白崎映美インタビュー 被災者や路上生活者も癒してきた歌手人生

「無国籍音楽」を奏でて国内外で大きな人気を誇った音楽集団・上々颱風(しゃんしゃんたいふーん)の主要メンバーであり、現在は様々な名義で活動する歌手、白崎映美が、6月24日に開催される『ミューズ達の歌謡祭 in あらかわ』に出演する。

上々颱風の活動休止後、東日本大震災を経験して「東北人の血」をたぎらせた白崎は、同じ東北出身のミュージシャンを中心に結成した「東北6県ろ〜るショー!!」を率いて、ロックやジャズ、歌謡、東北民謡などをぶち込んだエンターテイメント性の高いステージを全国各地で展開している。エネルギッシュでバイタリティーに溢れた彼女だが、実は上々颱風に加入するまでは、「東北人コンプレックス」を抱えた引っ込み思案な少女だったというから驚きである。

今回は、そんな彼女がどのようにコンプレックスを解消し、存在感溢れる歌手へと成長したのか、上々颱風時代から現在までの道のりをじっくり訊いた。

神様、妖怪、昔から伝わる芸能、全部で「東北を守ってくれ!」っていう気持ちだったんです。

―白崎さんの、現在の活動の最も大きな動機は2011年3月11日の東日本大震災からきていると思うので、まずはそこから伺いたいのですが、「東北6県ろ~るショー!!」はどのような経緯で結成されたのですか?

白崎:おっしゃる通り、震災がなければ今のような活動はやっていないと思います。震災直後はもうパニックになってしまい、どうしたらいいのかわからない状態だったんです。私自身が東北出身者ということもありますし、中学3年のときに「酒田大火」(1976年10月29日に山形県酒田市中心部で発生した大火)に遭って、実家が全焼してしまう出来事があったんですね。そのときは他の地方から救援物資をもらったり、仮設住宅を造ってもらったり、いろいろ助けてもらって。

白崎映美
白崎映美

―そのときの「恩返し」をしたいという気持ちもあったのでしょうか。

白崎:そうだと思います。昔から東北って、経済もあまりよくないし、天気もよくないから暗いし(笑)。そういう、積もり積もった気落ちもあったんですよ。そこに地震ばかりか原発事故まで起きて、頭の中が「うわー!」ってなっちゃったんですよね。「なんとかしなきゃ!」って。

―居ても立ってもいられなくなったと言いますか。

白崎:最初は東北出身のミュージシャンだけを集めて、「東北の言葉で、東北の体で歌う」っていうバンドをやろうと思ったんですけど、ドラマーの山口ともさんが、「映美ちゃん、自分は東京出身だけど、よその地域から東北を思うのじゃダメなのかな」って言ってくれたんですよね。それで、「あ、私は逆差別をするところだった」と気づいて、いろんな地域の人たちを誘って結成したのが、「白崎映美&とうほぐまづりオールスターズ」(のちに「東北6県ろ~るショー!!」と改名)なんです。

『FUJI ROCK FESTIVAL '16』出演時の映像

―そこに至るまでに、木村友祐さんの『イサの氾濫』(未来社、2016年。初出は、文芸誌『すばる』2011年12月号)を読んだことも大きかったんですよね?

白崎:そうなんです。被災地のために「なにかしたい」と思っても、なにをしたらいいのかわからず、モヤモヤしたまま初めの一歩を踏み出せずにいて。そんなある日、朝日新聞の書評を見ていたら、青森県八戸出身の木村さんの『イサの氾濫』というのが紹介されていたんですよ。

それですぐに図書館に行って、『すばる』に載っている『イサの氾濫』を探して一気に読んだら、もう東北の血が逆流するような気持ちになってしまって。それを、周りの人に伝えまくり、「バンドやろう! やっぱりオラはバンドだ!」って。

白崎映美

―ライブの衣装が非常に特徴的ですが、これはどのようなイメージで作られたのでしょう?

東北6県ろ~るショー!!
東北6県ろ~るショー!!

白崎:この衣装は、『イサの氾濫』を読みながら、東北人が昔「蝦夷=まつろわぬ民(支配されない、迎合しない)」と呼ばれてたときに、どんな格好をしていたのか考えたんです。毛皮みたいなのを着ていた人もいたかもしれない、昆布をぶら下げていた人もいたかもしれない。

そんな蝦夷がもし現代にいたら、昆布の代わりにペットボトルをぶら下げていたり、ビニールシートを羽織ったりしていたかもしれない。蝦夷が馬に乗って、牛も鶏もみんな列になって、国会議事堂を包囲するシーンが小説の中にあるんですけど、それにシビレて、その小説のイメージを衣装デザイナーに伝えて作ってもらいました。人間や動物だけでなく、東北の神様、妖怪、東北に昔から伝わる芸能、そういうもの全部で「東北を守ってくれ!」っていう気持ちだったんですよ。

20代の私は、キラキラしたものを「かっこいい」と思わされていたんですよね。

―白崎さんの音楽活動のスタートとなった上々颱風は、どのようにして結成されたのでしょうか?

白崎:リーダーの紅龍(三線バンジョー、ボーカル担当)が横浜市の鶴見出身で、在日韓国人がいたり、沖縄から出稼ぎに来ている人が周りにいて、みんなそれぞれの国の音楽を、誇らしそうに楽しそうに歌っているのが羨ましかったそうなんです。で、ふと我に返ったときに、「自分にはどんな音楽があるだろう」と。

日本人っていうのは、いろんな国の文化を自分のものにアレンジするのがとても上手なんですよね。「だったら、日本で生まれ育った俺たちは、自分たちの音楽をやろう」と。しかも、仲間はずれのない音楽をやろうと思って作ったのが、「紅龍&ひまわりシスターズ」(のちの上々颱風)だったんです。

上々颱風。2009年12月9日、東京キネマ倶楽部にて(撮影:船橋岳大)
上々颱風。2009年12月9日、東京キネマ倶楽部にて(撮影:船橋岳大)

―白崎さんは、東北から上京して来て、そこに加入されたと。

白崎:はい。当時の私は「都会」に憧れて上京して来て、できれば自分の「東北臭」を全部隠したかったんですよ。方言や訛りも、ものすごいコンプレックスだったんですね。ところが紅龍は、「映美ちゃんは根っこがあって、文化があって、言葉があっていいね」って言ってくれるわけ。

「ええ? これがですか?」って思いますよね。自分がコンプレックスに思っているものを、「いい」と言われるなんて思ってもみなかったんだから。もし私が上々颱風に入っていなかったら、東北の言葉を捨て、標準語の「なんちゃって東京人」になって生きていたかもしれないです。

白崎映美

―そもそも、なぜそこまでコンプレックスに思っていたのでしょう?

白崎:他の地方の人は、東北人ほどコンプレックスを持っていないと思うんですよ。その理由を考えてモヤモヤしていた時期もあったのですが、それも『イサの氾濫』に全部書いてあったんです。

「言われのないコンプレックス」などではないんですよ。というのも、東北はものすごい昔から「負け続けてきた歴史」なんです。それで「負け根性」が染みついているのかと。東北人であることを「なんとなく恥ずかしい……」って思っていて、それがまた殊更にコンプレックスを生み出しているというか。

―白崎さんの中の「東北魂」は、上々颱風に入ったことで「コンプレックス」から「誇り」へと変わっていったんですよね。

白崎:長い時間がかかりましたけど、「『かっこいい』と思わされていること」と「『かっこ悪い』と思わされていること」、それから「本当にかっこいいこと」というのを、上々颱風に気づかせてもらったと思います。

初めて彼らを観たときは、「うわ、ダセー!」って思ったんですよ(笑)。だって、私が隠したかった泥臭かった部分を全部持ってるわけですから。もちろん、向こうは確信犯で「これこそがかっこいいんだ」と思ってやっているのだけど、20代そこそこの私は、もっとキラキラしたものを「かっこいい」と思わされていたわけですよね。

―白崎さんが、「紅龍さんのやっていることこそかっこいいんだ」と思えるようになるまでは……。

白崎:10年くらいかかりました(笑)。だから上々颱風の最初の頃は、本当に嫌々やってたの。「だったら辞めろよ」って感じなんですけど、そこは東北人の粘り強さが発揮されてしまって。バカですよね。

荒川区「ジョイフル三の輪商店街」近辺にて
荒川区「ジョイフル三の輪商店街」近辺にて

小さい子のいる施設に行ったこともあるんだけど、音楽の楽しみ方が自由そのものなんですよね。

―上々颱風で施設などをまわるようになり、そこで自由に音楽を楽しむ人たちと出会ったのは、白崎さんにとってターニングポイントだったのではないでしょうか。

白崎:そう。上々颱風では、障害のある人のところにもライブをしに行ったんですよね。最初はね、「もう、なんでこんなところでやらなきゃいけないの……」なんて、ひどいことを考えていたんです。

いざ演奏をし始めたら、車椅子に乗って観ていた大人の人が、突然車椅子から転げ落ちて、手だけを使ってステージの袖まで這いつくばって来たんですね。私はもう、「大変なことが起きた!」と思って凍りついたんですけど、周りの職員やボランティアの人たちは、みんな笑って見てるんです。

白崎映美

―ええ?

白崎:あとから聞いたら、「他の人が『イエーイ』って言ったり、踊ったりするのと同じように、『楽しい!』ということをああやって表現しているんだよ」って。なんて言うか、目からウロコが落ちたような衝撃ですよね。

私たち、離れて暮らさせられているから、彼らのことを全然知らなかった。もうね、打ち上げでもお酒をガンガン飲んで、取っ組み合いの喧嘩をしてるの(笑)。「あ、そうか、そうだよな。みんな同じだし、そんなの当たり前じゃん」と、ようやく気がついたんです、恥ずかしながら。

―上々颱風は、施設以外も、コンサート会場以外の場所でたくさん公演をされてきましたね。

白崎:そう。小さい子のいる施設に行ったこともあるんだけど、演奏している間中、ずっと側転している子もいれば、気がついたら私の隣にずっと立ってる子もいて。なんて言うか、音楽の楽しみ方が自由そのものなんですよね。私たちが忘れてしまっていることを逆に教えてもらったし、「羨ましいな、この人たち」って。心と体がくっついているなって思ったんです。

ちょっと不器用だったり繊細だったり、優しすぎたりすると、社会についていけなくなることがあると思うんです。

―大阪の西成でライブをやったことも、かなり大きな衝撃だったみたいですね。

白崎:最初に西成に行ったのは、上々颱風のライブだったんですけど、私はそれまで日本にそういう場所があることすら知らなかったんです。連れて行ってもらったら、その区域に入った途端、今まで感じたことのないようなヤバイ雰囲気が漂っていて……当時は何度目かの暴動のあとで、真っ黒焦げになった車が路上にひっくり返ってたり、駅も焼き討ちされて真っ黒焦げだったりしたんです。

西成の「三角公園」というところで無料コンサートをやることになったんですけど、公園を埋め尽くすオッチャンの海になっているわけ。焚き火がガンガン焚かれているし、もう恐ろしくて楽屋でブルブル震えてました。でも、いざ本番になって、ステージに出てお辞儀して……顔を上げた瞬間ね、もう全員がオッチャンなんだけど、人間のあったかい「なにか」がきたの。そんなことを感じたのは初めてで。「あ、もう大丈夫だ」って。

―人間のあたたかい「なにか」、ですか?

白崎:そう、幸せ感が溢れてきて。「おい、ねーちゃん早く脱げ!」とか、言いたい放題なんだけど(笑)、なんだかすごく嬉しくなっちゃって。バンドのみんなも、同じような気持ちだったんじゃないかな。パーカッションのゴトやん(後藤まさる)なんて、泣きながら演奏してるんですよ。それから私、西成に一人で通うようになるんです。

白崎映美

―西成にいる人たちの、どんなところに惹かれるのですか?

白崎:今って世知辛い世の中じゃないですか。ちょっと不器用だったり繊細だったり、優しすぎたりすると、社会についていけなくなることがあると思うんです。そういう人たちが、毎日会社に行くことすらきつくなって、流れついたのが西成なのかも知れないんですよね。

―ある意味、「まつろわぬ人」とも言えますよね。支配されない、迎合しない人たちというか。

白崎:もちろん、ダメなところもいっぱいあるとは思うんだけどね。たとえばあそこで飲んでると、どう考えてもお金なんてなさそうなオッチャンが、「奢る」と言って聞かないの。

そういう人って、ずっとそうやって生きてきたんだなあと思って。痛い目にもいっぱい遭って、それでも強くなれず、ずっと裸のまま生きていたというか……そんな人たちがたくさんいる西成へ行くと、私はすごく楽なんですよね。

西成で過ごす白崎映美(撮影:井賀孝)
西成で過ごす白崎映美(撮影:井賀孝)

世界中に、たくさんいい歌があるわけじゃないですか。「この歌をもっとみんなに聴いてほしい」って強く思うんです。

―そんな経験を積まれてきた白崎さんの歌を聴けるのが、6月24日に開催される『ミューズ達の歌謡祭 in あらかわ』になるのですが、この日は主に演歌を披露してくれるそうですね。

白崎:そうなんです。「東北6県ろ~るショー!!」でのなまはげスタイルとは打って変わってね(笑)。歌い手にはいろんなタイプがいて、自作曲を歌うシンガーソングライターさんもいますが、私は「歌手」であって、「いい歌をたくさん歌いたい」って思う。だって日本中どころか世界中に、たくさんいい歌があるわけじゃないですか。「あ、この歌をもっとみんなに聴いてほしい」って強く思うんです。

『ミューズ達の歌謡祭 in あらかわ』の会場「サンパール荒川」へは、都電荒川線が便利
『ミューズ達の歌謡祭 in あらかわ』の会場「サンパール荒川」へは、都電荒川線が便利(アクセス

―しかも白崎さんは、ジャンル問わず古今東西様々な歌に興味をお持ちですよね。

白崎:多くの音楽ファンは、「私はロックが好き」「俺はクラシック」っていうふうになってますけど、童謡だってすごくいいし、本当はみんないろんな音楽が好きなはずだよなと思っていて。私は食堂の娘で、お店のテレビで歌番組をみんなで見ながら、アイドル曲から演歌からちょっとエッチなムード歌謡まで、いろんな歌を聴いて育ったというのもあると思うんですけど。

―ジャズシンガーはジャズシンガーのメソッドが、演歌には演歌のメソッドがあったりして、それぞれを歌いこなすのは大変じゃないのですか?

白崎:一般的にはそうですよね。でも、私はなにかの型にはまって歌おうとは思わない。「この曲、こんなふうに歌ってみると面白いんじゃない?」みたいな感じで、バンドのメンバーと一緒に「自分たちの音楽」にしていくのが好きなんです。それが、誰かと一緒に音を合わせる楽しさだから。

しかも、観てくれているお客さんによっても変わっていくんですよね。「あれ? この曲こんなによくなっちゃった!」みたいな。私はやっぱりライブが好きで、目の前のお客さんがニッコリしてくれたり、「わぁ!」って驚いてくれたりするのが、嬉しい。そうやってみんなで一緒に作り上げていきたいですね。

撮影中も、目の前の人と楽しそうに会話する白崎映美。荒川区「ジョイフル三の輪商店街」にて
撮影中も、目の前の人と楽しそうに会話する白崎映美。荒川区「ジョイフル三の輪商店街」にて

―ちなみに、当日はどんな演歌を歌うのですか?

白崎:数曲用意しているのですが、そのうちの1つは“もう一度逢いたい”(八代亜紀が1976年に発表した楽曲)。以前、被災地で歌ったらじっちゃんばっちゃんが喜んでくれたので、今でも歌っているレパートリー曲です。でも、いろんな場所で歌っているうちにどんどん変わっているんですよ。もはや原型をとどめてないくらい(笑)。

―「歌は生き物」なんですね。

白崎:この日、エディット・ピアフの“群衆”を、酒田弁で歌おうかなと思っていて。うぢの方言って、ちょっとフランス語っぽく聞ごえるわげよ。

―(笑)。

白崎:「メェウルウルデュー」とか言うわけ。「目がシバシバしちゃう」って意味なんだけど。そんな感じで歌詞を作りました(笑)。

―この日共演される畠山美由紀さんやエミ・マイヤーさんとは、一味違うステージになりそうですね(笑)。

白崎:まあ、宴会部長ですから、私は(笑)。昔、農耕が始まった頃、やっぱりどうしても働かない人っていうのが一定数いたんですって。春になって畑を耕す季節になると、そういう人たちは太鼓を叩いたり歌ったりしたそうで。そうすると、働いている人たちは、その音楽に合わせて鍬や鋤を振ったり、種を撒いたりするから、仕事も捗った。多分私は、そっち側の人間なのかなと(笑)。元来怠け者系。

「ジョイフル三の輪商店街」にある「とりふじ」にて
「ジョイフル三の輪商店街」にある「とりふじ」にて

「え、映美ちゃんまだ東北のことやってんの?」みたいに言われたとしても、ずっとやりたいんですよ。

―アルバム『まづろわぬ民』(2014年)をリリースされた頃のインタビューを読ませてもらうと、「悔しい」という言葉をよくおっしゃっていて。被災地が忘れられてしまうんじゃないかと。そこから3年経ち、震災は6年前の出来事になったのですが、今はどんなふうに思われますか?

白崎:これからどんどん月日も経っていくわけだから、「忘れていく」というのは当たり前のことかもしれないんですよね。私を含め、みんなそれぞれの生活がありますし、生きていかなければならないから。あの頃のままの精神状態だったらみんな死んでしまいますよね、くたびれ果てて。そういう意味では仕方がないことなのかもしれない。

―同じテンションではいられないですよね。

白崎:でも、「え、映美ちゃんまだ東北のことやってんの?」みたいに言われたとしても、ずっと歌いたいんですよ。「じっちゃんばっちゃんのところに行って歌いたいなあ」って今も思うし、ずっとそういうふうに思っていたい。そして東北以外の人たちには、「面白いなあ、東北行ってみたい!」って思ってもらえたら嬉しい。

震災直後は「悔しい」っていう気持ちが強くて、「ウワァー!」って感じで動いてたんだけど、今はみんながゆっくりできる歌が歌いたいんです。たとえば東北を支えようとしてくれている人たちに、ほっと一息ついてほしいなって。ちょっとずつ形を変えながら、ずっと続けていきたいですね。

白崎映美

イベント情報
『ミューズ達の歌謡祭 in あらかわ』

2017年6月24日(土)
会場:東京都 荒川区 サンパール荒川 大ホール
出演:
白崎映美
畠山美由紀
エミ・マイヤー
料金:全席指定5,000円

イベント情報
『演劇集団風煉ダンス「まつろわぬ民2017」』

2017年5月26日(金)~6月4日(日)
会場:東京都 高円寺 座・高円寺1

2017年6月10日(土)~6月11日(日)
会場:福島県 いわき芸術文化交流館アリオス

2017年6月16日(金)
会場:山形県 シベールアリーナ

作・演出:林周一
出演:
白崎映美
伊藤ヨタロウ
ほか
音楽:
辰巳小五郎
関根真里
ファン・テイル

書籍情報
『鬼うたひ』

2016年6月24日(金)発売
著者:白崎映美
価格:2,700円(税込)
発行:亜紀書房

プロフィール
白崎映美
白崎映美 (しらさき えみ)

山形県酒田市出身。1990年、上々颱風(しゃんしゃんたいふ〜ん)のボーカルとして、メジャーデビュー。1991年、“愛より青い海”が大ヒット(JAL沖縄キャンペーンCMソング)。1994年スタジオジブリ映画『平成狸合戦ぽんぽこ』音楽、主題歌担当。1996年シンディ・ローパーのアルバム『Sister of Avalon』にゲスト参加、武道館ライブにも出演。2007年ミュージカル『阿国』(木の実ナナ主演)音楽担当、出演。多岐に渡る活動で支持を集める。東日本大震災を経て、木村友祐・著『イサの氾濫』との出会いに東北人の血がたぎり、とうほぐまづりオールスターズ(東北6県ろ~るショー!!に改名)を結成。2014年9月にはアルバム『まづろわぬ民』をリリース。2016年6月、初のフォトエッセイ『鬼うたひ』(亜紀書房刊)を発売。2016年9月には、天皇・皇后両陛下がご臨席される『第36回全国豊かな海づくり大会~やまがた~』の進行役を務める。



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