南原清隆×野村万蔵 コントと狂言、笑いのカルチャー600年対談

かたや現代を代表するメディア・テレビの人気コンテンツであり、かたや600年の歴史を誇る日本古来の伝統芸能。同じ「笑い」でありながらも、一見「コント」と「狂言」を隔てる溝は深い。だが、この溝を埋めるべく立ち上がったのがウッチャンナンチャンの南原清隆と、狂言師の九世野村万蔵だ。

2002年、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ系)の企画で体験したことをきっかけに、ナンチャンは狂言に目覚めた。2006年からは、「狂言とコントの融合」というコンセプトを掲げた「現代狂言」シリーズを野村万蔵とともに上演。すでに8回の開催を重ねる人気イベントになっている。そんなナンチャンと野村万蔵による狂言、コント、そしてトークショーによって構成される舞台『日本の笑い―古典と現代』が、今年10月7日に開催される。

日本のお笑いシーンのトップランナーであるナンチャンは、いったい狂言のどのような部分に魅力を感じているのだろうか? そして、野村万蔵は、現代のコントからどんなエッセンスを抽出し、狂言を進化させているのか? 同じ「笑い」に取り憑かれた二人の対談が始まる。

大人になってから、「狂言とコントは変わらない!」ということに驚きました。(南原)

―南原さんはテレビ番組『ウリナリ!!』で初めて狂言を体験し、その世界にのめり込んでいったそうですね。番組で携わる前は、狂言に対してどのような印象を抱いていたのでしょうか?

南原:祖母が日本舞踊、親父が詩吟をしていたので、もともと古典芸能に対しての興味はありました。ただ、狂言は「話がわからないかも」「眠くなるかも」と考えて、ほとんど触れる機会がなかったんです。けれど、大人になってから観る機会があったときに「コントと変わらない!」ということに驚きました。最初の5分は言葉が聞き取れず、何だかよくわからないんですが、じっと耳をそば立てて聞いていると、7割くらいは台詞がわかるようになり、面白さもわかってきたんです。

左から:南原清隆、野村万蔵
左から:南原清隆、野村万蔵

―最初を乗り越えられたら簡単なものだと。

南原:そうですね。あと衝撃的だったのは、パンフレットにネタの筋書きが書いてある(笑)。同じお笑いとしてこれはすごい。こんなオチですとか事前に読んでいるお客さんに、同じネタをやる勇気は僕らにはないです。「狂言、どんだけ自信あるの!?」と思いましたね。

野村:最近はだいぶ少なくなりましたけど、昔は最後の最後まで全部書いてあったんです。さすがに初めて観るお客さんの楽しみもあるので、最近は「で……」と書いてもらうようになりました。

ウッチャンナンチャンやダウンタウンのテレビ番組を観ていると、父親(人間国宝・野村萬)に「こんなもん観るな!」って叱られていたんです(笑)。(野村)

―一方、万蔵さんは、野村万蔵家という狂言の家に生まれ育ったわけですが、コントや現代のお笑いについて、どのように見ていたのでしょうか?

野村:子どもの頃からコント55号やドリフも毎週観ていましたよ。そして、大人になると、ウッチャンナンチャンやダウンタウンが登場してきた。でも、狂言に打ち込まなきゃいけないときに、そういったテレビ番組を観ていると、父親(人間国宝・野村萬)に「こんなもん観るな!」って叱られていたんです(笑)。

南原:やっぱり(笑)。

野村:もともとはコントや漫画が大好きだったんですが、大人になると、ただの下ネタや人を殴るようなお笑いでゲラゲラ笑うのは、簡単に言えば低俗だからいけないと考えるようになった。それからは、バラエティー番組やコントからはずいぶんと遠ざかっていて、2006年にナンチャンと「現代狂言」をやるようになってから、慌てて若手のお笑い芸人を勉強するようになりました。

野村万蔵

―『ウリナリ!!』の狂言部で、最初に南原さんとコラボレーションを始めたのは、万蔵さんの兄である故・野村万之丞(八世万蔵)さんでした。当時、万蔵さんは伝統を守ることに興味があって、お兄さんに対しては「何であんなことやっているんだ!?」という気持ちだったと、過去におっしゃられていましたね。

野村:(笑)。伝統を継承する家に生まれて、兄弟の片方が攻めていたら、片方は引いて守らなきゃいけません。サッカーと同じですね。兄がわーっと攻めているときに、私は「行っちゃダメだ!」とブレーキを踏む係。しかし、2004年に兄が亡くなってしまったため、一人で両方をやるようになったんです。今ではナンチャンと現代狂言やコントをやって、何事もなかったように古典もやっています。

―同じ「笑い」でありながら、コントと狂言ではずいぶん遠い世界のように感じます。お二人は、狂言とコントの共通点や違いをそれぞれどのように考えていますか?

南原:共通点としては、日本の笑いはアメリカのスタンダップコメディーなどと異なり、ボケとツッコミのように2人以上で演じること。落語のように1人で上演する場合でも「上下(かみしも)」に振り分けます。また、技法としても、狂言にもコントにも使われる「三段落ち」などは、普遍的な笑いの手法だと思います。違いとして一番大きなものは「長さ」ですね。僕らがデビューした当時でもコントは長くて7~8分。今ではもっと短くなっています。

野村:時間ということで言えば、コントでは台詞をスラスラと喋るけれども、狂言はしっかりと喋ります。だから狂言ではコントの何倍もの時間がかかってしまうんです。日本語の扱い方が、狂言とコントでは違うのでしょうね。また、コントでは身体でも面白さを演じますが、狂言では身体表現に美しさを意識して演じています。僕らはいくら面白い身体表現だったとしても「そんなに汚い格好をしてはダメだ!」と怒られてしまうんです。

狂言は観れば観るほど同じネタが面白くなっていく。そういう意味ではコントとまったく逆のベクトルだし、何でそれが成り立つのか? という興味がありました。(南原)

―南原さんは、狂言のどのような部分に面白さを見出しているでしょうか?

南原:コントの世界から見ると、同じネタを延々とやるのは非常に難しいことなんです。テレビでコントをやるときにも、少しずつ内容を変えていかないと「この間これ見たよ」「知ってるよ」と言われてしまう。ネタを消費するスピードがとても早いんですね。けれども、狂言は観れば観るほど同じネタが面白くなっていきます。最初は意味が理解できなくても、同じ演目や演者を追いかけて行くと、面白さがだんだんとわかってくるんです。そういう意味ではコントとまったく逆のベクトルだし、何でそれが成り立つのか? という興味がありましたね。

南原清隆

―南原さんの著書『狂言でござる』(祥伝社、2010年)では、コントに疑問を持っていた頃に狂言に出会ったと書いていますね。

南原:なぜ、面白いと思って作ったネタにわざわざ変化を加えていかなければならないのか? 最初にすごく面白いと思ったんだから、変えるのは理不尽だし不誠実じゃないかと、当時は悶々としていたんです。

野村:狂言も昔は内容を変えて良かったし、つまらなければやめて良かったんです。その意味では今のコントと似ています。ただ、繰り返し上演可能になったのは、誰がやっても笑いのツボにハマるような普遍性を追求するようになってから。狂言は「変えちゃいけない」のではなく、「変えなくてすむ」ようなかたち、発声、喋り方を見つけ出してきました。そして、いつの間にか「芸術」と言われるようになったんです。

―「変えてはいけないのではなく、変える必要がない」というのは歴史の積み重ねを感じさせますね。

野村:それでも僕たちも迷うことがあり、それぞれの狂言師ごとに少しずつの変化は加えていますけどね。

―かなり過激な変化を加えることもあるのでしょうか?

野村:大幅には変えません。変えすぎてしまうと、祖先や狂言の歴史に対する反逆になってしまう。古典は自分の好き勝手に変えられるものではなく、祖先や歴史に縛られているんです。ある意味で「制約の美学」と言えるかもしれませんね。制約のない自由な面白さもありますが、狂言はがんじがらめの中で、それでも何かを表現しなさいと言われているようなもの。制約の中から広がりが生まれてくるんです。

緊張の糸をピンと張り巡らせて、それを一気に弛緩させて笑いを取る。そういった狂言の方法を応用していたら、いつの間にか新しい方法で笑いを取れるようになった。(南原)

―これまで、ほぼ何の制約もないコントの世界で活動してきた南原さんにとって、狂言の歴史が課してくる制約を不自由に感じることはないのでしょうか?

南原:いえ、むしろ魅力的ですね。最初は「こっちのほうがコント的には笑いをとれるのに……」と思うこともあったのですが、結局習ったとおりに演技をするほうが洗練されていて、結果的に面白くなるんです。例えるなら、クラシック音楽に似ていて、クラシックも、楽譜で厳格に音が決められていますが、楽譜をどのように解釈するかという点で演奏者にもわずかながらの自由があると思うんです。しかし、その自由にたどり着くためには、確固たる技術を身につけなければならないんじゃないでしょうか?

―南原さんが狂言を始めて12年が経ちましたが、狂言を学んだ経験はコントやバラエティー番組にも活かされているのでしょうか?

南原:テレビでコントをやる場合、お客さんはADさんやカメラマンさんなど現場にいるスタッフの方たちです。それぞれの仕事をしている彼らを笑わせなきゃならない。だから、リハーサルを重ねる中で、これまでは少しずつネタに変化を加えて新鮮味を入れていましたが、今ではまったく変化を加えなくても演技力で笑わせることができるようになりました。空気の中に緊張の糸をピンと張り巡らせて、それを一気に弛緩させて笑いを取る。そういった狂言の方法を応用していたら、いつの間にか新しい方法で笑いを取れるようになったんです。

―演じ方によって、新鮮味以上の面白さを生み出せるんですね。

南原:先日、後輩のお笑いコンビ・ニッチェに新ネタをやるからと言われて観たんです。でも、ネタの内容は面白いのに、演じ方が的を射ていないと感じました。そこで、キャラクターを演じる上でのポイントをアドバイスしたところ、ライブでもうまく行ったそうです。

パンチラなんて目くじら立ててギャーギャー言うことじゃないんですよ。それは僕が許しているんじゃなくて、能舞台やそこで営まれた600年の歴史が許してくれているんです。(野村)

―そもそもの疑問なのですが、修行を積んだ能楽師ではなく、お笑い芸人が能舞台に立つことは許されるのでしょうか? しかも、過去の「現代狂言」の舞台写真を見ると、裃を身に着けず学ランで能舞台に上がっています。

野村:学ランならまだいいですが、パンチラが出てきたこともありますよ(笑)。

―え、パンチラ……ですか?(笑)

野村:若手芸人が初日の直前に作ってきたんですが、殺陣のシーンだから、簡単には変えられない。「まあいいだろう」ということで、許可を出さざるを得なかったんです。

野村万蔵

南原:あれはびっくりしましたね(笑)。万蔵先生からは「本質がわかってるからいいだろう」っていうことで認めてもらえたんですが、僕だったらやらないですよ!

野村:そうしたら、舞台上では「万蔵先生がいいって言ったからやってます!」と、宣言されてしまった(苦笑)。

―狂言には、昔からそんな自由さがあったんでしょうか?

野村:いえ、この自由は最近になってようやく獲得できたものです。江戸時代には「武家式楽」といって、武家の典礼の役割もあったので、間違ったら切腹を命じられるような厳しい掟がありました。そういう時代の名残もあり、かつてはとても厳格な世界だったのですが、私の父親くらいの時代から徐々にギリシャ悲劇などの演劇を能舞台で演じるようになっていった。もちろん反発もありましたが、先人たちが少しずつ狂言の枠を広げていったんです。僕らのやっていることも、最初は「あんなことやっていいのか」と言われていましたが、ナンチャンたちが真摯な態度で狂言に向き合ってくれたから、受け入れられるようになっていったんです。

南原:狂言の世界は、誰彼構わず入れるものではありません。でも、やっぱり知りたいし、そこで何かを表現したいから誠意を持って飛び込んだんです。いざやってみたら、やはり古典の強さに圧倒されました。狂言には僕らがどんなにいじろうと思っても弾き返されるしなやかな強さがある。どんなに頑張ってもその本質を揺るがすことはできません。

南原清隆

―万蔵さんとしては、南原さんや若手芸人たちと一緒に作品を作ることで、どんなメリットがあるのでしょうか?

野村:若い頃は父親や先人たちに教えてもらうばかりで、伝統の世界の末端に居させてもらうような感じでした。だけど今はそこから自分の表現をしなくてはいけないし、次の世代を育てていかなければいけない。そうなってくると、先人のやってきたことをただやるだけで、それがもっと良くなるのか、ということについては疑問があります。視野を狭めてしまうとどんどん疲弊して動脈硬化を起こしてしまうから、常に新しい発想を取り入れていかなければいけない。だから、新しいものにも積極的にチャレンジしたいんです。

―万蔵さんの中でも少しずつ変化が起こってきたんですね。

野村:現代のコントからいいところを学ぶことで、狂言の演じ方や解釈の方法も変わってきます。不真面目なものやくだらないものもありますが、みんなが真剣に面白いものを……と考えた結果、パンチラみたいなものが出来上がる(笑)。そのシーンだけ見れば賛否両論になるかもしれませんが、でも、そういうものを全部排除してもしょうがないでしょう? 他のことがしっかりできていたら、パンチラなんて目くじら立ててギャーギャー言うことじゃないんですよ。それは、僕が許しているんじゃなくて、能舞台やそこで営まれた600年の歴史が許してくれているんです。

アンジャッシュは、とても洗練されていて話の作り方が狂言っぽい。下ネタっぽい作品もありますが、本人たちは一切汚いことを言わず、観客の想像の中で下ネタになっているんですよね。(野村)

―万蔵さんが、今、この人と一緒に作品を作りたいと考えるお笑い芸人はいますか?

野村:一緒にやりたいと思っているのはアンジャッシュですね。話の作り方が狂言っぽいんですよ。とても洗練されていて、頭のいい感じがする。設定や話の進め方も汚くないんです。一見、下ネタっぽい作品もありますが、本人たちは一切汚いことを言わず、観客の想像の中で下ネタになっているんですよね。

左から:南原清隆、野村万蔵

―狂言には独特の魅力がありますが、「笑いの量」というものさしで計れば、どうしてもコントのほうが多くなっています。同じ「笑い」を扱っているのに、どうしてこのような差ができてしまうのでしょうか?

野村:それは、「笑いの質」が違うんです。ゲラゲラと涙を流して笑うばかりが笑いではありません。

南原:和みたい人、抹茶を飲んで「こういうのいいよね」と感じる人が狂言に向いているんでしょうね。春の日だまりの中で和みに来るような感じがあります。プロレスで言うなら、ジャイアント馬場がいた頃の全日本プロレスのようなもの(笑)。勝ち負けじゃない、選手に会いに行くというようなものです。

―狂言には、コントとは違う「笑い」があるんですね。

野村:世阿弥(室町時代の猿楽師。その後の能・狂言に大きな影響を与えた)は、「笑みのうちに楽しみを含む」という言葉を残しています。ゲラゲラと笑うのではなく、ニコッとしながら「何かいい世界だな」と感じるのが狂言の世界です。もちろん、ゲラゲラ笑えるシーンもありますが、今の笑いのように3~5秒に1回、ボケを詰め込めるだけ詰め込むようなものではない。観終わった後に「いい時間を過ごしたね」と感じられるのが狂言の求める「笑い」なのではないでしょうか。

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東京文化発信プロジェクトは、「世界的な文化創造都市・東京」の実現に向けて、東京都と東京都歴史文化財団が、芸術文化団体やアートNPO等と協力して実施している事業です。多くの人々が文化に主体的に関わる環境を整えるとともに、フェスティバルをはじめ多彩なプログラムを通じて、新たな東京文化を創造し、世界に発信していきます。
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イベント情報
東京発・伝統WA感動『日本の笑い―古典と現代』

2014年10月7日(火)OPEN 18:30 / START 19:00
会場:東京都 千駄ヶ谷 国立能楽堂
出演:
ドロンズ石本、佐藤弘道、ほか(古典狂言『口真似』)
エネルギー(『狂言コント』)
料金:一般2,500円 学生1,500円
主催:東京都、アーツカウンシル東京・東京文化発信プロジェクト室(公益財団法人東京都歴史文化財団)、東京発・伝統WA感動実行委員会

プロフィール
野村万蔵 (のむら まんぞう)

狂言和泉流野村万蔵家九代目当主として萬狂言を率い、国内外で公演活動を展開。新作や現代劇の演出など、狂言以外の俳優としても高い評価を得ている。東京芸術大学講師、桜美林大学非常勤講師、重要無形文化財総合指定保持。父は人間国宝の野村萬。

南原清隆(なんばら きよたか)

横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)卒。1985年、内村光良とコンビを結成。ウッチャンナンチャンとして『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)出演。2011年『ヒルナンデス!』(日本テレビ系)がスタート。落語や狂言にも取り組み古典芸能にも造詣が深い。



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