あの人の音楽が生まれる部屋

あの人の音楽が生まれる部屋 Vol.10 三浦康嗣(□□□)

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あの人の音楽が生まれる部屋

ヒップホップ的な感性を持ちながら、一筋縄にはいかないヒネクレ感のあるポップサウンドを展開する不定型ユニット□□□(クチロロ)。2007年にメジャーデビューし、アルバムごとに異なるコンセプトやサウンドを打ち出しつつ、2009年にはいとうせいこうも加入するなど、まさに何でもござれな彼らのポップワールドは、ロック〜クラブ系まで幅広い層の音楽ファンから支持を得ています。その中心人物である三浦康嗣さんは□□□以外にも、さまざまなアーティストのリミックスやCM音楽なども手掛けるマルチな才能を持つ注目の音楽家。そんな三浦さんのご自宅仕事部屋に伺い、自身の音楽に対する思いを深くお伺いすることができました。

テキスト:伊藤大輔 撮影:豊島望

三浦康嗣(□□□)

三浦康嗣(みうら こうし)

主宰する□□□(クチロロ)は1998年にブレイクビーツユニットとして結成。ターンテーブルやサンプラー、楽器奏者を交えながらライブ / レコーディングを重ね、徐々にポップス中心のスタイルへと移行する。2004年にHEADZ内のWEATHERより1stアルバム『□□□』をリリース。2006年には坂本龍一らが設立したcommmonsへ移籍、2007年にはいとうせいこうらも参加したブレイクビーツアルバム『GOLDEN LOVE』をリリースする。2009年にはフィールドレコーディングオーケストラと銘打った『everyday is a symphony』、声のみで構成した『マンパワー』など作品毎にさまざまなコンセプトを提示している。また、2014年3月にはこれまでに三浦が手掛けたリミックスや、CM音楽などを集めた2枚組CD『WORK』をリリースした。

http://www.kuchiroro.com/

『ドラクエ』の音楽とビジュアル系が原初体験?
音楽家・三浦康嗣の夜明け

三浦康嗣(□□□)の機材

子供の頃はスポーツが大好きだったという三浦さん。小学5年生の頃に家庭の事情でニューヨークへと引っ越し、中学3年生まで過ごしています。当時について「それほど音楽に興味はなかった」と語る三浦さんですが、小学生のとき『ドラゴンクエスト』のゲーム音楽に興味を持ったり、高校生の頃は友人と組んだビジュアル系のコピーバンド(!)で演奏したこともあったそうです。

三浦:小学生の頃は流行の音楽やテレビにまったく興味がない子どもだったんですが、別にクラスの中で浮いているようなタイプではなかったと思います(笑)。最初に好きになった音楽が『ドラクエ』だったのは、ストーリーに付随する音楽で、わかりやすかったからなんじゃないでしょうか。家にピアノがあって、いまだに習ったことはないし、楽譜も読めないんですが、『ドラクエ』のメロディーを弾いてみたくて「これは何の音?」って親に聞きながらフレーズを覚えたりはしました。ビジュアル系バンドも興味があった訳ではないんですが、学校のみんなに誘われてやるようになったんです。とにかく当時はデカい音を出せることが、すごく楽しかった記憶がありますね。

チヤホヤされることに味をしめて
音楽をやっていこうと決心した中学〜高校生時代

三浦康嗣(□□□)

中学を卒業して帰国した三浦さんは、高校でバンド活動を続けながら(担当はドラム)、ニューヨーク時代に興味を持ち始めたヒップホップにもハマりだし、音楽雑誌を読んでレコード屋巡りをするという、本人曰く「型にはまった音楽好き」になっていったようです。それと同時に自分で曲を作ってみたいという思いに駆られて、ピアノで断片的なメロディーを作って録音していたそう。「たいした曲なんて作れなかったですよ」と語る三浦さんですが、じつは音楽で食べていこうという気持ちは、すでにその頃からあったようです。

三浦:話が少し前後するんですが、中学生のときに家族でアメリカ旅行をした先のホテルで、ロビーにあったピアノをなんとなく演奏したんです。たしかプリンセス プリンセスの“M”かなんかを弾いたら、子どもがピアノを弾いているぞって宿泊客が集まり出して、「いいぞいいぞ」ってやり始めたんです。そこでチヤホヤされたことに味をしめて、オレは音楽をやろうって決めたんですよね。ホント子どもの頃って単純でバカですよね(笑)。

ヒネクレ魂を爆発させながら
模索を続けた□□□黎明期

三浦康嗣(□□□)の機材

その後大学へと進学すると、ターンテーブルやサンプラー、レコーダーなどの機材を買い増しながら、より本格的な音楽制作を志します。DJやライブイベントにも誘われるようになり、そのためにつけたグループ名が□□□でした。結局、大学は中退しましたが、FlyrecやCUBIC MUSICといったエレクトロニカ系の個性派レーベルからの誘いを受けては、その期待をいい意味で裏切るような「一筋縄にはいかない活動」を、マイペースに続けていきます。

三浦:アコギやシーケンサーを使って即興演奏をすることもあったし、サンプラーを使ってブレイクビーツをやるときもありました。たとえばダンス系イベントに呼ばれたときは、ただ静かに音楽を再生するだけのセットをしたり、マジメな音響系のパーティーなら逆にゴリゴリのブレイクビーツを演奏したり、あえて得意じゃないことをわざとやっていたんです。すごくヒネクレたやり方ですが、1つのスタイルに固まるよりも、いろんな音楽をやる方が楽しかったんですよね。

たしかに本人も言うとおりの、なかなかのヒネクレぶりですが、周囲の反応も良く、いろんなイベントやレーベルからの誘いがあったそうです。

三浦:よくそれで呼んでもらえたなって思うんですけど(笑)、原因としては、僕の「勘違いスキル」の高さだと思います。たとえば、ギターってちゃんと弾けてないと恥ずかしいじゃないですか? 実際、僕は全然上手く弾けないんですけど、「これがカッコいいでしょ?」っていう開き直りがあったというか。ダサそうな服でも着ている本人が堂々としていれば、「意外といいんじゃないか!?」って思えるのと同じで。だから、□□□の1stアルバムを出してくれたHEADZの佐々木敦さんは、僕にだまされたんだなって思います(笑)。

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