音楽をやるのに、理由なんていらなかった

『音楽をやるのに、理由なんていらなかった』 第1回:理想のメンバーを探し続けてきた歌うたい、古里おさむインタビュー

音楽をやるのに、理由なんていらなかった

インタビュー・テキスト:金子厚武 撮影:柏井万作

くるりのレーベルから2004年に本名名義でデビューして以降、ウミネコサンライズ、ウミネコサウンズと様々な名義・形態で活動を続けてきた古里おさむが、髭のコテイスイ、ジム・オルークや石橋英子をはじめ、様々なアーティストの作品やライブに携わっている須藤俊明、さらにはdipのヤマジカズヒデをメンバーに迎え、2011年に「uminecosounds」を結成。古里が元来持っているポップセンスに、メンバーそれぞれのキャリアに裏打ちされた実力・個性が混ざり合って化学反応が起こり、珠玉のデビューアルバム『uminecosounds』が誕生した。バンドの歴史こそまだ2年もないものの、メンバーそれぞれが「人に歴史あり」のこのバンド。まずはその首謀者、古里おさむの生き様から紹介しよう。

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くるりが主催するNOISE McCARTNEY RECORDSよりソロアルバムをリリースしている古里おさむ(Vo&Gt)、髭のドラムとしても活躍するコテイスイ(Dr)、dipのヤマジカズヒデ(Gt)、ジム・オルークを始め様々なアーティストやバンドで演奏している須藤俊明(Ba)によるロックバンド。もともとは古里おさむのソロユニットとして活動を開始し、2009年5月13日に、CINRA RECORDSよりデビューミニアルバム『夕焼け』をリリース。『FUJI ROCK FESTIVAL'09』にも出演を果たし、2010年1月には2ndミニアルバム『宇宙旅行』をリリース。そして2011年、表記を「uminecosounds」に改め、バンドとして再始動。2012年6月に1stアルバム『uminecosounds』をリリース。
http://uminecosounds.net/

自分の中では常にバンドがやりたかった

21才まで剣道一筋だった古里が、怪我によってその道を断念し、ウミネコの繁殖地として知られる地元の青森県八戸市でバンドを結成して以来、彼はこれまで実に様々な名義・形態で音楽活動を続けてきた。最初のバンドが解散した後に上京し、「古里おさむ」名義でくるりのレーベル「NOISE McCARTNEY」からデビュー作『ロードショー』を発表したのが2004年。その後は「ウミネコサンライズ」としてバンド形態での活動を続けるも、CINRA RECORDSからの音源リリースを目前にして、古里はバンドを解体してしまう。「そのメンバーでは、自分が理想とする音楽を作り上げられないと思った」と言う古里は、2009年からソロユニット「ウミネコサウンズ」としての活動をスタートさせ、サポートメンバーと共にバンド録音で2枚のミニアルバムを作り上げている。

しかし、2枚目のミニアルバムを発表後、その活動は停滞する。音源こそバンド編成で作り上げたものの、そのメンバーを集めて地道なライブ活動を行うには、それぞれの活動が忙しすぎたのだ。そして古里は、ストレスの溜まるそうした活動に終止符を打つべく、改めてバンドを作る決意をする。しかしなぜ彼は、ソロではなくバンドスタイルの音楽活動を模索するのだろうか。

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古里

青森で最初にバンドをやったときから、バンドっていうのが一番しっくりきてたし、バンドで音楽をやるのが楽しいからずっと音楽をやってたんです。たまたま最初に世に出たのがソロアルバムだったけど、それは青森でやってたバンドがダメになって、1人で上京したタイミングで声がかかっただけのことで。その後もいろんな人とのつながりでセッションしたり、1人になったり、いろんな状態でやってましたけど、自分の中では常にバンドがやりたかったんです。

それほどまでにバンドにこだわる理由を尋ねても、「わかんないですね…楽しいっていう、それだけじゃないですか?」と淡泊な答えが返ってくる。しかし、これまで幾度かバンドを解散させているように、ただ楽しいだけであれば、彼の活動がこんな大きな変遷をたどることはなかっただろう。彼はこれまで常に理想のバンドを追い求めてきたのであり、その結果たどり着いたのが現在のuminecosoundsなのである。では、彼が長い間探し求めてきたメンバーには、何が必要だったのか? それは、その人固有の「呼吸」だと古里は言う。

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古里

歌でも何でも呼吸だと思うんですよね。呼吸が合う人と合わない人っていうのは絶対いて、友達のつながりで一緒にやってきた人たちだと、そこが合わなくて、最終的に無理が生じて離れちゃうっていうのを繰り返してたんです。今はもう、それは言葉でどう説明したところで変わるものじゃないってわかったから、呼吸の合う人をずっと探してて。

ドラムのコテイスイとベースの須藤さんは前からずっと一緒にやっていて、呼吸が合うのもよくわかってたんですけど、ギタリストだけがどうしても見つからなかったんです。そんな時に須藤さんからヤマジさんのことを聞いて、一緒にスタジオに入らせてもらって "サルとバナナ"を合わせたときに、「これだ!」って。それは、みんなすぐ感じたと思うんですよね。

理想を超えるバンドの化学反応

こうして2011年より表記を「uminecosounds」に改めて、バンドとして再始動した彼ら。古里が言っていた「バンドが楽しい」とは、ただ単に音楽的な話ばかりではなく、コテイスイがよくわからないことを言い、ヤマジがそれに突っ込んで笑いが起こるという、4人の日常的な空気感も居心地が良いらしい。

そしてもちろん、ウミネコサウンズからuminecosoundsになったことで、音楽的にも大きな変化が起きた。古里の詞曲がバンドの核であることに変わりはないものの、そこにメンバー4人のアイディアが有機的に練り込まれていくことで、「バンドの音楽」として生まれ変わっていく。

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古里

ウミネコサウンズのときは、最初に歌詞もメロディも全部できてたんだけど、今は「とりあえずこんな感じ」っていう鼻歌から作り始めても形になる。みんなで演奏すると、イメージがどんどん膨らんでいって、そこから歌うテーマが見つかることもあったりして。バンドのサウンドから色んなヒントをもらって作るようになりました。

また、もっと大きな変化として、uminecosoundsではヤマジも楽曲提供を行っていることが挙げられる。アルバムに収録された11曲中、古里の詞曲が7曲、2曲の詞曲と1曲のインストをヤマジが提供し、"イトシオ"は詞を古里が、曲をヤマジが担当している。「これまでは人の曲を歌うことに抵抗があった」という古里だが、それが自然と実現したということも、バンドマジックと言っていいのかもしれない。

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古里

これまでやってきたバンドはそういう化学変化が少なくて、自分の想像を超えてこなかったから、全部自分でコントロールして作った方がいいものができると思ったんです。でもこの4人でやると、自分の理想とか想像以上の音楽になる。だから今回は、バンドとかアルバムの方向性を決めずに、とにかくどんどん曲を作ってバンドで合わせていった1枚。そういうわけで、最初は「アルバムタイトルもなくていいんじゃない?」って言ってて(笑)。

素晴らしい4人のミュージシャンが、ただ音で会話をして生まれた曲たち。言い方を変えれば、この4人でなければ決して生まれなかったであろう珠玉の11曲が詰まったアルバムのタイトルには、シンプルにバンド名を冠した『uminecosounds』しかありえなかった。

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