音楽家は増えすぎた? 馴れ合わず、孤高の道を行くdownyの問い

2016年もはや3分の2が経過して思うのは、多くのミュージシャンが純粋な作品主義へと立ち返ろうとしているということだ。音楽を取り巻く環境の変化、インターネットやフェスといった存在が「合理化」や「効率化」を推し進め、その結果失われつつあった音楽の価値を再度取り戻そうとするかのような、「まず音楽ありき」という視点。2015年をターニングポイントに、今年はそんな流れが顕著に表れているように思う。

そんな意味において、downyの新作『第六作品集「無題」』は今年を代表する一枚だと言っていいだろう。フィジカルの限界を追求し、手練れのプレイヤーたちがその能力を最大限に詰め込んだ楽曲たちは、少しだけ初期を連想させつつも、明確にアップデートされていて、打ち込みを生演奏が凌駕していく感じは、結果として確かな時代性も備えている。9年ぶりの復活から3年、MONOとenvyと共に立ち上げた新たなフェス『After Hours』も話題となる中、「今回は戦闘モードだった」という青木ロビンにその想いを訊いた。

やっぱり対バンするときは勝つつもりでやってるし、「立ち上がれねえくらいのライブしてやりたい」って思う。

―9年ぶりの復活から3年が経ちました。それ以前と比べて、ロビンさんの生活にはどのような変化がありましたか?

青木:東京と沖縄の行き来が増えたので、もう前作を作ったときほど柔らかい気持ちではないかもしれないですね。東京に来ると僕自身の周りもミュージシャンが多いですけど、沖縄では僕のことをミュージシャンだと認識している人はほとんどいないんです。そのスイッチのオンオフがあって、気楽ではあるんですけど、ギャップもあったりするんですよね。

―そんな中、MONOとenvyと新フェス『After Hours』を立ち上げて、先日のGoto(Takaakira“Taka”Goto / MONO)さんとノブ(Nobukata Kawai / envy)さんらとの対談(MONO、envy、downyはなぜフェスを興すのか? その理由を語る)では「つなげ役」としてのロビンさんもクローズアップされていましたね。

青木:そんなキャラじゃなかったはずなんですけど、いつの間にかそんなことになってしまってますね(笑)。もともと社交的な方ではあると思うんですよ。ジャンル関係なく友達がいて、例えば、THA BLUE HERBのBOSSくんたちとは沖縄に来るたびにBBQしてますよ(笑)。意識して「つなげよう」なんて全然思ってなかったですけど、東京と沖縄の行き来が増えた分、みんなとマメに連絡をするようになったので、それが結果的に「つなげる」みたいになったのかも。

青木ロビン
青木ロビン

―MONOやenvyのような上の世代だけではなく、THE NOVEMBERSやPeople In The Boxのような下の世代のアーティストとの交流もありますが、下の世代の活動をどのように見ていらっしゃいますか?

青木:すごくクレバーだと思います。特に彼らはチャレンジャーな部分が良いと思うし、やると決めたらすぐに行動に移すフットワークの軽さもいいですよね。何かをやれると思っているときは、できないことなんてイメージもしないじゃないですか?

逆に言えば、イメージできることは「できる」ってことだと思うんです。だから、THE NOVEMBERSが自主レーベル(MERZ)を立ち上げるときも「絶対やった方がいいよ」って応援してました。時代がそういう人たちを作っているとも言えると思いますよ。

―業界全体の体力が下がっていることの表れでもあるけど、逆に言えば、アーティスト主体でいろんなことのできる可能性がある時代だと言うこともできますよね。結果的にとはいえ、そういう中で今のロビンさんのように上の世代と下の世代をつなぐ存在というのは、すごく意味があると思うんです。

青木:でも昔は「対バンと口を利く」って考えすらなかったです(笑)。今はそんなことないですけど、ただそこでなあなあにはなりたくなくて、やっぱり僕らはピリピリしていたいと思います。もちろん、コミュニケーションを取るのはすごくいいことですけど、今って何でも「いい」って言わなきゃいけない空気があるじゃないですか?

―SNSとかはそういう空気が強いですよね。

青木:そうそう、音源渡されたらSNSで「良かった」って言わなきゃいけないようなムードとか、そういうのは自分たちはいいかなって。変に尖がっていたいわけじゃないし、説教臭くもなりたくはないけど、ただみんないいやつになりゃあいいってわけじゃなくて、嫌われてもいいから、ちゃんとやることやんなきゃっていう気がします。

仲間といるとすごく楽しいですけど、やっぱり対バンするときは勝つつもりでやってますし、「立ち上がれねえくらいのライブしてやりたい」って思いますからね。僕らは、「これコピーできねえな」みたいな、びっくりするような音楽を作ることで、「バンドってもっといろんなことできるよ」と思ってもらえればそれでいい。この3年でそこに立ち返って、それが音にも表れたのが新作なんじゃないかと思います。

今作はよりシェイプアップして、でもエモーショナルで、手が届かない感じにしたかった。

―前作『第五作品集「無題」』(2013年発表)は完成までにアルバム2枚分をボツにしたという話でしたが、新作の制作にはどれくらいの期間を費やしたのでしょうか?

青木:今回もボツは多くて、1年くらいレコーディングしてました。僕らの曲は、作っていく中で徐々に方向性が定まって進化していくので、単純に「こういう感じでやろう」といった話し合いでは決まらず、「こうじゃない? こうじゃない?」って、だんだん今の形になっていったんです。

―作品としての青写真のようなものはあったのでしょうか?

青木:今作は、ライブを重ねていく中で、原点に立ち返って肉を削ぎ落としていく方向になりました。よりシェイプアップして、でもエモーショナルで、手が届かない感じにしたかったんです。だから、ライブをせずに作った前作と真逆のエネルギーで作った感じはありました。

―秋山(タカヒコ)さんがドラムを乱れ打つパートもありつつ、全体的には音数を絞って、その分曲によっては仲俣(和宏)さんのベースが前に出てきているので、前作よりもロビンさんのヒップホップ趣味が出ているとも言えるかもしれないですね。

青木:どうでしょうかね。今作は先にリズムセクションを作ることが多くて、僕がデータで送ったものを、秋山くんが実際にスタジオで叩いて、それこそ「こうじゃない? こうじゃない?」ってやりとりをひたすら繰り返して作ったのが多かったです。

downy『第六作品集「無題」』ジャケット
downy『第六作品集「無題」』ジャケット(Amazonで見る

―今作はロビンさんが作った打ち込みのトラックからスタートしているものが多いわけですよね。今、ロビンさんご自身はリスナーとしてどんな音楽に惹かれているのでしょうか?

青木:シンパシーを感じるのは、オケは打ち込みでも、ライブでは生ドラムの人たち。DOLDRUMS、Son Lux、ジェイムス・ブレイクとかがその最たる例ですよね。やっぱり、生ドラムのかっこ良さって半端ないなって最近改めて強く思っていて。もちろん、打ち込みも作りますけど、それはあくまで自分がドラムを叩けないからで、特にライブだと、生ドラムのエモーショナルな感じにはとても到達できないなって思います。

―世界的に見ても、プロデューサー的な人が打ち込みで作ったものを、生バンドで表現するという形態が増えていますよね。

青木:結局、そこに行きついたんじゃないかな。そういう人たちにシンパシーは感じるけど、downyはもう「影響を受ける」とかって感じではないので、もはや流行り廃りもないとは思うんですけどね(笑)。

選挙でも音楽でも、マイノリティーだということは感じずにはいられないけど、何にしたって諦めたら終わりだと思う。

―作品のトーンで言うと、前作は温かみのある感じで、「太陽」をイメージする言葉が歌詞に使われたりもしていましたが、それに比べると新作はもっと体温低めで、言葉としても「月」というワードがよく出てきて、ある意味では、初期のdownyにも近い作品だと思いました。

青木:そうですね。3枚目(『第三作品集「無題」』。2003年発表)が一番近いと思うんですけど、今回は氷点くらいのイメージで作りました。めっちゃ燃えているものを、氷でギュッと固めたみたいな(笑)。

青木ロビン

―最初に「東京と沖縄の行き来が増えたので、もう前作を作ったときほど柔らかい気持ちではないかもしれない」という話がありましたが、新作のムードはそういうこととも何か関係していると言えますか?

青木:普通に生活をしているので、当たり前に今の時代性は入ってくると思います。不安なことは不安だし、苛立つことは苛立つし、悔しいことは悔しい。それは隠しようがないことなので、「それが出てると言われれば出てるんでしょう」くらいの感じです。特別に意識して、「今の社会が苛立つから、冷たい曲を書こう」とかそういうことではないです。

―音楽に意識的に反映させているわけではないにしろ、この3年は社会に対する不安や苛立ちを感じることが多かったんでしょうか?

青木:少ないって言ったら嘘になります。ただ、沖縄は基地の問題があって、東京とは少し別の話になるので、あんまり表立って政治の話はしないようにしてるんです。

まあ、東京に来るとみんな選挙の結果とかにがっかりしていて、「俺たちはやっぱりマイノリティーだな」って話をされることもあるんですけど、そう思うことも大切ですよね。沖縄にいると基地の問題ってホントに生活と直結してくるから、一概に「なきゃいい」とも簡単には言えなくて、諦めずに考え続けるしかない。音楽に関しても、マイノリティーだということは感じずにはいられないけど、何にしたって諦めたら終わりだと思うんです。

表現の仕方って無限なので、みんなが自分の言葉を持っていれば、それが一番いいんじゃないかな。

―今話していただいたようなことを、音楽に直接込めるタイプのアーティストもいますが、downyとしてはそれはしないと。

青木:モチーフにすることもあるんですけど、説教臭くはなりたくないんですよ。感情的なものっていうのは変化していくから、音楽に直接込める / 込めないっていう境界は自然と無くなっていくのかもしれない。さっきも言ったように、やっぱり今回は純粋にミュージシャンとして「いいやつになる必要はねえな」って気持ちが大きくて、俺らくらいしかこんなタイトな音楽は作れないと信じて、常に自分たちのオリジナリティーを更新したいっていうエネルギーが一番強かったかな。

青木ロビン

―最初に話してもらった「なあなあになりたくない」っていう、そこですよね。

青木:そうですね。仲のいい彼らにも「格好良い」って言ってもらいたいっていう気持ちが強かったです。そういう意味では、今回わりと戦闘モードだったと思いますね。

―「戦闘モード」な感じはアルバムの冒頭から感じられて、シンセを全面に出した1曲目の“凍る花”も、ウッドベースを用いた2曲目の“檸檬”も、アタマからかなり強烈ですよね。

青木:“凍る花”は前からライブでもやっている曲なんですが、今作の1曲目はシンセにしたいってずっと思っていて、この曲を選びました。“檸檬”に関しては、僕、夜中に音楽を聴きながら散歩するのが好きで、あるとき満ち欠けの途中の月が雲に反射してレモンみたいに見えて、「めっちゃかっけえ」と思って。そのときの惚れ惚れした感じが表現できればと思って書いた曲なんです。この焦燥感を煽るリズム隊と(青木)裕さんのギターの音色が堪らないですよね。

青木ロビン

―梶井基次郎(明治から昭和にかけての日本の小説家。彼の代表的な短編小説のタイトルが『檸檬』)が先にあったわけではないと(笑)。これは改めての質問ですけど、なぜdownyには「月」をモチーフにした曲が多いのでしょうか?

青木:なんですかね……好きなんでしょうね(笑)。ガネーシャ(ヒンドゥー教の神の一柱)の話、知ってますか? ガネーシャって頭が象で、その牙が片方折れてるんです。その理由が、道で転んだら腹が破れちゃって、それを蛇で締めるんですけど、それを見た月が笑って、怒ったガネーシャが牙を折って投げつけたからなんです。それで月にクレーターができたって言われていて。昔持っていた望遠鏡を覗いて「あれがガネーシャの穴か」って思ったり、ホント単純に月にまつわるものが好きなんです。

―「月」という言葉の持つ温度感って、downyのイメージにぴったりですよね。歌詞に関しては、言葉のチョイスだけではなく、その表記のデザイン性まで含めて、今回も相当なこだわりが感じられました。

青木:downyって変なバンドで、一枚絵を描いて、それを毎回背負ってライブに行くような感じなんですよ。展示会場を変えてその一枚を見せ続けるみたいな。だから、ここまで含めて一個の絵だと思っています。歌詞の段落のために、曲の構成を変えたりしますからね。トータルアートというか、見た目の美しさもすごく求めていて、それが僕にはとても大切なんです。

なので、絵として字面まで見てほしくて、ホームページで歌詞カードを見られるようにもしています。日本語って本当に美しいから、とても大切にすべきものだと思っていて……つまり、僕はとんでもないオタクだってことですね(笑)。表現の仕方って無限なので、もっと面白い書き方があるんじゃないかと思うし、みんなが自分の言葉を持っていれば、それが一番いいんじゃないかなって思います。

前作『第五作品集「無題」』の収録曲“赫灼セルロイド”の歌詞
前作『第五作品集「無題」』の収録曲“赫灼セルロイド”の歌詞(オフィシャルサイトで歌詞を見る

―歌詞の内容に関しては、ロビンさんの中で何か意識の変化はありましたか?

青木:歌詞はメロディーとほぼ一緒にできるんですけど……でもやっぱり、苛立っている感じはしますね。何に対してなのかは、あり過ぎてうまく言えないですけど、ピリピリしているのは自分でも感じます。

―さきほどは今の社会に対する話をしていただきましたが、いわゆる音楽シーンに関しても、イライラすることが多い?

青木:そうですね……今って誰でも音楽が作れるじゃないですか? いきなり知らない人に「聴いてください」って音を渡されたりするんですけど、「舐めんなよ」って気持ちはあります。もちろんいただいた音源にはとんでもない格好良い音源があるのもあるので全部がということではないけど、「もっとしっかり作ったの聴かせろよ」って。

簡易的に誰でも音楽を作れるのはいいことでもあるけど、その反面ミュージシャンが急に増えた印象なんです。そりゃあ、CD売れなくなりますよね。俺たちは血の滲むような練習をしてここまで来てるんで、正直、そういう人たちにいきなり肩を並べられたくないなって。で、そういう人たちが「これまだみんなに聴かせる前の段階じゃん?」っていうものを世に出しているのを聴くと「舐めんなよ」って気持ちになって、「おじさんたちがちゃんとしたの作るわ」って思うんですよ(笑)。

青木ロビン

―確かに、誰でも音楽が作れるようになることは可能性を広げることになるけど、その一方で、ミュージシャンが音楽そのものの価値を下げてしまう危険性を孕んでいる部分はありますよね。

青木:ホントにそう思いますね。「もっとできるだろ」っていう想いは強くあって、今作はフィジカルでできる最大限のことが表現できたと思うんです。個性の出し方は多様化しているけど、バンドにはまだまだ可能性があると思う。だから、ぶれずに、流行りに流されずに、自分たちができることをやっていくのが一番大切なのかなって、改めて思います。

リリース情報
downy
第六作品集『無題』(CD)

2016年9月7日(水)発売
価格:2,808円(税込)
felicity / cap-257 / PECF-1140

1. 凍る花
2. 檸檬
3. 海の静寂
4. 色彩は夜に降る
5. 親切な球体
6. 孤独旋回
7. 「   」
8. 乱反射
9. 翳す、雲

プロフィール
downy
downy (だうにー)

2000年4月結成。メンバーに映像担当が在籍するという、特異な形態をとる5人編成のロック・バンド。音楽と映像をセッションにより同期、融合させたライブスタイルの先駆け的存在とされ、独創的、革新的な音響空間を創り上げ、視聴覚に訴えかけるライブを演出。ミュージックビデオの制作、プロデュースもメンバーが手掛け、世界最大級のデジタル・フィルム・フェスティバルRESFESTに於いても高い評価を得る。4枚のオリジナルアルバムをリリースの後、2004年12月末日を以て活動休止。2013年、9年ぶりに活動再開。2013年第5作品集「無題」、2014年に第5作品集「無題」remixアルバム、過去4作品の再発をリリース。



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