尾崎世界観から「何者」でもなかった自分へ 「逃げ道ばかり探していたら、ここまで辿り着いた」

音楽にとどまらず、文筆活動やラジオ出演など、幅広く活躍するクリープハイプの尾崎世界観。高校時代から音楽活動を始め、2001年にバンドを結成、2012年にメジャーデビューするまで長い下積み時代を送ってきた。

そんな尾崎が、新しい生活を始める社会人や学生たちを応援するFRISKのプロジェクト「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」に参加。かつての自分に宛てた手紙を綴ってくれた。

「挑戦するどころか、いつも逃げるのに必死だった」。手紙やインタビューを通して尾崎が紡いだ言葉は、一見すると「前向き」には見えないかもしれない。しかしそこにはたしかな力強さが宿っていて、悩みや苦しみを抱えながら、人はいかようにも自分の人生を切り開いていけるのだと感じさせられる。

「会社でちゃんと働いたこともない自分は、これからチャレンジする人たちにあまり偉そうに言えない」と話しながらも取材に応じた尾崎が、自身の歩みや考えてきたことについて、ありのままに語ってくれた。

「乗り越える必要すらないことを乗り越えられていなかった」 かつての尾崎世界観に宛てた手紙

―今回、あの頃の自分に手紙を、というオファーの上で手紙を書いてくださいました。こういった「あの頃の自分へ」みたいな企画って過去にも応えてこられたのではと思いますし、おそらく、この手のメッセージを出すのはあまり好きではないのではないかと思ったんですが。

尾崎:そうですね(笑)。でも、そのときの自分は好きなんですよね。小説とかでも何者でもない人がめちゃくちゃになっていく、みたいな作品ばかり読んでいたので。いま一応どうにかなって、音楽で生活できているからこそ、そのときの自分を面白がれるのかもしれません。

当時、バイト先でめちゃくちゃなことを言われたりしても、必ず何者かになって、テレビやラジオで笑い話にしようと思っていたので。こういう企画も、そのときから望んでいたことの一つです。

―してやったりですね。

尾崎:そうですね。目標にしていました。

拝啓あの頃の自分、元気でやっていますか。
こういう〈あの頃の自分へ送るメッセージ〉系の企画があると、決まってこんな風に投げかけたりするけど、何よりもそんなお約束を嫌うあの頃の自分、元気でやっていますか。
ずっとどうにもならなかったのに、なぜかどうにかなって、今こうしてあの頃の自分に手紙を書いている。
- - 手紙の序文。尾崎世界観直筆の手紙全文は4月11日(木)から下北沢BONUS TRACKで開催されるFRISK『#あの頃のジブンに届けたいコトバ展』で展示される。

―手紙の冒頭には「ずっとどうにもならなかったのに、なぜかどうにかなって」という言葉があります。だいたいはそれが「うまくいってない青春」とはあまり自覚していないものだと思うんですが、尾崎さんは当時から、この青春を生かさなきゃいけない、と思っていたんですね。

尾崎:そうするしかなかったんです。とても自分が成功するとは思えなかったですけど、でも、唯一いつか「逆転できるな」とは思ってたんですよね。自分に対して、これは逆転するための「振り」になっているんだぞ、と言い聞かせていました。

ただ、当時を振り返っても、やっぱり楽しかったですね。いま思えばめちゃくちゃだったけど、そのときはそのときで、嫌なことももちろんありましたけど、ちゃんとそれなりに幸せな瞬間もあった。だからあんまりいまと変わらないのかもしれません。悩んでいることのレベルは違いますが、そのときと同じような苦しみをいまも感じていますから。

―手紙のなかで「お約束を嫌うあの頃の自分」という書き方をされていました。この「お約束」って、たとえばクラスでいえば中心にいる人とか、ライブハウスで言えばトリを張ってるやつとか、そういう存在だと思うんですが。つねにそれを視界に入れながら、自分は違う、距離を取ってやるみたいなことを思っていたんでしょうか?

尾崎:そうですね。自分にはその戦い方はできないから、どうするかというのは探っていました。でも、多くの人たちから、自分は見えてすらいなかったと思うんですよね。

そもそも自分は乗り越える必要すらないところを乗り越えられていなかったんです。ほかの人からしたら、これは乗り越えるほどの段差ですらないところも段差だと感じていた。

「無駄なことをしたくない、チャプターがあるなら飛ばしたいという気持ち」で過ごした学生時代

―それこそ学校とか集団生活のなかでも、「みんなでこういうふうにまとまるものだ」という行事ってたくさんありますよね。手紙からはそういった同調圧力に抗いたい意思を感じますが、過去を振り返ってみて、そういったものに抵抗されたりはしてましたか。

尾崎:小学校の頃、サッカーをやっていたんですけど、一つのところに集められて、引率の先生についていくのが本当に嫌いでした。でも、嫌いすぎて、逆に従っていましたね。これを終わらせれば終わるんだからって。これは人生のなかで「奪われる時間」というか、最初から決まってる時間なんだと決め込んでいました。

息苦しさはもちろん感じていたけど、それに対してあえて逆らおうという気持ちもなかった。学生時代はもうずっとそう思っていましたね。とにかく済ませなきゃいけない、早く終わらせたいって。どうせ大人になるなら早くなったほうがいい、そこで結果を出すために無駄なことをしたくない、チャプターがあるなら飛ばしたいという気持ちがありました。

―そのために決められた空気に染まるのは好きじゃないけど、ひとまず染まってみる。

尾崎:そうですね。子どもの頃から、友達と遊ぶことに対してもそういう感覚がありました。「やっぱり公園で遊ばなきゃいけないのかな」「夏休みはプールに行かなきゃいけないのかな」って。遊んでいるようでいて、大人になんとなく決められたことをやっているし、それをこなしている感覚がありました。

―不思議ですよね。抵抗はしないのに、あとで「あれ、どうなんだろ?」と思うのって。

尾崎:大人はもっと楽しそうなことをやっているのに、みんななんでこんなに楽しそうなんだろうと思っていましたね。父親が仕事から帰ってきて、母親に今日こんなことがあったと話しているのを聞いて、面白そうだなって想像したりしてました。

ーそうすると、自分の外での振る舞いと、腹のなかに溜まっていくものの割合がおかしくなってしまいそうですね。

尾崎:だから、とにかくずっと考えてました。頭のなかで考えてることと、やってることと、やれることの三つの割合がめちゃくちゃで、違和感はずっと感じていました。でもだんだん余裕がなくなってくるんです。中学生ぐらいになってくると急に先輩が怖くなったりするじゃないですか。そこであまり妄想をしなくなった気がしますね。

―先輩が怖くなってきたから考える力が落ちたって、正直、なかなかダサいですよね。

尾崎:(笑)。いやもう、なんでこんな怖くなるんだろう、って。小学生の頃はそんな感じじゃなかった人が、こんな怖くなるんだと思って面白かったですけど。でも、これについても「こういう時期になったんだ」と冷静な感覚でしたね。

「できていないのに一応バンドではある、というのは悩みでもあった」

―「チャプターがあるなら飛ばしたい」と思いながら生活するなかで、夢中になれるものというか、尾崎さんが我を忘れる瞬間はなかったんですか。

尾崎:それが音楽だったんですよね。CDを買ったりレンタルしたりするのが嬉しかった。これで音楽を所有できるんだ、って。映画を観るのも好きでした。

中学の頃からずっと雑誌『ぴあ』を読んでいたんです。映画もライブもそう簡単に行けないので、ずっと想像していました。知らない映画の小さな場面写真から、これはどんな映画なんだろうか、おっ、こんなところにライブハウスあるんだ、みたいに。それを想像するのが楽しかったですね。

―そして、高校生の頃にバンド活動を始められました。よくご自身では怒りなどの感情をベースに曲をつくったり文章を書いたりしているとおっしゃっていますが、怒りの衝動みたいなものは、当時からもっとも重要な感情だったんですか?

尾崎:始めてしばらくしてからですね。バンドを始めた当初は「うまくできない」という感覚が一番最初にあって。ほかのメンバーのせいにしながら怒りを感じたりもしていたんですが、同時に、何かに守られながらやっている感覚もありました。

ただ、高校を卒業してから1年だけ製本会社で働いて、すぐに辞めてバイトをしながらバンドをやって。バンドをやるために働かなきゃいけなかったので。自分が仕事ができないせいなんですが、そうするといろんなことが起きて、身近にいる人たちへの悔しさもあったし、自分に対する怒りも湧いたりして、振り回されていましたね。

―うまくいってない自分に対する怒りや、なんでうまくいかないんだろうという感覚は、具体的にはどのようなものでしたか。

尾崎:ちゃんとバンドらしくならないというジレンマがありました。まわりの人たちはちゃんとバンドらしくなっていくのに、自分たちはどうしてかたちにならないのか。バンドを組むと、最初はいくつか曲をコピーしてその通りに演奏するんですけど、自分たちにはそのコピーをする技術がなくて。だから最初からつくってみよう、そっちのほうが早いと思い曲をつくり始めました。でもどうしたら曲として成り立つのかもわからないままやっていて、6〜7年はそんな状態で、24歳ぐらいからやっと曲になってきたなという感じでした。

ただ、それまで音楽以外にもいろいろなことをやっていたんですが、音楽は初めて、自分が「できてる」と言えば「できてる」ということになってしまうものだったんです。だからなんとなく続けられてしまっていて、できていないのに、一応バンドではある、というのは悩みでもありました。

逃げて、「裏道」からいまの場所まで辿り着くまで

―手紙のなかに、「成功者が通った安心安全の道を行くことを挑戦と呼ぶなら、やっと見つけた逃げ道から逃げ出すことだって、挑戦のカスくらいにはなるはずだ」とありましたが、「挑戦のカス」という言葉が印象的です。

尾崎:ずっとうまくいかなかったのにやめなかったのがすごい、と言われてきました。でもそれは「やめるのはもったいない」という意識が強くあったからだと思います。やめる理由ができそうになると、そこからあえて逃げるようにしてきました。

消去法で逃げ道ばかり探し続けていたら、裏道からここまでたどり着いた。それを気安く奇跡だなんて呼びたくないし、呼ばれたくもない。逃げるということは、やっぱりただただ恥ずかしいからだ。その恥ずかしさを噛み締めて、もう何の味もしなくなった頃、やっと何者かになれた。

すでに成功者が通った安心安全の道を行くことを挑戦と呼ぶなら、やっと見つけた逃げ道から逃げ出すことだって、挑戦のカスくらいにはなるはずだ。

誰かの足跡だらけの、汚れた正しい道より、まだ誰も知らない綺麗な逃げ道を探す。逃げて逃げて逃げまくった結果がこれなら、 捨てたもんじゃない。
-

―「逃げる」ことって、恥だとか良くないことと思われがちですが、尾崎さんの手紙からは、別に逃げてもいい、正攻法じゃなくてもいいじゃないかというメッセージを受け取りました。

尾崎:「逃げろ」というメッセージを積極的に出したいわけではないんですが、とりあえずいまは無理だから置いておくって、すごく大事だと思います。よくやっていましたね。最悪なときは、すぐに寝たり。眠くなってきて寝ちゃって、起きてからやったり、できないときは一旦置いて。それも逃げ道ではあるので。

自分が何もしてなくても、勝手にまわりや状況が変わっていくこともあるし、単純に人と会って喋るだけでも何か角度が変わったりする。自分としては、できないときに時間を置くことは多いですね。

―尾崎さんにとって、「裏道」からいまの場所まで辿り着いた突破口になったものは何だったんでしょうか?

尾崎:自分にとっては、いわゆる「下ネタ」と言われるようなものを真面目に歌う、ということだったかもしれないですね。それまで自分が聴いてきた音楽の中で、そういうことをコミカルに歌う人はいましたけど、真面目に歌っている人はいなかった。

それを許してもらえそうな感じのメロディにするのではなく、もっと真面目に、真剣に何かを伝えようとするような音でやってみたんです。そうしたらいままでと違う気がして、これは自分の一つの武器として持っておこうと思ったのがきっかけです。いまだに一面的な部分だけを切り取られることもあるんですけど。

やることがなくなってとりあえずやってみたら、たまたま違った感じが伝わるな、物語にちゃんとなるんだなと思った。いままで見せきれなかった部分まで立体的に見せられた気がして、一つの発見でした。それが20代前半くらいのときで、そこからどんどん「曲っぽく」なってきたという感覚があります。

―誰もやっていないことを見つけられたという感覚でしょうか。

尾崎:そうですね、そのときはそういう気持ちでしたね。

「自分が花火になったとしても、花火を見ていた頃を忘れたくない」

―この春から、新しい生活を始める人や、次のステップに進んでいく人も多くいます。尾崎さんはそういった段階にある人と接することも多いと思うんですが、何か感じるところはありますか?

尾崎:ラジオをやっていると番組にメールが届きます。自分のことを話してくれるメールをもらうと嬉しいので、こちらも真剣に考えて言葉を返すようにしていますね。何より安心するんです、悩んでいる人がいると。

いまの自分は、たとえ何か失敗してもそれをある程度は喜んでもらえる立場ですが、社会に出て会社で働くと、どうしても怒られてしまう場面が出てくる。だから、会社でちゃんと働いたこともない自分は、これからチャレンジしていこうという人たちに向けて、あまり偉そうに言えないなとも思っています。

―そうやって慎重な答えが返ってくるのが尾崎さんらしいですよね。尾崎さんがつくる曲には、背中を押す感じ、あまりないですよね。

尾崎:たしかに、あまりやらないようにしているかもしれないですね。これから何かに向かっていく人を前にすると緊張します。やっぱり、自分が正面から正しく、そこに向かえなかった人間なので。変なところから入って、変な感じでいまに至っています。

だから何かメッセージを求められるたびに、それがバレそうになる怖さがある。

―若者に向けたメッセージを求められても、スラスラ出てくるものでもない、という感じはありますか。

尾崎:励ます言葉を言い切ってほしいとか、いつも前向きな言葉を求めている人もいると思うんですが、たとえば音楽でいうと、そういうことがすごく伝わりすぎてしまう瞬間があるんですよね。もちろん伝えたいと思ってやっているんですけど、そこまでじゃないのに、めちゃくちゃ響いちゃってるなという。それは言葉だけじゃなくて、音としても入ってくるからだと思います。それはちょっと怖い部分でもある。

でもそれを求めてもらえること自体はとても嬉しいから、なるべく正直に話したいなと思っていまも話しているんですけど、やっぱり伝えるときは緊張します。そして、ちゃんといつも正しく緊張していたいと思うんです。

―尾崎さんがエッセイ集『泣きたくなるほど嬉しい日々に』のなかで、「いつからか、花火を見るよりも、花火になることを選んだんだ」と書いていて、とても素敵なフレーズだなと思いました。いま、花火を見る側から花火になろうとしている人もいるだろうし、花火の見え方を変えようと思っている人もいます。

尾崎:たとえ自分が花火になっても、花火を見ていた頃を忘れたくはないですね。同時に、いまは花火そのものになれているという感覚も大切にしたいし、それはすごいことなんだという自覚も持っていたいですね。

―今回の企画のために、クリープハイプの楽曲から1曲選んでもらいました。“イノチミジカシコイセヨオトメ”とのこと、どうしてこちらの曲を選ばれたのでしょう。

尾崎:さっきの話にもあったように、自分にとって一つの発見になった曲だからです。でも、中身はすごく恥ずかしい。メンバーがいなかったころ、弾き語りでライブをやる予定があって、眠れなくて朝方まで曲をつくっていたら、歌詞もメロディもすぐにできたんです。そのままその日のライブでやると、お客さんはガラガラだったけど、友だちのバンドマンから「あの曲なに?」と聞かれて、そのときもしかしたら何か変わったのかなという感覚がありました。自分の恥ずかしい部分であり、大事な部分でもあるので伝えたいと思いました。

―今日のインタビューでも感じましたが、尾崎さんはつねに恥じらいと向き合いながら悩み続けている印象です。悩みと付き合っていく方法って何かありますか。

尾崎:悩みが好きなんですよね。悩みがなくて、夜も早く寝ちゃう人とは喋れないんですよ。何を喋っていいかわからないですね。

―寝ながら悩む人はいないので、起きているから悩むんでしょうね。

尾崎:そうですね。

―FRISKを食べて寝るな、悩もうよ、考えようよ、ってことでいいんでしょうかね。

尾崎:はい(笑)。

イベント情報
「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」presented by FRISK

新たな一歩やチャレンジを前向きに踏み出すことを応援するFRISK「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」では、11組のアーティストやタレント、クリエイターが「あの頃」の自分に宛てた手紙を執筆。

手紙の内容について、CINRAやJ-WAVE、me and you、ナタリー、NiEW、QJWebでインタビューやトークを掲載中。

直筆の手紙全文は4月11日(木)から下北沢BONUS TRACKで開催されるFRISK『#あの頃のジブンに届けたいコトバ展』で展示される。
リリース情報
2024.4.17(水) 配信リリース

“喉仏” クリープハイプ

現メンバー結成15周年イヤーとなる2024年最初のリリースとなる本楽曲は、MBS/TBSドラマイズム『滅相も無い』主題歌としても起用されている。ドラマのテーマを歌詞に落とし込みつつ、軽快な曲調が映える楽曲となっている。
プロフィール
尾崎世界観

1984年東京都生まれ。2001年結成のロックバンド「クリープハイプ」のボーカル・ギター。2012年、アルバム『死ぬまで一生愛されてると思ってたよ』でメジャーデビュー。小説家として執筆も行い、2016年に初小説『祐介』を上梓。中篇小説『母影』は第164回芥川賞候補作に選出された。

■衣装クレジット

ジャケット、パンツ(KHONOROGICA/https://shop.kics-document.jp)

ビンテージのTシャツ(Pigsty原宿店/ https://www.pigsty1999.com)



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