編集者・草彅洋平をつくった失敗の日々。挫折はいま思えばサウナだった

一見、華やかに活躍しているように見える、クリエイティブ業界の著名人たち。しかし、そういった大きな仕事を手がけている人ほど、じつは学生や駆け出しの社会人のころ、もしくはいまでも大きな挫折を経験し、それをバネに仕事に向き合っているのではないだろうか。

活躍する場が広がれば広がるほど、世の中への影響力が大きくなればなるほど、失敗のスケールも大きくなる。特に最近はSNSなどを介して、失敗した人の噂が目に入ってきやすいため、失敗のネガティブなイメージがより増している。

だが、多くの人が恐れている挫折や失敗は、そんなに悪いことなのだろうか? その人の人生や考え方をより豊かにするための、きっかけにもなっているのではないだろうか。

そんな「挫折」についての話をうかがうべく、クリエィテイブ業界の「ボヤきの達人」と言われる次世代編集者の草彅洋平さんにインタビュー。会社員時代から、現在に至るまで、これまでの人生を振り返ると「挫折だらけだった」という。いったいどのような挫折をし、乗り越えてきたのか?

会社はギャンブルをしにいく場所だと思っていた

ー独創的なコンテンツをつくり続けてきた草彅さんですが、これまでにさまざまなトライ&エラーがあったかと思います。そのなかでも特に印象的だった挫折はありますか?

草彅:今年で45歳なんですが、振り返ってみても挫折ばかりです。なかでも一番大きな挫折は、はじめて働かせてもらった20代はじめの会社員時代ですね。

「親のスネをかじって生きよう」くらいに思っていたところに、新雑誌をつくるからと当時有名な会社から誘ってもらえたんです。ぼくが同人誌をつくっていたことがきっかけで、入社面接もなく入社できたんですよ。当時のその会社は若者に大人気で、入社倍率が400から500倍近く。ぼくだけ特待生扱いでした。

でも、ぼくはしっかりと就活をして入社してきたほかの人たちと比べて、仕事の意識もスキルも当然低かった。周りは東大生とか一流大学ばかりで、二流校はぼくだけですよ。かといって、どうにかしようと足掻くわけでもなく、超然と好きな本を読んでいるだけ。当時のぼくは仕事がまったくできないのに、「本をたくさん読んでいる奴がスゴい」と考えているだけの、会社や社会のことをまったく考えない非常にめんどくさいヤツでした。

22才の金髪時代の草彅さん。「生意気で自意識が強く、最低のダメ社員時代でした」とのこと

ーそれで会社員として過ごせていたんですか?

草彅:仕事は頼みづらいし、頼んでも期待に応えない人間だったので、まわりからも呆れられていたと思います。

たとえば展示会の映像撮影の仕事ひとつ頼まれても、ほかの人はきちんと展示会の様子を撮影するのに対して、ぼくは道端のアリなんかを撮っていましたから(笑)。ジャン=リュック・ゴダールをはじめとするフランス映画に憧れていたので、コマーシャルではなく、芸術的に何でも考えてしまう自分がいました。いまとなっては黒歴史ですね……。

ただ、マニアックな知識だけは豊富にあったからか、役員の年上のおじさんさんからは可愛がられてはいました。仲良くなったギャンブル好きの役員の方に誘われて、会社に行かずに連日パチンコや麻雀、競馬に日々明け暮れていましたね。「人生で大事なのは勝負感だ!」と、師匠のような感じで連日遊んでいました。当時はまだギャンブルに対して問題視する声も少なく、ぼくも賭け事を「人生で勝つか負けるかを養う教養としての場」として捉えていました。

そのうちにその役員の方が「友人を紹介するとクオカードがもらえる」キャンペーンのクオカード欲しさに消費者金融を紹介してくれたんですよ。それが運命の分かれ道に。雪だるま式に数百万借金しちゃたんですね……。いま考えればアホだったと思うのですが、仕事はできないうえに、百万単位の借金まみれというスゴい社員でしたね。

ーそれは激ヤバですね……。

草彅:会社にかかってくる電話も取引先だけじゃなかったですから。「田中さんからお電話です~」「はい、草彅です(誰だろう田中って)」「プロ●スの田中です!」って感じでした。ずばり借金の取り立てですね。もう八方塞がり。パチンコ屋行って、消費者金融に行って、負けた不安から雀荘に行くという、『闇金ウシジマくん』7巻を地でいくクズでした。

ある日、そんなぼくをクビにする会議が開かれたこともあったそうですが、「こいつは面白いから残してあげよう」と当時の社長がなぜか守ってくれたこともありましたね。でもさすがに問題になり、給料を下げられ、雑務担当としてイチからやりなおそうということになりました。ちょうど入社して2年が経った頃です。

今度は働き過ぎてうつ病に。どのように乗り越えた?

ー急にきちんと働けたのでしょうか?

草彅:無理ですよ。なんせ2年間、パチンコや麻雀、競馬しかしていないんですよ! さらにそんな特権的な立ち位置もあって、社内で嫌われてしまったので、その居心地の悪さと、自分のあまりの仕事のできなさがすごくツラかった記憶があります。

ただ、働いていくうちに、徐々に自分にできることも増えていきました。そうしたら、今度は遅れを取り戻すために働き過ぎてうつ病になり、人と喋ろうとすると脂汗が出たり、過呼吸で倒れたりするようになってしまったんです。借金と仕事のストレスです。

当時は時代的にも労務管理が甘く、毎日1日14時間は働いていたし、休みも年間で6日しかありませんでした。仕事もできなかったし、お金もなかったし、毎日会社に泊まり込んだ結果、体がおかしくなってしまいました。

ーうつ病になってしまうまで働けていたのは、なにかモチベーションがあったのでしょうか?

草彅:当時は「自分はうつ病だ」などとフラットに話せる時代でもなかったので、自分はダメな人間なんだと思っていた。なかなか人に言えず、ずるずると先延ばしにしてしまったことのほうが大きいですね。

また、逃げ方を知らなかったこともあります。自分にスキルがないと思っていたので、会社を辞めてほかのところで仕事ができる自信もなかった。

結果的にうつ病が回復するまでには2、3年ほどかかったのですが、この時期はぼくのなかでもいちばんの挫折の期間だと思います。

徹夜は絶対にしない&よく寝ることが大事

ーうつ病から、どのように回復していったのでしょうか?

草彅:精神科の先生にも診てもらい、友人の助力もあって、会社を辞めたことが結果的に一番回復に繋がりました。自分のペースを取り戻すために、毎日マラソンをしたことも大きかった。ギャンブルは……結局やめられなかったですね。でも、度は越さなくなりました。やはり周囲の人たちに助けられていたんだなと、いま振り返ると思います。

それからは、知り合いの制作の仕事を手伝いながら細々と暮らしていました。借金を返して、自分の会社を立ち上げるまでは、ずっとそんな感じでしたね。

世界中のあらゆるカジノに行ったという草彅さん。「結論から言えば借金を返すには地道に働くのが一番でした」と至極真っ当なコメントをくれました

ー自分の会社を立ち上げたのは、うつ病が回復して「もう自分は大丈夫だ」と思ったからなのでしょうか?

草彅:「自分は大丈夫だ」と思う瞬間は、正直いまでもあまりないんです。いまでも緊張したら、手のひらを表にしてしゃべったり、腕組んだりしないようにして、緊張を解く癖の積み重ねを行なっています。

会社をつくったのも、知り合いからお願いされた仕事を手伝うことを繰り返しているうちに、ある程度お金を稼げるようになったからにすぎません。いまみたいに若者がベンチャーを作るという時代でもなかった。本当は大手出版社や、どこかの会社に就職したかった。でもそんな自信もなかったし、正面からの面接では受かる可能性はゼロでしょう。他人からするとぼくは本当に扱いにくい人間なんですよ。「起業する」というと対外的にカッコいいかもしれませんが、自分にとっては単に居場所がなかったから会社をつくったに過ぎないんです。

ーその後、草彅さんは世の中で話題になるような仕事を次々と手掛けていきました。仕事をやっていくなかで、自信もついていきましたか?

草彅:多少はついたかもしれません。でもまわりが見えないのはいつものことでした。恥ずかしいものはつくりたくない。そんな自分のプライドが必死過ぎたんでしょうね。

まともな出版社や制作会社で働いた経験がなかったので、明確なつくり方を誰かから教わらなかったのも、無理してしまう根底にありました。ものづくりで5徹とか6徹とか普通にしていましたし。友人に深夜3時に「手伝ってくれ」と電話して怒られたり。普通に仕事もままならないまま、社長になってしまった感じでした。

単に必死でやっているだけ。これだと20代の頃と同じです。30代になり、少しづつ、自分のこともわかり、徹夜や無茶をしなくなりました。その頃から仕事もうまく回り出しましたが、それでもいま思えば自分のことばかり考えていて、人のことを考える余裕がなかった。人間としては全然ダメでしたね。

自分を見失い、数々の宗教に入ってしまった頃の草彅さん。「宗教では救われず、宗教は金ばかりかかりましたね」と実感あるコメント

サウナに入れば明日はある

ー挫折経験から、いまの自分の働き方につながっていることはありますか?

草彅:たしかに挫折があったから「やり切る力」が身についたのかもしれません。でも挫折があったからいまがあるという安易な言い方をしたくない自分が正直どこかでいます。

たとえばいまぼくはサウナにハマって『日本サウナ史』という本まで出してしまったのですが、サウナは「挫折」に通じるものがある気がしています。

草彅さんが4年かけて書き上げた『日本サウナ史』。豪華特装版でタナカカツキ氏、ヒャダイン氏が帯文を寄せている

ーどのような挫折なのでしょうか?

草彅:「サウナ」「水風呂」「外気浴」の3つの行程を順番通りにやっていくと、不思議なことに体が「ととのった」状態になります。「ととのう」という状態がなぜに発生するのか、なぜにサウナブームと呼ばれるまで人々がサウナに通い詰めるのか、さまざまな人が論じていますが、誰もきちんと言語化できていません。

ぼくはアツい「サウナ」も冷たい「水風呂」も、体に強制的に発生させるストレス、すなわち一つの「挫折」なのではないかと思っています。「サウナ」と「水風呂」という強烈なストレスを体に与えることで、「外気浴」でスッキリしている自分がいる。ストレスがなかったら、こんなに体がすっきりする状態は生まれないのです。

挫折も「外気浴」に向かうまでの一つの道のりなのかもしれません。挫折があるからこそ、人生で何かを何遂げたときの、達成感や幸福感が増している気がしています。

ー唐突なサウナトークですね……!

草彅:最近なんでもサウナに例えられるようになりました(笑)。思えば自分の人生を振り返ったときに、自分の失態からとんでもないストレスが発生する事件が定期的に起きています。その頃のぼくはサウナを知らなかったので、悶々と一人で悩んで、苦しんでいました。また挫折から逃れたいと強く思うことがありました。しかし挫折からは逃れられません。きっと人間として生きる以上、一生続いていくことだと思います。

くよくよしても何もはじまりません。でもそれがわかっていても悩んでいるときはくよくよとずっと闇を見つめて苦しんでしまう。ストレスから不眠になり、労働効率も生きる力も下がります。

でも最近はサウナに行けば、「サウナ」と「水風呂」の強烈なコンボで、もともとのストレスも雲散霧消してしまい、「なんとかなるんじゃないか……」と楽観視できるようになりました。より強いストレスでストレスを打ち消すという(笑)。サウナを知らなかったら、思考がポジティブになっていないわけです。

仲間とサウナがあるから生きていけると話す草彅さん(写真の左から二人目)。CULTURE SAUNA TEAM "AMAMI"のチームメンバーたちと

ーサウナに入ると、そんなにストレスが軽減されるのですか?

草彅:最近科学的なデータも出て、医学的にもエビデンスが取れてきましたが、あくまでぼくの主観的な意見ですのであしからず。ただぼくは、サウナは思考を強制終了できる「リセットボタン」だと思っています。そして「挫折」に唯一立ち向かえるツールなんじゃないかと確信しています。だから、いまサウナブームなんじゃないかと思っていますね。

ぼくはサウナのおかげで、ハードシングスのときこそ、逃げずに真摯に向き合って、やりきることが大事なんだなと学ばせていただきました。どんなにツライことがあってもサウナに入れば明日はあるんです。

ただ日々サウナに入るには、支えてくれる家族や仕事仲間、友人の存在がとても大きいと思います。日々家族や周りの人々に感謝ですね。大きなトラブルを起こしてしまったとき、周囲の人が逃げてしまうことはとても多い。そういった状況のなかで、去らずに応援し、助けてくれる人たちは本当に大事な存在だと思いますよ。

愛のない人たちがブームと名ばかりに大量消費していく時代

ー草彅さんが手がけるユニークなコンテンツのルーツには、今日おうかがいしたような草彅さんの性格、生き方とも関係している部分はあるのでしょうか。

草彅:『日本サウナ史』を出版したのも、現在のサウナブームに対するぼくの屈折した感情があります。もともと令和のサウナブームの発端は、ぼくが下北沢のイベントスペースを経営していた際にTTNEチームとはじめた「CORONA WINTER SAUNA SHIMOKITAZAWA」というのは業界ではよく知られている話です。現在開催されているチームラボのサウナより4年も早かったんですよ!

草彅:あの下北沢のイベントに来てくれた多くの人が、イベントきっかけにサウナに目覚め、自分たちでサウナをはじめ、空前のサウナブームが起きたといっても過言ではありません。でも、ぼくはあのイベント後に、多忙なのもあってサウナを自分のブランディングにしませんでした。そして日本の悪しき風習として、最初にはじめた人たちに何のリスペクトもないまま、すぐにパクってコンテンツを奪っていく人たちがいます。タピオカ屋みたいに。

数年経ち、そんなブームに乗っかってはじめた人たちのサウナを見て、あまりのヒドさに衝撃を覚えました。そしてそういう人たちと話すと、決まって「草彅さんよりサウナは私のほうが詳しい」などと言うわけです。これには腹が立ちました。サウナに愛のない人たちがブームと名ばかりに大量消費し、きちんと調べもせず、適当なデマばかり発信している。とても良くない傾向だと思いました。だからこそ、自分が誰よりもサウナを愛し、理解していることを証明するための本を出そうと思い至ったのです。

草彅が視察に行った某イベントの様子。ストーブ側面の板に防火材を使っていないため、焼け焦げている。「このままでは重大な事故が起きるだろう」と草彅は愛のないサウナイベントに心配している

ー愛のないものづくりをする人たちと、本を出版するのがどうつながるのでしょう?

草彅:愛のないサウナをつくる人たちはぼくの本を読みもしないでしょう。でも愛のあるサウナーはきっとぼくの本を手にとってくれるはず。人間、「より深く勉強したい」という気持ちが何よりも大事です。先人たちへのリスペクトないプロダクトは、どうしても稚拙になります。

ぼくは愛がある人たちとものづくりをしていきたい。だからこそ、本を出しましたし、サウナを勉強するチーム「CULTURE SAUNA TEAM "AMAMI"」を結成しました。今後は"AMAMI"のメンバーできちんとしたサウナを展開していきたいと思っています。本はぼくのサウナへの愛を伝えるためのメッセージなんですよ。愛がある人たちを集めて、ものづくりに愛がない人たちを駆逐していきたいですね。

CULTURE SAUNA TEAM "AMAMI"のTシャツ。サイトで販売している

ー草彅さんのように不満に思ったことを解消するために、わざわざ時間とお金をかけてプロダクトに落とし込む人は少ないように思います。

草彅:不満をツイートしても何も変わらない。常に有言実行、それがぼくのスタンスです。それも長年のものづくりで培ったガチのプロダクトを世に問いたい。

今回サウナに対しては『日本サウナ史』という本に結実しました。誰も解き明かしていない、日本のこれまでのサウナの謎を解き明かしたのですから、もっと多くの人に読んでもらいたいものです。

でも日本の出版は、出版社自体が各賞を持っているので、ぼくの本が大きく取り上げられることは少ないでしょう。おそらく、ぼくの本は評価されないと思います。これがぼくの最近の「挫折」でしょうね。自分が面白いという本を出しても、全然売れない。伝わらない。販路もない。それでも一縷の望みを託して、わかる人に自分が面白いと感じた本を読んでもらえたらと切に願っています。

ぼくは「挫折」を含めていろいろな経験してきたからこそ、自分が「面白い」と思えるものを積極的に発信できるようになったのかもしれません。それが結果的に、仕事につながったり、ある程度評価されたりもしている可能性もある。今後も自分が「面白い」と思うものを誠実にやり切れたらいいなと思っています。

プロフィール
草彅洋平 (くさなぎ ようへい)

編集者。フィンランド政府観光局が認めたフィンランドサウナアンバサダーの一人。著書に『作家と温泉』『日本サウナ史』など。編著に『決定版・ゲームの神様 横井軍平のことば』(P-VINE/2016年慶應義塾大学入試問題に採用)など。

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