行き止まりを突き破るための方法 入江悠×石井岳龍対談

夢と現実。自分が本当にやりたいことと実際に出来ること。誰もが経験するこの二極が生み出すジレンマ。映画の世界でもそんな壁にぶち当たり、乗り越えてきた人がいる。30年以上前にインディペンデント映画『狂い咲きサンダーロード』で商業映画に殴り込みをかけ、続く『爆裂都市 BURST CITY』で音楽界も巻き込む熱狂を生み出した石井岳龍監督。しかし華々しくデビューした石井のその後には、10年近くも映画を撮ることが出来ないという、苦難の時期が待ち構えていた。

一方、『SRサイタマノラッパー』シリーズでインディペンデント映画の規模を超えた旋風を巻き起こし、日本映画の新鋭として注目されている入江悠監督。厳しい映画の世界で、同世代の仲間が次々と姿を消していく中、30代を目前にして『SR』シリーズというヒット作をものにした入江にとって、10代の終わりから話題作を作り続け、興行的にも成功させてきたという石井のキャリアは驚異だった。この秋、TOKYO-FMで始まった入江悠がホストを務めるラジオ番組『入江悠の追い越し車線で失礼します』の第1回目のゲストとして登場した石井岳龍監督に、映画監督という生き方について、入江が今聞きたいことを石井に率直にぶつけた。そこで返ってきたのは石井が苦難の時期に徹底的に自分と向き合うことで見つけ出した、創作というものが生み出す可能性の話だった。

映画を撮るのってお金かかるじゃないですか。そのお金を作品で取り戻してどこが悪い? と思ってました(石井)

―お二人は日本大学藝術学部(日藝)の映画学科の先輩後輩になるんですよね。

入江:学生時代から噂は聞いていて。僕らの世代の学生にとって石井監督は伝説の先輩でしたよ(笑)。

石井:私の前に深作欣二という大先輩もいますけどね。

入江:そうなんですよね。僕もせっかく日藝で映画を勉強しているんだから先輩にはできるだけ会おうと思って、亡くなる前の深作欣二監督を大学に呼んで、講義してもらったことがありました。石井監督といえば、デビュー作『高校大パニック』(1976)を、いきなり大学1年の夏休みに撮られたというのが伝説的なエピソードでした。

石井:日藝の映画学科では、まず初めに8mmフィルムで撮影する実習があって、その延長で作ったんです。今でも8mmの授業ってあるんですか?

入江:僕らのときはまだありました。8mmの現像がもう終わるころだったので、フィルム代も高いし、ムダに撮影できなかったからサイレントで10分ぐらいの短編しか撮れませんでしたけどね。

石井:僕もアルバイトしたお金を食費ではなく、フィルム代につぎ込んでました。現像するのにまたお金がかかるので、当時から作品は必ず上映をして、お金を貰うようにしていたんです。そしてお客さんが入ったら、その入場料で現像代を取り戻すか、食事にあてるっていう(笑)。もう必死でしたよね。

入江悠
入江悠

入江:東映で劇場公開された『狂い咲きサンダーロード』(1980)もやはり在学中ですよね。

石井:あれは卒業制作です。でも時間が長すぎて卒業制作として認めてもらえなかった(笑)。たしか規定の時間が45分以内とかなのに、1時間半ぐらいありましたから。でもその時は、16mmフィルムできちっとした映画を作れるのは、これが最後の機会だと思っていたので、この作品も初めから劇場公開するつもりだったんです。お客さんに観てもらって、何とか次に繋げたいという気持ちばかりで、卒業のことなんて全く考えてなかった(笑)。

入江:使っているのは大学の機材だけですか?

石井:外部から借りた機材も使っています。録音などはどうしても大学の機材でカバーしきれなかったので。それでけっこう借金をしてしまって、映画を撮り終わったら、あとはそれを働いて返すんだと思っていました。まさか映画が商業的に成功するなんて考えてもいませんでしたからね。

石井岳龍
石井岳龍

入江:僕らも卒業制作で作品を撮りましたけど、そこで長編作品を撮って劇場公開しようなんて考える人は1人もいなかったです。石井監督の頃には他にもいたんですか?

石井:いや、卒業制作を商業映画にしようという人はいなかったと思います。僕の場合、8mmで『高校大パニック』を撮ったときから、自分で上映活動をしてたので、興行にするためには1時間以上の長さがないとダメだとわかっていたんです。劇場公開されている映画に近いものを作らないと、お客さんはお金を払って観てくれないことが身に染みていたので。

入江:そんなことができると思ったきっかけは何だったんですか? 誰か先輩に影響を受けた人がいたとか?

石井:いや、誰もいませんでしたね。だから逆にどうしてこうじゃなきゃいけないんだ、と思ったのかもしれない。映画を撮るのってお金かかるじゃないですか。そのお金を作品で取り戻してどこが悪い? と思ってました(笑)。

入江:これは、結構革命的なことだと思いますけどね。

石井:一緒にやってくれる仲間がいたし、機運が高まっていたこともあるかもしれない。あの頃って、日本映画も面白いものが多かったんだけど、でも同時にやっぱり末期的な症状だなっていうのも思っていて。

入江:……というのは?

石井:たとえば深作監督の映画とか日活ロマンポルノとかすごく面白かったし、勉強にもなっていたんだけど、同時に、オトナの世界だなっていう部分もあったんです。ホントは違うんだ、僕らには撮りたい映画があって、それを劇場にかけたいんだっていう気持ちが強かった。良いか悪いかはともかく、自分は「破壊」と「再生」をしないといけない立場なんだってことは当時から意識していましたね。音楽でもパンクロックが同世代でしたし。

『狂い咲きサンダーロード』は衝撃だった。自主製作であの規模の映画を撮ろうという人は、僕らの周りにはいなかった。(入江)

入江:僕は大学1年のときに『狂い咲きサンダーロード』が自主製作映画で劇場公開した作品らしいぞっていう話を聞いて、日藝の近くのビデオレンタル屋で借りて見て、衝撃を受けたんです。自主製作であの規模の映画を撮ろうという人は、少なくとも僕らの周りにはいなかった。あれだけのキャストやスタッフはどうやって集めたんですか。

石井:もう、色んな繋がりですよ。『高校大パニック』のときから友人やライバルたちと積極的に上映活動をして、お客さんと接していたので、だんだん応援してくれる人が集まってきてくれたんです。たとえば泉谷しげるさんも向こうから「作品を見せてくれ」って言ってくれたし、あるいは『狂い咲きサンダーロード』に出演していただいた小林稔侍さんは、直接会ってお願いしたら、台本も見ないで了承してくれた。そういう意味では恵まれてたし、逆にそういう動きをしたことによって、さらに人が繋がっていったということはあるかもしれない。

入江:『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』で、『狂い咲きサンダーロード』の助監督だった緒方明監督に出てもらったときに、撮影エピソードについて聞いたら、「もう二度とあんなことはやりたくない」って言ってました(笑)。

石井:自分なりにプランはあったんだけど、現場はもうむちゃくちゃでしたからね(笑)。緒方監督にはあのときほとんど1人で助監督やってもらった。

入江:あと阪本順治監督なんかも。

石井:阪本くんは『爆裂都市』で美術部の一番下だったね。だけど、最後まで残っていて、なぜか編集までやっていた(笑)。結局やる気のあるヤツが残るんですよ。

『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』 ©2012『SR3』製作委員会 発売元:アミューズソフト/メモリーテック
『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』 ©2012『SR3』製作委員会 発売元:アミューズソフト/メモリーテック

入江:皆さん今では一線で活躍している監督ばかりですけど、当時は噂を聞いて集まってきたんですか。

石井:新しい映画を作るんだっていう気持ちが私には当然あったし、スタッフにしても、そういう志の人を集めたいっていう気持ちはありましたね。けっしてそれが良いことばかりではなかったけど、とにかくやる気のあるヤツらで革命的なことをやりたいっていう気持ちは強かったです。

入江:そんな個性的な人たちをまとめていたわけで、石井監督とお会いするまでは相当怖い人なんだろうなって思っていたんですけど、実際、お会いしたらそんなに怒ったりはしなそうなイメージの方で……。

石井:おとなしいですよ(笑)。

入江:現場に入ると豹変するんですか?

石井:ま、少し変わることはあるかもしれない(笑)。

入江:じゃなかったら、あんなエネルギッシュな作品は作れないですよね。

石井:普段は冬眠状態で、エネルギーをとっておいているのかもしれない(笑)。現場に入ったら大変なことはわかってるじゃないですか。できるだけムダなエネルギーを使わないように、無意識にそうなっているのかも。

入江:来年放送の『ネオ・ウルトラQ』(WOWOW)ってドラマで、石井監督と僕も3本ずつ監督をしますけど、石井監督と同じ日にロケハンがあったので、観察をさせてもらったんです。そしたら、「あっ、エンジンかかったな」って瞬間がわかったんですよ。

石井:わかった?(笑)

入江:「なるほど」と思って。それで、今後は現場でどれぐらい豹変するのかも拝見してみたいと思いました(笑)。

撮りたい映画の規模と、追求したいことへのこだわりがうまく噛み合わなくなってしまって、撮影まで辿り着けなくなってしまった。(石井)

入江:『逆噴射家族』(1984)から『TOKYO BLOOD』(1993)の約10年間、長篇映画を撮らない時期がありましたよね。あの頃はどんな状況だったんですか。

石井:私が作りたい映画はアクションにしろ、SFにしろ、現実離れしたものが多いので、ちゃんと撮ろうと思うとお金がかかるんですよ。それをアイデアや工夫でなんとかして『逆噴射家族』まではうまくいってたんですけど、その次に撮りたい映画の規模がかなり膨らんでしまい、かつ自分の追求したいことへのこだわりもあるので、うまく噛み合わなくなってしまって。企画は通るんだけども、実際の撮影までは辿り着けないっていう状態がけっこう長く続いたんです。あと『逆噴射家族』が国際的にも評価されて、海外からのオファーもあったりして、ちょっと自分の実力や状況を正しく把握できなくなってましたね。また、時代もバブルでしたし。

入江:まだ20代後半の時期ですよね。

石井:『逆噴射家族』が27歳でしたね。そこからたまっていたツケを払ったというか。助監督修行もしないでトントントンと来てしまったので、逆に周りが見えてなかったんです。

入江:でも、大学時代のデビュー作『高校大パニック』から『逆噴射家族』まで相当濃密な20代ですよね。

石井:わけもわからずガムシャラに走ってましたね。あまり記憶がないくらい(笑)。ホントに苦しかったのは20代後半の5〜6年で、精神的にも肉体的にもひどい状態でした。ストイックに激しく映画作りをやってきて、自分の表現はそういうものだと思い込んでいたので、スピードを緩めたり、納得できないことはやりたくないとか思って、自分を追い込んでしまっていたんです。それで出口が見えなくなってしまっていました。

入江:その頃、石井監督は何をやってたんですか?

石井:仕事は結構あって、何でもやってましたよ。カラオケのビデオや、企業のPR映像を撮ったり、今よりもその時のほうが収入があったかもしれない(笑)。結局人の苦労ってプラスマイナスゼロだと思うんですよ。若いときに苦労しなかった分は、後から来る。

入江悠、石井岳龍

入江:僕は初めて観た石井監督の作品が『水の中の八月』(1995)なんです。それが高校生のときで。続いて『ユメノ銀河』(1997)を撮られました。この2作はそれまでの石井監督の作風と比べると、ちょっと落ち着いたトーンの作品でしたよね。

石井:結局撮れなかった時期に、自分や自分の方向性を、自ら規定してしまって、狭い檻に閉じ込めているなっていうことに気がついて、ホントにそれ以外の方向性はないのだろうか、っていうのを原点から見直したんです。また、自分の撮りたい映画だけじゃなくて、撮れる映画を撮ろうっていう発想の転換もしたんですね。そうして自分に今求められている作品と、自分の撮りたい作品の接点を探るようにしたんです。

入江:そのことで苦しみから抜け出せました?

石井:自分が発想を変えれば、展望が開けるんだっていうことはわかりましたね。まずはそれをやるっていう。やったらやったでまた見えなくなるものもあるんですけど、それはそれのときに考えればいいやって思えるようになりました。

石井監督の作品は一貫して、世界が変容する瞬間というか、日常が崩壊するようなものを感じさせる。(入江)

入江:その後の『五条霊戦記』(2000)を劇場で観たんですけど、初期の頃の石井監督が帰ってきた! って思いましたね。

石井:実はあの作品も、企画自体は20代後半の頃からあったんです。20代後半までは、今撮りたいものはすぐ撮れる感じだったんだけど、その後は自分が撮りたいものと、世の中の流れみたいなものが合わない限り、それが形にならないんだということが分かりました。

入江:それは今でも同じスタンスなんですか?

石井:そうです。だから今は「何でも来い!」という感じに考えています。僕は創作とは発想の転換だと思っていて、その発想の転換は、自分で作品の題材を選ばなくても可能だと思えるようになってきたんです。たとえば『水の中の八月』『ユメノ銀河』は、それまでとは180度違った、女性的な側面があるかもしれないけど、自分が表現したいものはそんなに変わっていない。ただ自分の中にある女性的な面を拡大しただけなんです。それで作ってみたら自分でも発見や驚きがあるし、自分の枠が広がったと思う。それまで応援してくれたファンの方には変わったという人もいましたけど(笑)。

入江:最新作の『生きてるものはいないのか』(2012)を拝見していても、ずっと一貫している世界観を感じました。それぞれ過去の作品のテンポ感などは違いますけど、世界が変容する瞬間というか、日常が崩壊する感じのようなものを捉えているのは、石井監督の作品だなと思います。

『生きてるものはいないのか』 ©DRAGON MOUNTAIN LLC. 発売元:アミューズソフト
『生きてるものはいないのか』 ©DRAGON MOUNTAIN LLC. 発売元:アミューズソフト

石井:映画は非現実的なものですけど、そのことを使って何か発想の転換が出来ないかと思うんですよね。もうちょっと大切なことが見えてこないかとか、もう少し面白く生きれないかとか、そんな可能性をまず自分が感じたいんだと思う。毎回なんでこんな大変なんだろうって思うんだけど、完成すれば作って良かったって思える。山登りに近いのかもしれないね。頂上にいけば、何かを得ることができる。何か日常から脱出して、違うものの見方が出来る瞬間。私は映画を観ながら、ずっとそういうことに感動してきて、それがないと生きられないと思ってきたから、同じようなことをお客さんにも味わってほしいなと思って作品を作っているのかもしれないですね。

監督志望だった同世代の仲間たちが少しずついなくなって、このままじゃ映画監督になれないかもしれないと思っていました。(入江)

入江:僕は石井監督と逆で、20代はずっと自主映画をやっていて、たまに商業映画の助監督をしてたんですけど、気がつけば同世代の監督を目指していた仲間たちも少しずついなくなってしまって。「もしかしたら、このままじゃ映画監督になれないかもしれない」と思って、20代の終わりに「これが最後」ぐらいの気持ちで『SR サイタマノラッパー』を撮ったんです。

石井:スタッフはみんな仲間ですか?

入江:大学の後輩だったり、同期でカメラマンやってる友人だったりしました。

『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』 ©2012『SR3』製作委員会 発売元:アミューズソフト/メモリーテック
『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』 ©2012『SR3』製作委員会 発売元:アミューズソフト/メモリーテック

石井:観させてもらったけど、「仲間!」って感じがしてよかったですね。

入江:ありがとうございます。石井監督は18歳で『高校大パニック』を撮ってから、しんどい時期もありながら、ずっと映画を作ってますけど、これまで続けてこられた理由があれば教えてもらえますか。

石井:自分には「これしかない」っていうことですよね。自分は映画を撮らなかったら、ただのクズで人間失格だと思っているので。あとは、結局やり続けることでしかわからないことがあるんですよね。山登りをしていてもう少し登ればいい景色が見えるんじゃないかっていうのと同じで、もう少し続けてみたら見えるものがあるんじゃないかっていう。その山を極めたいっていう気持ちが強いんです。常々、「挫折の数はだれにも負けない」と思うんですけど、日本最高齢映画監督として100歳まで生きた新藤兼人監督も同じことを言ってたんです。そのことは私の心の支えになってますね。新藤監督は最終的に自分の一番撮りたかった原爆の映画は撮れないまま亡くなりましたけど、でもそれを志しながら、毎回毎回ひっくり返るような驚きのある映画を作っていましたから。

入江:あの方はホントにすごいですよね。

石井:上には上がいるんですよ(笑)。自分には特別な才能があるとは思えないので、せめて、「極めたい」っていう思いだけは持ち続けたいですよね。

『生きてるものはいないのか』 ©DRAGON MOUNTAIN LLC. 発売元:アミューズソフト
『生きてるものはいないのか』 ©DRAGON MOUNTAIN LLC. 発売元:アミューズソフト

必ずしも自分のやりたいことが人に喜ばれたりするとはかぎらない。それは宿命的なことなんじゃないかと思います。(石井)

入江:今の話で思い出したんですけど、深作欣二監督も亡くなる前に撮りたい映画があるんだって言ってたんです。それを撮らずに亡くなってしまった。みなさん、そういう映画があるんですよね。

石井:結局、撮りたい映画が撮れるとはかぎらないんですよ。撮りたい映画を撮ったとしても、お客さんが面白いと思うかどうかはわからない。素晴らしい作品を残すためにもがいた過程で生み出したものが、ひょっとしたらお客さんにとっては最高の作品になるかもしれないんです。かならずしも自分のやりたいことが人に受け入れられたり、喜ばれたりするとはかぎらない。それは宿命的なことなんじゃないかと思います。それも含めて楽しむことで、いつかやりたいことがやれているかもしれないっていう。なので、今は自分がやりたいことよりも、来る仕事の中に自分のやりたいことを見つけるのが楽しいですね。『ネオ・ウルトラQ』も楽しいですよ。こういうオファーが私にもくるんだ! って(笑)。

入江:僕もパニック映画が好きで、いつか撮りたいとも思っていたので、『ネオ・ウルトラQ』は嬉しいオファーでした。それに石井監督もやるって聞いて、これは絶対自分がやらなきゃダメだって思ったんです。

石井:入江監督にとっても今までの作品とは違うチャレンジになるでしょ? でも、そういうものなんですよね。私も女性的な映画を撮って、「作品が変わった」って言われるんですけど、今でもアクションも撮りたいし、サスペンスも撮りたい。原点は変わっていないですからね。

入江:石井監督のアクション映画もまだまだ見たいです。

石井:お互いがんばりましょう(笑)。

リリース情報
『生きてるものはいないのか』(DVD)

2012年9月21日発売
価格:3,990円(税込)
発売元:アミューズソフト

監督・脚色:石井岳龍
原作・脚本:前田司郎
出演:
染谷将太
高梨臨
白石廿日
飯田あさと
高橋真唯
田島ゆみか
池永亜美
札内幸太
長谷部恵介
師岡広明
羽染達也
青木英李
田中こなつ
渋川清彦
津田翔志朗
芹澤興人
杉浦千鶴子
村上淳

『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』(DVD)}

2012年11月21日発売予定
価格:3,990円(税込)
発売元:アミューズソフト/メモリーテック

監督・脚本・編集:入江悠
出演:
奥野瑛太
駒木根隆介
水澤紳吾
斉藤めぐみ
北村昭博
永澤俊矢
ガンビーノ小林
美保純
橘輝
板橋駿谷
中村織央
配島徹也
中村隆太郎
HI-KING
回鍋肉
smallest
倉田大輔

番組情報
『入江悠の追い越し車線で失礼します Driven by 三井ダイレクト損保』

毎週日曜日20:30〜21:00からTOKYO-FMで放送

プロフィール
入江悠

1979年、神奈川県生まれ。監督作『SRサイタマノラッパー』(2009)がゆうばり国際ファンタスティック映画祭でグランプリ、富山国際ファンタスティック映画祭で最優秀アジア映画賞を受賞。同シリーズ3作目『SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』(2012)では野外フェスシーンに延べ2000人のエキストラを集め、インディペンデント映画として破格の撮影規模が話題となる。

石井岳龍

1957年、福岡県生まれ。日本大学藝術学部在学中に『高校大パニック』(1976)でデビュー。『狂い咲きサンダーロード』(1980)、『爆裂都市 Burst City』(1982)といった作品で映画ファンのみならず若者の熱狂的な支持を集める。また、『逆噴射家族』(1984)でサルソ映画祭グランプリ受賞するなど、海外でも高い評価を得ている。監督最新作は染谷将太主演『生きてるものはいないのか』(2012)。

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