり記憶って想像してるわけ。マイルス・デイヴィスだって同じ曲を何回も録音するわけじゃん。だけどそれは一つひとつ違う。

左から:坂口恭平、九龍ジョー。パステル画の展覧会『Pastel』会場のオルタナティブスペースTETOKAにて

坂口:ギリシャ神話にムネモシュケっていう記憶の女神がいるんだけど、その記憶の女神は、音楽とか文芸の女神たちの母親なわけよ。だから俺は、音楽って記憶の源泉だと思ってるのね。

記憶は簡単に変容するから、今俺がやってることって「音楽の変容」って感覚で。たとえばカバー曲を聴くときも、原曲の記憶が変容していることに無意識なんだよね。

そういう感覚で全部やってるから。俺が「料理で全部説明できる」って言ったのとほぼ同じ感覚で、「音楽で全て説明がつく」。

九龍:「誰も土地は所有できない」とか言われてもあまりピンとこなくても、パステル画とか歌を通じて、何かを感じ取っている人はいるよね。それに、たしかに料理もブレイクスルーだったなと思う。

坂口:そうね。でも何でそれができるようになったかっていうと、生活の不安がなくなったからなんよ。2017~2018年くらいまでは作品として売れなきゃいけないって不安がまだあったんだけど、それが2019年くらいから俺の徳の積み方によって状況が変化してきたのがすごく大きい。

九龍:料理も土井善晴さんが反応するくらいで、その道一筋の人たちから見てもやっぱり何かあるんだろうね。

坂口:そこはやっぱ俺、模倣のプロだからね。やっぱ天才的なミメーシス(西洋哲学の概念で模倣や再現の意味)だからわかるわけよね(笑)。俺がクワで土を掘り起こすのを見て、先人の農家の方から「俺、こんなに掘れん」って言われたもん。

模倣といっても、ただ格好だけじゃないからね。例えば俺が大事だと思ってるのは、道具は絶対買わないってこと。都会の人間が畑を始めると、みんな洒落た道具を買うじゃない? そうじゃなくて、道具は絶対に先人から借りなきゃいけない。

畑をはじめてから躁鬱が落ち着いて1年越え

九龍:道具を借りて、先人からきちんと受け継ぐわけだ。

坂口:そう。俺、大工のときからそうだったから(大学で建築を学んでいる時、大工の親方の元で修行をしていた)。親方が「こいつは大丈夫だ」って思ったやつには本人が使い易いトンカチとか道具袋とかをくれるのよ。もらったものじゃないとダメ。

で、俺の畑も先人にもらった道具と竹と麻ひもで作ってたら、逆にその先人が「俺が小さかった頃の畑にしか見えない」って言って、記憶の変容が始まっちゃった。「これは昭和30年の!」って(笑)。

九龍:向こうが原風景を思い出してしまう(笑)。まあ、言ってみれば子供こそミメーシスの天才だからね。その道のプロが惹かれるのは、そういうことなんだろうね。

畑のことをもう少し聞きたいんだけど、ずっと手を入れなきゃいけないわけじゃないですか。畑側の要請というか、土が何かを言ってくることはありますか?

坂口:「毎日いて」って言う。毎日いることによって何が変わるかというと、まず猫が俺が来る時間を知るようになる。そして虫も俺が畑に来る時間を知ってくるってこと。

九龍:ノラ・ジョーンズだっけ、あの猫の名前。

坂口:そう、ノラ・ジョーンズが知ってるわけよ。そして俺が畑に来るじゃない? その手前からもうバッタが2、3匹飛んでって、蜘蛛はもう足音聞いたらそのままシャラシャラシャラってどこかへ逃げて行く。蝶だけは逃げない。そういうコミュニケーションなんよ。

土って人間を理解してて、人間が定期的に来ていじること、つまり人間の行為の全てを、土は自然の一部だと思ってる。人間もプラスチックゴミも、土からすると「いや、自然です」って話で。

九龍:区別はなく、ぜんぶ自然なんだ。

坂口:放置された荒地の植物たちがどうしてあれだけ育つのかを研究してる人がいて、『動いてる庭』(2015年刊、ジル・クレマン著)っていう本がみすず書房から出てるんだけど、完全に植物が人間を理解しているんだって。植物は人間の動きを見越して全てやっていると。

九龍:人間の行動も織り込み済み。

坂口:そう。それは全て地面を元にした全体的なコミュニケーションで、人間もそこに入っている。そしてそのことに人間も気づいていると。もう無茶苦茶なわけよ。

九龍:お互い暗黙の了解であると。面白いね。畑をはじめてから、躁鬱の波が落ち着いたということだけど、実際はどうなんですか?

坂口:それが本気で落ち着いている。

九龍:そうは言っても、ここから落ちるパターンもこれまで何度もあったから油断はできないけど、たしかに今の状態は長い期間続いてるよね。

坂口:もう1年越えたから。やっぱり植物を覚えたのは大きいかも。もうほとんど今、植物に忠実だから。

九龍:自然の命ずるがまま(笑)。

坂口:俺、植物が自分の畑の外に伸びていっても育てることにしてるから。もう隣の人にごめんなさいって言えばいいだけ。「坂口さん(伸びても)切らないもんね」って言われて、俺も「切らないですねえ~育とうとしてるんで」って。

九龍:「坂口さんは切らないよね」って、向こうの方も認めてくれている状態がすでに実現しているのがいいね。

坂口:『土になる』(参照:note連載『土になる』)をプリントアウトしていって、「切らない理由、書いてます」って言って渡せるからね。それは『自分の薬をつくる』(2020年刊、晶文社)で書いてることで言うと「声にしなさい」ってこと。

坂口:考えてることを声にすることによって、ちゃんと伝わるから。歌だってそれなんよ。

自分の本当に感じてることを声にしなさい、それだけが歌なのに、なんで人を感動させるとか、そういうごちゃごちゃした話になっていくの? っていう。そうじゃなくて、自分が感じたことを1秒も嘘偽りなく、声に表すっていうだけ。それが本来の歌だから。

石牟礼道子の詩が持っている旋律を音楽にする

九龍:少し今回のアルバムの話もすると、“海底の修羅”は石牟礼道子さん(詩人、作家。2018年没)の詩にメロディーをつけたものですよね。

坂口:うん、そうね。「三回忌に歌ってください」って石牟礼家から言われて、たまたま石風社から出てる『石牟礼道子全詩集』(2002年)を開いてたら、たまたま「墓場を出て」っていう1行目に出くわして、その瞬間にもうメロディーができたから。

それを石牟礼道子さんの三回忌で歌ったら、えらいことになったよ。もう全員泣いたんよ、これ本当に。「詩の意味がよりわかりました」っておじいちゃんたちが俺に向かって言ってきて。

坂口恭平『永遠に頭上に』収録曲“海底の修羅”を聴く(Apple Musicはこちら

九龍:もちろんそれは、坂口恭平の生み出したメロディーだけど、もともと石牟礼さんの中に歌が流れていたのもあるんだろうね。

坂口:石牟礼道子はいわゆる大和歌を作っていたんだけど、それは、五・七・五・七・七で作られてるわけで。それって旋律があるからなんだよね。そもそもちゃんと旋律が鳴っていて歌われていたんだけど、楽器が鳴ってないから音楽としての形を持っていなかった。

俺が石牟礼道子の詩に対して曲をつけるっていうよりは、石牟礼道子の旋律をちゃんと奏でてあげる感じ。収録されているのは本当に1発目の録音で、しかも詩を見つけた瞬間に歌った1発目のやつ。

九龍:なるほどね。本当は鳴っているはずの音楽を嗅ぎ取ってメロディーをつける行為って、他のこととも共通してるよね。

坂口:それって路上生活者の人の生活について、俺が「これは都市全体を機能的に使う生活してるんですよ」って言う感覚と一緒なんだよね。で、その人たちはわかってんだから「そうだよ」って、それに驚きはしないわけ。

『永遠に頭上に』は人員配置に命をかけた。参加者への指示と演出はゼロ

九龍:今回もまた寺尾紗穂さんのコーラスが素晴らしいですが、仕上がりに何かおっしゃってました?

坂口:もともと寺尾さんはね、この2年間会うたびに「あの音源を早く出せ」ってずーっと言ってたの。「何であれを出さないの?」って言うんだけど、俺は「なんか違うんだよね」って感じで。

九龍:2年前に録ってたけど?

坂口:そう。寺尾さんは、“飛行場”も“松ばやし”も“霧”も大好きなわけ。“TRAIN-TRAIN”も2012年にDOMMUNEで俺が初めて歌ったときに寺尾さんは聴いてたんだけど、「あの歌をどうやって作ったの?」って言ったからね。知らないわけよ、“TRAIN-TRAIN”(THE BLUE HEARTS、1988年)を。

長距離の移動時にも肌身離さない愛用のギター

九龍:知らないのも逆に難しいと思うけど(笑)、むしろその感覚の捉え方に寺尾さん独特の鋭さがあるね。

坂口:一人で泣いてて「どうした?」っつったら、「“TRAIN-TRAIN”ってすごいいい歌だね」って。でもさ、もう俺は彼女の耳は信用してるし、この人は売れるとか売れないとかじゃなくて、歌としてすごいときに反応するってわかってるからね。

坂口恭平“TRAIN-TRAIN”を聞く(Apple Musicはこちら

九龍:<本当の声を聞かせてくれよ>とか、“TRAIN-TRAIN”って時代性もそうだけど、今、「いのっちの電話」をやってる坂口恭平が歌うことで響き方が全然変わりますね。

坂口:そうね、また違う。今回コロナになって、「一応、昔録った音源も聴いとくか」みたいな感じで聴き直したわけよ。今までは全然出す気なかったのに、えらい音が入ってたわけ。「これどういうことだろう?」と思って、平川さん(レーベル担当)に送ったの。

九龍:アルバムを録るときには、寺尾さん、菅沼さん(ドラムの菅沼雄太)、厚海くん(ベースの厚海義朗)っていうミュージシャンたちとコミュニケーションがあるじゃないですか。坂口恭平の場合、あまり共同作業のイメージが浮かばないんだけど、どんなふうに進めるんですか。

坂口:今回、指示ゼロ!

九龍:もう好きにやってくださいって感じ?

坂口:「無駄なことはしないでくれ」って言った。それぞれの持てる力をわかってるから、もう俺は人員配置だけに命かけてる。

九龍:声をかけた時点で指示はすべて済んでるわけだ。“松ばやし”のミュージックビデオもよかったよね。

坂口: 15年前の京都精華大学の教え子が映像作家になったから録ってもらって。

九龍:ちょっと『方丈記』のような趣きもある。鴨長明も音楽を嗜んだっていうし。

坂口:これも演出ゼロ、指示ゼロだからね。

音楽は記憶を思い出させる唯一の鍵

九龍:坂口恭平って表向きは「どこか人懐っこい人」っていうふうに見てる人もいるかもしれないけど、最終的には「人間なんていなくていい」みたいなビジョンがあるじゃないですか。

坂口:執着がないからね。そもそも「人を助けたい」って概念じゃないから。みんな真面目に特待生の野球部やっちゃってんだから、俺は記憶の洪水で溺れさせたいわけよ。運動場をむちゃくちゃにすればいいっていう発想よ。

だから「いのっちの電話」にかけてくる全員に言ってるのは、「会社を今すぐ辞めろ」ってことだけだから。で、俺が代わりに会社に「あの、兄ですけど」って電話しちゃってんだから。

九龍:三文芝居(笑)。今そういう代行業、仕事でやってる人もいるんだよ。

坂口:あ、本当に? 結局、『日本昔ばなし』的には、いじわるじいさんが全部これを金にしようとするっていう。

九龍:で、バチが当たる。たしかにみんな「思いだせ」って(笑)。でもお金も貰わずにそこまで世話を焼く人もなかなかいないと思うよ。

坂口:その時に、常に立ち返るのが音楽で。なぜならば、音楽の記憶だけは消えないから。「土に戻ろう」ってのも、俺らの中で何の記憶もないわけ。しかし音楽によって、土とコミュニケーションを取ってた記憶を思い出させることができる。音楽は唯一の鍵だから、その音楽を元に俺は活動しているのかもしれない。

九龍:音楽の重要度、かなり高いね。

坂口:でもだって4歳のときに作った<♪こばやん、こばややややん>をこばやんが覚えてるわけだから。

九龍:親友の小林くんを励ますために作った歌ね。このエピソードについては、僕が編集した坂口恭平の『幻年時代』(2013年)を読んでほしいところだけど。

坂口:30年ぶり会ったやつがそんなの覚えてないでしょ、普通。そいつがメロディーを覚えちゃってるわけだから。「半端ねえな、音楽」って思ったわけよ。歌詞さえあれば、旋律思い出すってもうやばいじゃん。

九龍:でも確かに、子供のときに歌ってた童謡とか校歌とか、案外すぐ歌えたりするもんね。

坂口:俺、そういうことをやろうとしてるからね。今の勝負じゃないし、もう死後ぐらいのイメージ。死後、絶対聴かれるだろうっていう。もう膨大な数の音源をちゃんと残しちゃってんだからさ。

坂口恭平『永遠に頭上に』を聴く(Apple Musicはこちら

リリース情報
坂口恭平
『永遠に頭上に』

2020年9月9日(水)発売
料金:2,200円(税込)
PECF-1181

1. 飛行場
2. 松ばやし
3. 霧
4. 露草
5. TRAIN-TRAIN
6. 海底の修羅

プロフィール
坂口恭平
坂口恭平 (さかぐち きょうへい)

1978年、熊本県生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。
2004年に路上生活者の住居を撮影した写真集『0円ハウス』(リトルモア)を刊行。以降、ルポルタージュ、小説、思想書、画集、料理書など多岐にわたるジャンルの書籍、そして音楽などを発表している。2011年5月10日には、福島第一原子力発電所事故後の政府の対応に疑問を抱き、自ら新政府初代内閣総理大臣を名乗り、新政府を樹立した。
躁鬱病であることを公言し、希死念慮に苦しむ人々との対話「いのっちの電話」を自らの携帯電話(090-8106-4666)で続けている。2012年、路上生活者の考察に関して第2回吉阪隆正賞受賞。2014年、『幻年時代』で第35回熊日出版文化賞受賞、『徘徊タクシー』が第27回三島由紀夫賞候補となる。2016年に、『家族の哲学』が第57回熊日文学賞を受賞した。現在は熊本を拠点に活動。2023年に熊本市現代美術館にて個展を開催予定。近刊に『苦しい時は電話して』(講談社現代新書)、『自分の薬をつくる』『cook』(晶文社)、『まとまらない人』(リトルモア)など。



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