開拓者たちのマイルール 藤原ヒロシ×いとうせいこう対談

常に時代の先端を捉え続けるクリエーターである藤原ヒロシといとうせいこう。二人をつなぎとめる言葉は数多く存在する。例えば「ラップ」。彼らは日本語ラップにおける重要グループ、タイニー・パンクスの結成以前より、それぞれDJ、ラッパーとしてシーンの黎明期を支え合った盟友同士。そんな彼らがヒップホップを通過し、1990年代に結成したユニットSUBLIMINAL CALMは、ラウンジテイスト溢れた藤原のサウンドと、ラップを逸脱したいとうの歌で、当時最先端の音楽として話題を集めた。その後、藤原はファッションカルチャーに軸足を移し、いとうは古典芸能の師匠に教えを乞うなど音楽活動から距離を置いている時間もあったが、今年に入って藤原が久々のソロアルバムとなる『manners』をリリース。アルバムオリジナル曲の作詞作曲とボーカルを全曲で務め、SUBLIMINAL CALM結成から20年の時を経て、名曲“かすかなしるし”のカバーも行った。そこで、原曲でボーカルを務めたいとうを招いて、対談を実施。日本語ラップの黎明期からSUBLIMINAL CALM時代の貴重な証言、さらにはお互いが音楽以外のフィールドを行き来しながら編み出している独自の表現方法について、じっくりと語ってもらった。

当時、いろんなクラブで「フェーダーに割り箸がついてる」って話題になったんだけど、それは全部僕の仕業(笑)。(藤原)

藤原:せいこうさんとは、もう何年も話していないですね。

いとう:そうそう、だから今日はいい機会だね。

藤原:『想像ラジオ』(いとうせいこうが16年ぶりに発表した小説)読みましたよ。あの本、ラジオDJが曲を紹介する話じゃないですか? だから次にどんな曲をかけるんだろうっていうのが気になっちゃって、本題の方がなかなか頭に入ってこなくて(笑)。

藤原ヒロシ
藤原ヒロシ

いとう:それ、面白いね(笑)。あの選曲は僕の琴線に触れるような曲ばかりだから、ヒロシも好きだと思うな。

―そもそも、藤原さんといとうさんが出会ったのはいつ頃ですか?

藤原:30年くらい前に、景山(民夫)さんのラジオで会ったのが最初じゃない?

いとう:僕は先に完ちゃん(高木完)と知り合って、ヒロシのことは彼から聞いてた。景山さんがヒロシと僕にラジオのコーナーをくれたんだよね。その頃ポール・ハードキャッスルの“19”って曲が流行っていたから、サンプリングして、僕がふざけて放送禁止用語を聴こえないように、それっぽい発音で流してた(笑)。

藤原:僕が19歳の頃ですね。

いとう:あとはピテカントロプス(桑原茂一が開店した原宿にあったクラブ)の跡地にできたクラブ-DでDJしてたヒロシから、「ブースに入ってマイクを持て」って言われて、ラジオでやったようなことを披露したら、日本語だったからフロアがすごく盛り上がったわけ。たぶんそれが初めてクラブから発生した日本語のヒップホップだったんじゃないかな。

いとうせいこう
いとうせいこう

藤原:その頃に車椅子にのって、ラフォーレ原宿でライブやりましたよね?

いとう:……思い出した! あれはすごかった。確か政治家をパロって車椅子に乗ってライブをやることになったんだけど、車椅子でウィリーした状態でピタって止まれるようにしようって(笑)。

藤原:そのためだけにリハスタに入って練習しましたよね(笑)。この間、海外の空港にたまたま車椅子が置いてあったからチャレンジしたんですよ。係の人に怒られましたけど、ちゃんとウィリーできました(笑)。

いとう:(笑)。まだその頃はかすかな日本語がトラックに乗っているくらいで。スクラッチだってヒロシとK.U.D.O.とか数人くらいしかできなかったと思う。日本のヒップホップ誕生前夜、1980年代中盤の話だね。

藤原:ミキサーに横フェーダーが付いていない頃で、スクラッチをするときは縦フェーダーを使ってたんですよね。フェーダーを上まであげ切っちゃうと音が割れるから、途中でフェーダーが止まるように割り箸を貼り付けてやってました。だから当時、いろんなクラブで「フェーダーに割り箸がついてる」って話題になったんだけど、それは全部僕の仕業(笑)。

もともとヒップホップは全部ごちゃ混ぜの音楽だったのに、それがヒップホップマナーだけになっちゃったときに僕は飽きちゃった。(いとう)

―そこから、タイニー・パンクスは、どのように結成されていったのでしょう?

藤原:完ちゃんとはタイニーよりも前に、ロンドンブーツっていうユニットをやっていたんです。近田春夫さんのアルバムをもとにした『星くず兄弟の伝説』っていう映画の中で、完ちゃんがロンドンブーツっていうバンドをやる設定があったので、映画のキャンペーンでそれを再現することになって一緒にやるようになったんですよね。

いとう:そのあとでいつの間にか完ちゃんとヒロシでタイニー・パンクスを始めたんだよね。

―タイニー・パンクスのデビューアルバム『建設的』にいとうさんは全面的に参加されていましたよね。

いとう:残っている音源としてはそうなるね。ていうか、『建設的』は僕のアルバムだからね。でも、それ以外にもあの頃はたくさん曲を作っていた。

藤原:その頃にせいこうさん、桑田(佳祐)さんともやってましたよね?

いとう:“ジャンクビート東京”でしょ? あれはヒロシたちがコーラスで僕が歌詞、桑田さんがそれをやってくれているんだけど、桑田さんの日本語ラップの解釈は今聴いてもすごく面白い! あとは細野(晴臣)さんが参加した“COME★BACK”もその頃。この曲は細野さんがやるなら“Rappin’Duke”みたいな感じがいいって近田さんに提案したのを覚えてる。


―当時はまだヒップホップの情報があまりない時代ですね。

藤原:まだ世界中でマイノリティーな音楽だったんですよね。その分セオリーもないし、なにをやっても許される感じでした。

いとう:ノールールだったし、むしろ自分たちでどうやってルールを作るかに面白みを感じてやっていたというのが正しいかな。

―どういうルールを作ったのですか?

いとう:コール&レスポンスをするとき、日本語で「騒げ〜!」って言うのもそうだよ。だって英語で「Scream!」って言うと、当時はお客さんも「Scream!」って言い返してきちゃうし、「Say Ho!」も「Say」から言っちゃうから、それじゃダメだと(笑)。じゃあ日本語のどの言葉がいいか? って考えたときに、「叫べ」はなんか嫌で、「騒げ」の方がヒップホップっぽい感じだった。あの頃のインクスティック(1890年代から90年代の東京に存在したライブハウス)だったかどこかのお寺だったかでジョン・ルーリーの前座を僕たちでやったの覚えてる?

藤原:全然覚えていない……。

藤原ヒロシ

いとう:あのときさ、まだ『業界くん物語』を録音し終えたくらいで、ほとんど曲がないのにもかかわらず50分くらい時間があって。確か(屋敷)豪太に完ちゃん、ヒロシ、あとDub Master Xもいてさ、適当にゴーゴーのダンスミュージックとかをかけて騒いだような気がする。思い出してみるとあの感覚が僕にとっては原点で、すごく面白いなって思ってた。

―原点ですか?

いとう:うん、あの頃のヒップホップって全部ごちゃ混ぜだったし、もともとヒップホップはそういう音楽だった。それがヒップホップマナーだけになっちゃったときに僕は飽きちゃった。ヒップホップが持っていた猥雑さが失われてしまった感じがしたんだよね。

藤原:たぶん業界も僕らのことを便利だと思っていたんですよね。あいつらを呼んでおけば1時間くらいは盛り上げてくれるっていう。

いとう:もし曲が尽きても漫談で笑わせてくれるみたいな(笑)。あの頃の自由さとか無茶な感じは、今も自戒を込めて思い出すよ。

いとうせいこう

―そんな経緯の中でお二人がヒップホップから離れていき、SUBLIMINAL CALMが生まれたわけですね。

藤原:ヒップホップを離れた理由として、Public Enemyのようにヒップホップを黒人のための音楽としてマジメに表現するグループが出てきて、それまでのパーティー然とした感じからガラっと毛色が変わったんですよね。それに彼らは強烈ですごくカッコよかったから、もうヒップホップは僕らみたいにチャラチャラした感じの音楽じゃなくなったのかなって、ふと思うようになったんです。

いとう:そうそう、僕らでPublic Enemyの前座やったじゃない? そのときに僕らが近寄れる余地がないって感じた。ライブ中に彼らが「団結せよ!」って拳を挙げて扇動しててさ、そのときに僕も本当は拳を挙げたかったけど、彼らと僕らでは立場が違うから同調できなかったんだ。

藤原:それで、僕はハウスに自由さを感じて流れていきました。

いとう:僕はもともと言葉の人間だから、そこで音楽をやめちゃうんだよな。

他人の気持ちになって歌詞を書いてもいいことがわかってから、歌えるようになった。(藤原)

―ちなみにSUBLIMINAL CALMはラップでもなく、純然とした歌モノでしたよね。

いとう:その頃はヒロシの家でよくメロウな音楽を聴いてたんだよね。

藤原:僕らは世代も近いからマイケル・フランクスみたいなAORとかを聴いてて。その頃からハウスやいろんな音楽を聴き始めるようになって、その延長線上でヒップホップじゃないメロウな音楽をやりたくなって、それで始めたのがSUBLIMINAL CALMでした。

いとうせいこう

いとう:当時はハードな音ばかりが流行っていたから、メロウな音楽をやっている人自体が少なかった。そういう意味では、ただ自分たちが聴きたい音楽を形にしていっただけでもあったと思うな。

藤原:サブリミナルはビートを生っぽく打ち込んで、上にのせてるのはほとんど生楽器なんですけど、こういう音の作り方は今でも変わらないですね。そのときは僕が曲を書いて、歌詞はせいこうさんが付けていた。

いとう:それにPublic Enemyの件もあったから、ラップをやる気にもならず、自然と歌になったっていう。

藤原:ちょうど音楽業界はバブル直前の頃だから予算もあったし、自由に好きなことをやらせてもらえる感じでした。『manners』でカバーした“かすかなしるし”だって、64人編成のストリングスを録音してたんですよ(笑)。ちなみにこの曲は、もともとピアノで書いてますね。

いとう:それが僕のもとに届いた頃、ちょうど『ゴドーは待たれながら』って戯曲を書いてたんだけど、“かすかなしるし”の歌詞みたいにずっと1人で閉じ込められている人間のイメージがある戯曲だったから、すぐ書けたんだよね。

―藤原さんが人前で歌い始めたのは、YO-KINGさんとやっているAOEQからでしょうか?

ヒロシ:その前から曽我部恵一くんともやったりはしてましたけど、本格的にはAOEQからですね。

いとう:僕もヒロシも、しばらく音楽活動から身を引いていたじゃない。でも、気づいたらお互いに音楽のフィールドに戻ってて、しかもヒロシは歌い始めるし、ビックリしたよ(笑)。もちろん、タイニー・パンクスの頃から歌もラップもしてたんだけど、みんなその頃の藤原ヒロシを知らないんだろうなって感じていた時間が長かったからさ。なんでまた歌うようになったの?

藤原:DJの引退宣言をしてからもずっとギターは弾いていたんですけど、アパレルをやっている友達にお店でライブをやってほしいって言われたのがきっかけで歌い始めたんです。それがちょうど6、7年前の話ですね。

いとう:でもライブってさ、プロデュースとは違って人前に出るわけじゃない。それは大丈夫だったの?

藤原:最初はプライベートなパーティーだったから、そこから徐々に慣らしていった感じですね。

いとう:そのほうがビックリだよ。知り合いの前で音楽を演奏するほうが、照れるというか、自分の内側に入り込んでくるような感覚になることもあるじゃない?

藤原:なんでですかね……。弾き語りは老後の楽しみにとっておこうって思っていたんだけど。でも、昔から家では歌ってたんですよ。中学の頃はバンドもやっていましたし。

いとう:でも僕がよく家に遊びにいってた頃は歌ってなかったじゃない? レコードをかけてたけど。

藤原:あの頃は歌どころじゃなくて、それこそヒップホップみたいに面白い音楽に惹かれていたから、楽器が弾ける方がカッコ悪いというか、そういった反音楽的な気持ちが自分の中にありましたね。

藤原ヒロシといとうせいこう

―藤原さんが日本語で歌うようになったのは、なにか伝えたいことができたからなのでしょうか?

藤原:と言うよりも、遊びの延長線上ですね。僕も以前、日本語で歌うことは、自分が持つメッセージを伝えるものだと思っていたんです。でも、他人の気持ちになって歌詞を書いてもいいことがわかってから、歌えるようになったというか。そのあたりはYO-KINGが先入観を壊してくれたおかげもあります。


ヒロシの曲に歌詞を書きたいのは、ヒロシと僕の「間のもの」が生まれるからであって、そういうときって自分が想像もしてない詞を書くと思うよ。(いとう)

―今回、“かすかなしるし”をカバーした理由はなんだったのでしょう?

藤原:この曲は僕にとって思い入れが一番強いんです。自分で曲を書いて、歌詞を付けてもらう作曲の仕方においては、1つの完成型だなって思ってるし。

―いとうさんは藤原さんが歌う“かすかなしるし”を聴いてどう思いました?

いとう:歌われちゃったなっていうのが正直なところ(笑)。でも、ヒロシはこの曲をすごく聴き込んでる印象を受けたし、確信を持って歌ってると思った。僕はサブリミナル以降、最近まではずっと音楽から離れてて、その間はずっと古典芸能を聴いたりお師匠さんのところに弟子入りして言葉を教わってきたんだけど……。

藤原:そんなことしていたんですか?

いとう:そうだよ。ヒロシは別のフィールドでやってきたわけだけど、この曲に関しては、こうやって言葉を発音することで、この意味を伝えたいんだっていうイメージが、スッとこちらに入ってきたから、まいったなって思った。僕がこの曲を歌う必要がなくなっちゃったなって(笑)。でも、ヒロシがこの曲を歌うことで、“かすかなしるし”が生み出した輪が一度閉じたんだなって思ったよ。だから今度また違った曲の歌詞を書かせてほしいな。

藤原:次はぜひお願いしたいですね。今回は久々のソロだったから、潔く自分だけで完成させたかったんですよ。歌詞の書き方は、僕とせいこうさんで全然違っていて、僕の場合は言葉遊びなんですけど、せいこうさんは文学的と言うか。

―いとうさんが歌詞を書くときはどんな風にして進めるのですか?

いとう:その曲が言っていること聴き取るっていうやり方だね。もちろん最終的には自分でストーリーにまとめていくけど、作曲者の作るメロディーに言葉を寄り添わせるのが大事。僕が歌詞を書く楽しみはそこにあって、自分だけで伝えたいものは小説を書けばいい。ヒロシの曲に歌詞を書きたいのは、ヒロシと僕の「間のもの」が生まれるからであって、そういうときって自分が想像もしてない詞を書くと思うよ。

そんなことしていたら仕事ありませんよって言われても、「なくてもいいじゃん」って態度で臨む。(いとう)

―いとうさんは最近、□□□やレキシに参加するなど、音楽のフィールドに戻ってきていますが、その理由はなんだったのですか?

いとう:いつ頃からか忘れたけど、音楽に合わせて詩の朗読をやるようになっていて。これまでの自分の著作や前日までに書いた政治声明などを並べておいて、バックではDub Master Xや須永辰緒なんかにDJしてもらいつつ、かかる音楽によって言葉のフレーズを即興で合わせていって、それをダブとして加工してもらってた。それはダンサブルでもあり、ダブのドラッギーさもあるんだけど、その音の間に意味のある言葉が聴こえてくる。ある意味ではポエトリーリーディングとも呼べるかもしれないけど、自分にとってはこのやり方が一番自由なラップの表現方法だった。

―ヒップホップのジャンルから離れている間も、独自の方法を編み出す場を作っていたと。

いとう:それと同時に、自分が古典芸能という世界で師匠たちに教わってきた「明確なビジョンを持って言葉を発音する」とはどういうことか? っていうのを実験的に試してた。その活動の一部を切り取ったのが□□□やレキシ。今でもインプロビゼーションの中で詩を読むことにはすごく興味があって、それはその場で言葉を使ってどうやって人の心を動かすかっていうことなんだけどね。

藤原:僕の中ではファッションも音楽もつながっているんですけど、周りの人から見るとそうは思えないってこともあるみたいで。せいこうさんはポエトリーリーディングの表現者でもあれば文豪でもあるし、あとはバラエティーの司会者もやっているじゃないですか? それらを自分の中でどうやってわけていますか?

いとう:僕の中ではヒロシにとってのファッションと音楽と同じで、どれもつながっているんだけどね。

藤原:でも、周りはそうは思わないじゃないですか。バラエティーの司会者が芥川賞候補に選出されたりするはずないっていうような、そういうイメージ像みたいなものは、ある程度放っておいてます?

いとう:それはもうしょうがないと思ってるんだけど、Twitterが出てきてすごく助かってる。これまでのメディアってジャンルごとにわかれていたじゃない? Twitterはすぐに自分の意見をダイレクトに発信できて、自分のいろんな面を見せられるから、そういう誤解が少なくなった。まさか人生の後半にインターネットからYouTubeやTwitterみたいなものが出てくるとは予想していなかったからビックリしたね(笑)。

藤原ヒロシといとうせいこう

―情報が限られていた時代に比べると、SNSが普及してからは受け手が好き勝手なイメージで誰かについて語ることが減ったと言えそうですね。ちなみにタイトルの『manners』には、今の社会へのメッセージなども込められているのでしょうか?

藤原:タイトルは一番最後に決まったんですよ。もともと最初から箱型のパッケージにCDを入れたくて、その箱にCDと一緒になにを入れようかと考えたときに、ハンカチとチリ紙がいいなと。そこから連想して『manners』ってタイトルが思い浮かびました。でもおっしゃる通り、最近はマナーとかデリカシーっていうものが失われている感じもするから、そういったものをもう一度ちゃんと身につけてほしいなっていう思いもありましたし。

いとう:僕はてっきり、これから風邪の季節だからハンカチとチリ紙とは気が利くなって思ってた(笑)。でも、最近、僕の好きな東京の街のマナーがどんどん悪くなってる気はしてる。人ごみで肩がぶつかっただけで舌打ちしたりするでしょ。それが嫌になって、街ぐるみで教育する文化が残ってる下町に移ったんだけど。

―『manners』には大人のマナーという意味も込められているんですね。これまでお二人はご自身が好きなことをとことん追求してきたからこそ、今のポジションがあるようにも感じます。そういった生き方をするために、どんなマナーを身につけておくとよいのでしょうか?

藤原:媚びずに自分の好きなことをやるだけです。

いとう:そう、それしかなんだよね。そんなことしていたら仕事ありませんよって言われても、「なくてもいいじゃん」って態度で臨むことかな。最近思うんだけどさ、妥協をするたびに悪循環に入っていっちゃう気がしてね。

藤原:一度嘘を付くと、嘘を重ねなきゃいけなくなるのと同じですね。

藤原ヒロシといとうせいこう

いとう:そこを無理してでも妥協しないで意地を通すと、そのときは金にならなかったりするけど、それを何年も続けているうちに確実に好循環に入っていって、仕事を頼むほうも僕が好きなものをふってくるようになる。もちろん一切妥協しないわけじゃなくて、要は嫌いなことはしないってことだよね。

藤原:例え相手があったとしても、自分があまりよくないと思ったら正直に伝えたほうがいいというか。適当にやるくらいなら断った方がいい。中途半端であることは相手にも悪いから、それもマナーだと思います。

リリース情報
{藤原ヒロシ
『box of manners』初回生産限定盤(2CD)

2013年10月16日発売
価格:8,400円(税込)
AICL-2590〜2592

[DISC1]
1. colour
2. sophia
3. getting over you
4. f.o.
5. discourse
6. solfa
7. 1978
8. stasi
9. horizon
10. この先に(2013ver.)
11. かすかなしるし
12. june
[DISC2]
1. solfa(rehearsal session)
2. f.o(rehearsal session)
3. june(rehearsal session)
4. sophia(tsk nu disco Mix)
5. horizon(DUB MIX)
6. かすかなしるし(molmol DUB MIX)
7. Henry
[特典]
・Handkerchief(by uniform experiment(SOPH.)×fragment design)
・Tissue(fragment logo入り)
・fragrance dog tag(by retaW×fragment design)
・usb memory(fragment logo入り)

藤原ヒロシ
『manners』通常盤(CD)

2013年10月16日発売
価格:3,000円(税込)
AICL-2593

1. colour
2. sophia
3. getting over you
4. f.o.
5. discourse
6. solfa
7. 1978
8. stasi
9. horizon
10. この先に(2013ver.)
11. かすかなしるし
12. june

書籍情報
いとうせいこう
『想像ラジオ』

2013年3月5日発売
著者:いとうせこう
価格:1,470円(税込)
発行:河出書房新社

プロフィール
藤原ヒロシ(ふじわら ひろし)

音楽プロデューサー、アーティスト。80年代からDJを開始。高木完とのヒップホップユニット、タイニー・パンクスで活躍し日本のヒップホップの黎明期を支える。90年代からは音楽プロデューサー、作曲家、アレンジャーとしても活動の幅を広げ、小泉今日子やUAを始めとしたアーティストに楽曲を提供。2011年よりYO-KINGとのユニットでもあるAOEQやソロとしての活動を開始。その他にもファッションアイコンとしても知られ、音楽、ファッション、カルチャーの最先端を牽引する存在としても支持を集める。最新のソロ・アルバム『manners』は自身でボーカルも務める意欲作となった。

いとうせいこう

俳優、小説家、ラッパー、タレントとさまざまな顔を持つクリエーター。雑誌『ホットドッグ・プレス』の編集者を経て、1980年代にはラッパーとして藤原ヒロシらとともに最初期の日本語ヒップホップのシーンを牽引する。その後は小説『ノーライフキング』で小説家としてデビュー。独特の文体で注目され、ルポタージュやエッセイなど多くの著書を発表。執筆活動の一方で宮沢章夫や竹中直人らと数多くの舞台・ライブをこなすなど、マルチな活躍を見せている。近年では音楽活動も再開しており、口口口やレキシ、POMERANIANS、Just A Robberなどのレコーディングにも参加している。



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