日本のまつりと出会いなおす

中沢新一&落合陽一が語る、日本のまつり。人々が求める新たな神話とアナログならではの解像度とは?

我々人間は、ずっと昔から「まつり」と呼ばれている行為、営みを繰り返し行なってきた。あるまつりでは仮面をつけながら踊りを舞い、あるまつりでは水牛などの動物の首を刃物でたたき落とし、あるまつりでは巨木を人力で山から引き摺り下ろし、またSNS上で映画の名シーンの名セリフを一斉に投稿することも「まつり」と呼ぶなど、古今東西、私たち人間はあらゆる「まつり」を発明してきた。どうして人類は「まつり」を生み出し、どうして私たちは「まつり」を求めるのだろうか。

コロナ禍で打撃を受けた全国各地の伝統行事や民俗芸能をサポートするキヤノンマーケティングジャパンのプロジェクト「まつりと」とコラボレーションした連載「日本のまつりと出会いなおす」では、アーティストやクリエイター、文化人などへのインタビューを通じて、日本のまつりの魅力をさまざまな角度から解き明かしていく。第五回目となる今回は、人類学者の中沢新一、メディアアーティストの落合陽一のふたりに、まつりと人をめぐる関係、まつりの現在形について話を聞いた。

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まつりと 日本のまつり探検プロジェクト
全国各地の伝統行事等や民俗芸能がコロナ禍で大きな打撃を受けたなか、キヤノンマーケティングジャパンは文化庁からの委託を受けて、映像制作や写真撮影、オンラインによる情報発信、現地での運営サポートなどで伝統行事等をサポートしています。ウェブサイトでは、「日本の祭りを探検する」をテーマに、祭りや伝統行事等の魅力を多角的に発信しています。

現代日本のまつりのルーツとは? 室町時代以降の「村」とそれ以前のコミュニティー

—そもそも日本において「まつり」がどのように成立して、行なわれてきたのかについて、まず中沢先生にお聞きしたいと思います。

中沢:いま日本人がやっているまつりは、じつはそんなには古いものは少なくて、だいたい室町時代の頃に成立したものが多いです。もちろん、その前からまつりはやっていたわけですが、それは「日本独特のまつり」というより、人類に共通して見出せるタイプのまつりなんです。文献やフィールドワークの研究などで遡れるのは、だいたいのところ室町時代までが上限だと言われています。

落合:「室町より前に遡れない」というのは記録メディアの問題ですか?

中沢:社会の変化が大きいかもしれませんね。室町時代はいわゆる「村」というものができてきた時代で、その前の社会は荘園とかに組織されたものだったけれども、室町時代になって、それとは違う自治性のある「村」というものができてきた。

そして、それぞれの「村」には鎮守の社があり、それを中心にしたまつりが行なわれるようになりました。それまでに行なってきた人類に共通するようなまつりの上に、新しくできた日本的な「村のまつり」というのがかぶさって、発展してきました。

落合:なるほど。ぼくは最近、沖縄の宮中音楽の研究をしているんですけど、やっぱり文献が焼けていたり、消失があったりして、ある一定の年代以前には遡れないということがあって。室町以前の貴族文化は掘り下げようと思えば掘り下げられるけど、町民文化はなかなか難しいわけですね。

豊かでないとまつりは生まれない。「人類共通のまつり」とは?

—「人類共通のまつり」というのは、具体的にどういうものなんでしょう?

中沢:約8,000年前、人類が農耕社会に移行した際に生まれたものです。世界中で同じことが起きたのですが、農業革命が起こると、まつりの形も根本的に変わるんですよ。穀物をつくる農耕社会では、狩猟とは違って、生産物を余剰しやすい。その余剰生産物をどう処理するかが、社会課題のひとつになるわけです。

そこでまつりというイベントをして、余剰生産物を消費していた。まつりには、貯蓄されていった余剰、過剰なものを消費するための場という側面がありました。日本でも、東北のまつりなどは、深掘りしていくと、その古い時代のまつりが出てくると思いますね。

落合:諏訪の「御柱祭」(長野県指定無形民俗文化財に指定されている諏訪大社の最大の行事。1,200年以上の歴史があり、7年に一度、寅と申の年に行なわれる)も、だいぶ古いんじゃないですか? 長野、あとはお隣の岐阜もそうですけど、ほかのエリアよりも縄文時代が長かったと言われています。

だから河岸を掘れば、昔の縄文土器から最新の縄文土器まで、ざっと1万年分くらい出てきます。つまり「うろちょろしていたら、1万年経っちゃった」というくらい豊かだったということですよね。狩りに適していて、わざわざ農耕をする必要のない恵まれた地域だった。そういう人たちもやはり豊かで、つまり余剰もあったはずで、そういう環境下でもある種のまつりが行なわれていたのかなと推察するんですが。

中沢:狩猟と採集の生活をしていた縄文時代も、豊かではあったと思います。食料には恵まれた時代ですし、お肉を燻製したり、食べ物を貯蔵したりする技術も発達していたし。

落合:お酒もありましたし。

中沢:そう、お酒をつくる技術もあった。ある程度の豊かさ、余剰がありました。だから、そこにはまつりもあった。

落合:貯まってきたものを、みんなで消費するために。

中沢:そうです。まつりって豊かでないとなかなかできないものですよ。

新しく生まれるまつりに演出される「神聖さ」の源泉

—落合さんは著書『ズームバック×オチアイ 過去を「巨視」して未来を考える』(NHK出版)のなかで、「ニュータウンで生まれた新しいまつり」やSNS上で起きる「バルス祭り」(※)など、歴史ではなく時間を共有する場所としての、つまり共時的な意味合いでの「現代におけるまつり」についても言及されています。

※「バルス祭り」:宮崎駿監督のアニメーション映画『天空の城ラピュタ』がテレビ放送される際、作中の終盤で「バルス」という呪文が唱えられるシーンにあわせて、視聴者がTwitterで一斉に「バルス」と投稿する現象のこと

落合:ニュータウンはここ50年、バルス祭りはここ10年のことですね。ぼくらが知っている多くの祭囃子も、じつは戦後に作曲されていたり、大衆が納得するビートに変換されているポップス的な要素があったりと興味深いんですよ。

—まつりというと「長い歴史があって、その時間軸を共有する」など、通時的な価値が強いと思うのですが、おふたりはここ近年のまつりについて、どうお考えなのでしょうか?

中沢:近年のまつりに大きな変化が起きはじめたのは40年前くらいでしょうね。

落合:高度経済成長期ですね。

中沢:そうですね。各地域のまつりは一時とても衰退しました。若者が都会へ働きに出ちゃうでしょう。するとなかなか戻ってこない。そういう期間が続いたのですが、40年前あたりから故郷に回帰するという意識が発生し始め、一時期は地方のまつりがブームになるほど、若い人が戻ってくるようになった。

愛知県奥三河の「花祭」(国の重要無形民俗文化財に指定されている、700年以上続く伝統的な神事)なんかが顕著です。それまでは金髪のカツラをかぶって鬼に仮装していたけど、金髪の若者が目立つようになってかつらが必要なくなった、なんてこともあったそうです。

—もともとあったまつりや故郷に回帰していく現象が起きたんですね。逆に、落合さんの言及されていたニュータウンの事例のように、新しくまつりがつくられることはあるんでしょうか?

落合:ニュータウンの事例は、『ズームバック×オチアイ』(NHK)という番組で取り上げたものですね。新しく神輿を発注する町内会議に密着したドキュメントで、ニュータウンの寄り合いの人たちが「新しくまつりをする」ということになったんだけれども、神輿がないから新たに発注する、というものでした。

中沢:ぼくが大学に入った1970年代当時、ぼくの先生だったのが柳川啓一という宗教学者でした。彼の研究テーマのひとつが、まさに「何も歴史がない町で行なわれているまつり」だったんですよ。『ヤンキー・シティ・シリーズ』という本を書いたウィリアム・ロイド・ウォーナーというアメリカの人類学者がいて、彼はアメリカの東海岸の100年も歴史がない小さな町のまつりを研究していました。それを手本にした研究を柳川さんもやっていて、その一環でぼくは2、3か月北海道常呂町に投入されました。常呂町でカーリングが盛んになる以前です。

開拓地である北海道も、ニュータウンも、何の根拠もないところに神社ができて、そこからまつりを始める。だから、その神社がいつできたとか、みんなリアルに知っているわけです。だけど、とにかくまつりをするんだから、神社として一種の聖なるもの、神聖さを演出しなくてはいけない。そこで重要になってくるのが、歴史というよりは、むしろ神話なんです。

落合:神話性があるかどうか、ですか。

中沢:神社として、まつりとしては、歴史が浅い。でも軸には神話が置かれている。神社やまつりそのものではなく、その神話の時間軸を頭に置いてまつりをするわけです。共時性という意味では、北海道やニュータウンのまつりに、どのようにして神聖さがつくられていくのか、ということですね。

伝統と現代カルチャーの結節点となる、まつり・神話・聖地

—話は少し戻りますが、「若者が故郷、まつりに回帰してきた」とご指摘がありました。そのブームは、どこかで途切れることはなかったのですか?

中沢:それこそコロナでガタンと落ち込みましたよね。ブームが高い水準で保たれていたのに、厳しいところまで落ち込みました。

—コロナ禍もそうですが、人口減少も含めて、諸々の危機を迎えている神社やまつりがテクノロジーと掛け合わさって盛り上がっていく可能性はあるのでしょうか?

中沢:もちろんあります。その反対にいまも廃社になっていくところもありますけど、いったん廃れてからまた大人気になった神社もいくつかあります。たとえば、竈門神社(福岡県太宰府市の神社。鬼封じのために建立されたと言われており、メインキャラクターの苗字とも同じ名前なことから、『鬼滅の刃』の流行で注目された)は、明治時代の神仏分離・廃仏毀釈の影響で仏教的な施設はなくなったものの、残った社殿が守られていて、現在は「アニメの聖地」としてよく知られるようになりました。

そういう「アニメの聖地」が、たくさんつくられています。でも、そもそもどうして廃れてしまうのかというと、いま生きている我々とその神社、まつりをつなぐ神話が失われてしまったから。そこへのルートがなくなると、神社は廃れてしまう。

落合:つまり、アニメは新しい神話ということですよね。

中沢:そう、たしかに神話という形態で人とまつりをつなぐんです。しかも神話は、不思議なことに、その物語が語られた場所に行きたいって気持ちを起こさせるんですよ。ロイド・ウォーナーはオーストラリア先住民の研究もしていたのですが、アボリジナルの人々はそういう聖地へ巡礼をします。ご先祖が辿った場所へ実際に行って、そこで神話を唱える。そうすると、その場所がまた昔の軸に戻る。そうやって過去の時間とのつながりを再発見するんです。

落合:『SLAM DUNK』に登場する江ノ電の踏切を拝んでいる人がいるのと同じですよね。

中沢:そうそう。聖地は必ず神話と結びついている。現代の日本で、若者にとっては、その神話をアニメが供給しています。

神話をつくり続けてきた人間が、この先も求めるアナログの体験

—世の中的にデジタル化が進んでいく一方で、アニメの聖地巡礼のようなフィジカルなことを求める人がいるのは、不思議なようにも思えます。

落合:やっぱりアナログの体験は解像度が高いんです。デジタルにすると量子化されて軽くなっちゃうんですよね。ぼくはこの間インスタレーションをつくっているとき、なんか無性にシューマンの“トロイメライ”をゆっくりかけたくなったんですよね。

デジタルで低速にすると、量子化されているから音がすごく悪くなっちゃうんだけど、アナログレコードだとそれができる。たとえば携帯はアナログなものをサンプリングするための道具だし、ああいう「いくら引き延ばしてもある」みたいなことは、デジタル時代にはないんですよね。

—では、デジタル化された世界が前提の世代の人々も、やはり実際のまつり、あるいは神社や聖地に行くことは変わらないのでしょうか? よりデジタル化が進んだ、たとえばよりメタバース化された世界が前提になると、アナログなものや体験のなかにあるポエジーやアウラでさえ、そのなかで完了するということはありませんか?

落合:それって、じつは非常に問題なんですよ。アナログなものは資源コストが高い。だから都会のお金持ちは大丈夫だけど、都市構造のなかで貧困になると、アナログなものに触れることができなくなって、解像力が下がってしまう。

でも、現実として、地方でも都市部でも、子どもがどこにも連れて行ってもらえず、スマホだけ渡されるという家庭は世の中にいっぱいある。つまりアナログが喪失しているんですよ。もちろんデジタルにノスタルジアを感じることはあると思いますよ。ぼくよりも少し下の世代は、たぶん初音ミクにノスタルジアを感じる人もいるでしょう。

落合:だから神話は継承されているけど、でも解像感は下がっているっていう感じかなと思います。まつりは、アナログでも新しく起こそうと思えば起こせるだろうけど、それこそ神話があれば、っていうことだと思います。

中沢:アニメはどこまでいっても二次元でしょう。でも、人間は二次元じゃ収まらないものを感知したいんです。人間の脳は、ずっと神話を生み出してきた。だから周りがどんなにデジタル化しても、神話を発生させる心の領域はなくならないでしょうね。もちろん、神話を表現するメディアは変わりますが。

落合:メタバースでも、VRでも、映画でも、アニメでもあり得ますよね。

まつりは、日常を生きていくための非日常の創出

—おふたりから「まつりは余剰から生まれる」「神話が聖地やまつりを時代、人々に接続する」などいろいろなお話を伺ってきました。最後に、おふたりにとってまつりがどういうものであるかを伺いたいです。

落合:それでいうと余剰、無駄について少し考えたいですね。余剰とか過剰は今日の話でも出ましたけど、ぼくは最近コンピューターの研究者として反省したことがあって。ぼくらは会議のためのシステムはつくってきたけれど、まつりや飲み会のためのシステムをまったくつくってこなかった。つまりコミュニケーションのためのシステムはだいたいが会議用で、何もしない時間を共有するための情報システムをほとんどつくってきていません。だからコロナ禍で自殺者が増えたり、連帯が失われたりした側面はあると思っていて。

テクノロジーの余剰が少ないときは、そういう仕事のことばかり考えてしまうんですよね。そもそもコンピューター自体が余剰から生まれたものですし、それが主力産業になったいま、あらためて余剰とは何か、ということは考えたいと思いますね。

あと、やっぱり神話と聖地って継承しないと失われていく。『アルス・エレクトロニカ」(オーストリアのリンツで開催される芸術・先端技術・文化の祭典)で、現地の会場に行ったとき、冨田勲さんが演奏していた場所に気がついて。これはもう神話と聖地巡礼ですよね。

中沢:ぼくはあらためて「まつりとは何か」に戻ってみたいんだけど、それはやはり、人間を外に開いていくものだと思うんです。知性では到達できない、神様の領域や自然の領域へと開いていく役割、性質を持っているものがまつりだと思います。往々にして、まつりというのは、日常生活では禁じられていたり、抑えられていたりすることを爆発させます。いろいろなものを我慢して、秩序の外に追い出してしまうように日常はつくられています。

まつりは、人間をその外側に開いて、外側に排除していたものを取り込むんです。そしてまた閉じて、日常に帰っていき、また日常を生きていく。だからこそ、ぼくらはずっとまつりということをやってきたんじゃないかと思いますね。

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まつりと 日本のまつり探検プロジェクト
全国各地の伝統行事等や民俗芸能がコロナ禍で大きな打撃を受けたなか、キヤノンマーケティングジャパンは文化庁からの委託を受けて、映像制作や写真撮影、オンラインによる情報発信、現地での運営サポートなどで伝統行事等をサポートしています。ウェブサイトでは、「日本の祭りを探検する」をテーマに、祭りや伝統行事等の魅力を多角的に発信しています。YouTubeチャンネルでは、今年開催された祭りの映像もお楽しみいただけます。
プロフィール
中沢新一

1950年山梨県生まれ。思想家・人類学者。インド・ネパールでチベット仏教を学び、帰国後、人類の思考全域を視野にいれた研究分野「精神の考古学」を構想・開拓する。主著に『チベットのモーツァルト』(サントリー学芸賞)、『森のバロック』(読売文学賞)、『対称性人類学-カイエソバージュV』(小林秀雄賞)、『アースダイバー』(桑原武夫学芸賞)など多数。近著に『レンマ学』『アースダイバー 神社編』がある。京都大学人と社会の未来研究院特任教授、秋田公立美術大学特任教授。

落合陽一

メディアアーティスト。1987年生まれ、東京大学大学院学際情報学府博士課程修了(学際情報学府初の早期修了)、博士(学際情報学)。筑波大学デジタルネイチャー開発研究センターセンター長、准教授・JSTCRESTxDiversityプロジェクト研究代表。IPA認定スーパークリエータ/天才プログラマー.ピクシーダスト テクノロジーズ代表取締役。2017年〜2019年まで筑波大学学長補佐、2018年より内閣府知的財産戦略ビジョン専門調査会委員、内閣府「ムーンショット型研究開発制度」ビジョナリー会議委員及び内閣府ムーンショットアンバサダー、デジタル改革法案WG構成員、2020-2021年度文化庁文化交流使、大阪・関西万博テーマ事業プロデューサーなどを歴任。メディアアートを計算機自然のヴァナキュラー的民藝と捉え、「物化する計算機自然と対峙し、質量と映像の間にある憧憬や情念を反芻する」をステートメントに、研究や芸術活動の枠を自由に越境し、探求と表現を継続している。



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