「観るべきダンサー25人」に選ばれた、世界的ダンサー熊谷和徳

シルクハットを被ったタキシード姿の男が、スポットライトを浴びながら小気味良くステップを決めて大喝采……タップダンスには「エンターテイメントショー」といったイメージがいまだに強い。しかし、タップダンサー・熊谷和徳の目には、エンターテイメントだけにとどまらない、タップダンスの可能性が映しだされている。

アフリカで生み出されたとされるタップダンスは、黒人奴隷たちの怒りや悲しみをリズムに乗せ、足音で踏みならすためのエモーショナルな表現方法だったと言われるが、熊谷はそんなルーツを強く意識しつつ、さらなる未来を見る。タップの本場、ニューヨーク・ブロードウェイで修行を積み、黒人の歴史とタップの文化を伝える作品『NOISE / FUNK』のオーディションに合格。さらにアメリカ『ダンスマガジン』誌において「観るべきダンサー25人」に選出されるなど、現地コミュニティーの中でも実績をあげてきた熊谷。本物のタップダンスとは何なのか? 熊谷のバイオグラフィーが培ったタップに対する哲学は、きっとあなたの「タップダンス観」を根底から覆すこととなるだろう。

自分がかっこいいと感じたのは、マイケル・ジャクソンやジェームス・ブラウンなど、パッションを即興で表現するようなダンス。僕にとってのタップは音楽を演奏しているイメージに近いんです。

―熊谷さんが初めてタップダンスに出会ったのは、いつ頃ですか?

熊谷:5歳くらいのとき、マイケル・ジャクソンがタップを踊る映像を観て衝撃を受けたのを覚えています。「本物」を見たという感じがしました。それで親にタップを習いたいとお願いして、地元のダンススクールに電話をかけてもらったんですが、バレエしか教えていないところばかりですぐに諦めました。当時はまだ小さかったから、タップダンサーは魔法というか遠いイメージで、自分にはできないだろうな……と思っていたのかもしれません。

―では、実際にダンスを踊り始めたのは?

熊谷:15歳のときに『タップ』という映画を観たのですが、主演のグレゴリー・ハインズ(ダンサー、俳優、歌手)が、獄中で一人でタップを踏むシーンがあり、その姿に再び衝撃を受けました。ステージやショーではないところで、誰に見せるでもなく自分のためだけに踊り続ける姿がすごくかっこ良くて……。それであらためてタップのスクールを探し出して、自分だけの楽しみとしてこっそり習い始めるようになったんです。

熊谷和徳
熊谷和徳

―熊谷さんが中高生の頃というと、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』で「ダンス甲子園」が放送されていて、ダンスブーム全盛の頃だったと思いますが、他のダンスに興味はなかったのですか?

熊谷:なかったんです。その頃見ていたダンスには、「振付を踊っている」というイメージが強くて、自分にとってのかっこ良さとは少し違う感じがしました。自分がかっこいいと感じていたのは、マイケル・ジャクソンやジェームス・ブラウン、サミー・デイビス・ジュニアなど、瞬間的にパッションを即興で表現するようなダンス。グループで一緒に踊って見せるのではなく、1人だけで表現しているところにも圧倒的な違いを感じたんです。

―他人に見せるためだけのものではなく、集団で振付を踊って見せるものでもない。タップの世界をよく知らない人にとっては、意外な側面です。

熊谷:僕にとってのタップは、音楽を演奏しているイメージに近いんです。もともとマイケルが入り口だったので、身体を動かすことが音楽でもあり、それを同時にやっているのに憧れたというのもあります。

―お話をお伺いしていると、タップダンスというもの自体に、いわゆる「ダンス」という括りでは捉えきれない側面がありそうです。

熊谷:バレエやコンテンポラリーダンスは、人に見せることが最大の目的ですが、タップはより人々の生活に近いダンスなんです。ルーツには諸説ありますが、1つの説としてアフリカが発祥というものがあります。セネガルまでそのルーツと呼ばれるダンスを観に行ったことがあるんですが、それは儀式でもあり生活の中に根ざしたダンス。ショーではありませんでした。タップは奴隷としてアメリカに連れて来られた黒人たちによる自己表現やコミュニケーションツールであり、パッションをリズムに乗せて「言葉」として表現しているダンスでもあるんです。

―ルーツを掘り下げていくと、黒人の歴史や差別問題にも関わってくるんですね。

熊谷:黒人文化だけでなく、アイリッシュを始めとしたアメリカの移民文化など、いろいろなものが混ざり合ってタップダンスは進化をしてきました。かつて有名な黒人のタップダンサーが、「タップは自分たちの人種を守るため、アイデンティティーを守るための手段だった」と言っていました。ただのエンターテイメントではないのです。

 

―熊谷さんは、そのタップダンスを本格的に学ぶため、19歳で単身ニューヨークに渡られています。

熊谷:もちろん多感な時期なので、いろんな迷いがありました。同級生は地元の仙台や東京の大学を目指していて、僕もそうすべきだと思い浪人までしていたんですけど、やはりタップを踏みたいという気持ちがどんどん強まってきてしまいました。

―その迷いやフラストレーションの元にあったのは、どういう気持ちだったんでしょうか?

熊谷:15歳でタップダンスにのめり込み始めてから、同級生と話していても「フレッド・アステア(ダンサー、俳優)が好き」「何それ?」みたいな感じで理解もされないし、タップについてはあまり話さないようになりました。そんなことがキッカケとなって、自分だけの好きなモノを見つけたい、そういう方向に進みたいという気持ちが強くなっていったのかもしれません。

―たしかにマイケル・ジャクソンはともかく、フレッド・アステアや、サミー・デイビス・ジュニアのタップが大好きな中高生って、ある意味早熟だと思います(笑)。

熊谷:実家が仙台でカフェをやっているのですが、いつもアーティストや面白い人たちが集まっていた影響もあります。ちょうど進路に迷っていた頃、アメリカに留学していた友人が帰国してきて、その話を聞いていたらニューヨークに行きたいという思いがどんどん膨らんでしまったんです(笑)。両親に相談したら、もちろん最初は反対でした。でも、ダンサーになりたいという気持ちには薄々感づいていたみたいで、最終的にはニューヨークで大学に通うという条件で、タップを学びに行ってもいいということになりました。後押しをしてくれて本当に感謝しています。

音楽もまたフィジカルから生まれるもの。僕は演奏家として、音を鳴らすための楽器のように身体を使っています。

―実際、ニューヨークでの生活を始めてみていかがでしたか?

熊谷:すごく開放されました。誰も自分を知らない土地で、自分自身をいったんリセットするようなワクワク感がありましたね。ぱーっと目の前が開けて、街を歩いているだけで楽しい。やることなすこと全部初めての体験だから面白いですよね。

―タップダンスを取り巻く環境も、日本とは異なっていましたか?

熊谷:日本で学んだことが生きた部分もたくさんありましたが、土台のカルチャーが全く違うので、ゼロからやり直しという部分も多かったですね。『NOISE / FUNK』という、黒人の歴史とタップの文化を伝えるブロードウェイ作品があって、その出演ダンサーを養成する学校に入学したのですが、周りの生徒は自分と同じような年齢の黒人ばかり。また、日本なら「1、2、3、4」とカウントに合わせて練習しますが、ニューヨークではミュージシャンによる生演奏とのセッションが普通に行われていたり、タップの「音楽」としての捉え方がまるで違ったんです。

―ニューヨークでは、より「音楽」としてタップダンスを捉えているのでしょうか?

熊谷:そうですね。たとえばタップダンスの1つの流れとして、いわゆるタップダンスのスタイルで振付を綺麗に踊るのではなく、自分の歌を歌うようにタップを即興で踊る文化があります。

―歌うようにタップを踏む……。なかなか想像できない光景です。

熊谷:ニューヨークのジャズクラブでは、グレゴリー・ハインズなどの超大物ダンサーから無名の若いダンサーまで、1人ずつ舞台に上がって即興で踊る場があるんです。僕が日本で培ってきたのは、色んな振付を身につけて上手くタップを踊ること。だけど、そのような場では自分自身の踊り方を表現することが要求されるんです。

熊谷和徳

―「自分の踊り方」と言われても、日本とアメリカでは文化が全然違うので、簡単にできるものではないですよね。

熊谷:それまでの自分を全てぶっ壊さないと先に進めない感じでした。当時の先生がよく言っていたのが「ステップではなく、パッションを伝える」ということ。「足で話すことを意識しないとダメだ」と言われたんです。先生がスキャットしたリズムを真似して、自分の踏み方で表現するような練習もありました。それまではステップの技術から教わってきたのに、音から学ぶ。真逆の発想でしたし、そういったレッスンを受けながら、自分自身もだんだん変わっていったんだと思います。

―タップダンスを通してさまざまな文化を学ばれたと思いますが、その中で日本人としてのアイデンティティーとの関係みたいなことも考えましたか?

熊谷:日本でなんとなくイメージしていたこと、またそのコミュニティーの中に日本人として入ったときのあり方も、想像とはぜんぜん違いました。でも、自分は日本人だけどタップが好きだというのは変わらない。いまだに人種問題は根深いし「誰がタップを作ったのか?」など、いろいろな議論がありますが、僕の中ではそういった歴史をリスペクトした上で、シンプルにサウンドとして捉えるというのが答え。今自分が出したい音をきちんと出していくことが重要だと思っています。

 

―熊谷さんにとって、タップの本質とは「サウンド」であると。

熊谷:そうです。特に日本ではダンスから入る人が多いため、そこに辿り着ける人は少ないんですが、僕は演奏家として音のトーンの違いにこだわり、音を表現するために身体を使っています。だから身体は音を鳴らすための楽器なんです。グレゴリー・ハインズを始め、それ以前の先人たちも同じような考え方を持っていました。たとえば、すごいドラマーは全身を使って演奏しながらとても美しい躍動をします。マイルスもボクシングをしていたし、ジャズトランペッターの日野皓正さんも鍛えている。音楽もまたフィジカルから生まれるものですよね。強い音を踏むために、ダンサーは大きなアクションをする。かっこいい動きをするために音を鳴らすのではありません。

日本の活動では、ジャンルを越えたさまざまなアーティストとのコラボレーションから新しい可能性が感じられました。

―その後、熊谷さんはニューヨーク大学に通いながらタップの修行を積み、大学卒業を機に日本へ帰国します。そのままニューヨークで活動する道もあったと思いますが、日本に拠点を移したのはなぜだったんでしょうか?

熊谷:26歳で日本に帰ってきたのですが、日本で活動する意味をすごくそのときに感じたのです。まだニューヨークに住んでいた頃ですが、東京スカパラダイスオーケストラのオープニングアクトを務めたことがあったんです。今でも憶えているのですが、そのときの場内アナウンスで「熊谷和徳さんのタップダンスをご覧ください」という案内が流れると、会場のお客さんから失笑が起こりました。

―(苦笑)。

熊谷:だけどステージに出ていって、音楽もかけずにソロのタップを踊っていると、次第にお客さんの反応が良くなり、最後には拍手喝采ですごく盛り上がりました。嬉しかったし、日本ではまだ未知の可能性を持つタップダンスという文化を、自分が生まれた場所でやっていく意味があるのではないかと、新しいチャレンジの可能性が感じられた出来事だったんです。

熊谷和徳

―まだ文化がないからこそ、やる価値がある。とはいえ、日本にはタップダンスのシーンもなければ、熊谷さんも無名からの再スタートですよね。帰ってきてからは、どのような活動をされていたのでしょうか?

熊谷:バイトをしながら、小さなジャズクラブで定期的に踊ったり、同世代のミュージシャンやDJとセッションしながら活動していくうちに、つながりが生まれていきました。一般のお客さんや舞台関係者たちより、ミュージシャンの人たちがいち早く僕のダンスに反応し理解してくれたんです。

―スカパラの他にも日野皓正や、ピアニストの上原ひろみなどさまざまなミュージシャンとのコラボレーションを行っています。同じ「演奏家」としてシンクロする部分は多いのかもしれませんね。ダンサーとのコラボレーションはいかがでしょうか?

熊谷:実は、ミュージシャンよりダンサーとコラボレーションするほうが難しいんです。ミュージシャンならお互いに音を出し始めながらスタートできますが、ダンス作品だと先にストーリーやコンセプトなどを組み立てることが必要なので。20歳の頃に熊川哲也さんと仕事をさせてもらったことがあります。その後も森山開次くんや金森穣くんとも一緒に創作をしてきたのですが、新たな感覚を刺激されましたし、とても良い経験になりました。

―なるほど。この10数年、熊谷さん自身が日本で活動を続けてきた中で、タップダンスを取り巻くシーンの変化は感じますか?

熊谷:だいぶ変わってきたと思います。ここ10年でタップダンスをやる人口も増えたし、タップダンサーが踊る機会も増えています。アメリカでは、いまだにタップダンスの社会的地位が低く、ヨーロッパからやってきたバレエやモダンダンスの方がアートとしての格式が高いんです。だけどそういう意味では、日本はアメリカ文化をすごくリスペクトしているし、ひょっとしたらアメリカにはない新しい展開の可能性を秘めているのかもしれないと思うことがあります。

20代の頃は、社会に受け入れられない憤りのようなものを感じていた。今は怒りというより、もっとポジティブなエネルギーをタップに乗せて伝えたい。

―熊谷さんは日本で活動を続けられながら、『ザ・ニューヨーク・シティー・タップ・フェスティバル』にも9年連続で出演され、さらに2006年にはアメリカ『ダンスマガジン』誌において「観るべきダンサー25人」にも選ばれました。この選出は快挙だと思うのですが、どのような評価を受けられたのですか?

熊谷:その頃は日本に戻っていて、認められた実感が全然湧かなかったんですけど(笑)。著名な評論家がレビューを書いてくれたのですが「タップ界のジャクソン・ポロック(20世紀に活躍したアメリカ抽象表現主義の画家)」という内容で、カラフルな絵の具をキャンバスに叩きつけるような情熱的なダンスという意味合いだったと思います。25人に選ばれたことも嬉しかったですが、その理由がとても嬉しかったですね。

―逆にこれまでのキャリアで、挫折しそうになった経験はありましたか?

熊谷:先ほどの『NOISE / FUNK』では、オーディションに合格できて、リハーサルにまで参加したのですが、結局労働ビザの問題で出演はかないませんでした。ずっとそれを目標に学校で学んでいたので、そのときはものすごく落ち込みましたが、その後ソロとしてずっと続けてこれているのは、その経験があったおかげだとも思っています。

―そんなこともあったんですね……。今日お話を伺っていて、熊谷さんのタップにとって、エモーションが重要な要素であるのは間違いないと思いますが、そのエモーションに通底するものや変化はあったりするのでしょうか?

熊谷:20代の頃、自分のカンパニーに「TAPPERS RIOT」と名づけたときには、「怒り」のようなエモーションが強かったですね。タップという文化が社会に受け入れられない憤りのようなものを感じていたんです。しかし、今は怒りというよりも、もっとポジティブなエネルギーとしてタップを伝えていきたいと考えています。タップという表現のルーツには、アフリカから連れて来られた奴隷たちの怒りのようなものがある。しかし、その中でも「光」の部分が常にタップの文化にはあったと思いますし、そのようなポジティブなメッセージに強く乗せて表現していきたい。タップを踏むことで世の中と関わりあいを深く持って、観る人の心に何かしらの変化を与えることができたらと思っています。

熊谷和徳

―今回、あうるすぽっとの公演『TAPPIN'INTO TOMORROW』では、熊谷さんや「TAPPERS RIOT」のメンバーだけでなく、ワークショップ参加者を含めた総勢80人を超えるダンサーが舞台の上に立ちます。これまでにも熊谷さんは、あうるすぽっとで継続的にタップダンスのワークショップを行ってきましたが、この意義はどのように感じていますか?

熊谷:タップは人から人に伝わっていくものであり、次の世代に教えていくというのは、タップが持っている文化の1つなんです。また一般の人と一緒に踊ることは、僕の哲学にも合っています。僕の先生は「歩くことができれば、みんなタップダンサーだ」と言っていました。みんなそれぞれに歩くリズムを持っています。タップは難しいことではなく、誰にでもできる表現なんです。

―ダンスは「テクニックがないとできない」という印象がありますが、タップは全く違うものなんですね。今回の公演で、参加者にはどのようなタップを踏んでほしいと思いますか?

熊谷:今回の公演タイトルは『TAPPIN'INTO TOMORROW』、つまり「明日のためにタップを踏む」。やるべきことはただステップを踏むことだけですが、これを通じて、今やっていることが未来につながっていくという意識を持ってくれたら嬉しいです。参加者は下は8歳から上は60代の方まで。世の中に1人も同じ人がいないのと同様に、誰も同じタップを踏むことはできません。その人のバックグラウンドで、その人にしか出せない音。それが次の世代につながっていく。僕が聴きたいのは、そういう音なんです。

イベント情報
タップダンサー熊谷和徳 凱旋公演
『DANCE TO THE ONE 〜A Tap Dancer's Journey〜』

2014年1月17日(金)〜1月19日(日)
時間:1月17日(金)19:30開演、1月18日(土)、19日(土)14:00開演
会場:東京都 渋谷 Bunkamura オーチャードホール
出演:熊谷和徳、ほか

タップダンサー熊谷和徳 凱旋公演 DANCE TO THE ONE 〜A Tap Dancer's Journey〜 | ラインナップ | オーチャードホール

イベント情報

KAZUNORI KUMAGAI PRESENTS
『TAPPIN’INTO TOMORROW』

2014年2月1日(土)〜2月2日(日)
会場:東京都 東池袋 あうるすぽっと
監修:熊谷和徳
出演:
熊谷和徳
TAPPERS RIOT
ワークショップ参加者
※日替わりゲストあり
料金:全席自由 一般3,000円 学生(小学生以上)2,000円 豊島区民割引(在住・在学・在勤)2,500円
※小学生未満でも席が必要な場合はチケット必要
※学生券は入場時学生証提示

プロフィール
熊谷和徳(くまがい かずのり)

15歳でタップを始め19歳で渡米。ニューヨークを拠点に活動し「日本のグレゴリー・ハインズ」と評される。『ザ・ニューヨーク・シティー・タップ・フェスティバル』には、2002年より9年連続で出演。2006年にはアメリカ『ダンスマガジン』誌において「観るべきダンサー25人」に選出される。日本では、熊川哲也、金森穣、森山開次などのダンサー、また、上原ひろみ(ジャズピアニスト)をはじめ様々なミュージシャンとのコラボレーションが話題に。現在はニューヨークと日本を拠点に更なる飛躍を試みている。また、ライブ活動に加え、子どもや初心者を対象としたワークショップなど、タップの楽しさを多くの人に広める活動にも積極的に取り組んでいる。



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