コロナ禍の京都で誕生。地球から2ミリ浮いている人たちの正体

2020年7月、新型コロナウイルスの流行によるロックダウンの影響で留学先のアメリカから帰国を余儀なくされた、ボーカルの中野由季とギターのコバタヨシタネを中心に結成された4人組、その名も「地球から2ミリ浮いてる人たち(以下、2ミリ)」。

彼らのプロフィールには「京都で結成された」とあるが、多くの人が連想する京都タワーや鴨川のある京都ではない。いまもかやぶき屋根の家が存在する、美しい自然に囲まれた京都北部の里山、それが彼女たちの原風景。そして、バンドが奏でるエバーグリーンなポップスからは、そんなルーツがたしかに感じられ、たまらなく魅力的である。

「夜中にアンプで音を出しても周りに人がいないから怒られない」というコバタの自宅スタジオでの曲づくり、プリプロ、京都市内でのレコーディングを経て完成した初のミニアルバム『うつろひ』は、中野がこれまで地元で、アメリカで、コロナ禍のなかで感じてきた想いを込めた、彼女たちの本当のはじまりを告げる作品。育ってきた環境が違っても、周りから浮いていても、あなたがあなたらしくありますように。

京都の里山で、夜でもギターアンプをつないで、窓を開けて練習しています(コバタ)

―2ミリのプロフィールには「京都で結成された」とありますが、自然に囲まれた京都北部が地元だそうですね。

中野:私の地元は美山町というところで、山の中野小さな村みたいな感じなんですけど、かやぶき屋根が有名で、観光地にもなっていて。

―中野さんのお父さんがかやぶきの職人さんなんですよね。

中野:そうなんです。なので、小さいころから観光客に囲まれながら育ちました(笑)。でも、小学校の同級生は10人とかで、全員仲良くて、温かい人たちのなかでのびのびと過ごしてきましたね。

地球から2ミリ浮いている人たち 左からコバタヨシタネ(G)、なかえりょうた(Dr)、サキホ(Ba)、中野由季(Vo、G、Key)

コバタ:ぼくの地元は丹波町というところで、とにかく人がいなくて、実家のある地区は20世帯くらい。同級生も全然いなかったので、一人で過ごす時間が多かったんですけど、親父が音楽好きで家にドラムがあったので、親父のドラムに合わせてギターを弾いたりしてました。

―バンドの練習もコバタくんの実家でやっているそうですね。

コバタ:そうです。周りに全然人がいなくて、空き家ばっかりなので、夜でもギターアンプをつないで、窓を開けて練習しています(笑)。

君の街まで

―京都市内に行くことはありましたか?

中野:母の実家があったり、習っていたクラシックピアノの先生が住んでいたのが京都市内だったので、よく行っていました。母はクラシックのヴィオラダガンバという楽器の奏者で、ピアノの先生もやっていて。

―地元と京都市内を比較して、どんな風に感じていましたか?

中野:やっぱり、市内に憧れていましたね。自然とかって、いまは大切に思うけど、生まれたときからそこにいると当たり前に感じちゃって、むしろ不便でしかないイメージで。市内にはキラキラしたお店がいっぱいあるし、お出かけするときは楽しくてしょうがなかったです。

高校のときの私は周りの目を気にして、自分を殺してしまっていた。(中野)

―中野さんは3歳からクラシック、コバタくんも小さいころからギターを弾いていたそうですが、音楽的にはどんなルーツが大きいですか?

コバタ:じつはぼくもクラシックあがりで、小1からずっとピアノとヴァイオリンをやっていました。ただ、レッスンのたびに「ここはこう表現しろ」みたいに細かく決められていることに耐えられなくなって。そんなときに出会ったのがTHE BLUE HEARTSだったんです。

マーシーのギターを聴いて、「こんな自由に弾いていいんだ!」って、身体に電撃が走って、そこからギターに持ち替えて。

さらに、小5くらいでThe Beatlesに出会って、もう一回衝撃を受けるんです。それからはずっとThe Beatlesが大好きな少年で、ポール・マッカートニーに会いに行ったりして。

―会いに行った?

コバタ:来日したときに追っかけみたいなことをしてました(笑)。日本に来るって聞いて、挨拶したいと思って。いてもたってもいられなくなって、空港に行ったり、出待ちしたりして、実際にポールに会うことができて。

―すごい(笑)。

コバタ:そこから派生して、古いUKロックが大好きになって、中学生のときにイギリスに一人旅をして、リバプールにも行きました。

あと、地元には親以外に一緒に音楽を演奏できる知り合いがいなかったので、Facebookに「The Beatlesのコピーバンドがしたい」って投稿したら、東京の年上の人が反応してくれて、ちょこちょこ東京行って、コピバンをやったりもしてました。

―コピバンのために東京に……! そんなコバタくんと中野さん、あとベースのサキホさんが出会ったのは高校時代だったそうですね。

中野:園部っていう、地元よりは少しだけ京都市内に近い場所の学校でした。やっぱり、もうちょっと街中に行きたかったので、地元の高校には行かずに受験をして。

で、よしにい(コバタ)と私とサキちゃんは一学年ずつ年が違うんですけど、音楽をやりたい人が集まる「国際音楽同好会」というのをよしにいがつくっていて、その「中庭ライブ」というイベントで三人が知り合って。

コバタ:その学校にはもともと軽音部がなくて、ぼくは吹奏楽部に入ったんですけど、やっぱりバンドがやりたくて。それで学校のなかでゲリラライブみたいなことをしたら、賛同してくれる人が結構いることがわかって。ロックでもジャズでもなんでもやっていい「国際音楽同好会」をつくったら、二人が入部してくれたんです。

中野:私はずっとクラシック一本だったんですけど、高校で初めてポップスに出会って、そこから弾き語りを始めて。そのころから三人でなにか一緒にやる機会が増えていったんです。

―話を聞いていると、コバタくんは昔から行動力がすごいですよね。高校時代のコバタ先輩はどんな人だったんですか?

中野:めっちゃ浮いてました(笑)。上履きじゃなくて下駄を履いていたり、体育祭にランドセルを背負ってきたり、すごく変な人だなって。でも、私もサキちゃんもそういうところがいいなと思ったんです。

今回のミニアルバムに入っている“ハッカドロップ”は、私のバックグラウンドがよく出ている曲だと思っていて。高校のときの私は周りの目を気にして、自分を殺してしまっていたんですよね。やっぱり田舎者だったし、ちょっと変わったことをすると目をつけられて、仲間外れにされたりとか、そういう経験もして。

“ハッカドロップ”

中野:でも、バンドをはじめるにあたって、もう一度自分を見つめ直したときに、音楽をするときくらいは自分でいいやと思って、その気持ちを最初にかたちにしたのが“ハッカドロップ”だったんです。

「昔は田舎で伸び伸びと好きなように生きてきたのに、なんでこうなってしまったんだろう?」と思うと、このままじゃ嫌だから、自分らしく生きていきたいという想いを曲に込めました。

―周囲から浮いていたとしても「自分らしさ」を大事にするコバタくんとの出会いは、中野さんにとって大きかったんでしょうね。

コバタ:ぼくも、自分で決めたことは絶対やりたいし、許せないことは許せない。でも、高校生活で自分の気持ちを曲げて、周りに合わせなくちゃいけない雰囲気をすごく感じて。それがすごく嫌だったから、学校といろいろ揉めて、押しつぶされたこともあったりして。

でも、外国の大学だったらもっと自分の意見を言えるはずだと確信していて、だからもともと日本の大学に行くつもりはなかったんです。実際アメリカに行ったら、自分以上に主張の強い人ばかりで、それも衝撃だったし、より自分を大事にしようと思いました。

ロックダウンで帰国を余儀なくされて、最初はすごくモヤモヤがありました。(中野)

―いま話してくれたように、高校卒業後のコバタくんはニューヨーク州の音楽大学に留学して、一年後に中野さんも同じ大学に留学したそうですね。

中野:私はもともと日本の音大に行くつもりだったんですけど、ずっとクラシックだけ、毎日ピアノの練習ばっかりっていうのはちょっと違うなと思いはじめていて。そんなときに周りを見たら、アメリカに行ってる先輩がいて(笑)。

それで話を聞いたら、いろんなレッスンをやっていると教えてくれて。私もクラシックピアノだけでなく、他のことも勉強するために同じ学校に行くことにしたんです。そこでピアノ以外の、それこそギターの曲やバンドサウンドの魅力も知って。よしにいとは向こうでも一緒に音楽をやったりしていました。

―ただ、コロナ禍になって、帰国せざるを得なくなってしまったわけですよね。

中野:2020年の1月に入学したので、半年もたたないうちにロックダウンになって、帰国を余儀なくされてしまいました。せっかくこれから英語を勉強して、音楽を勉強して、「やってやるぞ!」と思っていたときだったので、最初はすごくモヤモヤがありました。

それで日本でなにかできないかと思ったときに、三人が引き寄せられるように集まって、「ちゃんとバンドを結成しよう」となり、共通の友人がりょうた(ds)を紹介してくれて、いまの四人になったんです。

コバタ:ぼくも当時アメリカにいたんですけど、別の大学に編入しようとしていたタイミングで。日本に帰らなくちゃいけなくなったのは予定が狂ったというか、一回空っぽになっちゃった感じはありました。でも、アメリカで経験したことを今度は日本で、バンドで表現しようと思ったんです。

中野:アメリカではクラシックピアノのレッスンも受けていたんですけど、帰国したタイミングで「私はポップスを極めよう」と全振りして。ただ、ずっとクラシックをやってきたぶん、和声感とかは身体のなかに染みついているので、2ミリの曲にもそこは出ていると思いますね。

世界は大きく変わったけれど、昔から変わらずにあるものの豊かさを大事にしたい。(コバタ)

―さまざまなタイミングが重なって、結果的にコロナ禍のなかでのバンドスタートになったわけですが、この一年の生活のなかで、どんなことを感じましたか?

コバタ:いままで当たり前だと思っていた世界が大きく変わって、アメリカから京都に帰ってきたわけですけど、地元は一切変わってなかったんです。そこで昔から変わらずにあるものの豊かさに気付いて、そういうものをもっと大事にしたいと思いました。

The Beatlesが好きになってから、海外に憧れて、ずっと外ばかりに目を向けていたんですけど、昔からある目の前の文化こそが「国際的」であって、外に行くことだけが国際的ではないというか、そんなふうに感じるようになりました。

中野:「ヒントはすぐそばにあった」みたいな感じです。私もコロナでいろんなことがグチャグチャになって、ネガティブになることも多かったけど、京都に帰ってきたときに、変わらない自分の居場所の大切さにあらためて気づいて。「大事なものは一番近くにあったんだな」って、すごく思いました。

―その気づきというのは、バンド活動をするうえでインスピレーション源になったといえますか?

中野:そうですね。地元に帰ってきたときの安心感というか、どっしり構えている自然のような、その人にとっての寄り添うものを音楽でも表現できればいいなって。

コバタ:どの世代が聴いても懐かしく感じられるような感覚は残しておきたくて。そういう耳触りかどうか、心地いいメロディーかどうかはすごく意識しています。

中野:どう頑張ったとしても、私たちの根底には京都の里山の風景があると思うので、飾らずに、ありのままを表現することもずっと大事にしていきたいですね。

家族の愛、仲間とのつながり、帰る場所がある安心感。すべてに支えられてきた。(中野)

―『うつろひ』の制作にあたっては、どんなことを意識しましたか?

中野:今回はこれまで以上に関わってくれる人がたくさんいたこともあって、「私が音楽をやる理由は何だろう?」というところから始まり、もう一度自分と向き合ったときに、過去を引きずってはいるけど、新しい、強い自分になりたいと思ったんです。

―まさに“ハッカドロップ”をつくったときの想いがすべてのベースにあると。

中野:そうですね。そう思って曲をつくっていったら、「はじまりのテーマみたいな曲」がどんどん生まれていって、今回のミニアルバムになりました。

アメリカで感じたこと、コロナ禍で自由が奪われたことへのモヤモヤ、変わってしまった時代に対して思ったこと、それらを曲にして、バンドのみんなで表現したいと思ったんです。

コバタヨシタネの実家にあるmori studio(通称よしにいスタジオ)風景 撮影:川智輝

コバタ:アレンジ面でいうと、前作の『アメリカンドリーム』はとにかくやりたいようにやったんですけど、今回はもっと奥行きというか、深みを出したくて、ギターの音色やベースラインなど、サウンド面でもいろいろこだわりました。

―「はじまりのテーマみたいな曲」というと、やはり“はじまりの日には”が印象的です。

中野:その曲は、一番最初にみんなにデモを聴いてもらった曲で、ここから私の気持ちに拍車がかかったというか。

みんなの反応がこれまでの曲と全然違って、想いが伝わったことが感じられたので、私のなかでも大事な曲になりました。「四人でこれから歩いて行く道をここに宣言した」みたいな気持ちもすごくあります。

―〈目に見えるものだけが すべてではないよ〉〈ここにあるものだけが すべてではないよ〉という歌詞は、コロナ禍のなかで感じた地元の豊かさ、精神的な豊かさという話にも通じるように思いました。

中野:そうですね。私が支えられてきたものは、家族の愛だったり、仲間とのつながりだったり、「帰る場所がある」という安心感だったり、全部目には見えないもので、そういうものに「いってらっしゃい」と押し出してもらってるような気持ちがあって。それを歌いたいと思ったので、こういう歌詞になったんです。

やりたいことを出せない人の背中を押したり、安心感を伝えたり、寄り添ったりできるような歌を届けたい。(中野)

―1曲目の“たそがれは空”からは、空がずっと続いているように、日々はずっと続いていて、そのなかには悲しいこともあるんだけど、それでも日々は愛しいものだという感覚が感じられます。『うつろひ』というアルバムタイトルともリンクするように思いました。

中野:空や山などの自然はやっぱり心の支えで。「この空がアメリカまで続いているんだ」と感じたり、いろいろ悩んでいるときに、パッと空を見上げることで前向きな気持ちになれたりするのも好きだし。

空はずっとそこにあって、いろんな世界や、過去や未来も全部つなげている。そのなかで変わっていくものと変わらないものがあるけど、私たちはずっと進んでいく。『うつろひ』というタイトルには、そういう意味も込めています。

―これからバンドとしてどんな活動をしていきたいと考えていますか?

中野:この四人でできる表現をできるだけ多くの人に伝えたいです。私と同じように、やりたいことがあるんだけど、なかなかそれを表に出せない人の背中を押したり、安心感を伝えたり、寄り添ったりできるような歌をたくさん届けていきたいですね。

コバタ:ぼくはTHE BLUE HEARTSやThe Beatlesから大きな影響を受けたので、今度は影響を与える側になりたいです。このバンドは世界を変えるくらいのエネルギーを貯め込んでいますので。

撮影:川智輝

―そういえば、まだバンド名について聞いてなかったですけど、これは某国民的アニメがモチーフですよね?

中野:そうです(笑)。バンド名を考えているときに、ドラえもんが地面から3ミリ浮いているっていう話を思い出して。

子どものときに習っていたピアノの先生が、3ミリ浮いているような、ぶっ飛んだ思考の人だったんですよ。

そこからヒントを得て、この四人も型にハマらない、一言でまとめられるような人じゃないから、「2ミリくらい浮いてる人たち」だなと思って。候補として書いておいたら、みんなも「いいやん!」ってなって。

―周りから浮いていたとしても、いかに自分らしくいられるか。それは“ハッカドロップ”のテーマでもあり、京都の里山というちょっと特殊な環境で育った人によるバンドだからこその個性でもあり、でもきっといろいろな境遇の人に響くテーマですよね。

中野:そうだと思います。そこが私たちが大事にするべきところだなって。

リリース情報
地球から2ミリ浮いてる人たち 『うつろひ』 2021年11月3日(水) 発売価格:1,870円(税込) WATR-1001 1. たそがれは空 2. 夢の続きを 3. ハッカドロップ 4. あなたと計画 5. 憧れ 6. はじまりの日には 7. 雨上がり夢(Piano ver.)※CDのみのボーナストラック
プロフィール
地球から2ミリ浮いている人たち (ちきゅうからにみりういているひとたち)

2020年7月に京都で結成された男女4人組オルタナバンド。中野由季(Vo、G、Key)、コバタヨシタネ(G)、サキホ(Ba)、なかえりょうた(Dr)。彼らのバックグラウンドにあるのは、美しい自然に囲まれた京都北部の原風景。壮大な山々、透き通った川。かやぶき屋根、かつての日本の景色が残る土地で、幼少期より音楽と触れ合ってきた。クラシック、The Beatles、Led Zeppelin、The Whoなどの古きロックバンドなど、さまざまな音楽性が昇華されたサウンドが特徴。



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