映画監督の大島渚が肺炎のため死去、享年80歳

映画監督の大島渚が、1月15日に肺炎のため神奈川・藤沢市内の病院で死去した。享年80歳。

1932年生まれの大島監督は、1954年に京都大学法学部卒業後、松竹大船撮影所に入社。1959年に映画監督デビュー作『愛と希望の街』を発表した。1960年に『青春残酷物語』で『第1回日本映画監督協会新人賞』を受賞し、「日本におけるヌーヴェルヴァーグの旗手」と賞賛されるが、同年の作品『日本の夜と霧』の上映中止を巡って松竹を退社。その後映画製作プロダクションを自ら設立し、『第31回カンヌ国際映画祭』で監督賞を受賞した『愛の亡霊』をはじめ、『愛のコリーダ』『戦場のメリークリスマス』など数々の作品を製作した。1996年に脳出血で倒れ、治療やリハビリを経て遺作となる『御法度』を1999年に完成。『御法度』公開後は病状が悪化し、以後は夫人である小山明子とのリハビリ生活を送っていた。

また、映画監督としての国際的な活躍以外にも、評論家、テレビなどでの辛口なコメンテーターとしても精力的に活動した。2000年に紫綬褒章を受章、2001年にはフランス政府からフランス芸術文化勲章を受賞している。

(画像上:大島渚、画像中:大島渚監督『愛の亡霊』より、画像下:大島渚監督『戦場のメリークリスマス』より)

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