千年のスケールで考える、芸術と文化のハナシ 宮城聰×大澤真幸

日本中に増え続けている演劇祭や芸術祭のなかでも、とりわけ高い注目と評価を集めているSPAC‐静岡県舞台芸術センターの『ふじのくに⇄せかい演劇祭』。明確なメッセージ性のあるコンセプトと、そこからブレないキュレーションは、演劇に特に興味のない人から、演劇を熟知する人までが楽しめる深さと幅広さがある。今年は五大陸すべてからカンパニー / アーティストを招聘するという同芸術祭。芸術総監督で、自身も同演劇祭と同時開催される『ふじのくに野外芸術フェスタ2016』での上演作品『イナバとナバホの白兎』を演出する宮城聰、その相棒で劇場の学芸部員を務め、社会学者としても活躍する大澤真幸に、世界の閉塞と演劇が持つ機能について聞いた。

人間の歴史を千年や万年の単位で見るとき、「大陸」ってすごくいいんですよ。(大澤)

―まずは宮城さんに、なぜ今回、五大陸から作品を集めることにしたのかをお聞きしたいです。

宮城:ぼくは今回『イナバとナホバの白兎』を演出するんですが、これはもともと、フランスの国立ケ・ブランリー美術館から開館10周年の記念として委嘱された作品なんです。公演の会場は、同美術館内にあるクロード・レヴィ=ストロース劇場。で、なにか創作のヒントになるかなと、レヴィ=ストロース(フランスの人類学者)の本を読んでみたら、おもしろいことが書いてあった。それは日本神話にある『因幡の白兎』とよく似た話が、北米をはじめ世界各地にあるというもので。

『ふじのくに⇄せかい演劇祭2016』ビジュアル
『ふじのくに⇄せかい演劇祭2016』ビジュアル

大澤:『因幡の白兎』は『古事記』にも収録されるぐらい古い話ですよね。それが伝来したということは、ユーラシア大陸とアメリカ大陸の間に「人の行き来」が充分にあったということです。

宮城:本当ならすごいことですよね。他にもアメリカ大陸が発見されたときの話などが書いてあって、読んでいるうちに「大陸」というイメージが湧いてきました。それまで、大陸を起点にして物事を考えるという発想はあまりなかったんですけど、「五大陸から1つずつ演目を選ぶのはどうか?」と思ってやってみたら、本当に全部集まった(笑)。

宮城聰
宮城聰

大澤:じつは、人間の歴史を千年や万年の単位で見るとき、「大陸」ってすごくいいんですよ。ジャレド・ダイアモンド(アメリカの生物学者)が『銃・病原菌・鉄』(2000年)という名著で書いているんですが、北アメリカ大陸にヨーロッパ人が渡ったとき、スペインの文化や言葉があっという間にアメリカ大陸を席巻してしまった。でも、それはヨーロッパ人が優れていたわけではないと。結論を言うと、大陸のかたちが決定的だったという話なんです。

―「大陸のかたち」がですか?

大澤:文化や文明が広がっていくスピードを、アメリカ大陸とユーラシア大陸で比べたとき、東西に広がっているユーラシア大陸のほうが圧倒的に速かったそうなんです。文化や文明って、ある成功例が生まれると近くの国がみんな真似をして、それがブラッシュアップされながら伝播していくわけですが、アメリカ大陸のように南北に広がる大陸では、緯度の差異が大きいため気候条件も変わるので、真似するだけではうまくいかないんです。ということは、東西に長い大陸の方が、文化や文明の発展が速いということになります。だから、16世紀頃に、ヨーロッパの人々とアメリカ大陸の先住民が出会ったとき、東西に長いユーラシア大陸の一部であるヨーロッパの文化のほうが、だいぶ先進的だったのです。

大澤真幸
大澤真幸

宮城:なるほど、おっしゃる通りです。

大澤:ぼく自身、もっと短いタームで「20世紀は◯◯だった」みたいに考えがちなんですが、いまはもう少し長い視野で人間全体を見る段階にきているような気がします。だから、宮城さんが「大陸」をテーマに、レヴィ=ストロースや神話の伝播に興味を持たれたのは、必然性があったんじゃないかと思いますね。

―千年単位でものごとを考えるというのは、すごく演劇向きかもしれませんね。映画だったらまだ生まれて100年ちょっとですし。

宮城:演劇では、少なくとも2500年前の戯曲がいまでも上演されていますからね。

パリ同時多発テロの重大さを感じられない人がたくさんいたのは、日本が「田舎」になってしまったことの表れだと思います。(大澤)

―宮城さんは以前「SPACに1年通えば、演劇の歴史が大体わかるようなプログラムを組んでいる」とおっしゃっていましたが、お話を伺っていて、今年の『ふじのくに⇄せかい演劇祭』は、人の文化の歴史がわかるようなプログラムなのかもしれないと思いました。

宮城:そうですね。『イナバとナホバの白兎』を作りながら、文化というものがいかに大きく移動してきたのか、人は本当に貪欲に新しいものを取り入れる生き物なんだということをすごく実感しています。『因幡の白兎』だけを調べても、類話はインドネシアやスリランカ、それから中国の北部にも広く分布しているんです。

『イナバとナホバの白兎』稽古風景 ©平尾正志
『イナバとナホバの白兎』稽古風景 ©平尾正志

―もともとは同じ話だったものを、いまではそれぞれの国の人々が「自分たちの物語」だと考えている。

宮城:おもしろいのが、今回「五大陸」をコンセプトに作品を集めましたが、けっきょくどれも文化が混じりあって生まれた作品なんですよ。たとえば、フランス人のオリヴィエ・ピィが演出するグリム童話原作の『オリヴィエ・ピィのグリム童話「少女と悪魔と風車小屋」』は、ドイツ人のグリム兄弟が、各地の昔話を採集したものがベースになっているわけで。

『オリヴィエ・ピィのグリム童話「少女と悪魔と風車小屋」』 © Christophe Raynaud de Lage / Festival d'Avignon
『オリヴィエ・ピィのグリム童話「少女と悪魔と風車小屋」』 © Christophe Raynaud de Lage / Festival d'Avignon

―一方、いまの社会では、世界各国で右翼政党が台頭したり、若年層で排他主義の人たちが増えていると言われます。

大澤:2015年にパリでテロがありましたよね。そのとき一番驚いたのが、日本での報道が圧倒的に少なかったことでした。しかも、ある著名人がTwitterで「もうちょっと報道しろよ」と発言したら、「そんな遠い国の話を、どうして日本で丁寧に報道しなくちゃいけないんだ」と、バッシングを受けていた。パリはニューヨークやロンドンと並んで、世界の基準となる都市のひとつなんですよ。そこでとんでもない事件を起こすのがISの狙いでもあるのに、その重大さを感じられない人がたくさんいる。逆に言えば、それは日本がすごく「田舎」になってしまったことの表れだとも思います。

宮城:目の前の世界しか見えておらず、世界が広いことを知らない。外にどんな歴史があるかを知らないという意味での田舎ですよね。

大澤:レヴィ=ストロースが、なぜすごい学者だと言われているかというと、いろんな神話を研究した『野生の思考』(1962年)という著書のなかで、サルトルを暗に批判をしたんです。これがものすごい衝撃だったわけですよ。サルトルと言えば、少なくとも20世紀までは西洋思想の神様です。それを、非常に大きな視野で相対化して、サルトルは西洋中心主義的な視点で世界を見ていると書いた。彼の歴史観がいかに特殊で偏っているかを批判したんですよ。

『火傷するほど独り』 ©Thibaut BARON
『火傷するほど独り』 ©Thibaut BARON

―それまで当たり前とされていた、西洋中心の考え方を更新したんですね。

大澤:ただ、レヴィ=ストロースもサルトルの思想があったからこそ、それを更新できたんです。つまり、大きな視点で自由に世界を見られるようになるにはプロセスが重要だということです。

―パリが、世界における重要な都市であると理解することで、そこから相対化して、アジアや日本を客観的に捉え、それぞれのつながりを考えることができる。

大澤:『ふじのくに⇄せかい演劇祭』で上演される『三代目、りちゃあど』も、イギリス人のウィリアム・シェイクスピアの『リチャード三世』をベースに、日本人の野田秀樹が戯曲を書き、シンガポール人のオン・ケンセンが演出するという構造ですよね。そういった「相対化のおもしろさ」を感じるセンスが広がっていけばいいなと思いますね。

『三代目、りちゃあど』 アートディレクション:矢内原充志
『三代目、りちゃあど』 アートディレクション:矢内原充志

宮城:ぼくも演劇をやっていて、同じことをよく思います。つまり、古典や歴史をまったく知らずに、いまの自分たちにまつわることだけを書いたり、観たりする流れがある。でもそれだと、自分たちがやっていることが文化全体の座標のなかで相対化されず、位置づけられないんですよ。

大澤:目の前でなにか起きると、みんな「どうしよう?」と考えます。でもその根っこを考えると、本当は10年20年の問題ではなく、それこそ百年千年の大きな問題があって、その先端がいま別のかたちになって現れているだけなんですよね。たとえば、自分はいま派遣労働者で、お金がなくて苦しいといった問題も、究極的には資本というシステムがあるわけです。問題は百年千年規模なのに、考えるほうの想像力は長くて10年程度だから、結果的に大したことができない。この国で起きている不況だって、明らかにグローバルな問題です。空間的にも時間的にも大きな範囲で複雑な問題が起きているのに、想像力のほうがどんどん小さくなっている。想像力を解放して、千年単位でものを考えないと解決策は生まれません。

宮城:ぼくは「演劇は歴史性のなかで観たほうがいい」とよく言うのですが、過去の蓄積を踏まえようと思うと、やっぱり西洋は無視できません。アジアやアフリカにも大昔から演劇はありましたが、文字として残っているものが少ないんです。だから、西洋が偉かったかどうかはともかくとして、少なくとも西洋で文字に書き残された古典は、やはり一度は観ておく必要があると思います。

身体で外の世界を感じないと、人は自動的に排外的になる生き物なんですよ。(宮城)

宮城:それと、演劇のなにがいいって「そこに身体がある」ことなんですね。たとえば「カンボジアのポル・ポト独裁政権時代にはこんな悲惨なことがありました」という情報はメディアから得られますけど、ポル・ポト時代を生きた人の身体が目の前に現れて、話したり、踊ったりする。それはメディアで得た知識と明らかに違うわけで、演劇ができることの大きな役割ですよね。

『アリス、ナイトメア』 ©Tanya TRABOULSI
『アリス、ナイトメア』 ©Tanya TRABOULSI

大澤:ぼく、昨年はじめてアウシュビッツに行ったんですよ。これまで文学にも哲学にも歴史研究にもなっていて、そういう本は山ほど読んで、基本的なことは知っている気持ちがあったんです。でも行ってみたら、読んだり見たりしたものとはまったく違った。ものすごい衝撃を受けました。つい最近、『サウルの息子』という映画を見ましたけど、もし現地に行かないでこの映画を見ていたら、同じようには感じなかっただろうな、ということがたくさんありました。

―アウシュビッツの現実を描いたと言われる映画ですよね。自らの身体で体験したことで、映画から受け取る情報量や深度が大きく変わってしまう。

大澤:だから、知っているつもりでいたけど本当は知らなかった、ということをあらためて体験するのは大切で、一番の基本は行ってみること、身体で感じることだと思います。そういう意味で演劇は、唯一それができるメディアなんですよね。

宮城:けっきょく、いま蔓延している排外的な気分も、それとつながっていると思います。おそらく身体で外の世界を感じないと、人は自動的に排外的になる生き物なんですよ。生理的に異物を排除したいという本能を持っていますから。あえて自分を開かない限り、どうしてもそうなってしまうんだと思います。

―そういった本能があるとして、人はすでに本能だけでは生きていけない社会生活を送っています。おそらく芸術はそれを調整するためにある。わざわざどこかへ行く、わざわざ他者と出会うことは、お二人がおっしゃったように、自分や相手を相対化して、冷静に見るために必要で、演劇はそのインターフェイスになれるのかもしれません。

『It's Dark Outside おうちにかえろう』 ©Richard JEFFERSON
『It's Dark Outside おうちにかえろう』 ©Richard JEFFERSON

大澤:去年、集団的自衛権の問題で日本は大騒ぎをしましたよね。ああいうときに大切なのは、外から見たときに日本はどういう位置にあるのかを考えることです。集団的自衛権をドメスティックに内側だけの視点で考えてもいい答えは出ません。国際関係を含めた問題なんですから。

宮城:具体的な言葉を出すと、それこそテーマが狭いと思われかねないので言いませんでしたが、やはり集団的自衛権やパリ同時多発テロのことを、ぼくらはどう考えたらいいのかというのは、今回の演劇祭の根本にあります。

―「大陸」をテーマにしたことも、結果的にそことつながっていますね。

宮城:特にパリ同時多発テロによって、シェンゲン協定、つまり「ヨーロッパの国境をなくしていこう」という第二次大戦終戦からの理想がとうとう破綻に向かっています。「もう理想は通用しないよ、こんな現実の前では」という空気がヨーロッパを覆っていますよね。ロシアのクリミア侵攻も大きかったと思います。軍事力で領土を拡張するなんて野蛮なことは、20世紀後半は世界が許さないと思っていたのに、21世紀にそれがまかり通ってしまった。どんなに現実が悲惨でも、理想を掲げることが大切だという人が、本当に少なくなってしまいました。

大澤:間違いなく、世界中にそういう気分が蔓延していますよね。

大澤真幸

宮城聰

宮城:世界のあちこちで理想が崩壊して、「どうするんだよ? どうすればいいんだよ?」と、性急な回答を求められるシーンが増えますが、情報は膨大過ぎてすぐにジャッジはできない。そういうときにわかりやすいことを言う人が出てくると、みんな飛びついて人気が出てしまう。いまはそういう状況のように感じます。

大澤:ヨーロッパの難民問題で、受け入れ反対派は「ヨーロッパのよき伝統が壊される」と言いますけど、多文化を吸収して、それらが共存できる共同体を作るというのがヨーロッパの理想だったんです。「ヨーロッパのよき伝統を壊すから難民を拒否する」というのは、完全に自己否定なんですよね。アメリカの大統領選でドナルド・トランプ候補が「メキシコとの間に壁を作る」と言っているのも同じです。

宮城:こういうときには、「どうやってものを考えたらいいんだ? 世界の演劇人はなにをしているんだ?」と思って調べてみると、大体みなさん、古典をやっているんです。恐ろしく原始的なことですが、昔も人は危機に直面していたわけだから、古典を読み返すことで学べるし、古典を通して自分を見つめることで、いまの状況を相対化して捉えることができます。今回のプログラムは、じつは五大陸の他に「古典を読み直す」「自分を見つめ直す」という観点でも選んでいるんです。

『ユビュ王、アパルトヘイトの証言台に立つ』© Luke YOUNGE
『ユビュ王、アパルトヘイトの証言台に立つ』© Luke YOUNGE

大澤:世界全体で理想が捨てられていて、かなり決定的な一歩を踏み出さなければいけない時期に来ていると思います。でもそれは、観念的や哲学的、あるいは政治的に考えるだけじゃダメで、ぼくらの実感や体験の問題として引きつけて考えないと。その感性を広げるには、やっぱり演劇は有効だと思いますね。

宮城:閉じている身体には華がなくて、開いている身体は魅力があるんだという素朴なことがわかると、外に向けて自分を開くことがまんざらじゃないというふうになるんじゃないかな。

大澤:やってみたら、そのほうが気持ちいいという。楽しいってことが基本になければダメですよね。まだ多くの人が演劇は怖い、よくわからないというイメージが先に来てますからね。

宮城:まあ、怖い部分もあるんですけどね(笑)。でも、それでも楽しいよ、ということを伝えたいですね。

イベント情報
『ふじのくに⇄せかい演劇祭2016』
『ふじのくに野外芸術フェスタ2016』

2016年4月29日(金・祝)~5月8日(日)
会場:静岡県 静岡芸術劇場、静岡県舞台芸術公園、駿府城公園

上演作品:
『イナバとナバホの白兎』(演出:宮城聰、台本:久保田梓美&出演者一同による共同創作)
『三代目、りちゃあど』(演出:オン・ケンセン、作:野田秀樹)
『オリヴィエ・ピィのグリム童話「少女と悪魔と風車小屋」』(作・演出:オリヴィエ・ピィ)
『ユビュ王、アパルトヘイトの証言台に立つ』(演出:ウィリアム・ケントリッジ、作:ジェーン・テイラー)
『火傷するほど独り』(作・演出:ワジディ・ムアワッド)
『It's Dark Outside おうちにかえろう』(作・演出:ティム・ワッツ、アリエル・グレイ、クリス・アイザックス)
『アリス、ナイトメア』(作・演出:サウサン・ブーハーレド)

プロフィール
宮城聰 (みやぎ さとし)

1959年東京生まれ。演出家。SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督。東京大学で演劇論を学び、1990年ク・ナウカ旗揚げ。国際的な公演活動を展開し、同時代的テキスト解釈とアジア演劇の身体技法や様式性を融合させた演出は国内外から高い評価を得ている。2007年4月SPAC芸術総監督に就任。2014年7月『アヴィニョン演劇祭』から招聘され『マハーバーラタ』を上演し絶賛された。その他の代表作に『王女メデイア』『ペール・ギュント』など。2004年『第3回朝日舞台芸術賞』受賞。2005年『第2回アサヒビール芸術賞』受賞。

大澤真幸 (おおさわ まさち)

1958年長野県松本市生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。社会学博士。千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。現在、月刊個人思想誌『大澤真幸THINKING「O」』刊行中、「群像」誌上で評論「〈世界史〉の哲学」を連載中。



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