ceroと黒田卓也が語り合う現在進行形のブラックミュージック史

ここは毎週月曜の深夜にオンエアされるInterFMのラジオ番組『Night Drifter』の収録現場だ。ブースの中にいるのは、番組のナビゲーターを務めるceroの高城晶平、荒内佑、橋本翼の三人。そして、この日の『Night Drifter』はもう一人のアーティストが収録に同席していた。彼の名前は、黒田卓也。日本人で初めてアメリカの名門レーベル「ブルーノート」と契約したことでも知られる、当代きってのジャズトランペット奏者だ。

終始なごやかに会話をかわしながらも、どことなく緊張気味な様子のcero。それもそのはず、彼らが最新作『Obscure Ride』を制作するにあたって、強く影響を受けたアーティストの一人が、まさにこの黒田だったのだから。収録はそんな黒田のアルバム『Rising Son』がいかに刺激的な作品だったかを熱く語るところから始まり、ニューヨークを拠点とする彼の活動にも迫っていく。その会話の模様はぜひ『Night Drifter』の放送で確かめてほしい。

さあ、そんなceroと黒田がいよいよステージ上でも共演を果たす。会場は東京と大阪のBillboard-LIVE。この共演の背景に迫るべく、『Night Drifter』の収録直後、すっかり意気投合した様子の四人に話を訊いてきた。

その街で一番会ってはいけない不良にカツアゲされたみたいな感じでしたね(笑)。(黒田)

―黒田さんは日本の大学を卒業した後、2003年にジャズを学びに渡米したんですよね。収録でも話にあがっていましたが、最初はかなり苦労されたとか。

黒田:あっちに行って自分の名前を売るとなると、まずはジャムセッションに参加するしかないんですよ。だからアメリカに行くなり早速参加したんですけど、そのときの演奏が、今までに自分がやってきたジャズとはまったく違うものだったんです。それこそまさに、言語の通じない国に飛ばされたような感覚でした。

黒田卓也
黒田卓也

―そこにいたのが、ロバート・グラスパー(1978年生まれのジャズピアニスト、音楽プロデューサー。『第55回グラミー賞』で最優秀R&Bアルバム賞を受賞)たちだった。

黒田:そうですね。当時は僕も若かったから、最新の情報も躍起になってチェックしてきたはずなんですけど、まだ彼らも若くて、メディアにも取り上げられていなかった時代でした。彼らも道場破りみたいに夜な夜なニューヨーク中のジャムセッションを渡り歩いてて、僕がニューヨークで初めて参加したセッションで、彼らとぶち当たってしまった。その街で一番会ってはいけない不良にカツアゲされたみたいな感じでしたね(笑)。

―いきなり強烈でしたね(笑)。ロバート・グラスパーやホセ・ジェイムズ(1978年生まれのジャズシンガー、プロデューサー。黒田のアルバム『Rising Son』のプロデューサーでもある)は、黒田さんが留学したニュースクール大学のジャズ科に在籍していて、黒田さんは彼らが作り出した新しいジャズの胎動を、間近で体感することができた。

黒田:ちょうどRH Factor(トランペッターのロイ・ハーグローヴが中心となったグループ)のアルバムが出た頃で、当時二十歳くらいだった人たちは、「ジャズは好きだけど、なんでジャズしかやっちゃいけないの?」って自問自答し始めた世代だったんですよね。そういう気持ちの人があの頃にたくさん出てきたんだと思う。だからセッションでも、僕が当たり前だと思っていた決まりごとがほとんど通じない。スタンダードな曲を演奏しているのに、フレーズもスピード感もぜんぜん違ったし、同じジャンルのものとはとても思えなかったです。


日本ではあまり音楽のクロスオーバーが行われてこなかった印象があって。いろんな音楽が点在していて、そのあいだには今も壁があると思うんですよね。(高城)

―黒田さんの場合は、それこそジャズのメッカとしてニューヨークを見ていたわけですけど、一方でceroのみなさんはどうでしょう。ニューヨークというと、まずどんな音楽を思い浮かべますか。

高城:僕はアート・リンゼイ(1953年生まれのギタリスト、プロデューサー。1977年に、後にニューヨークパンクを代表するバンドDNAを結成)ですね。アート・リンゼイは17歳までブラジルで育って、そのあとニューヨークに戻ってノイズやアヴァンギャルドから音楽キャリアを始めるんだけど、最終的にはブラジル的なものと合流していくのが面白い。しかも彼は見た目がナードだから、そういうところにもすごくシンパシーを感じています(笑)。

高城晶平
高城晶平

荒内:僕はそのアート・リンゼイも込みで、1980年代のキップ・ハンラハン(1954年生まれ。フリージャズやラテンなど様々な音楽がクロスオーバーした1980年代のニューヨークアンダーグラウンドのキーパーソン)近辺の人たちに興味があります。ハンラハンもゴダールのもとで映像の編集をやっていた経歴があるんですけど、そういう変わった経歴の人たちが集まって、アルバムを作っていたんですよね。ニューヨークというと、そういうミクスチャーな街をイメージします。

橋本:僕はいわゆる伝統的なジャズが好きなので、やっぱりニューヨークというと、ウディ・アレンが毎週決まったところで演奏しているようなイメージがありますね(笑)(ウディ・アレンはニューヨークにあるパブのレギュラーバンドの一員として、毎週月曜日の夕方にクラリネットを吹くという習慣を数十年続けており、『アカデミー賞』の授賞式に出ずクラリネットを吹いていたという伝説を持つ)。それこそ街並みもすごく雑多な感じで。

橋本翼
橋本翼

―なるほど。ceroが次々と編成を変えているのも、今みなさんが話してくれたような、雑多なコミュニティーから生まれる音楽を目指しているからなのかなと思ったのですが、いかがですか。

高城:ニューヨーク云々はまた別として、確かにそうですね。これもまたイメージですけど、そういう音楽のクロスオーバーみたいなことって、日本ではあまり行われてこなかった印象があって。ロックならロック、ヒップホップならヒップホップみたいな感じで、いろんな音楽が点在していて、そのあいだには今も壁があると思うんですよね。すべては「音楽」の中に収まっているものなのに、それが細分化されているのって、僕はすごく不思議だと思うし、できればそれをとっぱらいたいなって。ひいてはそれがちゃんとヒットチャートにも影響を起こせるんだったら、それはとてもいいことだと思うし。

もし東京でいろんな上下関係に揉まれながらジャズをやってたとしたら、きっと今みたいな音楽はやってなかった。(黒田)

―ニューヨークに渡った当時の黒田さんは、そうした日本の音楽シーンをどう見ていましたか。

黒田:いや、僕は関西生まれで、23歳の頃に東京をすっ飛ばしてニューヨークに行ったもんですから、東京についてはまったくわかってないんです。今思えば、それが良かったんですよね。

―良かったというのは?

黒田:「日本のジャズ」は、アメリカから輸入したものを培ってきたなかで今に至ってると思うんですけど、僕の場合はそうした予備知識も持たずに現地に行って、加工されていないものをそのまま食べたから、そっちの方が当たり前になってたんです。でも、もし東京でいろんな上下関係に揉まれながらジャズをやってたとしたら、きっと今みたいな音楽はやってなかったんだろうなと。あくまでもこれは「たられば」の話なんですけどね。

黒田卓也

―では逆に、いきなり現地に渡った黒田さんは、「日本人」としてのアイデンティティーを意識させられるようなことはありましたか?

黒田:日本人というより、あっちではどちらかというと「有色人種か白人か」になるんですよね。でも、ニューヨークはアメリカで最も差別が少ない場所なので、少なくとも自分が差別されたっていう記憶は、この12年間でほとんどないですね。むしろ音楽に関しては、最初は得してたかも。「あいつ、日本人なのにすごいな」みたいなね(笑)。

―なるほど(笑)。

黒田:でも、そこからもうひとつ上の段階にいくと、また壁にあたるんですよ。つまり、「同じくらいの実力なら、アメリカ人の方を採ろう」みたいなことになる。でも、そういうのって日本でもあるんじゃないかな……って、僕はこういう社会的な話をあまり言わないことにしてるんですけどね(笑)。こんな髪型してるし。

―(笑)。

黒田さんみたいに、自分たちが参考例にしてきたミュージシャンとご一緒させてもらえるようになってきた。そうなった以上、その人たちのいるポジションまでステップアップしていかなきゃいけない。(荒内)

―ceroの三人は、こうして作品を重ねていくなかで、海外の音楽にむける意識はどのように変化しましたか? みなさんは日本で活動しつつも、常に海外シーンの動向を気にしてきたと思うんですけど。

荒内:そのあたりの意識は、今回の『Obscure Ride』を出してから少しずつ変わってきてますね。セカンドの『My Lost City』までは、たしかに楽曲の元ネタは海外の音楽だけど、そこまで海外のことを意識していたわけではなかった。でも今は、黒田さんやベニー・シングスみたいに、自分たちが参考例にしてきたミュージシャンと、こうして実際にご一緒させていただく機会をもらえるようになってきたんです。そうなった以上は、僕らもどうにかしてその人たちのいるポジションまで、ステップアップしていかなきゃいけないだろうと。

荒内佑
荒内佑


高城:僕らはそういう人たちを目標にしてきたわけだから、ここはとにかく突っ走るしかないんですよね。

―黒田さんが渡米したときに感じたようなハードルを、ceroも超えて行かなくちゃいけない。

高城:そうですね。でもホント、『Obscure Ride』というアルバムを通して「自分たちは今そっちに向かってますよ」という意思表示ができたからこそ、こういう機会を与えて頂けてるんだと思ってて。俺らの舵取りにみんなが気づいてくれたってことは、すごく大きなことだったと思います。

―参照した音楽を臆せず明示していけるところは、間違いなくceroの強みだと思います。

高城:それはもう自分たちのスタイルというか。僕らはずっとそういうふうに制作してきたし、実際にceroを聴いてくれている方も、そういう謎解きみたいなところをエンターテイメントとして楽しんでくれてるんじゃないかと思います。

高城晶平

―そこで興味深いのが、黒田さんの『Rising Son』とceroの『Obscure Ride』は、どちらもD'Angeloの『Voodoo』(2000年)を参照しているというところですよね。あの作品がリリースされてから、もう15年が経っているわけですが。

黒田:僕の場合は、ホセ・ジェイムズがアルバムのプロデューサーだった影響が大きかったんですけどね。というのも、『Rising Son』のコンセプトは「ビートが強いもの」だったんですよ。つまり、グルーヴですね。ジャズは良くも悪くも複雑な音楽なんですけど、その中に強いビートが流れていれば、それこそクラブシーンの人たちにも興味をもってもらえるんじゃないかって。

―プロデューサーのホセと共に強力なビートを求めていった中で、必然的に行き着いたのが『Voodoo』だったと。

黒田:そう。『Rising Son』のエンジニアは、『Voodoo』を作ったラッセル・エレヴァドのアシスタントをしてた人で、あの作品のトリックをよく知ってたんですよね。それに、ホセの『No Beginning No End』(2013年)なんて、アルバム前半の音作りはモロにD'Angeloですしね。そういう工夫によって、普段ジャズを聴いていない人にも自分が信じてる音を広めていくことが、僕にとってはすごく重要だったんです。

―クロスオーバーしていくことで、ジャズのリスナー以外にも自分たちの信じる音楽を届けていこうと。

黒田:そうですね、ジャズって、おそらく音楽業界の中で最もシェアの低い音楽のひとつなんです。これは売り上げとかも含めて、すべてそう。そこには何人もの先達がいるわけですけど、今新しくロバート・グラスパーみたいなクロスジャンルしてる人たちが出てきたことによって、ジャズを少しでもたくさんの人に聴いてもらうために努力することを、ついに許された。僕は今そういうふうにそう思ってるんです。

―かつてはそれが許されていなかったと。

黒田:グレッグ・ハッチャーソン(1970年ニューヨーク生まれ)という、ロイ・ハーグローヴの同期にあたる素晴らしいジャズドラマーが、僕らにこう言ってくれたんですよ。「お前らの世代はいいよ。だって、自分が好きなことをやっていいんだから。僕らはジャズしかやっちゃいけなかったからね」って。つまり、ジャズはいわゆる伝統芸能だったんですよね。だからこそ、どんどん大衆から離れていったっていう……って、こういう話になると長くなっちゃうね(笑)。

高城:ははは(笑)。でも、ニューヨークのジャズでもそういう風潮はあったんですね。

黒田:ここでポイントなのは、あのロイと同期の人がそう言ったってことなんですよね。つまり、僕らから見ればいろんなことをやってきた世代の人たちでさえも、当時はそう感じていたってことなんだから。

今度のライブで得たものをまた自分たちの音楽にフィードバックしていきたいんです。それが、音楽への誠意かなと思ってます。(高城)

―オーセンティックなジャズも好んで聴いてきた橋本くんは、今のジャズをどう捉えていますか。

橋本:ジャズがヒップホップのリズムなんかとつながって、また見直されるっていうのは、ものすごく良いことだと思ってます。それに、僕が好きなジャズは時代でいうとけっこう狭くて、初期のビッグバンドをよく聴いてたんですよね。つまり、僕は「大衆音楽としてのジャズ」が大好きなので、そういう意味でも今のジャズにはその傾向があるし、すごく面白いんじゃないかなって。

―今はヒップホップ側からジャズにアプローチしていく流れもありますよね。

黒田:そう。今の動きは「ヒップホップがジャズをサンプルした」っていうところに起源があるんだけど、最近はそこから「逆サンプル化」の流れができている。それってつまり、Soulquarians(D'Angelo、J. Dilla、Questlove、James Poyserなどによる集まりの総称)がやってたことなんですよね。彼らが「エレクトリック・レディ・スタジオ」(1970年にジミ・ヘンドリックスが設立したスタジオ)にこもって生み出した種が、今になってようやく発芽した。それはもう間違いないと思います。

―Soulquariansではないですが、現在のceroも様々なミュージシャンを呼び込みながら、ジャンルの横断に挑戦していますよね。黒田さんとの共演も、そうした活動の流れで起きたことだと思うのですが。

高城:ceroって、ある意味ではシステムが完成したグループでもあるんですよ。僕ら三人は高校時代からの付き合いだから、基本的にはツーカーでやれるし、ある程度のアレンジはパパッと決められる。だからこそ、そこから簡単に抜け出せないところもあって。でも今回のような共演の機会をいただけると、おのずとそこに風穴を開ける必要が出てくる。それはきっと今後の僕らにものすごく良い影響をもたらしてくれると思うんです。

黒田:僕がceroのアルバムを聴きながら感じたのが、「ジャンルに対する敬意の強さ」なんですよね。それを楽曲に込められる人って、じつは日本にそれほど多くないと思うんです。たとえばここでラテンを取り上げるにしても、その楽曲の背景にこまかく気を使える人もいれば、そうじゃない人もたくさんいますからね。ceroは自分たちの音楽を「ごった煮」と言いますけど、じつは音楽をきちんと理解をしたうえで、一つひとつの楽曲を書いてると思う。そこに僕はとても感動しました。

高城:嬉しい…! 『Obuscure Ride』を作っているときに、荒内くんがよく言ってたのが、「どの国のポップスだろうと、研究は必要だ」ってことなんです。みんな手癖で作ってしまいがちだけど、それこそJ. Dillaが作ったビートをジャズに還元していった人たちって、多分ものすごいJ. Dillaを研究していたと思うんですよね。だから、僕らもこのアルバムでは自分たちがやれる範囲でいろんな研究をしようよって。その結果として何かしらのマジックが生まれればいいなと思っていたので、黒田さんにそういうふうに思っていただけたのは、ものすごく嬉しいです。

ceroと黒田卓也

―確かに音楽を作る作業って、エモーションで突っ走りがちなところはありますよね。でも、そこで興味が湧いた楽曲をこと細かに解析していけば、おのずとその音楽への敬意が身についてくるのかもしれない。

黒田:それはラテンでもヒップホップでも、何でもそうですよね。それに僕、「なんでもできる」ってことは、必ずしもいいことではないと思ってて。それよりも「その音楽の背景にある歴史や文化を理解している」ってことだけで、伝わるものがあるんじゃないかなって。というか、それがあるかないかって、やっぱりばれるんですよ。そういう技術ではないところに、僕は神秘的なものを感じているし、できれば僕はそういうところを理解しながら表現できるアーティストでいたいので。

―ceroはいかがですか。一度本気でブラックミュージックを研究し始めると、「次はそれとはまったく違う音楽にしよう」とはいかなくなりますよね。

高城:そうですね。そうやって自分たちがリスナーとしての情熱を燃やして、机の上でいろいろがんばった結果が『Obscure Ride』だし、そこで示したものが伝わったから、今回こうして黒田さんと共演するチャンスを与えてもらえた。つまり、今度は机の上でやったことを実践する場を与えてもらえたんですよね。きっとその場では机の上で得たものとはまったく違ったものを持ち帰れると思う。だから、今度のライブで得たものをまた自分たちの音楽にフィードバックしていきたいんです。それが、音楽への誠意かなと思ってます。

イベント情報
『InterFM897開局記念 cero ~Night Drifter Live~ special guest 黒田卓也』

2015年10月2日(金)
会場:東京都 六本木 Billboard Live TOKYO
[1]OPEN 17:30 / START 19:00
[2]OPEN 20:45 / START 21:30
料金:前売 サービスエリア6,900円 カジュアルエリア4,900円(ドリンク付)
※チケットは完売

『cero ~Live~ special guest 黒田卓也』

2015年10月3日(土)
会場:大阪府 梅田 Billboard Live Osaka
[1]OPEN 15:30 / START 16:30
[2]OPEN 18:30 / START 19:30
料金:前売 サービスエリア6,900円 カジュアルエリア5,400円(ドリンク付)

番組情報
『Night Drifter』

毎週月曜24:30からInterFMにて放送

プロフィール
cero (せろ)

Contemporary Exotica Rock Orchestra 略してcero(セロ)。様々な感情、情景を広く『エキゾチカ』と捉え、ポップミュージックへと昇華させる。2011年1月にリリースした1stアルバム『WORLD RECORD』は各地で好評を博し、現在もロングセールスを記録。2012年には2ndアルバム『My Lost City』をリリース。 2012年を代表する1枚との呼び声も高く各地で大絶賛、大好評を呼んだ。2013年12月に1st single+DVD『Yellow Magus』をリリース。2014年12月に2nd 両A面 Single『Orphans / 夜去』をリリースし、2014年12月21日、22日のEX-THEATER ROPPONGIでの2DAYSワンマンライブ『Wayang Paradise』も両日完売、大盛況にて終了。2015年1月より初のラジオレギュラー番組InterFM『Night Drifter』が放送開始となった。そんな中、まさに待望の3rd Album『Obscure Ride』を2015年5月27日にリリース。オリコンアルバムチャート8位を記録し、現在もロングセールスを記録中。

黒田卓也(くろだ たくや)

1980年、兵庫県生まれのジャズ・トランペッター。12歳からトランペットを始め、中・高・大学を通してビッグバンドに所属。16歳から神戸や大阪のジャズ・クラブでの演奏活動をスタート。2003 年に渡米し、ニューヨークのニュースクール大学ジャズ課に進学。在学中から、ニューヨークの有名クラブに出演。 卒業後もニューヨーク・ブルックリンを拠点に国内外で、ジャズのみならずさまざまなジャンルで活動。JUJU、Orange Pekoe、ホセ・ジェイムズなどのアルバムにアレンジャーやプレイヤーとして参加。2010年に初のリーダー作『Bitter&High』を発表。2011年にリリースした2ndアルバム『Edge』が全米ラジオチャートの3位にランクインし大絶賛される。 2013年6月には、「TAKUYA KURODA SEXTET: Six Aces」(P-VINE)を発売。そして2014年、75周年を迎える名門ブルーノート・レーベルより遂にメジャー・デビュー作をリリースする。



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