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        <title>連載・コラム</title>
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        <language>ja</language>
        <copyright>Copyright 2010</copyright>
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        <item>
            <title>『消えた男の日記』 第六回</title>
            <description><![CDATA[<p>7/14<br>
　窓からは夥しい数の羽虫が入ったり出たりしている。特にまとわりついてくるでもなく飛行に専念している。眺めていると色んな種類が入り乱れている。大小のハエのような肢体の丸っこいものや、これも大小様々な羽蟻。これは窓枠にとまってせわしなく行ったり来たりしている。窓の外では琥珀色の景色をバックに、微小な羽虫が群れとなって浮遊して移動している。<br>
　キャラメルの強い匂いが漂ってくる。エメラルドグリーンと青の緩慢な図形が規則的に重なりあう絨毯を眺めた。砂が絨毯の生地に染み込んでいるせいで、足を動かすと靴の裏が擦れてザラリと音をたてる。どろっとしたコーヒーとも茶とも判別のつかない飲み物を飲みながら、いつか観た光景だと思ったが、それが錯覚であることは確かなことだ。<br>
　ホテルのロビーは特異な活気に溢れていた。この茹だるような暑さのせいで沸き上がるはずの蒸気のかわりに、表情のないざわめきが漂っている。行き交う人は誰も自分に関心を持たなかった。植物の葉のような眼で、それは妙な安心感を湛えている。</p><br>

<p>　昨夜、空港を降り、滑るようにバイクタクシーに乗り込むと、そこには町があった。<br>
　太陽が低いところから照りつけるせいで、石造りの近代的な建物は暗いオレンジ色でべったり染まっていた。歩く影の周りをオレンジ色の液体が膨張したまま絶えず動いているようだった。<br>
　通りに人影は殆どなく、町全体が店じまいを始めたような雰囲気だった。<br>
　布の下ろされた店が並ぶ広場の中心部にホテルはあった。絨毯敷きのロビーには暗いシャンデリアが蜜のようにぶら下がっている。フロントには誰もいないようだったが、ベルの前に立つとそれまで屈んでいたと思われる人影がカウンターの下から静かに現れた。<br>
　浅黒い整った顔のボーイはチェックインのあいだ、表情も無くこちらを視ていた。様子をうかがうというよりは後方10メートルほど先を見ているように見えたので、シートへの記入を終えると何気なく振り返ってみた。<br>
　そこには２基の回転扉があり、その隙間を縫うように夜の光がブラッドオレンジ色のゼリー状となって建物のなかに侵入を試みようとしていた。その液体とも固体ともつかぬ存在はひとつの回転扉につき両側からそれぞれ押し寄せている。そのせいで力学的に拮抗状態にある扉は回転することができずにガタガタと震えている。<br>
「あなたもトマホークを観に来たのか」<br>
「え？」<br>
ボーイのほうに振り返るともう口を開いてはいない。確かに声は彼の口のほうから聴こえたのである。<br>
「いまなんて？」<br>
ボーイは申し訳ないが言葉がわからない、というふうに首を振った。ここは違う国、言葉が通じないのだ。その間にもゼリー状は色を血のような赤に変えて、もはや押し寄せている。いっそう扉を激しく震わせ、隙間から絨毯を湿らそうとしている。しばらくのあいだそれを眺めていた。とても静かだった。他には宿泊客はいないのだろうか。<br>
「投擲(とうてき)の季節はもう始まっている」<br>
ボーイはもうそこにはおらず、スーツケースを転がして格子の引き戸のついた旧式のエレベーターに乗り込もうとしていた。<br>
<br>
　昼頃、エレーベーターを使わずに階段でロビーに降りてくると、昨夜とはうって変わった光景が広がっていた。階段の中段から見下ろすとそこは砂埃が薄明な雲海のように輝いて層をつくっていた。無数の人の頭がそこから突き出しかき混ぜるように行き来している。頭の数に比べて人の声はほとんど無く、食器のぶつかる音や、コーヒーメーカーのチェインソーのように唸る音がむしろ際立って聴こえてきた。<br>
　とりあえずラウンジの隅、比較的ハレーションの少なそうな、だが外を見晴らせる窓際のほうに席をみつけた。体は疲労していた。テーブルにつき、壁に頭を持たせかかると羽虫に飛行が近くで、遠くで、見えた。それは巨大な室内プールに三々五々飛び込むヘルシンキの水泳選手のように見えた。</p><br>

<p>7/18<br>
　ベッドに横になっていると、どこかで誰かが歌うのが聴こえた。声の感じからすると４０代くらいの女性のように聴こえる。窓から身を乗り出して姿を探すが、見当たらないので定かではない。<br>
　同じメロディーの反復で構成されているが、子守歌にしては性急すぎるし、鼻歌にしては重厚である。勝手に歌詞をつけてみた。</p><br>

<p>『楽しい呪いは投げられた<br>
エイブラムス　エイブラムス<br>
私の心臓のラジオ、チューニングしてくださるかしら？</p><br>

<p>まんまる憂いが膨らんだ<br>
ダヴィデ　ダヴィデ　ダヴィデ<br>
私の本棚のロデオ、悦びにかえてくださるかしら？</p><br>

<p>苦しい宴の大団円<br>
アビガイル　アビガイル<br>
私の淫らなメトロノーム、止めてくださるかしら？』</p><br>

<div class="titleListBox">
<div>
<ul>
<li><a href="http://www.cinra.net/column/people-nikki1.php">『消えた男の日記』 第一回</a></li>
<li><a href="http://www.cinra.net/column/people-nikki2.php">『消えた男の日記』 第二回</a></li>
<li><a href="http://www.cinra.net/column/people-nikki3.php">『消えた男の日記』 第三回</a></li>
<li><a href="http://www.cinra.net/column/people-nikki4.php">『消えた男の日記』 第四回</a></li>
<li><a href="http://www.cinra.net/column/people-nikki5.php">『消えた男の日記』 第五回</a></li>
<li><a href="http://www.cinra.net/column/people-nikki6.php">『消えた男の日記』 第六回</a></li>
<li><a href="http://www.cinra.net/column/people-nikki.php">『消えた男の日記』　目次ページ</a></li>
</ul>
</div>
</div>]]></description>
            <link>http://www.cinra.net/column/people-nikki6.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">『消えた男の日記』</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">波多野裕文（People In The Box）</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">連載</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 12 Mar 2010 13:22:32 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>『消えた男の日記』</title>
            <description><![CDATA[<p>『彼は日記をつける。彼は日記をつける。日記を、彼はつける。</p>
<p>日記は、彼がつける。日記をつける彼は、日記をつける。</p>
<p>日記は、彼につけられる。日記は、彼をつける。</p>
<p>日記は彼を、つける。彼はつけては、つけられる。</p>

<p>彼の、日記は、つけられる。彼は日記に、つけられる</p>
<p>彼は日記に、つけられる。つけられる。</p>
<p>・・・目を、注ぎ込む。存在しない過去、未来、あってはならない</p>
<p>目を、注ぎ込む。存在しない過去、未来、あってはならない現在。</p>
<p>この日記の凡庸さときたら、もはや目を、注ぎ込むしか、』</p><br>

<div class="readTxtBox">

<h4><img src="http://www.cinra.net/interview/../images/title_information.gif" alt="information" width="450" height="18" /></h4><br>

<img src="http://www.cinra.net/news/images/20091215_people_1.jpg" width="120" style="float:right;">
<p>People In The Box<br />

『Sky Mouth』</p>
<p>2010年2月17日発売<br />
価格：1,200円（税込）<br />
CRCP-10243</p><br>
<p>1. 生物学<br>
2. 天使の胃袋<br>
3. 冷血と作法</p><br>
  <p class="amazon-btn"><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B002YW7AXC?ie=UTF8&tag=cinra-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=B002YW7AXC" target="_blank"><img src="http://www.cinra.net/news/images/amazon.gif" alt="amazonで購入する" width="104" height="14"></a></p>
<!-- /readTxtBox --></div>]]></description>
            <link>http://www.cinra.net/column/people-nikki.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">pickup</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">『消えた男の日記』</category>
            
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">連載目次ページ</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 12 Mar 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>CINRA MAIL MAGAZINE連載コラム『全裸』</title>
            <description><![CDATA[<p>考える必要のないことと考えなくてはならないことの境目なんて分かってますよ、っていう顔をされると、分かってないなぁこいつ、と思う。喜怒哀楽のどれも、分かりきってないからこそグラつくのであって、毎週毎週、脈略の無い飛びっぷり。が、しかし、その飛びっぷりは一貫しているので、週刊メルマガをアーカイブ化してもらっております。</p><br>

<p>※この連載はCINRAのメールマガジンに掲載されているコラムのバックナンバーになります。最新号はCINRAのメールマガジンからご覧ください。</p>

<p><a href="http://www.cinra.net/mailmagazine/">メールマガジン登録：CINRA.NET</a></p>]]></description>
            <link>http://www.cinra.net/column/zenra.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">CINRAメルマガコラム『全裸』</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">武田砂鉄</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">連載目次ページ</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 05 Mar 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>CINRA MAIL MAGAZINE連載コラム『全裸』2010年1月配信分（vol.257〜260）</title>
            <description><![CDATA[


<ul class="titleList">
<li>vol.257　ふんわりおひめさま(2010/1/4)</li>
</ul>

<p class="entryRIMG"><img alt="全裸" src="http://www.cinra.net/mail_mag/img/10/01/zenra257.jpg" width="220"  /></p>

<p>あと4日で1年が終わろうとするラーメン屋の店内となれば、やはり総括しにかかる仲間達で溢れている。書店員と思しき2人組が書店内の人物査定に励んでいた。新しく入ってきたアルバイト2名に対する課長の評価はこうだ。「俺は、一生懸命努力して50点の奴より、不真面目で70点の奴を評価する。何故ならここは学校じゃないからだ」。部下はそれに頷いていた。「おいっ、俺のビールがまだ来てないよ」と、店員ではなく、ひとまず部下を責め立てる感じを見ていると、厄介な奴なのであろう。隣で独りタンメンをすすりながら、この人物査定法は果たして正しいのだろうかと考えていた。</p><br>

<p>無論、正しくはない。不真面目による減点と真面目による加点が結果的に20点もの差を持ったまま成り立ってしまう職場は、おそらく現場管理者すなわち課長の手に寄って改善すべき点を大いに抱えているに違いないのだ。そして、この発言から汲み取れるのは、課長である自らには相当甘い点数を投じているであろうってことで、自分は95点、あともう一歩でパーフェクトな課長、それなのにアイツらは、とラーメン屋に部下を巻き込んで麺をすするのだ。どうしてだ、この時点で点数ジャッジに及ぶキミと部下とアルバイトの構図に、疑問は涌かないのかい。</p><br>

<p>何故ならここは学校じゃないからだ、というのも気になる。そして、気に障る。では、ここはどこだというのか。ラーメン屋だ。それか、書店だ。んで、そこはどこなのか。学校は努力を必要以上に汲み取るが、努力を冷徹に見捨て、即座に結果を求めるのがここだ。だから、そこはどこなのだ。部下が、それが社会ってもんですもんね、と課長の機嫌を取った。なんだそれは。しつこいぞ、私は。ところで社会って、どこにあるのか。「社会ってそういうもんだから」という断定をする輩には、頭が悪いフリをして、ええと社会ってそもそもどこにあるんですか、と聞いてみると良い。それでも聞く耳持たなければ、大江戸線経由でしたっけ、それともやっぱりJRで行ったほうが近いんでしたっけ努力には、と、いよいよ怒らせてしまって構わない。</p><br>

<p>大味に対する味覚が甘くなっている。社会とか世界とか、希望とか夢とか或いは悪とか、ものすんごく漠然とした、ただし大きいスケールだと決まり込んでいるものに関して、疑いを持たなくなっている。課長が、自分が引き上げなければならない目の前にある50点と70点を、仕上がった結果として査定してしまえるのは、自分が「社会」を知っていて、その社会の文脈におさまらないのであれば、過程はどうあれ排除されるべきだと彼が決め込んでいるからだ。だからこそ聞きたいのだよ、ところで社会ってどこにあるのか。学校とは違うらしいが、社会はどこにあるのか。</p><br>

<p>ゼロ年代が終わって気付くことは、正にその「ゼロ年代」という言葉がそうだったのだけれども、カテゴライズを急かす時代だったということだ。ある枠組みの中に押し込んで消化出来ればその枠に馴染ませ、馴染まなければ異端化させて、結果的に枠組みを語る手助けとする。かなり好都合な仕組みだった。要するに、自分側の主語を大きめにしておけば、小さめのものに負けることはなさそうだという安全策から論が練られていく。発言を補填する為にヴォリュームを上げていくという手法が通じないようにしたい今年なのだが、どうだろうか。ラーメン屋で唸る課長を前に心配は募る。</p><br>

<p>そんなもんで今年もここでお世話になります。社会とか世界とか、あやふやな大味は用いません。今日、薬局で通りかかったオムツ売り場で「ふわりおひさま」を「ふんわりおひめさま」と間違えて読みました。でもそのとき、もしかしたら「ふんわりおひめさま」の方が売れるんじゃないかと思ったのです。……こういう話を、今年も重ねていきます。</p>


<p>=====</p>

<!-- /entryLImgBox --></div>

<div class="columnBodyTxtBox">

<ul class="titleList">
<li>vol.258　色々とあったことの色々具合(2010/1/12)</li>
</ul>

<p class="entryRIMG"><img alt="全裸" src="http://www.cinra.net/mail_mag/img/10/01/zenra258.jpg" width="220"  /></p>

<p>＊小学生の会話が聞こえてきて、「淡々、そう、淡々と」と繰り返し声に出していた。これはマズい、とさすがに思った。この悟りっぷりは危険水域だと。入りたての小学生が、このまま高学年となり、中学生となる。きっと、その先まで彼らには見えていて、「淡々と日々をこなしていけば何とかなる」と確かめ合うスクールゾーン。詳しい中身を聞いておく必要にかられて、自転車の速度を緩めてみた。彼らはカスタネットを持っていた。なんとなくのリーダー格が主導権を握っている。「タンタタン、そうそう、タンタタンって」。発表会の練習のようだ。みんなのタンタタンをひとつにまとめあげる為に、必死に声を張り上げている。寒さの中で手がかじかんでいる。それを「淡々とだなんて」と嘆いてみせた自分を嘆く。</p><br>

<p>＊かしこまったOLが朝から彼にハート付きのメールを送りまくっている様子を覗き込んでは、「ということは、そのカバンに刺さっている日経新聞は嘘ではないか」と問いかけてみたい代々木駅だったのだが、OLはそうならないように、例の、携帯保護シートやらを貼り付けていて、こちらはちっとも楽しくない。ハートマークに違いないメールをそそくさと打ち終わると、株式情報を斜め読みしている。どうしてそんなに厳しい表情をしているのだろう。何が、降り掛かっているんだろう。痴漢を防止するとかってんじゃなく、あらゆる対人との関係性を門前払いで吹っ飛ばそうとしている。
</p><br>

<p>＊調べものの必要性にかられて、公的な図書館へ出向いた。常備されているパソコンで記事の検索をし、該当する雑誌書籍を受け取り、別のフロアへ持っていきコピーを依頼するという面倒な過程を経てようやく必要な資料が手に入る。一度にコピー出来る枚数も著作権法で定められていて、10冊100頁までと決められている。とりわけこういった場所は、例外を嫌う。誰かの110枚をオッケーにした途端、110枚が基準となり、そのうち120枚を狙い始める。そうさせないために、スタッフは毅然とルールを遵守する。前の人が、医者の学会論文が100枚を超えていたようで、ダメですと戻されている。彼は不満顔だ。ここまで30分は拘束されている。またそれを繰り返さなければならない。ところで自分は、８つの雑誌をドカンと差し出して、多分100枚くらいですねと言い張ってみた。澄まし顔でお姉さんは電卓を打った。表示には「102」とある。出直しか。そしたらそのお姉さんは、いきなり破顔して「102枚は許容範囲ですっ」と言った。「です」ではなく「ですっ」だった。法律を超えた笑顔、この貴重さ。</p><br>

<p>＊「釣りバカ日誌」が終わってしまった。テレビでやっていれば観るけどね、という輩が多すぎることに腹を立てて、10年前から全て劇場で観てきた。隣り合うオバ様から団子を貰ったこともあった。ポップコーンの匂いに包まれる映画館のはずが、漂ってきたのは、いなり寿司とかんぴょう巻きの匂いだった。つまり、花見の後、みたいな匂いがした。始まる前の告知映像が、過剰に音を上げるハリウッド大作にさしかかると、オバ様たちは、「キャー、音がデカいわねえ」と、さらに大きな声で仰け反った。ようやく静まって松竹映画の富士山がワイドに広がると、みんなが途端に、安心しきった顔をした。静まった中に、空になったプラケースを輪ゴムで巻いている音が響いてしまう。とっても好きになれる瞬間がスクリーンの内外からやってくる映画だった。</p>


<p>=====</p>

<!-- /entryLImgBox --></div>

<div class="columnBodyTxtBox">

<ul class="titleList">
<li>vol.259　カネてから気になっていたこと(2010/1/18)</li>
</ul>

<p class="entryRIMG"><img alt="全裸" src="http://www.cinra.net/mail_mag/img/10/01/zenra259.jpg" width="220"  /></p>

<p>政治とカネの問題が指摘されているけれど、この場合の「カネ」はどうしてカタカナが多いのだろうかと考え始めた。物事を茶化そうとしているのだろうか。「政治と金」より「政治とカネ」のほうが、札束が飛び交っている感じがする。「いいから、だまって、これをとっておけ」「そ、そんな」「遠慮すんな」「は、はい」「おい、この野郎、床に頭つけて礼したって、もう出てこねえよ」というような安っぽいドラマが展開されていく。</p><br>

<p>やっぱカネっしょ、と言い張る女子高生の目が泳いでいる。親に愛されなかった自分を慰めてくれるのはカネしかない、と彼女は言う。そんなことは無いよ、人の温もりってもんをキミは知らないんじゃないかと誰かが言う。ほら、キミの目は泳いでいるじゃないか、本当に愛されるってことを知らないんじゃないのかい。うん、そうなの。ようやくわかってくれる人が現れたのかもしれない。カネなんて、道具でしかない。あれに、感情は無いの。そんな映画を観た。なんだかなあ。</p><br>

<p>いいのよいいのよ、こないだのパスタランチだって横山さんが出してらしたじゃないの。それを言うなら坂本さんこそ自治会の秋祭りの打ち合わせの後に行った喫茶店で珈琲ご馳走になったじゃないの、こちらよ払わなきゃいけないのは。テーブルの上を、千円札が行き交っている。受け取らない、もう一方も受け取らない。繰り返している。「ちびくろサンボ」ではトラがグルングルン回ってバターになってしまうが、この場合、このオバサマ達は何に溶けるのか。毛染め液か。</p><br>

<p>お金じゃ買えない価値がある。というCMがある。いけ好かないが、イイ感じ仕上げられたCMだ。急に気付いた。そういえばあのCMってその後に「買えるものはカードで」と言う。これってどういうことなのか。お金だけに縛られてしまっては、大事なものを見失ってしまうんじゃないのかと諭した後で、カードで買おうと言う。御存知、見失うのは、カードのほうだ。「プライスレスかと思わせてしまう」のが、カードだ。30年ぶりに行った夫婦二人だけの温泉旅行、プライスレス。しかし、それに行かずに失った機会費用としてのパート代、14000円。忘れさせるためにはカードで。</p><br>

<p>結局はカネなのか、これは小沢一郎だけでなくともあらゆる場面で言われてしまう言葉だ。だけど本当にそうなのか。真心が一番、なんて、クサいことは言わんよ。あれは四番目くらいだ（暫定順位）。カネって、物事を簡略化しつつ複雑化する。その中心人物となっているだけで、大した表情を持っていない。香里奈の大根芝居のほうが、幾分表情があるよ。いやそれはどうかな。出口の無い愚論が、270円均一の居酒屋で続いていく。「何皿でも頼んじゃうよね」と僕が漏らしたのは、もう6回目くらいだ。おカネを気にしているらしい。</p>


<p>=====</p>

<!-- /entryLImgBox --></div>

<div class="columnBodyTxtBox">

<ul class="titleList">
<li>vol.256　皿割りとカバン持ち(2010/12/21)</li>
</ul>

<p class="entryRIMG"><img alt="全裸" src="http://www.cinra.net/mail_mag/img/10/01/zenra260.jpg" width="220"  /></p>

<p>ところで最近ムカつく事は、と聞き取りにくい地下鉄の中で聞かれたので声を若干張り上げて2つあると答えた。1つ目は、外食する場所で店員が食器類を落とした際に即座に放つ「失礼しましたー」だ。ガッシャーンと音がしたと同時にそこら辺にいた店員が一斉に反応して声を上げる。かつて、ひとまず親に謝ってみて「謝ればイイってもんじゃないの」と返され、ではどうすればいいのかと悩んだ経験を誰しもお持ちだとは思うが、それとこれは違う。むしろ親の立場に近い。そう、「謝ればイイってもんじゃない」だろう。沢山の皿を運んでいれば皿を落として割ることだってある。そこを厳しく問いつめる気はないし、「おい、なに割ってんだよこの野郎」と誰かが激高する光景に出くわしたことも無い。破片がシーフードパエリアの中に入り込んで貝殻なのか破片なのか分からなくなったらさすがに謝罪を強要するかもしれないが、厨房で割った皿について公的な謝罪を求める気など更々ない。謝られる筋合いがないのだ。それでもなおあちらは遠くで「失礼しました」と叫んでいるのだから、こちらに及ぼした悪影響とは何か、を無理に考えていけば、それは大きな音を出してしまったからと落ち着かせることができる。そうすっとだね、矛盾が生じるよね。大きな音を出したことを謝る為に店員皆が声を合わせて「失礼しましたー」と大声を再度上げるという行為は、謝るどころかそちらが予想するこちらの不快の増幅にあたらないだろうか。大きな音を出してすみませんと、大きな声で謝るのだ。「謝ればイイってもんじゃない」と遮った親がこちらに何を求めていたか。「なぜ謝らなければならない事態に陥ったのかを考えろ」と、沈思黙考を促したではないか。全くもって、親は正しい。皿割り店員と周りの「失礼しましたー」合唱隊は、もう一度親からの問いかけを思い起こすべきだろう。</p><br>

<p>あと1つはなんですかと問われ、そこら辺を見渡すとたまたま該当者がいたので、小さく指差した。男が女の小さなバッグを持ってあげているという、あの珍奇な優しさの発露についてである。男は、小さなバッグまで持ってあげる優しさ、という顔を晒している。女は、小さなバッグまで持ってくれる優しさ、という視線を注いでいる。重い荷物を持ってあげるのが男性ってもんという前提が今この時代に成り立つのかどうかは分からない。男性に荷物を持ってもらうなんて絶対嫌と誓う女性も多いだろう。しかし、体の作りもある。米を買ったなら、冷蔵庫を貰ったなら、古本を買い漁ったなら、それを持ってあげるくらいのことはしよう。しかし、ケータイと化粧ポーチと文庫本くらいしか入っていない小さなバッグを、なぜ男が持たなければならないのか。二重の苛立ちが生じる。先ほど記した通り、持って上げているぜという男と持ってくれてるのという女の、ラブラブの合致。その合致がバッグの持ち方／持たれ方によって示されていると信じ込むお二人の誇らし気な所作。</p><br>

<p>ちょっとこれよりイイ事言いますよ、私。愛情を示すのに、そういう簡単なアイテムに投影させるのはいささか軽薄ではないか。ラブラブ濃度を示すためにわざわざ終電間際の改札でベタつくカップルがいるが、あそこまでイレギュラーな環境に置かれなければラブ濃度を高められないなら、そもそも高くないと考えてみてはいかがだろう。軽いバッグを持つか持たないかでラブを交歓させる怠けた風景に、拾った雑誌を詰め込んだ大きな袋を担いだ浮浪者の姿が飛び込んできた。彼氏、そっちを持ってやれよ。モテるぞ。</p>


<p>=====</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">CINRAメルマガコラム『全裸』</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">武田砂鉄</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">連載</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 04 Mar 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
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        <item>
            <title>『タロウサイファイ宇宙の旅』</title>
            <description><![CDATA[ <p align="left">無数のエフェクターを駆使した未来的サウンドで、まるで宇宙空間を疑似体験しているかのようなダンス・ロックを発明し、「ロックの宇宙船」とまで評される3ピース・バンド、avengers in sci-fi（アベンジャーズ・イン・サイファイ）。12月2日に満を持してメジャー・デビューを果たした彼らの新作タイトルはズバリ『jupiter jupiter』。よりアグレッシブに、よりロマンティックに進化した新作の制作秘話も気になるところだが、普通のインタビューは他のメディアにお任せして、CINRAではギター＆ボーカル・木幡太郎（以下タロウ氏）と共に宇宙を感じる場所へ行ってみよう！　というわけで始まったこの連載。全3回の予定です！お楽しみに。
    <!-- /readTxtBox -->
  </p>
  <br />
<!-- /readTxtBox --></div>
<div class="readTxtBox">

<h4><img src="http://www.cinra.net/interview/../images/title_information.gif" alt="information" width="450" height="18"></h4><br>

<img src="http://www.cinra.net/column/avengers/images/01/jupiter.jpg" alt="avengers in sci-fi『jupiter jupiter』" width="160" height="160" style="float:right;">
<p>avengers in sci-fi<br />
  『jupiter jupiter』<br />
  2009年12月2日発売<br />
  価格：1,890円(税込)<br />
  VICL-63479 / Victor <br />
  <br />
</p>
<p>1. Universe Universe<br />
  2. Hyper Space Music<br />
  3. Ursa Minor<br />
  4. Radio Earth<br />
  5. Monkey Bites The Sun <br />
  6. Symphony Of The End</p>
<br>
  <p class="amazon-btn"><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B002PF3BHM?ie=UTF8&amp;tag=cinra-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=B002PF3BHM" target="_blank" class="hatena"><img src="http://www.cinra.net/news/images/amazon.gif" alt="amazonで購入する" width="104" height="14"></a></p>]]></description>
            <link>http://www.cinra.net/column/avengers.php</link>
            <guid>http://www.cinra.net/column/avengers.php</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">CINRA編集部</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">『タロウサイファイ宇宙の旅』</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">連載目次ページ</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 26 Feb 2010 19:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>『消えた男の日記』 第五回</title>
            <description><![CDATA[
<p>7/10<br>
　昼、ベランダの扉を少し開けると、暖かい風が少しだけ部屋に侵入してきた。空が黄色に染まっていた。誰かが大気に酒を流し込んで、二日酔いを起こさせたみたいだ。ここずっと降り続いてしかしいつの間にか上がった雨を思い出す。梅雨明けというにはあまりに翳りのある太陽。降り続いた雨はいつしか地面に吸い込まれ、醸造され、夜のあいだに立ち上っていく。そして今日、街はブランデーに浸かり、そのなかを鳥が3羽、読点のように浮かんでいる。</p><br>

<p>　、、、</p><br>

<p>　忘れ去られた設計図のようなものを追いかけているのだろうか。そもそもその設計図は最後まで書かれたのだろうか。走るペンシル。書くそばから消されていく線。<br>
　レコードを1枚とってプレイヤーに載せた。溝を滑る針の音を聴くためにぐんぐんレベルを落としていくと遂には音楽は聴こえなくなった。<br>
　『思考は実存しない建築物である』という言葉を思い出す。どれほどの建築物が忘れ去られたのだろうかと考えてみても、忘れ去られたもののスケールを計ることはどうしてもできなかった。ベランダの外から隣家のテレビの音が聴こえてくる。テレビのなかの人の声はあまりに大きい。肉体の動きが無限に増幅され、声帯の中心に、真昼の月が昇る。<br>
　おそらく、原型を留めぬまでに破壊されてしまえばよかったのだ。ハンマーによって粉々に粉砕され、念入りに叩き潰され、目には見えない埃のようになってしまえばよかったのだ。だが、もしかするとその粉々にされた無数の塵はどこかでまた集結し、想像の及ばない形で存在を成したのかもしれず、それは手つかずで置き去りにされたものの成れの果てとして目の前に今姿を現そうとしているのではないかという思念もまた沸き上がる。<br>
　無限に増幅されるものばかりの世界。しかしそれは投影されたスクリーンによって客席に座ったものに向けて見せつけられているだけのものである。椅子に着席した人々は既にスクリーンから目をそらすことはできない。観客は笑ったり、怒ったり、泣いたり、悲しんだりする。一定の間隔でコーラとポップコーンが投入され、惑星はギシギシと不器用に歯車を巻いて動きを続けるのである。<br>
　投影される光源を追って映写室を見上げると、そこにはひとりの男が立っている。看守服を身にまとってこちらを見下ろしている。波打つ光りを放つ映写機の横に立っている。観客のだれも彼に気付いてはいない。逆光で顔は見えないが、その一点から眼が離せなくなってじっと見つめているうちに、増幅されるものの影に、収縮していくものの存在を感じた。<br>
　それは塵ほどに微細で、隠れてすらいない。子供の頃に目を痛めて行った眼科のことを思い出す。角膜に小さな金属片が刺さっていたと医者に説明された。<br>
　サイズとはなんだろうか。角膜に刺さった金属片はいまどこにあるのだろうか？<br>
　走る溝をなくしたレコード針が絶叫しはじめた。<br>
　汗が背中をつたい、椅子を濡らしはじめている。ボールペンの床に落ちた音が爆撃のように耳をつんざき、背後では扉が獅子舞の口のように開いたり閉まったりする。こちらを嘲っているのか、苛立っているのか。その両方かもしれない。</p><br>

<p>7/12<br>
 封筒のなかには、パスポートと航空券が1枚だけ入っていた。スーツケースに着替えを詰めて空港に向かった。部屋の鍵をかけたあと、鍵をどこへしまえばいいかわからなかったので郵便受けに入れた。携帯電話は一応持って出たものの、空港のトイレの洗面台に置いてきた。ロビーで受付を済ませ、待合室の椅子に腰掛けた。<br>
　ふと仰いだ、巨大でゆるやかなドーム状になった透明の屋根の向こうには昨日までとはうって変わって青空がべっとりと貼り付いている。高く青い天井と白く輝く床のあいだを、無数の足音が渾然一体となって乱反射する。<br>
　あるとき知り合いの女が言っていたことを思い出す。<br>
「天国っていうものがあるとしたら、それは空港のロビーみたいな場所じゃないかって。そう、天国はね、天井がとっても高いの。高過ぎて空と間違ってしまうくらい。ううん。それは決して空ではないの。天国に空は無いのよ。だって、空があったとしたら、現世となんの違いがあるの？それって悲しいと思わない？」</p><br>

<p>　搭乗し、シートにもたれかかるとすぐに睡魔に襲われた。人は少なく、空席がやけに目立った。永遠かと思われるほど長い離陸準備からやっとのことで激しいジェット音が轟き、飛行機は地上を離れた。と同時に落とし穴にはまったように唐突に体が眠りに沈んでいった。</p><br>

<div class="titleListBox">
<div>
<ul>
<li><a href="http://www.cinra.net/column/people-nikki1.php">『消えた男の日記』 第一回</a></li>
<li><a href="http://www.cinra.net/column/people-nikki2.php">『消えた男の日記』 第二回</a></li>
<li><a href="http://www.cinra.net/column/people-nikki3.php">『消えた男の日記』 第三回</a></li>
<li><a href="http://www.cinra.net/column/people-nikki4.php">『消えた男の日記』 第四回</a></li>
<li><a href="http://www.cinra.net/column/people-nikki5.php">『消えた男の日記』 第五回</a></li>
<li><a href="http://www.cinra.net/column/people-nikki.php">『消えた男の日記』　目次ページ</a></li>
</ul>
</div>
</div>]]></description>
            <link>http://www.cinra.net/column/people-nikki5.php</link>
            <guid>http://www.cinra.net/column/people-nikki5.php</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">『消えた男の日記』</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">波多野裕文（People In The Box）</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">連載</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 12 Feb 2010 13:22:32 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>CINRA MAIL MAGAZINE連載コラム『全裸』2009年12月配信分（vol.254〜256）</title>
            <description><![CDATA[<ul class="titleList">
<li>vol.254　何故、わらわらと集うのか(2009/12/7)</li>
</ul>

<p class="entryRIMG"><img alt="全裸" src="http://www.cinra.net/mail_mag/img/09/12/zenra254.jpg" width="220"  /></p>

<p>凄い人のことを「あの人凄いよね」とか、最近目立ってきている人を「最近目立ってきているよね」と評価するような、自分は一歩も動かない採点マンのような人たちが苦手だ。若者たち、と書こうとしたのだが、となると自分もなんとなしにその中に含まれてしまいそうなので、人たちとして、ひとまず逃げてみた。その人が凄いのは、その人が凄いからであって、凄い凄いと持ち上げられることで初めて凄くなったわけではない。140字以内でつぶやくのも何がしかの欲を解消させる手段になってきているようだけども、機会（機械）を与えられた人たちが、それなりにふんぞり返って、あいつは凄い、こいつはイマイチと、診断報告に臨む姿はいたたまれないものがある。</p><br>

<p>30代後半だとか40代にさしかかったあたりの評論家や批評家に共通する風景とは、その当人を信奉するかのように、当人より10歳くらい下の支持者が群がってささやかなコミュニティを形成し、恥ずかしがる素振りもせず集団移動をさらけ出す姿である。誰々さんと知り合い、みたいな話が最も嫌いなもんで、あの人知ってるの、に対して、あっ私も、とやり合っている空気の中に置かれると、空気の吸い方からして分からなくなる。周りの人たちがまるでここは酸素バーよとばかりに気持ちよくしているから尚更だ。評論家や批評家として40歳前後というのは若い部類に入るから、その分非難も受けやすいのだけれども、それよりも問題は、その周辺にこびりついている20代後半じゃなかろうか。</p><br>

<p>何故わらわらするのか。よりカッコ悪い言い方をすると、近い世代の著名人にどうして媚びるのか。そういうことばっかりしているから、僕という主語を、誰の許諾も得ずに僕らに変換して、世代を背負った顔して艱難辛苦を連ねたりするんじゃないのか。そんなに、辛くないよ。苦しくないよ。面倒なことは多いけど、大丈夫だよ。誰か象徴的な手の届きそうな人がいる。そこに、「『僕』を『僕ら』にすることでしか『僕』を輪郭化できない人」が無責任な礼讃をふっかけていく。スケールがどんどんと小さくなっていくことへ、危機感は無い。むしろ、その収縮によって、具体的に近くなってきたように感じるもんだから心が躍ってしまっている。一員だ、という思い込みが僕と僕らの並列を許容させる。</p><br>

<p>団塊の世代を批判する、それより下の40代後半から50代の話って、愚痴と嫉妬の応酬を世代論や経済情勢に強制変換だけで、その空虚っぷりたるや、いたたまれない場合が多い。おれらはあいつらと違うから、と言い続けて、赤いちゃんちゃんこの寸前まで行くのかい。でも、この現代の「わらわら」についても、同じような結末というか途中経過を生むんじゃなかろうか。一見ポジティブに見えるけど、わらわらと集っているだけなのだ。借りてきた意見を複数形にして、僕らと言う。それは、アイツらが日本をダメにしたと立ち呑み屋で吠えるサラリーマンにすら到底及ばない。</p><br>

<p>何故、わらわらと引っ付くのだろう。深刻な顔をした討論なりに通底する、一定のコミュニティにいるという安堵感の体たらくが、いよいよ許せなくなってきている。</p>


<p>=====</p>

<!-- /entryLImgBox --></div>

<div class="columnBodyTxtBox">

<ul class="titleList">
<li>vol.255　なぜ市橋はかき揚げを喉に詰まらせたのか(2009/12/14)</li>
</ul>

<p class="entryRIMG"><img alt="全裸" src="http://www.cinra.net/mail_mag/img/09/12/zenra255.jpg" width="220"  /></p>

<p>新宿東口のクレープ屋の隣のそば屋で岩のりそばを食べていたら、市橋容疑者によく似た男性がかき揚げうどんを食べていた。これはもしかしたら市橋かもしれない。観察しておこう。あまり凝視すると勘付かれるかもしれないから、前歯に岩のりをつけるくらいの茶目っ気を見せておいた方がいいだろう。器にこびりついていた岩のりを手にやり前歯につけてみる。どうにも、おさまりが悪い。大きすぎる。舌で岩のりを回収して歯で半分に割り、その半分を舌先に置いて前歯に貼付けていく。上手くいった。これで、警戒心を解くことができるだろう。市橋の整形後の顔は何度も見た。ひょうたんに落書きしたような顔だ。かき揚げうどんを食べる彼は、急いでいる。かき揚げを2つに割り、その1つを一口で食べようとして、喉を詰まらせている。そのとき、顔がひょうたんみたいになった。うわ、これ、市橋だ。やべえ、市橋だ。後々、取り調べで彼は言うだろう。あの時、かき揚げうどんを食べていたのが通報者で、岩のりそばを食べていたのが僕だったら、気付かれることはなかったんでしょうね、と。 </p><br>

<p>ちょっと待てと言う声がする。市橋は既に逮捕されているのにそんなわけはないだろうなんて言うんじゃないだろうな。違う。そうか。では何だ。かき揚げを食べたらひょうたん顔になったということは、かき揚げを食べさえしなければ彼はひょうたん顔ではなかったということにはなるまいか。その忠告には正直口ごもった。確かに彼の言う通りだったからだ。しかし、ひょうたん顔でないからといって市橋でないと証明されたわけではない。新たな仮説が必要だ。市橋はこちらが思う以上に巧妙だった。彼は整形手術後の証明写真を、咄嗟の判断でロールパンを口に入れた状態で撮ったのだ。この写真がそのうちに流布しても実際はひょうたん顔ではないのだから、自分だと気付かれる可能性は低くなる。警察はその写真を手に入れた途端、整形前の顔を無かったかのように、街中のひょうたん顔を探しまわるだろう。 </p><br>

<p>一時的にでもひょうたん顔になることをおそれていた彼が、どうしてかき揚げの2分の1サイズを一口で食べようとしたかって？　まだ分からないのか、君は。彼は、かき揚げを汁に浸して食べるのを好まなかったんだ。半分に割ろうとした時、彼は勢い余ってその殆どを汁に浸してしまった。彼はとても焦っていたね。かき揚げの魅力は、汁が浸されることで半減する、彼はそう考えるタイプだった。揚げたものを浸してネチョっとさせる、その状態が生まれたら、彼にとってかき揚げは、もはや、うどんへの障害物に他ならない。かき揚げを割るとき、サクッと割れるポイントを彼が見つけてさえいれば、自分が市橋だとバレることは無かったのかもしれないのに。彼はずっとそのかき揚げを恨み続けるだろう。俺はあそこのかき揚げを許さないからな。店のオッサンも言うだろう、バッキャロー、こっちこそ願い下げだよ、と。ただなこれだけは覚えておきな、オッサンが言い捨てる。おれはここで43年間もかき揚げ作り続けてるんだよ。おまえさんさ、2年半逃げ回ったくらいで、偉そうな顔しちゃいけないよ。</p><br>

<p>師匠も走る師走に、平民は更なるハイスピードランを強いられておりまして、岩のりそばを食べながらここまで頭を柔軟にさせることで逃避して、持ち場に戻るのであります。</p>


<p>=====</p>

<!-- /entryLImgBox --></div>

<div class="columnBodyTxtBox">

<ul class="titleList">
<li>vol.256　サイレントあおい的思考(2009/12/21)</li>
</ul>

<p class="entryRIMG"><img alt="全裸" src="http://www.cinra.net/mail_mag/img/09/12/zenra256.jpg" width="220"  /></p>

<p>地下鉄構内にある、ホームから線路をまたいだ壁側の広告モニターに、宮崎あおいが無声映像で、地下鉄の宣伝に励んでいた。このかわいさはどうしたものだろうか。これから地下鉄に乗ろうとしているのに、「わかった、地下鉄に乗りに行くよ、必ず」と決意させる強度がある。気が付くと、電車待ちをする皆々が宮崎あおいに視線を注いでいた。まじまじとその顔を見た。皆、穏やかな顔をしていた。光の遮断された忙しない夕刻の時間帯に、人はあまりこの顔をしない。もう一件取引先に寄ってから直帰しようとするOLも、受注ミスを謝罪に行き会社へ戻る途中のサラリーマンも、美術館をはしごしてケーキセットをほおばったばかりのオバ様も、今月の授業料の振込がヤバいことになってる予備校生も、皆、穏やかな顔をしていた。国民的に愛される、という枕詞があるけれども、これのことかと、実像を目に入れた気がした。</p><br>

<p>就職活動が早々に始まっているようだ。ノートにびっしりと何を書き込んでいるのか覗き見すると、座標軸のようなものに、根気、皆をまとめる能力、社交性、一か八かで勝負に出る、などと書いてある。根気は座標軸の下のほうにある。他は比較的上にある。根気は無いが、一か八かで勝負に出ることはできるようだ。なかなか稀なケースである。勝負に失敗した彼は、根気の無さゆえにジメジメ落ち込むのだろうか。厄介だ。面接を乗り切る上で重要と思しき所にはカラーペンで着色がなされている。線を引きすぎて、どこが肝心だったのか、散漫としている。とにかく彼は、人望と、その上で更に一か八かの勝負が出来るという自分のセールスポイントを、そのノートで確認していたようだった。</p><br>

<p>前に出る、目立つ、活躍する、という在り方が、より表層的になっている。それは何も淡々と伝統工芸を守る職人芸を愛でるべきだという方面の話題にしたいんではなくって、例えばこの学生の座標軸における話だ。体を張って人と接し、泣き、笑い、人に慕われ、もしかしたら誰かからは嫌われ、でも一貫しているのは、裸で、本音で、勝負できること……というような、全てをさらけ出すことが良しとされ、それが人物としての熱量に比例していく人物設計への評価高は、珍奇にうつる。その「さらけ出し」が不発に終わると、グズグズと愚痴り、ジメジメと沈んでいく。本音、というものが、裸の状態でなければ出せないと思っている輩が多くないか。着込んでも本音は出せる。視界良好の本音だけを望むと、最終的に寒風に晒されるのはその当人だ。しかも、その寒風に耐える抗体が無いくせに。そこに裸族が寄ってたかって正義感を重層的に畳み掛けると、宗教じみた結託が生まれる。そこで、涙、するらしい。勘弁して欲しい。</p><br>

<p>宮崎あおいがあの時どうしてあそこまで穏やかな視線をもらいつづけたのかを考え尽くした。それはサイレントだったからではないかと、結論を導いた。つまり「宮?あおいですっ。地下鉄にどうのこうの！」と喋り出したら、各々が宮崎あおいの魅力に突き進んで行くことは無かったのではないか。情報が欠けることで、自分の理解でその人の内部に入り込んでみることができる。これって、コミュニケーション作法の盲点じゃないかという気がする。自分の全情報を看板に掲げて売り出すのが、真の友情であったり、真のビジネスマンシップだったりする、らしい。でもそうじゃないでしょうと、2009年の総括のように、僕は思うんである。隠して備蓄して培養する魂胆が、人の余白を作る。表層的な塗り絵に勤しむ方々にクレヨンを配り歩く上っ面の器用さはもう要らないかもねぇと、宮崎あおいのサイレントに思うのでありました。</p>


<p>=====</p>]]></description>
            <link>http://www.cinra.net/column/zenra0912.php</link>
            <guid>http://www.cinra.net/column/zenra0912.php</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">CINRAメルマガコラム『全裸』</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">武田砂鉄</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">連載</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 04 Feb 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「フジワラノリ化」論　第10回　荒川静香と谷亮子　其の五　まとめ：アスリートは美人でなければならないのか</title>
            <description><![CDATA[<ul class="titleList">
<li>其の五　まとめ：アスリートは美人でなければならないのか</li>
</ul>

<p>スポーツバラエティ番組「ジャンクSPORTS」がこの3月を持って終了するという。女性選手を呼んでは、どうなの私生活は、と聞き出し、男性選手を呼んでは奥さんエラいベッピンらしいじゃないのと突っ込むダウンタウン浜田の切り込みは、スポーツ選手の裏側を表側にしてしまう企みがあった。美人選手だけを呼ぶ日があれば、美人奥様を呼ぶ日もあった。つまり、スポーツそのものの骨子から堂々と離れて、付加要素だけで番組を成り立たせていった。視聴者はそこに満足した。ビキニの浅尾美和が浜ちゃんとビーチバレー対決をしていればそれだけで喜んだし、野球選手の美人妻がなれ初めを語っていれば場が持った。この番組の存在はスポーツ番組の作り方をも揺るがしたと思う。つまり、淡々とその日あったスポーツの結果を伝えるだけではなく、何がしかのチャレンジ企画、そして私生活への興味、それらを結果報告の間に挟み込むようになった。週末に集中するその手のスポーツ番組を見れば、作られ方が「ジャンク的」になっていることに気がつくだろう。</p><br>

<p>さて、いよいよ冬季五輪が近い。一番の注目はやはりフィギュアスケートだ。浅田真央と安藤美姫がキム・ヨナにどう挑むのか。スキージャンプやスピードスケートの男性陣にいまいち期待が持てない分、冬季五輪は華々しさを持つ女性アスリートを中心に報じられていくだろう。浅田・安藤を基本に、モーグルの上村愛子、カーリングのチーム青森、スピードスケートの高木美帆あたりが、彩られて報じられていくはずだ。さすがに本番中ともなれば「ジャンクSPORTS」的な裏側・私生活の側面を素材にすることはないだろう。となると、キャスターとして頻出する荒川静香も、ある意味健康的な立ち位置に戻っての発言・所作が求められることになる。先輩金メダリストとはいえ、主役は今戦っている彼女達だから、いかようにして自分の立場をどれだけ黒子に出来るか、今一度、語りをスケートに絞った荒川静香の「戻り方」に、彼女の五輪以降が握られているはずだ。</p><br>

<p>美しい・美しくないという話を持ち出し、美しくないのではという結論を持ち出すと必ず「失礼だ」という意見をもらう。ファンにとっては貴方の意見には賛同し難いと。そりゃあそうだろう。ただそれでは論議にはなりえない。そちらの嗜好にすぎない。こちらはその嗜好も踏まえた上で多少強引なりとも論議にしようとしている。美醜の問題は、人それぞれだ。ある人が目をハートにして、この世で一番、と鼻息を荒くしても、周りにいる人は首を傾げたまま戻らなくしている場合も多い。世の中の、という括りを思わず多用してしまうが、何かに対する評価が定まるには、この世の中の判断がもっともダイレクトだ。世の中の判断を先んじて受け入れ肥大化させたのが荒川静香、自家発電で世の判断を統率しようとしたのが谷亮子、そのそれぞれを解析してみると、どうやら最終的には「美しい」という感触が純然とは残らないのだ。それをしっかりと明らかにしておきたかった。何の評価も無い人を指差して「ブスではないでしょうか？」と意見するのは失礼である。しかし、「美人である」と放任してしまった対象を本当にそうだろうかと探りを入れてみるのは失礼どころか丁寧であると思っている。</p><br>

<p class="maxImg"><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100118_norika_5.jpg" alt="「フジワラノリ化」論　第10回　荒川静香と谷亮子" width="450" height="422"/></p>

<p>男性の「イケメン」「カッコいい」に比べて、女性の「キレイ」「可愛い」というのは、とりあえず挨拶代わりに使われる言語であるから厄介だ。今日はお天気がいいですねと同じテンションで、髪を切れば可愛いねと言い、新しい服を着ていけば似合ってるよと言い、結婚式の写真を見せればキレイだねと言う。どこまでが本音か、そもそも割合として少しでも本音が含まれているのか、そこから探りを入れなければならない。女性と話をしていると、どうやらそれが本音かどうかはすぐに分かるらしい。日頃からその探り合いをしていればおおよその事が分かるようになるのだろう。しかし、それが「世の中的に」とか「テレビで」とか、マスが主語となった上で「美人」だと伝わってしまうと、本人はいよいよ自分に向かうジャッジを怠るようになる。さすがに、「世の中的にそうならば」そうなのだろうと。しかし、世の中というのは、人それぞれの反応が単調に足し算された結果ではない。ある一部分を抽出して意見を強固にすることもできれば、放ったままにして無かったことにも出来る。単調な集積ではないことだけは確かなのだ。</p><br>

<p>その中で、美人女性アスリートという言葉が、どうにもひっかかっていた。容姿ではなく実績で評価すべきではという側面と、そんなに美人だろうかという側面が合わさって大きな疑問符を作っていた。荒川静香の引退後の振る舞いに、その２つの側面をふりかけてみた所、疑問符と同時に、荒川静香そのものの在り方がクリアに見えるような気がしたのだ。スポーツキャスターの枠は狭い。バレーボールの解説を大林素子、中田久美、益子直美、吉原知子の４人で争っているように、今後、フィギュアスケートのこの一枠に誰かが入り込んでくるとも限らない。何故かエイベックスに所属する村主章枝あたりが一枠を獲りにかかるかもしれない。キム・ヨナの五輪後引退が囁かれる中、五輪の結果次第では、安藤・浅田だってわからない。あと数年後にはキャスター側に座っているかもしれない。その時に、この「美人アスリート」という呼称を、自分でいかに咀嚼しているかは大きな案件に違いないのである。「その髪型かわいいね」とひとまず持ち上げる女子トイレの光景が、スポーツ界には生じがちだ。カギカッコで「スポーツ選手にしては…」と入るにも関わらず、「キレイだよね」「可愛いよね」と自分に向かう評定を切り抜いて美味しくいただいてしまう。これはちょっと危険なのだ。40歳近くになってマッチョに現役復帰したクルム伊達公子の行動には、引退しても尚、こうした評定からは逃れられないという苛立ちもあったのではないかと勝手な予想をする。スポーツ選手から実際のプレイを引くと、どうやら最近は、容姿とプライベートだけが残る。その計算式の回答に対して感度を高めてしまうと、あらぬ暴走を招く。暴走する運転手は、自分がどれくらいのスピードなのかを気付かずに、ひとまず乗り心地の良さを楽しむ。これは危ない。もうすぐ目の前にガケがやってくるかもしれないし、更なる速度で追い抜いていく誰かだって控えているかもしれない。しかし、チキンレースをしているわけではないのだから、視聴者は、どこまで耐えられるかを見てはくれない。即物的な我々は、オリンピックが終われば、その前のオリンピックの記憶を豪快に忘れてしまう。その時に、荒川静香が今のままの自己認識でいると、いよいよ世の中はそこについていく優しさを持っていられなくなるのではないか。だからこそ、この冬季五輪での彼女の、付加要素を剥いだレポートっぷりが重要になってくる。以上の議論をふまえて、その振る舞いを静観することとしたい。荒川静香は、ターニングポイントを迎える。</p><br>


<div class="titleListBox">
<div>
<ul>
<li><a href="<$MTBlogURL$>norika10-1.php">其の一　「スポーツしてるくせに美人」とはどういうことか</a><a href="http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.cinra.net/column/norika10-1.php" target="_blank" class="hatena" ><img src="http://b.hatena.ne.jp/entry/image/normal/http://www.cinra.net/column/norika10-1.php"></a></li>
<li><a href="<$MTBlogURL$>norika10-2.php">其の二　荒川静香を「美人」と呼ぶのは誰なのか？</a><a href="http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.cinra.net/column/norika10-2.php" target="_blank" class="hatena" ><img src="http://b.hatena.ne.jp/entry/image/normal/http://www.cinra.net/column/norika10-2.php"></a></li>
<li><a href="<$MTBlogURL$>norika10-3.php">其の三　谷亮子の女らしさとの付き合い方を再考する</a><a href="http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.cinra.net/column/norika10-3.php" target="_blank" class="hatena" ><img src="http://b.hatena.ne.jp/entry/image/normal/http://www.cinra.net/column/norika10-3.php"></a></li>
<li><a href="<$MTBlogURL$>norika10-4.php">其の四　荒川と谷、勝間と香山、幸せとは何か</a><a href="http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.cinra.net/column/norika10-4.php" target="_blank" class="hatena" ><img src="http://b.hatena.ne.jp/entry/image/normal/http://www.cinra.net/column/norika10-4.php"></a></li>
<li><a href="<$MTBlogURL$>norika10-5.php">其の五　まとめ：アスリートは美人でなければならないのか</a><a href="http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.cinra.net/column/norika10-5.php" target="_blank" class="hatena" ><img src="http://b.hatena.ne.jp/entry/image/normal/http://www.cinra.net/column/norika10-5.php"></a></li>
<li><a href="http://www.cinra.net/column/norika10.php">第10回　荒川静香と谷亮子　目次ページ</a></li>

</ul>
</div>
<!-- /titleListBox --></div>]]></description>
            <link>http://www.cinra.net/column/norika10-5.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">フジワラノリ化論　第5回優香</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">武田砂鉄</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">連載</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 27 Jan 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「フジワラノリ化」論　第10回　荒川静香と谷亮子　 祝・冬季五輪！ 「美人アスリート」の境目を探究する</title>
            <description><![CDATA[<p>藤原紀香について考えた事があるだろうか。</p>

<p>「スタイルがいいよね」とか「カッコいい女の代表よね」とか、そういう事ではない。何故、あの人はあの立場でいられるのか、という視座からの思考である。藤原紀香と結婚したお笑い芸人・陣内智則を、世の男子は羨ましがったらしい。本当にそうだろうか。むしろ、陣内と結婚した事実によって膨れ上がったのは、藤原紀香というブランドではなかったか。結婚して2年、藤原紀香は離婚した。しかし、その盛大な取り上げられ方こそ、相乗効果で得をしたのは誰かを物語っていた。 </p><br>

<p>こういう芸能人、すなわち、なんでこの人こんなにテレビ出られてんのという芸能人を「フジワラノリ化」と名付ける事にした。月に一人、徹底的にその人物を書き尽くす。普段語られないがゆえに、その芸能人の決定的論考を目指す。フジワラノリ化、野放しにしてはいけません。</p><br>

<p><a href="http://www.cinra.net/column/norika9.php">CINRA.NET > フジワラノリ化論　第9回　石橋貴明</a><br>
<p><a href="http://www.cinra.net/column/norika8.php">CINRA.NET > フジワラノリ化論　第8回　堂本剛</a><br>
<p><a href="http://www.cinra.net/column/norika7.php">CINRA.NET > フジワラノリ化論　第7回　辻希美</a><br>
<p><a href="http://www.cinra.net/column/norika6.php">CINRA.NET > フジワラノリ化論　第6回　土田晃之</a><br>
<p><a href="http://www.cinra.net/column/norika5.php">CINRA.NET > フジワラノリ化論　第5回　優香</a><br>
<a href="http://www.cinra.net/column/2009/01/20/150000.php">CINRA.NET > フジワラノリ化論　第4回　関根麻里</a></p><br>

<p>※この連載はCINRA MAGAZINE vol.17〜vol.19に掲載された連載の続編になります。過去の連載は下記リンクからご覧ください。</p>

<p><a href="http://cinra-magazine.net/vol.17/link/043.html" target="_blank">CINRA MAGAZINE vol.17　第1回　渡辺満里奈</a></p>
<p><a href="http://cinra-magazine.net/vol.18/link/046.html" target="_blank">CINRA MAGAZINE vol.18　第2回　中山秀征</a></p>
<p><a href="http://cinra-magazine.net/vol.19/link/055.html" target="_blank">CINRA MAGAZINE vol.19　第3回　軽部アナ</a></p>]]></description>
            <link>http://www.cinra.net/column/norika10.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">フジワラノリ化論 第7回辻希美</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">武田砂鉄</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">連載目次ページ</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 27 Jan 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「フジワラノリ化」論　第10回　荒川静香と谷亮子　其の四　荒川と谷、勝間と香山、幸せとは何か</title>
            <description><![CDATA[<ul class="titleList">
<li>其の四　荒川と谷、勝間と香山、幸せとは何か</li>
</ul>

<p>昨年末から激化している勝間和代と香山リカの論争は、簡略化すれば、女は女として頑張るべきとする勝間と、性別がどうのじゃないし、そもそも頑張らない、しがみつかない生き方もありだとする香山による、久々に巻き起こった「女性の生き方」論争である。酒井順子の負け犬論争以来となるこの論争の醍醐味は、負け犬論争が「結婚」「子持ち」という「置かれた＜状態＞」の議論だったのに対し、「努力」「自立」という「臨む＜態度＞」に焦点が置かれている所にある。態度である以上、その程度は当人がはかる。勝間和代という目標があれば、そこを目指す。自分が今どの地点にいるかと査定するのはもちろん自分で、その評価をどうにも上げることが出来ずに追い込まれて病んでいき精神科医のもとを訪れる、そんな患者さんが（精神科医である）香山のもとに多くやってくるようになった、というのである。自分がああでなければならないと思う像がハッキリと分かっているのは、幸福なように見えて、そうならなかった時の反動は残酷な結果を招く。香山が自著「しがみつかない生き方」で「＜勝間和代＞を目指さない」という項目を用意し、勝間和代を目指す女性の在り方を批判、「AERA」誌上で2人が対談するなど、この論争は激化していく。対談本「勝間さん、努力で幸せになれますか」が刊行されたが、噛み合わないですよねという前提の確認作業をひたすら続けている。</p><br>

<p>この本に、一カ所、勝間和代を勝間勝代と誤記している箇所がある。思わず笑ってしまった。何故ならば、アクティブに前進する彼女を言い表すのに勝間勝代はピッタリだからだ。勝間和代が普段何をしている人か知らない。そもそも1つの職業を持っている人ではない。ともかく、頑張っている人だ。頑張って一番になろうとしている人だ。そのための努力を惜しまない人だ。合理的に時間を使い無駄を省く人だ。これまで、「日経WOMAN」誌で憧れられる女性といえば、バリバリのキャリアウーマンと決まっていた。新商品を開発しただとか、海外のプロジェクトを成功させただとか、社会とは男社会であるという前提をむしろ男性以上にクラシックに用意した上で、その社会で成功出来るんですと喧伝する姿だった。しかし、勝間和代はそうではない。とにかく凄いのではなく、何だか凄いのだ。つまり、先立つ役職などを持たずに、程度の凄さでモノを言わせるのである。</p><br>

<p>勝間和代はいつのまにか、「美」を語るようになった。香山との対談の中で、美人かどうかについて「アバブアベレージ（平均以上）であればいいです」と語っているように、ひとまず「美」において平均以上のポジションにあることに疑いを持っていない。しかし、最初はそうではなかった。メディアに出始めた頃の著書や映像を見てくれれば分かるが、むしろ野暮ったさを親しみやすさに変換していた記憶がある。昨年末に、アイドル撮影ばりの照明とPC補正に助けられたとしか思えない華麗な写真を表紙にした著書「結局、女はキレイが勝ち」を刊行した。自分の容姿がキレイだと断定はしないものの、色々な演出によって自分は女でいられていると、輝いていることを肯定していく。香山リカが、必要以上に自分は何の取り柄も無いと自分を落としこむ反動もあって、勝間和代がひとまず「美」の方面に置かれていく。その結果、自分からその「美」を動かし始めたのである。さすがに、勝間ファンにとってもこの鞍替えには驚いたようで、ネット書店のレビューなどでは冷静なジャッジが冷酷に書き込まれている。</p><br>

<p class="maxImg"><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100118_norika_4.jpg" alt="「フジワラノリ化」論　第10回　荒川静香と谷亮子" width="450" height="479"/></p>

<p>勝間和代は経済評論家、公認会計士として注目され、著書を見てみても当初は決算書、時間投資法、銀行論などについて書き記していたが、ある途端から「断る力」「まねる力」といった人生訓にスライドしていった。分かりやすいアイコンを求める世の需要は勝間和代に集中した。そこでの放任が、「結局、女はキレイが勝ち」を生む。ここまできて、ようやく読者は、勝間和代に対する違和感を体に覚えるのである。本人も酷である。自分は経済評論の部門で出てきたってのに猛スピードで目標に値する人物に設定され、専門外であっても人生訓を求められる人材へと変化を求められて、それに合わせてみた。そしたら、やりすぎだと世間は言う。なかなかどうして難しいものである。</p><br>

<p>荒川静香が金メダルを獲り現役を退いたあと、当然ながらメディアは、人生訓に近い精神的メッセージを強いた。古傷のケアをどう治してただとか、ジャンプの踏み込みのタイミングをどうやって安定化させたのかなどという話を一切求めなかった。引退によって凄い人に仕上がった彼女に求められるのは、プレッシャーに立ち向かうためにとか、スランプの脱出法だとか、精神面で汎用性を持つヒントを欲しがった。荒川はそれに答えた。まるで、みなさんもこのようにすれば、という枕詞をつけられるような言動を重ねた。そしたら「日経WOMAN」が選ぶ「ウーマン・オブ・ザ・イヤー　2007」の特別賞を獲った。もうこうなると、ジャンプの踏み込みは問われなくなった。壁にぶつかった時にどうやって乗り越えていくかというような問いに明答できるかが重要になったのだ。</p><br>

<p>勝間和代と荒川静香の流れは似ている。しかしそれはこの2人がたまたま似ていたというのではなく、テレビに頻出する女性、それも異世界のジャンルから飛び込んできた女性に対しては同じ道が敷かれているのかもしれない。専門分野をひとまず飲み込んでそれに飽き始めた頃からこちらの世界で通用する文脈でモノを語らせる。「ああこの人はこちらでも無難に出来る人だ」との評が定まってから、その成分を仕分けしてみると、そこで「美」の問題が「ひとまずクリア」と判子が押されていることを知る。前々回と今回で記したように、ここが誤認の発生源となる。以前、辻希美論でも持ち出したように、ママであることはこの誤認を避けるキーワードとなる。谷亮子が「ママでも金」というのは、議論を逸らせる、或いは彼女の場合においては議論の舵取りを自身で行なえる担保となる。子供の存在を担保とはいささか不謹慎だが、少し考えれば、ママドルというだけで持ち上げ、飽きたら次のママドルに移っていく態度の方が、より不遜であろう。</p><br>

<p>異ジャンルから飛び込んできてアイコン化した女性には、どこかの段階で、この人は美しいのかそうではないのかというジャッジが下される。それは査定会があるわけではなく、ひとまず美しいということにしておいて、その上で世の反応を見るという残酷な手段で調べられる。なぜ残酷か。本人はその「ひとまず美しいってことにしておいて」という断り書きなど目にやらないからである。美しいと言われて気を悪くする人はいない。そして、その勝手な「お試し期間」が招く誤認の果てにある責任をとるものはいない。あとは、本人が浮ついてしまうだけだ。</p><br>

<p>勝間和代というアイコンがメディアにどう消費されていくかという流れに荒川静香の消費をリンクさせていくと、「女の生き方」のロールモデルと、そのロールモデルに向かう世間と自身のブレが露になる。そのブレはこの後どうなるのか、「まとめ：アスリートは美人でなければならないのか」と題して、荒川静香論をまとめにかかりたい。</p><br>


<div class="titleListBox">
<div>
<ul>
<li><a href="<$MTBlogURL$>norika10-1.php">其の一　「スポーツしてるくせに美人」とはどういうことか</a><a href="http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.cinra.net/column/norika10-1.php" target="_blank" class="hatena" ><img src="http://b.hatena.ne.jp/entry/image/normal/http://www.cinra.net/column/norika10-1.php"></a></li>
<li><a href="<$MTBlogURL$>norika10-2.php">其の二　荒川静香を「美人」と呼ぶのは誰なのか？</a><a href="http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.cinra.net/column/norika10-2.php" target="_blank" class="hatena" ><img src="http://b.hatena.ne.jp/entry/image/normal/http://www.cinra.net/column/norika10-2.php"></a></li>
<li><a href="<$MTBlogURL$>norika10-3.php">其の三　谷亮子の女らしさとの付き合い方を再考する</a><a href="http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.cinra.net/column/norika10-3.php" target="_blank" class="hatena" ><img src="http://b.hatena.ne.jp/entry/image/normal/http://www.cinra.net/column/norika10-3.php"></a></li>
<li><a href="<$MTBlogURL$>norika10-4.php">其の四　荒川と谷、勝間と香山、幸せとは何か</a><a href="http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.cinra.net/column/norika10-4.php" target="_blank" class="hatena" ><img src="http://b.hatena.ne.jp/entry/image/normal/http://www.cinra.net/column/norika10-4.php"></a></li>
<li>其の五（1月27日公開）</li>
<li><a href="http://www.cinra.net/column/norika10.php">第10回　荒川静香と谷亮子　目次ページ</a></li>

</ul>
</div>
<!-- /titleListBox --></div>]]></description>
            <link>http://www.cinra.net/column/norika10-4.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">フジワラノリ化論　第5回優香</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">武田砂鉄</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">連載</category>
            
            
            <pubDate>Mon, 25 Jan 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>『嘘じゃない、フォントの話』</title>
            <description><![CDATA[
  <p align="left">街の看板やポスターなどで、おもしろいとか、かっこいい「文字」を見つけたことはありませんか？&nbsp;<br />
    文字には、楽しそうな文字もあれば、繊細な文字、優しい文字もあります。 <br />
    文字の表情は様々で、そのバリエーションの豊かさに、私たちの日常が支えられているのかもしれません。世の多くのデザイナーは、人々に何かを伝えるときに、 <br />
    どんな文字を使うべきかといつも試行錯誤を繰り返しています。最近では、デザイナーに限らず、多くの人がパソコンで文字を選べる時代になりました。そんな時代だからこそ、もっと文字の面白さや奥深さを伝えたい。 </p>
  <p align="left">日本の文字を支えてきた企業<a href="https://www.morisawa.co.jp/" target="_blank">「モリサワ」</a>の協力のもと、みなさんの知らない文字の素敵な世界にご招待します。 <br />
    文字について少し詳しく知るだけで、毎日がもっと楽しくなるはずです。 
      <!-- /readTxtBox -->
  </p>
<br />
  <p align="left"><a href="https://www.morisawa.co.jp/font/about/knowledge/define.html" target="_blank" onmouseover="MM_swapImage('Image45','','http://www.cinra.net/column/morisawa/morisawa_2.jpg',1)" onmouseout="MM_swapImgRestore()"><img src="http://www.cinra.net/column/morisawa/morisawa_1.jpg" alt="「書体」と「フォント」の違いが気になった方はこちら" name="Image45" width="448" height="70" border="0" id="Image45" /></a></p>]]></description>
            <link>http://www.cinra.net/column/morisawa.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">CINRA編集部</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">『嘘じゃない、フォントの話』(supported by モリサワ)</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">連載目次ページ</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 22 Jan 2010 19:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「フジワラノリ化」論　第10回　荒川静香と谷亮子　其の三　谷亮子の女らしさとの付き合い方を再考する</title>
            <description><![CDATA[<ul class="titleList">
<li>其の三　谷亮子の女らしさとの付き合い方を再考する</li>
</ul>

<p>ひとまず女性スポーツ選手を可愛くないと前置きし、比較論法の上で「その中でも」を忍ばせて持ち出される「可愛い」を受容した代表格として、谷亮子（旧姓：田村亮子）の存在に触れないわけにはいかない。例えばナンシー関が「ものすごく根本的なところで、傲慢であると思う」と言っていたように、或いは吉田豪が、小説「YAWARA、その愛。」(en-taXi No.2)として書き表したように、彼女の所作は、見られること、聞き入れられることを前提にされていて、こちらの熱視線があって初めて成り立つ発言を繰り返していく。自ら「前代未聞の5連覇です」と言う。これはどういうことなのか。「すごいことをなしとげましたね！」「いえ、これも通過点です。それに、私だけの力だけではなく、支えてくれたファンの皆さん、コーチ、スタッフ、家族のおかげです。」良くも悪くもこれがポピュラーな優勝インタビューだったわけだ。しかし、谷は、こちらからの投げかけ→それに対する返答→返答から感じる茶の間の反応を、一気に横断する形をとって自分で「前代未聞」という言葉を漏らす。茶の間やテレビのレポーターが投げかける案件を察知して、自分でまとめあげてしまうのだ。スタートからゴールまで、他者が不要なのだ。</p><br>

<p>「谷でも金」という強かな標語は、「ママでも金」という標語に改訂された。次のオリンピックも目指すというから「2児のママでも金」と再改訂されるのかもしれない。答えを察しすぎて飛躍した返答を続けてきた谷は、そのうち自分から物語を予告するようになった。自身にプレッシャーを課すという意味では非常なファイターだとも言えるのだが、それはあくまでも2次的ではないかと読む。なぜならば、田村が谷になった頃から拍車をかけるように、「女であること」を全面に押し出すようになったからだ。柔道家の中では可愛いという出自が安定的に保たれる中で（それは滝沢直樹の「YAWARA」の効力もあったろう）、結婚をした。相手は野球選手の谷だった。田村亮子は、恋多き女だった。この一文を書いていて何だかその字面の馴染みが不安になってきたが、とにかくモテた。オリンピックの選手村で競輪選手とデートをしたりと、谷以前にも、どうやら色々と恋を育んでいたようだ。しかし、そうはいっても、それは所詮アンオフィシャルな恋愛だった。柔道選手としての骨子がまずあって、恋愛はやっぱり公的には秘匿されていた。しかし、谷と結婚し、恋愛の成就が公的になり、彼女は女性であることを積極的に露にすることを拒まなくなった。</p><br>

<p>女子スポーツ選手が何かの機会に精一杯のオシャレをすると、大変なことになる。繰り返し例に挙げて恐縮だが、マラソンの高橋尚子は高級ブランドに身を包む。桂由美のファッションショーにかり出される女子アスリートもいたっけか。谷亮子も、とにかく私服を着飾る。ウエディングドレスを見せる。そこに大きな需要があるに違いないとする彼女のマーケティングに頷きながら乗っかるのではなく、冷静に距離をとりながらも、需要があるとする彼女の報告をひとまずそのまま垂れ流していく。その競技選手の中では可愛らしいという認識と、力量として相当な選手だという結果が折り重なり合って、谷亮子を無視することができなくなってしまう。しかし、その前者を誰も直接的に褒めようとはしない。谷亮子は可愛いのか、女っぽいのか、と問われたら、まあまあそんなこと言わずにひとまずお茶でも飲もうよと、逃げてみるだろう。分かっているのだ、答えは。でももう1つ分かっていることがある。それはその答えを分かっていたとしても言ってはいけない、ということ。「ママ」という状態にはあらゆる要求が舞い込む。ママさんタレント、ママさん選手、ママさん弁護士でも、安直な「頑張り屋さん像」を作り上げる為に、ママさんが勝手よく使われる。黙っていてもママさんは世間的にママさんへ加速していく。有名人には、ママさんを枕詞に安直な企画がいくらでも舞い込むだろう。しかし、谷亮子は違う。谷亮子のママさんは自家発電である。電力供給が無い。自分で、あるいは、夫の力も借りながら、火を熾す。</p><br>

<p class="maxImg"><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100118_norika_3.jpg" alt="「フジワラノリ化」論　第10回　荒川静香と谷亮子" width="450" height="429"/></p>

<p>静観な住宅街で、一軒だけ過剰なイルミネーションをしていると、その色合いがいくらきらびやかであろうとも、違和感を禁じ得ない。デコレーションは、外からの目線があってこそのものだ。内からの意志だけでは浮ついてしまう。谷亮子の私服やウエディングドレスって、このイルミネーションに近くないか。「きれいですね」よりも「きれいだと思いませんか」というプレゼンが前に出てしまっている。ものすごく簡単な言い方を許してもらえれば、谷亮子というのは目立ちたがり屋である。トップアスリートともなれば黙っていても目立つのに、谷亮子はわざわざ目立とうとする。だから、皆、そんなことしなくてもいいのに、と心の内に違和を蓄えてしまう。谷亮子は、考えすぎる人だ。考えすぎた時に、私の何がプレゼン対象として効果的だろうかと思案し、その見てくれにも可能性を見出した。だから、そこを持ち出す。持ち出した以上は懸命だ。</p><br>

<p>荒川静香の「美」は、まず外側にあった彼女に対する間接的な評価を本人が汲み取って濃度を高めたものである。一方の谷亮子の「美」は自家発電した電力をお裾分けするように知らしていくものだ。どちらが正しいのだろう。どちらがあくどくないのだろう。女性アスリートの「前へ出て行く方法」としてどちらが求められているのだろう。もしかしたら両方とも正解なのか。いよいよ断言しておかないと話が前に進まなそうなので個人的な見解としてひとまず言い切ることにするが、荒川も谷も、キレイではない。可愛くもない。その2人が、あくまでも「美しい」「可愛い」を担保に動こうとする姿勢を崩さない。どうしてなのだろう。問いは深まってしまった。次回は、この深まった問いを少しでも浅瀬に引っ張り出す為に、あの2人の議論を使っていきたい。そう、勝間和代と香山リカによる論争である。「荒川と谷、勝間と香山、幸せとは何か」と題して、論争を荒川と谷にくっ付けながら、美人アスリートという称号の真意を探り続けていきたい。</p><br>


<div class="titleListBox">
<div>
<ul>
<li><a href="<$MTBlogURL$>norika10-1.php">其の一　「スポーツしてるくせに美人」とはどういうことか</a><a href="http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.cinra.net/column/norika10-1.php" target="_blank" class="hatena" ><img src="http://b.hatena.ne.jp/entry/image/normal/http://www.cinra.net/column/norika10-1.php"></a></li>
<li><a href="<$MTBlogURL$>norika10-2.php">其の二　荒川静香を「美人」と呼ぶのは誰なのか？</a><a href="http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.cinra.net/column/norika10-2.php" target="_blank" class="hatena" ><img src="http://b.hatena.ne.jp/entry/image/normal/http://www.cinra.net/column/norika10-2.php"></a></li>
<li><a href="<$MTBlogURL$>norika10-3.php">其の三　谷亮子の女らしさとの付き合い方を再考する</a><a href="http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.cinra.net/column/norika10-3.php" target="_blank" class="hatena" ><img src="http://b.hatena.ne.jp/entry/image/normal/http://www.cinra.net/column/norika10-3.php"></a></li>
<li>其の四（1月25日公開）</li>
<li>其の五（1月27日公開）</li>
<li><a href="http://www.cinra.net/column/norika10.php">第10回　荒川静香と谷亮子　目次ページ</a></li>

</ul>
</div>
<!-- /titleListBox --></div>]]></description>
            <link>http://www.cinra.net/column/norika10-3.php</link>
            <guid>http://www.cinra.net/column/norika10-3.php</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">フジワラノリ化論　第5回優香</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">武田砂鉄</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">連載</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 22 Jan 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「フジワラノリ化」論　第10回　荒川静香と谷亮子　其の二　荒川静香を「美人」と呼ぶのは誰なのか？</title>
            <description><![CDATA[<ul class="titleList">
<li>其の二　荒川静香を「美人」と呼ぶのは誰なのか？</li>
</ul>

<p>「きれいなおねえさんは、好きですか。」というキャッチコピーはすさまじい強度を持っている。普通、あらゆる問いかけは2択以上の選択肢を持っているものだが、この問いかけに限っては、回答が1つしか用意されていない。その回答をわざわざ聞いてくるのだ。男子がやるのは「田中はあの人のこと結構美人って言ってるけど、おれはあんま好みじゃないんだよね。あの人のこと、どう思う？」という問いかけである。それに対して議論が深くなっていく。しかし、「きれいなおねえさん」は好きに決まっているのだ。「きれいになろうとしているおねえさんは、好きですか。」ではケースバイケースとしか答えられない。「きれいになるために努力を惜しまないおねえさんは、好きですか。」では、ちょっと警戒感を持ってしまう。問いかけているのに、問いが決まっている、そりゃあキャッチコピーとして定着するわけである。</p><br>

<p>だから、そのキャッチコピーを意識したとしか思えない資生堂「TSUBAKI」の「日本の女性は、美しい。」を聞いたとき、何だか断りなく宣言された厚かましさを感じたのだった。答えが1つしかない問いかけに答えさせられる前者に慣れた体は、断定を先んじた後者に投げかける言葉を持てなかった。簡単な分析をしてしまえば、「女性の自立」という言葉が無責任に放射される現在、男性にクエスチョンを投げかける時間は要らないということなのだろうか。美しいか美しくないかと聞いてくれれば、瞬時に、美しいですよと答える準備だって整えているのに、聞いてもくれないのだからと、ヘソを曲げる。この草食的態度に苛立ったカツマーは自転車通勤でそのペンペン草を踏みつぶしていくのかもしれないが、それでもまだウジウジとメンズ共は、一言相談してくれれば良かったのにと、延長戦に持ち込もうとする。だから言ってんでしょ、美しい、って。はいはい、そうですか。何その反抗的な態度は。はいはいはい。んもう。こうして会話すらままならなくなった男女。女が風呂場でTSUBAKIを愛でるころ、残された男は、「本当に、美しいのかよ、日本の女性は」と往生際悪くCMを眺める。そこに映る荒川静香を観て、新たな話し合いの余地を見つけるのだ。チャンス、かもしれない。</p><br>

<p class="maxImg"><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100118_norika_2.jpg" alt="「フジワラノリ化」論　第10回　荒川静香と谷亮子" width="450" height="421"/></p>

<p>さて簡単なアンケートを20代男子5名ほどにとってみた。荒川静香は美しいかと。答えは、「そうは思わない　4名」であった。1名は「いや結構キレイだと思う」と。アンケートからモノを語るのは慎重になるべきだし、その数値はあくまでも参考にしかならないが、5人中の4人、というのは、「まあ大抵はそう思っている」程度を裏付ける材料にはなる。そう、荒川静香は美しいとは思われていないのである。TSUBAKIのCMを改めて観てみる。自殺の名所になりかねないような断崖絶壁で上半身を反らしながら例のイナバウアーポーズをとる。わざわざこの構図でなければならない理由は見えてこないがとにかく反る。反る時に振り返るようにしてカメラに顔が向けられる。「日本の女性は、」と大きく宣言した所で、画面はスケート場で滑る荒川を捉える。細い顔立ちが反ることでより張り、余分な肉が完全に落とされた顔面が映る。ガイコツのように顔骨が表出するかのようだ。4名のアンケート回答を裏付ける顔である。言葉を選ばなければ、正直、かわいくない、美しくない。逆方向に言葉を選んで進めてしまうと、要は猪木顔なのである。本物の猪木というより、芸人などがアゴを突き出すだけで猪木の物真似としてしまう時の顔にそっくりなのである。白い歯をこぼしながら笑みを浮かべると、この人は猪木になる。しかし、その笑顔が彼女的には決め顔になっているようで、このCMはもとより、雑誌の類いに登場する際の荒川も、この芸人猪木顔が保たれてしまう。もちろん紹介文やナレーションといった、本来、情報の補填を行なう機能は、その猪木っぷりをそのまま放ってしまう。</p><br>

<p>金メダリストの凄さを感じるのは、何をやっても「よっ、金メダリスト」と賞賛されてしまうところだ。「ジャンクSPORTS」の派生のように、スポーツ選手を招いたバラエティ番組が増えている。年末年始の特番など、オフシーズンのスポーツ選手をいかに捕まえるかに励んだ結果としか思えない番組も目立つ。そのれの場所で、金メダリストは大々的に持ち上げられる。「よっ、金メダリスト」と呼ばれると、もうその人は番組的に仕上がってしまう。仕草、作法、見た目、言動が問われなくなる。メダリストが言うことが全て崇高さを携えてしまう。紅白歌合戦に出場した演歌歌手がその名札だけを持って全国に営業にかけまわる、これと似ている。いや、違うか。とにかく、現在が観察されることがなくなるのである。名札の輝きと、いまそこにある現在がチグハグであっても、その場合は名札が優先される。金メダリストの誰それは、金メダリストだから、色々と大丈夫になるのである。</p><br>

<p>放任の期間は人それぞれだ。金メダルを獲ろうとも翌シーズンの成績が振るわなければ叩かれるだろうし、そこにニューヒーローの存在がいれば、金の輝きも陰ってしまう。しかし荒川静香は金メダルをとった勢いのまま現役を退いた（プロに転向した）。こうなると、いつまでも金メダリストという名札によって保護区を生きることになる。キレイじゃなくてもキレイだし、知的でなくても知的だし、ユーモラスじゃなくてもユーモラスになる。本当に○○かと矢印が正確に向かわなくなる。荒川静香はその特有の保護区の中で、美しさの安定化を図っている。文句を言えないとか言わないというのではなく、そもそも文句を言う対象としてノミネートしてこないのだ。この場合において、金メダリストという実績は「バリケード」ということになるのかもしれない。向こう岸の活動は金メダルによって隔離培養されていく。高橋尚子のブランドに固められた私服とか、本体、すなわち自分自身に注がれる部分まで守られる。だから荒川静香は美人、というのもグラつかないで機能する。それをTSUBAKI側は、荒川静香は美人ということで通っていると誤認してCMに使ったのかもしれないが、それは誤りだ。美人ということになっているけどそれを誰もジャッジしようとしないだけだったのだ。だから、荒川静香の、このメッセージに併せた登場には首を傾げた。そこで気付いたのだ、違和感に。それでも、金メダリストの壁が、傾げた首をそのまま元に戻してしまった。</p><br>

<p>荒川静香のホームページにあるフォト日記を読んでいると、自分の顔写真が頻出する。自分か飼い犬か食べ物か、このいずれかである。つまり、そこいらの女優・アイドルのブログと同じ作法で成り立っている。いやそれよりも自分アピールが急発進しているかもしれない。例えば、イチゴにキスをしている写真を載せる。こういうことが起きている。どういうことかを文言化するのはキツくなるので控えよう（そう、これが金メダリストに注いでしまう保護ってヤツだ）。最近ではキャスターに挑戦している。年末にその姿を見た。今年（2009年）は戦国武将に恋する歴女が流行ったというVTR明けに「荒川さんはどんな戦国武将が好みですか？」と問われ、なぜか表情をあまり和らげずに、真顔で「私は織田信成君ですね」と答えた。織田信長の末裔にあたる男子フィギュアスケーターを答え笑いを誘おうとしたのだが、とてもギャグ性の含まれることを言ったテンションではなかったがゆえに、場は白けた。司会者が引きつった笑いで何とか次に繋ごうとしても、彼女自身はしてやったりという顔を崩さない。</p><br>

<p>金メダルという存在の内側に彼女がいて、金メダル越しにしか外から彼女を見つけられない制作サイドや視聴者がいる。直接銃弾を撃ち込もうとしても金メダルに跳ね返されてしまう。だから、荒川静香を諦めてしまう。諦めて許してしまう。「日本の美人は、美しい。」と体を反りながら荒川静香が登場しても、そのまま通過してしまう。あのCMは最後の方に黒木メイサや相沢紗世といった、ちゃんとした美人が登場する。だからかもしれないが、冒頭のイナバウアーを放任してしまう。しかし、その放任を、本人は承認と勘違いする。その放任と承認の誤差が蓄積され、現在の荒川静香が在る。荒川静香論は勿論これだけでは終わらない。次回、「谷亮子の女らしさとの付き合い方を再考する」と題して谷亮子論を繰り広げながら、次々回に改めて谷亮子論をまぶしながら荒川静香の現在に迫っていく。</p><br>


<div class="titleListBox">
<div>
<ul>
<li><a href="<$MTBlogURL$>norika10-1.php">其の一　「スポーツしてるくせに美人」とはどういうことか</a><a href="http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.cinra.net/column/norika10-1.php" target="_blank" class="hatena" ><img src="http://b.hatena.ne.jp/entry/image/normal/http://www.cinra.net/column/norika10-1.php"></a></li>
<li><a href="<$MTBlogURL$>norika10-2.php">其の二　荒川静香を「美人」と呼ぶのは誰なのか？</a><a href="http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.cinra.net/column/norika10-2.php" target="_blank" class="hatena" ><img src="http://b.hatena.ne.jp/entry/image/normal/http://www.cinra.net/column/norika10-2.php"></a></li>
<li><a href="<$MTBlogURL$>norika10-3.php">其の三　谷亮子の女らしさとの付き合い方を再考する</a><a href="http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.cinra.net/column/norika10-3.php" target="_blank" class="hatena" ><img src="http://b.hatena.ne.jp/entry/image/normal/http://www.cinra.net/column/norika10-3.php"></a></li>
<li>其の四（1月25日公開）</li>
<li>其の五（1月27日公開）</li>
<li><a href="http://www.cinra.net/column/norika10.php">第10回　荒川静香と谷亮子　目次ページ</a></li>

</ul>
</div>
<!-- /titleListBox --></div>]]></description>
            <link>http://www.cinra.net/column/norika10-2.php</link>
            <guid>http://www.cinra.net/column/norika10-2.php</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">フジワラノリ化論　第5回優香</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">武田砂鉄</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">連載</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 20 Jan 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>女優・黒川芽以と行く！　ウィリアム・ケントリッジ展ツアー</title>
            <description><![CDATA[<div class="entryWrapp">
<div class="entryLImgBox">

<p>1月2日（土）から、東京国立近代美術館で開催されている、『ウィリアム・ケントリッジ―歩きながら歴史を考える　そしてドローイングは動き始めた……』展。「動くドローイング」とも呼べる手描きアニメーション･フィルムの制作で注目を浴びる、ウィリアム・ケントリッジの国内初個展だ。魅力的な作品ぞろいの本展だが、一見すると難解そうなため、いまいち足が向かない方もいるのでは。本稿では、彼の作品が本質的に持っている「キャッチーな魅力」をお伝えすべく、女優の黒川芽以さんと一緒に展覧会を回り、その様子をレポートした。優れた感性で作品を捉える黒川さんの言葉に導かれながら、しばしウィリアム・ケントリッジの作品世界を旅してみてほしい。（注：作品は展覧会での登場順と異なります）</p>


<blockquote>	
<h4><img height="12" alt="PROFILE" src="http://www.cinra.net/images/title_s_profile.gif" width="60" /></h4>

<p>黒川芽以<br>
1987年5月13日東京都生まれ。女優。主な出演映画作品に、『グミ・チョコレート・パイン』（2008年、ケラリーノ・サンドロヴィッチ監督）、『ネコナデ』（2008年、大森美香監督）、『山のあなた〜徳市の恋』（2008年、石井克人監督）など。また、『名曲探偵アマデウス』（NHKBSハイビジョン）、『嬢王 Virgin』（テレビ東京）などのテレビ作品や、ラジオやCM、舞台に幅広く活躍中。2010年1月30日（土）より、ヒロインの植村ちはるを演じる新作映画『ボーイズ・オン・ザ・ラン』（三浦大輔監督）が全国の映画館にて公開予定。</p>

</blockquote><br>

<!-- /entryLImgBox --></div>


<h4>どうしてこんなに奔放なイメージが生まれるのか、とても不思議です</h4><br>

<p>─東京メトロ東西線・竹橋駅の1b出口を出て交差点を渡ると、すぐ右手に見えてくる大きな建物が、東京国立近代美術館だ。皇居のお濠に囲まれ、落ち着いた雰囲気が漂う。気持ち良く晴れた日にぶらつくのに、最高に気持ちが良い場所だろう。</p><br>

<p><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100119_kentridge_photo1.jpg" alt="女優・黒川芽以と行く！　ウィリアム・ケントリッジ展ツアー" width="450" height="300"></p><br>

<p>─さて、今回ご一緒する女優の黒川芽以さんは、高校生の頃から自費でデジタル一眼レフを購入して撮影をしたり、また自らデザインしたフォトブックを制作するなど、アートへの愛にあふれた方だ。</p>

<p><span class="name name2">黒川</span>「なんでもパソコンで観られてしまう時代だけど、その空間に行くことでしか味わえない感動ってありますよね。わかりやすい例で言えば、ミッキーやミニーの踊る姿は動画で簡単に観られても、ディズニーランドに実際行くのとでは体験の重みがまるで違う。やっぱり、実際にその場に足を運ぶことって、とても重要だと思いますね」</p>

<p>─会場に入り、まず目に飛び込んでくるのは、力強いドローイング作品の数々。</p><br>

<p><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100119_kentridge_photo2.jpg" alt="女優・黒川芽以と行く！　ウィリアム・ケントリッジ展ツアー" width="450" height="300"><br>黒川さんの背後に見える作品は《アフリカのファウストゥス！》の
アニメーションのためのドローイング[ムビンダ墓地]（1995年）。</p><br>

<p><span class="name name2">黒川</span>「すべてが手描きっていうのが素敵ですよね。どうしてこんなに奔放なイメージが頭の中に生まれてくるのか、とても不思議です」</p><br>

<p><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100119_kentridge_photo3.jpg" alt="女優・黒川芽以と行く！　ウィリアム・ケントリッジ展ツアー" width="450" height="300">《包囲の状態にある美術》の三連画（1988年）が並ぶ展示室。<br></p><br>

<p>─印象的なのは、作品にヴィヴィッドに描き込まれる、赤い色だ。</p>
<p><span class="name name2">黒川</span>「モノクロの世界に、一色だけスッと入っているのが効果的ですよね。多くの色を使わないところが、考え抜かれた絵なんだな、と感じます」</p><br>

<p><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100119_kentridge_photo4.jpg" alt="女優・黒川芽以と行く！　ウィリアム・ケントリッジ展ツアー" width="450" height="300"><br>《自転車に乗る自画像》（1997年）にほほ笑む黒川さん。</p><br>


<p><a href="#"><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100119_kentridge_img1.jpg" alt="image" width="225" height="236" onclick="MM_openBrWindow('http://www.cinra.net/column/20100119_kentridge_img1.html','','scrollbars=no,width=661,height=520');return(false)" /></a><a href="#"><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100119_kentridge_img2.jpg" alt="image" width="225" height="236" onclick="MM_openBrWindow('http://www.cinra.net/column/20100119_kentridge_img2.html','','scrollbars=no,width=679,height=520');return(false)" /></a>
</p><br>

<p>─また、ケントリッジの作品には、出身国である南アフリカ共和国のアパルトヘイト（人種隔離政策）といった、政治的な背景を投影したシリアスな作品も多い。</p><br>

<p><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100119_kentridge_photo5.jpg" alt="女優・黒川芽以と行く！　ウィリアム・ケントリッジ展ツアー" width="450" height="300"><br>《ステレオスコープ》のためのドローイング［水で溢れる室内のソーホー］（1999年）では、いつしか同じポーズに。</p>

<p><span class="name name2">黒川</span>「男性の身体から水が出てくる、この作品の青にはドキッとさせられます。他がモノクロであるぶん、悲しみがすごく胸に迫ってくるんですね。<br>
でも、それに加えて、この青じたいがとてもキレイなので、ポップな印象も受けるんです。だから、ある意味救われる、というか。例えば、リアルなタッチで真っ赤な血を流している男性の絵を描かれても、私には怖くて見られない。でも、こうした手描きのタッチにすることで、誰もが『見られる』作品になったんでしょうね。でも…見つめていると、やっぱりしんみりとしてきます」</p><br>

<p>※会場での撮影は、東京国立近代美術館の許可を得て行ったものです。<br>
※作品は全て &copy;the artist<br>
※作品には著作権があります。無断転用は固くお断りします。</p>

</div>

<div class="titleListBox">
<div>
<ul>
<li><a href="http://www.cinra.net/column/kentridge-report.php?page=2">2/3ページ：目の前の絵がそのまま動き出したような臨場感がありますね</a></li>
</ul>
</div>
<!-- /titleListBox --></div>

<p>=====</p>

<!-- /entryLImgBox --></div>
<div class="entryWrapp">

<div>

<h4>目の前の絵がそのまま動き出したような臨場感がありますね</h4><br>

<p>―複数の映像作品の上映が行われている部屋では、入口で音声ガイドが手渡された。手元の音声ガイドを操作して自分の見たい作品に割り振られた曲を選び、ヘッドフォン越しに音楽を聴きながら鑑賞するというわけだ。</p>
<p><span class="name name2">黒川</span>「試しに、指定されたものと違う音楽を組み合わせてアニメーションを見てみると、全く違った作品に見えてきました。楽しそうであったり、悲しそうであったりって、音楽の性質によってガラッと変わるんですね」</p><br>

<p><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100119_kentridge_photo6.jpg" alt="女優・黒川芽以と行く！　ウィリアム・ケントリッジ展ツアー" width="450" height="300"><br>音声ガイドを操作しながら作品に見入る黒川さん。
背後に写る映像作品は《ステレオスコープ》（1999年）。</p><br>

<p><span class="name name2">黒川</span>「それから、手描きのドローイングが動いているという『ガタガタ感』が、アニメーションにいい雰囲気を与えていますよね。単なる実写の映像って、自分が居るのとは違う場所にある世界、『異空間』を撮影した話なんだと思ってしまいますけど、ケントリッジの作品って、いま目の前にある絵がそのまま動き出したような臨場感で溢れているんです。一度見ただけでは消化できない深さがあって、何度でも見てしまいますね」</p><br>

<p><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100119_kentridge_photo7.jpg" alt="女優・黒川芽以と行く！　ウィリアム・ケントリッジ展ツアー" width="450" height="300"><br>《ゼーノの筆記》（2002年）を鑑賞中。</p><br>

<p>─また、ケントリッジによるさまざまな「自画像」を集めた部屋も。</p><br>

<p><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100119_kentridge_photo8.jpg" alt="女優・黒川芽以と行く！　ウィリアム・ケントリッジ展ツアー" width="450" height="300"><br>右側の作品は、《中年の恋愛》（2002年）。</p><br>

<p><span class="name name2">黒川</span>「この絵、『中年の恋愛』っていうタイトルなんですか。激しいですね〜、相撲を取っているみたい（笑）。さっきまでアニメーションを見ていたから、今にも動き出しそうにも思えてきますね。どんなふうに動くんだろう？　なんて自然に想像しちゃう」</p><br>

<p><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100119_kentridge_photo9.jpg" alt="女優・黒川芽以と行く！　ウィリアム・ケントリッジ展ツアー" width="450" height="300"><br>黒川さんが指差している作品は《男とメガフォンの集合体》（1998年）。</p><br>

<p><span class="name name2">黒川</span>「この絵なんか、裸にハットという格好がおしゃれですよね。それに、よく観るとスリッパを履いているところもいいです（笑）。」</p><br>

<p><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100119_kentridge_photo10.jpg" alt="女優・黒川芽以と行く！　ウィリアム・ケントリッジ展ツアー" width="450" height="300"><br>映像インスタレーション《ジョルジュ・メリエスに捧げる7つの断片》（2003年）の展示風景。</p>

<p><span class="name name2">黒川</span>「それから、この映像。「自画像」を描いているケントリッジの動きを、逆まわしで見せていますよ。きっと、このモノを投げたりする場面って、逆まわしを計算してあまり手を動かさずに投げたんでしょうね（笑）。フザけたことを真剣にやっている姿が笑えます。こんな一面もあるんですね。面白い！」</p><br>

<p><a href="#"><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100119_kentridge_img3.jpg" alt="image" width="225" height="234" onclick="javascript:MM_openBrWindow('http://www.cinra.net/column/20100119_kentridge_img3.html','','scrollbars=no,width=671,height=520');return(false)" /></a><a href="#"><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100119_kentridge_img4.jpg" alt="image" width="225" height="234" onclick="javascript:MM_openBrWindow('http://www.cinra.net/column/20100119_kentridge_img4.html','','scrollbars=no,width=671,height=520');return(false)" /></a>
</p><br><br>

<p>※会場での撮影は、東京国立近代美術館の許可を得て行ったものです。<br>
※作品は全て &copy;the artist<br>
※作品には著作権があります。無断転用は固くお断りします。</p>

</div>

<div class="titleListBox">
<div>
<ul>
<li><a href="http://www.cinra.net/column/kentridge-report.php?page=3">3/3ページ：鼻に網タイツのくっついたキャラクターが一番好きですね</a></li>
</ul>
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<!-- /titleListBox --></div>

<p>=====</p>

<!-- /entryLImgBox --></div>
<div class="entryWrapp">

<div>

<h4>鼻に網タイツのくっついたキャラクターが一番好きですね</h4><br>

<p>─続いてこちらは、人形を使った影絵作品の映像だ。</p><br>

<p><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100119_kentridge_photo11.jpg" alt="女優・黒川芽以と行く！　ウィリアム・ケントリッジ展ツアー" width="450" height="300"></p><br>

<p><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100119_kentridge_photo12.jpg" alt="女優・黒川芽以と行く！　ウィリアム・ケントリッジ展ツアー" width="450" height="300"><br>写真は2点とも映像作品《影の行進》（1999年）の展示風景</p><br>

<p><span class="name name2">黒川</span>「影絵の面白さって、映っているものが何なのかわからないところだと思うんですよね。それが何なのか自分で想像してみるのが面白いから、正体が分かっているのよりも集中して見ることができるんです」</p>

<p>─さらには、突然脚の生えた鏡（!?）と2枚の絵を使ったインスタレーション作品が登場。思わず駆け寄る黒川さん…が、あまりにも不思議な作品に、少々困惑気味。</p><br>

<p><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100119_kentridge_photo13.jpg" alt="女優・黒川芽以と行く！　ウィリアム・ケントリッジ展ツアー" width="450" height="300"><br>鏡を使ったインスタレーション《警察官ではない（その制帽だけ）》（2007年）に興味をそそられる黒川さん。</p><br>

<p><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100119_kentridge_photo14.jpg" alt="女優・黒川芽以と行く！　ウィリアム・ケントリッジ展ツアー" width="450" height="300"><br>こちらは《ダブル・カンナ》（2004年）。</p><br>

<p>─2枚の鏡を通して見た、壁に掲げられた2つの絵画を、頭の中で「立体」として再構築するという作品が2点。まさに「歩きながら考える」ケントリッジらしい作品とも言える。</p>
<p><span class="name name2">黒川</span>「どちらの鏡から見える映像も、不完全だっていうことなんですかね。ちょっと私には難しい作品ですけど、こうして鏡が展示してあるとキャッチーな面白さを感じます」</p>
<p>続いて、２つのレンズを通して立体像を作り上げるという作品が登場。</p><br>

<p><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100119_kentridge_photo15.jpg" alt="女優・黒川芽以と行く！　ウィリアム・ケントリッジ展ツアー" width="450" height="300"><br>〈デューラーの測定法教則〉（2007年）のシリーズを覗く黒川さん。</p><br>

<p><span class="name name2">黒川</span>「目を凝らすと、すごく複雑な作りになっているのがよく分かります。さまざまな物体を描き込むことで、奥行きに広がりを持たせていますね。それから、見ている自分が揺れると、絵の中で飛んでいる飛行機も揺れるところが面白い。これも、視覚を揺さぶろうとする計算なんでしょうかね。すごい…」</p>
<p>─円筒形の金属に版画を映し出すインスタレーション作品にも注目。</p><br>

<p><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100119_kentridge_photo16.jpg" alt="女優・黒川芽以と行く！　ウィリアム・ケントリッジ展ツアー" width="450" height="300"><br>円筒形の金属に版画が映る《メドゥーサ》（2001年）。</p><br>

<p><span class="name name2">黒川</span>「これは直接目を見ると石にされてしまうという、メデューサですよね。鏡ごしに見れば、石にされないのかも（笑）。これも視覚を使った、遊び心あふれる作品ですね」</p>
<p>─そして、最も謎に満ちた部屋が登場。上映されている数々の映像に登場するのは…なんと、鼻、鼻、鼻。</p><br>

<p><a href="#"><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100119_kentridge_img5.jpg" alt="image" width="450" onclick="javascript:MM_openBrWindow('http://www.cinra.net/column/20100119_kentridge_img5.html','','scrollbars=no,width=656,height=520');return(false)" /></a></p><br><br>

<p><span class="name name2">黒川</span>「私、この鼻シリーズ、かなり好きです。鼻に網タイツのくっついたお姉さんのようなキャラが、今日見た中で一番気に入りました。鼻なのに、馬に乗って好き勝手やったあと、あっさり馬を下りてしまう気まぐれな強さ。それから、鼻なのにヒールを履いているかっこよさ（笑）。そうした要素に、さらにダークでシュールな要素も混ざってくる。これがケントリッジの面白さなんですね！」</p><br>

<p>─こうして、かなりボリュームがある展示を見終わり、大満足の黒川さん。最後に、率直な感想をお伺いした。</p>

<p><span class="name name2">黒川</span>「音楽あり、映像あり、アートに関するなんでもありで、とても楽しませてもらいました。遊園地のアトラクションに乗ったあとのような、爽快感がありますね。<br>
そういえば、子どものお客さんもいましたね。頭が柔らかいぶん、大人より深く理解できるのかもしれないな。自由に発想することの大切さをすごく実感できる展覧会でした。<br>
最初にケントリッジの絵を見たときは思ってもみなかったことなんですが、今やどの絵を見ても動き出しそうな気がしてならないです。帰り道、きっと周りのすべてが鼻に見えてくるんじゃないかな（笑）。一人の人間が、こんなにバリエーション豊かな作品を生み出すことができるなんて、本当にすごいなと思いましたね」</p><br>

<p>─暗い政治的な背景を持ちつつも、発想の豊かさと、笑いの要素を失わずに創作を続けてきたウィリアム・ケントリッジ。彼の作品をどのように受け取るかは、観客のひとりひとりに委ねられている。その豊かさ、自由さを味わいに、展覧会にぜひ足を運んでみてほしい。</p><br>

<p><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100119_kentridge_photo17.jpg" alt="女優・黒川芽以と行く！　ウィリアム・ケントリッジ展ツアー" width="450" height="300"></p><br>

<p>※会場での撮影は、東京国立近代美術館の許可を得て行ったものです。<br>
※作品は全て &copy;the artist<br>
※作品には著作権があります。無断転用は固くお断りします。</p>

<div class="infoBox">

<h4><img src="http://www.cinra.net/interview/../images/title_information.gif" alt="information" width="450" height="18" /></h4><br>

<p>CINRA.NETでは、レポートの公開を記念し、本展覧会の招待券を5組10名様にプレゼントいたします！ぜひ、実際に展覧会を体感してみてください。<br>
<a href="http://www.cinra.net/contact/">お問い合わせページのメールフォーム</a>から、件名に「ウィリアム・ケントリッジ展招待券応募」と記入し、お問い合わせ内容欄にご住所をお書き添えの上、お送りください。当選は、招待券の発送をもって替えさせていただきます（なお、ご応募いただいたメールアドレス宛にCINRAのメールマガジンを今後お届けいたします）。（応募締切り：2010年1月28日）。</p><br>

<h5>『ウィリアム・ケントリッジ―歩きながら歴史を考える　そしてドローイングは動き始めた……』</h5><br>

<p>2010年1月2日（土）〜2月14日（日）<br>
会場：東京国立近代美術館　企画展ギャラリー（1階）<br>
時間：10:00〜17:00　金曜日は20:00まで（入館は閉館30分前まで）<br>
休館日：月曜日（ただし、2010年1月11日は開館）、2010年1月12日（火）<br>
料金：一般850円　大学生450円　高校生以下無料</p>

<p><a href="http://www.momat.go.jp/Honkan/william_kentridge/waribikiken.html" target="_blank">『ウィリアム・ケントリッジ』展割引引換券ページ</a><br>
<a href="http://www.cinra.net/news/2009/12/19/180025.php">CINRA.NET > 南アフリカ出身の現代美術家、ウィリアム・ケントリッジの手書きアニメーション</a></p>

</div>

</div>]]></description>
            <link>http://www.cinra.net/column/kentridge-report.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">コラム</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">小林宏彰</category>
            
            
            <pubDate>Tue, 19 Jan 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「フジワラノリ化」論　第10回　荒川静香と谷亮子　其の一　「スポーツしてるくせに美人」とはどういうことか</title>
            <description><![CDATA[<ul class="titleList">
<li>其の一　「スポーツしてるくせに美人」とはどういうことか</li>
</ul>

<p>2009年がどういう年だったかを振り返る際に、「美人すぎる議員」と「かわいすぎる海女」の存在は欠かせない。これほど分かりやすく美人であることが注視される機会は少なくなった。美人なだけ、かわいいだけでは、何も動かない世の中ということにしてあるからだ。美人を背負う当人もデリケートに扱っていて、だからこそ、その呼称をふりかけたらやっぱり機能してしまったといういくつかの案件は、何だか諸々の男女平等的な動きに逆行しているようではあるのだけれど、かといって、あの「美人すぎる」「かわいすぎる」には、「そうではない」人、つまり「美人じゃない議員」や「かわいくない海女」に対する卑下は含まれていない。美しさやかわいさをそこだけで独立させて愛でるという方法論だ。事実、かわいすぎる海女が仕事に勤しむ浜辺にはカメラを抱えた初老のメンズどもが押しかけて、恥ずかしがる素振りを見せずに「こっち向いて〜」と声をかけまくったのだった。「何かしているのに美人」という特権の作られ方は極めて妙だ。何かしていなくても美人は美人で、その美人が何もしていなくても男はその人を美人として愛でる。理由はいらないはずだ。それはそれこそご時世と関係があるのかもしれない。「おっ、ベッピンさんだねぇ」という田舎の商工会のオヤジのような突っ込みを、世は敬遠する。だから、美人を持ち出すにも、何らかの特徴を美人以外から探す。そこで言い訳するように「○○なのに美人」を使うのだろう。海女じゃなくても、議員じゃなくても、郵便局員でも、飛行機の整備士でも、建設会社の経理でも、その○○に使っていく。美人ですね、と呼びかける為に、理由が必要なのだ。そうなると逆転して「美人なだけじゃん」という妬みが向けられる。議員も海女もそれと戦わざるを得なくなる。戦うつもりはなかったのに、戦わなければならなくなるのだ。あの美人議員がそうであるように、いつの間にか「美人であること」を公私ともに前提に据えた上で、それでも私はちゃんとやってますからね、と必死にアピールするようになってしまう。美人であることが、ヘンテコな収まり方をしてしまうのだ。</p><br>

<p>スポーツ界で「美人アスリート」というもてはやされ方が馴染み始めている。ビーチバレーの浅尾美和、バドミントンのオグシオのように、美人がそのスポーツを底上げするという事態が易々と生じている。現在はコンビを解消してしまったが、浅尾美和とペアを組んでいた西堀健実のように、スポーツそのものの役割分担としては同等かそれ以上なのに、世間的な関心は付属品に留まるというケースも目立ってきている。女子バレーでは、「プリンセスメグ」「かおる姫」に代表されるように、容姿から呼称を付け、そこからは名付けるのが難しいとなれば「パワフルかな」「ミラクルさおりん」といった不可解な呼び名を浸透させようとしてくる。勿論ファンが率先してつけた名前ではなく、テレビ局側からの号院な押しつけにすぎないのだが、例えば中には「スピード＆ビューティー」なんてのもあって、この人は秀でたこれで何が出来るのかと首をかしげてしまう。まず美人かどうかの査定をして、引っかかれば大仰に、引っかからなければ勢いで押し切っていく。女子バレーの名称は、今の、女子スポーツ界の見られ方を象徴している。</p><br>

<p>福原愛を見る目は、もはや安達祐実の後期に近いものがある。つまり、子役の成れの果ての厳しさである。福原愛が若きテニスプレーヤーと原宿の町をラブラブデートするという光景は、安達祐実が子どもを産んだ、というのと同じざわめきがあった。そのざわめきを避けるかのように、同じく地味な室内競技でも、バドミントンのオグシオの華やかさに目がいった。泣き虫卓球少女だった愛ちゃんがいつの間にかオトナになっていたという物語よりも、とびっきりの美人2人がバドミントンをやってくれているという構図の方が、幾分にも有り難かったのである。スエマエコンビが五輪で結果を出そうとも、チュートリアルの徳井との熱愛報道に晒される潮田に注目がいく。男子と比べて迫力が無い、これが女子スポーツの抱えてきた超えられない壁だった。しかし、繋ぐバレーでより緊迫した試合を繰り広げる女子バレーが好例であるように、男子より女子がやるスポーツに親和性を感じる機会が増えてきた。こうなると、迫力がどうのという問題は後退してしまう。むしろ次の段階だ。かわいいかどうか、キレイかどうか、スタイルがきれいかどうか、そういう着眼を真っ先に注がれる現在にある。時代が時代なので、かわいくなければダメ、とは言わないが、その分、かわいいと知った途端の加速がすさまじいことになっている。恥ずかし気が無い。潜る海女を撮りまくるのと同様の愛で方をスポーツ選手に注ぐようになったのだ。</p><br>

<p class="maxImg"><img src="http://www.cinra.net/column/images/20100118_norika_1.jpg" alt="「フジワラノリ化」論　第10回　荒川静香と谷亮子" width="450" height="454"/></p>

<p>女子フィギュアスケートの人気は、5年前を振り返ればたいしたものではなかった。言わずもがな浅田真央と安藤美姫の人気がフィギュアスケートそのものの人気を底上げしたのである。ここも今までの話と同様だ。かわいい、キレイ、あとはこの競技で見られがちな「スタイルがイイ」という見てくれの条件が、人気を先導した。バレーやバドミントンと違って、そもそもの体の形状の美しさも競技の実力と密接に関わってくるものだから、その熱視線が下世話であろうとも、断らずに発せられる環境がその視線を許してしまった。浅田真央には同じく容姿端麗な妹もいて、これはアナウンサーの小林姉妹にも同じことが言えるのだけども、それによって男の影がちらつかないシステムも構築されているのも易しい（小林麻央の海老蔵との結婚の驚きは、姉妹愛への勝手な安堵が潜んでいたことに起因する）。外国人コーチとの熱愛が伝えられる安藤美姫にはどこか陰の部分があって、対する浅田真央が常に快晴のようなのは、スケート外でのこういった素地があるからだろう。いずれにせよ、この2人はフィギュアスケートというジャンルを底上げした。それまで、ゴールデンタイムに時間を割いて放送されるスポーツではなかったのである。そのゴールデンタイムの中継に解説者として登場する伊東みどりは、フィギュアスケートの一時代を背負った選手だった。アルベールビル五輪で銀メダルをとった功績は、荒川静香が金メダルをとるまでは、この競技においてそびえ立つ栄光の歴史だった。しかし、だ。ここは冷静且つ残酷な言い方を許してもらおう。伊藤みどりは、見てくれが「そうでもなかった」。大根足が数回転するのに向かって、歓喜を浴びせることが出来なかった。欧米選手がスタイリッシュに舞う中での伊藤みどりは、外国映画に出てくる黒ブチ眼鏡カメラぶら下げオジサンのような、アナログな日本人像としての苦しみを国民に思い出させていた。その点、浅田真央と安藤美姫は、日本代表と日本人代表を兼ねさせることを誰しもが嫌がらない存在になった。女子スポーツ界において、真っ先に用意されてしまう「美」の問題をクリアしているのである。</p><br>

<p>今回、この「フジワラノリ化」論で取り上げるのは、荒川静香と谷亮子である。勘の良い人は、ここまでの序論とこの名前を並べただけで議論の方向性を読んでいただけるであろう。女子スポーツの世界で美しさ・かわいさが問われるようになって、その判断は従来から厳しくなったのか、それとも緩くなったのか。ちょっとした美人では美人と認められなくなったのか、それとも少しでも美人っぽかったら、それを美人と呼んでしまうのか。後者なのである。美人っぽかったら美人としてしまう。これが何を招くか。ここがこの連載の骨子となる。招くのは、本人の誤認である。伝言ゲームでその情報が微妙に変化していくように、まあ美人の部類に入るんじゃないのかなあという曖昧な選定が、あらゆる人を経由することで、なかなかの美人ということで固形化する。それを最終的に受け取った当人は、勿論、それなりの立ち振る舞いをする。それを見た途端、曖昧な選定をしていたかもしれない各々が違和感を生じさせる、あれ、えっ、そんなに美人だっけ……、そりゃあ、誰それに比べればアレだけども……と何とも歯切れが悪い。</p><br>

<p>女子スポーツにおける美人の基準値は、荒川静香を美人とするかやはりそうではないとするべきかに握られていると言っても過言ではない。笑い事ではないのだ。これからのスポーツがどう享受されていくかにおいて大きな問題だ、としておこう。議員とか海女とかってのは、そこにうら若き女性がいる事自体が重宝されるという前提があってこその「美人すぎる」「かわいすぎる」なのだ。しかし、スポーツは違う。うら若き女性がプレイするのは当然だ。その上で、美人が問われるということ、そしてその美人の枠組みが無闇に広げられ、世間の油断と本人の誤認によって、そのスポーツが何らかの虫食いに遭う可能性があるのだ。谷亮子の「ママでも金」に代表される自意識は、美人とはまた違った案件ながら同質の問題を孕んでいる。次回はまず「荒川静香を「美人」と呼ぶのは誰なのか？」と題して、荒川静香の根本的なズレについて、議論を重ねていきたい。谷亮子は、その後だ。</p><br>


<div class="titleListBox">
<div>
<ul>
<li><a href="<$MTBlogURL$>norika10-1.php">其の一　「スポーツしてるくせに美人」とはどういうことか</a><a href="http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.cinra.net/column/norika10-1.php" target="_blank" class="hatena" ><img src="http://b.hatena.ne.jp/entry/image/normal/http://www.cinra.net/column/norika10-1.php"></a></li>
<li><a href="<$MTBlogURL$>norika10-2.php">其の二　荒川静香を「美人」と呼ぶのは誰なのか？</a><a href="http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.cinra.net/column/norika10-2.php" target="_blank" class="hatena" ><img src="http://b.hatena.ne.jp/entry/image/normal/http://www.cinra.net/column/norika10-2.php"></a></li>
<li><a href="<$MTBlogURL$>norika10-3.php">其の三　谷亮子の女らしさとの付き合い方を再考する</a><a href="http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.cinra.net/column/norika10-3.php" target="_blank" class="hatena" ><img src="http://b.hatena.ne.jp/entry/image/normal/http://www.cinra.net/column/norika10-3.php"></a></li>
<li>其の四（1月25日公開）</li>
<li>其の五（1月27日公開）</li>
<li><a href="http://www.cinra.net/column/norika10.php">第10回　荒川静香と谷亮子　目次ページ</a></li>

</ul>
</div>
<!-- /titleListBox --></div>]]></description>
            <link>http://www.cinra.net/column/norika10-1.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">フジワラノリ化論　第5回優香</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">武田砂鉄</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">連載</category>
            
            
            <pubDate>Mon, 18 Jan 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
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