ROGUEが語る、半身不随になってから再びステージに上がるまで

1982年に結成、1989年には武道館単独公演を成功させたものの、翌年に惜しまれつつ解散したバンド、ROGUE。2008年に再結成の話が浮上した直後、ボーカルの奥野が転落事故に遭い、半身不随となって首より下が動かなくなってしまう。

そんなどん底に落ちていた彼らを再結成に導いたのは、Mr.Childrenの桜井だった。音楽フェス『ap bank fes '12 Fund for Japan』にて、計約16万人の前で、奥野が病院のなかで車椅子に乗りながらルイ・アームストロングの“この素晴らしき世界”を歌う映像と、コラボレーションしたのだ。

2013年、ROGUEは障害者への福祉の充実を訴えるためのイベント『G-Beat Gig Box』を立ち上げるとともに再結成を果たし、今も活動の勢いは加速していくばかりだ。今回、奥野と、ROGUEのギタリストであり『G-Beat Gig Box』を主催する組織・信誠会のリーダーの一人でもある香川、それぞれに不慮の事故から今日に至るまでの話を聞く機会を得た。満面の笑みを浮かべながら車椅子に乗ってステージに立つ奥野と、それを支える香川ほど、「この世界は素晴らしい」という言葉に説得力を持てる人はいない。

絶望だったよね、最初は。全然声が出ないし、音程も取れない。(奥野)

―まずは、2013年のROGUE再結成と『G-Beat Gig Box』(以下、『GBGB』)初開催に至るまでの経緯を訊かせてください。1990年の解散後は口も利かない関係だったくらい、再結成の可能性は無に等しかったそうですね。

香川(Gt,Cho):僕は解散して以降、ずっと再結成に関して反対派だったの。昔の曲を演奏して、「懐かしい」の盛り上がりのためだけに再結成することには、あまり意味が見出せなかった。 ただ、奥野が事故に遭う前に、「一度くらい再結成していいかな」って、ホントに俺の酔った勢いで電話をしたんだよね。その数か月後に奥野が事故に遭って。俺が思いついたようにその一言を言ったら、奥野がそうなったということには、なにか歯車を動かしてしまったくらいに思ってた。「俺があれを言ってなかったら、奥野は事故に遭わなかったかな」って。

香川誠
香川誠

―電話の4か月後の2008年9月、奥野さんは、倉庫の解体工事中に屋根からコンクリートの地面に転落し、半身不随になってしまう……。

奥野(Vo):絶望だったよね、最初は。少しよくなって車椅子に乗れるようになってから、所沢の大きいリハビリ病院に移って、初めて誰もいないところで声を出してみたんだよ。そこで俺、初めてボロ泣きした。腹筋が使えないから、全然声が出ないし、音程も取れない。どん底だったよ。本当に悲しかった。

―生きがいを完全に失ってしまった感覚でしょうか。

奥野:うん、やっぱり声で食ってきたからね。歌もそうだけど、CMもやってたし、役者もやってたし。全部声だったから。 でも、先生から「腹を押せば声が出るんだよ」とか教わって、一緒に色々考えて。シートベルトでぎゅっと腹を締めて、腹筋をコントロールすることで、声が伸びたり音程が取れたりするようになった。それができるようになったときは、すっごく嬉しかったね。最後に歌だけは残っていてよかった。

奥野敦士
奥野敦士

―声が出ないと自覚してどん底を感じたときって、「それでも生きていてよかった」って思えたのか、それとももっとネガティブに考えてしまったのか……どちらでしたか?

奥野:そんなネガティブに思わないよ! ちょっと練習して声が出たら、もうそこからずっとポジティブになったね。「なんだ、やればできるじゃん!」って。なんでも挑戦していこう、やれることは自分なりに研究してやっていこう、という気持ち。もともとできていたことができなくなっているわけだから、悔しいじゃん? でも、なんでも考えればできるんだよね。そうやって生きていると楽しいよ。

―声が出なかった状態から、コンサートホールでライブができる状態にまでなられたわけですもんね。

奥野:障害者のなかには、結構やる気なくしちゃった奴らも多いんだよね。俺はたまたま音楽の仕事をしてたから、歌えるっていうのがあるけど、この手でパソコンとかiPadとかも触れるようになったし、なにかしら方法を見つければできることは色々あるんだよ。可能性を見つけてほしいなって思う。

解散したとき、俺は奥野のことが大っ嫌いになったから……嫌いの対象のままでいてほしかった。(香川)

―事故から2年後、ルイ・アームストロングの“WHAT A WONDERFUL WORLD(邦題:この素晴らしき世界)”をカバーし、YouTubeにアップされています。

奥野:選曲よかったよね!(笑)

香川:ああ、いやらしい選曲だなと思ったよ(笑)。ただ、まあ、はまってるよね。

―ここで歌われている<この世界はなんて素晴らしいんだろう>ということを、当時の奥野さんは、噓偽りなく、本心で思っていらっしゃったんですね。

奥野:そういう気持ちだったんだよね。あの映像は、「ここまで復活できました」という、ファンの人に向けたメッセージだった。SNSとかブログとかの書き込みにすごく励まされていたんだよね。本当に周りの人のおかげでモチベーションを保てていたから、その分お返ししなきゃなって思ってた。

―その映像を、香川さんはどう受け止めたのでしょう?

香川:個人的にはその映像を見たいと思わなかったから、あえて見なかったし、ずっと見ないでいようと思ってた。周りの奴らから、「泣いちゃったよ」「感動するんだよ」とか言われて、「香川も見た方がいいよ」って言われれば言われるほど、「これはだめだな」と思って。言葉にするのが難しいんだけど……たった1回行ったお見舞いも、行かなきゃよかったと思ったもんね。

―同情が湧いてしまうから、ですか?

香川:俺は結局普通の人間だから、「可哀想に」って思っちゃうんだよね。ただ、解散したとき、俺は奥野のことが大っ嫌いになったから、その大っ嫌いな奴に「可哀想」という感情が湧いちゃうこと自体が不自然で……嫌いの対象のままでいてほしかった。

たまたま家でザッピングしていて、「あれ、奥野が出てる」って。本当に偶然でした。(香川)

―YouTubeの映像を見ることを避けていたなか、『ap bank fes '12 Fund for Japan』(以下、『ap bank fes』)で桜井さん(Mr.Children / Bank Band)がその映像とコラボし、ROGUEの“終わりのない歌”をカバーしていた模様を、香川さんは偶然テレビで見たそうですね。

香川:たまたま家でザッピングしていて、「なんかライブの放送やってるな」って感じで。タイミング的にも、知らない曲とかだったら見続けてないと思うんだけど、チャンネルを変えてすぐくらいで、「あれ、奥野が出てる」って。だから、本当に偶然でした。

―『ap bank fes』で奥野さんの映像と桜井さんがコラボしたという話は、番組放送前に誰かから聞いたりしていたんですか?

香川:全然。テレビを見ながら、「えっ、奥野と桜井くん知り合いだったんだっけ?」とか、それさえも分からなかった。

香川誠

―そこで初めて奥野さんが車椅子に乗りながら歌う姿を見て、再結成しようと?

香川:いや、そのときは思ってない。でも、「歌えるじゃん」とは思った。その後、関口(『GBGB』の主催組織「信誠会」の職務執行者)から何十年ぶりに電話があったの。「なにしてんの、兄さん」って言ってきて、もうその次が「あのさ、こういうイベントやりたいんだけど、ROGUEで出てくれない?」って。最初は「めんどくせえな」と思って、はぐらかしてたんだよね。

でも、何回も電話をかけてきて……あるとき、「兄さんなにしてんの?」って言うから、「渋谷で仕事してる」って言ったら、渋谷まで来たんですよ。それで会うことになったときに、俺は覚悟を決めたのかな。

―関口さんとは、もともとどういう関係だったんですか?

香川:僕らがアマチュアの頃、地元の前橋のライブハウスに出たときにいた、高校生のお客さん。何年か後にそのライブハウス(前橋ラタン)に行ったときには、店長をやっていて。彼は、僕らをものすごく好きでいてくれたんだよね。もし僕らが解散してメンバーがバラバラになっても、全員が元気だったら少し違ったんだろうけど、最大のピンチだったから「なにかしたい」って彼は思ったんだと思う。

―だからこそ、何度も香川さんに電話をかけるほどの熱意があったと。

香川:関口に誘われたときの口説き文句が、「兄さん、このままいくとろくな死に方しないし、地獄にいっちゃうから、死ぬまでにいいことくらいしておいた方がいいよ」だったんだよね(笑)。それに、妙に納得しちゃって。「まあそうか、じゃあいいことやるか」って(笑)。

―それに納得しちゃったというのは、やっぱり若い頃は、自分の欲をむき出しにして生きていた自覚があったということでしょうか。

香川:うん、ある。僕は幸いミュージシャンというのを選んで、音楽の世界にいたじゃない? そうすると、どう考えても自分が一番なんだよね。自分が作ったものが一番だって信じないと、当然人の前に出せるわけがなくて。そこだけ考えても、自分のためだけにやっていた気がする。なにかを犠牲にしてまで人のためにやるということを選択はしていなかったはずなんだよね。

奥野:俺もそうだけど、みんなどうしようもないことばっかりやってきた連中だったからさ(笑)。俺の姿を見て、なんかしなきゃいけないって思ったんだろうね。「そろそろちょっとは人のためになろう」って。大人になったねえ(笑)。

―そこから、『GBGB』の立ち上げにつながっていくわけですね。

香川:そう。それがきっかけで、関口と二人で、施設にいた奥野に会いに行ったんだよね。

『G-Beat Gig Box』(2016年6月25日)
『G-Beat Gig Box』(2016年6月25日)

香川が、「奥野は笑ってればいいよ」って言ったから、俺はずっと歌って笑ってた。バンドだったからやれたんだね。(奥野)

―香川さんから「イベントに出るために再結成しよう」と言われたとき、奥野さんは即答されたんですか?

奥野:ちょっと考えたよ。当時は河川敷のそばにある施設にいて、川の近くで歌の練習もできたから、どんどん肺活量も増えていて。徐々に声が出るようになってたから、少しは自信がついてきたところだったんだよね。でもやっぱり不安はあった。最初は「1、2曲なら復活しようかな」みたいな感じだったの。でも実際1、2曲じゃ許してくれないんだよね(笑)。

香川:俺はね、1曲でよかったのよ。要するに、1曲再結成したのをお客さんに見てもらうことに意味があると思ってた。

―2013年、初めて『GBGB』でステージに立ったとき、どういう気持ちでしたか? 正直、怖くなかったですか?

奥野:怖いよ。この身体で、踊りもできないしパフォーマンスもできない。でも香川が、「奥野は笑ってればいいよ」って言ったから、俺はずっと歌って笑ってた。ソロシンガーだったら違うけど、バンドだったからやれたんだね。支えられてた。不安はたくさんあったけど、とりあえず歌だけ歌えて、メッセージが伝わればいいやって想いでやったんだよね。

奥野敦士

―そのメッセージというのは?

奥野:腹から声は出ないけど、心から声は出るようになった。だから本当の気持ちが出る。それがメッセージかな。

―逆に、もし自分が失敗したりしたら、観てくれている障害者の方やファンの方に、つらい想いや悲しい想いをさせてしまうんじゃないか、なんて不安は湧いてこなかったですか?

奥野:ああ、失敗は、もういいんだよ。歌詞もいつも間違ってるしね(笑)。失敗はいいの。

奥野敦士

―心から歌を歌えていたら、十分だと。

奥野:楽しさが伝わればいいって思う。この身体になっても歌が歌えて楽しいんだって、今の自分の心境を伝えるだけで、メッセージになるんじゃないかな。

香川:初年度の映像を見ると、普段動かないはずの手が、いつもより高く上がってたりするの。「人間ってすげえなあ」と思うのよ。彼の場合、もう身体がつながってないはずじゃない? それが、歌うという最大の喜びを通して、つながって動けるようになっているわけだよね。しかも、4年くらいやってると、もっと動くわけ。「本当は施設で立ってるんじゃねえか」とかみんなで言ってるくらい(笑)、元気になっちゃってるということなんですよ。人間の可能性を感じるもんね。

奥野が障害を持ってしまって、車椅子で歌うのは、ある意味反則だと思うんですよ。(香川)

―今年も6月25日に、群馬・ヤマダグリーンドーム前橋にて『GBGB』が開催されました。4度目の『GBGB』、お二人にとってはいかがでしたか?

奥野:俺が感動した。温かい人ばっかりでね。俺、泣かないつもりだったんだよ。でも、泣いちゃたよね。優しいみんなに支えられたライブだった。

香川:悪いことはひとつもなかったですよね。

―今回はFLYING KIDS、JUN SKY WALKER(S)、クレイジーケンバンドに加えて、初めてMr.Childrenが『GBGB』に出演しました。アンコールで桜井さんと一緒に“終わりのない歌”を歌われたとき、奥野さんは涙を流していらっしゃいましたね。

奥野:当日のステージのことは、もう全然覚えてないんだよね。気持ちがほとんどハイになってたから。

香川:奥野は嬉しそうだったよね。桜井くんと共演できて、思いがひとつ成就した瞬間だった。ROGUEをやる意味というのは、奥野が歌いたいものや表現したいものをやるためでもあるし、『GBGB』をやる意味の象徴が奥野なわけだから、彼が楽しそうなのはなによりだと思う。そう考えると、今回はひとつのピークだったよね。桜井くんのおかげですよ。

桜井和寿、奥野敦士 / 『G-Beat Gig Box』(2016年6月25日)アンコールにて
桜井和寿、奥野敦士 / 『G-Beat Gig Box』(2016年6月25日)アンコールにて

―「ROGUEにとって恩人です」と、ステージでもおっしゃってましたね。それに、奥野さんが「やっと夢が叶います」とおっしゃっていたのも印象的でした。

奥野:『ap bank fes』も、最初は出演のお話をくれていたからね。桜井くんが施設まで来てくれて。無理して出るべきかなと思ったけど、真夏の野外ステージでしょう。頚椎損傷はきついんだ、汗かかないから。そんなに体力もなかったし、ステージで倒れたら悪いから断ったんだよね。

―その結果、『ap bank fes』では、桜井さんお一人がボーカルをとって“終わりのない歌”を歌われていましたが、今回は二人の声と笑顔が重なっていましたね。この曲は1987年に書かれていますが、当時、どういう気持ちだったか覚えていますか?

奥野:当時の気持ちはさほど覚えていないんだけど……<汗だくになって働いても 暮らしはかわらない>って、サラリーマンだったわけでもないのによくこんなフレーズ出てきたよなあ(笑)。まあ、実際バンドで食っていこうとしていっぱい汗かいて歌っても、もらえるお金は少なかったから。そういう歌詞だったかもしれない。でも、すごくポジティブなんだよね。<いつかは 雨もやむだろう>って、「なんとかなる」と信じたかったんだろうと思う。

―このときは、<いつかは 雨もやむだろう>という言葉を、願いや祈りみたいに歌われていた?

奥野:そうかもしれないね。

―でも、今の奥野さんが歌われると、それはもう願いじゃなくて、断言されているように聴こえますね。

奥野:この身体になってあの歌を歌うと、なんか結びつくよね。上手くできているよ、人生は。あの曲があったから、本(『終わりのない歌』2012年発行、双葉社)も出たし、それこそ再結成にもつながってるわけだし。不思議だよね。あの1曲で、俺、人生変わってるんだなあ。面白い。

―香川さんは、1987年当時の想いって、覚えていらっしゃいますか?

香川:23、24歳くらいのときの曲なんだけど、俺、最初はちっとも好きじゃなかったの。「なんて夢のない曲だ」と思ったのよ。ポップスとかロックって、もうちょっと上っ面でもいいと思ってたから、これが同世代へのメッセージとして共感されちゃうのはがっかりする、と思って。でも、再結成してからは抜群にいい曲だなと思う。

―今は、ポジティブな説得力が宿っていますよね。

香川:説得力マシマシですよね(笑)。奥野が障害を持ってしまって、車椅子で歌うのは、ある意味反則だと思うんですよ。要するに、視覚から入ってしまう場合、先入観を持って曲を聴いてしまうはずなんだよね。そうすると、説得力が倍増するじゃない? ただ、もうこうなると、奥野の個性だから。彼が歌うことによって伝わり方が10倍になるんだったら、もうそれは武器ですよ。

それに、事故の後、奥野は歌い方も呼吸法も変えざるを得なかったわけだけど、俺は今のほうが断然好きなんだよね。昔はわりと独特な声で歌ってたけど、今のほうがいい声だなって思う。

大雑把にいうと、「生きることって楽しいんだな」って。それが伝わればいいんだよね。(奥野)

―再結成されて丸3年になりますが、今後ROGUEの活動や『GBGB』をどうしていきたいと考えていらっしゃいますか?

奥野:継続。それだけ。そんなに欲はない。

―奥野さん自身にとっても、続けていくことの喜びが年々大きくなっている?

奥野:やっぱり続けることは楽しいなあって、どんどん実感していくよ。積み重ねてこそいい歌が歌えるというか。だから、もっとやっていけば、もっとよくなるんじゃないかなって思う。一回こんな身体になってリスタートしてるけど、どんどんよくなるからね。多分そのうち昔を超えちゃうんじゃないかな。だから、ROGUEとして新曲は発表していきたいね。

『G-Beat Gig Box』(2016年6月25日)
『G-Beat Gig Box』(2016年6月25日)

―10月には新しいアルバムの発売も決定していますね。この先も音楽を続けていくことで、どういった佇まいを見せていきたいですか?

奥野:単純に、歌っていることの素晴らしさが伝わるだけで俺は満足なんだよね。俺が歌ってる姿を見て、「楽しそうだな」って伝わればいいなと思う。

大雑把にいうと、「生きることって楽しいんだな」って。それが伝わればいい。一度どん底に落ちたから、余計そう思うよね、生きててよかったって。毎日楽しいもんね、俺。そういうふうに思っている俺の歌が伝わればいいな。

香川:奥野が頑張っている姿というのが、やっぱりインパクトあると思うんですよ。「あいつができるなら、大抵のことはできるだろう」って思ってもらえれば、やる意味はゼロではないよね。

奥野:一番最初の『GBGB』で、「これだけ達成すりゃ、もういいや」と思ったんだけどね。「もっともっと」って周りが言うから、頑張らなきゃなと思う。すごいプレッシャーなんだけどさ。

香川:奥野は、ある意味障害のある人たちにとってのスターだから。スターはプレッシャーのなかで生きていていいんだよ。やっぱり負荷がかかってないと成長はないから。その分、僕らはもうハシゴを外すことはしないし、奥野を乗せた神輿を担ぎ続けますよ。それは『GBGB』のスタッフも思ってることだと思う。

『G-Beat Gig Box』(2016年6月25日)
『G-Beat Gig Box』(2016年6月25日)

―ROGUEにしか表現できない歌と佇まいに救われる人は、障害者・健常者関係なく、今の世のなかにたくさんいると思います。

香川:『GBGB』を始めた年に、東京オリンピックの開催が決まったんだよね。パラリンピックの国歌は、ホスト国の代表が歌うっていうから、「奥野に歌わせようぜ」って信誠会のみんなで言ってるんだよ。俺たちみたいな田舎の小さい団体が盛り上がっても、どうにもならない壁が色々あるから「困っちゃうなあ」とも思うんだけど、実はそのための活動もしていて。奥野がパラリンピックで“君が代”を独唱できたら、すごい画じゃん。だから、そこまでは全開でやるしかないですね。

番組情報
『G-Beat Gig Box 2016』

2016年8月21日(日)20:00~22:00にフジテレビNEXT ライブ・プレミアム、フジテレビNEXTsmartで放送
出演:
ROGUE
Mr.Children
クレイジーケンバンド
FLYING KIDS
JUN SKY WALKER(S)

リリース情報
ROGUE
『DESOLATION ANGELS』(CD)

2016年10月19日(水)発売
価格:2,000円(税込)
FSCT-1003

プロフィール
ROGUE
ROGUE (ろーぐ)

メンバーは、奥野敦士(Vo)、香川誠(Gt,Cho)、西山史晃(Ba,Cho)、深沢靖明(Dr,Cho)。1982年10月、ROGUE結成。1986年デビュー。1990年、解散。2013年10月19日、グリーンドーム前橋『GBGB2013』でROGUE再結成。アンコールを含め7曲演奏。



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