日本のまつりと出会いなおす

写真家・石川直樹が来訪神に魅せられた理由とは? 畏怖の念が湧き上がる「まれびと」の行事を語る

四方を海に囲まれた日本列島では、いにしえより津波や台風といった自然災害はもちろん、倭寇や黒船のような異国の脅威がしばしば訪れては私たちの先祖を悩ませてきた。

そんな海の向こうから不意にやってくる災害や脅威、渡来人たちがもたらす新たな技術や叡智に対する畏怖の念はいつしか「来訪神」という姿になり、その土地の暮らしに深く根づいていった。北は男鹿半島の「なまはげ」から、南は悪石島の「ボゼ」や石垣島の「ミルク」まで、日本各地に存在する多種多様な来訪神に魅せられ、何年にもわたって撮影し続けてきたのが写真家・石川直樹。

コロナ禍で打撃を受けた全国各地の伝統行事や民俗芸能をサポートするキヤノンマーケティングジャパンのプロジェクト「まつりと」とコラボレーションした連載「日本のまつりと出会いなおす」では、アーティストやクリエイター、文化人などへのインタビューを通じて、日本のまつりの魅力をさまざまな角度から解き明かしていく。第三回となる今回は、石川直樹のインタビューをお届けする。

来訪神を意味するタイトルがつけられた石川の写真集『まれびと』によれば、石川が初めて鹿児島県のトカラ列島にある悪石島を訪れ、来訪神「ボゼ」に出会ったときは「これから何が起こるかわからない、あるいは何が起こっても不思議ではないような空気に満たされていた」という。来訪神の行事は、そこに住む人々にとってどのような意味があるのか。そして石川はなぜ、来訪神の写真を撮り続けてきたのだろうか?

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全国各地の伝統行事等や民俗芸能がコロナ禍で大きな打撃を受けたなか、キヤノンマーケティングジャパンは文化庁からの委託を受けて、映像制作や写真撮影、オンラインによる情報発信、現地での運営サポートなどで伝統行事等をサポートしています。ウェブサイトでは、「日本の祭りを探検する」をテーマに、祭りや伝統行事等の魅力を多角的に発信しています。

他に類を見ない行事に立ち会うため悪石島へ。ボゼに感じた「言いようのない衝撃」

─石川さんが来訪神に興味を持つようになったのは、どんなきっかけだったのでしょうか。

石川:大学院で伊藤俊治先生の授業を受けた際、祭祀儀礼の本質と芸術がいかに結びついているか、さまざまな例を交えて教えていただいたことがあるんです。日本列島にも、人々の生と密接に結びついている行事がいくつも残っていることを知り、いろいろと調べ、船に乗ってトカラ列島に向かうことにしました。

─さまざまな伝統行事があるなかで、初めて訪れたのがボゼだった理由は?

石川:自分で見て、その場に行かない限り、これは何もわからないな、と思ったんです。当時はボゼもいまほど有名ではなく、知る人は知っているけど、ちょっとアンダーグランドな雰囲気がありました。悪石島はトカラ列島の十島村という島の連なりのなかにあって、アクセスがなかなか難しかった。船が鹿児島からトカラ列島を通って奄美大島まで行って、また奄美からトカラを経て鹿児島に戻ってくるという一便しかなかったので、行ってすぐに帰ってくる、みたいな日程は組めません。天候によっては欠航になるし、ある程度、時間に余裕がある人しか行けないんです。

─そうだったんですね。

石川:いまは「ボゼ便」なる特別な船が出ていたり、ボゼを見に行くツアーが組まれたりしていますが、ぼくが行った頃はそういうのがなかったか、台風か何かで欠航した時期で。だから、ボゼがやってくる時期も観光客は一切おらず、ほとんど島民しかいなかった。ぼく自身は定期便を使って、行事がはじまるだいぶ前に島に入りました。

キヤノンマーケティングジャパンによるYouTubeチャンネル「まつりと 日本のまつり探検プロジェクト」より

石川:天候が荒れて便が欠航になれば、1週間から10日くらいは帰ってこられないので、普通に働いている人はなかなか行けませんよね。あの年、島外から悪石島にたどり着けた人は本当に少なく、そのぶん昔ながらの、ありのままの行事に立ち会えた感動がありましたね。

─行く前に想像していたものと、実際に見たものとでは違いましたか?

石川:行く前は、どういう流れでボゼが出てくるのか、想像もつかなかった。ただ、仮面の意匠だけがインパクトとして強かったため、いろいろ想像してはいましたが、それを遥かに超える興味深い儀礼でした。

ぼく自身はすごく現実的なタイプだし、スピリチュアルなことにもあまり興味がなく、むしろそういうものに対して懐疑的なタイプです。「霊感がある」とか「何かを感じます」みたいな性格ではまったくないというか。でも、テラ(共同墓地の無人寺のこと)から3体のボゼがグワーッと出てきたときに、何か言いようのない衝撃が体に走ったんです。「これから何が起こるかわからない」「何が起こっても不思議ではない」と。

まれびとの行事に表れる「畏れ」を受け入れる姿勢

─ボゼは、行事のなかでどういうプロセスをたどって出てくるのですか?

石川:何度も盆踊りを踊って、ようやくそのあとにボゼが出てきます。盆踊りといっても、カセットテープを流して参加者がヤグラの周りを何周かして終わり、みたいな形骸化したものではまったくない。盆踊り自体がボゼを召喚するために必要不可欠な身振りとして存在しているように感じました。

そうやって同じ身振りをひたすら繰り返すことによって、踊り手もトランス状態になっていき、だんだんとあの世への扉が開いていく。そして、あっちの世界とこっちの世界がつながっていくんでしょうね。ボゼと盆踊りは切り離されたものではなく、すべて一連の儀式として存在しています。

─なまはげの様子などをニュースで見ていると、女性を追いかけまわしたり、子どもたちを脅かしたりして、そこで笑いが起きることもあるじゃないですか。「笑い」と「畏れ」についてはどのように思われますか?

石川:ボゼには「笑い」の要素はまったくないですね。もっと怖い存在と言いますか。なまはげも、いまでこそキャラクターのように受け取られることも多くなっていますが、岡本太郎が撮影した1950〜60年代頃は全然違ったのでは? 古いなまはげのお面はツノがついていないものもあって、いわゆる鬼ではなく、ぼくは渡来の異人などがもとになっているんじゃないか、と考えています。

たとえば硫黄島のメンドンも、まつりの日になると女性や子どもは自宅の鍵まで閉めてメンドンが入って来ないようにしていた時代があったとか、押し入れのなかに隠れたりしてやりすごす、という話も聞きました。おばあちゃんたちも本気で怖がって「メンドンには絶対に会いたくない」という人もいます。

東北の来訪神の面のなかには、木の根っこを鼻に見立てたり、亀裂の入った木片を口に見立てたりしているものもあります。怖がらせるために人が想像してつくった化け物などとは違って、自然による偶然の造形を利用してつくった面は、言葉では形容し難い怖さが出るんです。

─渡来の異人が、畏れの対象のひとつになりえたんじゃないか、というわけですね。

石川:たとえば稲作や製鉄の技術をもたらしたのは、海を越えてやってきた人たちでしょう。彼らに対する畏怖の念のようなものや、日本という島の連なりのなかで、古来、人々が遭遇し続けてきた津波や台風などの自然災害が結びつき、来訪神という名の「異形の神」になったのではないかな、と。海の向こうからやってきた異質な他者を、拒絶するのではなく、畏れながらも受け入れていく。そういう姿勢や考え方が、まれびと(来訪神)の行事に表れているのだと思います。

来訪神が人々のコミュニティーに与えるものとは?

─地方によって、来訪神の登場の仕方も変わってくるのでしょうか。

石川:九州や沖縄地方のそれと、東北や北陸地方のそれとでは意味合いも違います。前者は先祖が帰ってくるお彼岸に、後者は豊作を願う年越しや小正月に執り行なわれる。そのため一緒には語れない部分もありますし、「まつり」で括ってしまうのは無理がある。おまつりというよりは、暮らしの延長にある伝統行事、というほうがしっくりきますね。

─祝祭とは意味合いが違うというか。

石川:儀礼に近いものがあります。来訪神は、ビジュアルのインパクトが大きいために、人はおもしろがるのですが、そもそもは島の人たちが共同体を存続させるために受け継いできた行事であって、観光客に見せる類いのものではなかった。最近、取材に行った種子島では、たった2軒の家を回る来訪神がいました。これなんて、観光客は当然皆無ですし、地域の人たちが地域のために行なう行事ですよね。

石川:まれびとの行事は、そこに暮らす人々が先祖との結びつきを確かめ合いつつ、コミュニティーの未来をより良くしたいという気持ちで行なうものであり、観光客がいようがいまいが、島の人たちは粛々とやり続けてきた。だからこそ緊張感があるんだと思います。例えば悪石島のボゼにしても、嬉々として島の人が話したがるようなものでは決してない。いまはどうかわからないですけど、ぼくが訪れた15年くらい前はそんな感じでした。

─日本には、そうした儀礼が残っている地域と残っていない地域、そもそも存在していない地域があります。その違いは何なのでしょうか?

石川:自然の脅威が身近にあるかどうかも大きいでしょうね。為す術のない突発的な自然災害や、海を越えた大陸や半島との偶発的な交流、決して肥沃とは言えない島の土壌や雪深い土地で暮らす人々は、「災害がやってこないでほしい」「今年はなんとか豊作であってほしい」と切実に願いながら、抜き差しならない状況下で日々を送ってきました。

そういうところから祭祀や儀礼が生まれて発展していったのだとぼくは考えています。それに比べると、経済的にもゆとりがあって、災害という意味でも直接的な影響を受けにくい街では、おまつりも祝祭的な要素を多分に含んでいるものが多いと感じます。

石川が来訪神の撮影でもっとも心を動かされる瞬間

─来訪神に対する畏れの気持ちを共有することで、コミュニティーの結びつきを強くしていく側面もあると思いますか?

石川:畏れとは、「人智を超えた何かから見られている」ということに対する畏怖の念も大きいように感じます。そうした意識があることによって、いつどんなときであっても、人が見ていなくても「悪いことはできないな」という気持ちになったりしますよね。

たとえば物を盗んだり、悪さをしたり、怠けたりする気持ちが人間に芽生えたとしても、自分より遥かに大きな存在に見られていて、結局それが何か別のかたちで跳ね返ってくるだろう、そんなことを思い知らされる存在が必要だったのかもしれないな、と。

─よく「お天道さまが見ている」なんて慣用句が使われますが、それに近い感覚がありそうですね。

石川:そうですね。東北にはなまはげのほかにもヤマハゲやアマメハギ、アマノハギなどいろいろな来訪神がいますが、まれびとの中の人は、訪ねるお宅の子どもの普段の行ないを、事前にその家族に尋ねている場合もあります。

それで突然、「おまえは宿題もやらずにゲームばっかりやってただろ!」みたいなことを言われると、子どもたちはみんな「なんでそんなことまで知ってるんだ……!」と本気で怖がるわけです(笑)。「すみません! もう絶対やりません!」と本気で謝っている子どもたちを見ていると、ひとつの教育のあり方として学ぶべきところもあるのかなと思いますね。

─石川さんがそうした行事を撮影しているときにもっとも心を動かされるのはどんな瞬間でしょうか。

石川:予想もしないことが起きる瞬間です。来訪神の行事はプログラムがあってそのとおりに進んでいくようなものではなくて、「何が起きるかわからない」「いつはじまるのか、終わるのかもわからない」という状況のなかで、自分も畏怖の念を抱いて来訪神に出会える。そして、こうしたまつりを通して人間の本質にめぐり会えるような感覚もあります。

仮面をつけると人が変わります。仮面が「変身」のきっかけになり、その人のなかにある「自分」というものがなくなって何かが降りてくるような。側から見ていてもそんなふうに見えますし、何かに憑依されるような感覚が仮面をつけている本人にもあるんじゃないかな、と思います。

見えない何かを感じざるを得ない。石川が感じる来訪神の視線

─仮面が変身するスイッチになるというのも非常に興味深いものがあります。

石川:南西諸島で出会った「ミルク」は、仮面をかぶる人があえて酒をたくさん飲んで酔った状態で来訪神に変身します。仮面にあいた目の穴と自分の目がうまく合わなかったり、前がよく見えない状態でヨタヨタと千鳥足で歩いたり動いたりすることによって、ある種の境界を超えやすくなるんでしょう。自分で動きがコントロールできなくなって、まるで何かが乗り移ったかのような動きに見えることもあります。

─スピリチュアルなものには懐疑的な石川さんでも、心を動かされたわけですね。

石川:写真は、目に見えないものは写りません。でも、撮りながら見えない何かを感じる、感じざるを得ない、ということはありますね。たとえば喫茶店にいても何の気配も感じませんが、まれびとの行事に立ち会うことで、やっぱり見えない何かが迫ってくるような、誰かに見られているような感じがするんですよね。

─石川さんが、写真集『まれびと』で伝えたかったことをあらためてお聞かせください。

石川:時代が過ぎ去っていくなかで、いま自分の目の前にあって、自分が体験しているものを記録したい、という思いがいちばん大きいです。5年後、10年後、もっと言えば100年後の人たちに、この時代にこういう光景があった、ということを分かち合うことができたらいいな、と。

ぼく自身は、興味本位でまれびとの行事を見に行くべきではないと考えています。もちろん誰でも見学できる行事もありますが、もし見に行くならば、単におもしろがるのではなく、畏怖と畏敬の念をもって、正面から接してほしいなと。

─もし、私たちが来訪神をこの目で見たいと思ったとき、どんなことに気をつければいいでしょうか。

石川:一般には見学できないものもありますし、撮影できない行事もある。そういうのは、地元の人と事前にきちんと話して、素直に従うことはもちろんですね。

どうしても行くのであればその土地、そのまつりのローカルルールを行く前に調べて、遵守することが大切です。本やネットで見るだけでも十分だと思いますが、とにかく背景にあるものをきちんと知りながら少しずつ訪ねていくのがいいのでは。そういう意味ではトカラ列島なんかも、ボゼの時期でなくても、普通の日に訪れるだけでもたくさん得るものがあると思いますよ。

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全国各地の伝統行事等や民俗芸能がコロナ禍で大きな打撃を受けたなか、キヤノンマーケティングジャパンは文化庁からの委託を受けて、映像制作や写真撮影、オンラインによる情報発信、現地での運営サポートなどで伝統行事等をサポートしています。ウェブサイトでは、「日本の祭りを探検する」をテーマに、祭りや伝統行事等の魅力を多角的に発信しています。YouTubeチャンネルでは、今年開催された祭りの踊りの映像もお楽しみいただけます。来訪神が登場する祭りの動画は現在3本公開中。
プロフィール
石川直樹 (いしかわ なおき)

1977年東京生まれ。写真家。人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表し続けている。近著に『地上に星座をつくる』『シェルパの友だちに会いに行く』、写真集『Kanchenjunga』など。



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