2025年末、お笑い芸人・こたけ正義感によるステージ『弁論』が大きな話題となった。
弁護士でもあるこたけが60分間漫談をするスタイルで、2024年は戦後最大の冤罪事件として知られる袴田事件を扱うなど、社会性を帯びた内容も特徴の一つだ。
今回は生活保護受給者に対する偏見をテーマを盛り込み、期間限定で公開されたYouTubeでは152万回以上の再生回数を突破(2026年1月18日段階)した。
お笑いというフォーマットを用いながら、明確に政治的 ・社会的テーマに斬り込んだステージは、なぜここまで広く受け入れられたのだろうか?
日本におけるお笑いの社会性、そして、『弁論』が示したスタンドアップコメディの可能性ついて、考えてみたい。
生活保護はあなたのための権利。『弁論』で成し遂げた、社会的テーマとお笑いの両立
「みなさん、エアバックとかシートベルトに同じこと言います? 『あれ、甘えちゃうかな』って。(略)生活保護っていうのは、いつかのあなたのための権利なんですよ」
そんなセリフが飛び出した2025年末のお笑いライブが大きな反響を呼んでいる。「弁護士芸人」として知られるこたけ正義感の単独ライブ『弁論』だ。
漫才やコントを中心とするお笑いにおいて、『弁論』は日本ではさほど目立たないスタンドアップコメディだ。こたけは60分間ひとりで舞台に立ち、話し続ける。
注目されたのは、その内容が生活保護や貧困、司法制度などの社会的なテーマを扱っていたからだ。しかも、観客を飽きさせることなくそれらをお笑いに昇華させている。こたけ正義感は、お笑いと法律を使って日本社会を読み解く。そのアプローチは、日本のエンターテイメントにおいて極めて独特だ。
京都文化のネタから生活保護の話題へ。個人的な体験と社会的な問題を巧みにつなげた構成
『弁論』の前半は、チケットの不正転売のネタから入り、こたけの出身地である京都文化をお笑いに転化させ、そこから「指切りげんまん」や「ケイドロ(警泥)」などの一般的な文化を法律で読み解いて笑いに変える。
そして、これに続く後半部分では、貧しかった自身の幼少期の体験を踏まえたうえで、生活保護の重要性についてのネタが展開される。
「生活保護クイズ」などを交えて笑いを取りながら、弁護士として生活保護申請に同行した経験も言及する。そして最後には、生活保護費の引き下げが憲法違反だったとされた「いのちのとりで裁判」へ話が及ぶ。
観客は、お笑いのフォーマットから重大な裁判の顛末について知ることになる。加えて、最高裁が判断するまでに12年もの月日がかかったことも。
そこでは、こたけの個人的な経験(ミクロ)が社会的な問題(マクロ)に接続される。この構成の巧みさが、『弁論』から説教的な側面を脱臭化する。そうした笑いは、明確に風刺と言える質のものだ。
「下から上」の構造が、ポピュラー文化と政治・社会の分断を埋めた
もともとお笑いは、「ふつう(正常)」を「ふつうではない(異常)」にする、「差異化」を軸にする。ひとはふつうでないときにこそ笑い、異常性が過剰だと、それは恐怖となる。この塩梅がお笑いの肝だ。
ただ差異化と差別は、紙一重でもある。その場合、重要なのは文脈や関係性だ。
たとえばマジョリティや権力者がマイノリティや弱者をバカにすれば(差異化すれば)、それは差別やいじめ、ハラスメントになる。その逆に、立場が弱い者が権力者を笑えば(差異化すれば)、それは批評性を帯びた風刺になる。
こたけの『弁論』が巧みなのは、この力学を理解したうえで、明確に「下から上」の笑いを構築している点だ。だからこそ風刺となる。
しかし、日本でこうしたお笑いは非常に稀有だ。社会性や政治性のある内容――つまり風刺はとても少ない。とくに『M-1グランプリ』など、多くの芸人が目標とする賞レースにおいて風刺が見られることはほとんどない(むしろアンコンシャス・バイアス=無意識の偏見がいたるところで見られる)。
それは日本でポピュラー文化を強く好む層の政治性・社会性の乏しさによるものでもある。逆にいえば、厳しい社会的現実から目を背けたいひとびとが、ポピュラー文化を現実逃避のための娯楽としてとらえる向きが強いからでもあるだろう。
結果、政治・社会とポピュラー文化には明確な分断が生じている。これは映画やドラマ、音楽などにおいても同様だ。こたけ正義感がおこなっているのは、かように分断した両者の接続でもある。
なぜ「生活保護は甘え」と言われるようになった? こたけ正義感が語らなかったこと
もちろん海外のスタンドアップコメディに親しんでいる者にとっては、こたけ正義感のネタはおとなしく、上品すぎると感じられるかもしれない。
たとえばアメリカを代表するスタンドアップコメディアンのデイブ・シャペルは、ステージ上でタバコを吸いながら、人種差別ネタを扱って毒づく。黒人である当事者性を軸に、アメリカが抱える社会問題――ジェンダー、格差、権力構造などに斬り込んでいく。
ときにそれは大きな議論を巻き起こし、いわゆる炎上状況となることも珍しくない。しかし彼には議論を活性化させること――アジェンダセッティング(議題設定)を目的とする様子すら感じられる。彼にとってのステージは、現実逃避の演芸のための場ではなく、社会のタブーを解剖し、思考停止に陥ったひとびとに問いを突きつける場となっている。
2020年にNetflixで配信された、デイブ・シャペルのスタンドアップコメディ『8:46』。同年にアメリカで起きた「Black Lives Matter」運動の発端となる、黒人のジョージ・フロイド氏が警察に首を押さえつけられ死亡した事件ついて言及した。地震の継続時間35秒以上との比較、デイブの生まれた時間である8時46分などを通して、「警察は彼の首を8分46秒も膝で押さえつけた」と、「8:46」の数字を用い事件を直接的に批判している。
対してこたけは、生活保護裁判を取り上げても、そこでは直接的に政治に対する批判をしない。
では、この問題の当事者たちはいまどこにいるのか――。
東日本大震災の翌年の2012年。スマートフォンの普及とともに浸透していたSNSにおいて、論拠が曖昧な生活保護バッシングが急速に広がった(いま思えばSNSリテラシーに乏しい多くのひとが釣られていった)。そのときもっともバッシング対象とされたのは、親族が生活保護を受給していたあるお笑い芸人だった。
それに政治家も目をつけた。なかでもそれを先導したのは、現・財務大臣であり、当時野党だった自民党内での生活保護に関するプロジェクトチームのメンバーを務めていた片山さつき議員だ。「生活保護を恥と思わないのが問題」などと、生活保護批判を展開した。
さらに、それを受けてこう非難した政治家もいる。
「さもしい顔をしてもらえるものはもらおうとか、弱者のふりをして少しでも得をしようとか、そんな国民ばかりになったら日本国は滅びてしまいます」
これは現在の総理大臣、高市早苗議員の発言だ。
のちに憲法違反とされる生活保護費の引き下げは、こうした彼女たちの働きかけによって2013年に発足した第二次安倍政権で断行された。
これが『弁論』で触れられなかった政治家の姿である。当時バッシングを煽った政治家たちは謝罪もせず責任も取らないどころか、いまや政権の中枢にいる。
もちろんこたけがそうした政治家の名前を出さないことも、現状の日本ではひとつの戦略だろう。特定の政治家を批判すれば、事実性や問題の内容よりも党派性ばかりが取り沙汰される。
なにより「下から上」への批判的思考は、長らく日本では受け入れられにくい。批判による変化を避けて、状況追認ばかりすることで長年社会が停滞し続けてきたことを考えればそれは明らかだ。
むしろ、そうして間口を広くとったことにより、こたけのメッセージは社会にしっかりと伝わった。『弁論』は観客に笑いとともに知識を提供して、14年前の炎上騒動についても考えるきっかけを与えた。そしてそれが議論の端緒にもなり、お笑いが社会に接続される。この記事ももちろんこたけに誘発されて書かれている。
ポピュラー文化と政治・社会は、分断している。その間を埋めるお笑いの可能性
もともと日本のお笑いは、決して非社会的なものではなかった。
たとえばビートたけしが80年代に流行らせた「赤信号、みんなで渡れば怖くない」。これは日本社会の同調圧力とそれによる倫理的脆弱さを五七五で表現した傑作だ。また、ダウンタウンが90年代に『ごっつええ感じ』で披露したコント「トカゲのおっさん」。これはマイノリティを差別する社会を(おそらく無意識的に)描いた秀逸な作品だった。
しかし、そうした批評性のある笑いはいつの間にか姿を消していった。結果、テレビのなかのお笑いは日常の小さな差異をネタにしたり、漫才でコンビのコミュニケーションのズレを笑いにする表現が主流となった。それはスポンサーの顔色を気にするテレビ制作者にとっても好都合だ。逆に政治性を見せようものならば、ウーマンラッシュアワーの村本大輔のようにテレビからは姿を消してしまう。
アメリカに拠点を移し、スタンドアップコメディアンとして活動している村本大輔氏
そんななか、こたけ正義感のこのネタはライブ(舞台)で披露され、そしてYouTubeを通じて広く発信されて注目された。テレビというマスメディアを経由せず、新しいプラットフォームが日本のスタンドアップコメディの可能性を開いたとも言える。
『弁論』は、分断された政治・社会とポピュラー文化を接続する試みだ。こたけ自身も『弁論』を「エンタメがどこまでいけるのかという挑戦」と自覚する。それは、かつての日本のお笑いが持っていた批評性を新しいかたちで復興する試みとも言えるだろう。そして152万回の視聴数は、そうした試みへの渇望を示しているのかもしれない。
ひとつだけ勝手に望むならば、ぜひ海外に向けてNetflixあたりで英語のスタンドアップコメディをやってほしい。渡辺直美がアメリカで注目され、村本大輔が奮闘するなか、こたけのインテリジェンスは強い突破力を持つはずだ。
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