大貫妙子が語る、何かを成すのではなく未来へ繋げるという人生観

ソロデビュー40周年を迎えた大貫妙子が、それを記念したボックスセット『パラレルワールド』を発表する。山下達郎らとのシュガー・ベイブでキャリアをスタートさせ、1976年にソロデビューアルバム『グレイスカイズ』をリリースすると、その後も坂本龍一や小林武史といったプロデューサーとのコラボレーションで数多くの名作を発表。近年では坂本とのひさびさの共作となった『UTAU』が大きな話題を呼び、小松亮太との『Tint』では『日本レコード大賞』の優秀アルバム賞を受賞している。また、現在の「シティポップ」の流行もあって、若いミュージシャンとの会話のなかで、彼女の名前が挙がる機会が増えているのも確かだ。

今回の取材では「今だからこそ訊きたいこと」を様々な角度から質問すると、大貫はその一つひとつに対して丁寧に(ときに大胆に)答えてくれた。そこから浮かび上がってきたのは、メロディーとサウンドに対する絶対的な信頼の一方で、自身の「歌」と格闘し、周りのミュージシャンの助力を得ながらも、自らの手でキャリアを築き上げていったこと。そして、「音楽はあくまでロマンティックなもの」を信条としたうえで、常に自分と向き合い、人と人との触れ合いを大切にしながら、未来を見つめ続けてきたということだった。

人の根本はそう変わらないけど、時代によって、あるいは経験によって考え方は変わっていくから、生きざまを音楽にしてしまうと大変ですよ。

―『パラレルワールド』というタイトルは、NHK『みんなのうた』で放送されて、映像作家の坂井治さん作の絵本も出版された“金のまきば”の<パラレルワールド きみをつれて行こう>という歌詞から取られているそうですね。なぜこの言葉をタイトルに選んだのでしょうか?

大貫:今回のボックスにその絵本が収録されるということもあるのですが、「パラレルワールド」って、存在するのではないかと、ふと思うときがあるんです。

岩波少年文庫は好きでいろいろ読むんですが、“金のまきば”を書いたときは、『ナルニア国物語』をたまたま読んでいました。つるしてあるコートをかきわけて入った衣装ダンスのなかに別世界の扉があって、そこは時間の流れも違う。ある世界と平行して存在する、別の世界がパラレルワールドですよね。「そんなのあるわけない」と言ってしまったらそれまでですが、ないとも言えませんから。

―おっしゃるとおりだと思います。

大貫:そっとしておけば平和であるはずの世界が、何かの意図によって思わぬ方向に加速していってしまう、ということを私たちは知っています。上手くいかないことや、なくしたと思っていることが、別の世界では上手くいっているし、なくしたものも存在しているとすれば、その扉を閉ざしてしまうのは、かたくなな選択のように思える。長く活動してきたうえで、私もいろんなことをやってきましたが、自分で自分のできる範囲を限定してしまうのは、もったいないです。

大貫妙子
大貫妙子

―取材前に『デビュー40周年アニバーサリーブック』を読ませていただいたんですけど、そのなかで「『音楽は生きざま』というのは重すぎる」とおっしゃっていたのがすごく印象的でした。つまり、「音楽は生きざま」と捉えてしまうと、扉を閉じてしまう危険性があるということなのかなって。

大貫:生きざまを音楽にしてしまうと、いつもそれを音楽に反映させなくてはならないじゃないですか? 人の根本はそう変わらないけど、時代によって、あるいは経験によって考え方は変わっていくから、生きざまを音楽にしてしまうと大変ですよ。もちろんそれを貫く人もいると思いますが、私たちにはできませんでした。

―「私たち」というのはシュガー・ベイブのことですよね?

大貫:そう。シュガー・ベイブは全員が東京出身で、当時の東京生まれ東京育ちの人は、「一旗揚げよう」っていう思いがそもそもない。私たちは好きな音楽をやっていただけっていうか、外からは単にぼーっと軟弱に見えていただけ(笑)。まだ若くて「生きざま」なんて言える感じじゃなかった。

―でも、1970年代ってまだ「音楽は生きざま」っていう空気も強かったんじゃないかとも思います。

大貫:学生運動の最後の世代として、ロックやブルースの人たちが社会に対して掲げていたことは、当然私たちも考えてはいました。だからといって、「自分の好きな音楽がポップスで何が悪いのでしょう?」っていうことですね。社会的なことを歌うと、とたんに「社会派」みたいなレッテルを貼られてしまいますし。

―音楽と社会的な思想は、切り離していらっしゃったわけですね。

大貫:当時よく使われていた「反体制」という言葉の意味も、自分が何者かもわからないほど若かったときは、「音楽はあくまで好きなものをやりたい」「(世の中に対して)言いたいことは雑誌のインタビューなどの折に言えばいい」と思っていたので。私にとって音楽は時代を超えるもの。その思いは今でも変わらないですね。

歌はつまらないとなあと(笑)。歌わずにメロディーだけ書いてればいいのだったら、そんな楽しいことないです。

―大貫さんのキャリアを振り返ったときに、やはりパートナーとして坂本龍一さんの存在は欠かすことができなかったと思います。改めての質問になりますが、大貫さんと坂本さんがたくさんの作品を作ってこられたのは、どんな部分を共有していたからなのでしょうか?

大貫:好きなものが重なる部分が多かった、ということでしょうか。音楽って、言葉で説明できないことだらけ。「こういう音を出してほしい」って、口では言えないでしょう? 他のミュージシャンを例にあげて、こんな音、って言うこともあるけれど、「それならその人に頼めば?」っていうことになるので。あくまで求める音へのイマジネーションを膨らませていただくしかない。

でもそこに共通言語があれば、同じ景色を思い描くことができる。たとえば、「ここはフランスのドゥーヴィルの海岸線で、そこは薄紫の夜明けの色。引き潮の砂浜を馬が走っていくようなシンセの音を出して」って言う(笑)。坂本さんは少し考えた後に、私が思い浮かべていた音を出してくれるんです。それがつまり「共通の言語を持っている」ということ。言語ではないんだけれど、そうやってイメージを具現化できるかどうかが、音楽ではすごく大事なんです。

左から:坂本龍一、大貫妙子
左から:坂本龍一、大貫妙子

―「音楽を映像的に捉える」という感覚が似ているのかもしれないですね。

大貫:彼は歌詞に全然興味がない人で、私も音楽で大事なのは、メロディー、サウンド、歌詞の順番なんです。数多のクラシックには歌詞なんて乗ってないわけで、メロディーとサウンドがあれば音楽は成立する。まあ、基本はメロディーですよね。鼻歌でもいいわけだし、鳥がピーピーと鳴いているのにもメロディーがあるし。メロディーとサウンドがしっくりいっていないものは、いくらいい言葉が乗ってもなんか気持ち悪い。

メロディーに対するアレンジの方向を見極めるのもなかなか大変で、無数の選択肢からたったひとつしか選べない。それがうまくいけば、言葉は呼ばれるように出てくるものです。メロディー、アレンジ、言葉の三つがほんとに上手くいくと良い曲ってことになるのでしょう。

―なるほど。

大貫:歌う立場ですが、私にとってはメロディーとサウンドだけでも十分楽しめます。映画音楽とか大好き。映画を見てなくてもサントラは買うので。しかし歌うことも選んでしまったので歌詞が必要なわけで。だから私の歌詞は、聴く方の想像域、つまり男女を問わず聴く方が自分のこととして引き寄せていただけるような見え方が理想なんです。でも、歌わずにメロディーだけ書いてればいいのだったら、そんな楽しいことないです。

―今もそう思ってらっしゃるんですか?

大貫:そうですね(笑)。映画音楽の仕事が楽しいのは、メロディーを書き始めて、気持ちがのると2オクターヴ半くらいどんどん展開していけるんですけど、歌の場合は自分のキーの範囲に収めなくちゃならないので。もっといきたいのに、「ああだめ、これ以上は声出ない」って引き返すとき、気持ちが折れることがありますね。そういうときは、歌ってつまらないなあと(笑)。

歌って家で歌っていても絶対上手くならないんです。ステージに立って、プレッシャーを感じないと。

―もともと大貫さんはご自身の歌に対してコンプレックスを持っていたそうですね。

大貫:40代の最初の頃までずーっとありました。それがいつからなのか遡ってみたら、やっぱり山下(達郎)さんとシュガー・ベイブを組んだことが原因で。山下さんが上手過ぎたんです。それまでは自分の歌を上手いとは思ってなかったけれど、コンプレックスもなかったんです。でも、彼と一緒にステージに立つと圧倒されちゃうんですよ。

昔は機材も悪いから、全然私の歌が聴こえなくて、「聴こえねえぞ!」ってしょっちゅう怒られていたし、シュガー・ベイブ時代、CMのコーラスのお仕事をいただいたときに、クライアントがいる前で、山下さんに「音程悪いよ」みたいなことを言われて。それがずっとトラウマになっていた。それを少し前に山下さんに言ったら、「そうだっけ?」って。人の苦しみも知らずに(笑)。

1990年代のライブより。大貫妙子は当時40代
1990年代のライブより。大貫妙子は当時40代

―(笑)。では、それをいかにして克服していったのでしょうか?

大貫:ずいぶん長くもがき続けていましたね。もともとあがり症で。ステージに立っても緊張して、お客さんがひやひやしながら観ている時代がずっとあったんです。自分でも歌が届いてないのがわかっていて、いつも自分の前に幕みたいなのが下りている感覚だったんですよね。

歌は家で練習しても絶対上手くならないんです。ステージに立って、そのプレッシャーを克服しない限りは。野球選手と一緒ですよね。満員のお客さんのプレッシャーのなかでホームランを打つときのように、プレッシャーをはね返す力が次の一歩になるんですね。そしてそれが自信になる。歌も同じです。ステージの上でしか自分を育てることはできない。そういう逃げられない場所で学んでいくしかないんです。そうやっていたら、あるとき、すとんと幕が落ちたんです。そのときは本当にびっくりしました。

2016年4月9日に行われたライブイベント『commmons10 健康音楽』より
2016年4月9日に行われたライブイベント『commmons10 健康音楽』より

―何かのきっかけがあったわけじゃなくて、積み重ねが大事だったと。

大貫:そういうことだと思います。ただ、またその先があるんですよね。私のバックで演奏してくださっている方は、素晴らしい演奏家ばかりですが、私に寄り添ってくれているので、今まで以上の自分が課題としていることを成すためにはどうしたらいいかと考え続け、無謀にも坂本さんにお声掛けして。

私にとって一番怖いことなんですけど、坂本さんと二人だけでやる「この修行に賭けよう」と思ったのが『UTAU』でした。二人でのツアーを経た後は、歌うことが本当に楽になりました。まだまだ、これから先も磨いていかなければなりませんが。

2010年発表の大貫妙子と坂本龍一によるアルバム『UTAU』より

私たちのやってきたことを踏み越えて、私たちが聴いてきたルーツに出会ってほしいです。

―ここ何年かは「シティポップ」という言葉が再流行していて、その文脈でシュガー・ベイブや大貫さんの音楽に接している若いリスナーも多いようなのですが、そういう話は耳に入っていますか?

大貫:チラッとは聞いたことがあります。でも、その頃って私には昔過ぎる(笑)。

―(笑)。シュガー・ベイブやはっぴいえんどのメンバーが東京出身だという話がありましたが、当時よく「東京」や「街」が歌詞のモチーフになっていたのは、ごく自然なことだったのでしょうか?

大貫:特に東京を意識していたわけじゃなく、そこで生まれ育ったから、その環境しか知らなかったし。まあ、どこにいても人は孤独を思うものだと思うし。特に東京のように人が多ければ多いほど、孤独感は増すものです。だから歌に助けられたりもするのでは?

―その感覚が今でも変わらないからこそ、若い人にも響いているのかもしれません。

大貫:人は変わらないですよ。『方丈記』(1212年)の時代ですでに「最近の若い者は」って書いてあって、今と全然変わらない。悩みも同じだし、新人類なんてないですよ。

―よく「~世代」とかって名づけられるけど……。

大貫:それは「シティポップ」と同じですよ。

―ただのラベルに過ぎないと。おっしゃるとおりです。

大貫:若いときにみんな孤独だっていうのも普通じゃない? 大人になれば自分の意見が社会に通るようになるけど、若いときは若いっていうことだけで何を言ってもそうまともに向き合ってはもらえませんものね。孤独になりますよ。

私も孤独な思いはしてきたので、そういうときの虚しさはわかります。クリスマスの街はキラキラしていて、ひとりでお店に入ろうとしたけれど、扉を開けるとどこもカップルだらけで、行き場をなくして街をひとりでとぼとぼ歩きながら、気がついたら涙がぽろぽろとまらなかった、っていうこともありました。あのときの気持ちを忘れないっていうことが、きっと素敵な大人になる何かなのかなって思います。

―若いミュージシャンと話すと、“都会”が好きだっていう声をよく聞くんです。あの曲も、都会のなかの「孤独」を歌ったものですよね。

大貫:“都会”はアレンジがいいんですよね、坂本さんですけど。ちょっとスティーヴィー・ワンダーっぽい。歌は最悪なので、演奏だけ聴いてください(笑)。全員20代だったけど上手かった。

矢野顕子さんと今でもよく話すんですけど、楽器の音色にもっとこだわってほしいなあと。当時の私たちのお手本は洋楽でしたが、とにかく聴き込んだ。気づいたら和製ポップスがお手本になっている時代があった。それはコピーのまたコピーみたいなもので。私たちのやってきたことを踏み越えて、私たちが聴いてきたルーツに出会ってほしいです。

2016年4月9日に行われたライブイベント『commmons10 健康音楽』より

―当時は海外の音楽を何とかして自分たちのものにしようとしていたわけですよね。最初に「音楽=生きざま」ではないという話をしましたけど、それは決してゆるく活動していたという話ではなくて、音楽そのものには厳しく向き合っていたはずで。

大貫:プレイヤーの人たちは特にそうだったと思います。この前も今回のボックスのために、林立夫さん(大貫もレコーディング参加していたティン・パン・アレーのドラマー)、小原礼さん(ベーシスト兼音楽プロデューサー)、小倉博和さん(ギタリスト兼音楽プロデューサー)たちとレコーディングをしたんですけど、とにかく音が良い。

細野(晴臣)さんも小原さんも、しっかりベーシストとはなんたるかを知ってます。もちろん、若い世代でも上手いバンドはいると思いますよ。でも、とにかく自分の楽器の音を磨くべし(笑)。出音がよければ、ミックスも楽ですよ、バランスとればいいだけですから。

―若いミュージシャンに何かアドバイスをするなら、そこの部分でしょうか?

大貫:全体を聴いていて、なんか濁った音色に思えるものは、やはり一つひとつの音への配慮のなさなのかな、と思いますね。もちろん、最初はみんな思いどおりにはならないでしょうけれど、ギタリストの人は特にすごい。ギターと一緒に寝てるぐらいですから(笑)。小倉さんも(鈴木)茂さんも、亡くなった大村憲司さん(Yellow Magic Orchestraのライブサポートを務めたことでも知られるギタリスト)も、みんな。「ギターが恋人以上」ですね(笑)。

―当然のことかもしれませんが、やはり努力があってこそだと。

大貫:好きとこだわりですね。もちろん、努力したものが報われないことはないと信じていますし。

大貫妙子

自分の一生で何かを成し遂げなくたっていいんです。つなげばいいんだから。

―キャリアの初期は「東京」がテーマになっていましたが、その後は世界のいろんな場所に行かれたり、自然を大切にされていて、ライフスタイルの変化とともに、大切にするものも変わっていったのではないかと思います。

大貫:中学生のときに、「この世の中の真理って何だろう?」って思ったことがあって、今でもそれを探す旅をしているような感覚なんです。真理っていうのは、遠くにある光のようなもので……宗教じゃないですよ(笑)。私はただそれを「こういうことだったんだ」って確認したいだけで、それが自分にとっての道しるべみたいなものなんです。よく言われる「自分探しの旅」って言葉はかなり苦手です。

―なぜですか?

大貫:旅に出なくても、自分を探す方法はいくらでもあると思うので。自分から目をそらさないで、自分のダメなところをちゃんと見つめれば、それが旅なんですよ。どんな遠くに出かけても、自分から目をそらしていたら、自分なんて一生見つけられない。大事なのは自分と向き合うことでしょう。

―最初におっしゃっていた「目には見えない扉」っていうのも、つまりは自分を見つめることで見えてくるものなのでしょうか?

大貫:ここで話を結び付けようとしてるのね(笑)。パラレルワールドの話と、自分探しの話は違うんですけど(笑)。この世の中には見えてないものがいっぱいあるの。見えてないだけで、誰かが隣に立っているかもしれない。犬とか猫とかを見ていると、そう思いません? 人は自分の目で見たものとか、科学が証明したことじゃないと認めないっていう悲しいところがあるけれど、私は人が見ているものはこの世の5%くらいで、常に目には見えないものが渾然と存在しているんだってことを感じようとしています。もうひとつ大切なのが、俯瞰力ですね。鳥くらいの目線になって、自分を見下ろしたときの自分が愛おしいか可哀想か。

―大局的な視点、長期的な視野の重要性ということでしょうか?

大貫:俯瞰して見れば、川がどこに向かって流れているのかも見えるでしょ? 木くらいに登っている人はいますけど、もっと高いところから見ることもヒントになります。

この前、「昔の人は300年先のことを考えて生きていたのに、今300年先のことを考えて生きている人は本当に少なくなりましたよね」って話をしている人がいて、そのとおりだなと思ったんです。今の政治家は目先の選挙くらいしか見てないでしょ? 明治神宮の森も、昔の人が100年先を想像して作ったわけで、それぐらいはきっと当たり前だったんですよ。私たちは300年先のことを考えて生きないといけないんです。

―今って何事に対しても「サイクルが速い」ということが言われていて、目先の利益を求めた結果、いろんなことが崩れてきている気がします。そういうなかにあって、今おっしゃったような長期的な視点を持つことが、世の中を豊かにしていくのかなって。

大貫:結局、自分の世代とか、自分だけで何かを成し遂げようという思いに固執しない。もちろん成し遂げるのは素晴らしいことですが、一生で何かを成し遂げなくたっていいんです。つないでいくことも「そのための道を切り拓ければいい」っていう、そのくらいの気持ちでいないと、この世は収縮していきますよね。私はヒット曲のひとつもないですけど、1970年代に女性のシンガーソングライターなんて本当にいなかったんです。でも、ずっとやり続けたことで、細い道くらいはできたと思うから、それでいいと思っているんですよ。

―次の世代がその道を通って、さらに広げてくれれば。

大貫:そうです。もちろん、みなさまのおかげで、私は幸せに音楽をやらせていただいていますしね。

大貫妙子

リリース情報
大貫妙子
『パラレルワールド』(LP+2CD+DVD+絵本)

2016年7月6日(水)発売
価格:12,960円(税込)
PCBP-62212

[LP]
『PURE ACOUSTIC」
1. 雨の夜明け
2. 黒のクレール
3. 横顔
4. 新しいシャツ
5. Siena
6. Rain Dance
7. 突然の贈りもの
※1987年に通販商品として発売のセルフカヴァーアルバム。アナログテープよりロンドン・アビーロードスタジオにてハーフスピードカッティングによる初LP化
[CD DISC1]
『Best of my songs』
1.船出(One Fine Day'05)
2.LULU(LUCY'97)
3.Happy-go-Lucky(LUCY'97)
4.snow(note'02)
5.Volcano(LUCY'97)
6.空へ(LUCY'97)
7.東京日和(ピアノヴァージョン)(ひまわり 97)
8.虹(note'02)
9.Jacques-Henri Lartigue(コパン'85)
10.色彩都市(Cliche'82)
11.宇宙みつけた(カイエ 84)
12.ぼくの叔父さん(A Slice o f Life 87)
13.カイエⅠ(カイエ 84)
14.L'ecume des jours~うたかたの日々(ensemble'00)
15.RENDEZ-VOUS(ensemble'00)
16.Time To Go(One Fine Day'05)
17.Kiss The Dream(ATTRACTION'99)
18.3びきのくま(UTAU'10)
※40年間の楽曲の中から大貫妙子自身が選曲したオールタイムベスト(初市販)
[CD DISC2]
『大貫妙子 with 山弦& Re-recording Songs』
1. あなたを思うと
2. Hello, Goodbye
3. シアワセを探し
4. Forever Friends
5. 東京オアシス
6. 自由時間
※山弦とのコラボレーションに新録を加えたアコースティックアルバム新録曲3曲収録
[DVD]
NHKみんなのうたより
・「みずうみ」('83)
・「メトロポリタン美術館」('84)
・「コロは屋根のうえ」('86)
・「金のまきば」('03)
1988年8月26日放送 『サマーナイトミュージック』
1. テーマ・プリッシマ Tema Purissima
2. 雨の夜明
3. レインダンス Rain Dance
4. 朝の夏に開くパレット(バイオリンソロ)
5. 横顔
6. ヴォセ・エ・ボサノバ Voce é Bossanova
7. カヴァリエ・Cavaliere Servénte
8. 恋人とは…(ピアノソロ)
9. 黒のクレール
10. 突然の贈りもの
※1988年NHK総合テレビ放送 未発売スタジオライブ
映像提供:NHK/NHKエンタープライズ

イベント情報
大貫妙子 シンフォニックコンサート

2016年12月22日(木)OPEN 18:00 / START 19:00
会場:東京都 池袋 東京芸術劇場 コンサートホール
出演:大貫妙子
指揮:千住明
演奏:東京ニューシティ管弦楽団

プロフィール
大貫妙子
大貫妙子 (おおぬき たえこ)

1973年、山下達郎らとシュガー・ベイブを結成。75年に日本初の都会的ポップスの名盤『ソングス』 をリリースするも76年に解散。同年『グレイスカイズ』でソロデビュー。以来、現在までに27枚のオリジナル・アルバムをリリース。日本のポップミュージックにおける女性シンガー&ソングライターの草分けのひとり。その独自の美意識に基づく繊細な音楽世界、飾らない透明な歌声で、多くの人を魅了している。



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