「フジワラノリ化」論 第10回 荒川静香と谷亮子 其の五 まとめ:アスリートは美人でなければならないのか

其の五 まとめ:アスリートは美人でなければならないのか

スポーツバラエティ番組「ジャンクSPORTS」がこの3月を持って終了するという。女性選手を呼んでは、どうなの私生活は、と聞き出し、男性選手を呼んでは奥さんエラいベッピンらしいじゃないのと突っ込むダウンタウン浜田の切り込みは、スポーツ選手の裏側を表側にしてしまう企みがあった。美人選手だけを呼ぶ日があれば、美人奥様を呼ぶ日もあった。つまり、スポーツそのものの骨子から堂々と離れて、付加要素だけで番組を成り立たせていった。視聴者はそこに満足した。ビキニの浅尾美和が浜ちゃんとビーチバレー対決をしていればそれだけで喜んだし、野球選手の美人妻がなれ初めを語っていれば場が持った。この番組の存在はスポーツ番組の作り方をも揺るがしたと思う。つまり、淡々とその日あったスポーツの結果を伝えるだけではなく、何がしかのチャレンジ企画、そして私生活への興味、それらを結果報告の間に挟み込むようになった。週末に集中するその手のスポーツ番組を見れば、作られ方が「ジャンク的」になっていることに気がつくだろう。

さて、いよいよ冬季五輪が近い。一番の注目はやはりフィギュアスケートだ。浅田真央と安藤美姫がキム・ヨナにどう挑むのか。スキージャンプやスピードスケートの男性陣にいまいち期待が持てない分、冬季五輪は華々しさを持つ女性アスリートを中心に報じられていくだろう。浅田・安藤を基本に、モーグルの上村愛子、カーリングのチーム青森、スピードスケートの高木美帆あたりが、彩られて報じられていくはずだ。さすがに本番中ともなれば「ジャンクSPORTS」的な裏側・私生活の側面を素材にすることはないだろう。となると、キャスターとして頻出する荒川静香も、ある意味健康的な立ち位置に戻っての発言・所作が求められることになる。先輩金メダリストとはいえ、主役は今戦っている彼女達だから、いかようにして自分の立場をどれだけ黒子に出来るか、今一度、語りをスケートに絞った荒川静香の「戻り方」に、彼女の五輪以降が握られているはずだ。

美しい・美しくないという話を持ち出し、美しくないのではという結論を持ち出すと必ず「失礼だ」という意見をもらう。ファンにとっては貴方の意見には賛同し難いと。そりゃあそうだろう。ただそれでは論議にはなりえない。そちらの嗜好にすぎない。こちらはその嗜好も踏まえた上で多少強引なりとも論議にしようとしている。美醜の問題は、人それぞれだ。ある人が目をハートにして、この世で一番、と鼻息を荒くしても、周りにいる人は首を傾げたまま戻らなくしている場合も多い。世の中の、という括りを思わず多用してしまうが、何かに対する評価が定まるには、この世の中の判断がもっともダイレクトだ。世の中の判断を先んじて受け入れ肥大化させたのが荒川静香、自家発電で世の判断を統率しようとしたのが谷亮子、そのそれぞれを解析してみると、どうやら最終的には「美しい」という感触が純然とは残らないのだ。それをしっかりと明らかにしておきたかった。何の評価も無い人を指差して「ブスではないでしょうか?」と意見するのは失礼である。しかし、「美人である」と放任してしまった対象を本当にそうだろうかと探りを入れてみるのは失礼どころか丁寧であると思っている。

「フジワラノリ化」論 第10回 荒川静香と谷亮子

男性の「イケメン」「カッコいい」に比べて、女性の「キレイ」「可愛い」というのは、とりあえず挨拶代わりに使われる言語であるから厄介だ。今日はお天気がいいですねと同じテンションで、髪を切れば可愛いねと言い、新しい服を着ていけば似合ってるよと言い、結婚式の写真を見せればキレイだねと言う。どこまでが本音か、そもそも割合として少しでも本音が含まれているのか、そこから探りを入れなければならない。女性と話をしていると、どうやらそれが本音かどうかはすぐに分かるらしい。日頃からその探り合いをしていればおおよその事が分かるようになるのだろう。しかし、それが「世の中的に」とか「テレビで」とか、マスが主語となった上で「美人」だと伝わってしまうと、本人はいよいよ自分に向かうジャッジを怠るようになる。さすがに、「世の中的にそうならば」そうなのだろうと。しかし、世の中というのは、人それぞれの反応が単調に足し算された結果ではない。ある一部分を抽出して意見を強固にすることもできれば、放ったままにして無かったことにも出来る。単調な集積ではないことだけは確かなのだ。

その中で、美人女性アスリートという言葉が、どうにもひっかかっていた。容姿ではなく実績で評価すべきではという側面と、そんなに美人だろうかという側面が合わさって大きな疑問符を作っていた。荒川静香の引退後の振る舞いに、その2つの側面をふりかけてみた所、疑問符と同時に、荒川静香そのものの在り方がクリアに見えるような気がしたのだ。スポーツキャスターの枠は狭い。バレーボールの解説を大林素子、中田久美、益子直美、吉原知子の4人で争っているように、今後、フィギュアスケートのこの一枠に誰かが入り込んでくるとも限らない。何故かエイベックスに所属する村主章枝あたりが一枠を獲りにかかるかもしれない。キム・ヨナの五輪後引退が囁かれる中、五輪の結果次第では、安藤・浅田だってわからない。あと数年後にはキャスター側に座っているかもしれない。その時に、この「美人アスリート」という呼称を、自分でいかに咀嚼しているかは大きな案件に違いないのである。「その髪型かわいいね」とひとまず持ち上げる女子トイレの光景が、スポーツ界には生じがちだ。カギカッコで「スポーツ選手にしては…」と入るにも関わらず、「キレイだよね」「可愛いよね」と自分に向かう評定を切り抜いて美味しくいただいてしまう。これはちょっと危険なのだ。40歳近くになってマッチョに現役復帰したクルム伊達公子の行動には、引退しても尚、こうした評定からは逃れられないという苛立ちもあったのではないかと勝手な予想をする。スポーツ選手から実際のプレイを引くと、どうやら最近は、容姿とプライベートだけが残る。その計算式の回答に対して感度を高めてしまうと、あらぬ暴走を招く。暴走する運転手は、自分がどれくらいのスピードなのかを気付かずに、ひとまず乗り心地の良さを楽しむ。これは危ない。もうすぐ目の前にガケがやってくるかもしれないし、更なる速度で追い抜いていく誰かだって控えているかもしれない。しかし、チキンレースをしているわけではないのだから、視聴者は、どこまで耐えられるかを見てはくれない。即物的な我々は、オリンピックが終われば、その前のオリンピックの記憶を豪快に忘れてしまう。その時に、荒川静香が今のままの自己認識でいると、いよいよ世の中はそこについていく優しさを持っていられなくなるのではないか。だからこそ、この冬季五輪での彼女の、付加要素を剥いだレポートっぷりが重要になってくる。以上の議論をふまえて、その振る舞いを静観することとしたい。荒川静香は、ターニングポイントを迎える。



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