9年間、みんなが待ってた downyインタビュー

2004年の活動休止から実に9年ぶり、待望の新作(もちろん、タイトルは『無題』)とともに、downyが帰ってきた。2000年代初頭、日本のオルタナティブなロックシーンが最も面白かった時期にあって、変拍子を多用した硬質かつミニマルなバンドアンサンブルと、青木ロビンの独特な詞世界が生み出すサイケデリア、映像と音楽を同期させたライブによって、圧倒的な存在感を放っていたのがdownyであり、今でこそ当たり前となった変拍子やVJ入りのバンドという概念は、彼らがいなければここまで広まっていなかったとさえ言えるかもしれない。メジャーデビューも果たし、4枚のオリジナルアルバムを発表した中での突然の活動休止は、当時間違いなく「事件」であった。

その後、中心人物の青木ロビンは地元の沖縄へと戻り、しばらく音楽からは離れた生活を送っていたという。しかし、約3年前から水面下で活動再開に向け動き始め、2012年にメンバーがTwitterで曲作り中であることを報告、今年の10月に活動再開が公式にアナウンスされると、downyの名前がTwitterのトレンド入りをするなど、その期待度の高さをうかがわせた。今回のインタビューでは、青木ロビンに活動休止から再開までの経緯、新作について、そして今彼がなにを思うのかをじっくりと語ってもらった。

インドと日本のハーフであり、香港で生まれ育った青木ロビンは、表現をすることで自分の居場所を探し続けてきた人である。downyが活動を休止せざるを得なかった時期というのは、彼の強い表現欲求がバンドという枠を超えて、爆発してしまったということなのかもしれない。しかし、彼は沖縄という土地での生活を経て、downyというホームへと、今再び戻ってきたのである。

「衣食住」を全部やってから、その上で音楽をもう1回やろうと思ったんです。

―僕は2000年代の頭の頃にちょうど大学生で、当時いわゆる日本のオルタナティブなロックをよく聴いていて。もちろんdownyも聴いていたので、今回インタビューをすることができて、すごく嬉しく思っています。

青木:昨日から取材を受けてるんですけど、意外とそういう人がいて、「その当時にもっと言ってくれたら」と思うんですけど(笑)。

―当時はまだTwitterなんかもなかったですからね(笑)。04年の活動休止以降は、沖縄に戻られて、音楽から離れて生活をされていたそうですね。

青木:まったく音楽と関係ない生活をしてました。高校生ぐらいからずっと、音楽に対して「どう作ってるんだろう?」みたいな耳でしか聴いてこなかったんですけど、活動休止をした頃は「もう聴くのも嫌」みたいな状態になってしまっていたので。

青木ロビン
青木ロビン

―音楽がストレスになってしまい、それで活動をストップすることになったわけですか?

青木:バンドの活動休止自体はすごくいろんな理由が重なってたので、一言では言えないんですけど、あのときは単純に「お休みさせてくれ」みたいな感じでした。ただ、沖縄で生活をしていく中で、徐々にまた音楽が聴けるようになってきて、それまでは敬遠していたものも、スッと入ってくるようになったんです。

―そうやって音楽を楽しめるようになるのに、なにか特別な要因ってあったんですか?

青木:子どもができた影響は大きいと思います。自分では聴かないような音楽も、子どもに聴かせたりしていたので。それで3年前ぐらいからトラックを作るようになったら、やっぱり音楽が楽しくなって、メンバーに電話をした次第です(笑)。

―「いつかは活動を再開させたい」っていう気持ちはずっと持っていらっしゃったんですか?

青木:活動休止だったから、必ずいつかはやらないとと思ってました。今回はたまたま僕が「やるか」って声を上げたんですけど、やっぱりすごく集中力が必要なバンドなので、他のメンバーは「やるのか……よし」って気合いを入れ直す感じはあったと思いますね。(活動休止以降)みんな伸び伸び生きてたと思うから(笑)。

―音楽から離れていた時期は、主になにをされていたんですか?

青木:アパレルや飲食店、空間デザインをやったりしてましたね。「なんでバンドを活動休止にしたか」っていう話にもつながるんですけど、他にやりたいことがいっぱいあったのに、音楽しかできない自分がすごく嫌で。アパレルはdownyをやりながら始めてたんですけど、両方できるほど自分は器用じゃなかったし、当時は「俺ぐらいはdownyのことをずっと考えてないといけない」っていうのもあって、その集中力が切れてしまったということかもしれないです。

―それで、音楽以外のやりたかったことを始めたと。

青木:音楽ってホントはなくてもいいっていうか、生きるのに必要な「衣食住」には入ってないじゃないですか? なので、「衣食住」を全部やってから、その上で音楽をもう1回やろうと思ったんです。

―まさに「衣食住」に関わることをすべてやられていたんですね。

青木:そうなんですよ。それをやって、やっと音楽ができるようになりました(笑)。今も音楽以外にやりたいことはいっぱいあるんですけど、ちゃんと計画性を持って、自分の体力と向き合って考えられるようになったので、並行してできることをやろうと思ってます。あとは単純に、昔よりちゃんと人とお付き合いできるようになりましたし(笑)。

ずっと歌うのが嫌だったんですけど、自分が表現したいことがちゃんと表現できていれば、歌ものでもありなんじゃないかって。

―昔は尖ってました?(笑)

青木:自分ではそういうつもりはなくて、わりと社交的な方だったと思うんですけど……。

―でも、ミュージシャンに当時のことを聞くと、「downyは怖かった」っていう話になりますけどね(笑)。

青木:勝手に怖がられてたんですよね(笑)。メンバー内では結構しょうもないことをしゃべったり、一緒にお笑いを観に行ったりもしてましたけど……。まあ、外とはあんまりしゃべらない時代でもあったんじゃないかな。それこそ今はみんなTwitterとかでつながってて、最初からいいやつだってわかってたりするから、変な壁がなく付き合えるけど、当時は「みんな俺らのこと嫌いだろう」と思い込んで、自分から話しかけに行かなかったから、「怖かった」ってことになってたんでしょうね。でも、仲のよいバンドとは、ワイワイやってましたけどね。

―イメージでどうしても構えちゃうところがあったのかもしれませんね。

青木:傍から見たらそうなんですかね(笑)。

青木ロビン

―実際に、メンバーと連絡を取ったのはいつごろだったんですか?

青木:2年前ぐらいですかね。正式に「やるか」ってなったのがそれぐらいで、「こんなの作ってるんだけど」っていうやり取りを始めたのは3年前ぐらいからかな。それで1回スタジオに入ったんですけど、最初のスタジオは楽器を弾かずに「なにしてた?」ってずっと話してましたね(笑)。

―実際に音を鳴らしてみたら、すぐに昔の感覚に戻りました? それとも、多少時間はかかりました?

青木:downyはみんな「こういう音を出す」っていう明確なビジョンを持っているので、わりとすぐ「ああ、downyっぽいね」って感じになったかな。まあ、なんせ僕が一番ブランクがあったので、毎日練習して、大学生ぐらいの気持ちで臨んだんですけど(笑)。

downy
downy

―雰囲気的にも、昔に戻りました?

青木:昔ほどヒリヒリした感じはないですね。お互い、経験を経て優しくなってるので(笑)。でも、みんな真剣ですね。自分のプレイに対しても、楽曲に対しても。他のバンドならオッケーだけど、うちではダメっていう線引きがあるんじゃないかな。

―パッとやってすぐに曲ができるようなバンドではないから、動き出してからも、実際に作品が出るまでには時間を要したと。

青木:各々のスイッチが入るまでに時間が必要だったっていうのと、単純に、デモを聴いてもらって、それを具現化するにあたって、「こういうのはもう他がやってる」とか、「これはdownyじゃない」みたいな感じで、1回アルバムをボツにしてるんです。その後はセッションでどんどん作っていって、その頃には再開を公言してはいたんですけど、またアルバムもう1枚分ポシャって、やっと今回の11曲になったっていう感じで。

―かなりの難産だったんですね。

青木:世に出たものとしては、今作が5枚目のアルバムなんですけど、個人的には7枚目のアルバムを作ったぐらいのエネルギーがつまってるというか、誰も聴いてない5枚目と6枚目があるような感じなんですよね(笑)。

―実際出来上がったアルバムは実に素晴らしくて、硬質でミニマルな演奏が生むサイケデリアはそのままに、エレクトロニックミュージック寄りの立体音響的な面白さが加わっていることがポイントだと思いました。もともとどんなイメージで制作を進められたのですか?

青木:最初はもっとエレクトロニックなものを提案してたんですけど、やっぱりもっとバンド色を出していこうっていうことで、結構バンドサウンドになって、最終的にはその間を取ったというか、「俺らにしかできないこと」を考えて、今のような形になりました。そもそも僕はバンドをやってなかったから、最初はエレクトロニックなネタしかなかったんですよね。ただ、他のメンバーは何年も肉体的な音楽を続けていたので、そこをもっとクローズアップしようと。

青木ロビン

―演奏の獰猛さも、さらにパワーアップしてますもんね。

青木:最終的には、音像としてつぶれすぎず、ただ爆発的なだけではなく、ちゃんとそこに情緒があって、人にしか生み出せないリズムの訛りがちゃんとあるエレクトロというか、そういう感じになってるんじゃないかと思います。

―まさに、そんな仕上がりですね。他に、制作にあたってのポイントはどんな部分でしたか?

青木:「今までdownyがやってないこと」というテーマの1つとして、歌ものをやってみたかったので、そこは全面に出そうと。「歌を大きくしてほしい」というのは、メンバーには昔から言われてたんです。でも僕はすごく嫌で、正直今でも「恥ずかしいな」って思うんですけど、結果的にはいいものができたと思います。

―なぜ昔は歌を前に出すのが嫌だったのですか?

青木:基本的に自分がボーカルじゃなくてもいいという考え方で、「たまたま歌で表現する人が自分しかいなかったから」っていう役回りだと思ってたんです。ただ、さっきも言ったように、子どもができてから、一緒にギターを弾いて、歌ったりもするわけですよ。単純にそれが楽しくて、自分が表現したいことがちゃんと表現できていれば、歌ものでもありなんじゃないかって。その中で、僕にしか作れないメロディーや歌詞があると思うから、それを自信を持ってやればいいんじゃないかって思えるようになったんですよね。

最近すごく思うのは、いろんなことがあるけど、それでもやっぱり明日があって、毎日がキラキラしてるっていうか……なんかカッコ悪いな(笑)。

―歌詞の世界観がやはり非常に独特ですが、先ほど話していただいたように、「衣食住」を経て音楽に戻ってきたことは、なにか歌詞に影響を与えましたか?

青木:自分ではそこまで意識してなかったんですけど、あったかくなった気はするかなあ。アルバム全体のことですけど、無理やり作るものって面白くないと思うので、五人がいろいろ経験してきたものが自然と出ていますね。今は家庭がある人もいますし、そういうのも滲み出てると思います。これでも「暗い」って言われるんでしょうけど(笑)、僕らの中ではかなりあったかくて、明るいアルバムになってて。これからまたどうなるかはわからないですけど、今できる表現がこの形だったんだと思います。

―青木さん個人で言えば、沖縄での生活や、お子さんが生まれたことなども、当然反映されていると。

青木:もちろん、詞には僕がそのまま出てるわけですから。沖縄に住んでて、夏場は毎日海に行くし、すごく星がきれいだし、子どもの影響も大きくて、こんなに人が人を好きになるんだっていうか、こんな気持ちになるなんてホント知らなくて。そういうところは隠せないなって。

―確かに、歌詞は明るくなったというか、「赫灼(かくしゃく)」や「曦(あさひ)」といった曲タイトルの単語からしても、強い光のイメージを感じました。これまでのdownyには「月」のイメージがあって、今回も“下弦の月”という曲がありますが、薄ぼんやりした光というよりは、強い輝きを感じさせる作品だなって思います。

青木:最近すごく思うのは、いろんなことがあるけど、それでもやっぱり明日があって、毎日がキラキラしてるっていうか……なんかカッコ悪いな(笑)。でも、そういうことを表現できたらいいなって思っていて。もともと深く考えて陰鬱にしてたつもりはないんですけど、今回はホントにギラギラしてると思います。

―“燦”も強い光を感じさせるタイトルですよね。<sunnyboy 夜は明けたか? sunnyboy 無題の日々だ>という最後のブロックが、直接的にdownyの再開を連想させますが、この曲にはそういった想いが込められているのでしょうか?

青木:結果的にそうなのかもしれないですけど、考えてなかったですね。「燦」っていうのはたまたまこのタイトルになったんですけど、さっきも言ったような「いろいろあるけど、それでも行くんだよ」みたいな気持ちがいつもあって、それは子どもに向けても、自分の人生に向けても思ってますし、そういうことが滲み出てるってことだと思います。自分で読み直してみて、「暑苦しいなあ」って思ったんですけど(笑)、でも言いたいことがあってこういう形にまとまったので、今回はこれでいいかなって。

―宮沢賢治の作品を思わせる“春と修羅”という曲もありますが、もともと詩や文学からの影響っていうのは大きいのですか?

青木:僕は活字中毒なので、誰の影響だと言い始めたら切りがないんですけど、いつも感動しながらいろんな文学作品を読んでいるので、少しでもそういう人に近づけたらなっていうのは常に思ってます。

―さっきの「赫灼」や「曦」もそうだし、「芥(あくた)」っていう言葉が出てきたり、漢字の使い方が特徴的ですよね。

青木:「芥」は字面がかっこいいのでよく使うんです。僕6歳まで香港にいたので、日本語がしゃべれなかったんですよ。それで、日本に来てすごくバカにされて、めちゃくちゃ勉強したんですね。ホントにいつも図書館にいて、むしろ英語も中国語も忘れちゃうぐらい本に没頭して、中でも萩原朔太郎を読んだときに「こんな形があるんだ」「こんなに文って千切れてていいんだ」って衝撃を受けて。1行1行にエネルギーがあれば、それはもう1個の詩が1冊の本だし、1行がタイトルだし、そんなことができたらいいなってずっと思ってて。たまたま僕は音楽で表現することになって、9年休んでもまた、それを続けたいってことだと思います(笑)。

できるだけ自分の頭にあるものを吐き出していかないと、僕の場合それがストレスになっちゃうんです。

―今考えると、downyは映像を使ったライブの先駆者だったなって思うんですよね。

青木:もともと映画が大好きで、映画音楽をやりたくて音楽を始めたんですけど、結果ロックバンドになっちゃったんです(笑)。僕は基本的に、自分の作った音楽を人に勝手に曲げてほしくないんですよね。僕が赤って言ってるものを、お客さんが聴いて青にしてしまうのがすごく嫌で、強制的にでも赤っていうのを伝えなくちゃいけないと思ってたので、それで「映像をつける」っていう単純な手法に至ったんです。

―なるほど。

青木:まあ、昔よりは寛容になってしまったので(笑)、「こういう曲だね」って言われたら、「そういう目線もあるな」って今は思えたりもするんですけど、それでもできるだけ自分の頭にあるものを吐き出していかないと、僕の場合それがストレスになっちゃうんです。無理やりでも、ねじ込んででも、人の意識にそれを伝えていくためには、映像はすごくシンプルな方法だと思います。

―ロビンさんは昔は絵も描かれていましたし、多彩なアウトプットをお持ちだと思うんですけど、その中でもやっぱり映像に対するこだわりが強いんですか?

青木:例えば、僕カメラはすごく下手なんですよ。写真を撮ろうとすると、動いてないとダメだなって思うんですよね。変化していてほしいっていうか。だから、絵を描くのも結局やめてしまって、カメラマンさんや絵描きさんのように、とどめておくことができる人を、逆に尊敬してます。今は絵や写真は余暇というか、エネルギーを使う最後のスペースにしてるって感じですね。

―「変化してないとダメ、とどめておくことができない」っていうのは、アルバムのタイトルが毎回『無題』であることと関係ありそうですね。

青木:まさにそうで、タイトルをつけることの意味がわからないんですよ。コンセプトアルバムならまだしも、僕らの場合そのときのパーツを集めての楽曲作りなので。1曲1曲のイメージはあるから、曲にはタイトルがあっていいと思うんですけど、アルバムに対して1つのイメージは持ってないので、タイトルをつける意味が見当たらないんです。

―今日お話をおうかがいして、ロビンさんが表現活動をすごくトータルに捉えていて、音楽だけではない、開かれた視点をお持ちだということがよくわかりました。その感覚っていうのは、9年前以上に、今より重要な感覚であるようにも思います。

青木:単純に、ものを作るのが好きなんです。服でも料理でも、ものを作ることで自分が生きている実感があるし、空間デザインやお店に関しては、その場所に人が入ってくるわけですから、そこでは毎日ライブが行われているんですよね。なにかのライブにいつも立ち会えるっていうのは、すごくありがたいことで、自分の価値はそこでしか見出せないとも思うし。

―ロビンさんのもの作りにかける切実さは、どこから生まれてくるのでしょう?

青木:子どもの頃に台湾に住んでいて、日本語がしゃべれなかったという話をしましたけど、混血でもあるし、ずっとホームと呼べる場所がなかったんですよね。応援できる野球チームもなかったし(笑)。だけど、自分の頭の中には1つの世界が広がっていて、それを吐き出すことで、外の世界に自分のホームを作ってきたのだと思います。それはずっと変わらないですね。

イベント情報
downy
『或る日の暁』ツアー

2013年12月13日(金)OPEN 19:00 / START 19:30
会場:大阪府 梅田 Shangri-La

2013年12月18日(水)OPEN 19:00 / START 19:30
会場:東京都 渋谷 WWW

料金:各公演 前売3,000円 当日3,500円(共にドリンク別)
※両公演ともチケットは完売

リリース情報
downy
『(無題)』(CD)

2013年11月20日発売
価格:2,625円(税込)
felicity cap-184 / PECF-1081

1. 「   」
2. 赫灼セルロイド
3. 曦ヲ見ヨ!
4. 下弦の月
5. 時雨前
6. 黒
7. 春と修羅
8. 雨の犬
9. 燦
10. 或る夜
11. 椿

プロフィール
downy(だうにー)

2000年4月結成。青木ロビン、青木裕、仲俣和宏、秋山タカヒコに加え映像担当のメンバー・石榴が在籍するという、特異な形態をとる5人編成のロック・バンド。音楽と映像をセッションにより同期、融合させたライブスタイルの先駆け的存在とされ、独創的、革新的な音響空間を創り上げ、視聴覚に訴えかけるライブを演出。ミュージックビデオの制作、プロデュースもメンバーが手掛け、世界最大級のデジタル・フィルム・フェスティバルRESFESTに於いても高い評価を得る。日本に於けるポストロックの走りともされている。現在までに、4枚のオリジナルアルバムをリリース。2004年活動休止以来、メンバー各々の活動は更に多岐にわたり、現在も猶、国内外のアーティストからの指示も高く、注目度も高い。2013年、9年ぶりに活動再開。2013年11月20日、第5作品集『無題』がリリースされる。



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