笑いの力で分断を繋ぐ。『テルアビブ・オン・ファイア』が示す光

© Samsa Film - TS Productions - Lama Films - Films From There - Artémis Productions C623

長年の間対立し、多数の死傷者が出続けていることで、解決が国際的な課題となっているパレスチナ問題。その深刻な状況のなかで暮らす人々を、紛争や爆撃を描くのではなく、テレビ番組製作を題材にしたコメディとして表現した映画が、『テルアビブ・オン・ファイア』だ。

そう聞くと悠長な映画なのではと思えてしまうが、本作は観客を笑わせ楽しませるのと同時に、アラブ人とユダヤ人の間の複雑な状況や心情を分かりやすく描いたことで、『ヴェネツィア国際映画祭』Inter Film部門作品賞に輝き、世界的な評価を得た作品でもある。

本作の舞台となるのは、ユダヤ教とイスラム教、共通の聖地となっているエルサレムの近郊である。パレスチナ人の主人公・サラームは、叔父の勤めるパレスチナのテレビ局で、パレスチナの女性スパイが活躍する、主婦層に人気のテレビドラマ『テルアビブ・オン・ファイア』の言語指導と雑用をこなしていた。

映画『テルアビブ・オン・ファイア』予告編

国内移動なのに検問を通る理由。事前に少し知っておきたい、イスラエルとパレスチナの歴史事情

パレスチナ人であるサラームは仕事の行き帰りに、イスラエル国内での移動にもかかわらず、いつもイスラエル軍の許可を得て検問を通過する必要がある。なぜ、そんなことをしなければならないのか。パレスチナ問題について馴染みのない読者や、本作の観客のために、かいつまんで説明したい。

事前に知っておきたいのは、現在「イスラエル」と呼ばれている、この地方の歴史的事情である。紀元前には、様々な国々が代わる代わるこの地を支配し、第二次大戦までは「パレスチナ」として、そこはアラブ人を中心にした国となっていた。

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だが第二次大戦後に、ヨーロッパなどに散らばっていたユダヤ人が多く集まるようになり、イギリスやアメリカなどの後ろ盾を得て、ユダヤ人たちは、かつて自分たちが支配していた頃の旧称を復活させた「イスラエル」を、パレスチナを塗りつぶすように建国することになる。

イスラエル国内に点在する「パレスチナ自治区」。その境目では今も戦闘が繰り返されている

もともとパレスチナに住んでいたアラブ人たちは居場所を求めて、第一次中東戦争によってエジプトが支配したガザ地区、ヨルダンが奪ったヨルダン自治区に多く集まるようになる。そして、アラブ人の自治を認めないユダヤ人たちと、その周辺で戦闘が繰り返されてきたのである。

だが、1993年にアメリカのクリントン大統領の仲介による「オスロ合意」がもたらされ、イスラエル国内のアラブ人たちの住む自治区は正式に「パレスチナ自治区」となった。だが、結局イスラエル側はその取り決めを反故にする。現在、われわれが報道などで目にするように、ガザ地区が爆撃されるなど、強い軍事力を得たイスラエル軍の戦闘行為によって、市民に被害が及ぶ状況となっているのである。

映画公式アカウント:「オスロ合意」について

アラブ人の中には、もともと住んでいた場所から離れずイスラエル側に住む者も多くいる。主人公サラームもその一人

国がイスラエルになってからも、長らくその土地に暮らしてきたアラブ人たちは、ガザ地区やヨルダン地区以外の場所であっても、そのまま先祖からの家で暮らしているケースが多い。だがイスラエル軍兵士が見回る状況でアラブ人たちは肩身の狭い思いを余儀なくされ、人種差別の被害を受けている場合もある。その背景には、ここ10年の間、「ユダヤ人だけの国」を標榜している右派勢力が政権を握っていた影響も大きい。

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イスラエルで育ったアラブ人サメフ・ゾアビ監督による本作には、自身の経験も投影されているのだろう。イスラエルの支配が強まるなかで、アラブ人たちが縮こまって生活している状況が描写されていく。このような状況の中で、主人公サラームはイスラエルに住み、仕事ではパレスチナ側へ移動する。両地域を分かつ検問所を、彼は毎日通っているというわけだ。

イスラエル人もアラブ人も観ている人気テレビドラマ「テルアビブ・オン・ファイア」の脚本をめぐり、検問所長とサラームがまさかの共同脚本

ある日、検問所を通過する際に危険人物だと疑われた主人公・サラームが、検問所の責任者であるイスラエル軍司令官アッシに尋問されることで、本作の物語はコメディらしい方向に展開していくことになる。「私はドラマの脚本家です」と、サラームがとっさに嘘を言うと、アッシは『テルアビブ・オン・ファイア』の熱心な視聴者である妻に自慢するために、自分のアイデアを脚本にとり入れるように求める。そのアイデアが意外にも受け入れられ、サラームは言語指導、雑用の立場から、脚本家を務めることに。それを機にアッシに脚本の相談を持ちかけるのだが、交換条件をなかなか満たせないでいたことで、個人識別のIDをアッシに取り上げられてしまったサラームは、何とかしてアイデアをドラマに反映するよう動かざるを得ない状況に陥るのだ。

そこから始まるドタバタによってあぶり出されてくるのは、イスラエルや自治区に住むアラブ人の心情である。サラームの叔父は、製作しているドラマのなかで、女性スパイが男性のユダヤ軍人と結婚するという、アッシが提案したラストのアイデアに不快感を示す。「パレスチナとイスラエルの和解の象徴となるシーンなど欺瞞だ。それはかつてオスロ合意が破られたことではっきりしているじゃないか」というのだ。

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イスラエルとパレスチナ、ユダヤ人とアラブ人の狭間で惑う、サラームの入り組んだ苦悩を描き、最後には驚きの結末が待つ

サラームは、ユダヤ人による押し付けと、このようなアラブ民族の歴史の間で板挟みに遭い、右往左往し続けることになる。じつはそれが、子ども時代から分断が当たり前になっているイスラエル社会に生きている、新しい世代のアラブ人そのものの姿なのではないのか。サラームは、「パリでも東京でも、自分の住みたい場所に行きたいよ」と言う。

息苦しい社会のなかの、迷える世代のサラーム。彼は、苦悩を経てパレスチナのスパイとイスラエルの軍人の結婚式が描かれる『テルアビブ・オン・ファイア』のラストシーンに何を仕掛けるのだろうか。それは劇場で確認してほしい。

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一方からみた対立構造だけでなく、文化交流による相互理解の可能性も示す

同時に本作は、ユダヤ人の状況にもスポットライトが当てられている。イスラエル側にいながら、アラブ人向けのテレビドラマに興じるユダヤ人の主婦や、アラブ料理「フムス」に執着し、アラブ料理の食通を気取っているユダヤ人男性の滑稽さなどが描かれるのだ。本作はアラブ人の視点を中心にしながらも、決してユダヤ人を一方的に責め立てるようなものにはなっていない。対立していても、このような文化の交流を描くことで、相互理解への可能性を示唆しているのである。

じつは、現在のイスラエルには、アラブ人にとって希望の光がわずかながら見えてきている。2019年のイスラエル総選挙で、アラブ人に対して強硬な政策をとっていた右派政党の議席を、僅差でリベラル政党の議席が上回ったのだ。これによって、イスラエルやパレスチナ自治区に居住するアラブ人たちが生きやすい社会へと転換していくかもしれない。

政治の力だけではない、サラームとアッシのような小さな関係によって、社会や人種の分断をつなぐ本作。今の日本でも求められている融和の可能性

同じ地域に、異なるルーツを持つ民族が住むことで生まれる軋轢や差別……。それは程度の差こそあれ、日本を含めた世界中で起きている事象である。そこには過去の歴史や、犠牲になった人々がいて、オスロ合意のように、上からの取り決めだけで「仲良くせよ」と言われても、わだかまりを解くことは難しい。それだけで納得するには事態が複雑になりすぎているのだ。

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これから必要になるのは、政治の大きな力はもちろん、本作の主人公のように、小さな関係であっても、それが理想的なかたちでなくとも、お互いの妥協点を少しずつ探り、個人レベルでも融和の道を考える努力をしていくことではないだろうか。それは、われわれがすぐにでもできる、平和への貢献であるはずだ。

作品情報
『テルアビブ・オン・ファイア』

11/22(金)から全国順次公開

監督:サメフ・ゾアビ
出演:
カイス・ナシェフ
ルブナ・アザバル
ヤニブ・ビトン
配給:アット エンタテインメント



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